小林昭美 日本語千夜一夜〜古代編〜4 |
2021.02.07 更新 2026.08.24
「やまとことば」のなかの中国語からの借用語
第107話 日本語の古層
第108話 弥生音の特色
第109話 古代日本語の音韻構造
第110話 中国語韻尾音の転移
第111話 訓読み漢字の語源
第112話 古代中国語音の復元
第113話 借用語音の転移
第114話 古代日本語を解読する
「やまとことば」再考〜改訂版『古事記傳』の試み
第115話 改訂版『古事記伝』の試み
第116話 「やまとことば」はどこから来たか
第117話 古代中国語音の再構
第118話 神とは何か
第119話 弥生時代の「やまとことば」
第120話 古事記歌謡の復元
第121話 朝鮮語音の影響
第122話 やまとことば再考
「やまとことば」の成立〜万葉集に古代日本語の痕 跡を探る〜
第123話 万葉集の来た道
第124話 万葉集のはじまり
第125話 万葉人の声を聞く
第126話 弥生音の痕跡
第127話 古代中国語音の復元
第128話 江南音の影響
第129話 朝鮮半島からの道
第130話 やまとことばの成立
弥生時代の日本語の痕跡を求めて
第131話 古代日本語私記
第132話 『日本書紀』の解読
第133話 『古事記』の解読
第134話 『万葉集』の解読
第135話 日本漢字音・呉音と漢音
第136話 万葉集の漢字音・和音と弥生音
第137話 柿本人麻呂の日本語世界
[よみがえる八世紀の日本語]
第138話 古代日本語の漢字音
第139話 古代日本語には母音が八つあった
第140話 古代日本語の復元
第141話 柿本人麻呂の日本語世界
「やまとことば」のなかの中国語からの借用語
第107話から第114話までは平成19年に「大正大学研究紀要」第92号に載せた『「やまとことば」のなかの中国語からの借用語』の内容をできるだけ忠実に載録したものである。大学の研究紀要はその性質上極めて限られた読者に向けられたものであるので、目にふれた人は少ないはずである。そのため、原文にほとんど手を加えず載録することにした。以下はその本文である。
1.日本語の古層
日本語の<古層>はどのように形成されたか?日本語の源流は「やまとことば」であり、「やまとことば」は古来から不変のものとみなすのは、戦前の日本主義のステレオタイプであり、それは今日に至るまで形を変えながら繰り返されている。筆者は、歴史を貫く一貫した<古層>を認めず、それを歴史的に形成されたものと考える。
日本語が文字として記録されるようになるのは五世紀後半以降のことである。稲荷山鉄剣の銘などから、日本列島で漢字が使いはじめられていることがわかる。中国側の資料でも、『宋書』倭国条に倭の五王のことが書かれており、これも五世紀のことである。日本では七世紀末から八世紀はじめ頃、大陸文化の影響下に、一気に政治体制が整えられ、それに併せて、さまざまな文化が花開くことになる。『古事記』『日本書紀』のような歴史書が著わされ、『万葉集』の大歌人柿本人麻呂などが現われる。
記紀万葉の日本語は、一般に「やまとことば」と呼ばれているが、そのなかには、弥生時代以降中国文化の圧倒的な影響ものもとに、中国語から借用された日本語の<古層>をみることができる。この論文では日本が本格的に文字時代に入る前に中国語から借用されたことばの発音を「弥生音」と呼ぶことにする。日本語はその出発点からして、中国語との交渉の中で形成されてきたのである。
本居宣長(1730〜1801)は「第一に、漢意(からごころ)・儒意を清く濯ぎ去りて、やまと魂をかたくする事を、要とすべし」(『うひ山ぶみ』)とした。それは、中国の影響以前の純粋な日本のあり方に理想を見出そうというものである。しかし、記紀万葉の日本語から「漢意」をとりさることができるかどうか疑問である。文字時代以前から歴史を一貫して貫く「やまとことば」の<古層>なるものはなく、<古層>自体が弥生時代以降中国との接触により歴史的に形成されてきたものであると考えられる。
2.言語学者カールグレンの卓見
スウェーデンの言語学者Bernhard Karlgrenは”Philology and Ancient
China”(1920)のなかで馬「うま」、梅「うめ」、絹「きぬ」、竹「たけ」、麦「むぎ」など20あまりのことばをあげて、これらの日本語は古い時代における中国語からの借用語ではないかと指摘している。
戦後になって、国語学者の亀井孝がこれに対して反論して次のように述べている。
(1) 間違いなく誤りと認めうる例
湿「しほ」、蛺「かひこ」、
(2) 多分に疑わしい例
琢「とぐ」、剥「はぐ」、築「つく」、析「さく」、槅「かき」、熱「なつ」、
閾「ゆか」、邑「いへ」、室「さと」、松「すぎ」、麦「むぎ」、竹「たけ」、
盆「ふね」、坩「かま」、鎌「かま」、秈「しね」、
(3) あるいは認めてもよいかと思われる例
郡「くに」、絹「きぬ」、馬「うま」、梅「うめ」、
ここで重要なのは、亀井孝がカールグレンの説をほとんど全面的に否定しているにもかかわらず、あるいは認めてもよいかと思われる例として郡「くに」、絹「きぬ」、馬「うま」、梅「うめ」の四つが、訓よみではあるが中国語からの借用語であることを認めていることである。
参考文献:
Bernhard Karlgren “Philology and Ancient
China”Oslo,1920(日本語訳、岩村忍・魚返善雄訳『世界言語学名著選集、第II期東南アジア言語編、第3巻支那言語学概論』所収、ゆまに書房、1999年)
亀井孝”Chinese Borrowings in Preliterate Japanese”(『亀井孝論文集3』所収、吉川弘文館、昭和59年)
3.古代中国語音の痕跡
日本漢字音は隋唐の時代の中国語音に依拠して、日本が本格的文字時代に入った奈良時代から平安時代に定着したものである。それに対して、「やまとことば」のなかの中国語からの借用語は古代中国語音に依拠して、弥生時代以降に米や鉄の文化とともに日本に入ってきたものである。これらの弥生音と中国語音の対応を確かめるには隋唐の時代よりも古い『詩経』などの中国語音との対応を検証してみなくてはならない。
例えば、奥(オウ・おく)では一般に奥「オウ」が音、奥「おく」が訓とされている。「奥」は『韻鏡』では号韻であり、去声である。反切では「烏到」と表わされる。「号」も「到」も日本漢字音の奥「オウ」と対応している。古代中国語音の音価については学者により若干の相違はあるが、王力によると「奥」は奥[uk]であり、台湾の音韻学者董同龢の『上古音韵表稿』によると奥[ôg
]去声である。(注1)
中国語の音韻史をさかのぼってみると、「奥」の古代中国語音は奥[uk]あるいは奥[ôg]であり、「奥」は隋唐の時代になると奥/ung/あるいは奥/ông
/へと変化した。日本語の奥「おく」は古代中国語音に依拠したものであり、日本漢字音の奥「オウ」は隋唐の時代の中国語音に依拠した借用語である。(注2)
万葉集のなかでは「おく」は意枳、於吉、於伎、己、意吉、於支、奥などと表記されている。
「蜻蛉羽(あきづは)の袖ふる妹を玉くしげ奥(おく)に思ふを見たまへ吾が君」(万376)
「ねもころに於久(おく)をなかねそ現在(まさか)し良かば」(万3410)
「あらかじめ人言繁しかくしあらばしゑや吾が背子奥(おく)もいかにあらめ」(万659)
『時代別国語大辞典(上代篇)』によると、沖「おき」は奥「おく」と同根であるという。
(1)沖・海・湖・川の岸より遠く離れた所。
「海原の意吉(おき)行く船を」(万874)
「近江の海を奥(おき)放(さ)けてこぎ来る船」(万153)
「吉野の川の奥(おき)になづさふ」(万430)
(2)心の中。心の奥底。
「那呉の海の於伎(おき)を深めてさどはせる君が心の術も術なさ」(万4106)
「海(わた)の底奥(おき)を深めて吾が思へる君には逢はむ年は経ぬとも」(万676)
万葉集の時代には「沖」の意味にも「奥」の字をあてていていた。その後、海の澚には「沖」の字をあてるようになり、「奥」と「沖」が文字のうえで区別されるようになった。「奥」には灰のおくに火種をかこっておく燠「おき」ということばもあったが、マッチの普及により、ほとんど死語になってしまった。
また、日本語の墓「はか」は、古代中国語の墓[mak]に依拠したことばである。「墓」は「莫」、「幕」などと声符が同じであり、古代中国語音では韻尾に[-k]があったとかんがえられる。古代日本語では語頭音は清音になるため墓[mak]は墓「はか」と発音された。やがて、中国語の影響で日本語でも語頭に濁音がくるようになり、また韻尾[-k]が失われて、日本漢字音では墓「ボ」と発音されるようになった。日本語の墓「はか」は古代中国語からの借用語であり、弥生音の痕跡を留めている。
日本語の塚「つか」は呉音が「チュウ」、漢音が「チョウ」、訓が塚「つか」であるとされている。「塚」の古代中国語音は塚[tiong]であり、高く土を盛りあげた墳墓の意味である。塚[tiong]の韻尾[-ng]は[-k]と調音の位置が同じである。「塚」の韻尾[-ng]は日本語にはない発音なので、古代日本語ではカ行で発音された。塚「つか」も弥生時代の借用語である。
漢字の「時」は音が時「ジ」、訓が時「とき」と一般に考えられている。しかし、「時」の声符は「寺」であり、同じ声符の漢字に特[dək]があることから、時は時[dək]という音ももっていたと考えられる。したがって、時(ジ・とき)はいずれも中国語からの借用語である可能性がある。時「とき」は弥生時代の借用音である。
注1)日本語音は便宜上旧かな使いで表記した場合がある。
注2)古代中国語音は[ ]であらわした。
注3)隋唐の時代の中古中国語音は/
/であらわした。
4.朝鮮語音の影響
朝鮮半島では日本列島よりも早くから中国文化の影響を受けていたので、朝鮮語は中国語の語彙も数多く借用している。しかし、中国語と朝鮮語は音韻構造がまったく違うので、中国語からの借用語は朝鮮語音の影響をうけた。また、古代の日本語は朝鮮半島を経て中国語の語彙を借用したものが多いので、弥生音も朝鮮語音の影響を受けている。朝鮮漢字音にはいくつかの特徴があることが知られている。
(1) 朝鮮語ではラ行音が語頭に立つことはない(注4)
朝鮮語では中国語のラ行で始まる言葉はナ行音に置き換えられる。盧武鉉(ノ・ムヒョン)、盧泰 愚(ノ・テウ)などのごとくである。現代の朝鮮語では蝋燭(nap-chop)、蘭(nan)、櫓(no)、轆轤 (nok-ro)である。
日本語の練(レン・ねる)、浪(ロウ・なみ)、泣(キュウ・リュウ・なく)、流(リュウ・なが れ)、梨(リ・なし)、などの訓は朝鮮漢字音の影響を受けた借用語である可能性がある。
ラ行イ段の頭音は脱落する。李承晩(イ・スルマン)などのごとくである。龍(yong)、瑠璃(yu-ri) 蓮華(yeon-hwa)、などではラ行の頭音は脱落する。
日本語の陸(リク・おか)、梁(リョウ・やな)、粒(リュウ・いぼ)、などは朝鮮漢字音の影響 を受けた借用語である可能性がある。
(2) 朝鮮語ではガ行鼻濁音が語頭にくることはない
我 (a)、愕 (ak)、岳(ak)、魚 (eo)、御(eo)、愚(u)、月
(wol)、玉 (ok)
日本語の魚「うお」、顎「あご」、岳「おか」は古代中国語の魚[ngia]、顎[ngak]、岳[ngiok]の朝鮮語読みである。古代日本語の我「あ」も我[ngai]の朝鮮語読みであろう。
(3) 朝鮮語では中国語の韻尾の[-t]は規則的に[-l]に転移する
現代の朝鮮語では地下鉄(jiha-cheol)、万年筆(man-nyeon-ppil) のように韻尾の[-t]は規則的に(-l) であらわれる。
日本語の擦(サツ・する)、刷(サツ・する)、払(フツ・はらう)、祓(バツ・はらう)なども朝鮮漢字音と同じ転移を示している。これらの漢字の朝鮮漢字音は擦(chal)
、刷(swal) 、払(pul) 、祓(pul) である。
注4)現代朝鮮漢字音、現代中国語音は( )であらわした。
4−1.古代日本語ではラ行ではじまることばはなかった
古代日本語には、朝鮮語と同じように、ラ行ではじまることばはなかった。だから、ラ行ではじまることばはすべて借用語である。万葉集ではラ行ではじまることばは、ほとんど使われていない。
池神の 力士儛(まひ)かも 白鷺の 桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて 飛びわたるらむ
(万3831)
「力士舞」というのは伎楽の一種であり、金剛力士に扮した男が面をつけ、桙をもって舞った。「力士」は万葉集のなかで用いられている数少ないラ行で始まることばであり、中国語からの借用語である。源氏物語のころになるとラ行のことばは、仏教用語を中心にかなり使われるようになる。ラ行ではじまることばがないのは日本語、朝鮮語などアルタイ系言語の共通の特色である。ラ行ではじまることばは明治以前は中国語から日本語に入ってきた。
駱駝「らくだ」、螺鈿「らでん」、蘭「らん」、栗鼠「りす」、龍「りゅう」、
瑠璃「るり」、輪廻「りんね」、坩堝「るつぼ」、流転「るてん」、轆轤「ろくろ」、
明治以降の借用語は英語などヨーロッパの言語からの借用が多い。
ライオン、ラジオ、ラムネ(レモネードの略)、ランプ、リズム、リボン、ルビー、
レコード、レストラン、レモン、レンズ、レントゲン、ロケット、ロボット、ロマンス、
『広辞苑』ではラ行で始まる言葉を調べてみると79ページ、全体の約3パーセントもある。『時代別国語大辞典(上代編)』ではわずかに0.4パーセントである。日本語がいかに多くの借用語を受け入れているかをみるひとつの指標といえる。
4−2 古代日本語ではガ行鼻濁音が語頭にくることはなかった
古代日本語では、朝鮮語と同じようにガ行鼻濁音ではじまることばはなかった。古代日本語では「あ」が一人称を表わすことばとして使われている。
阿(あ)はもよ女(め)にしあれば汝(な)を除(き)て男(を)は無し汝(な)を除(き)て
夫(つま)は無し(古事記歌謡6)
吾(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの山の雫にならましものを(万108)
あぢの住む渚沙(すさ)の入江の荒磯松我(あ)を待つ児らはただひとりのみ(万2751)
「あ」は「あれ」、「わ」、「われ」とともに古代日本語では一人称をあらわす。「あ」は「わ」より古い形であり、すでに奈良時代から「あ」の用例は「わ」よりも少ない。そして、平安期には「わ」「わが」の形だけが残った。「あ」は古代中国語の我[ngai]あるいは吾[nga]の語頭音[ng-]が脱落した形である可能性がたかい。
「やまとことば」のなかには古代中国語の語頭の鼻濁音[ng-]が失われたものがほかにもある。
例:我(ガ・あ)、吾(ゴ・あ)、顎(ガク・あご)、魚(ギョ・うお)、御(ギョ・お)、
仰(ギョウ・あおぐ)、
これらの借用語は朝鮮漢字音の影響を受けている。
4−3 古事記・日本書紀歌謡の漢字音
高木市之助は「記紀歌謡の比較に就て」(『吉野の鮎』所収)のなかで、記紀歌謡は漢字の使い方が著しく食い違っていることを指摘している。
書紀の句の假名はその歌謡中に十七囘も使用されてゐる慣用假名であるが、記の歌謡には一囘の用例もなく、反對に記の久はその歌謡に於て百に十九回も使用されるク専用假名であるのに、書紀に於ては僅か二囘の用例を持つ特殊な假名である。同様に「やへがき」の餓は書紀に於て六十二囘の用例を持つに係らず記には一囘も使用されず、反對に賀は記に於て百十二回も慣用されてゐるのに、書紀では同じく一囘の用例を求める事も出来ない。(p.307)
日本書紀歌謡では鼻濁音の語[ngia]、餓[ngai] が使われているが、古事記歌謡では鼻濁音が使われず、そのかわりに碁[giə]、賀[hai]
が使われている。「語」、「餓」の朝鮮漢字音は語(eo)、餓(a)である。古事記の史が朝鮮半島出身であり、「語」、「餓」を語(eo)、餓(a)と発音していたとすれば、古事記のなかで「語」、「餓」がガ行音に使われなかったとしても不思議はない。
古事記歌謡には「久」が使われていて、日本書紀歌謡には使われていないというのも、古事記の史が朝鮮語の音韻体系をもっていたとすれば説明がつく。朝鮮漢字音では久(ku)、九(ku)、口(ku)、丘(ku)、句(ku)であり、中国語音の介音[-i-]は失われる。日本書紀の編纂時には音博士などが招聘されており、日本書紀歌謡の漢字は隋唐の時代の中国語音に依拠している。
5.古代日本語の音韻構造
古代の日本語にはいくつかの特色があることが知られている。
(1) 古代日本語には「ン」で終る音節はなかった。
(2) 古代日本語には語頭に濁音がくることはなかった。
(3)
古代日本語にはラ行ではじまることばはなかった。
そのほか、古代日本語では母音が五つではなく八つあった、などが知られている。このうち、ラ行ではじまることばがない、語頭に濁音がくることがない、前舌母音と後舌母音が母音調和をなす、などの特徴はアルタイ語である朝鮮語と共通である。日本語の音節構造は中国語とは著しく違うため、古代日本語における中国語からの借用語はさまざまな変容をうける。
5−1.古代中国語の韻尾[-n]、[-m]は弥生音ではナ行またはマ行で現れる。
古代日本語「ン」で終る音節はなかったので、古代中国語の韻尾[-n]、[-m]は弥生音では寄生母音をつけてナ行、またはマ行の音で置き換えられた。
[ナ行]
金(キン・かね)、 絹(ケン・きぬ)、兼(ケン・かねる)、秈(セン・しね)、
段・壇(ダン・たな)、店(テン・たな)、殿(デン・との)、 免(メン・まぬがれる)、
[マ行]
闇(アン・やみ)、 坩(カン・かめ)、
肝(カン・きも)、 簡(カン・かみ)、
坩(カン・かめ)、 君(クン・きみ)、 鎌(ケン・レン・かま)、混(コン・こむ)、
困(コン・こまる)、滲(シン・しみる)、沁(シン・しみる)、浸(シン・しみる)、
侵(シン・せめる)、占(セン・しめる)、染(セン・そめる)、純(ジュン・すむ)、
蝉(ゼン・せみ)、 苫(セン・とま)、 弾(ダン・たま)、
填(テン・つめる)、
屯(トン・たむろ)、鯰(ネン・なまず)、繙(ハン・ひも)、 蟠(バン・へび・へみ)、
浜(ヒン・はま)、 嬪(ヒン・ひめ)、
文(ブン・ふみ)、 眠(ミン・ねむる)、
上に掲げた漢字の読み方のうち、「カタカナ」で表記したものは音であり、中国語音の借用であると考えられている。「ひらがな」で表記したものは「やまとことば」だと一般には考えられているが、音は文字時代以降の借用語であり、訓は弥生時代の借用語である。古代中国語では[-m]と[-n]が区別されていたが、日本語では[-n]も[-m]も「ン」となり、区別されない。日本語の「ン」がマ行音に近いことは「行かむ」、「止まむ」の「む」が現代の日本語では「ン」となっていることからもわかる。
中国語でも広東語、福建語などでは区別されているが、北京語では区別されていない。また、朝鮮語でも[-n]と[-m]は区別されている。
| 日本漢字音 | 朝鮮漢字音 | 広東語 | 福建語 | 上海語 | 北京語 |
| -n「ン」 | -n | -n | -n | -n/ñ | -n |
| -n「ン」 | -m | -m | -m | -n | -n |
5−2.古代中国語の韻尾[-ng]は弥生音ではカ行で現れる。
中国の言語学者、王力によれば、古代中国語音でも[-ng]・[-k]は転移しやすく、つぎの対語は同源語である。
逆[ngak] ・迎[ngyang]
、読[dok] ・誦[ziong] 、董[tong] ・督[tuk] 、改[kə]・更[keang]
中国語韻尾の[-ng]と[-k]はいずれも後口蓋音であり、調音の位置が同じである。調音の位置の同じ音は転移しやすい。日本漢字音でも同じ声符をもった漢字が交通「コウツウ」、比較「ヒカク」のように二通りの読み方がある場合がみられる。
交「コウ」:較「カク」、雙「ソウ」:隻「セキ」、広「コウ」:拡「カク」、
暴「ボウ」:爆「バク」、容「ヨウ」:欲「ヨク」、兢「キョウ」:克「コク」、
これらの漢字音はいずれも較「カク」などのようにカ行で終るものが古く、交「コウ」のように音便形で終るものの方が新しい。次の日本語は音・訓ともに中国語からの借用語である。
泳(エイ・およぐ)、往(オウ・ゆく)、 奥(オウ・おく)、横(オウ・よこ)、
影(エイ・かげ)、 嗅(キュウ・かぐ)、 筐(キョウ・かご)、茎(ケイ・くき)、
効(コウ・きく)、 勝(ショウ・すぐる)、咲(ショウ・さく)、盛(セイ・さかり)、
性(セイ・さが)、 爽(ソウ・さやか)、 塚(チョウ・つか)、桶(トウ・ヨウ・おけ)、
湧(ユウ・わく)、 涌(ヨウ・わく)、 羊(ヨウ・やぎ)、 楊(ヨウ・やぎ・やなぎ)、
揚(ヨウ・あげる)、夭(ヨウ・ゆく)、
一般に、隋・唐の時代の中国語韻尾/-ng/のうち声調が去声のものは、古代中国語では[-k]あるいは[-g]であったと考えられている。日本漢字音は隋・唐の時代の中国語音に依拠しているが、「やまとことば」のなかの中国語からの借用語は古代中国語音に依拠している。
日本語の「かげ」には光と影のふたつの意味がある。
� 米�・月・燈火などの)光。
「渡る日の加氣(かげ)にきほひて」(万4469)
「燈火を月よにたぐへその可氣も見む」(万4054)
「池水に可氣(かげ)さへ見えて」(万4512)
「可宜(かげ)に見えつつ忘らえぬかも」(万149)
�◆仝�が物に当って、光の反対側に生じる暗い像。
「橘の蔭(かげ)踏む道の」(万125)
日本語の「かげ」は古代中国語の光[kuang]と影[yang]に依拠している。影[yang]は景[kyang]と声符が同じであり、影にも景の音があったものと思われる。白川静の『字通』によると「影[yang]は景[kyang]の子音が脱落したもので、影の声義において通用する」とある。日本語には[-ng]の発音がなかったので、古代中国語の光[kuang]は「かげ」となり、影[kyang]も「かげ」として文字時代以前に日本語に受け入れられた。
日本語の「かがやく」は中国語の光耀[kuang-jiôk]と関係のあることばであろう。また、「かぐや姫」は「光や姫」である。「天の香具(かぐ)山」は古代飛鳥の藤原宮の東、太陽の登る方向に位置する「光山」の意であろう。
5−3.古代中国語の韻尾[-p]、[-t]、[-k]は母音を添加してハ行、タ行、カ行で現れる。
日本語は開音節だが中国語には韻尾が[-p]、[-t]、[-k]で終る入声音がある。古代日本語では中国語の入声音は寄生母音をつけて二音節に発音された。
(1) 古代中国語の[-k]は日本語ではカ行・ガ行で現れる。
腋(エキ・わき)、 酢(サク・さけ)、 鵲(サク・さぎ)、削(サク・そぐ)、
索(サク・さがす)、塞(ソク・せき)、 竹(チク・たけ)、築(チク・つく)、
啄(タク・つつく)、着(チャク・つく)、突(トツ・つく)、剥(ハク・はぐ)、
麦(バク・むぎ)、 訳(ヤク・わけ)、
(2) 古代中国語の[-t]は日本語ではタ行・ダ行で現れる。
葛(カツ・くづ・かづら)、舌(ゼツ・した)、卒(ソツ・そち)、鉢(ハツ・はち)、
筆(ヒツ・ふで)、 佛(フツ・ほとけ)、
(3)
古代中国語の[-p]は弥生音ではハ行・バ行で現れる。(注5)
渋(ジュウ・しぶい)、蝶(チョウ・てふ)、塔(トウ・たふ)、峡(キョウ・かひ)、
注5)中国語韻尾の[-p]は旧かな使いではハ行であらわれる。
6.中国語の韻尾は転移することがある。
中国語の韻尾は調音の位置および方法によって次のように分類できる。この表で縦軸の音は調音の位置が同じ音は転移しやすい。また、横軸の音は調音の方法が同じ音は転移しやすい。
| 脣音 | 前口蓋音 | 後口蓋音 | |
| 破裂音 | [-p] | [-t] | [-k] |
| 鼻音 | [-m] | [-n] | [-ng] |
王力によると、中国語でも[-n]と[-t]は同源語が多いという。
純[zjiuən]
・粋[suiət] 、判[phuan] ・別[biat] 、 弁[bian] ・別[biat] 、
引[jien] ・曳[jiat]
、 断[duan] ・絶[dzuiat] 、寛[khuan] ・闊[khuat]、
[-n]と[-t]は調音の位置が同じである。調音の位置が同じ音は転移しやすい。日本漢字音でも同じ声符をもった漢字に二通りの読み方がある場合がみられる。
珊「サン」・冊「サツ」、吻「フン」・物「ブツ」、因「イン」・咽「エツ」、
産「サン」・薩「サツ」、欽「キン」・欠「ケツ」、本「ホン」・鉢「ハツ」、
中国語には[-l]という韻尾はない。ラ行はタ行、ナ行と調音の位置が同じなので、中国語原音が[-t]または[-l]の場合、日本語ではラ行であらわれることがある。
6−1.中国語韻尾の[-t]、[-n]、[-l]は転移する。
これらの音はいずれも前口蓋音であり、調音の位置が同じである。調音の位置が同じ音は転移しやすい。
(1)
古代中国語音の[-t]は弥生音ではラ行で現れることがある
擦(サツ・する)、 刷(サツ・する)、 奪(ダツ・とる)、徹(テツ・とおる)、
祓(バツ・はらう)、払(フツ・はらう)、没(ボツ・うもる)、
(2) 古代中国語音の[-n]は弥生音ではラ行で現れることがある
漢・韓(カン・から)、雁(ガン・かり)、巾(キン・きれ)、嫌(ケン・きらう)、
玄(ゲン・くろ)、 昏(コン・くれ)、申(シン・さる)、算盤(そろばん)、
(3) 中国語韻尾の[-n]は弥生音ではタ行で現れることがある
音(オン・おと)、 管(カン・くだ)、琴(キン・こと)、肩(ケン・かた)、
堅(ケン・かたい)、断(ダン・たつ)、盾(トン・たて)、幡(ハン・はた)、
これらのことばはいずれも中国語からの借用語である。訓は弥生時代の借用語であり、音は文字時代になってからの借用語である。
6−2.中国語韻尾の[-p]は弥生音ではマ行、バ行で現れることがある。
日本語では語頭で清音であらわれる音が語中では濁音になることが多い。このため、中国語の韻尾[-p]も日本語ではマ行あるいはバ行で現われることがある。
汲(キュウ・くむ)、鴨(コウ・オウ・かも)、甲(コウ・かめ)、
湿(シツ・しめる)、渋(ジュウ・しぶい)、 甲兜(かぶと)、
6−3.中国語韻尾の[-ng] は弥生音ではマ行で現れることがある。
中国語韻尾の[-ng]
は日本語にはない音である。[-ng]は調音の位置が[-k]と同じであり古代日本語ではカ行であらわれることが多い。しかし、[-ng]は調音の方法が[-m]
と同じであるため、日本語ではマ行であらわれることもある。
咬(コウ・かむ)、公(コウ・きみ)、 醒(セイ・さめる)、霜(ソウ・しも)、
相(ソウ・さま)、 弔(チョウ・とむらう)、灯(トウ・ともる)、 様(ヨウ・ショウ・さま)、
7.漢字の常用訓と語源
「奥」の古訓には奥「おく、ふかし、うち」などがあった。また、「沖」の古訓には沖「ふかし、はるかに」などがあった。しかし、やがて「奥」は奥「おく」、「沖」は沖「おき」として常用訓が定着していった。訓にあてられる漢字は必ずしもその語源とは同一ではない。例えば、関(カン・せき)では一般に関「カン」が音であり、関「せき」が訓である。しかし、「やまとことば」の「せき」の語源は「塞」である可能性がある。万葉集では「せき」は世伎、勢伎、塞、關などの文字が使われている。
「過所(くわそ)無しに世伎(せき)飛び越ゆる霍公鳥」(万3754)
「出でて行く道知らませばあらかじめ妹を留めむ塞(せき)も置かましを」(万468)
「關無くはかへりにだにもうち行きて妹が手枕まきてねましを」(万1036)
「関」の古訓は関「せき、ふさぐ、とざす」などであり、「塞」の古訓は塞(せき、ふさぐ、へだつ)などであった。白川静の『字通』によれば「関」は音がカン(クワン)、ワン、訓は「かんのき」、「とじる」、「せき」であるという。また「塞」は音がサイ、ソク、訓は「ふさぐ」、「とりで」だという。王力の『詩経韻読』によれば「塞」の古代中国語音は塞[sək]であり、日本語の「せき」は古代中国語の「塞」の借用語である蓋然性がある。また、日本語の動詞「ふさぐ」の語源は閉塞「ふさぐ」であろう。奈良時代以降慣用の漢字が変ってしまったために、中国語からの借用語であることがわからなくなってしまっている日本語の語彙は多い。
8.借用語には複合語もある。
「やまとことば」のなかには単一の漢字ではなく、漢語の熟語と対応していると思われるものもある。
哀憐[əi-lyen] あわれむ、 役戦[jiuek-tjian] いくさ、 鰻魚[miuan-ngia] うなぎ・むなぎ、
翁女[ong-njia] おきな、 脚踵[kiak-tjiong] かかと、 光耀[kuang-jiôk] かがやく、
仇敵[giu-dyek] かたき、
蛺蠱[keap-ka] かひこ、 甲兜[keap-to] かぶと、
靴沓[xuai-dəp]くつ、 車輪[kia-liun] くるま、
解答[ke-təp] こたへ、
叱喝[tsiet-hat] しかる、 静寂[dzieng-tzyek] しずか、蛋子[dan-tziə] たまご、
秘潜[piuet-tzyəm] ひそむ、秘密[piuet-miet] ひめる、 房総[biuang-tzong] ふさ、
閉塞[pyet-sək]ふさぐ、
防塞[pyet-sək] ふせぐ、 無惨[miua-tsəm] みじめ、
嘆息[than-siek] ためいき、
古代日本語では語頭に濁音がくることがなく、語中では清音が濁音になることがあるので、中国語の清濁は日本語では語頭では清音に、語中では濁音になる。
9.子音の重複
中国語からの借用語は馬「むま」、梅「むめ」、牧「むまき」のように音節を重ねることがある。また、つぎの例では子音を重ねている。中国語音で語頭が濁音のものは日本語音では子音を重ねることが多いようである。
括(カツ・くくる)、鑑(カン・かがみ)、掛(ケイ・かける)、掲(ケイ・かかげる)、
限(ゲン・かぎる)、進・晋(シン・すすむ)、漱(ソウ・ソク・そそぐ)、
続(ゾク・つづく)、綴(テツ・つづる)、南(ナン・みなみ)、
これらの「やまとことば」も音義ともに中国語との対応関係があり、弥生時代における中国語からの借用語である。
10.古代中国語音の復元
隋唐の時代の中古中国語音は唐詩の韻の研究などによってかなり研究が進み、その音価が正確に復元されている。弥生時代の中国語からの借用語は隋唐の時代より古い時代の中国語音に依拠しているため、『詩経』などの韻を調べて復元する。日本漢字音は隋唐の時代の中古音に依拠しているが、弥生時代の借用音である弥生音は古代中国語音に依拠している。漢字の中古音は古代中国語音が規則的に変化したものである。
(1) 古代中国語音の舌頭音(端・透・定)から中古音の知系声母(知・徹・澄)と照系声母(照・穿・神)が派生した。
都「ト」→猪「チョ」、
動「ドウ」→重「チョウ・ジュウ」、猪「チョ」→諸「ショ」、
單「タン」→戦「セン」、檀「タン」→亶「セン」、
漢字の訓読みのなかには古代中国語音の痕跡を留めていると思われるものがある。
竹(たけ→チク)、着(つく→チャク)、塚(つか→チョウ)、築(つく→チク)、
手(て→シュ)、 床(とこ→ショウ)、苫(とま→せん)、
楯(たて→ジュン)、
(2)
古代中国語の匣母[h-]から中古音の喩母[j]と影母[○]は分化した。また、喩母[j]のなかには定母[d-]と関係のあるものもある。
緩「カン」→爰「エン」、完「カン」→院「イン」、魂「コン」→雲「ウン」、
桃「トウ」→姚「ヨウ」、途「ト」→余「ヨ」、 脱「ダツ」→悦「エツ」、
漢字の訓読みのなかには古代中国語音の痕跡を留めていると思われるものがある。
熊[hiuəm]→/jiuəng/(くま→ユウ)、
雲[hiuən]→/jiuən/(くも→ウン)、
溶[diong]→/jiong/(とける→ヨウ)、融[diuəng]→/jiuəng/(とける→ユウ)、
中国の音韻学者、王力は『詩経』の韻を研究して古代中国語の音を復元するとともに、古代中国語の音韻体系を明らかにした。王力はその著書『同源字典』のなかで「声近ければ義近し」という命題を提起している。言語の歴史は文字の歴史より古いのだから、同じ語源の語は音が近いはずだと王力は考えた。王力は復元した古代中国語の紐表によって「声近し」とは音が印象的に似ているということではなくて、調音の位置が同じであること、あるいは調音の方法が同じであることであると明確に定義した。
次の表で横に並んでいる音は、調音の場所が同じで転移しやすい。また、縦に並んでいる音は調音の方法が同じで転移しやすい。王力は、この表で横に並んでいるものを「旁紐」と呼び、縦に並んでいるものを「鄰紐」と呼んでいる。
| 塞 音 | 擦 音 | |||||||
| 清 音 | 濁 音 | 清 音 | 濁 音 | |||||
| 不送気 | 送 氣 | 鼻 音 | 辺音 | |||||
| 喉 音 | 影[o] | |||||||
| 牙 音 | 見[k-] | 渓kh-] | 郡[g-] | 疑[ng-] | 暁[x-] | 匣[h-] | ||
| 舌 音 | 舌 頭 | 端[-t] | 透[th-] | 定[d-] | 泥[n-] | 来[l-] | ||
| 舌 面 | 照[tj-] | 穿[thj-] | 神[dj-] | 日[nj-] | 喩[j-] | 審[sj-] | 禪[zj-] | |
| 歯 音 | 正 歯 | 荘[tzh-] | 初[tsh-] | 牀[dzh-] | 山[sh-] | 俟[zh-] | ||
| 歯 頭 | 精[tz-] | 清[ts-] | 従[dz-] | 心[s-] | 邪[z-] | |||
| 脣 音 | 幇[p-] | 滂[ph-] | 並[b-] | 明[m-] | ||||
例えば次のような対語は、調音の位置が同じであり、同源である。
[牙音]
剛[kang]・強[giang]、 國[kuək]・域[hiuk]、 花[xoa]・華[hoa]、
[舌頭音] 疼[duəm]・痛[thong]、
涕[thyei]・涙[liuei]、
[舌面音] 肢[tjie]・翅[sjie]、 侈[thjiai]・奢[sjia]、
深[sjiəm]・甚[zjiəm]、
[舌音] 州[tjiu]・島[tô]、 跳[dyô]・躍[jiôk]、
[歯頭音]
清[tsieng]・浄[dzieng]、揖[tziəp]・集[dziəp]、 侵[tsiəm]・襲[ziəp]、
[脣音]
分[piuən]・判[phuan]、 伏[biuək]・覆[phiuək]、 爆[peok]・暴
11.弥生音は中国語原音から転移している。
借用語は一般に借用される側の言語の音韻構造に順応して転移する。たとえば、英語のviolinはヴァイオリンと表記することもできるが、一般にはバイオリンと日本語風に発音されている。ベートーベンの原音がBeethovenであったとしても始めのbと後のvを区別できる人はまれである。中国語からの借用語の場合も中国語音は日本語音に順応して転移する。注目に値するのは、これらの転移が一定の法則にのっとって行われるということである。
11−1.日本語は母音ではじまることばが多い.
日本語は中国語などに比べて、ア行ではじまることばが多い。『広辞苑』ではア行で始まることばが全体の14パーセントである。これに対して、小学館の『中日辞典』で調べてみると、1パーセントにも満たない。朝鮮語ではア、ヤ、ワ行が、ハングルでは同じ行に収められているので、直接比較はできないが、およそ15パーセントで日本語に近い。日本語の特徴のひとつは、すべての音節が母音で終る開音節だといわれるが、母音で始まる語彙が多いのも日本語の顕著な特徴のひとつである。このため、古代中国語からの借用語でも語頭の子音が脱落することが多かった。
王力によると古代中国語でも、牙音、歯音、舌音などでi介音(わたり音)を伴なう音節では頭子音が失われることが多く、次の対語は同源語であるという。
(1) 牙音[k-]、[x-]、[h-]、[kh-]の脱落
景[kyang]:影[yang]、關(貫)[koan]:彎[oan]、嘻[xiə]:噫(意)[iə]、
荒[xuang]:穢[iuat]、
于[hiua] :於[ia] 、 窠[khuai] :窩[uai] 、
(2) 歯音[z-]、[s-]、[dz-]の脱落
痒[ziang]:瘍[jiang] 、象[ziang] :豫[jia] 、昔[syak] :夜[jyak] 、
(3) 舌音[tj-]、[dj-]、[sj-]、[d-]、[th-]の脱落
止[tjiə]:已[jiə]、 灼[tjiôk]:炙[jyak]
、術・述[djiuət] :聿[jiuət] 、陶[du] :窯[jiô] 、
紖[dien] :引[jien] 、畜[thiuk] :育 [jiuk]、
これらの単語は日本ではカ行、サ行、タ行音にあたる。「やまとことば」でも、カ行、サ行、タ行の日本漢字音で訓では語頭音が脱落したと思われるものがいくつかある。
[牙音] 間[kean]ま、 飢[kiei]うえる、寄[kiai]よる、 弓[kiuəm]ゆみ、 居[kia]いる、
禁[kiəm]いむ、今[kiəm]いま、 根[kən]ね、 犬[khyuan]いぬ、及[giəp]およぶ、
訓[xiuən]よみ、血[xyuet]ち、 穴[hyuet]あな、行[heang]ゆく、 合[həp]あう、
[歯音] 秋[tsiu]あき、 洗[syən]あらう、 息[siək]いき、生[sheng]いきる、産[san]うむ、
漆[tsiet]うるし、四[siet]よつ、 小[siô]お、 送[song]おくる、 贈[dzəng]おくる、
山[shean]やま、床[dzhiang]ゆか、 誦[ziong]よむ、
[舌面音]
赤[thjyak]あか、上[zjiang]あがる、射[djyak]いる、枝[tjie]え、 臣[zjien]おみ、
折[tjiat]おる、
真[tjien]ま、 身[sjien]み、 矢[sjiei]や、舎[sjia]や、
灼[tjiôk]やく、 逝[zjiat]ゆく、 世[sjiat]よ、
[舌音] 蜑[dan]あま、天[thyen]あめ、荻[thyek]おぎ、桶[dong]おけ、丹[tan]に、宅[deak]やけ、
古代日本語では日母[nj-]、中国語の疑母[ng-]、来母[l-]は語頭にくることがないので、声母(語頭子音)は脱落する。
[日母] 熱[njiat]あつい、 潤[njiuən]うるおう、餌[njiə]えさ、茹[njia]ゆでる、撚[njian]よる、
弱[njiôk]よわい、 若[njiak]わかい、
[疑母] 我[ngai]あ、 仰[ngiang]あおぐ、
暁[ngyô]あかつき、顎[ngak]あご、魚[ngia]うお、
御[ngia]お、 焼[ngyô]やく、
これらの「やまとことば」は古代中国語からの借用語であり、弥生音である。語頭の子音が失われたものが古く、語頭の子音を発音する日本漢字音の方が新しい。
日本語のア行ではじまることばには馬「うま」、梅「うめ」、のように語頭に母音が添加されているものもある。
輯[dziəp]あつめる、憩[khiat]いこい 疼[duəm]いたむ 、泉[dziuan]いづみ、
出[thjiuət]いづる、 氏[zjie]うじ、
起[khiə]おきる 及[giəp]およぶ、
興[xiəng]おこる、 襲[zjiəp]おそふ、 弟[dyei]おと、 泳[hyuang]およぐ、
古代日本語では濁音ではじまることばがなかったため、母音添加は中国語原音が濁音ではじまることばに多くみられる。また、日本語ではラ行の音が語頭にくることがないため、嵐(ラン・あらし)、爐(ロ・いろり)、麗(レイ・うるわし)、郎女(いらつめ)、郎子(いらつこ)のように母音を添加することがある。
11−2.日本語のカ行音の形成
日本語のカ行は中国語の牙音、見[k-]、渓[kh-]、群[g-]、疑[ng-]、暁[x-]、匣[h-]、と対応している。
金[kiəm]かね、 兼[kiam]かねる、 峡[keap]かひ、 簡[kean]かみ、
坩[kam]かめ、 君[kiuən]きみ、
肝[kan]きも、 葛[kat]くづ、
絹[kiuan]きぬ、 困[khuən]こまる、 汲[giəp]くむ、 琴[giəm]こと、
雁[ngean]かり、 言[ngian]こと、 刈[ngiat]かる、 凝[ngiən]こる、
漢[xan]から、 昏[xuən]くれ、
画[hoek]かく、 茎[heng]くき、
嫌[hyam]きらい、玄[hyuen]くろ、 混[huən]こむ、
古代日本語ではガ行鼻濁音が語頭にくることがなかったので、古代中国語の鼻濁音は失われるか、転移するかいずれかを選ばざるをいなかった。
11−3.日本語のサ行音の形成
日本漢字音でサ行であらあれることばのなかには「やまとことは」ではタ行あるいはカ行であらわれることばがかなりある。
(1) 同じ声符の漢字がサ行とタ行に読み分けられることもある。
終(シュウ)・冬(トウ)、秋(シュウ)・狄(テキ)、
楯(ジュン)・遁(トン)、
眞(シン)・鎮(チン)、 占(セン)・店(テン)、 尊(ソン)・奠(テン)、
古代中国語では[tj-]の音であったものが隋唐の時代になると[ts-]の音に変わった、ということが中国語音韻史では知られている。タ行音のほうが古く、サ行音のほうが新しい。日本語では訓ではタ行で現れる音が日本漢字音ではサ行で現れる場合が多い。訓は古代中国語音に依拠しており、音は隋唐の時代の中古音に依拠している、ということがいえる。
作(サク・つくる)、散(サン・ちる)、 漬(シ・セキ・つける)、手(シュ・て)、
取(シュ・とる)、 就(シュウ・つく)、秋(シュウ・とき)、 盾(ジュン・たて)、
床(ショウ・とこ)、衝(ショウ・つく)、舂(ショウ・つく)、 照(ショウ・てる)、
常(ジョウ・つね)、丈(ジョウ・たけ)、茸(ジョウ・たけ)、 辛(シン・つらい)、
塵(ジン・ちり)、 垂(スイ・たれる)、絶(ゼツ・たえる)、 苫(セン・とま)、
創(ソウ・つくる)、造(ゾウ・つくる)、束(ソク・つか)、 樽(ソン・たる)、
日本語ではサ行のジとタ行のヂの区別は失われ、サ行のズとタ行のヅの区別も失われた。漢字文化圏のひとつであるベトナム漢字音では作(tac)、散(tan)、取(thu)、手(thu)、盾(thuan)、束(thuc)などで、日本語のタ行に近い。
(2) 同じ声符の漢字でもカ行とサ行に読み分けるものもある。
堪「カン」・甚「ジン」、技「ギ」・枝「シ」、基「キ」・斯「シ」、祇「ギ」・紙「シ」、
嗅「キュウ」・臭「シュウ」、賢「ケン」・腎「ジン」、坤「コン」・神「シン」、
王力は『漢語語音史』のなかでつぎのように述べている。
精系の斉撮音(i介音あるいはiu介音を伴なう音節)は舌尖音、精[tz]、從[dz]、心[s]、邪[z]は漸次発音の部位が後方に移動して舌面音の照[tj]、穿[thj]、審[sj]に変っていった。また、見系の斉撮音は舌根音、見[k]、渓[kh]、群[g]、暁[x]、匣[h]は発音の部位が前方に移動して舌面音の照[tj]、穿[thj]、審[sj]に変っていった。両者は合流して転移は完了した。(p.531)
日本漢字音ではカ行であらわれ、訓ではサ行であらわれることばがある。
斬(ザン・きる)、子(シ・こ)、之(シ・これ)、是(シ・これ)、
臭(シュウ・くさい)、小(ショウ・こ)、焦(ショウ・こげる)、
辛(シン・からい)、神(シン・かみ)、切(セツ・きる)、薦(セン・こも)、
掻(ソウ・かく)、倉(ソウ・くら)、蔵(ゾウ・くら)、漕(ソウ・こぐ)、
これらはいずれもカ行音が古く、サ行音が新しい。埼玉県の稲荷山古墳からでた鉄剣の銘に「獲加多支鹵大王」という文字があり、五世紀の日本ではこれを「ワカタケル大王」と読んだ。この場合も支「ケ」は古代中国語音に依拠している。
ベトナム漢字音では支(che,gie,xai,xe)、子(ga,ti,to)、其(ca,khe)、紙(giay)などと発音されている。日本語の訓読みは中国南部の発音の影響を受けて入る可能性がある。
日本語の場合も中国語音の歴史的変化の影響を受けて、カ行音・タ行音が破擦音化してサ行音に変化していったと考えられる。訓のカ行音またはタ行音は弥生時代の借用音であり、音のサ行音は文字時代に入って日本漢字音として定着したものである。
11−4.日本語のタ行音の形成
日本語のタ行は中国語の舌頭音、端[t-]、透[th-]、定[d-]、泥[n-]、と対応している。
竹[tiuək]たけ、 築[tiok]つく、 塚[tiong]つか、 釣[tyô]つる、 照[tjiô]てる、
灯[təng]ともる、塔[thəp]たふ、蝶[thyap]てふ、衝[thjiong]つく、 徹[thiat]とおる、
壇[dan]たな、 着[diak]つく、 殿[dyən]との、 盾[djiuən]たて、 塵[dien]ちり、
鳥[nyu]とり、
耐[nə]たえる、
11−5.日本語のナ行音の形成
日本語のナ行音は中国語原音の[n-]に対応しているものと推定される。しかし、古代日本語のナ行のことばは中国語原音の[n-]に対応するものはほとんど見あたらず、粘[nyam](ネン・ねばる)がほとんど唯一の例である。しかも、「ねばる」の用例は記紀万葉の時代まではさかのぼることはできない。日本語のナ行は濁音[d-]、あるいは次清音[th-]に対応している。古代中国語の濁音は日本語の弥生音ではナ行になり、日本漢字音ではダ行に変化した。
鉈[dai]なた、 濁[diok]にごる、長[diang]ながい、塗[da]ぬる、 乗[djiəng]のる、
鈍[duən]にぶい、灘[than]なだ、 脱[thuat]ぬぐ、 呑[thən]のむ、 逃[do]のがる、
古代日本語に濁音ではじまる音節がなかったから、中国語原音の[d-]あるいは[th-]は日本語ではナ行で発音された。やがて、中国語の影響で日本語でも濁音ではじまる音節が定着してきて、日本漢字音ではダ行で発音されるようになった。[d-]、[th-]、[n-]は調音の位置が同じである。
また、日本語のナ行音は中国語原音の鼻音[m-]・[b-]・[nj-]・[ng-]に対応するものが多い。
[m-] 名[mieng]な、無[miua]ない、莫[mak]なき、亡[miuang]なくなる、鳴[mieng]なく、
寐
[muət]・眠[myen]ねむる、苗[miô]なへ、 猫[miô]ねこ、 望[miuang]ねがう、
[b-]
縫[biong]ぬう、抜[buat]ぬく、
[nj-] 汝[njia]な、茹[njia]にる、 任[njiəm]になう、 濡[njio]ぬれる、
[ng-] 魚[ngia]な、訛[nguai]なまり、偽[ngiuai]にせ、 睨[ngye]にらむ、額[ngeak]ぬか、
日本漢字音では中国語の韻尾[-m]、[-n]も区別されず、いずれも「ン」であらわされる。古代日本語では語頭には濁音がこないという法則がある。[-m]、[-n]はいずれも鼻音(半濁音)である。古代中国語の[m-]は閉塞脣音であり、日本語ではナ行に転移した。やがて、馬「むま」、梅「むめ」などのように子音を重複して発音されるようになったのであろう。
11−6.日本語のハ行音の形成
記紀万葉の時代の日本語のハ行音は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」であったことが知られている。
(1) 日本語のハ行音には中国語原音の脣音[p-]、[b-]、[m-]が対応している。
[p-] 浜[pein]はま、 鉢[puat]はち、
稗[pie]ひえ、 嬪[pien]ひめ、 & nbsp;繙[piuan]ひも、
筆[piet]ふで、
屁[piei]へ・ひる、辺[pyen]へり、仏[piuət]ほとけ、剥[peok]はぐ、
払[piuət]はらう、祓[piuat]はらう、
[ph-] 幡[phiuan]はた、褒美[phiu-mei]ほめる、
[b-] 蟠[buan]へび、
房総[biuang-tzong]ふさ、防塞[biuang-sək] ふせぐ、
[m-] 文[miuən]ふみ、 矛戈[miu-kuai]ほこ、
滅亡[miat-miuang]ほろびる、
(2)古代日本語のハ行音は牙音であった可能性がある
古代日本語のハ行には中国語原音の牙音(舌根音)[h-]、[x-]、[k-]、[g-]、[kh-]、[ng-]が対応しているものもみられる。
[h-] 脛[hyeng]はぎ、閑[hean]ひま、 媛[hiuan]ひめ、 戸[ha]へ、 降[hoəm]ふる、
[x-] 灰[xuəi]はい、
火[xuai]ひ、 揮[xiuəi]ふるう、惚[xuət]ほれる、吼[xo]ほえる、
[k-]・[kh-]・[g-] 篋[keap]はこ、
乾[kan]ひる、 蓋[kat]ふた、 骨[kuət]ほね、
頬[kyap]ほほ、 寛[khuan]ひろい、掘[giuət]ほる、
[ng-]
牙[ngea]は、 原[ngiuan]はら、 芽子[ngea-tziə]はぎ、
日本漢字音のハ行には脣音[p-]、[b-]、[m-]が対応している。中国語の牙音が日本語ではハ行であらわれるのは訓だけである。弥生時代の日本語音では中国語の牙音は日本語のハ行に転移した。牙音は脣音より古い体系の借用語の痕跡である。古代中国語の牙音は日本語ではカ行(金=かね、玄=くろ、など)サ行(子=こ、臭=くさい、など)であらわれることはすでに述べた。また、頭子音が脱落してア行(穴=あな、行=ゆく、など)であらわれることもある。牙音のうち喉音([x-]および[h-])は日本語にはない音であり、古代日本語では頭音が脱落してア行であらわれるものが多い。
古代中国語の喉音はドイツ語のich、nochのような音だったものが摩擦音に変化した。その影響を受けてi介音を伴なうものは、日本語でサ行にあらわれるようになる。朝鮮漢字音では古代中国語の[k-]、[g-]はカ行であらわれ、[x-]、[h-]はハ行であらわれる。
11−7.日本語のマ行音の形成
古代日本語ではマ行音が語頭にくる場合に母音添加することがある。カールグレンは馬「うま」、梅「うめ」を例にあげているが、まだほかにも例はある。
(1) 母音添加の例
夢[miuəng] いめ、妹[muət] いも、 未[miuət]いまだ、馬[mea] うま、
味[miuət]
うまい、美[miei] うまし、梅[muə] うめ、 没[muət] うもる、
牧[miuək] むまき・まき、
万葉集では「馬」は宇摩、宇麻、宇麼、宇馬、宇万、馬、牟麻などと表記されている。
「梅」は烏米、烏梅、宇米、宇梅、汙米、于梅、梅などと表記されていて、中国原音の[m-] を「むま」、「むめ」などと発音していた痕跡がみられる。
「海」の古代中国語音は海[xuə]であるとされている。現代中国語音は海(hai)である。
「海」の声符は「毎」であり、日本語の海「うみ」は毎[muə]に依拠しているものと考えられる。「海」には[h-]のような入り渡り音があり、海[hmə]だった。現代の上海語では「海」は海(hmuə)と発音され、mの前にhという入り渡り音が聞こえるという。(宮田一郎編著『上海語常用同音字典』光生館、参照)中国語では入りわたり音の[h-]が発達して海(hai)となり、日本語では[h-]が脱落して海「うみ」になったのであろう。
(2) 日本語のマ行音には中国語の鼻音[m-]、[b-]、[ng-]、[nj-]が対応している
[m-] 眉[miei] まゆ、
眸[miu]め、 麦[muək] むぎ、 厖[meong]むく、
舞[miua] まう、萌[meang]もえる、迷[myei] まよう、免[mian]
まぬかる、
[b-] 復[biuk] むくいる、
[ng-] 芽[ngea] め、元[ngiuan] もと、御[ngia]み、
御女[ngia-njia] みめ、
御子[ngia-tziə]] みこ、雅美[ngea-miei] みやび、迎[ngyang] むかへ、
[nj-] 汝[njia] みまし、女[njia] め、 耳[njiə] みみ、乳母[njia-mə]めのと、
任那[njiəm・nai] みまな、稔[njim] みのる、 燃[njian]もえる、
[m-]、[b-]はいずれも脣音であり調音の位置が同じである。[ng-]、[nj-]は鼻音であり調音の方法が
[m-]と同じである。調音の位置が同じ音、調音の方法が同じ音は転移しやすい。
11−8.中国語ラ行音の転移
日本語の<基層>にはラ行ではじまることばはなかった。しかし、中国語からの借用語のなかには中国語の[l-]がナ行、タ行に転移して日本語に受け入れられたことば、ラ行の頭音が脱落したことばなどが弥生音の段階からみられる。ラ行とナ行、タ行は調音の位置が同じである。
ナ行の例:梨(リ・なし)、浪(ロウ・なみ)、練(レン・ねる)、流(リュウ・ながれ)、
タ行の例:龍(リュウ・たつ)、滝(リュウ・たき)、 粒(リュウ・つぶ)、立(リツ・たつ)、
脱落した例:陸(リク・おか)、略(リャク・おかす)、梁(リョウ・やな)、
粒(リュウ・いぼ)、良(リョウ・よき)、 硫黄(いおう)、
これらのことばは、日本人がラ行の頭音を発音できるようになる以前に、借用語として日本語のなかに取り入れられたものである。
スウェーデンの言語学者カールグレンは、中国語の[l-]は古代中国語では[gl-]であったのではないかと推論している。その理由は、中国語には楽「ラク・ガク」のように、ラ行でもガ行でも読める漢字がいくつかあるからである。
各「カク」・落「ラク」、 監「カン」・藍「ラン」、兼「ケン」・簾「レン」、
京「キョウ」・涼「リョウ」、剣「ケン」・斂「レン」、果「カ」・裸「ラ」、
「やまとことば」のなかにも古代中国語の[gl-]の音を継承しているのではないかと思われることばがいくつかある。
栗(リツ・くり)、輪(リン・くるま)、辣(ラツ・からい)、籠(ロウ・かご)、
11−9.ア行音、ヤ行音、ワ行音の転移
中国語の発音では頭子音と母音の間に介音(わたり音)がみられる。介音には拗音(i介音)、合音(u介音)、撮口音(iu介音)があり、その発達は地方により、また時代によって異なるので同じ声符号の漢字でも異音が生じることがある。
例:維(イ)・唯(ユイ)・淮(ワイ)、委(イ)・倭(ワ)、苑(エン)・腕(ワン)、
弥生時代における中国語からの借用語でもア行、ヤ行、ワ行の間で転移がみられる。
例;悪(アク・わる)、闇(アン・やみ)、依(イ・よる)、詠(エイ・よむ)、
往(オウ・ゆく)、癒(ユ・いえる)、憂(ユウ・うれい)、湧(ユウ・わく)、
揚(ヨウ・あげる)、要(ヨウ・いる)、腕(ワン・うで)、我(あ・われ)、
12.天皇のおくり名
古事記、日本書紀の記録のなかに「やまとことば」の<古層>を探ろうとすると、天皇のおくり名(和風諡号)は「やまとことば」なのか、そしてその意味は何かという難問に直面する。古代の天皇には「ワケ」という称号をもった天皇が多い。稲荷山鉄剣の銘に「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」とあるのは雄略天皇をさすものと考えられている。そのほかにもワカ、ワケのついたおくり名の天皇は多い。「ワケ」とは何か?
漢風諡号 和風諡号 日本書紀の表記(古事記の表記)
開化 ワカヤマトネコヒコオホヒヒ 稚日本根子彦大日日(若倭根子大毘毘)
景行 オホタラシヒコオシロワケ 大足彦忍代別(天帯日子淤斯呂和氣)
成務 ワカタラシヒコ 稚足彦(若帯日子)
応神 ホムタワケ 誉田別(品陀和氣)
履中 イザホワケ 去来穂別(伊邪本和氣)
反正 ミツハワケ 瑞歯別(水歯別)
允恭 ヲアサヅマワクゴノスクネ 雄朝津間稚子宿禰(男浅津間若子宿禰)
雄略 オホハツセノワカタケ 大泊瀬幼武(大長谷若建)
日本書紀では「ワケ」に「稚」、「別」、「幼」などの漢字があてられている。『岩波古語辞典』は次のように書いてある。
わけ[別] 上代、天皇を祖先とする皇別の氏が持つ姓(かばね)の一。皇族や皇別の出身のものが地方に下り、地名と結びついて称したものという。「七十余りの子は皆、国郡に封(ことよ)させて、各其の国に如(ゆ)かしむ。故、今の時(よ)に当たりて、諸国の別と謂へるは、即ち其の別王(わけのみこ)の苗裔(みゐなすえ)なり」<紀景行四年>
「ワケ」を現代の日本語で解釈しようとすると「別」は「分ける」の意味であるということになってしまう。しかし、古代日本語の「ワケ」は古代中国語の「王」に対応することばである可能性がある。「王」の古代中国音は王[hiuang]
であり、現代中国語音は王(wang)である。韻尾の[-ng]
は、日本の古地名などでは、當麻(たぎま)、相楽(さがらか)、望多(まぐた)、相模(さがみ)などのように、カ行またはガ行で発音される。わけ[別]は天皇を祖先とするものだけに使われている。日本書紀でも「別王(わけのみこ)」とされている。「別王」の別「わけ」も王「おう」を意味することばである。
ちなみに、天皇のおくり名にみられる「ヒコ」「タラシ」「スクネ」はいずれも称号で、「ヒコ」は「日子」、「タラシ」は高句麗の高位の官名である「対盧」、あるいは百済の「達率」に対応するものである。「タラシ」は古事記では「帯」、日本書紀では「足」と表記されている。「帯」の朝鮮漢字音は帯(tal)であり、「足」は朝鮮語で(ta-ri)である。「帯」も「足」も高句麗あるいは百済の官位に由来する。「スクネ」は日本でも「宿禰」として称号として使われるようになった。宿禰「シュクネ」と書いて宿禰「スクネ」と読むのは朝鮮漢字音の影響である。
13.民間語源説
日本語は弥生時代以降、中国語や朝鮮語の影響を受けて形成されてきたものである。「やまとことば」は純粋ではない。記紀万葉の時代の日本語の構造は朝鮮語に近く、語彙は中国語からの借用語を多く含んでいる。1920年代にスウェーデンの言語学者カールグレンは20あまりの日本語をとりあげて、古代中国語からの借用語である可能性を示唆した。
戦後になって亀井孝はそれを再検討し郡(くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)の四語については、あるいは認めてもよいかと思われる例とした。しかし、最近の古代中国語音に関する研究の成果を取り入れて再検討してみると、カールグレンがとりあげていないことばでも、奥「おく」、塚「つか」、墓「はか」などのほか、「やまとことば」のなかには古代中国語からの借用語を数多く探しだすことができる。弥生時代には稲作や鉄器とともに中国語の語彙が日本語のなかにも入ってきた。
日本語の語源論は従来、カミ(上)を転じてキミ(君)、タカ(高)を転じてタケ(竹)の類であり、ハカ(墓)はツカ(塚)の転だという。これは「やまとことば」は純粋であり、「やまとことば」のなかには外国語語源のことばはないという誤解にもとづいている。これはヨーロッパの言語学における語源論との著しい違いである。ヨーロッパの言語では、英語でもフランス語でも、語源はサンスクリットからはじまるインド・ヨーロッパ語族のことばのなかに求められている。
あることばが借用語であるかどうかは、音義ともに相通ずることがまず第一の基準となる。しかも、借用語の音は原語の音と一定の法則性をもって転移していなければならない。「やまとことば」のなかには古代中国語あるいは朝鮮語と規則的に対応する語彙が多くみられる。日本語は文章の構造、膠着性、音韻構造などは朝鮮語と酷似している。語彙は日本語も朝鮮語も古くから多くの借用語を受け入れている。<古層>の日本語は弥生時代まではその生成の起源を確実にさかのぼることができる。
参考文献:
Bernhard Karlgren ”Philology and Ancient China”
Oslo,1920(日本語訳、岩村忍・魚返善雄訳『世界言語学名著選集、第�挟�東南アジア言語編、第3巻支那言語学概論』所収、ゆまに書房、1999年)
亀井孝”Chinese Borrowings in Preliterate Japanese”(『亀井孝論文集3』所収、吉川弘文館、昭和59年)
王力『同源字典』商務印書館、北京、1997年、1982年第1版
王力『詩経韻読』上海古籍出版社出版、1980年
董同龢『上古音韵表稿』中央研究院歴史言語研究所出版、台北、中華民国86年、33年初版
藤堂明保『中国語音韻論〜その歴史的研究〜』光生館、1980年
白川静『字通』平凡社、1997年、1996年初版
宮田一郎編著『上海常用同音字典』光生館、昭和六十三年
『時代別国語大辞典・上代編』三省堂、昭和四十二年
大野晋ほか『岩波古語辞典・補訂版』岩波書店、1990年、1974年第1版
高木市之助「記紀歌謡の比較について」(『吉野の鮎』所収、岩波書店、1993年、1941年初版)
「やまとことば」再考〜改訂版『古事記傳』の試み
第115話「改定版『古事記傳』の試み」から第122話「やまとことば再考」までは中部大学発行の雑誌『アリーナ』(2009年3月発行)第6号に「「やまとことば」再考〜改訂版『古事記傳』の試み〜」として掲載したものである。
はじめに
本居宣長は『古事記傳』を書くことにより、日本の国の歴史にとって核心的な問い――日本人とは何か、日本語とはどのような言語なのか――を明らかにしようとした。古事記は漢字で書かれてはいるが、漢意(からごころ)を清く濯ぎ去るとそこに古来のから伝わる「やまとことば」の姿が現れてくるというのが本居宣長の基本的な考えかたである。
『古事記』の天孫降臨という建国の神話は戦後、打ち砕かれたが、「やまとことば」は記紀万葉の時代から今日に至るまで受け継がれているという考え方は、本居宣長の時代から変らすに継承されている。本居宣長は、当然のことながら、一九世紀にヨーロッパで発展した言語学の成果を取り入れることはできなかった。また、近年急速に進展した古代中国語の音韻の研究などの成果も取り入れることはできなかった。本稿は本居宣長以降に明らかになった音韻学、一般言語学などの成果を取り入れて『古事記傳』の改訂をしようとする試みである。
天地初發の段の解読
『古事記』本文の冒頭の部分は次のように書かれている。
(原文)
天地初発之時。於高天原成神名。天之御中主神。(訓高下天云阿麻。下效此)次高御産巣日神。次 神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隠身也。
本居宣長は『古事記傳』で、神代一之巻の冒頭の部分を次のように解読している。
天地(あめつち)のはじめの時、高天原(たかまのはら)に成りませる神のみ名は、天(あめ)の御中主(みなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすび)の神。次に神産巣日(かみむすび)の神。この三柱(みはしら)はみな獨神(ひとりがみ)なりまして、み身(み)を隠したまひき。
『古事記』の解読は本居宣長にとって漢文の読み下しなどではなく、古代日本語を復元する作業であった。そこに、中国語を借用する以前から日本列島にあったはずの純粋な「やまとことば」があらわれてくる、と本居宣長は考えた。この考え方は基本的には現代の学者や研究者にも受け継がれていている。
古事記の冒頭の部分についてみると、名詞、動詞はすべて訓で読まれている。
天地(あめつち)、初発(はじめ)、時(とき)、成(なる)、神(かみ)、名(な)、
三柱(みはしら)、獨(ひとり)、隠(かくす)、身(み)、
中国語は孤立語と呼ばれ日本語の助詞や敬語などはほとんど使われないが、『古事記』では日本語の助辞をあらわすための工夫がこらされている。
之(の)、者(は)、而(て)、坐(ます)、也(不読字)。
「高天原」については割註がついていて「天は阿麻と云う」とあるから、古くから「天」は訓で「あま」と読まれていたことがわかる。中国語を表記するために作られた漢字で日本語を書き表すためには音と訓という二つの方法が併用された。音は中国語音を依拠した日本漢字音のことである。これに対して訓は「やまとことば」に意味のうえで対応する漢字を選んだものである。これが太安萬侶以来の音訓についての基本的な考え方であり、この区分は本居宣長はもとより、現代の国語学者にも継承されている。
古事記の冒頭の部分「天地初發の段」の「やまとことば」はどうのような来源をもっているのだろうか。古代中国語音との関係について解明してみたい。
まず、「天地」は中国語の成句である。百済の和邇が応神十六年にもとらしたとされる『千字文』の冒頭は「天地玄黄、宇宙洪荒」とあり、これを「テンチのあめつちは、クエンクワウとくろきなり」と読み下した。音と訓を重ねて読む方法は文選読みといわれて古代の日本では普通に行われていた。朝鮮半島では、両点といって天(ha
nəl tyeon)地(sta
di)と朝鮮語の訓と音を重ねて読む方法が行われていたという。(参照:李敦柱著・藤井茂利訳(2004)『漢字音韻学の理解』、風間書房、p.317)
天(ha nəl)は朝鮮語の訓であり、(tyeon)は音読みである。地(sta)
は中国語の「地」に対応する朝鮮語であり、(di)は漢字の「地」の朝鮮語読みである。朝鮮半島で広く行われていた両点という方法が、文選読みとして日本に導入されたと考えられる。
〇天(あめ)。天(あめ)は「やまとことば」であり、天(テン)が中国語からの借用語だと考えられている。しかし、音も訓も中国語からの借用語である可能性がないわけではない。「天」の古代中国語音は天[thyen]である。中国語の[th-]の音は次清音といわれ、日本語にはない音である。日本語の天(あめ)は古代中国語の天[thyen]の頭音が脱落したものである可能性がある。古代中国語音[th-]と「やまとことば」の音韻対応を調べてみると、ほかにもいくつか頭音脱落の例があることがわかる。
例:赤[thjyak]セキ・シャク・あか、荻[thyek]テキ・おぎ、
日本語の音節は母音で終わる開音節であることが大きな特色だとされている。しかし、母音で始まる音節が多いことも日本語の特色のひとつとしてあげることができる。現代の日本語について『広辞苑』で調べてみると母音で始まることは14パーセントある。これに対して、中国語の辞書では1パーセントにも満たない。時代をさかのぼると母音ではじまることばはさらに多くなり、『時代別国語大辞典〜上代編』では20パーセントにも達する。頭子音の脱落は三等音(i介音)、あるいは四等音(y介音)を伴う場合に多く起こっている。
次に、天(あめ)が文字時代以前の中国語からの借用であるとした場合、なぜ第二音節が天(あん)とならないで、天(あま)となったかが問題となるであろう。「やまとことば」には「ん」で終わる音節はなかった。だから、中国語で[-n]で終わることばは最後に母音をつけて、マ行あるいはナ行の音として日本語に借用された。
例:浜(ヒン・はま)、文(ブン・ふみ)、君(クン・きみ)、嬪(ヒン・ひめ)、
肝(カン・きも)、蝉(ゼン・せみ)、繙(ハン・ひも)、蟠(バン・へみ・へび)、
困(コン・こまる)、沁(シン・しみる)、
また、古代中国語音の[-m]または[-n]がナ行であらわれることもある。
例:絹(ケン・きぬ)、金(キン・かね)、殿(デン・との)、兼(ケン・かねる)、
日本語では[-m]と[-n]を弁別しないため、古代中国語音の[-m]または[-n]は「やまとことば」ではマ行であらわれこともあり、ナ行であらわれることもある。
〇地(つち)。地の日本漢字音は地(ジ・ヂ)である。しかし、白川静の『字通』によると「地」の古代中国語音は地[diet]である。地(つち)もまた文字時代以前に中国語から借用したことばである可能性がある。中国語には韻尾が[-p][-t][-k]で終わるいわゆる入声音がある。それが時代とともに失われる傾向にある。例えば同じ声符をもつ漢字でも韻尾の子音が保たれているものと、失われてしまったものがある。
例:害・割、 契・喫、 最・撮、 祭・察、 廃・発、 費・沸、 例・列、 秘・必、
「地」の古代中国語音は地[diet]であり、唐代になると地[diei]となって韻尾の[-t]が失われた。日本語の訓の地「つち」は古代中国語音の痕跡をとどめた文字時代以前の借用音であり、日本漢字音の地(ジ・ヂ)は唐代の中国語音に対応したものであると考えられる。
中国における文字の歴史は紀元前13世紀にまでさかのぼれる。隋唐以降の漢字音の音価については、『切韻』(601年頃成立)や『韻鏡』があり、唐詩の韻などから再構することができる。記紀万葉の日本漢字音はこの時代の中国語音に依拠しているから、呉音・漢音などの微妙な違いはあるものの、隋唐の時代の中国語音と対応していると考えることができる。しかし、日本と中国との交流は、日本が本格的な文字時代に入る8世紀よりもはるか前、弥生時代にさかのぼることが考古学的にも確かめられている。文字時代以前に「やまとことば」が借用した中国語音は隋唐の時代の中国語音よりはるかに古い時代の古代中国語音に依拠しているものと考えなければならない。
19世紀初頭に、西欧では言語学のなかに歴史的比較法が確立されて、印欧語諸語の比較研究を通して、言語の系統をうちたてるとともに、古語の発音形式の再構も試みられた。スウェーデンの言語学者Bernhard
Karlgren(1889-1978)は西欧言語学の方法論を中国語音韻学に取り入れて、”Études sur la Phonologie
Chinoise”(1915)により『切韻』の音価を再構し、さらに”Analytic Dictionary of Chinese and
Sino-Japanese”(1923)により中古漢語の音価を明らかにした。また”Grammata
Serica”(1940)によって上古漢語の音韻を再構した。カールグレンの研究は日本漢字音、朝鮮漢字音、ベトナム漢字音にも及び、日本でやまとことばと一般に考えられている馬(うま)、梅(うめ)、絹(きぬ)、麦(むぎ)、竹(たけ)なども、古い時代に中国語から借用してものであると指摘した。
カールグレンの成果は台湾の言語学者董同龢の『上古音韻表稿』(1944年)、王力の『同源字典』(1982年)などに受け継がれた。日本では藤堂明保『学研漢和大字典』(1978年)、白川静『字通』(1996年)などがあり、中国での成果をふまえて古代中国語音の再構を試みている。
古代中国語音を再構するには、『詩経』をはじめ、西暦紀元前の文献における韻のふみ方を研究する。また、漢字は8割が声符をもつ形声文字であり、同じ声符をもった漢字は『詩経』でも押韻しているので、同じ声符をもった文字は、ある時期に同じ発音であったと想定できる。それをまとめると、『詩経』の時代から隋唐の時代への中国語音の変化がわかる。
古事記の「やまとことば」の解読
『古事記』の冒頭の部分について「やまとことば」と古代中国語音の関係について、さらに検証してみることにする。
○
時(とき)。王力の『詩経韻読』によって『詩経』で「時」がどのような文字と押韻しているかを調べてみることにする。『詩経』(265)の詩をみると、時[zjiə]は富[piuək]と押韻している。また、『詩経』(188)では、「富」は特[dək]と押韻している。このことから、詩経の時代には「時」は「富」や「特」と同じように入声の韻尾をもっていたことがわかる。「やまとことば」の時(とき)は詩経の時代の古代中国語音の痕跡を留めているということができる。
時[zjiə]と特[dək]が古代中国語で同音であったとするためには声母(頭子音)の関係についても言及する必要がある。日本漢字音の時(ジ)はサ行であり、訓の時(とき)はタ行である。藤堂明保『中国語音韻論 その歴史的研究』(p.328〜p.333)によれば、照系(舌面音)は端系(舌頭音)から生じたものである。また、荘系(正歯音)は精系(歯頭音)から生じたものであるという。端系から照系への変化は口蓋化によって起こったものであり、精系から荘系への変化はわたり音(i介音)の発達によって起こったものと考えられる。同じ声符をもつ漢字でも端系(舌頭音)と照系(舌面音)に読み分けているものがかなりみられる。
例:単[tan] ・禅[zjian] 、 祷[tu]・寿[zjiu]、 屯[duən] ・純[zjiuən] 、敦[tuən] ・淳[zjiuən] 、
湛[təm] ・甚[zjiəm] 、 直[diək] ・植[zjiək] 、 唾[thuai] ・垂[zjiuai] 、拓[thyak]
・石[zjyak] 、
拓[thyak] ・石[zjyak] 、脱[thuat] ・説[sjiuat] 、他[thai] ・弛[sjie] 、
また、日本漢字音でも、音が照系(舌面音)で訓が端系(舌頭音)のものがある。
例:楯[zjiuən] たて→ジュン、 束[sjiok]
つか→ソク、苫[sjiam] とま→セン、
常[zjiang] とこ→ジョウ、手[sjiu]て→ シュ、 十[zjiəp] とう→ジュウ、
端系(舌頭音)が古く、照系(舌面音)は端系から生じたとすれば、訓読みは古代中国語音の端系に依拠し、音読みはより新しい照系の中国語音を継承していることになる。「時」は通常禅母[zj]に分類されているが、時[zjiə]の声母は端系[t・d]の舌頭音から生じたものであり、日本語の時(とき)は端系の古代中国語音の痕跡を留めているということができる。
〇 神(かみ)。『古事記』のなかで「神」は「天」、「地」とともに宇宙を構成する重要な概念になっている。本居宣長は『古事記伝三之巻』神代の一で、「神」について次のように述べている。
迦微(かみ)と申す名の義(こころ)は未だ思ひ得ず。さて凡て迦微とは古(いにしへ)の御典(みふみ)どもに見えたる天地の諸々(もろもろ)の神たちを始めて、そを祀(まつ)れる社に坐ス御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、そのほか何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)ありて、かしこき物を迦微とは云なり。
また、本居宣長は『鈴屋答問録』では次のように述べている。
かみの名義、年来相考へ候らへども、未思得候。旧説は皆非なり。さてかみと唐の神とは、大抵は同じき故に此字をあつ。然れども、神と唐に云ふ神とは、七八分は同じくて、二三分は異なることあり。
「神」の古代中国語音は白川静の『字通』によれば神[djien]である。「神」の声符は申[sjien]である。もし、照系の音は端系の音から生じたという中国音韻学の一般法則が正しいとすれば、神[djien]は古代中国語では神[den]に近い音で発音されていたはずである。これを裏づける形声文字が確かにある。「電」の声符は「申」であるが、発音は電[dyen]である。ところが、「申」を声符とする漢字には坤[khuən]という文字もある。もし、神が坤[khuən]
に近い音をもっていたとすれば、日本語の「カミ」は中国語の神[khuən]と関係のあることばである可能性がある。
五世紀の考古学遺物である稲荷山鉄剣には「獲加多支鹵」とあり、「支」は「シ」ではなく「ケ」をあらわしている。董同龢は『上古音韻表稿』でいくつかの例をあげて、「旨-・耆-、樞’-・區k’-、示-・祁’-などは、上古に於てはk-、k’-、g’-であったのではないか。」(一六頁)としている。たしかに旨(シ)と耆(キ)は声符が同じであり、樞(スウ)と區(ク)、示(ジ)と祁(ギ)も、古代中国語音が舌根音であったと仮定すれば説明がつく。日本漢字音を調べてみても支(シ)・枝(シ)はサ行で発音されるが、同じ声符をもつ技(ギ)、岐(ギ)はいずれもガ行で発音される。漢字には同じ声符がカ行とサ行に読み分けられるものがいくつかある。
例:公(コウ)・頌(ショウ)、 感(カン)・鍼(シン)、 勘(カン)・甚(ジン)、
嗅(キュウ)・臭(シュウ)、喧(ケン)・宣(セン)、
堅(ケン)・腎(ジン)、
嚇(カク)・赤(シャク)、 絢(ケン)・旬(ジュン)、耆(キ)・嗜(シ)、
峡(キョウ)・陝(セン)、 祇(ギ)・氏(シ)、 活(カツ)・舌(ゼツ)、
「神」は隋唐の時代には申[sjien]あるいは神[djien]に近く発音されていたが、さらに時代を遡ると乾坤の坤[khuən]に近い発音であったと考えることができる。
軟口蓋音のgやkの調音点が前よりに移って摩擦音化することは中国語に限らず、ヨーロッパの言語でもみられる。インド・ヨーロッパ語族は「百」ということばをkで発音するか、sで発音するかによってcentum言語とsatem言語にわかれる。Centum
言語はラテン語、ギリシャ語、ケルト語、ゲルマン語などであり、satem言語はロシア語、インド・イラン語、アルメニア語、アルバニア語などである。東のグループに属する言語は歯擦音[s]
または[ʃ]で、西のグループに属する言語は[k] まはた[h] で特徴づけられる。Caesar
(カエサル・シーザー)は古代ローマでは「カエサル」であったが、現代のイタリア語、フランス語などロマンス語では「シーザー」と発音されるようになった。
結論として、日本語の神(かみ)は古代中国語音の神[khuən]を継承したものであり、日本漢字音の神(シン)は隋・唐の時代の中国語音に依拠したものである。訓の神(かみ)も、音の神(シン)もともに中国語からの借用語である。
神代とはいつの時代か
古事記の時代認識はまず神代からはじまり、人代に至る。現代人の歴史認識ではまず旧石器時代があり、縄文時代、弥生時代、古墳時代を経て記紀万葉の世界へと進む。古事記にいう神代とは現代人の歴史認識ではどの時代にあたるのだろうか。
古事記の天の石屋戸の場面では「天照大御神は機屋で神に奉る神衣を機織女に織らせていた。するとスサノヲノ命はまだら毛の馬の皮を剥ぎ取って投げ入れてきた。天照大御神はこれを見て天の石屋戸にたてこもってしまった。八百万の神が集まって相談し、常世の長鳴き鳥を集めて鳴かせることにした。次に天の金山の鉄を採って鏡を作らせた」とある。
神の世界にはすでに機織が行われていた。つまり、蚕を飼っていたのである。馬も飼育されているし、鶏もいる。そればかりか、鉄が用いられている。縄文時代の家畜は犬くらいで、馬や鶏はいない。『魏志倭人伝』には「その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲(さぎ)なし」とある。また、『古事記』応神天皇の条に「百済の王が牡馬一匹、牝馬一匹を貢上した」とある。『古事記』の天の石屋戸の段の馬に関する記述は応神天皇の条の記述と明らかに矛盾している。
また、『日本書紀』によると、雄略天皇は皇后に蚕を飼うことを奨励したとある。日本で養蚕が本格的に行なわれるようになったのは5世紀のことである。また、『古事記』五穀の起源の条には「オホゲツヒメノ神の頭からは蚕が生まれ、目からは稲の種が生まれ、耳からは粟が生まれ、鼻からは小豆が生まれた。陰部に麦が生まれ、尻に大豆が生まれた。これが五穀の種となった」とある。これはまさに農耕時代のはじまりの物語である。
『古事記』の神代の記述には弥生時代の文物がいくつも登場する。八俣のおろち退治の段では酒船に酒を満たして大蛇に飲ませ、酔いつぶさせてしまう。酒を醸すことも穀物の栽培があってはじめてできる。『古事記』では一方、応神天皇の時に「酒を醸むことを知れる人、名は仁番(にほ)またの名は須須許理(すすこり)が渡来した」とある。日本で酒を醸すようになったのも4〜5世紀以降であろう。
これらを総合すると、『古事記』にいう神代とは、現代の歴史認識に置き換えれば、石器時代のことでも、縄文時代のことでもなく、弥生時代のことであるということになる。
天(あめ・テン)、地(つち・ド)、神(かみ・シン)、時(とき・ジ)は音訓ともに中国語からの借用語であることが明らかになった。訓は文字時代以前の借用語であり、記紀万葉の時代には「やまとことば」として日本語のなかに取り入れられ、もはや外来語であると意識されていない。
日本は弥生時代のはじめ、紀元前3世紀ごろから中国文化の影響を受けており、「やまとことば」もまた、記紀万葉の時代からすると千年も前から中国語や朝鮮語の影響を受けていたと考えられる。古事記が編纂された8世紀にはすでに日本語のなかになじんでいて、外来語だとは感じられなくなっていたことばは数多くある。例えば「奥」は、音が奥(オウ)、訓が奥(おく)ということになっている。古事記には奥疎神(おきざかるのかみ)、道奥石城国(みちのくのいわきのくに)、奥方(おくつかた)など神名、地名に多く使われている。現在伝えられている『古事記』の伝本では、「奥疎神」には「訓レ奥云ニ於伎一」と註がついていることから、奥(おく)は古事記が編纂された頃から訓だと考えられていたことが知られる。
〇 奥(おく)。「奥」は音の奥(オウ)である。しかし、王力の『同源字典』によれば「奥」の古代中国語音は奥[uk]である。古代中国語音は『詩経』(紀元前600年頃成立)の韻などを調べることによって確認できる。詩経(207)では奥は蹙[tsiuk]、菽[sjiuk]、戚[tsyuk]、宿[siuk]、覆[phiuk]と押韻している。古代中国語の「奥」の音価は奥[uk]と推定できる。日本漢字音の奥(オウ)は隋唐の時代の中国語音を継承したものであり、訓読みの奥(おく)は古代中国語音の奥[uk]と対応している。
太安万侶はわざわざ割註をつけて「奥」を「於伎」とよませている。古代中国語音の奥[uk]は隋唐の時代には奥[ô]に変化していまっていていたので、奥(おく)が中国語からの借用語であるこが、もはや意識されていていなかったのである。現在ではもはや死語になってしまっているが、灰のなかに火種をかこっておく燠(おき)や、現在では「沖」の漢字があてられている澳(おき)も弥生時代における中国語からの借用語である。
〇 影(かげ)。日本語の影(かげ)も中国語からの借用語であろう。日本語の「かげ」には、日陰の意味と月影のように光の意味と二つの相反する意味がある。影(かげ)は古代中国語の影[yang]、あるいは景[kyang]を継承したものであり、光(かげ)は古代中国語の光[kuang]が転移したものである。隋唐の時代の中国語の韻尾[-ng]は古代中国語では[-g]に近かった。同じ声符をもった漢字でも2つの読み方があるものがある。
広(コウ)・拡(カク)、 交(コウ)・較(カク)、 悼(トウ)・卓(タク)、
暴(ボウ)・爆(バク)、
入声音[-k]の方が古く、[-ng]は音便形である。古事記では「その樹の影(かげ)、旦日(あさひ)にあたれば、」(枯れ野という船の段)、「玉器(たまもひ)を持ちて水を酌(く)まむとする時に、井に光(かげ)ありき。」(海幸彦と山幸彦の段)などの用例がある。古代中国語の光と影が日本語ではともに「かげ」としてやまとことばのなかに定着した。 かぐや姫というのは光(かぐ)や姫、つまり光り輝く姫である。また、「かがやく」という日本語は古代中国語の光耀[kuang-jiôk]と関係のあることばである可能性がある。
呉音・漢音という日本漢字音の前に、さらに古層の借用語音があった。奥(おく)、燠(おき)、澳(おき)、光(かげ)、影(かげ)などは古来訓とされているが古層の借用語である。8世紀の「やまとことば」は朝鮮半島から中国大陸にひろがる文化圏のことばの一環であったのである。これらの借用語は、弥生時代、古墳時代の借用語音であるから、呉音・漢音に対して、「弥生音」と呼ぶことができる。
古事記と日本書紀には、それぞれ120首あまりの歌謡が載録されている。歌謡の表記は本文と違って漢字の音のみが使われている。歌謡の音価を復元することができれば、「やまとことば」を声で復元することができる。
興味深いのは120首あまりのうち50首あまりは、同じ伝承の歌が、記紀に重複して記録されていることである。記紀の歌謡は同じ歌を、ふたつの異なった音韻体系によって伝えているのである。これはかけがえのない史料である。記紀の歌謡は東洋のロゼッタ・ストーンともいえる。
「八雲立つ出雲」の段にでてくる有名な「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という歌は古事記、日本書紀でそれぞれ次のように表記されている。
夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊賀岐都久流 曾能夜弊賀岐袁(記)
夜句茂多莬 伊都毛夜覇餓岐 莬磨語昧爾 夜覇餓枳莵倶盧 贈廼夜覇餓岐廻(紀)
高木市之助は「記紀歌謡の比較に就て」(『吉野の鮎』所収)のなかで、記紀歌謡は漢字の使い方が著しく食い違っていることを指摘している。
書紀の句の假名は、その歌謡中に十七囘も使用されてゐる慣用假名であるが、記の歌謡には一囘の用例もなく、反對に記の久はその歌謡に於て百二十九囘も使用されるクの専用假名であるのに、書紀に於ては僅か二囘の用例を持つ特殊な假名である。同様に「やへがき」の餓は書紀に於て六十二囘の用例を持つに係らず記には一囘も使用されず、反對に賀は記に於て百四十二囘も慣用されてゐるのに、書紀では同じく一囘の用例を求める事も出来ない。(p.307)
例えば「妻ごめに」と「八重垣」を唐代の中国語音で復元してみると次のようになる。
[古事記]
都 麻 碁 微 爾、 夜 弊 賀 岐
ta mea giə miuəi njiai jya biai hai gie
[日本書紀] 菟 磨 語 昧 爾、 夜 覇 餓 枳
tha mai ngia muəi njiai jya pea
ngai gie
「つまごめに」の「ご」、「やえがき」の「が」は、日本書紀では鼻濁音の語[ngia]、餓[ngai]
が使われているが、古事記では鼻濁音が使われず、碁[giə]、賀[hai]が使われている。古事記は712年に編纂され、日本書紀は720年に成立したとされている。その成立年代は、わずか8年の違いである。わずか8年の間に日本人が鼻濁音を発音できるようになったとは考えられない。古事記の史と日本書紀の史は違った音韻体系をもっていたと考えざるをえない。
アルタイ系の言語である日本語や朝鮮語では鼻濁音は語頭にこないという特徴をもっている。朝鮮語では現在も鼻濁音は語頭にくることはない。朝鮮漢字音では鼻濁音は脱落して「餓」は餓(a)
、「語」は語(eo)
となる。古代の日本語でも鼻濁音は語頭にはこなかった。鼻濁音をもたない音韻体系の人が「夜覇餓枳」を読めば「ヤヘアキ」となり、「菟磨語昧爾」は「ツマオメニ」になってしまうはずである。古事記歌謡を書いた史は語頭に鼻濁音のこない朝鮮漢字音系の音韻体系をもっていたと考えられる。
これに対して、日本書紀の史の音韻体系は唐代に長安で発音されていた正音に依拠していた。日本書紀が編纂された8世紀には、唐の都の正音を伝える音博士が招かれている。「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる やまとしうるわし」の歌謡について記紀の表記を比較してみるとつぎのようになる。
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯(記)
夜摩苔波 區珥能摩倍邏摩 多多儺豆久 阿烏伽枳
夜摩許莽例屢 夜摩苔之于漏破試(紀)
「八雲立つ、、、」の歌と「やまとは国の、、、」の二つの歌について、古事記と日本書紀の歌謡の音価を対比してみると、つぎのようなことが判明する。
(1) 古事記歌謡には鼻濁音の漢字は使われていない。
(記)賀[hai]、 碁[giə]、 許[xa]、
(紀)餓[ngai]、語[ngia]、語[ngia]、
日本書紀歌謡では鼻濁音の語[ngia]、餓[ngai]
が使われているが、古事記歌謡では鼻濁音が使われず、そのかわりに碁[giə]、賀[hai]
が使われている。古事記の史が朝鮮半島出身であり、「語」、「餓」を語(eo)、餓(a)と発音していたとすれば、古事記のなかで「語」、「餓」がガ行音に使われなかったとしても不思議はない。
(2) 古事記歌謡では、日本書紀歌謡で濁音が使われているところに、清音の漢字が使われているこ とが多い。
(記)曾[tzəng]、登[təng]、本[puən]、都[ta]、 波[puai]、
(紀)贈[dzəng]、苔[də]、
倍[buə]、菟[tha]、破[phuai]、
日本書紀歌謡を古事記の史が読めば、「ぞの八重垣」「やまど」「まぼろば」となってしまうはずである。古事記の史にとっては贈(ぞ)、苔(ど)、倍(ぼ)と読むべき同じ文字が、日本書紀の史には贈(そ)、苔(と)、倍(ほ)と読めた。これは中国語における音韻変化の結果を映している。中国では贈[dzəng]、苔[də]
などの濁音は長い時間をかけて清音に変化して、唐代には贈[tzəng]、苔[tə]
になった。古事記の史は古い時代に中国から朝鮮半島を経て伝わった古代中国語音の痕跡を留めているのに対して、日本書紀の史はより新しい中国語音を身につけていた。だから、古事記の史が濁音で読んだ漢字を清音で読んだ。
(3) 古事記歌謡では中国語のわたり音(i 介音)が発音されていない。
久[kiuə] く、碁[giə] ご、流[liu]
る、袁[jiuan] を、呂[lia] ろ、禮[lyei] れ、
古事記歌謡には久[kiuə]が久(キュウ)でなく久(く)に使われていている。これも、古事記の史が朝鮮語の音韻体系をもっていたとすれば説明がつく。朝鮮漢字音では久(ku)、九(ku)、口(ku)、丘(ku)、句(ku)、流(lu)であり、中国語音の介音[-i-]は失われる。古事記で中国語音の介音[i]が失われているのは、朝鮮漢字音の影響である。古事記の史が朝鮮漢字音系の音韻体系をもっていたことはほとんど疑いの余地がない。
(4) 邪馬台国は「やまと」である。
「やまと」は古事記では「夜麻登」と表記されているが、日本書紀では「夜摩苔」と表記されている。夜摩苔は唐代の中国語音は夜摩苔[jya-muai-də]である。日本漢字音で一般に苔(タイ)、廼(タイ・ナイ)、耐(タイ)と読まれる漢字は記紀では古代日本語のオ段乙の音にあてることが多い。苔(ト(乙))、廼(ノ(乙)・ト(乙))、耐(ド(乙))のごとくである。
『魏志倭人伝』は記紀より約500年前の書物であるが、邪馬台国に関する記述がある。邪馬台の
古代中国語音は邪馬台[jya-mea-də]であり、日本書紀の夜摩苔[jya-muai-də]にきわめて近い。言語学的にみるかぎり『魏志倭人伝』の邪馬台国(やまたい)は『日本書紀』の夜摩苔(やまと)と対応している。日本書紀の夜摩苔を国学者が夜摩苔(やまと)と読むのであれば、漢学者も魏志倭人伝の邪馬台国を邪馬台(やまと)と読むべきではなかろうか。いわゆる邪馬台国論争は「やまと」国論争に収斂することになる。
ちなみに、『魏志倭人伝』によると邪馬台国の手前には投馬国があるという。投馬国がどこかについても、学者の意見は分かれている。董同龢によれば「投」の古代中国語音は投[d’ug]であり、當[tâng]に近い。投馬は當麻(たぎま)であろう。投馬が當麻だとすると、「やまと」への道筋としてきわめて自然であり理解しやすい。
日本語は朝鮮語と同じく膠着語であり、助詞などの接尾辞を多用するほか用言の活用がある。敬語・謙譲語をつかうことなども中国語よりは朝鮮語に近い。日本語のなかには朝鮮語と同源と考えられることばがいくつかある。(
)内は朝鮮語
例:日・ひ(hae)、水・みず(mul)、森・もり(moi)、畑・はた(pat)、
古代の日本語は時代を遡れば、遡るほど朝鮮語に似ている。古代日本語には朝鮮語と同じように母音調和があったことが知られている。古代日本語では濁音が語頭にくることがなかった。鼻濁音、ラ行音ではじまることばはなかった。これらの特徴はいずれも朝鮮語と同じである。
日本語と朝鮮語は同じく膠着語であり、助詞などの接尾辞を多用するほか、用言の活用がある。敬語・謙譲語を使うことなども朝鮮語に近い。日本語のなかには朝鮮語と同源と考えられることばがいくつかある。 ( )内は朝鮮語
(1) 朝鮮語ではラ行音が語頭に立つことはない
朝鮮語では中国語のラ行で始まる言葉はナ行音に転移する。朝鮮語の古語辞典である『李朝語辞
典』をみると羅(na)、藍(nan)、老(no)、両(nyang)、李(ni)、のごとく表記されている。現代の朝鮮語
でも盧武鉉(ノ・ムヒョン)、盧泰愚(ノ・テウ)であり、蝋燭(nap-chop)、蘭(nan)、櫓(no)、轆 轤(nok-ro)のごとくである。
日本語の梨(なし)、練(ねる)、浪(なみ)、泣(なく)、流(ながれ)などは朝鮮語音の影響 を受けた、中国語からの借用語である。
(2) 朝鮮語ではガ行鼻濁音が語頭にくることはない
朝鮮語では中国語の疑母[ng-]は規則的に脱落する。
例:我 (a)、顎
(ak)、岳(ak)、魚 (eo)、御(eo)、
日本語の我(あ)、顎(あご)、岳(おか)、魚(うお)、御(お)などは古代中国語の我[ngai]、顎[ngak]、岳[ngiok]、魚[ngia]、御[ngia]の朝鮮語読みである。古事記歌謡にある「阿(あ)はもよ 賣(め)にしあれば 那(な)をきて をはなし 那(な)をきて つまはなし、、」の阿(あ)は我[ngai]の朝鮮語読みであり、賣(め)は女[njia]の古い形、那(な)は汝[njia]
であり、いずれも中国語起源であろう。
(3) 朝鮮語では中国語の韻尾の[-t]は規則的に[-l]に転移する
現代の朝鮮語では地下鉄(jiha-cheol) 、万年筆(man-nyeon-ppil) のように韻尾の[-t] は規則的に(-l)
であらわれる。日本語の擦(サツ・する)、刷(サツ・する)、払(フツ・はらう)、祓(バツ・はらう)なども、朝鮮漢字音は擦(chal)、刷(swal)、払(pul)、祓(pul)であり、朝鮮漢字音と同じ転移を示している。
朝鮮語の語彙のなかにも文字時代以前の中国語からの借用語が数多く含まれている。例えば風は朝鮮語では風(param)
であるが、古代中国語には語頭に[pl-] という複合母音があったと考えられている。隋唐の時代の風[piung] は、『詩経』では侵部[-m]
と6回押韻しているが、東部[-iung] とは押韻していない。古代中国語では風は風[pliuəm] であったと考えられる。その古代中国語の風[pliuəm]
が朝鮮語の風(param) になった。風と同じ声符をもつ嵐は嵐[ləm] である。また、タイ語では風は風(lom)
である。いずれも古代中国語の風[pliuəm] と関係のあることばであろう。
大野晋は『日本語の起源』(旧版176頁〜180頁)のなかで日本語と朝鮮語の音韻の対応を指摘して、いくつかの単語をあげている。そのなかには起源が中国語であろうと思われるものがいくつか含まれている。[
]内は古代中国語音。( )内は朝鮮語音。
例:雲[hiuən]くも(kurum)、熊[hiuə
m]くま(kom)、蟹[he]かに(köi)、咲[siô]さく(sak)、
竹[tiuk]たけ(tui)、麦[muək]むぎ(mil) 、
これらのことばの共通の祖先は中国語であろう。日本語も朝鮮語も本格的な文字時代に入るはるか前から中国語の洗礼を受けており、中国語からの借用語だと意識されない語彙のなかにも、かなりの数の中国語からの借用語が含まれている。
昭和54年に奈良市で『古事記』の編者である太安万侶の墓誌が発見された。銅版には、次のように記されていた。
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳
「卒之」とある「之」は漢文としては異例である。李基文によれば、これと同じ「之」の用法が朝鮮半島で行われていたという。「壬申誓記石」(552年)にみられるもので、漢字で新羅語を表記したものである。
壬申年六月十六日 二人并誓記、、、可容行誓之
「誓之」の「之」は動詞の終止形をあらわすという(李基文『韓国語の歴史』p.60)。太安万侶の墓碑の「卒之」は、朝鮮半島で使われていた誓記体の「誓之」と同じ表記法である。
漢字の読み方には音と訓があって、音は中国語読みであり、訓は「やまとことば」読みであるという考え方は『古事記』の編者である太安万侶の時代からある。この考え方は『古事記傳』の著者である本居宣長にも受け継がれている。本居宣長は太安万侶になりきって『古事記』を読み解こうとして『古事記傳』を書いた。また、戦後になっても小林秀雄は本居宣長になりきって『古事記傳』を読み直そうとした。記紀万葉のことばは純粋な日本語であるという考え方は今でも根強い。
本居宣長は古事記のなかに日本語の原形をみた。8世紀の日本語から漢心(からごころ)あるいは漢語(からざえずり)を取り除けば神代から伝わる純粋な「やまとことば」にたどりつけるものと考えた。しかし、漢(から)という「やまとことば」自体が中国語の漢(カン)とは無関係に日本列島に古来からあったわけではない。日本語の漢(から)は古代中国語の漢[xan]が転移したものである。古代中国語の韻尾[-n]は「弥生音」では(-l)に転移した例が多い。
例:韓(カン・から)、雁(ガン・かり)、昏(コン・くれ)、巾(キン・きれ)、
また、日本の古地名でもラ行に転移したとみられる例がある。
例:敦賀(つるが)、駿河(するが)、播磨(はりま)、平群(へぐり)、
[-t]・[-n]・[-l]はいずれも調音の位置が同じであり、転移しやすい。
古代の日本語については縄文時代の日本語の碑文が残っているわけでもなく、弥生時代の日本語が復元されているわけでもない。日本語の起源がタミル語にあるのか、南島語にあるのか、あるいは日本語がアルタイ系の言語であるかの議論は置いておくとして、記紀万葉の言語が弥生時代からはじまる朝鮮半島を通しての中国文化との接触の影響を受けていることは明らかである。
『古事記』の「やまとことば」はその語彙と表現の形式との非常に多くを中国語や朝鮮語に負うている。「やまとことば」は神代から不変の原日本語だったわけではない。『古事記』のことばに新しい解釈を加えることによって、「やまとことば」成立の過程をかなりの程度まで復元できる。本稿は『古事記』に記された「やまとことば」の歴史を千年ほど延ばして、弥生時代のはじめからの日本語について考えてみようという試みである。
参考文献
董同龢(1944年)『上古音韵表稿』中央研究院歴史言語研究所出版、台北
Karlgren, Bernhard
(1920)”Philology and Ancient China” Oslo
Karlgren, Bernhard(1940)”Grammata
Serica - Script and Phonetics in Chinese and Sino-Japanese” Stockholm
本居宣長(1934年)『うひ山ふみ』岩波文庫
本居宣長(1940年)『古事記伝(一)〜(四)』岩波文庫
本居宣長(1979年)『漢字三音考』(復刻版)勉誠社文庫
大野晋(1957年)『日本語の起源』(旧版)、岩波書店
澤瀉久孝ほか(昭和42年)『時代別国語大辞典 上代編』三省堂
李基文著・藤本幸男訳(1975年)『韓国語の歴史』大修館書店
李敦柱著・藤井茂利訳(2004年)『漢字音韻学の理解』風間書房
劉昌惇(1964年)『李朝語辭典』延世大學校出版部、ソウル、
白川静(1996年)『字通』平凡社
高木市之助(1941年)「記紀歌謡の比較に就いて」(『吉野の鮎』所収)岩波書店
藤堂明保編(1978年)『漢和大字典』学習研究社
藤堂明保(1980年)『中国語音韻論 その歴史的研究』光生舘
王力(1980年)『詩経韻読』上海古籍出版社、上海
王力(1982年)『同源字典』商務印書館、北京
著者紹介:
小林昭美(こばやし・あきよし)元NHK放送文化研究所所長。
1937年長野県生まれ。東京教育大学文学部英語学・英米文学科卒。NHKに入り教育・教養番組ディレクター。その間フルブライト留学生としてニューヨーク大学留学。NHK放送文化研究所所長。(財)NHKインターナショナル理事長。大正大学文学部客員教授。日本言語学会会員。NPO法人「地球ことば村」会員。
著作:『古代日本語の来た道〜カナ以前の日本語のかたち』(2003年、私家版電子印刷)。
論文:「やまとことば」のなかの中国語からの借用語(大正大学研究紀要、第92号、平成19年3月)。日本語と古代中国語(吉田金彦編『日本語の語源を学ぶ人のために』2006年、世界思想社、所収)。
「やまとことば」の成立〜万葉集に古代日本語の痕 跡を探る〜
第123話「万葉集の来た道」から第130話「やまとことばの成立」までは中部大学発行の雑誌『アリーナ』第8号(2010年3月)に『やまとことばの成立〜万葉集に古代日本語の痕跡を探る〜』に掲載したものである。
万葉集の来た道
万葉集はやまとことばで書かれている。やまとことばは原始以来日本列島に伝わる日本語であり、まだ中国文化などの影響を受けていない純粋な日本語である、というのが鴨真淵、本居宣長以来受けつがれてきた万葉集の見方だった。ところが、戦後になって皇国史観がくずれると、安田徳太郎という医師の書いた『万葉集の謎』という本がベストセラーになって万世一系のやまとことば史観に疑問の目が向けられるようになった。今では『万葉集の謎』は忘却のかなたに去ってしまって、もっぱら大野晋のタミル語説がもてはやされている。安田徳太郎はいう。
わたくしはヒマラヤの谷底で、万葉時代の日本語を、現にしゃべっている民族につきあたった。それだけではない。かれらはわたしたちと同じに、アカンとか、ソワソワとか、シドロモドロという言葉までしゃべっていた。
レプチャ語とはネパールとブータンの中間にあるシッキムで使われている言葉である。タミル語にしてもレプチャ語にしても日本には概説書すらなく、検証することはむずかしい。
万葉集の日本語とは世界の言語のなかにどのように位置づけられるのだろうか。万葉集は漢字で書かれている。漢字は紀元前13世紀に中国で生まれて、中国を中心に漢字文化圏を形成した。紀元前108年ころ朝鮮半島には楽浪郡など漢の植民地が置かれたから、朝鮮半島では紀元前から支配者が統治の道具として漢字を使っていたにちがいない。漢字は支配の道具であると同時に漢の文明を伝える道具でもあった。
5世紀後半の雄略朝を境に、日本でも文字の普及が顕著になる。日本書紀には雄略天皇が南朝に何回か使節を送り、上表を送ったという記録がみられる。その内容は『宋書』倭国伝でも確かめることができる。また、考古学的にも埼玉県の稲荷山古墳から発見された刀剣の遺文があり、文字の使用が確認されている。稲荷山古墳の刀剣の銘、獲加多支鹵「ワカタケル」は5世紀の日本語を再現するための定点となっている。倭王武つまりワカタケル大王のもとには、渡来系の史(ふひと)がいて、記録に従事していた。
カナができたのは平安時代であり、朝鮮でハングルが制定されたのは李朝時代だから8世紀で東アジアにおいて文字といえば漢字のことである。雄略天皇が宋に送った外交文書は勿論漢文である。漢字を使って朝鮮語や日本語を書く工夫も行われていた。朝鮮半島では吏読(りとう)や新羅の郷歌(ひやんが)がそれにあたり、日本では『古事記』や『万葉集』がある。漢字を解読することでしか当時の日本語の姿を解明することはできない。
万葉集巻1の最初の歌は雄略天皇の歌である。この歌が雄略天皇の書いた漢字の姿をそのまま留めているかどうかは定かではないが、万葉集の巻1と巻2は万葉集のなかでもかなり早い時期にその原形ができたものであることは定説となっている。
泊瀬朝倉宮に天の下知らしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)大泊瀬稚武天皇天皇(すめらみこと)の御製歌(おほみうた)
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち ふくしもよ みふ串持ち
この岳(をか)に 菜(な)摘ます児(こ) 家聞かな 告(の)らさね
そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて
われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも(万1)
この原文は全部漢字で次のようになっている。
泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇
天皇御製歌
籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持 此岳尓 菜採須児 家吉閑名 告紗根
虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居 師吉名倍手 吾己曾座 我許背歯 告目
家呼毛名雄母
ここに使われている漢字を解読することによってはじめて万葉人のことばを現代に甦らせることができる。参照:[ ]は古代音、/ /は唐代音、(
)は現代音をあらわす。
○ 籠(こ):
普通「籠」は音が籠「ロウ」、訓が籠「かご」とされ、漢和辞典にもそのように書いてある。籠
(こ)もやまとことばなのだろうか。『万葉集歌句漢字総索引』によると、「籠」は万葉集のなか で6回使われているが、射等籠荷四間乃(万23いらごのしまの)、鳥籠之山有(万478とこのやま なる)、田籠之浦乃(万3205たごのうらの)などいずれも読み方は籠「こ」・「ご」である。漢 字 には同じ音符号をカ行とラ行に読み分けるものが数多くある。
裸・課、 洛・格、 藍・監、 李・季、 練・諌、 簾・兼、 涼・京、
スウェーデンの言語学者Bernhard
Karlgren(1889-1978)は、古代中国語には[l-] の前に子音があっ て、古代中国語音は籠[klong]
だったのではないかと考えた。頭音の[k-] が失われたものがラ行に なり、[k-]
の痕跡を留めているものがカ行になったというわけである。日本語にも音がラ行で、訓 がカ行のことばがいくつかある。
籠(ロウ・かご)、 栗(リツ・くり)、 辣(ラツ・からい)、 来(ライ・くる)、
籠「こ」あるいは籠「かご」は古代中国語音の痕跡を留めているのであり、籠「ロウ」は隋唐の時 代以降の発音に依拠している。現代の中国語でも古代中国語音の痕跡を留めている方言がある。呉 音の故地、上海音では籠(ɦlong)であり、語頭に入りわたり音が聞かれるという。(宮田一郎編著 『上海語常用同音字典』光生舘)
○ 君志(くし):
君志は串の音表記である。「君」は万葉集のなかで528回使われている。「君」は君「きみ」と読 むのがほとんどであり、君「く」と読む例は、知跡言莫君二(万97しるといはなくに)、都久紫 能君仁波(万866つくしのくには)など13例ある。万葉集には「君」を君「クン」と読む例はひと つもない。万葉集の時代の日本語にはまだ撥音便「ン」はなかったので「君」は君「く」と読む か、君「きみ」のように母音をつけて読むかのいずれかであった。この歌でも閑「か」、津「つ」 などはいずれも韻尾が脱落している。
大野晋は岩波の『日本古典文学大系』のなかで「ふくし―土を掘る道具。クシは朝鮮語kos(串) と同源」としている。手元にある韓国語の漢字辞典で「串」をひいてみると串��kwan、��kosとあ る。韓国語の漢字には訓読みはないから串kosも漢字の読み方のひとつとして取り扱われていると みなければならない。日本語の串「くし」は串の朝鮮語音に依拠しているといえる。
○ 岳(をか):
岳の古代中国語音は岳[ngək]、朝鮮漢字音は岳(ak)であり、日本語の岳「をか」は朝鮮半島を経由 して入ってきた中国語である。朝鮮漢字音では語頭の[ng-]が脱落する。魚(eo)、顎(ak)、御(eo)、我 (a)などは朝鮮半島を経由して入ってきたものである。辞書は文字の規範を示すものだから中国語 の正音以外は中国語音とは認めないが、魚「うお」、顎「あご」、御「お」、古代日本語の我あ」 などは漢字の朝鮮語音である。
○ 吾・我(われ):
吾[ngai]は呉音が吾「グ」、漢音は吾「ゴ」であり、訓は吾「われ」であるとされている。我[ngai] は呉音・漢音ともに我「ガ」であり、訓は我「われ」であるという。吾、我は中国でも日本でも1 人称をあらわす名詞である。意味がおなじであり、発音に対応関係があれば、それらの語は同源で ある可能性がある。
万葉集では吾は吾「あ」「わ」「われ」「あれ」に使われ、我は我「あ」「わ」「われ」「が」に 使われている。「吾」、「我」は頭音がいずれも鼻濁音の疑母[ng-]である。朝鮮漢字音では語では 吾(o)、我(a)である。朝鮮語では疑母[ng-]が語頭にくることはない。古代日本語も濁音が語頭にく ることはなかった。だから、中国語の疑母[ng-]は規則的に脱落して吾「あ」、我「あ」となった。 人称名詞に外来語が使われえることはありえないのではないかと思うかもしれないが、現代日本語 の「僕」も元をただせば中国語である。教育勅語などに使われていた天皇をあらわす「朕」も中国 語からの借用語である。
○ 児(こ):
「児」は呉音が小児科の児「ニ」であり、漢音は児童の児「ジ」である。古代中国語音は児[njie]で あるとされている。万葉集では「児」は206回使われているが、児「ニ」あるいは児「ジ」と読む 例は1例もない。児は児「こ」専用の漢字である。
児[nj-]は[ng-]に音が近く、睥睨「ヘイゲイ」などのようにガ行であらわれる場合もある。王力は 『同源字典』のなかで、児[njie]は倪[ngye]などと同源であるとしている。中国語の日母[nj-]と疑母 [ng-]はいずれも鼻音であり、調音の方法が同じである。調音の方法が同じ音は転移しやすい。
○ 名(な):
「名」は呉音が名「メイ」、漢音が名「ミョウ」、訓が名「な」とされている。古代中国語音は名 [mieng]である。万葉集では「名」はすべて名「な」と読まれている。名「ミョウ」あるいは名 「メイ」と読まれる例はひとつもない。
日本の古地名などでも、中国語の韻尾[-ng]が脱落したものが多い。
奈良、 信濃、 美濃、 安房、 諏訪、 安芸、 能登、 甲斐、 香具山、
「名」が中国語の名[mieng]は韻尾が脱落したものだとしても、日本語でなぜマ行ではなくナ行で あらわれないのだろうかという疑問が残る。[m]と[n]はいずれも鼻音であり、調音の位置も近い。 調音の方法や調音の位置が同じ音は転移しやすい。中国語音の[m]が日本語で[n]に転移したと思わ れる例はかなりある。
苗[miô]「なえ」、猫[miô]「ねこ」、無[miua]「ない」、眠[myen]「ねむる」、鳴[mieng]「なく」、
これらはみな中国語のわたり音(介音)[-i-]あるいは[-y-]を伴うものばかりである。中国語の語頭の [m]はわたり音の影響で[n]に転移することがあったものと思われる。
○ 津(つ):
「津」の古代中国語音は津[tzien]である。日本語の津「つ」は韻尾の[-n]が脱落したものであろう。 万葉集の漢字音は呉音であるといわれている。呉音の故地である現代の上海語では韻尾の(-n)が脱 落することが多い。万葉集で使われている難「な」、天「て」辺「へ」、田「た」、帆「ほ」など は上海語音の難(na)、天(ti)、辺(bi)、田(di)、帆(vai)を継承しているといえる。津「つ」も津「シ ン」の韻尾が脱落したものであろう。日本の古地名でも中国語の韻尾[-n]が脱落した例が多い。
摂津、 飛騨、 安曇、 安宿、 因幡、 仁多、 隠岐、 額田、 山辺、
○ 目(め):
白川静の『字通』によると、目[miuk]は眸[miu]と声近く、目の瞳の部分を眸というとある。「目」 は呉音が目「モク」、漢音が目「ボク」、訓は目「ま」・「め」とされている。目、眸はお互いに 音義ともに近い。「眼」もまた「目」に近い。上海語の字典でしらべてみると「眼」の上海語音が眼 (ngai)である。江南地方の発音では韻尾の-nは弱い。「眼」の語頭音[ng-]は鼻音であり、調音の方 法が[m-]と同じである。日本語で芽「め」も中国語原音は芽[ngea]である。日本語の目「め」は古 代江南地方の眼[ngai]を借用したものと考えてまちがいないだろう。
日本語の目「め」は日本古来のやまとことばではなくて、中国語の「眸」や「眼」と同族をなすこ とばである。日本と中国との交流は弥生時代稲作の渡来とともにはじまり、万葉集が成立した8世 紀にはすでに千年の歴史の歴史を積み重ねていたと考えることができる。古代日本語もその影響を うけなかったはずはない。万葉集には唐の都の標準音ばかりでなく、江南地方の中国語音や、隋唐 時代以前の中国古代音の影響、朝鮮語音の痕跡がみられるのは当然といわなければならない。
○ 手(て):
手の古代中国語の推定音は手[sjiu]である。現代上海語音は手(sou)、朝鮮語音は手(su)である。しか し、万葉集では「手」は手「て」であって手「シュ」という読み方は一度も行われていない。
手と同じ音符を持つ漢字には拿「だ」がある。また、同じ漢字文化圏のベトナムでは手(thu)であ る。ベトナム語では首・取・守・受(thu)である。ベトナム漢字音が越の国の古い中国語音の痕跡を 残しているとすれば、日本語の手「て」は現在ベトナムに伝わる漢字音の末裔である可能性があ る。日本語は中国語の正音ばかりでなく、漢字文化圏のなかのさまざまな漢字音の痕跡を継承して いる可能性がある。
津「つ」がサ行の津「シン」でなく、タ行音の痕跡を留めているように、手「て」もサ行音の手 「シュ」ではなく、タ行音の痕跡を留めているのではなかろうか。古代のタ行音がわたり音[-i-]の 影響でサ行に転移したと考えられる例はほかにもある。
散「ちる・サン」(tan)、 辰「たつ・シン」(than)、盾「たて・ジュン」(thuan)、
束「つか・ソク」(thuc)、垂「たる・スイ」(thuy)、常「つね・ジョウ」(thuong)、
積「つむ・セキ」(tich)、
罪「つみ・ザイ」(toi)、など
これらのことばはいずれも音がサ行であり、訓はタ行である。訓は古い時代の中国語音を留めたも
のであり、音は唐代の中国語音に依拠したものであろう。
○ 山跡(やまと):
万葉集では「やまと」は山跡、山常、八間跡、倭、日本、夜麻登、夜麻等、夜末等、夜萬登、也麻 等、などと表記されている。また、日本書紀では「やまとは国のまほろば」という歌謡が夜摩
苔[jya-muai-də]と表記されている。夜摩苔を「やまと」と読むとすれば、魏志倭人伝にでてくる邪 馬台国[jia-mea-də]も万葉人は「やまと」と読むのではなかろうか。古代日本語では台はいわゆる と(乙)」に使われている。等[təng]
、登[təng]
、騰[dəng]、止[tjiə]などの漢字は記紀万葉の時代にはみ な「と(乙)」に使われている。やまとことばでいう「やまと」とは魏志倭人伝にいう邪馬台国 のことである。
魏志倭人伝では「南、投馬国に至る水行二十日。、、、南、邪馬台国に至る」としているが、投馬 国とは古事記の履中記にみえる「当麻道」あるいは「当摩径」で、大和へ至る道のことであろう。
○ 告(のる):
大野晋は岩波の日本古典文学大系の注で「ノルは朝鮮語nil(話す)と同源」としている。手元の簡 単な朝鮮語の辞書では朝鮮語の「話す」はmalとなっているが、日本語の「祝詞(のりと)」ある いは沖縄の巫女「のろ」と関係のあることばであろう。
○ 者(は):
日本語の助詞を表記したものである。中国語では助詞はほとんど使われない。朝鮮半島では漢字で 新羅語の助詞を表記する方法が工夫されており、これを吏読(リトウ)という。李基文の『韓国語 の歴史』(大修館書店)によると吏読は金石文にも使われていて、慶州南山新城碑(591)に次のよ うな碑文がみえる。
辛亥年二月廿六日 南山新城作節 如法以作 後三年崩破者 罪教事為聞教令誓事之
この碑文では、以(にして)、者(は)、為(する)、之(終止語尾)などは吏読である。万葉集 でも「者」は日本語の助詞「は」を表記するのに用いられている。本来中国語を表記するために考 案された漢字を朝鮮語や日本語を表記するためにはさまざまな工夫が必要であった。古代日本で文 字を司っていたのは朝鮮半島出身の史(ふひと)であり、万葉集の表記にも朝鮮半島から渡来した 史(ふひと)がかかわっていたことは疑いの余地がない。
○ 呼(を):
漢和辞典には「呼」の呉音は呼「ク」、漢音は「コ」とある。しかし、万葉集では「呼」、「乎」 ともに「を」に用いられている。「呼」、「乎」の古代中国語音は呼[xa]、乎[ha]であり、いずれも 日本語にはない喉音である。万葉集の時代の日本語では中国語の喉音[x-][h-]は脱落して呼「を」、 乎「を」にあて、日本語の助詞を表記するのにもちいられた。喉音はカ行音に近いので平安時代以 降の日本漢字音ではカ行に転移して呼「コ」と発音されるようになった。
○ 雄(を):
「雄」の古代中国語音は雄[hiuəng]であり、「呼」、「乎」と同じく喉音である。雄「を」は中国 語の喉音[h-]が失われたものである。「家呼毛名雄母」では「呼」も「雄」もともに呼「を」、雄 「を」に使われている。
日本の漢和辞典では絵[huai]、会[huai]、恵[hyuei]は絵(呉音・エ、漢音・カイ)、会(呉音・エ、 漢音・カイ)、恵(呉音・エ、漢音・ケイ)とされている。これらはすべて古代中国語音の喉音 [h-]が脱落したものであろう。
万葉集の漢字音は我々が親しんでいる呉音、漢音、訓という音の体系とは違う。万葉集の冒頭の歌に使われている漢字が万葉集全体のなかでどのように使われているかを調べてみるとつぎのようになる。
○ 音専用:志(シ)、須(ス)、奈(ナ)、乃(ノ)、師(シ)、尓(○ニ・ジ)、
紗(サ・シャ)、
○
訓専用:籠(○こ・×ロウ)、持(○もつ・ジ)、告(○のる・つげる、いふ・×コク)、
見(○みる・め・ケン)、国(○くに・く・×コク)、者(○は・×シャ)、
押(○おす・オウ)、戸(○へ・と・×コ)、背(○せ・そ・×ハイ)、歯(○は・×シ)、
閑(○か・×カン)、君(○きみ・くに・く・×クン)、津(○つ・×シン)、
名(○な・×メイ・×ミョウ)、吉(○き・よし、・×キチ・×キツ)、
目(○め・ま・も・むく・×モク)、倍(○へ・×バイ)、座(○ます・ゐ・×ザ)、
手(○て・×
シュ)、菜(○つむ・な・×サイ)、採(○つむ・とる・×サイ)、
跡(○あと・と・セキ)、乳(○ち・×ニュウ)、児(○こ・×ニ・×ジ)、
岳(○をか・を・ガク)、吾(○あ・わ・あれ・われ・×ガ)、根(○ね・×コン)、
山(○やま・サン)、呼(○を・よぶ・×コ)、雄(○を・をとこ・×ユウ)、
○ 音訓両用:毛(○モ・け)、布(○フ・ぬの)、思(○シ・おもふ)、此(○シ・これ)、
家(○ケ・いへ)、曾(○ソ・かつて)、己(○コ・おの・な・わが)、与(○ヨ・と)、
夫(○ブ・ますらを・つま)、美(○ミ・うるはし・×ビ)、母(○モ・おも・はは・×ボ)、
久(○ク・ひさし・キュウ)、虚(○コ・そら・うつ・×キョ)、
許(○コ・ゆるす・キョ)、居(○コ・をる・ゐる・×キョ)、
我(○カ゜・あ・わ・あれ・われ)、
万葉集の漢字の読み方は現在の漢字の読み方とはずれているが、一定の法則にしたがっている。上の表から万葉集の時代の漢字音についていくつかの特色が浮かびあがってくる。
1.万葉集の時代の日本語には「ン」で終わる音節がなかった。
閑(○か・×カン)、君(○きみ・く・×クン)、津(○つ・×シン)、
2.万葉集の時代の日本語にはウ音便はなかった。
籠(○こ・×ロウ)、名(○な・×メイ・×ミョウ)、乳(○ち・×ニュウ)、
久(○ク・キュウ)、雄(○を・×ユウ)、
3.万葉集の時代の日本語には拗音はなかった。
手(○て・×シュ)、紗(○サ・×シャ)、虚・許・居(○コ・×キョ)、
4.万葉集の時代の日本語には濁音ではじまることばはなかった。
尓(○ニ・×ジ)、倍(○へ・×バイ)、児(○こ・×ニ・×ジ)、岳(○をか・×ガク)、 吾(○あ・×ガ)、美(○ミ・、×ビ)、母(○モ・×ボ)、
5.万葉集の時代の日本語にはラ行ではじまることばはなかった。
籠(○かご・こ・×ロウ)、
やまとことはといわれることばのなかには弥生時代からの中国語からの借用語が多く含まれている。しかし、君「クン」が母音をともなって君「きみ」にり、あるいは韻尾が脱落して名「な」、津「つ」などになって日本語のなかに定着してしまったために万葉集の時代にはすでに借用語とは感じられなくなってしまっていた。記起万葉の時代やまとことばで中国語からの借用語と思われるものとしてはつぎのようなことばをあげることができる。
○ 中国語韻尾の[-n]、[-m]、[-ng]などが脱落した例
津(つ・シン)、 田(た・デン)、 辺(へ・ヘン)、 帆(ほ・ハン)、
香(か・コウ)、 洲(す・シュウ)、 名(な・ミョウ)、氷(ひ・ヒョウ)、
○ 中国語の韻尾に母音を添加して開音節にした例
君(きみ・クン) 殿(との・デン)、 金(かね・キン)、 文(ふみ・ブン)、
鎌(かま・レン)、 絹(きぬ・ケン)、 浜(はま・ヒン)、 嬪(ひめ・ヒン)、
繙(ひも・ハン)、
兼(かねる・ケン)、染(そめる・セン)、呑(のむ・ドン)、
日本の古地名のなかには母音添加の例が多い。
因幡(いなば)、 讃岐(さぬき)、 信濃(しなの)、丹波(たには)、難波(なには)、
○ 拗音が直音になる例
意(お)、 久(く)、 許(こ)、 巨(こ)、 飾(しか)、 周(す)、
受(ず)、 叙(ぞ)、 手(て)、 流(る)、 呂(ろ)
○
濁音が語頭にくるのを避けるために母音添加などをした例
馬(うま・バ)、 梅(うめ・バイ)、 母(おも・ボ)、 妹(いも・マイ)、
夢(いめ・ム)、 海(あま・み)、 面(おも・メン)、未(いまだ・ミ)、
朝鮮語の母(eo-meo-ni)も日本語の母(おも)も中国語起源のことばが転移したものであろう。また、万葉集ではバ行の音は語頭にくることがなく、マ行であらわれる。
眉(まよ・ビ)、 米(め・ベイ)、 麦(むぎ・バク)、 牧(まき・ボク)、
○ ラ行音がタ行あるいはナ行に転移した例
瀧(たき・ロウ)、 立(たつ・リュウ)、 粒(つぶ・リュウ)、 浪(なみ・ロウ)、
日本漢字音でも龍「りゅう」はラ行、寵「チョウ」はタ行である。
これらはいずれも古代日本語の音韻体系に適応して変化したものである。古代日本語の音韻体系の特徴としてはつぎのようなものをあげることができる。
1.母音で終わる開音節であった。
2.濁音ではじまる音節はなかった。
3.ラ行音ではじまる音節はなかった。
4.拗音はなかった。
発音は時代とともに変化するが、音の変化には法則がある。調音の位置の同じ音は転移しやすい。また、調音の方法の同じ音は転移しやすい。それを日本語の音図で示すとつぎのようになる。
| 母音・半母音 | 後舌音 | 舌面音 | 前舌音 | 唇音 | |
| 清音 | カ行 | サ行 | タ行・ラ行 | ハ行 | |
| 濁音 | ア行 | ガ行 | ザ行 | ダ行 | バ行 |
| 拗音 | ヤ行 | キャ | シャ | チャ | ヒャ |
| 合音 | ワ行 | ||||
| 鼻音 | カ゜行 | ナ行 | マ行 |
この図で縦の音は調音の位置が同じで転移しやすい。また、横の方向では調音の方法が同じであり転移しやすい。また、摩擦音化して転移することもある。タ行音はイ段では摩擦音化してサ行に転移する。日本語では「ジ」と「ヂ」は現代では弁別されず、「ズ」と「ヅ」も区別ができなくなっている。
日本漢字音には呉音・漢音などの区別がある。呉音と漢音が区別されて意識されはじめたのは、平安時代の初め、遣唐使が唐に留学してからのことである。万葉集には漢音は使われていない。音、訓の区別はすでに『古事記』の割注などにもみられる。中国語起源のことばであっても古事記編纂時にすでに日本語化しており、当時の漢字音と違うものは訓とされた。例えば、「奥疎神」には割注がついていて「訓奥云於伎」とある。つまり「奥」は奥「おき」と訓で読むようにと指示している。古事記に割注をつけた時代には「奥」はすでに音便化して奥「オウ」となっていた。そのためにわざわざ割注をつけたのである。
白川静の『字通』によれば「奥」は古代中国語音が奥[uk]である。それが、隋唐の時代の中古音が奥[ô]に変化したことが現在では知られている。訓とされている奥「おき・おく」はやまとことばではなく、実は中国語からの借用語であり古代中国語音の痕跡を留めているのである。
万葉集の漢字の読み方は平安時代にできた漢字音の分類にしたがって考えたのでは理解しがたい体系をもっている。これらのことばは呉音でもなく漢音でもない。弥生時代から古墳時代にかけて大陸との交渉のなかで借用されたものだから、これを仮に「弥生音」と呼ぶことにする。漢音は平安時代以降多くつかわれるようになったものだから、これを平安音とする。万葉集の時代を中心に漢字を区分するとつぎのようになる。
君 母 籠 岳 吾 津 手 許 志 須
弥生音 きみ おも かご をか あ つ て こ し す
万葉音 く も こ をか あ つ て こ し す
平安音 クン ボ ロウ ガク ゴ シン シュ キョ シ ス
弥生音のなかには籠「かご」のように古代中国語音の痕跡を留めているものもある。また、津「つ」、手「て」のように江南音や越の音の痕跡を留めているものもある。また、漢字は朝鮮半島を経て日本に伝えられ、万葉集の時代の史(ふひと)が朝鮮半島の出身者であったこともあって吾「あ」、岳「をか」のように朝鮮漢字音を継承しているものもある。
漢字は発音が変わっても同じ文字を使うから古代の発音を復元することはむずかしい。しかし、隋唐の時代の発音は『切韻』(601年編纂)と呼ばれる韻書などがあってかなり正確に知ることができる。杜甫や李白の詩の韻を正しく読むことは科挙の試験においても必須科目であったで、隋唐の時代の正音の研究はかなり進んだ。しかし、隋唐の時代以前の発音が解明されるようになったのは、近代言語学が中国に導入されてからのことである。 万葉集にはしばしば隋唐の時代以前の発音の痕跡が留められている。古代の中国語音を復元するのには、さまざまな方法がある。古代中国語音は[
]で表し、中古音は/ /で表す。( )は現代語音を表す。
1.「詩経」など古い時代から伝わる中国語の韻を調べる。( ○○)の番号は詩経の番号。
奥[uk]:宿[siuk](詩207)、夜[jyak]:莫[mak](詩100)、風[piuəm]:心[siəm] (詩199) 、
奥は詩経(207)では宿と押韻している。夜は詩経(100)では莫と押韻している。風は詩(199)では心と押韻している。奥、夜は詩経の時代(紀元前800〜600)には韻尾に[-k]の音があった。また、風は心と同じ韻尾をもっていたことがわかる。
2.声符が同じ漢字はその漢字が作られた時代に、その地方で同じ音だった。
莫[mak]:墓[mak]、 特[dək]:時[dək]、 夜[jyak]:液[jyak]、
「墓」は「莫」とは声符が同じであり、「墓」の古代中国語では墓[mak]であった。日本語の墓「はか」は古代中国語に対応している。「時」と「特」とは声符が同じであり、時の古代中国語は 時[dək]であった。時「とき」は弥生時代から古墳時代にかけての中国語からの借用語であり、時 「ジ」は隋唐の時代以降の借用語である。古代中国語では「夜」は夜/jya/ではなくて「液」と同じ で夜[jyak]であった。日本語の夜「よる」、腋「わき」などは古代中国語からの借用語である。
中国語音の歴史は一般に三つの時代に分けられる。
1.
古代中国語音(『詩経』の時代〜紀元前800から紀元前600年〜から隋の初期まで)。
2. 中古中国語音(唐詩の時代)。
3.
現代中国語音(魯迅、毛沢東などの時代)。
日本漢字音は中古中国語音に依拠しているが、万葉集の漢字の読み方のなかには古代中国語音の痕跡を留めているものがみられる。同じ声符をもった漢字でも韻尾の[-p]、[-t]、[-k]が残っているものと、失われたものがある。
<韻尾篇>
同じ声符をもった漢字は、その漢字が使われはじめた時代には同じ発音だったと考えられる。
��
古代中国語の入声韻尾[-p・-t・-k]は長い時間をかけて失われた。
特・時、 莫・墓、 液・夜、 擦・祭、 列・例、 式・試、 喫・契、
一般的に韻尾の残っているものが古く、脱落したものが新しい。また、同じ漢字でも二通りの読み 方があるものがある。
易(エキ・イ)、 度(タク・ド)、 塞(ソク・サイ)、 作(サク・サ)、
関「せき」には現在では「関」の字があてられているが、中国語の「塞」が語源であろう。万葉集では塞毛置末思乎(万468せきもおかましを)、塞毛有粳毛(万1077せきもあらぬかも)と「塞」が塞「せき」にあてられている。作(つくる・サク)、剥(はぐ・ハク)、筆(ふで・ヒツ)、舌(した・ゼツ)などの訓も古代中国語音の痕跡を残した弥生音である。
�� 古代中国音の韻尾/-ng/や宵韻/ô/などは古代中国語韻尾の[-k]が変化したものである。
較・交、 爆・暴、 粛・繍、 淑・椒、 躍・曜、 卓・悼、 沃・夭
中国の音韻学者王力は『同源字典』のなかで、籠[long]は簏[lok]と同源であるとしている。日本語の籠「かご」は古代中国語の韻尾の痕跡を留めている。瀧「たき・たぎつ」、咲「さく」、奥「おき・おく」、影「かげ」、茎「くき」、冢・塚「つか」、床「とこ」、雙六「すごろく」、青楊「あをやぎ」などは古代中国語音の痕跡を留めたものである。
日本の古地名では香山「かぐやま」、望陀「まぐた」、相模「さがみ」、当麻「たぎま」など、かなり古い中国語音の痕跡を留めてものがみられる。しかし、万葉集の時代には香(か)具山、当(たい)麻、望(もう)陀のように発音が変化していたので、香山は香具山は「具」を添記して書くようになった。また、望陀などは現在では馬来田と書いている。本居宣長は『地名字音転用例』のなかで、和銅六年に地名は必ず二字の嘉名をつけることと定めたために、後に二字をあてたから読み方にずれができていると説明している。
「相模ハモトサウモ、信濃ハシナノナリシヲ、サガミ シナノトハ後ニ訛レル也トヤウニサヘ思フメリ。是レイミシキヒガコト也。サガミ シナノハ本ヨリノ名ナルニ、相模信濃ナドノ字ハ後ニ填(アテ)タルモノニテ、末ナルコト辧ヘザルモノ也」
相模、信濃はもと三字だったものを二字に縮めたので正音からはずれてしまっているというのである。しかし、これは逆であろう。香を香「かぐ」と読み、相を相「さが」と読む読み方は弥生音であり、古代中国語音の痕跡を留めている。
�� 古代中国語音の入声韻尾[-t]は隋唐の時代には/-n/に変わったものがある。
因(イン):咽(エツ)、 本(ホン):鉢(ハツ)、 産(サン):薩(サツ)、
[-t]と[-n]は調音の位置が同じであり、調音の位置が同じ音は転移しやすい。中国の音韻学者王力は 『同源字典』のなかでつぎの対語は同源であるとしている。
純zjiuən::粋siuət、 判phuan:別biat、 弁bian:別biat、 断duan:絶dziuat、
日本語の訓とされているもののなかにも、古代中国語音の痕跡を留めているものがみられる。
音(おと・オン)、琴(こと・キン)、 本(もと・ホン)、
楯(たて・ジュン)、
幡(はた・ハン)、堅(かたい・ケン)、肩(かた・ケン)、 満(みつる・マン)、
訓は古代中国語音を継承した弥生音である。
�� 古代中国語の韻尾[-p]の痕跡を留めているものもみられる。
訓のなかには古代中国語の原音の痕跡を留めているものもみられる。
渋[shiəp]しぶい、 甲兜[keap-to]かぶと、 合[heap]あふ、 蝶[thyap]てふ、
蝶は旧仮名遣いでは蝶「てふ」であり、古代中国語音の痕跡を留めていた。しかし、現在では音便化して蝶「チョウ」と発音されるようになっている。
地名では鹿児島県の揖宿「いぶすき」が中国語韻尾の揖[iəp]を留めていたが、実際の発音との乖離が生じたため「指宿」と書くようになってしまった。「揖保の糸」では「保」を補ってかろうじて旧字を使い続けている。甲斐の国の甲[keap]「かひ」の末音を添記したものである。
<声母編>
母音ばかりでなく、子音も時代により、地方により変化する。中国語音も変化し日本語音も変化するのでそのマトリックスは複雑になる。中国語の音韻体系は日本語より複雑だが、音韻変化の法則は同じである。調音の方法が同じ音は転移しやすい。調音の位置が近い音は転移しやすい。中国の音韻史をたどってみると、次のような変化が確認される。
�� 古代中国語の舌端音(前舌音)のなかから中古音の知照系の舌上音(知照系)は生まれた。日本漢字音では同じ声符がタ行とサ行であらわれるものがみられる。
都(ト)・諸(ショ)、 鈍(ドン)・純(ジュン)、 拓(タク)・石(セキ)、
舵(ダ)・蛇(ジャ)、単(タン)・戦(セン)、 動(ドウ)・重(チョウ・ジュウ)、
日本漢字音ではサ行で読まれる漢字でも万葉集の時代にはタ行で読まれるものがみられる。日本語の訓のなかには古代中国語音に依拠するものが含まれている。
照(てる・ショウ)、 垂(たれる・スイ)、 時(とき・ジ)、 取(とる・シュ)、
就(つく・シュウ)、 床(とこ・ショウ)、
束(つか・ソク)、燭(ともる・ショク)、
万葉集ではこれらの漢字はほとんどが訓専用であり、音読字としては使われていない。「床」は床「とこ」専用であり、床「ショウ」とは一度も読まれていない。万葉集冒頭の雄略天皇の歌にみえる津「つ」もタ行音であり津「シン」とは読まれていない。万葉集の史(ふひと)にとって床「とこ」、津「つ」などは弥生時代・古墳時代から引き継がれた伝統的な音であり、床「ショウ」、津「シン」があらわれるのは平安時代になってからのことである。
�� 古中国語の喩母/j-/は古代中国語の定母[d-]などの語頭音が失われたものである。
塗(ト)・除(ジョ)・余(ヨ)、
脱(ダツ)・説(セツ)・悦(エツ)、
桶(トウ)・誦(ショウ)・用(ヨウ)、 湯(トウ)・傷(ショウ)・陽(ヨウ)、
代(ダイ・よ)・弋(ヨク)、 世(セ・よ)・泄(セツ・エイ)、
日本漢字音のタ行は古い中国語音の痕跡を留めている。また、頭音がわたり音(i介音)の影響で脱落したものはヤ行あるいは「イ」に転移している。日本語の代「ダイ・よ」、世「セ、よ」は代「よ」、世「よ」は訓だとされているが古代中国語からの借用語であり弥生音である。また、湯は陽と、桶は甬と同系音であり湯(ゆ)、桶(おけ)も中国語からの借用語であろう。
�� 中古中国語の日母/nj-/はもとは泥母[n-]あるいは明母[m-]であった。
中古中国語の日母/nj-/は泥母[n-]あるいは明母[m-]が口蓋化したものである。万葉集では女[njia] (め、をみな)、汝[njia](な、なむぢ、なれ)、耳[njiə](みみ、〜のみ)、爾[njiai](に)、彌 [mia](み)、祢[myei](ね)に使われている。女(ジョ)、耳(ジ)、爾(ジ)という音は万葉 集にはない。
任那(みまな)、壬生(みぶ)なども古代中国語音の痕跡を留めえた読み方であろう。また、蒜 「みら・にら」、蜷「みな・にな」などのようにマ行音がナ行音に転移する例がみられる。マ行 音とナ行音はいずれも鼻音であり、転移しやすい。
�� 古代中国語の喉音于母[h-]の頭音は口蓋化の影響で脱落し、喩母/j-/になった。
熊[hiuəm](くま)、雲[hiuən](くも)はその変化の痕跡を留めている。隋唐の時代になると熊 /jiuəm/(ユウ)、雲/jiuən/(ウン)となり、日本漢字音は唐代の音を継承している。雄略天皇の 歌に用いられている雄「を」、乎「を」の古代中国語音は雄[jiuəng]、乎[ha]であり、その後日本 漢字音は雄「ユウ」、乎「コ」として日本漢字音のなかに定着した。
ほかには中国語の喉音の痕跡を残すものとしては絵[huat](ヱ・カイ)、恵[hyuet](ヱ・ケイ)の ような例がある。
��
古代中国語には[kl-]、[pl-]、[ml-]、[hm-]などの複合子音が語頭にあった可能性がある。
スウェーデンの言語学者Bernhard
Karlgrenは古代中国語は語頭に複子母音があったのではないか と指摘している。確かに漢字には同じ声符をラ行で読むものとカ行で読むものなどが混在してい る。
洛(ラク)・挌(カク)、 藍(ラン)・監(カン)、 簾(レン)・兼(ケン)、
嵐(ラン)・風(フウ)、 陸(リク)・睦(ムツ)、 黙(モク)・黒(コク)、
籠「かご」の古代中国語音が語頭に龍[klong]という複合子音をもっていた。万葉集では「雪が降る」には「零雪乃」あるいは「落雪之」などが使われている。これは文学的修辞ではない。古代中国語音にあった零[plyeng]、落[plak]の語頭音の痕跡である。
「海」は「毎」と声符が同じなのに一方は海「カイ」であり、他方は毎「マイ」である。現代の上海語音では毎は毎(hmai)である。海「カイ」は入りわたり音(h-)の発達したものであり、毎「マイ」は入りわたり音(h-)が喪失したものである。「米」の現代上海語音は米(hmi)であり、日本語の米「こめ」は古代江南地方の発音を継承したものであろう。
中国語にはさまざまな方言がり、話し言葉ではほとんど会話が通じない地域が多い。このため中国政府は小学校低学年の段階からローマ字を教えて北京語の発音をローマ字で教えようといている。日本漢字音も弥生時代から古墳時代にかけては長安の都の正音ではなく江南地方の中国語音の影響を強く受けた。中国語方言のおもな特徴を図示するとつぎのようになる。
�� 鼻音韻尾の特徴
| 現代広東音 | 現代上海音 | 現代北京音 | 朝鮮漢字音 | 日本漢字音 |
| -m | 鼻母音化 | -n | -m | -n |
| -n | -n | |||
| -ng | -n | -ng | -ng | ウ音便形 |
日本語には韻尾の-nと-mの区別がなく、「ン」と発音される。五十音図の「ン」は中国語音の-nと
--mの双方に対応している。古代日本語には撥音便「ン」はなかった。また、すでにみたように江南音では脱落して前の母音が鼻音化するため田(di)、辺(bi)などとなる。日本語の田「た」、辺「へ」、帆「ほ」などは古代の江南音を継承している。
�� 入声音韻尾の特徴
| 現代広東音 | 現代上海音 | 現代北京音 | 朝鮮漢字音 | 日本漢字音 |
| -p | -k | 脱落 | -p | -t |
| -t | -l | |||
| -k | -k | -k |
朝鮮漢字音では中国語の韻尾-tは規則的に-lになる。日本漢字音では古代中国語韻尾の-pは、蝶[thyap]「てふ」などの例外を除いて、タ行で現れるものが多い。
雑[dzəp](ザツ)、立[liəp](リツ)、接[tziap](セツ)、湿[sjiəp](シツ)、執[tjiəp](シツ)、
��
古代中国語の喉音は江南音では唇音に転移する。
花 火 灰 華 和 話 或 禍
古代音 xoa xuə
huəi hoa huai huai hiuək huai
北京音 hua huo hui hua he hua huo huo
広東音 fa
fo fui wah woh wah waahk woh
現代の広東語音では花、火、灰などは喉音ではなく唇音で発音されている。古代中国語の喉音は日本漢字音では一般にカ行であらわれるが、日本語の花「はな」、火「ひ」、灰「はい」などは古代江南音を継承している可能性がある。
�� 古代中国語の喉音や牙音(後舌音)はわたり音(i介音)の影響で摩擦音化した。
日本語でも五十音図のイ段では「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」の区別は失われているが、中国語 ではカ行音とサ行音が合流している例がある。
伎(ギ)・支(シ)、 耆(キ)・旨(シ)、 勘(カン)・甚(ジン)、 公(コウ)・頌(ショウ)、
稲荷山鉄剣の「ワカタケル」は「獲加多支鹵」と書かれていて、「支」は「ケ」にあてられている。雄略天皇の時代の漢字音では「支」はカ行だったのである。万葉集では「支」は16回使われ ているが、いずれも支「キ・ギ」と読まれていて支「シ」と読まれる例は1例もない。
中国語では唐代以降も摩擦音化が進んでいて、日本漢字音でカ行とサ行に読み分けられている漢字が北京音などで合流しているものがみられる。「北京」も日本語では北京「ペキン」だが現代の北京語では北京(Beijing)である。
古代中国語音 北京音 上海音 広東音
焦「ショウ」
[tziô] jiao jiao jiu
教「キョウ」
[keô] jiao jiao gaau
槍「ソウ」 [tshiang]
qiang qiang cheung
腔「クウ」
[kheong] qiang qiang hung
清「セイ」
[tsieng] qing qin ching
軽「ケイ」
[kyeng] qing qin hing/heng
小「ショウ」
[siô] xiao xiao siu
暁「ギョウ」
[ngyô] xiao xiao hiu
消「ショウ」
[siô] xiao xiao siu
効「コウ」
[heô] xiao xiao haauh
辛「シン」
[sien] xin xin san
欣「キン」 [xiən]
xin xin yan
日本語の焦「こげる」、倉「くら」、清「きよい」、小「こ」、消「きえる」、辛「からい」なども古代中国語の地方音を留めている可能性がある。
万葉集ではつぎにあげる漢字も訓読みがほとんどで音読はみられない。
神(○かみ・×ジン)、 是(○これ・×ゼ)、 小(○こ・×ショウ)、
子(○こ・×シ)、 狩(○かり・×シュ)、 辛(○からい・×シン)、
これらの訓読みの漢字も後舌音が摩擦音に変化する前の形を留めたものである可能性がある。
万葉集の漢字音は唐代の中国語標準音に忠実なだけでは甦らせることはできない。すでに万葉集冒頭の雄略天皇の歌でも検証した通り、江南地方の音に依拠したと思われるものもある。また、朝鮮漢字音の影響も顕著である。漢字が日本へもたらされたのは朝鮮半島を経由してのことであり、当時の史(ふひと)は朝鮮半島出身者であった。しかし、従来の万葉集の研究では朝鮮語の影響はほとんど無視され続けてきた。万葉集の声を甦らせるためには、朝鮮漢字音の特徴を考慮することが不可欠である。(
)は現代朝鮮漢字音を示す。
�� 朝鮮語にはラ行音ではじまることばはない。
朝鮮語では古代中国語の来母[l-]ではじまることばが規則的に脱落する。古代日本語にもラ行音ではじまることばはなかった。万葉集ではラ行音は、わたり音(i介音)をともなった場合は脱落し、それ以外の場合はナ行に転移する。
梁[liang]やな、 柳[liu]やなぎ、 陸[liuk]おか、 良[liang]よい、 浪[lang]なみ、
浪の朝鮮漢字音は浪(nang)である。
�� 朝鮮語には鼻母音[ng-]ではじまることばはない。
古代日本語にもカ゜行ではじまることばはなかったので、中国語の疑母[ng-]は語頭では脱落する。
我[ngai]あ、吾([nga]あ、岳[ngak]おか、魚[ngia]うお、御[ngia]お、
これらの語の朝鮮漢字音は我(a)、吾(o)、岳(ak)、魚(eo)、御(eo)である。日本語の顎も朝鮮漢字音は顎(ak)であり、朝鮮漢字音を継承しているといえる。
�� 朝鮮語には中国語の日母[nj-]にあたる音ではじまることばはない。
中国語の日母[nj-]は朝鮮語では語頭では規則的に脱落する。
熱[njiat]あつい、若[njiak]わかい、弱[njiôk]よわい、柔[njiu]やわら、入[njiəp]いる、
これらの語の朝鮮漢字音は熱(yeol)、若(yak/ya)、弱(yak)、柔(yu)、入(ip)である。また、「弥」の正音は弥(み)とされているが、弥栄「いやさか」などとして使われ、人名で弥太郎「ヤタロウ」と読むのも、[m-]の頭音が口蓋化して/nj-/になり、さらに脱落して/j-/となったものであろう。
�� 朝鮮語では、中国語の韻尾[-t]は規則的に[-l]に転移する。
現代の朝鮮語でも地下鉄(ji-ha-chol)、万年筆(man-nyeon-pil)である。また、祓(pul)、払(pul)、擦 (chal)、刷(sal)、越(wol)なども日本語の発音に影響を与えている。
祓(はらう)、 払(はらう)、 擦(する)、 刷(する)、 越(こえる)、
日本語のなかには韻尾の[-n]がラ行音であらわれるものもみられる。
韓(から・カン)、 漢(から・カン)、 雁(かり・ガン)、 昏(くれ・コン)、
玄(くろ・ゲン)、 塵(ちり・ジン)、 鍼(はり・シン)、 榛(はり・シン)、
辛(からい・シン)、散(ちる・サン)、 嫌(きらう・ケン)、怨(うらむ・エン)、
万葉集では真珠は「しらたま」である。日本の古地名などにも同様の例がみられる。
駿河(するが)、 敦賀(つるが)、 平群(へぐり)、 播磨(はりま)、
敏馬(みぬめ)、 訓覇(くるべ)、 群馬(くるま)、 新羅(しらぎ)、
�� 末音添記
新羅の万葉集ともいわれる郷歌(ヒヤンガ)には末音添記という表記法がしばしば用いられてい る。例えば夜は朝鮮語で夜「パム」だが、これを音読ではなく訓読させるために「夜音」と「音」 を添記しる。また、月「タル」を訓読させるために「月羅」と書く、川「ナリ」は「川理」と書く などである。(参照:梁柱東『古歌研究』一潮閣、ソウル)
万葉集に用いられている香具山や楊奈疑、日本の古地名の表記にみられる甲斐、揖保、伊良虞、英 虞、なども香[xiang] 、楊[jiang]
、甲[keap] 、揖[iəp] 、良[liang] 、英[yang] の韻尾が音便化して、 香「コウ」、楊「ヨウ」 、甲「コウ」 、揖「ユウ」
、良「リョウ」、英「エイ」となり、一字 では香「かぐ」、楊「やぎ」、甲「かひ」、揖「いぼ」、良「らご」、英「あご」、と読めなく なってしまったために末音を添加したものである。
�� 万葉集には朝鮮語の語彙も使われている。
城(ki)き、日(hae)ひ・か、海(pada)わた、水(mul)みず、足(tal)たる、朝(achim)あさ、
○
「城」という字は万葉集では46回使われているが、熟語で平城と書いて平城「なら」とよませてい るほかは全部城「き」である。城「しろ」も城「ジョウ」も一回もない。李基文は『韓国語の歴 史』のなかで「百済語で『城』を意味する語が、kї(己、只)であったことは確実である。」 (p.48)としている。城「き」は朝鮮語であろう。
○「日」も万葉集では日「ひ」「か」であり、日「ニチ」と読まれることは一回もない。朝鮮語で日 は日(hae)である。朝鮮語には日本語にない喉音があり、日本語ではハ行またはカ行であらわれ る。
○「海」朝鮮語では海(pada)である。万葉集の枕詞「わたつみの」は海にかかるまくらことばであ る。「わたつみの」は「わた(朝鮮語の海)つ(助詞「の」)み(海)の」である。朝鮮語では両 点という読み方がかなり広く行われていて、朝鮮語とそれに相当する中国語を併置する。「わたつ みの」も朝鮮語の「海」と中国語の「海」を併置した両点を援用したものである。
○「水」朝鮮語では水(mul)である。
○「足」は万葉集では足(たる、あし、あ)に使われている。足は朝鮮語ではtariである。大野晋 『日本語の起源(旧版)』のなかで朝鮮語の足はpalであり日本語の脛(はぎ)にあたるとしてい る。
○「朝」は万葉集では朝(あした、あさ)である。朝鮮語の朝は朝(achim)である。大野晋は日本語 の朝も朝鮮語の朝(achim)と関係のあることばだとしている。
大野晋は岩波の「日本古典文学大系」万葉集の言語学的解説を担当したが、その時の感想を「日本古典文学大系」配本の月報59(昭和37年5月)につぎのよう記している。
「朝鮮語といえば、弟一回に、朝鮮語と日本語の間で、同源と思われる単語四十たらずを掲げたと ろ、大いに歓迎された向きもあり、また、無用の長物として非難排斥される向きもあった。日本 語の語源は、とかく不明のまま放置されやすいので、多少なりと、確実と思われるものを提示する ことは無意味なこととは思われない。それにわずか四十語ほどの記載がそれほど関心を呼ぶものと も私は思わなかった。その後「日本語の起源」(岩波新書)を書く機会が与えられ、旧作を書き改 めたことがある。私はその中に、手持ちの朝鮮語と日本語との対照の語彙を表示したので、それか らは朝鮮語を万葉集の中に書き込むことを、あまりしないように心がけた。」
万葉集には朝鮮語から借用した語彙がいくつか紛れ込んでいるだけではない。万葉集を記した史(ふひと)は朝鮮半島の出身であり、朝鮮語の音韻体系に準じて漢字を使ったり、末音添記、両点などの書記法、修辞法も用いている。
大伴家持の万葉集最後の歌が天平宝字三年の正月を祝った歌であることから、万葉集の成立は759年ころのことであるとされている。しかし、万葉集には5世紀の雄略天皇の歌とされるうたからはじまって約300年にわたる歌が記録されている。万葉集には大陸との交流の長い歴史がきざまれている。607年には法隆寺が建立されるほどまでに中国文化の影響を深く受けている。邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送ったのは3世紀のことである。
弥生文化の時代、古墳文化の時代を通して中国語や朝鮮語が日本語のなかになんの痕跡も残さなかったとすれば、それは不自然なことである。本稿では万葉集に用いられている漢字を読み解くことによって弥生時代、古墳時代を通じて日本語がどのように形成されてきたか、「弥生語」という概念をつかって、その過程の復元を試みた。万葉集はまぎれもなく日本の古代文学ではあるが、その成立は漢字文化圏の東方への拡大に負うているというべきであろう。
参考文献
董(Dong)同龢(1944年)『上古音韵表稿』中央研究院言語研究所出版、台北
日吉盛幸(1992年)『万葉集歌句漢字総索引 上・下』、桜楓社
Karlgren, Bernhard(1934年) “Word Families in
Chinese”, Stockholm
Karlgren, Bernhard(1940年) “Grammata Serica−Script and
Phonetics in Chinese and Sino-Japanese”, Stockholm
李(Li)基文著・藤本幸夫訳(1975年)『韓国語の歴史』大修館書店
宮川一郎(1988年)『上海語常用同音字典』光生舘
本居宣長(1979年)『地名字音転用例』勉誠社文庫
中根谷徹(1972年)『越南漢字音の研究』、東洋文庫
大野晋(1957年)『日本語の起源』(旧版)岩波新書
白川静(1996年)『字通』平凡社
藤堂明保(1978年)『漢和大字典』学習研究社
藤堂明保(1980)『中国語音韻論 その歴史的研究』光生舘
王(Wang)力(1980年)『詩経韻読』上海古籍出版社、上海
王(Wang)力(1982年)『同源字典』商務印書舘、北京
王(Wang)力(1985年)『漢語語音史』中国社会科学出版社、北京
梁(Yang)柱東(1965年)『増訂・古歌研究』一潮閣、ソウル
著者紹介
小林昭美(こばやし あきよし)元NHK放送文化研究所所長
1937年長野県生れ。東京教育大学文学部英語学・英米文学科卒。NHKに入り教育・教養番組ディレクター。その間フルブライト留学生としてニューヨーク大学留学。NHK放送文化研究所所長。(財)NHKインターナショナル理事長。大正大学文学部客員教授。日本言語学会会員。NPO法人「地球ことば村」会員。
著作:『古代日本語の来た道〜カナ以前の日本語のかたち〜』(2003年、私家版電子印刷)。論文:「やまとことば」のなかの中国語からの借用語」(『大正大学研究紀要』第92号、2007年3月)、「日本語と古代中国語」(吉田金彦編『日本語の語源を学ぶ人のために』2006年、世界思想社、所収)
弥生時代の日本語の痕跡を求めて
サラリーマン人生も第4コーナーをまわったころ、毎日が日曜日になったら人生どう過ごすべきか考えるようになった。絵を描いたり、歌をよんだりして過ごすことができれば最高だが、自分にはそんな才能はない。
そこで考えたのがエジプトの絵文字(ヒエログリフ)の解読だった。ヨーロッパなどへ出かけるたびに入門書、辞書、文法書、『死者の書』などを博物館の売店などで買い集めて、少しはエジプトの絵文字の輪郭が分かるようになった。ヒエログリフは漢字と同様に象形文字である。しかし、クレオパトラを表すのに美人の似顔絵を描いても、世の中には美人は多いし、クレオパトラと特定することはむずかしい。そこで、クレオパトラのレオという音を表すのにライオンを描いて表す音借というような工夫が行われている。また、「水」は波形を三つ描いて表すが、この同じ文字が所有格の「の」を表すのにも用いられる。古代エジプト語では「水」と「の」が同じ発音だからである。
ヒエログリフはおもしろい。ライオンが右を向いていれば、これは右から読めということであり、左を向いていれば左から読めということである。オベリスクのように上から下に向かった書くこともできる。しかし、エジプトの墓やピラミッドの内壁に描かれている文字を解読してみると、つまるところ「わが王さまは死後の世界においても、美女にかこまれ、山海の珍味に恵まれますように」という願いが、ことばを変え品を変えて書かれているのである。これはわが老後の人生としては見込み違いだ。
私の老後は良寛さんである。庵に住んで一日五合の米さえ托鉢できれば、あとは万葉集を読み、歌や詩を作り、書を書いて過ごす。良寛さんになるのは無理にしても、まず古事記、日本書紀を読み、ゆったりと時間をかけて万葉集を読んでみようと決意するにいたった。記紀万葉は戦前の日本では皇国の聖典であった。その聖典は漢字だけで書かれている。その漢字を解読することによって古代日本語の世界が復元できるということがわかってきた。
日本の古代歌謡には「やまとは 国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる やまとし美し」という美しい歌がある。記紀万葉の時代にはまだ仮名はなかったから漢字だけで書かれている。この歌は日本書紀では次のように書かれている。
夜摩苔波 區珥能摩保邏摩 多多儺豆久阿烏伽枳 夜摩許莽例屢 夜摩苔于漏破試
「やまと」は「夜摩苔」と書かれている。ところが『魏志倭人伝』の「邪馬台国」は「やまたい国」であって「やまと国」とは読まない。「苔」あるいは「台」は記紀万葉の時代には「ダイ」でも「タイ」でもなく、古代日本語の「と(乙)」をあらわす漢字である。中国で記録された邪馬台国は「夜摩苔」と同じではないだろうか、という疑問が生れてくる。しかし、漢学者は邪馬台国を中国語音で「ヤマタイ国」と読み、国学者は日本書紀歌謡の「夜摩苔」を「やまと(乙)」と読む。古代日本語の「と」は二種類あり「と(甲)」と「と(乙)」として区別されている。しかし、魏志倭人伝の「邪馬台」が日本書紀の「夜摩苔」と同じものを指しているとすれば、邪馬台国論争は「やまと国論争」ということになる。つまり、やまとの国はどこにあったかということになる。
古事記、日本書紀にはそれぞれ120首あまりの古代歌謡が記録されている。そのうち約50首は同じ歌の伝承である。例えば「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣作る その八重垣を」という歌がある。この歌は古事記にも日本書紀にも記録されているが、使われている漢字が違う。
夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊賀岐都久流 曾能夜弊賀岐袁(記)
夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳菟倶廬 贈廼夜覇餓岐廻(紀)
同じ歌が二つの違った音韻体系の文字で記録されている。これはまるで、ロゼッタストーンではあるまいか。面白い。日本書紀の音韻体系は隋唐の時代の長安の音韻体系と同じであることが、音韻学者によって確かめられていて、当時の音価を再現できる。それに対して古事記の音韻体系は少しずれている。なぜだろうか。「八重垣」の「が」は古事記では賀[hai]という舌根音で表されているが、日本書紀では餓[ngai]という鼻濁音で表記されている。 賀は賀「ガ」であるが、餓は鼻濁音の餓「カ゜」である。古事記の史(ふひと)と日本書紀の史の音韻体系は違う。「妻ごみに」の「ご」も古事記は碁[giə]であり、日本書紀は語[ngia]である。古事記では鼻濁音が使われていない。それはなぜだろう。
古事記の史は鼻濁音ができなかったのではなかろうか、という疑問が頭をよぎる。日本語でも鼻濁音は消えつつある。「学校」は「ガッコウ」だが音楽学校は「オンカ゜クガッコウ」と発音するのが正しい日本語とされてきた。ところが最近の東京のこどもは「オンガクガッコウ」と発音するようになって、鼻濁音の「カ゜」が発音できなくなってきている。以前はアナウンサーの試験などでも鼻濁音の「カ゜」を正しく発音できるかどうかが試された。しかし、最近では鼻濁音を正しく発音できるのは東北弁の人だけのようである。
古代日本語では鼻濁音が語頭に立つことはなかった。朝鮮語では現在でも鼻濁音が語頭に立つことはない。日本書紀で鼻濁音の表記に用いられている「餓」、「語」を朝鮮語読みすると餓(a)、語(eo)となって語頭の[ng-]が失われる。朝鮮漢字音の音韻体系をもった人が日本書紀の「夜覇餓岐」、「菟磨語昧爾」を読めば「やへあき」、「つまおみに」となったはずである。古事記歌謡を記録した史は朝鮮漢字音の音韻体系をもっていた。だから、餓(a)ではなく賀(ha)を、語(eo)ではなく碁(ki/gi)を用いたのではないか。記紀万葉の時代の書紀である史(ふひと)は百済など朝鮮半島出身者であったことはよく知られた事実である。
古代日本語では我[ngai]を我「あ」という。現代の日本語でも魚[ngia]を「うお」といい、顎[ngak]を「あご」という。これらの漢字の朝鮮漢字音は我(a)、魚(eo)、顎(ag)である。これらはいずれも朝鮮漢字音の痕跡を留めた日本語であるといえるのではあるまいか。
日本と中国との交流は弥生時代のはじまりとともに始まり、稲や鉄とともに中国語の語彙も朝鮮半島を経て日本語のなかに入っていた。古代日本語の復元には古代中国語音の再構や朝鮮漢字音の復元が不可欠である。そのために、白川静先生や藤堂明保先生の書物を読んで老骨にむち打つ。
やまとことばだと考えられていることばのなかにも中国語からの借用語が数多く含まれている。例えば奥「おく」はやまとことばであり、奥「オウ」というのが音であると一般に考えられているが、奥の古代中国語音は奥[uk]である。これは白川静先生の『字通』を見ればあきらかである。奥「オウ」は隋唐の時代の中国語音に準拠したものであり、奥「おく」はそれ以前の時代の中国語音の借用である。沖「おき」は現在は沖の字があてられているが、語源は中国語の澳であろう。また、現代の日本ではもう見られなくなってしまったが、火鉢のなかに火種をかこっておく燠「おき」も中国語語源である可能性が高い。
漢字の墓は音が墓「ボ」、訓が墓「はか」とされている。しかし、墓は声符が莫大の「莫」と同じであり、古代中国語は墓[mak]である。日本語の墓「はか」は古代の中国語音の痕跡を留めたものであり、墓「ボ」は韻尾の[-k]が脱落した唐代の中国語音に準拠している。
また、日本語の「かげ」ということばには、日陰の意味と月影のように光を意味する場合とがある。影の古代中国語音は影[kyang]であり、光の古代中国語音は光[kuang]である。韻尾の[-ng]は日本語にはない音である。英語のSing
a
song.の-ngであるが、こだい中国語音は影[kag]、光[kag]に近かったと考えられている。古代中国語の影と光がともにやまとことばのなかに「かげ」となって定着したと考えられる。「かぐや姫」の「かぐ」というのはかがやく姫、「光姫」という意味である。また日本語の「かがやく」は中国語の光耀[kuang・jiok]と関係のあることばであろう。 毎日が日曜日、毎日新しい発見がある。
「世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我はまされる」良寛
現代の日本では大学までの過程で『万葉集』は読んでも、『古事記』や『日本書紀』を読む人はほとんどいない。私自身も、そんな普通の日本人のひとりだった。会社を定年近くなったある日、『古事記』、『日本書紀』を読んでみようと思いたった。日本の古典を読んで、日本人の来た道を検証しようという思いもあった。戦後、日本の歴史教育からは皇国史観は消えた。『古事記』、『日本書紀』に描かれた神話の世界は、日本の歴史の世界ではないというのである。しかし、その神話を書き留めた文字をたどることによって、日本の古代世界における文字のありよう、ことばのありようを確かめることはできないだろうか、と思った。
そんなあるとき、森博達著の『古代の音韻と日本書紀の成立』という本に出会った。素人の私には、目から鱗が落ちるような思いであった。森博達氏によれば、日本書紀の歌謡に使われている漢字の中国語音を解析していけば、日本書紀が中国人によって書かれたか、中国語の音韻体系をもっていない日本人によって書かれたかが分かる、というのである。私は、この方法を古事記や万葉集にも応用してみようと思った。この世界はごく限られた専門家の世界である。専門家も分野が分かれていて、古代中国語の専門家と日本の古典の専門家の間にはほとんど接点がない。門外漢には閉ざされた世界である。しかし、閉ざされた世界だけに、専門家が見逃している視点もあるのではないか、と思うようになった。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣作る その八重垣ゑ」の歌は日本書紀では次のように表記されている。
夜句茂多菟 伊弩毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳菟倶廬 贈廼夜覇餓岐廻
森博達氏によると、これらの漢字の唐の時代の音価は次のようになる。
夜(以麻開三去)、句(見虞合三去)、茂(明候開一去)、多(端歌開一平)、
菟(透模開一去)、伊(影脂開A平)、弩(泥模開一去)、毛(明豪開一平)、
覇(幇麻開二去)、餓(疑歌開一去)、岐(群支開A平)、磨(明戈合一平)、
語(疑魚開三上)、昧(明灰合一去)、爾(日支三上)、 枳(見支開A上)、
倶(見虞合三平)、廬(来魚開三平)、贈(従登開一去)、廼(泥咍開一上)、
廻(匣灰合一平)、
はじめの二文字が頭音と韻尾音をあらわす。「夜」の頭音は「以」と同じであり、韻尾は「麻」と同じである。「句」、「枳」、「倶」の頭音は「見」と同じであることをあらわしている。次の「開」・「合」は口を開いて発音するのか、唇を閉じて発音するのかの区別をあらわす。「句」、「磨」、「倶」、「廻」は合音であり、中国語では句(クウ)、磨(ムア)のように発音する。次にくる一、二、三、は中国語音韻学の用語で一等、二等、三等をあらわし、三等音には母音の前にわたり音(i)があることを示している。三等音のなかには二種類あってAというのは三等音の異種を示す。平・上・去は中国語の四声をしめしている。
これを調べることによって、この日本語の歌謡を写すのにどのような中国語音をもつ漢字が使われているかが明らかになる。しかし、これだけ見ても素人には音価を復元するのはむずかしい。多(端歌開一平)の頭音と菟(透模開一去)の頭音がどう違うのかは専門的な知識がなければ分からない。また、岐(群支開A平)と餓(疑歌開一去)あるいは語(疑魚開三上)との頭音がどのように違うのか、あるいは似ているのかも類推することは簡単ではない。弩(泥模開一去)にいたっては「泥」が泥(デイ)なのか泥(ネイ)なのかによって、全く音価がちがってしまう。
そこで、参考になるのが白川静の『字通』である。『字通』では一部音声記号は使ってあるものの、ローマ字に近い形で漢字の音価が示されている。
夜 句 茂 多 菟
jyak ko mu tai tho
伊 弩 毛 夜 覇 餓 岐
iei no mô jyak peak
ngai gie
菟 磨 語 昧 爾
tho muai ngia muət njiai
夜 覇 餓 枳 菟 倶 廬
jyak peak ngai kie tho kio la
贈 廼 夜 覇 餓 岐 廻
dzəng nə jyak peak ngai
gie huəi
「多」と「菟」、「岐」・「餓」・「語」の違いについてはローマ字表記してみれば一目瞭然である。多[tai]と菟[tho]、岐[gie]と餓[ngai]・語[ngia]は日本語では同じだが中国語音が違う。菟[tho]は中国語音韻学では次清音と呼ばれ、濁音に近い。「岐」と「餓」・「語」の違いは濁音と鼻濁音の違いである。日本語や朝鮮語では鼻濁音が語頭に立つことはないが、中国語では濁音も鼻濁音もと唐に立つことができる。
『字通』の漢字音は古代中国語音を表しているので、修正を加えなければならいものもある。
○「夜」の声符は「液」と同じで古代中国語音は夜[jyak]である。しかし、唐代には韻尾の[-k]が失われ、夜/jya/となっていた。日本語の「夜」には夜(ヤ)、夜(よる)、夜(よ)がある。古代中国語音の夜[jyak]は弥生時代に夜(よる)として受け入れられた。韻尾の[-k]は江南音では[-t]に近く、現代の上海語音では液、頁、葉は弁別されていない。朝鮮漢字音では筆(ppil)、鉄(cheol)と(-l)であらわれる。日本漢字音や朝鮮漢字音は中国語原音のまま受け入れられるわけではなく、借用するときに転移が起こる。日本語の夜(よる)も古代中国語音が転移したものである可能性が高い。
夜(や)も夜(よ)と関係のあることばであろう。漢和辞典によれば「夜」は呉音も漢音も夜(ヤ)である。夜(よ)も夜(よる)も訓であるという。しかし、中国語の「夜」は夜[yak]→夜[ya]→夜[jya]と変化したものと思われる。隋唐の時代には韻尾の[-k]が失われ、わたり音の[j-]が発達してきたものと考えられている。日本語の夜(よる・よ・ヤ)は、いずれも中国からの借用音であると考えることができる。
覇の覇[peak]も韻尾の[-k]が失われて、唐代には覇/pea/となっていたと考えられる。
○「弩」は日本書紀歌謡では日本語の弩(づ)に対応している。漢和辞典によると「奴」は奴(呉
音)ヌ・(漢音)ド、である。努(呉音)ヌ・(漢音)ド、弩(呉音)ヌ・ノ・(漢音)ド、怒 (呉音)ヌ・(漢音)ド、とされている。「弩」の古代中国語音は弩[no]であり、隋唐の時代の中国 語音は弩/do/である。[n-]と[d-]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。また、古代日本語のオ段 はウ段と近かったと考えられている。万葉集では「野」は「ぬ」とも「の」とも読まれている。
○「爾」は漢和辞典によると爾(呉音)ニ・(漢音)ジ、とされている。「爾」の古代中国語音は爾
[njiai]であり、隋唐の時代の中国語音は爾/djiai/に近い音に変化したものと考えられている。日本書紀 では「爾」は爾「ニ」であり、古代中国語音に近い。
○「廻」は漢和辞典によると廻(呉音)ヱ・(漢音)カイである。「廻」の古代中国語音は廻[huəi]で あり、語頭の喉音[h-]は漢音ではカ行で発音されているが、呉音では失われている。このような例は ほかにもある。会(ヱ・カイ)、絵(ヱ・カイ)、回(ヱ・カイ)、壊(ヱ・カイ)、恵(エ・ケ イ)などで、仏教では回向(ヱコウ)、盂蘭盆会(ウラボンヱ)、会得(ヱトク)など呉音が使わ れる。壊疽(ヱソ)も呉音である。
一般に日本書紀では漢音が使われ、古事記では呉音が使われているといわれている。確かに日本書紀歌謡で使われている漢字は漢音で読まれるものが多い。しかし、なかには呉音で読み、漢音では読まない漢字もある。
○呉音で読む漢字の例
日本書紀歌謡 辞書の呉音 辞書の漢音
許 コ(乙) コ キョ
虚 コ(乙) コ キョ
居
コ(乙) コ キョ
慮 ロ(乙) ロ リョ
呂 ロ(乙) ロ リョ
爾 ニ ニ ジ
禰 ネ ネ・ナイ デイ
奴
ヌ・ノ(甲) ヌ ド
弩 ヅ・ノ(甲) ヌ・ノ ド
恵 ヱ ヱ ケイ
廻 ヱ ヱ カイ
乎 ヲ ヲ・ゴ コ
日本書紀の時代の日本語の音節には「キョ」・「リョ」などのような音節はなかったので「コ」・「ロ」のように単音節として使われている。中国語のわたり音(i介音)は隋唐の時代以降に発達してきたものだともいわれている。日本書史歌謡の漢字はかなり古い時代の中国語音に準拠したものも見られる。爾(○ニ×ジ)、奴(○ノ&
times;ド)など中国語の日母[nj-]および泥母[n-]の漢字は呉音で読まれている。
また、恵、廻、乎などは漢語ではカ行であらわれる音がワ行であわわれる。恵、廻、乎の古代中国語音は恵[hyuei]、廻[huəi]、乎[ha]であり、語頭に日本語にはない喉音がある。古代中国語の喉音は呉音では脱落し、漢音ではカ行であらわれる。
さらに、同じ漢字が呉音にも漢音にも使われている例もかなりみられる。
○呉音にも漢音にも使われている例
<マ行とバ行>
日本書紀歌謡 辞書の呉音 辞書の漢音
弥 ミ・ビ ミ ビ
磨 マ・バ マ バ
魔 マ・バ マ バ
謎 メ・ベ マイ ベイ
(慣用)メイ
朋 ホ・ボ ボウ ホウ
倍 ハ・バ バイ・ベ ハイ
陪 ハ・ホ・バ べ ハイ (慣用)バイ
比 ヒ・ホ・ビ ビ ヒ
符 フ・ブ ブ フ
弭 ミ・ビ・ニ ミ ビ
ハ行・バ行・マ行は調音の位置が同じであり、転移しやすい。呉音から漢音への移行はある時一斉に起こったものではなく、マ行音とバ行音が並列していた時代があったようである。
<タ行・ダ行・ナ行>
日本書紀歌謡 辞書の呉音 辞書の漢音
陀 タ・ダ ダ タ
柁 タ・ダ ダ タ
駄
タ・ダ ダ タ
怒 ド(甲)・ヌ ヌ ド
タ行・ダ行・ナ行は調音の位置が同じであり、転移しやすい。日本書紀の時代にはナ行音とダ行音が並列して使われていた。
日本書紀歌謡に使われている漢字の読み方は漢和辞典に載っていないものもある。例えば、次のようなものをあげることができる。呉音でも漢音でもないとすればこれは和音ということになる。
○和音の例
<入声音韻尾脱落>
日本書紀歌謡 辞書の呉音 辞書の漢音
憶 オ オク ヨク
乙 オ オツ・オチ
イツ
吉 キ(甲) キチ キツ
賊 ソ(乙) ゾク ソク
涅 デ・ネ ネチ デツ (慣用)ネ
必 ヒ(甲) ヒチ ヒツ
末 マ マチ・マツ バツ
楽 ラ ガク・ラク ガク・ラク
<韻尾-n/-mの脱落>
鐏 ゾ(乙) ゾン ソン
幡
ハ ホン ハン
絆 ハ ハン バン
煩 ボ ボン ハン
綿 メ(甲) メン ベン
<韻尾の脱落>
贈
ソ(乙) ゾウ ソウ
蔵 ザ ゾウ ソウ
装 ザ ショウ ソウ
黨 タ トウ トウ
藤 ト(乙) ドウ トウ
等 ト(乙) トウ・タイ トウ・タイ
囊 ダ ノウ ドウ
農 ヌ ノ・ノウ ド
濃 ヌ ニュウ ジョウ (慣用)ノウ
朋 ホ・ボ ボウ ホウ
用 ヨ(甲) ユウ ヨウ
遥 ヨ(甲) ヨウ ヨウ
稜 ロ(乙) ロウ ロウ (慣用)リョウ
弘 ヲ グ コウ
<拗音の単音化>
舎 サ シャ シャ
周 ス シュ シュウ
秀 ス シュ シュウ
酒
ス シュ シュウ
諸 ソ(乙) ショ ショ
儒 ズ ニュウ ジュ
茹 ゾ(乙) ニョ ジョ
叙 ゾ(乙) ジョ ショ
序 ゾ(乙) ジョ ショ
<二重母音の短縮>
愛 エ オ・アイ アイ
介 カ ケ カイ
芸 ギ(甲) ゲ ゲイ
西 セ サイ セイ
細 セ サイ セイ
題 テ ダイ テイ
苔 ト(乙) ダイ タイ
泥 ヂ・デ・ネ ナイ デイ
尼 ニ・ネ ニ・ネイ ジ・デイ
謎 べ(甲) マイ ベイ (慣用)メイ
<母音の転移>
屠 ツ ド・ズ ト
努
ノ(甲) ヌ ド
日本書紀歌謡に使われている漢字は中国語音に準拠してはいるものの和風に転移しているものが多い。辞書では中国音から乖離しているもんは、ほとんどすべて訓(やまとことば)としていることが多い。しかし、日本語の単音節語を調べてみると、中国語音の韻尾が脱落したり、語頭音が脱落したもの、母音が転移しているものが多くみられる。
【韻尾脱落】
香(か)、黄(き)、紅(く)、名(な)、氷(ひ)、巣(す)、洲(す)、栖(す)、酢(す)、 簀(す)、目(め)、田(た)、千(ち)、津(つ)、辺(へ)、帆(ほ)、眼(め)、
○名(な・メイ)では頭音が転移している。マ行とナ行は調音の方法が同じであり、調音の位置も近 いので転移しやすい。他に鳴(なく・メイ)、苗(なえ・ビョウ)などがある。
○千(ち・セン)、津(つ・シン)はタ行音がわたり音(i介音)が発達した影響で摩擦音化したもの である。
○眼(め・カ゜ン)の古代中国語音は眼[ngean]である。疑母[ng-]は調音の位置がカ行に近く、調音の 方法はマ行と同じである。調音の位置が近いものや、調音の方法が同じものは転移しやすい。
【語頭音転移】
手(て)、野(の)、羽(は)、火(ひ・ほ)、桧(ひ)、御(み)、眼(め)、芽(め)、
眸(め)、女(め)、屁(へ)、尾(を)、
○手(て・シュ)はタ行音がわたり音(i介音)が発達した影響で摩擦音した可能性がある。同じ声符 をもった漢字「拿」は拿捕(ダホ)であり、タ行で読む。
○野(の・ヤ)は音と訓を較べてみる限り何の関係もないようにみえる。野の声符「予」は序 (ジョ)、予(ヨ)であるが、杼(ジョ)には杼(ド)という音もある。ナ行とダ行は調音の位置 が同じであり、転移しやすい。野は野(ド)に対応している可能性がある。野(ヤ)はわたり音(i 介音)の発達の影響で頭母音が脱落したものである。
○火(ひ・カ)、桧(ひ・カイ)、妃(ひ・キ)の古代中国語音は火[xuəi]、桧[huəi]は喉音である。中 国語の喉音は音ではカ行であらわれるが、和音ではハ行であらわれることがある。
○御(み・ギョ)、眼(め・ガン)、芽(め・ガ)、眸(め・ボウ)、目(め・モク)の古代中国語 音は御[ngia]、眼[ngean]、芽[ngea]、眸[miu]、目[miuk]である。中国語の疑母[ng-]は調音の方法が明母
[m-]と同じであり転移しやすい。
眸(め・ボウ)、目(め・モク)も日本語の目(め)と同源であろう。また、女[njia]の日母[nj-]も明 母[m-]に近く、女(め)も中国語音の転移したものであろう。日母の漢字にはマ行であらわれるもの が、ほかにもある。壬生(ミブ)、任那(ミマナ)はマ行である。日母[nj-]は明母[m-]がわたり音(i 介音)の発達によって転移したものである可能性がある。
○屁(へ・ヒ)は中国語の屁と同源である。
○尾(を・ビ)の古代中国語音は尾[miuəi]である。マ行とワ行はいずれも唇を丸くして発音する音な ので転移しやすい。綿(わた・メン)などもその1例であろう。
【語頭音脱落】
音(ね)、根(ね)、真(ま)、間(ま)、身(み)、矢(や)、家(や)、邪(や)、世(よ)、 夜(よ)、和(わ)、絵(ゑ)、
○
音(ね・オン)、根(ね・コン)、真(ま・シン)、間(ま・カン)、身(み・シン)。古代日本 語は音節が母音で終わる開音節であり、日本語に「ン」が定着してきたのは平安時代以降である。 それまでは「ね」・「ま」・「み」のようにナ行あるいはマ行音に母音を添加して和音にした。
○矢(や・シ)、家(や・カ)、邪(や・ジャ)、世(よ・セ)。頭母音が脱落しているのはわたり 音(i介音)の発達の影響であろう。同じ声符をもった漢字でも頭子音が脱落したもの、摩擦音化し たものがみられる。
例:多(タ)・侈(シ)・移(イ)、
途(ト)・除(ジョ)・余(ヨ)、
この場合、「多」・「途」が古く、それが隋の時代にわたり音(i介音)が発達したことにより、一方では摩擦音化して「侈」・「除」になり、他方では頭子音が脱落して「移」・「余」に変化したものと考えられる。「移」・「余」の音もかなり古く、「移」・「余」が「侈」・「除」から生れたとは考えにくい。
○夜(よ・ヤ)。「夜」には夜(よる・よ・ヤ)の読みがある。「夜」の古代中国語音は夜[jyak]であ ると考えられている。「夜」は「液」や「腋」と同じように韻尾に子音があった。韻尾の[-k]が和音 では「る」となり、夜(よる)となった。夜(よ)はその韻尾が脱落した形である。夜(ヤ)は隋 の時代にわたり音(i介音)が発達してきた結果変化した音である。
○和(わ・カ)、絵(ゑ・カイ)。「和」、「絵」の古代中国語音は和[huai]、絵[huat]であると考えら れている。中国語の喉音[h-]は日本語にはない音であり、調音の位置がカ行に近いので日本漢字音で はカ行であらわれる。しかし、呉音では語頭の[h-]は失われて和/uai/、絵/uai/となってワ行に転移す る。「絵」の韻尾の[-t]は隋唐の時代には中国でも失われていた。
一音節単語のうち日(ひ)と城(き)は朝鮮語語源だと云われている。日の現代朝鮮語音は日/hae/である。朝鮮語の日/hae/の頭音も日本語にはない喉音であり、「日」は日(か)に転移する。城(き)は李基文によれば百済語起源だという。(『韓国語の歴史』p.48)
辞書は文字の用法の規範を示す。漢和辞書の場合、呉音とは中国の江南地方の漢字音に準拠したものであり、漢音とは隋唐の時代の長安の正音に準拠したものだということになっている。中国にも呉音という呼び方があり、隋唐の都の音からはずれた方言音という意味で使われているという。日本の漢和辞典には漢字の反切や韻が示されている場合が多い。例えば、「苔」は「徒哀」あるいは「駝孩」であり、韻は「灰」と同じであることが示されている。これは唐詩の韻を正しく見分けるには不可欠な情報である。しかし、日本書紀歌謡では日本語のト(乙)にあてられていて呉音の苔(ダイ)、漢音の苔(タイ)でもない。苔(ト(乙))は日本語訛りであり、和音である。漢和辞典はこれを載せていない。だから日本書紀の「夜摩苔」は「ヤマト」であり、魏志倭人伝の邪馬台国も中国語音では「ヤマタイ」国であるが日本語の「ヤマト」を写したものであることが分からなくなってしまう。
古事記歌謡の史(ふひと)と日本書紀歌謡の書記とは違った音韻体系をもっていたこと、古事記歌謡を記録した史は朝鮮漢字音に近い音韻体系をもっていたと思われる、ということはすでに第131話でふれた。ここでは古事記、日本書紀の両方におさめられている歌謡について、さらにその違いを検証してみることにする。まず最初は須佐の男の命の作といわれる歌で「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊賀岐都久流
夜句茂多莵 伊都毛夜覇餓岐 莵磨語昧爾 夜覇餓枳莵倶盧
曽能夜弊賀岐袁(記1大神・須佐の男の命)
贈廼夜覇餓岐廻(紀1素戔嗚の尊)
古事記歌謡 辞書(呉音・漢音) 日本書紀歌謡
辞書(呉音・漢音)
久(ク) (ク・キュウ) 句(ク) (ク・ク)
毛(モ(甲)) (モウ・ボウ) 茂(モ) (ム/モ・ボウ)
都(ツ)
(ツ・ト) 莵(ツ) (ツ・ト)
豆(ヅ) (ヅ・トウ) 都(ヅ) (ツ・ト)
弊(へ(甲)) (ベ・ヘイ) 覇(へ(甲)) (ヘ・ハ)
賀(ガ) (ガ・カ) 餓(ガ) (ガ・ガ)
碁(ゴ(乙)) (ギ/ゴ・キ) 語(ゴ(乙)) (ゴ・ギョ)
岐(キ(甲)) (ギ・キ)
枳(キ(甲)) (キ・キ)
久(ク) (ク・キュウ) 倶(ク) (ク・ク)
流(ル) (ル・リュウ) 盧(ル) (ル・ロ)
曽(ソ(乙)) (ソ/ゾウ・ソウ) 贈(ソ(乙)) (ゾウ・ソウ)
袁(ヲ) (ヲン・ヱン) 廻(ヱ) (ヱ・カイ)
○古事記歌謡の漢字はほぼ呉音読みであるといえる。それに対して日本書紀歌謡の漢字は呉音から漢 音への移行期にあるといえる。古事記の「賀」は「ガ」であるが、日本書紀の「餓」の中国語原音 は鼻濁音の「カ゜」である。この点は大きな違いである。
古事記歌謡に使われている漢字の読み方を検証してみると、呉音とも漢音とも違うものがいくつか 見られる。
古事記歌謡
呉音・漢音 古事記歌謡用例
意(オ) イ・イ 意岐都登理(おきつどり)
耶(ザ)、 ヤ・ヤ 伊耶古杼母(いざこども)
奢(ザ)、 シャ・シャ 伊奢阿藝(いざあぎ)
叙(ゾ(乙))、 ジョ・ショ 宇良須能登理叙(うらすのとりぞ)
杼(ド) ヂョ・チョ
袁登賣杼母(をとめども)
怒(ノ(甲))、 ヌ・ド 多怒斯久母流迦(たのしくもあるか)
冨(ホ)、 フ・フウ
和賀意富岐美(わがおほきみ)
良(ラ) ロウ・リョウ 宇良須能登理叙(うらすのとりぞ)
○「意」は憶「オク」と声符が同じであり、古代中国語音は意[iək]であったと考えられる。古事記や日 本書紀が依拠している隋唐の時代には「意」は韻尾の[-k]を失っていたものと考えられる。意(オ) は隋唐の時代にわたり音(i介音)の影響で意(イ)に変化する前の姿を留めている。
○「耶」は「邪」の異字である。
○「杼」の声符は予(ヨ)であり、杼(ド)・舒(ジョ)・豫(ヨ)は同系の音である。野(の・ ヤ)も同系のことばであろう。
○古事記では「怒」は「ノ甲」に使われている。日本書紀では「怒」は「ド甲」「ノ甲」は両用に使われている。
○「良」の古代中国語音は良[liang]である。古事記歌謡の良(ラ)はわたり音(i介音)が発達する前 の古代中国語音である良[lang]の痕跡を留めているものであろう。
古事記歌謡では中国語の韻尾[-n]は脱落する。
例:傅(デ)、存(ゾ(乙))、本(ホ)、煩(ボ)、袁(ヲ)、遠(ヲ)、
古事記では歌謡以外でも中国語音の韻尾が脱落した例がみられる。
例:吉(き)、木(も)、隠(お)、殿(で)、番(ほ)、蕃(ほ)、丸(わ)、
一方、歌謡以外では中国語の韻尾[-n/-m]の後に母音を添加して二音節にしている例もみられる。本居宣長は『古事記傳』のなかで、これを二合仮名と呼んでいる。本居宣長は「こは人ノ名と地ノ名とのみにあり」としている。
例:[-m/-n]:淹知(アムチ)、安曇(アヅミ)、品遅部(ホムヂベ)、印恵(イニヱの)命、
讃岐(サヌキ)、丹波(タニハ)、旦波(タニハ)、難波(ナニハ)、平群(ヘグリ)、
[-ng]:香山(カグヤマ)、相模(サガム)、當麻(タギマ)、
[-k/-t]印色之入日子(イニシキのイリビコの)命、宿禰(スクネ)、阿直(アヂキ)、
竺紫(ツクシ)、筑紫(ツクシ)、伯伎(ハハキ)、博多(ハカタ)、
高目郎女(タカムクのイラツメ)、相楽(サガラカ)、壱師(イチシ)、末羅(マツラ)、
漢和辞典にはこれらの漢字の読み方はとり上げられていない。本居宣長の慧眼は香(カグ)、相(サガ)、當(タギ)など、中国語原音とかなり乖離した音を訓ではなく仮名、つまり漢字の読み方の一種としてとらえたことである。「香」、「相」、「當」の唐代の中国語音は香/xiang/、相/siang/、當/tang/であるが、古代音は香[xag]、相[sag]、當[tag]に近かった。このほかにも、伊服岐能山(イブキノやま)、奥津甲斐弁羅(オキツカヒベラの)神のように「服」、「甲」の末音[-k]、[-p]を「岐」、「斐」で添記しているものもみられる。また、「品」についても品牟都和気(ホムツワケの)命のように[-m]の末音を添記している例がみられる。
本居宣長はさらに、借字の例として次のような例をあげている。
例:狭(さ)、師(し)、巣(す)、洲(す)、酢(す)、田(た)、手(た・て)、
千(ち)、津(つ)、丹(に)、野(ぬ)、根(ね)、羽(は)、氷(ひ)、間(ま)、
眞(ま)、目(ま・め)、矢(や)、尾(を)、
そして、「但し此ノ字どもを書るは、皆借字なりといふにはあらず。正字なる處も多く、又正字とも借字とも、さだかに辦へがたきところも多かり」としている。師(し)はもと音であるが、百師木(ももしき)などのように使われており、これらは音の仮字の例ではなく、訓であるとしている。
○師(し)、巣(す)、洲(す)、酢(す)は古事記編纂以前の時代に中国語から日本語に借用さ れ、日本語として定着していたものであろう。
○狭(さ)。夾(キョウ)の声符をもった漢字には陜西省(センセイショウ)のようにサ行で発音さ れるものもあり、日本語の狭(せまい)も中国語からの借用音が転移したものである可能性があ る。
○田(た・デン)、千(ち・セン)、津(つ・シン)は借用にあたって韻尾が脱落したものである。 「千」、「津」の音は頭音も摩擦音化している。
○手(て・シュ)。音の手(シュ)はわたり音(i介音)の発達により頭音が摩擦音化したものであ る。
[h-]を留めたものである。氷(ひ)では中国語の韻尾は失われている。
○野(ぬ・ヤ)、矢(ヤ・し)。「野」と同じ声符「予」をもつ「杼」は古事記歌謡では杼(ド)に 使われており、「野」も野(ド・ノ)に近い音をもった漢字である可能性がある。野(ヤ)は頭子 音が失われた形であろう。矢(や)は借用にあたり頭子音が失われた形である。
○目(め・モク)。目(め)は借用にあたり韻尾の[-k]が失われたものである。「目」は「眼」、 「眸」とも音義ともに近い。
○尾(を・ビ)。尾の古代中国語音は尾[miuəi]である。[m-]と[w-]はいずれも唇をまるめて発音する合 音であり、転移しやすい。ほかに綿(わた・メン)などの例がある。
また、本居宣長は二合の借字という概念を取り入れて、次のような例をあげている。
例:入(いり)、金(かね)、刈(かり)、熊(くま)、酒(さか)、鉏(すき)、
椎(つち)、鳥(とり)、幡(はた)、耳(みみ)、依(より)、折(をり)、
これらのことばも中国語語源である可能性がある。
○「入」の古代中国語音は入[njiəp]である。また、「入」の朝鮮漢字音は入(ip)である。朝鮮漢字音で は日母[nj-]は語頭音が規則的に失われる。古事記の史(ふひと)は朝鮮半島出身者であり、入(い り・いる)は朝鮮漢字音の影響を受けたことばである可能性がある。
例:日(il)、耳(i)、熱(yeol)、譲(yang)、柔(yu)、弱(yak)、
熱(あつい)、譲(ゆずる)、柔(やわら)、弱(よわい)なども朝鮮半島の漢字音の影響を受け て転移したことばである可能性がある。
○金(かね・キン)、幡(はた・ハン)はいずれも中国語韻尾が[-n]である。「金」の古代中国語音は 金[kiəm]、「幡」の古代中国語音は幡[phiuan]である。日本語では[-m]と[-n]を弁別しないから「金」は 韻尾に母音をつけて、古代日本語では金(かね)となった。一方、「幡」の韻尾は[-n]である。[-n]は
[-t]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。同じ声符の漢字でも因(イン)・嗚咽(エツ)など
[-n]と[-t]は交替する。中国語の音図である韻鏡でも吻(フン)・物(ブツ)は同じ頭音のなかの上声 と入声の差異とされている。
○刈(かり・ガイ)、酒(さけ・シュ)、鉏(すき・ソ・ジョ)、椎(つち・スイ)[diuəi]。「刈」の 日本漢字音は刈(ガイ)であるが古代中国語音は刈[ngiat]であり、韻尾に[-t]があったとされている。 朝鮮漢字音では中国語韻尾の[-t]は地下鉄(ji-ha-cheol)、万年筆(man-nyeon-ppil)のように(-l)に転移す る。刈(かり)は中国語音の転移したものである可能性がある。「酒」は「酢」に近く、日本語の酒 (さけ)は中国語語源である可能性がある。「鉏」は鋤[dzhia]の異字である。鉏(すき)の「す」は 鋤[dzhia]と同源であろう。椎(つち)の古代中国語音は椎[diuəi]とされている。しかし、刈(ガイ) の韻尾に[-t]の音があったように、古代中国語の時代には「椎」の韻尾にも[-t]があった可能性が否定 できない。椎(つち・しい)は中国語語源の日本語であろう。
○熊(くま・ユウ)。熊の音・熊(ユウ)と訓・熊(くま)とは一見似ているようにはみえない。 「熊」の古代中国語音は熊[hiuəm]であり、中国語の喉音[h-]は日本語ではカ行であらわれることが多 い。雲(くも・ウン)も古代中国語音の雲[hiuən]に依拠するものであろう。
○鳥(とり・チョウ)。「鳥」の現代北京音は鳥(diao/niao)である。古代中国語音は鳥[dyu]と推定される。かなり転移はあるものの、日本語の鳥(とり)も中国語の鳥[dyu]と関係のあることばであろう。
○耳(みみ・ニ・ジ)。耳の古代中国語音あるいは唐代中国語音は耳[njiə]であると考えられている。 日母[nj-]は元代までには耳[diə]に近い音に変化し、日本漢字音では呉音が耳(ニ)、漢音が耳(ジ) とされている。しかし、日母[nj-]はわたり音(i介音)が発達してくる隋の時代以前は[m-]に近い音 だったとかんがえられる。日母の声符をもつ「爾」は爾(ニ・ジ)だが、同じ声符をもつ「彌」は 彌(ミ)である。日本漢字音でも壬生(ミブ)、任那(ミマナ)など日母の漢字がマ行で発音され る例がみられる。「耳」は耳(ミ)だった可能性がある。マ行の音が語頭に立つ場合、古代日本語 ではマ行音が重複されることが多い。万葉集では「馬」は「牟麻」、「鰻」は「武奈伎」と表記さ れている例がある。
○依(より・イ)。「依」の古代中国語音は依[iəi]である。ア行・ヤ行・ワ行は転移することが多く、 依(より)は中国語原音からの転移である可能性がある。
○折(おる・セツ)。「折」の古代中国語音は折[tjiat/sjiat]である。中国語原音の語頭音はわたり音(i 介音)の発達ににより失われたものと思われる。韻尾の[-t]がラ行に転移するのは朝鮮漢字音と同じ である。
古事記歌謡では「我」は我(ガ)には使われていない。「我」は阿(あ)または和(わ)で表記さ れている。
阿賀淤富久邇奴斯(あがおほくにぬし)、阿礼波意母閉杼(あれはおもへど)、
和何許々呂(わがこころ)、 和賀意富岐美(わがおほきみ)、
しかし、本文のなかでは「我」は使われている。例えば、有名なイザナギの命とイザナミの命の結婚(みとのまぐわい)の場面では「汝者自レ右廻逢 我者自レ左廻逢」と書かれていて「汝(な)は右より廻り逢へ、我(あ)は左より廻り逢はむ」と読みならわされている。「我」の古代中国語音は我[ngai]である。それではなぜ「我」は我(あ)と読みならわされているのだろうか。「我」の朝鮮漢字音が我(a)だからである。古事記の我(あ)は「我」の朝鮮語転移、あるいは朝鮮語訛りである。つまり、古事記を記録した史(ふひと)にとって我(あ)は訓であり、阿(ア)・和(ワ)は音であったのである。記紀万葉の時代の史が朝鮮半島出身だったことを考えれば、当然のことといえよう。
漢字の日本語読み辞典である漢和辞典にも、やまとことばの辞書である国語辞典あるいは古語辞典にも、朝鮮漢字音の影響についてはほとんど全くふれられていない。
記紀歌謡はそれぞれ120首あまりの歌がおさめられていて、古代の日本語を知るうえにかけがえのない資料である。一方、万葉集は4、516首という膨大な歌を載せた膨大な歌集であり、やまとことばの原型を知るうえで基準点となる資料でもある。
万葉集の表記には大きく分けて三つの方法がある。
(1) 音仮名を主体とした書記法
記紀歌謡と同じ音仮名を主体とした表記で、巻5、巻15、巻17、巻18、巻20などにみら れる。
和多都美乃 宇美爾伊弖多流 思可麻河泊 多延無日爾許曾 安我故非夜麻米
(万3605、作者不詳)
わたつみの 海に出でたる 飾磨河 絶えむ日にこそ 我が恋止まめ
安麻射可流 比奈爾毛月波 弖礼々杼母 伊母曾等保久波 和可礼伎爾家流
(万3698、新羅使)
あまざかる 鄙にも月は 照れれども 妹ぞ遠くは 別れ来にける
安可禰佐須 比流波毛能母比 奴婆多麻乃 欲流波須我良爾 禰能未之奈加由
(万3732、中臣宅守)
あかねさす 昼は物思ひ ぬばたまの 夜はすがらに 哭(ね)のみし泣かゆ
(2) 訓を主体とし、日本語の助詞や助動詞を表記しないもの
人麻呂歌集から万葉集におさめられた歌を含む巻7、巻10、巻11、巻12などに主に使われ ている。助詞や助動詞、活用語尾など日本語に必要な要素が表記われていないため、三十七音節 の短歌は十二文字あるいは十三文字で表記されていることもある。
戀死 戀死哉 我妹 吾家門過行(万2401)
恋死なば 恋も死ねやと 我妹子が 吾家(わぎへ)の門を過ぎて行くらむ
山科 強田山 馬雖レ在 歩吾来 汝念不得 (万2425)
山科の 木幡の山を 馬はあれど 歩(かち)ゆ吾が来し 汝を念(おも)ひかね
足常 母養子 眉隠 隠在妹 見依鴨(万2495)
たらちねの 母ば養(か)ふ蚕(こ)の 繭こもり こもれる妹を 見るよしもがも
(3) 音と訓を併用した書記法
万葉集に最も多い表記法である。訓のなかには古代中国語音の痕跡を留めているものや、万葉集 成立以前の和音の痕跡を留めているとみられる表記法もみられる。
三吉野之 耳我山爾 時無曾 雪者落家留 間無曾 雨者落計類
み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける
其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛不落 念乍叙来 其山道乎(万25)
その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 思いつつぞ来し その山道を
楽浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津(万30)
ささなみの 志賀の辛崎 幸(さき)くあれど 大宮人の 船待ちかねつ
山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨(万81)
山の辺の み井を見がてり 神風の 伊勢乙女ども あい見つるかも
【音借の文字】爾(に)、曾(そ)、家留(ける)、計類(ける)、乃(の)、毛(も)叙(ぞ)、 乎(を)、我弖利(がてり)、
【訓借の文字】之(の)、者(は)、兼津(かねつ)、鶴鴨(つるかも)、
ここで注目されるのは訓借の文字の使用である。之(の)、者(は)は中国語の用法を日本語にあてはめたもので、まさに訓である。しかし、兼(かね)、鴨(かも)は中国語音を転化させた和音である。兼(かね)は兼(ケン)の韻尾に母音を添加したものである。万葉集の時代の日本語には「ン」で終わる音節はなかった。鴨(オウ)の声符は「甲」であり、「甲」の古代中国語音は甲[keap]である。韻尾に[-p]がくる音節も日本語にはないもので、蝶[thyap]などは旧かな使いでは蝶(てふ)とハ行でうつしていた。鴨(かも)は中国語の鴨(コウ)の転移した和音である。
兼津(かねつ)の津(つ)も古い中国語の転移したもので韻尾の[-n]は失われている。鶴鴨(つるかも)の鶴の中国語音は鶴(カク)である。鶴は朝鮮語では鶴(tu-ru-mi)であり、日本語の鶴(つる)は朝鮮語と関係のあることばである。鶴(つる)は万葉集の時代にはすでに日本語として定着したことばであった。
万葉集の助詞や助動詞の表記には、日本語として定着した中国語からの借用語がしばしば使われている。
例:金(かね・こむ)、君(くに・きみ・く)、雲(くも)、兼(かね・けむ)、監(けむ)、
甘(かむ)、今(こむ)、三(さむ)、染(しみ・そむ)、弾(だに)、泉(づみ)、
南(なむ)、万(まに)、群(むら)、濫(らむ)、丸(わに・まろ)、など
音は漢字の義を捨てて漢字の音で日本語を表記したものであり、訓は漢字の音を捨てて漢字の義に近い日本語をあてたものである。ところが、次の例では漢字の訓読みを他の日本語音に援用したもので、もとの漢字とは音義ともに関係がない。
止曾金鶴(万178) とめそ金鶴(かねつる)、
今還金(万3322) いまかへり金(こむ)、
雖レ見不レ飽君(万1721) みれどもあかな君(くに)、
悪有莫君爾(万2659) にくくあらな君(く)に、
面智男雲(万160) おもしらな雲(くも)、
名具鮫兼天(万194) なぐさめ兼(かね)て、
相見始兼(万612/750) あひみそめ兼(けむ)、
裏戀監(万3203) うらこひし監(けむ)、
僧半甘(万3846) はふし半(はな)甘(かむ)、
乱今可聞(万2927) みだれ今(こむ)かも、
戀八九良三(万1925) こひやくら三(さむ)、
山名付染(万1332) やまなつか染(しみ)、
衣染云(万569) ころも染(そむ)といふ、
可久夜嘆敢(万901) かくやなげ敢(かむ)、
今夕弾(万3119) こよひ弾(だに)、
庭多泉(万178) にはた泉(づみ)、
去別南(万155) ゆきわかれ南(なむ)、
遣之万万(万3291) まけの万万(まにまに)、
天乃鶴群(万1791) あめのたづ群(むら)、
待戀奴濫(万651) まつこひぬ濫(らむ)、
相狭丸(万2362) あふさ丸(わに)、
丸寐乎為者(万1787) 丸(まろ)ねをすれば、
○万葉集の時代の日本語には「ン」という音節が発達していなかったので中国語音はナ行、マ行、ラ 行に転移して和音となった。雲(くも・ウン)の古代中国語音は雲[hiuən]であり、日本語の訓は古代 中国語の喉音[h-]の痕跡を留めている。群(むら)、丸(まろ)は群[giuən]、丸[huan]の頭音[g-]・[h-] が脱落して、わたり音の[-u-]が転移してマ行になり、韻尾の[-n]がラ行に転移したものであろう。ナ行 とラ行は調音の位置が同じであり、転移しやすい。
日本の古地名でも[-n]・[-m]に母音をつけてナ行・マ行・ラ行で読むものは多い。
ナ行:信濃、因幡、讃岐、養訓(やまくに)、
マ行:浜名、男信(なましな)、
ラ行:駿河、播磨、平群、敦賀、訓覔(くるべき)、
地名は万葉集が成立する以前からあった古い日本語の形を今に伝えているものが多い。日本の古地名には中国語原音の韻尾[-ng]の転移形を伝えているものがあり、万葉集にもいくつかその例をみることができる。
例:香(か・かぐ・かご)、
天乃香具山(万2) あめの香(か)ぐやま、
神乃香山(万260) かみの香(かぐ)やま、
伊香山(万1533) い香(かご)やま、
香吉(万4169) 香(かぐはし)き、
香(か)・香(かぐ)・香(かご)はいずれも中国語の香[xiang]が転移した和音である。隋唐以前の中国語音はわたり音(i介音)が発達していなかったから香[xag]に近かったものと思われる。万葉集のなかには次つぎのような例もみられる。
香乎礼流國尒(万162) 香(か)をれる国に
香君之(443) 香(にほへる)きみが、
しかし、万葉集には香(呉音)コウ、も香(漢音)キョウもみえない。香(かぐ・かご)は古代中国語音の韻尾を反映している音である。香(か)は古代中国語の韻尾が脱落した和音であろう。香(かをり)ということばも中国語の「香」あるいは「薫」と関係のあることばであろう。「香」はその後、香(コウ)、香車(キョウ)、香港(ホン)、香菜(シャン)などと転移していく。香港は広東語で香港(heung
gong)であり、香菜は現代北京語で香菜(xiang cai)である。日本漢字音の呉音、漢音などが定着したのは平安時代のことである。
例:相(さが)、
相楽山乃(万481) 相(さが)らかやまの
相模禰乃(万3362) 相(さが)むねの
相の古代中国語音は相[siang]であったとされている。「相」も隋唐以前の時代までさかのぼるとわたり音(i介音)は弱かったので相[sag]に近かったものと思われる。日本の古地名で中国語原音の[-ng]がガ行音に転移したものとしてはつぎのような例をあげることができる。
例:愛宕(おたぎ)、英太(あがた)、餘綾(よろぎ)、望陀(まぐた)、望多(まうた)、
芳賀(はが)、香美(かがみ)、伊香(いかご)、楊生(やぎふ)、高楊(たかやなぎ)、
當麻(たぎま・たいま)、
「英」の古代中国語音は英[yang]である。しかし、『和名抄』には英虞(あご)、英賀(あが)、英多(えた)、などの例もあり、少なくとも平安時代までには韻尾の[-ng]は弱まっていたものと思われる。「英虞」の「虞」は末音添記で、この語尾を正しくガ行で読ませるためにつけ加えられたものである。「芳賀」の「賀」もやはり、末音添記であろう。望陀(まぐた)、望多(まうた)、當麻(たぎま・たいま)、も望陀(まぐた)、當麻(たぎま)は古い読み方であり、望多(まうた)、當麻(たいま)が平安時代の一般的な発音になっていたものと思われる。
万葉集を記録した史(ふひと)はどのような音韻体系をもっていたのだろうか。万葉集巻5は音主体の表記であるが、そこに使われている漢字の読み方を調べてみると、次のようなことが分かる。
(1)万葉集では呉音が使われている。
馬(○マ×バ)、梅(○メ×バイ)、美(○ミ×ビ)、 尾(○ミ× ビ)、 微(○ミ×ビ)、
武(○ム×ブ)、無(○ム×ブ)、 米(○メ×ベイ)、賣(○メ×バイ)、儛(○ム×ブ)、
母(○モ×ボ)、忘(○モ×ボウ)、聞(○モ×ブン)、奴(○ヌ×
ド)、 努(○ヌ・ノ×ド)、
○ 万葉集では呉音がつかわれていて、漢音はまだない。「馬」が馬(バ)になり、「梅」が梅(バ イ)になったのは万葉集以降のことである。万葉集時代の「馬」は馬(うま・むま・マ)であり、 「梅」は(うめ・むめ・メ)であった。いすれも中国語からの転移である。
○ 「尾」は万葉の時代の日本語では尾(を・ミ)であった。を(wo)とミ(mi)は同じく唇をまるめる合 音であり、転移しやすい。尾(を)も尾(ミ)も同じく中国語語源である。忘(わすれる・モ・モ ウ)も中国語と関係のあることばである可能性がある。
○ 「無」は無(ない・ム)であった。マ行とナ行はいずれも鼻に抜ける音であり、調音の位置も近 く、転移しやすい。鳴(なく・メイ)、猫(ねこ・ミョウ・ビョウ)、苗(なえ・ミョウ・ビョ ウ)なども中国語原音からの転移であろう。
○ 「米」は米(こめ・メ・マイ)であった。現代の上海語では「米」は米(hmi)でmの前に入りわた り音(h)があるという。(『上海語常用同音字典』光文社による)この入りわたり音が日本語では米 (こめ)になったのであろう。上海語では「毎」も毎(hmai)である。「海」の声符は「毎」であり、 中国語の海(hai)は入りわたり音が発達したものであり、日本語の海(カイ)は中国語の喉音がカ行に 転移したものである。やまとことばの海(うみ)は入りわたり音が失われ、馬、梅のようにmの前に 母音が添加されたものである。
○ 万葉集の時代の「舞」は舞(まふ・ム)である。舞(まふ)も中国語の舞(ム)と関係のあるこ とばであろう。
(2)日本語では濁音は語頭にこない。
日本語では一般に濁音は語頭にこない。鳥(とり)は山鳥(やまどり)となると濁音になり、魚(さかな)は川魚(かわざかな)となり、語中や語尾では濁音になる。このため万葉集でも、同じ文字が濁音にも清音にも使われていることが多い。
例:等伎波奈周(万805) 等(と)きはなす
阿蘇倍等母(万836) あそべ等(ど)も
阿末能古等母等(万853)あまのこ等(ど)も等(と)
しかし、濁音に主として使われる漢字もある。「怒」、「努」が「ど」に使われることはないのは、万葉集の時代にはまだ漢音がなかったからであるが、万葉集の時代に「ど」という濁音がなかったわけではないので、万葉集巻5でも「騰」、「度」、「杼」、などは「ど」によく使われている。また、「登」、「等」は「と」にも「ど」にも使われている。
(3)万葉の時代には「ン」で終わる音節はなかった。
日本語の音節は母音で終わる開音節だから、中国語の韻尾/-n/、/-m/は万葉集の漢字音では脱落する。音を主として表記されている巻5には次のような例がみられる。
例:安(ア)、延(エ)、散(サ)、丹(タ)、千(ち)、津(つ)、天(テ)、仁(ニ)、
伴(ハ)、半(ハ)、播(ハ)、賓(ヒ)、嬪(ヒ)、返(ヘ)、辺(へ)、便(べ)、
万(マ)、満(マ)、萬(マ)、民(ミ)、面(メ)、遠(ヲ)、怨(ヲ)、
これは中国語音の転移であり、万葉集の時代の漢字音、つまり和音であるといえる。千(ち・セン)、津(つ・シン)では頭母音も摩擦音に転移している。
音表記の多い巻5には金(かね)、君(きみ)、濱(はま)、嬪(ひめ)、万(まに)のような用例はみられない。金(かね・キン)のように「ン」のあとに母音を添加するのは万葉集の時代より以前、例えば雄略天皇の時代の転移音、和音であろう。
ここでは万葉集の時代の転移音を和音とし、同じ和音のなかでもより古い形と考えられる金(かね)など万葉集以前の時代の和音を弥生音と呼ぶことにする。弥生音は弥生時代、古墳時代に行われていたと考えられるが、源氏物語の時代にも蘭(らに)などがみられ、江戸時代になっても銭(ぜに)、大店(おおだな)などに受け継がれている。
(4)中国語の韻尾は脱落する。
例:久(○ク×キュウ)、口(○ク×キュウ)、遇(○グ×グウ)、隅(○グ×グウ)、
柔(○に×ニュウ・ジュウ)、農(○ぬ×ノ・ノウ・ドウ)、方(○ほ×ホウ)、
楊(○や×ヨウ)、由(○ユ×ユウ)、用(○よ×ユウ・ヨウ)、
容(○よ×ユウ・ヨウ)、良(○ら×ロウ・リョウ)、流(○ル& times;リュウ)、
留(○ル×リュウ)、漏(○ろ×ル・ロウ)、
注:カタカナ表記は日本漢字音(呉音・漢音)であり、ひらがな表記は万葉集で使われてい る和音である。
久(ク)、口(ク)、由(ユ)は呉音である。朝鮮漢字音も久(ku)、口(ku)、由(yu)であり、万葉集の読み方は朝鮮漢字音と同じである。万葉集の漢字音には朝鮮漢字音と似ているものがある。これらの漢字の古代中国語音は久[kiu]、口[kho]、由[jiu]であると考えられている。しかし、中国語のわたり音(i介音)が発達してきたのは隋の時代であり、朝鮮漢字音も万葉集の漢字音も古い時代の中国語音の痕跡を留めていると考えることもできる。やまと朝廷の官位である宿禰(すくね)も朝鮮漢字音の宿(suk)と同じである。
「柔」の訓である柔(にこや)は「柔」の転移である可能性がある。
「楊」は万葉集巻5では楊那宜(やなぎ)となってあらわれる。古地名などの楊(やぎ)あるいは楊(やなぎ)は万葉集の時代の和音では失われている。楊(や)は万葉集の時代の和音であり、楊(やぎ・やなぎ)は弥生音であるといえる。
(5)中国語のわたり音(i介音)は脱落する。
例:有(○ウ×ユウ)、意(○オ×イ)、迦(○カ×キャ)、許(○コ×キョ)、
巨(○コ×キョ)、期(○ゴ×キ)、其(○ゴ×キ)、社(○ザ× シャ)、
射(○ザ・サ×シャ)、周(○ス×シュウ)、受(○ズ・ス×ジュ)、殊(○ズ
×シュ)、 叙(○ゾ×ジョ)、名(○な×ミョウ・メイ)、汝(○な& times;ニョ・ジョ)、
居(○を×キョ)、良(○ら××ロウ・リョウ)、呂(○ロ× リョ)、
中国語音にわたり音(i介音)が発達してきたのは隋の時代だといわれている。万葉集の漢字音は隋の末期あるいは唐の初期の中国語音に依拠しているものと思われる。
(6)中国語の韻尾-p/-t/-kは脱落する。
例:吉(キ)、則(ソ)、俗(ゾ)、必(ヒ)、別(ベ)、末(マ)、目(め・マ)、
物(モ)、欲(ヨ)、越(ヲ)、列(レ)、例(レ)、
(7)朝鮮漢字音の影響がみられる。
例:我(あ・ガ・わが・われ)、吾(あ・あが・あれ×ゴ)、日(ひ×ニチ・ジツ)、
我(ガ)、吾(グ・ゴ)、日(ニチ・ジツ)の古代中国語音は我[ngai]、吾[nga]、日[njiet]である。これらの漢字の朝鮮漢字音は我(a)、吾(o)、日(il)である。万葉集巻5にみられる我あ)、吾(あ)は朝鮮漢字音の影響である。朝鮮漢字音では疑母[ng-]、日母[nj-]の頭母音は規則的に脱落する。「日」日(il)は日本(il-bon)の日(il)であるが、万葉集巻5では日(ひ)に使われている。朝鮮語の日、太陽は日(hae)である。万葉集巻5の日(ひ)は「日」の朝鮮語の訓読みである。
「わが」は万葉集巻5では「和我」、「阿我」、「安我」、などと表記されているものもある。疑母[ng-]は明母[m-]と調音の方法が同じであり、転移しやすい。また、日本語のマ行とワ行はともに唇をまるめて発音する合音であり、転移しやすい。我(あ・ガ・わが・われ)、吾(あ・あが・あれ)はいずれも中国語語源であり、中国語音の転移したものである。
万葉集の時代は日本は国際化の時代であった。また、日本語の歴史のなかでみるとバイリンガルの時代でもあった。朝鮮半島出身の史(ふひと)が文字をつかさどり、山上憶良などが中国大陸と往還していた。渡来人、帰化人が日本文化の内部に入りこみ、日本文化の一部をなしていたのが万葉集の時代である。渡来人自身は、自分たちのことを「大和人」だと思っていた可能性すらある。
漢字には通常、呉音と漢音と呼ばれる二つの読み方がある。
(呉音)経文(キョウモン)、文書(モンジョ)、 金色(コンジキ)、今昔(コンジャク)、
(漢音)経書(ケイショ)、 文章(ブンショウ)、金銀(キンギン)、古今(コキン)、
(呉音)世間(セケン)、 正体(ショウタイ)、成就(ジョウジュ)、殺生(セッショウ)、
(漢音)中間(チュウカン)、正方(セイホウ)、 成功(セイコウ)、 生殺(セイサツ)、
(呉音)燈明(トウミョウ)、末期(マツゴ)、
(漢音)明白(メイハク)、 期間(キカン)、
呉音とは何か。また、漢音とは何か。一般に「呉音」は六朝時代末期(おもに南朝の劉宋)の音系を反映し、漢音は唐代の長安音の音系を反映しているといわれている。日本と中国の文化的交流の歴史は古い。『宋書』(488年、沈約編)の「倭国伝」には、倭の五王が南朝宋と接触を10回も重ねたことが記録されている。倭王武(雄略天皇)は、478年に長文の手紙を送っている。また、『日本書紀』には雄略2年「史部をおく」という記事が記録されている。(『日本書紀』)とある。この時代に流入した漢語は江南(かつての呉の地)の中国語であった。5、6世紀には南朝宋を宗主とみなしていたため、流入した漢語は江南(かつての呉の地)の中国語であった。
ところが隋が南北分裂に終止符を打ち、全国を統一すると618年には長安が都になる。608年遣隋使小野妹子らが隋に赴き、630年には最初の遣唐使が唐を訪問した。そして、やがては唐の漢字音が正音とされ、漢音と呼ばれるようになった。漢音と呉音の違いを整理してみると次のようになる。
1.漢語の明母(m)は呉音ではマ行、漢音ではバ行
米(マイ・ベイ)、馬(メ・バ)、万(マン・バン)、文(モン・ブン)、
2.漢語の泥母(n)は呉音ではナ行、漢音ではダ行
泥(ナイ・デイ)、奴(ヌ・ド)、難(ナン・ダン)、男(ナン・ダン)、
3.漢語の日母(nj)は呉音ニ・ネ、漢音ジ・ゼ、
二(ニ・ジ)、人(ニン・ジン)、然(ネン・ゼン)、日(ニチ・ジツ)、
4.漢語の濁音は呉音では濁音、漢音では清音
期(ゴ・キ)、求(グ・キュウ)、強(ゴウ・キョウ)、下(ゲ・カ)、胡(ゴ・コ)、
杜(ズ・ト)、直(ジキ・チョク)、治(ジ・チ)、神(ジン・シン)、食(ジキ・ショク)、
成(ジョウ・セイ)、歩(ブ・ホ)、平(ビョウ・ヘイ)、白(ビャク・ハク)、
5.漢語の匣母の合口は呉音ワ行、漢音カ行
絵(エ・カイ)、恵(エ・ケイ)、廻(エ・カイ)、和(ワ・カ)、
また、中国語の韻尾についても次のような対応がみられる。
1.漢語の韻尾[-ng]の読み方
青(ショウ・セイ)、生(ショウ・セイ)、京(キョウ・ケイ)、経(キョウ・ケイ)、
形(ギョウ・ケイ)、名(ミョウ・メイ)、
2.中国語のわたり音(i介音)の読み方
昔(シャク・セキ)、碧(ヒャク・ヘキ)、益(ヤク・エキ)、
3.呉音(ウ・ユ)、漢音(コウ・ユウ)、
口(ク・コウ)、後(ゴ・コウ)、頭(ヅ・トウ)、有(ウ・ユウ)、留(ル・リュウ)、
工(ク・コウ)、功(ク・コウ)、通(ツウ・トウ)、
中国にも呉音、漢音という呼び方はある。呉音というのは江南の南朝式発音、漢音というのは長安のことばである。唐の時代になると呉音とは南方訛りの音としてさげすまれるようになる。
日本で呉音と漢音を区別する風潮が生れたのは奈良朝の末期である。万葉集の音仮名には漢音はまだ使われていない。平安時代になると儒家では漢籍の読み方が漢音に統一されてきた。ところが仏僧の世界では長い間読みならわされてきた呉音が残った。
呉音、漢音というとブリティシ・イングリッシとアメリカン・イングリッシの違いのように聞こえるがいずれも和音化した日本漢字音のことである。日本語の音韻体系と中国語の音韻体系は違うからいずれにしても日本語の音韻体系に合わせて転移している。
漢和辞典は漢字音の規範を示すものだから、平安時代の儒家の音を唐代の長安音に依拠したものだとしてかかげ、それ以前の和音と佛家が慣用として使用してきた音を呉音として掲げている。しかし、古事記や万葉集の史(ふひと)は辞書に呉音として掲げられている以外の音にも漢字を転用している。そのひとつの例として「我」についてみてみることにする。漢字の音を主体とした表記が用いられている万葉集巻5について「我」の使われ方を調べてみると次のようになる。
伊毛尒可阿我世武(万795) いもにかあ我(が)せむ
和我覇能曾能尒(万810) わ我(が)へのそのに
阿我農斯能(万882) あ我(が)ぬしの
安我多米波(万892) あ我(が)ために
我身上尒(万897) 我(わが)みのうへに
寶毛我波(万904) たからも我(われ)は
我例乞能米登(万904) 我(あ)れこひのめど
漢和辞典によれば「我」は我(呉音)ガ・(漢音)ガである。しかし、実際に万葉集で使われている漢字音は我(が・わが・われ・あ)である。我(ガ)は中国の江南音でもあり、唐の時代の長安音でもあったのだろうか。現代の広東音、北京音、朝鮮漢字音について調べてみると次のようになる。
「我」 (広東音)ngoh、(北京音)wo、(朝鮮漢字音)a
現代の広東音、北京音、朝鮮漢字音が万葉集の時代の広東音、北京音、朝鮮千漢字音をどの程度反映しているかは確かめようがないが、万葉集の時代のそれぞれの地域の漢字音を知るすべはほかにないので、現在の漢字音から類するすると、万葉集に使われいる我(が)は広東音(ngoh)に近く、我(わ)は北京音(wo)に近く、我(あ)は朝鮮漢字音(a)に近いということがいえる。
和我(わが)、阿我(あが)、安我(あが)などの表記は、朝鮮半島で用いられた両点という表記法で、一種のバイリンガル表記である。朝鮮では「天」を天(ha-nal
jeon)、「地」を地(sta
da)というように朝鮮語の訓と朝鮮漢字音をかさねて読む翻訳法が行われていた。天(ha-nal)、地(sta)は朝鮮語の天地であり、天(jeon)、地(da)は天地を朝鮮漢字音で読んだものである。日本でも千字文の「天地玄黄」を「テンチのあめつちは、クエンクワウとくろきなり」とバイリンガルに読むことが行われていた時期がある。「わが」は「我(wo)つまり我(ngoh)」、「あが」は「我(a)つまり我(ngoh)」と「我」の転移形を重ねたものである。
日本漢字音の呉音と江南地方の漢字音とはどのような関係にあるのだえろうか。現代の広東音、北京音、それに朝鮮漢字音について調べてみると次のようになる。
呉音 漢音 和音 広東音 北京音 朝鮮音
絵(呉)ヱ、 (漢)カイ、 (広)wuih、 (北)hui、 (朝)hui、
黄(呉)オウ、 (漢)コウ、 (和)き、 (広)wohng、 (北)huang、(朝)hwang、
火(呉)カ、 (漢)カ、
(和)ひ・ほ、(広)fo、 (北)huo、 (朝)hwa、
名(呉)ミョウ、(漢)メイ、 (和)な (広)mihng/meng、
(北)ming、(朝)myeong、
香(呉)コウ、 (漢)キョウ、(和)か、 (広)heung、 (北)xiang 、(朝)hyang、
残念ながら古代の江南音を復元することはできないが、現在の広東音でみるかぎり、絵(ヱ)、黄(オウ)、名(ミョウ)、香(コウ)は江南音に近いようである。「火」は和音の火(ひ・か)が江南音に準拠しているようにみえる。和音の黄(き)、名(な)、香(か)は韻尾が脱落して和音化したものであろう。万葉集では漢字の「火」は火(カ)と読む例はなく、火(ひ・び・ほ)である。「名」はかなり頻繁に使われているが、名(ミョウ)、名(メイ)と読むものは1回もなく、すべて名(な)である。火(ひ)、名(な)は普通訓とされているが、漢字渡来以前から日本列島で使われていた「やまとことば」ではなく、8世紀より以前に日本語のなかに取り入れられ和音化した中国語語源のことばである。万葉集の時代には呉音よりも、むしろその和音化したものが多く使われていた。
和音にも二種類の和音がある場合がある。例えば「香」は呉音が香(コウ)、漢音が香(キョウ)であるが、万葉集では香(か・かぐ)と二種類の和音に使われている。
天乃香具山(万2) あめの香(か)ぐやま
神乃香山(万259) かみの香(かぐ)やま
須疑尒家流香母(万3600) すぎにける香(か)も
この場合香(か)は音仮名表記の多い巻15にも使われていて、万葉時代の和音であるといえる。しかし、香(かぐ)という読み方は万葉集の音仮名には使われていない。香(かぐ)は万葉集の時代より前の時代の和音の痕跡である。「香」の古代中国語音は香[xiang]である。中国語韻尾の[-ng]がガ行音などとして添加されるのは古地名などに多い。
相楽山乃(万481) 相(さが)らかやまの
常世有跡(万446) 常(とこ)よにあれど
川楊乃(万1723) かは楊(やぎ)の
作冢矣(万1801) つくれる冢(つか)を
二音節の和音は万葉集のなかではもはや、音表記の巻には使われていない。これらの和音は5世紀、あるはそれ以前の時代に日本に入ってきたもので、ここでは仮にこれを弥生音と呼ぶことにする。
呉音 漢音 弥生音(和音)
馬 メ バ うま
梅 マイ バイ うめ
文 モン ブン ふみ
絹 ケン ケン きぬ
浜 ヒン ヒン はま
幕 マク バク まく
筆 ヒチ ヒツ ふで
竹 チク チク たけ
菊(キク・きく)、肉(ニク・にく)、服(フク・ふく)、鉄(テツ・てつ)、熱(ネツ・ねつ)、などでは和音と呉音が同じである。漢和辞典のなかには菊(音)キク、菊(訓)きく、などとしているものもみられる。しかし、これらは「やまとことば」が偶然中国語音と一致することを意味するのではなく、漢字の音・訓が定着する平安時代にはすでに日本語として定着していたことを意味するだけである。
中国語語源の日本語としてはさらに次のようなものをあげることができる。
巣(ソウ・す)、洲(シュウ・す)、稗(ヒ・ひえ)、舌(ゼツ・した)、眉(ビ・まゆ)、
腋(エキ・わき)、奥(オウ・おく)、燠(オウ・おき)、澳(オウ・おき)、
古い時代の借用語のなかには、常用の漢字が変わってしまったものもある。澳(おき)には沖(おき)が使われるようになった。塞(ソク・サイ)は万葉集では塞(せき)にあてられているが、これも関(せき)に置き換えられてしまった。鳥の鷺(さぎ)は鵲(さぎ)だったが、「鵲」は鵲(かささぎ)にあてられるようになった。植物の「蓮」は荷子(はす)の借用であるが、あてはめる漢字が変わってしまったものである。
辞書は文字の規範を示すものだから、転移については述べられていない。しかし、古い時代に日本語のなかに入ってきた借用語のなかには呉音ばかりでなく、朝鮮漢字音の影響をうけたもの、日本語の音韻構造に合わせて転化したものが多くみられる。とりわけ呉音、漢音の区別は平安時代に確立されたものだから、古事記や万葉集の漢字の読み方は漢和辞典に載せられている音とはかなり違っている。カナ以前の日本語、漢字だけで書かれた日本語のなかに古代の日本語の姿は埋もれている。万葉集は8世紀に成立しているが、万葉集の文字の背後には、弥生時代からの、稲作や鉄を通じての中国文明とのはかり知れない悠久の歴史の記録が残されている。万葉集の漢字は日本語の歴史の歩みを貫いて、幾重にも重なることばの歴史の断面である。
万葉集は呉音で書かれているといわれている。万葉集の史(ふひと)は中国語を表記するために作られた漢字で、音韻体系の異なる日本語をどのように表記したのだろうか。そして、万葉集の時代の日本語はどのような音韻体系をもっていたのだろうか。万葉集のなかでも音主体の巻として知られる巻5について検証してみることにしたい。
余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理(万793)
大伴旅人
伴之伎与之 加久乃未可良尒 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左(万796)
山上憶良
波漏々々尒 於忘方由流可母 志良久毛能 知弊仁邊多天留 都久紫能君仁波(万866)
吉田宣
於登尒吉岐 目尒波伊麻太見受 佐容比賣我 必礼布理伎等敷 吉民萬通良楊満(万883)
三島王
世の中は むなしきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり(大伴旅人)
はしきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなさ(山上憶良)
はるばるに 思ほゆるかも 白雲の 千重にも 隔てる 筑紫の国は(吉田宣)
音に聞き 目には未だ見ず 佐用嬪が 領布振りきとふ 君松浦山(三島王)
大伴旅人の歌についてみると牟(ム・ボウ)、母(モ・ボ)、流(ル・リュウ)、家(ケ・カ)と概ね呉音(下線)が使われているようにみえる。しかし、万(マ)は呉音でも漢音でもない。「万」の呉音は万(マン)、漢音は万(バン)である。
これは、万葉集の時代の漢字未熟であったからではなく、万葉集の時代には万(マン・バン)という漢字音がなかったからではなかろうか。山上憶良の歌では伴(ハ)、吉田宣の歌では仁(ニ)、邊(ヘ)、天(テ)、君(ク)、三島王の歌では民(ミ)、萬(マ)、満(マ)であり、「ン」で終わる音節はすべて韻尾が脱落している。
万葉集の時代の日本語には「ン」がなかった。
これらの漢字について巻5だけでなく、万葉集全体での使われ方を調べてみると次のようになる。
伴(とも・ハ・×ハン・×バン)、 万(よろづ・マ・マニ・×マン・×バン)
仁(ニ・×ニン・×ジン) 邊(あたり・ヘ・×ヘン)
天(あめ・そら・テ・×テン) 君(きみ・くに・ク・×クン)
民(たみ・ミ・×ミン) 満(みつ・たる・マ・×マン)
「万」には万(マ)と万(マニ)のように末尾に母音が添加された形もあるが、「ン」で終わる音節を表記したものはひとつもない。「万」は万代尒(万80)は「よろづよに」、遣之万万(万3291)は「まけのまにまに」と読みならわされている。そこで問題は万(マ)とは何か、万(マニ)とは何かということになる。万葉集の史(ふひと)は漢和辞典にも載っていない漢字の使い方をしていることになる。
漢和辞典は漢字の読み方の規範を示すことが第一の目的である。もうひとつの目的は日本における漢字の使い方を記述することにある。呉音というのは中国の江南地方の発音に依拠した日本漢字音だとされている。また、漢音は隋唐の時代の長安音に依拠した日本漢字音だとされている。呉音は仏教の経典を読むのに主に使われ、漢音は儒教の典籍を読むのに主に使われている、ともいわれている。
万(マ)は主に万葉集巻5など音を主体にした巻に使われていることから、万葉集時代の和音だったと考えることができないだろうか。万(マニ)は訓を主とした巻に使われていることから、万葉集の時代にはすでに訓(やまとことば)と感じられるほどに日本語のなかにとけこんでいたことばではなかろうかと考えられる。これは万葉集以前の借用音であるから、仮に弥生音と呼ぶことにする。
すると万葉集の漢字音はつぎのように構成されていることになる。
やまとことば 弥生音 和音 呉音 漢音
伴 とも ――
ハ ×ハン ×バン
万 よろづ まに マ ×マン ×バン
仁 ひと ―― ニ ×ニン ×ジン
邊 あたり ―― ヘ
×ヘン ――
天 そら あめ テ ×テン ――
君 ―― きみ・くに ク ×クン ――
民 たみ ―― ミ ×ミン ――
満 たる みつ マ ×マン ――
和音というのは万葉集の時代の日本漢字音である。万葉集で使われている漢字音のうち、今まで訓だと考えられてきた和音の例としては次のようなものをあげることができる。
例:帆(ほ)、田(た)、津(つ)、邊(へ)、
弥生音は万葉集の時代以前に中国語から借用したと考えられる日本漢字音である。弥生音の例としては次のような例をあげることができる。
例:君(きみ)、殿(との)、濱(はま)、肝(きも)、蝉(せみ)、鎌(かま)、闇(やみ)、
免(まぬがる)、兼(かねる)、染(しみる・そめる)、進(すすむ)、
ことばは変化する。天(あめ)は天(テン)の頭子音が脱落したものではあるまいか。また、満(みつ)は満(マン)の韻尾[-n]がタ行に転移したものではあるまいか。天(あめ)のほかにも、万葉集には中国語の頭子音が脱落したとおもわれることばがいくつかみられる。今(いま)、犬(いぬ)、禁(いむ)、山(やま)、怨(うらむ)などである。これらのことばの特色は、中国語原音に[-i-]介音(わたり音)などが含まれていることである。
天[thyen]、 今[kiəm]、 犬[khyuan]、 禁[kiəm]、 山[shean]、 怨[iuam]、
これらの「やまとことば」は万葉集以前の時代に中国語から借用されたことばである可能性が高い。このほかにも、中国語の韻尾[-n]または[-m]が日本語ではタ行、あるいはラ行に転移したと考えられることばがいくつかある。
【タ行転移】満(みつ)、堅(かたい)、琴(こと)、本(もと)、肩(かた)、
【ラ行転移】因(より)、縁(より)、塵(ちり)、昏(くれ)、漢・韓(から)、玄(くろ)、
群(むれ)、鳫(かり)、辛(からい)、
中国語では同じ声符号をもつ漢字で韻尾がナ行[-n]になるものとタ行[-t]になるものがある。
本(ホン)・鉢(ハチ)、因(イン)・咽(エツ)、産(サン)・薩(サツ)、
欽(キン)・欠(ケツ)、
タ行[-t]の音のほうがナ行[-n]の音より古いと考えられている。また、朝鮮漢字音では中国語の韻尾[-t]は規則的に[-l]に転移する。
一(イル)、日本(イルボン)、地下鉄(チハチョル)、万年筆(マンニョンピル)、
万葉集の日本語では中国語韻尾の[-n]がラ行に転移しているものが多くみられる。タ行・ラ行はナ行と調音の位置が同じであり、転移しやすい。
万葉集の時代の日本語には中国語の韻尾[-ng]にあたる音がなかった。
先に引用した万葉集巻5の歌(万793、万796、万866、万883)について中国語原音の韻尾が[-ng]であるものは、日本語では次のように転移している。
等[təng]ト、良[liang]ラ、忘[miuang]モ、方[piuang]ホ、登[təng]ト、容[jiong]ヨ、通[thong]ツ、
楊[jiang]ヤ、
これらの漢字の現代の日本漢字音は等(トウ)、忘(ボウ・モウ)、方(ホウ)、登(トウ)、容(ヨウ)、通(ツウ)、楊(ヨウ)であり、中国語の韻尾を「ウ」で表示している。万葉集の時代の日本語には、このような音節はなかったのである。このような音節が日本語に定着してきたのは平安時代以降のことである。中国語からの借用語が多くなったため、中国語の影響で日本語の音韻構造が変わったのである。
楊は楊(ヤ)のほかに楊(ヤギ)あるいは楊(やなぎ)という読み方もある。中国語の[-ng]は古代中国語音では[-k]に近かったらしい。同じ声符をもった漢字でも韻尾がカ行で現われるものと「ウ」で表示されるものがある。
暴(ボウ):爆(バク) 交(コウ):較(カク) 広(コウ):拡(カク)
消(ショウ):削(サク) 抽(チュウ):笛(テキ)
繍(シュウ):粛(シュク)
悼(トウ):卓(タク) 夭(ヨウ):沃(ヨク) 容(ヨウ):欲(ヨク)
現代の日本語でも祝言(シュウゲン)、句読点(クトウテン)、拍子(ヒョウシ)などのように祝(シュク・シュウ)、読(ドク・トウ)、拍(ハク・ヒョウ)などの転移がみられる。万葉集のなかでも楊(ヨウ・やぎ)だけでなく、中国語の[-ng]がカ行であらわれるものがいくつかみられる。
香(かぐ):香山之(万259)かぐやまの、 神乃香山(万260)かみのかぐやま、
景・影(かげ):面景為而(万602)おもかげにして、 夕影尒(万1622)ゆふかげに、
莖(くき):水莖之(万968)みづくきの、 水莖能(万2193)みづくきの、
相(さが):相楽山乃(万481)さがらかやまの、 相模祢乃(万3362)さがむねの、
咲(さく):咲而散去流(万120)さきてちるぬる、 咲花毛(万478)さくはなも、
雙六(すごろく):雙六乃佐叡(万3827)すごろくのさえ、 雙六乃(万3838)すごろくの、
冢・塚(つか):作冢矣(万1801)つくれるつかを、
當(たぎ):落當知足(万2164)おちたぎちたる、 當都心(万2432)たぎつこころ、
就(つく):海片就而(万1062)うみかたづきて、 三諸就(万1095)みもろつく、
造(つくる):宅乎毛造(万460)いへをもつくり、 造木綿花(万912)つくるゆふはな、
床(とこ):磐床等(万79)いはとこと、 玉床之(万216)たまとこの、
常(とこ):常滑乃(万37)とこなめの、 常世尒成牟(万50)とこよにならむ鳴(なく)、
楊(やぎ):川楊乃(万1723)かはやぎの、 余跡川楊(万1293)あどかはやなぎ、
柳(やぎ):青柳乎(万1432)あをやぎを、 梅柳(万949)うめやなぎ、
良(よき):良跡吉見而(万27)よしとよくみて、 良人四来三(万27)よきひとよくみ、
これらの読み方は万葉以前の時代の漢字音の痕跡を留めたものである。弥生時代から古墳時代にかけての中国大陸との交流のなかで借用されたものと考えられるので、仮に弥生音と呼ぶことにする。就(シュウ・つく)、造(ゾウ・つくる)、床(ショウ・とこ)、常(ジョウ・とこ)については頭子音にも転移がみられる。これは、タ行の音が摩擦音化してサ行に転移したものである。また、柳(リュウ・やぎ)、良(リョウ・よき)ではラ行の頭音が脱落している。「柳」、「良」の朝鮮漢字音は柳(yu)、良(yang)であり、朝鮮漢字音では[-i-]介音を伴ったラ行音は規則的に脱落する。古代日本語でもラ行音が語頭にくることはなかった。
「香」についてみると、万葉集ではさまざまな読み方が行われている。
天乃香具山(万2) あめのかぐやま、
神乃香山(万260) かみのかぐやま、
香君之(万443) にほへるきみが、 香吉(万4169) かぐはしき、
万葉集の漢字の読み方を整理してみると次のようになる。
訓 弥生音 和音 呉音 漢音
「香」 にほふ かぐ(はし) か
×コウ ×キョウ
万葉集の時代には呉音も漢音も使われていない。万葉集の時代の漢字音は和音と弥生音であり、そのほかに漢字にやまとことばをあてはめる訓があった。
万葉集の漢字音が依拠した中国語音は[-i-]介音が発達していなかった。
万葉集の時代の日本漢字音のもうひとつの特色は、中国語のわたり音([-i-]介音)が無視されていることである。
流[liu]る、久[kiuə]く、許[xia]こ、呂[lia]ろ、由[jiu]ゆ、弊[biai]へ、留[liu]る、受[zjiu]ず、礼[lyei]れ、
中国語の音韻史のなかでわたり音([-i-]介音)が発達してくるのは隋唐の時代以降とされているから、万葉集が依拠している中国語音ではわたり音が弱かったと考えることができる。これらの漢字音について整理してみると次のようになる。
訓 和音 呉音 漢音
流[liu]、 ながる る る ×リュウ
久[kiuə] ひさ く く ×リュウ
許[xia]
×ゆるす こ こ ×キョ
呂[lia] ―― ろ ろ ×リョ
由[jiu] なほ ゆ ゆ ×ユウ
弊[biai] ―― へ ×ヘイ
×ヘイ
留[liu] とどまる る る ×リュウ
受[zjiu] うける ず ず ×ジュ
礼[lyei] ―― れ ×ライ ×レイ
和音は呉音と同じものが多い。しかし、和音には二重母音はない。また、万葉集の時代の漢字音には漢音は使われていない。ちなみに、これらの漢字の朝鮮漢字音は次のようになる。
流(ryu/yu)、久(ku)、許(heo)、呂(ryeo)、由(yu)、弊(ppye)、留(ryu/yu)、受(su)、礼(rye)、
万葉集の時代の和音、あるいは呉音は朝鮮漢字音に近いことがわかる。官位を示す宿祢(すくね)なども、朝鮮漢字音では宿祢(suk-ni)であり、朝鮮漢字音に近い。
万葉集を代表する歌人としてはまず人麻呂をあげるべきであろう。人麻呂はおそらく遊部(あそびべ)に属する巫祝層の出身であった。人麻呂は古歌謡の伝統に立って、その呪祝儀礼歌を宮廷文学として完成させた人であり、短歌よりもむしろ長歌に人麻呂の特徴がよくあらわれている。次の歌は「近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本人麻呂の作る歌」という詞書がある。
玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 阿礼座師 神之盡 樛木乃 弥繼嗣尒 天下 所知食之乎 天尒満倭乎置而 青丹吉 平山乎超 何方 御念食可 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 楽浪乃 大津宮尒 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 百磯城之 大宮處 見者悲毛(万29)
玉たすき 畝火(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御代(みよ)ゆ あれましし 神のことごと 樛(つが)の木の いや継(つぎ)嗣(つぎ)に 天(あめ)の下(した) しらしめししを 天(そら)に満つ倭(やまと)を置きて 青丹(あをに)よし 平(なら)山を越え いかさまに 思ほしめせか 天(あま)ざかる 夷(ひな)には有れど 石走(いはばしる) 淡海(あふみ)の国の ささ浪(なみ)の 大津(おほつ)の宮に 天(あめ)の下 しらしめし兼(けむ) 天皇(すめろき)の 神のみことの 大宮は ここときけども 春草の 茂(しげく)生(おひたる) 霞(かすみ)立(た)ち 春日(かすが)の霧(きれ)る 百磯城(ももしき)の 大宮(おほみや)どころ 見れば悲しも
人麻呂の長歌の表記には音と訓が自由に使われている。音は漢字の意味を捨てて日本語の音をあらわしたものである。訓は漢字の音を捨てて漢字と意味を同じくする「やまとことば」を表記したものである。しかし、その組み合わせはかなり複雑であり、正訓のほかに、訓の読みを借りて、その意味とは関係のないことばに転用したものもみられる。
借訓の例:日知(ひじり)=聖人、食(めす)、兼(けむ)、
人麻呂の長歌に使われている訓読みの漢字について、その語源をたどってみると次のようになる。
○手(た・て)。 万葉集では音読みを主としている巻5でも「手」は手(て・た)であり手(× シュ)という読み方はない。「手」を音符とした漢字では拿捕(ダホ)などがあり、手(シュ)は 手(て)がわたり音(i介音)の影響で拗音化したものであろう。ベトナム漢字音では「手」は手
(thu)でり、古い江南音の痕跡を留めている可能性がある。
○火(ひ・ほ)。 万葉集では音表記を主とした巻でも「火」は火(ひ・ほ)であり、火(×カ)と いう読みはない。「火」の古代中国語音は火[xuəi]であり、日本漢字音では火(カ)に転用されてい るが、古代日本語ではハ行で受け入れられた。ほかに灰(はい・カイ)、閑(ひま・カン)、脛 (はぎ・ケイ)、華(はな・カ)などの例がある。
○日知(ひじり)。 「日」は朝鮮語の日(hae)からの借用語である。「知」は万葉集では知(し・し る・チ)であり、巻5では主として知(チ)に用いられている。「知」の古代中国語音は知[tie]であ る。日本語の「チ」はチ(chi)であり、知(ti)とはちがう。そのため、万葉集以前には日本語では知 (し・しる)として日本語に受け入れられ、万葉集の時代の音では知(チ)と発音されるように なったのであろう。いずれにしても、中国語からの借用語であり、音は転移している。
○原(はら)。 「原」の古代中国語音は原[ngiuan]である。中国語の[ng-]は一般にガ行で日本語に受 け入れられるが、[ng-]は調音の位置が喉音[h・x]に近く、火(ひ)、灰(はい)などと同じく、ハ行 で受け入れられた可能性がある。韻尾の[-n]はラ行音と調音の位置が同じであり、日本の古地名なで ではラ行で発音されるものが多い。敦賀(つるが)、駿河(するが)など。
○御(み)。 万葉集では「御」が御(&
times;ゴ・ギョ)と発音される例はなく、音を主体とした 巻でも御(み)である。「御」の古代中国語音は御[ngia]である。日本語には[ng-]ではじまる音節は なく、[ng-]と調音の方法が同じ鼻音のマ行に転移したものである。ほかに、例としては芽(め)、眼 (め)、御(み)、元(もと)などがある。「御」を御(お)と読むのは朝鮮漢字音による御(eo)に 依拠したものである。
○世(よ)。 万葉集では「世」は世(よ・セ)である。「世」の古代中国語音は世[sjiat]であると考 えられている。韻尾に[-t]がついているのは排泄など、同じ声符をもった漢字の韻尾に泄(セツ)と いう音が残っているからである。白川静の『字通』によると、「世sjiat、葉jiapほ声義が近」いとい う。サ行の頭音がわたり音(i介音)の影響で脱落した例は数多く見られる。詳・羊、秀・誘、傷・ 陽、序・予、徐・余、など。
○
神(かみ)。 神(シン)の声符である「申」には乾坤のようにカ行の音があった可能性がある。 日本語の神(かみ)は中国語の「申」にカ行音があった時代の痕跡を留めているものと考えられ る。同じ声符号の漢字がカ行、サ行に読みわけられるものとしては、伎・枝、祇・氏、碁・棋、耆 (伯耆)・旨、臼・舅、などをあげることができる。
○弥(いや)。 万葉集では「弥」は弥(いや・いよよ・ミ)に使われている。「弥」の声符は 「尒」であり、弥(ミ・ビ)、爾(ニ・ジ)、弥のほかに邇(ニ・ジ)、祢(ネ・デイ)などの読 みがある。「爾」の古代中国語音は爾[njiai]であり、いわゆる日母に属する。日母に属する漢字の朝 鮮漢字音は日本(il-bon)などのように頭子音が規則的に脱落する。弥生(やよい)、弥栄(やさか) などは朝鮮漢字音の影響を受けたものである。人麻呂の弥(いや)も朝鮮漢字音の影響を受けた用 法である。
○天(あめ・そら)。 万葉集では「天」は天(あめ)にも天(そら)にも使われている。天の古代 中国語音は天[thyen]である。[th-]は中国語音韻学では次清音と呼ばれ、日本語にはない帯気音であ る。天(あめ)は天[thyen]の頭子音が脱落したものである。日本語では韻尾の[-n]と[-m]を弁別しない から、韻尾はマ行になった。天(そら)はやまとことばの「そら」に「天」の字をあてた訓読みで あり、天(あめ)は中国語からの借用語が転移したものである。万葉集では「そら」には、「天」 のほか「虚」、「空」などもあてられている。
○満(みつ)。 「満」の古代中国語音は満[muan]である。韻尾の[-n]は[-t]と調音の位置が同じであ り、転移しやすい。「満」も満[muat]に近い音であった時代があったものと思われる。万葉集では 「満」は満(みつ・たる・マ)であって満(×マン)という例はない。日本漢字音の韻尾が「ン」 で訓がタ行音であるものとしては、次のような例をあげることができる。音(おと・オン)、肩 (かた・ケン)、堅(かたい・ケン)、管(くだ・カン)、琴(こと・キン)、幡(はた・ハ ン)、盾(たて・ジュン)、など。
○倭(やまと)。 万葉集では「やまと」は「倭」、「夜麻登」、「山跡」、「日本」などと表記さ れている。中国人が東夷を倭(ワ)と呼んでいたものを、文字だけ借用して「やまと」にあてたも のである。
○丹(に)。 丹[tan]は、白川静の『字通』によれば、旃[tjian]に声が近いという。「丹」に丹[tjian]に 近い音があったとすれば、丹(に)は、わたり音(i介音)の影響で頭音が脱落したものであろう。
○山(やま)。 中国語の山[shean]の頭音が脱落したものであろう。
○淡海(あふみ)。 淡海の「海」の声符は毎[muə]であり、海(うみ・み)は中国語音の転移したも のである。万葉集では「海」は海(うみ・み・わた)であり、音読を主とする巻でも海(×
カイ) には使われていない。海(うみ)は梅(うめ)、馬(うま)のように頭母音を添加したものであ り、海(わた)は朝鮮語の訓読みである。
○津(つ)。 「津」の古代中国語音は津[tsien]である。津(つ)は中国語の韻尾[-n]が脱落したもの である。中国語の韻尾が脱落した例は万葉集には数多くみられる。田(た・デン)、邊(へ・ヘ ン)、帆(ほ・ハン)、酸(す・サン)、眼(め・ガン)など。
○宮(みや)。 日本語の宮(みや)は宮(キュウ)とは対応していないが、廟[myô]と関係のあるこ とばである可能性がある。廟は中国では、もと朝礼を行うところであり、祖先の霊を尊ぶところだ という。
○兼(けむ)。 万葉集では兼(かね・けむ)に使われていて兼(×ケン)という音はまだない。所 知食(しらしめし)兼(けむ)のような使い方は「兼」の音を借用して「やまとことば」にあてた もので、中国語の意味とは関係がない。
○乃(の)・能(の)・之(の)。 乃(の)、能(の)は漢字の音が近いものを日本語の助詞に援 用したものである。「畝火之(の)山乃(の)」、「所知食之(シ)乎」のように「之」は之 (の)にも之(シ)にも使われている。之(の)は中国語の語法を借用したものである。
中国語の「之」は日本語の之(これ)にあたる。また、中国語には「古之道也」(古(いにしえ) の道なり)、「是人之所悪也」(これ人の悪(にくむ)ところなり)など、日本語の助詞「の」に あたるような用法もあることから日本語の表記に援用されたものである。
○言(こと)。 「言」の古代中国語音は言[ngian]である。韻尾の[-n]は調音の位置が[-t]と同じで転移 しやすい。言(こと)は前出の満(みつ)と同じく、中国語からの借用語である。言(こと)、満 (みつ)が古く、言(ゲン)、満(マン)は万葉集では使われていない。
○春草(はる・くさ)。春(はる)、草(くさ)の日本漢字音は春(シュン)、草(ソウ)であり、 音と訓はあまり関係がないようにみえる。しかし、春[thjiuən]の頭音は帯気音であり喉音[h-]に近い。 韻尾の[-n]は[-l]と調音の位置が同じであり、春(はる)は中国語の「春」の転移である可能性があ る。また、草[tsu]は日本語の草(く・さ)の一部になっている可能性がある。
○霞(かすみ)。 霞(かすみ)の「か」は中国語の霞(カ)をあらわしている可能性がある。霞 (か)つ霧(む)が日本語に「かすみ」になった可能性がある。「つ」は庭つ鳥、沖つ波の「つ」 である。
○立(たつ)。 「立」の古代中国語音は立[liəp]であり、日本漢字音は立(リュウ・リツ)である。 古代日本語ではラ行音が語頭にたつことはなかった。そのため、語頭の[l-]の音が日本語ではタ行で あらわれることがしばしばある。例:龍(たつ)、瀧(たき)、粒(つぶ)、蓼(たで)、卵(た まご)、隣(となり)、旅(たび)。
○春日(かすが)。 春日の日(ガ)は朝鮮語の日(hae)がカ行に転移したものである。朝鮮語の漢
(han)、韓(han)などは日本語ではカ行であらわれる。
○百磯城(ももしき)。 百磯城の城(き)は百済語である。李基文の『韓国語の歴史』によると、 「百済語で「城」を意味する語が*ki(己、只)であったことは確実である」(p.48)とある。
○見(みる)。 中国語の看、観、監、鑑、瞰、見、現、顕などみな見(みる)に関係のあることば である。中国語の江南音では海(hmai)のようにmの前に入りわたり音(h-)がみられることがある。海 (うみ)はhが脱落した形であり、上海(シャンハイ)などの海(ハイ)は入りわたり音(h-)が発達 したものである。日本語の見(みる)も入りわたり音hが脱落したものである可能性がある。
○
者(ば)。 者(は・ば)は中国語の用法を借用したものである。 中国語の「者」は「もの(人 間)」をあらわす。「如之者、不如好之者、好之者、好之者、不如楽之者」(これを知る者は、こ れを好むものに如(し)かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如(し)かず)のごとくであ る。しかし、中国語には「政者正也」(政は正なり)、「夫達也者。質直而好義」(それ達とは質 直にして義を好むなり)、「子日君子道者三」(子日く、君子の道なるものは三)などの用法もあ る。中国語には基本的に助詞は日本語にくらべると少ないから、日本語の表記のためには、このよ うな中国語の用法を援用したのである。ただし、日本語では助詞をたようするため、「者」の多い 漢文は和臭があるといって避けられた。
万葉集で訓といわれている「やまとことば」のなかにはかなり中国語からの借用語が含まれていることがわかる。
【中国語からの借用語】手(た)、火(ひ)、知(しる)、原(はら)、御(み)、世(よ)、神(かみ)、
弥(いや)、天(あめ)、満(みつ)、山(やま)、念(おもふ)、海(うみ)、浪(なみ)、津(つ)、
宮(みや)、兼(けむ)、言(こと)、立(たつ)、見(みる)、
【朝鮮語からの借用語】日(ひ)、弥(いや)、春日(かすが)、百磯城(ももしき)、
【訓(やまとことば)】玉(たま)、次(すき)、畝(うね)、之(の)、橿(かし)、従(より)、座(ます)、盡(ことごと)、樛(つが)、木(き)、繼(つぎ)、嗣(つぎ)、下(した)、
食(めす・おす)、倭(やまと)、置(おく)、而(て)、青(あを)、倭(やまと)、丹(に)、吉(よし)、平(なら)、超(すぎる)、何方(いかさま)、離(さかる)、夷(ひな)、
雖(いへども)、有(ある)、石(いは)、走(はしる)、淡(あは)、國(くに)、者(は)、
楽浪(ささなみ)、大(おほ)、天皇(すめろき)、此間(ここ)、云(きく)、春(はる)、草(くさ)、茂(しげく)、生(おふ)、霞(かすみ)、霧(きり)、處(ところ)、悲(ななし)、
【音】乃(ノ)、阿(ア)、礼(レ)、師(シ)、乎(ヲ)、尒(ニ)、可(カ)、能(ノ)、
等(ト)、流(ル)、毛(モ)、
万葉集の訓読みの漢字は漢字本来の音を捨て、やまとことばと義を同じくするものを選んだものだと説明すれば一番簡単である。しかし、訓読みといわれている漢字のなかにも万葉集の成立以前の時代に中国語、あるいは朝鮮語から「やまとことば」のなかに入ってきて、万葉集の時代には「やまとことば」として定着していたものがかなりある。
音読みの漢字の読み方は呉音を基本とする。漢音は用いられていない。しかし、漢和辞典にいう呉音とは少し違う読み方をするものもある。例えば津(つ・シン)は音訓ともに中国語音の転移したものであるが、津(つ)はタ行であり、韻尾の「ん」が脱落している。万葉集の時代には津(シン)という呉音はない。
万葉集の時代の漢字の使い方は平安時代に定着した、呉音・漢音・訓という漢字の読み方とは違う体系をもっている。
| 和語(訓・やまとことば) | 借用語(弥生音) | 和音(呉音に近い) |
| 玉(たま)、倭(やまと)、 | 海(うみ)、浪(なみ)、 | 阿(ア)、可(カ)、師(シ)、 |
| 春(はる)、草(くさ) | 神(かみ)、日(ひ) | 尒(ニ)、乃(ノ)、能(ノ)、 |
和音には漢和辞典で呉音とされている音の違う用法もみられる。(万葉集=ひらがな・漢和辞典の呉音=カタカナ)
知(し・チ)、毛(も・モウ)、乃(の・ナイ)、弖(て・国字)、良(ら・ロウ)、
珠(ず・シュ)、礼(れ・ライ)、問(も・モン)、
わが国の古代文化は、初期農耕の時代からすでに、中国大陸や朝鮮半島の先進地帯から影響を受けながら発展した。中国製の銅鐸などの青銅器や鏡が西日本を中心にかなりの数出土している。当時鋳剣などのことにたずさわる者はみな渡来者であり、後に文字にかかわることになる史(ふひと)もまた朝鮮半島からの渡来者であった。
万葉集は5世紀の雄略天皇の歌ではじまり、最後は大伴家持の天平宝字3年(759年)の春に新年を寿ぐ歌で終わっている。その期間は300年にも及ぶ。
人麻呂の歌が作られたのは680年から709年の間である。万葉集に収める天智期の歌や天武期の歌も、おそらく万葉集編纂の時代の歌というよりは伝承者の手を経ているものであろう。天智期には百済の滅亡によって多くの人が朝鮮半島から渡ってきた。人麻呂は天智・天武の諸皇子と交渉をもっていたらしい。
次の歌は「吉野の宮に幸しし時、柿本人麻呂の作る歌」とある。
八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尒 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尒 宮柱 太敷座波 百磯城乃 大宮人 船并弖 旦川渡 舟競 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高思良珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可問(万36)
やすみしし 吾(わご)大王(おほきみ)の きこしめす 天(あめ)の下(した)に 国(くに)はしも さはには有(あれ)ど 山川の 清(きよ)き 河内(かふち)と 御心(みこころ)を 吉野の国の 花散(ちら)ふ 秋津(あきづ)の野辺(のべ)に 宮柱(みやはしら) ふとしきませば 百磯城(ももしき)の 大宮人は 船(ふね)並(な)べて 朝川渡り 舟(ふね)競(きほひ) 夕河渡る この川の 絶(たゆる)ことなく この山の 弥(いや)高しらす 水たぎつ 瀧(たき)の宮子(みやこ)は 見れども飽(あ)かぬかも
この歌の漢字を和語(訓・やまとことば)、借用語(弥生音)、和音(呉音)に分けてみると次のようになる。
【和語】八(や)、隅(すみ)、之(の)、大王(おほきみ)、所聞(きこす)、食(めす)、下(した)、國(くに)、者(は)、澤(さは)、雖有(あれども)、川(かは)、内(うち)、跡(と・ど)、心(こころ)、吉野(よしの)、相(あふ)、秋(あき)、宮(みや)、柱(はしら)、太(ふとい)、敷(しく)、座(ます)、人(ひと)、并(なべる)、旦(あさ)、渡(わたる)、競(きほふ)、此(これ)、事(こと)、高(たかい)、激(たぎつ)、見(みる)、不飽(あかず)、
【借用語】吾(あ)、天(あめ)、山(やま)、清(きよい)、河(かは)、御(み)、花(はな)、散(ちる)、津(つ)、野(の)、邊(ベ)、百磯城(ももしき)、船・舟(ふね)、夕(ゆふ)、絶(たへる)、弥(いや)、水(みず)、瀧(たき)、子(こ)、
【和音】知(シ)、之(シ)、尒(ニ)、思(シ)、毛(モ)、二(ニ)、乎(ヲ)、乃(ノ)、波(バ)、弖(テ)、奈(ナ)、久(ク)、良(ラ)、珠(ズ)、礼(レ)、可(カ)、問(モ)、
柿本人麻呂の語彙のなかには「やまとことば」だけでなく、中国語や朝鮮語からの借用語も数多く含まれている。
○吾(あ)。 「吾」、「我」の朝鮮漢字音は吾(o)、我(a)であり、万葉集にみられる吾(あ)、我 (あ)はいずれも、疑母[ng-]が脱落する朝鮮式発音の影響を受けたものである。
○清(きよい)。 「清」の音、清(セイ)と訓の清(きよい)とは関係がないようにみえる。しか し、同じ声符をもった漢字にはカ行とサ行に読み分けるものが数多くみられる。伎(ギ)・枝 (シ)、勘(カン)・甚(ジン)、坤(コン)・神(シン)、感(カン)・鍼(シン)、
堅(ケン)・腎(ジン)、喧(ケン)・宣(セン)、公(コウ)・頌(ショウ)などである。台湾 の音韻学者である董同龢は『上古音韻表稿』のなかで、上古音はカ行であったとしている。「清」 の現代の北京音は清(qing)である。
○河(かは)。 「河」の古代中国語音は河[hai]である。中国語の[h]は日本語にはない喉音であり、 現代の日本漢字音では調音の位置の近いカ行であらわれるが、古代においてはハ行であらわれるも のもみられる。火(ひ・カ)、灰(はい・カイ)、脛(はぎ・ケイ)などである。河(かは)は河 (カ)と河(ハ)を合わせた両音併記(新羅の郷歌などにみられる両点)であろう。華(はな・ カ)花(はな・カ)なども中国語音と関係のあることばである。
○
野(の)。 「野」の声符は「予」である。「予」を声符とする漢字には序(ジョ)、預(ヨ)な どがある。万葉集や古事記では「杼」が杼(ド)に使われている。見礼杼安可奴香聞(万 3926)「みれどあかぬかも」などである。漢和辞典では杼(ジョ)という読み方しか記されて いないが、杼(ド)という音があったとすれば日本語の野(の)は中国語からの借用語である可能 性が高い。古代日本語では濁音が語頭に立つことがないから、野(ド)は野(ノ)に転移したもの と考えられる。
○船・舟(ふね)。 白川静の『字通』によると「舟はもと盤と同形で、盤の初文は般は舟に従う」という。日本語の船・舟(ふね)は盤[buan]の転化したものである。
○夕(ゆふ)。 白川静の『字通』によると夕[zyak]は「昔syak、夜jyakも声近く、同系の語である」 という。夜(よる・や)と夕(ゆふ)は音義ともに近い。
○絶(たへる)。 白川静の『字通』によると「絶[dziuat]、断[duan]は声義近く、糸などの切断をいう 字」だという。絶(たへる)は中国語音の転移したものである。
○水(みず)。 水(みず)は朝鮮語の水(mul)と同源である。
○瀧(たき)。 瀧(たき)は中国語の瀧(ロウ)の転移したものである。古代日本語ではラ行音が 語頭に立つことがなかったから、語頭の[l-]は日本語ではタ行に転移したものが多い。龍(たつ・ リュウ)、立(たつ・リツ)、粒(つぶ・リュウ)、蓼(たで・リョウ)、連(つらなる・レ ン)、留(とどまる・リュウ)、など。
○
子(こ)。 日本語ではカ行であらわれ、漢字音ではサ行であらわれ意味が中国語の漢字の意味と 同じものが、子(こ・シ)のほかにもいくつかある。之(これ・シ)、此(これ・シ)、是(こ れ・ゼ)、臭(くさい・シュウ)、辛(からい・シン)、神(かみ・シン)、小(こ・ショウ)、 焦(こげる・ショウ)、鉦・鍾(かね・ショウ)、上(かみ・ジョウ)、杵(きね・ショ)、車 (くるま・シャ)、など。これらのことばは中国語の転移したものである可能性が高い。「杵」の 声符は午(ゴ)であり、「車」の古代中国語音は車[kia]である。「車」の朝鮮漢字音は車(keo)であ る。日本語の車(くるま)は「車」あるいは「輪」に関係のあることばであろう。
ここでやまとことばとしておいたことばのなかにも借用語あるいは借用語から転移したのではないかと思われることばもある。
○王(きみ)。 王[hiuang]は皇[huang]と近い。万葉集では「おほきみ」に大王、大皇、天皇、王、皇 などが使われている。「きみ」は君、公が使われている。
○國(くに)。 スウェーデンの言語学者カールグレンは日本語の「くに」は中国語の郡[giuən]であ ろうとしている。万葉集では「くに」は国、邦、地、本郷が使われていて、郡を「くに」と読む例 はない。漢の植民地だった楽浪郡などは中国からみれば、郡であろうが、楽浪郡の人びとにとって は郡(くに)であった可能性はある。
○心(こころ)。 「こころ」の語源は不明である。「心」の現代北京音は心(xin)で辛(xin)と同じであ る。辛(シン)に辛(からい)という読みがあり、神(シン)に神(かみ)という読みがあるので あれば「心」にも心(から)あるいは心(かみ)というカ行音の読み方が古代にあったと考えられ る。魂(コン)も心(こころ)に近い。現代の北京音では「心」は心(xin)、「魂」は魂(hun)である。 いずれも喉音である。中国語の喉音は日本語ではカ行であらわれることが多い。
日本語では中国語の頭音を二つ重ねることはよくあることである。鏡(かがみ・キョウ)、鑑(かがみ・カン)、光耀(かがやく・コウヨウ)、金(こがね・キン)、掛(かける・ケイ)、掲(かかげる・ケイ)、括(くくる・カツ)などである。
韻尾の[-n/-m]がラ行に転移することはしばしばある。駿河(するが)。敦賀(つるが)、播磨(はりま)、などの古地名にもその痕跡は残されている。ナ行音とラ行音は調音の位置が同じである。
日本語の心(こころ)が中国語の心(シン)と同源であるかどうかは、残された文字資料だけからは立証することはむずかしい。しかし、日本語の心(こころ)は中国語の「心」と意味の対応があり、現在の発音はかなり乖離しているように見えるが、音韻変化の法則に合致しているようにもみえる。
○
此(これ・シ)。 之(これ・シ)、是(これ・ゼ)、子(こ・シ)、小(こ・ショウ)などの漢 字音が訓にその痕跡を残す、摩擦音化する前の古代中国語音を継承するものだとすれば、これらの 漢字は弥生時代以降のいずれかの時代に日本語が中国語から借用したことばということになる。音 がサ行で、訓がカ行であるのは偶然の一致だとみれば、中国語の意味に近い「やまとことば」を訓 としてあてはめた、ということになる。
安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尒 高殿尒 高知座而 上立 國見乎為勢婆 畳付 青垣山 山神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭刺理 逝副 川之神母 大御食尒 仕奉等 上瀬尒 鵜川乎立 下瀬尒 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨(万38)
やすみしし 吾(わご)大王(おほきみ) 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内(かふち)に 高殿(たかどの)を 高しりまして のぼり立(たち) 国見(くにみ)をせせば 畳(たたな)づく 青垣(あをかき)山 山(やま)つ神(み)の まつる御調(みつき)と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみぢ)かざせり ゆきそふ 川の神も 大みけに つかへまつると上つ瀬に 鵜川(うかは)を立ち 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川も 依りてつかふる 神の御代(みよ)かも
○長(ながい)。 「長」の古代中国語音は長[diang]である。わたり音(i介音)が発達するまえの音 は[dang]に近かったはずであり、古代日本語は濁音が語頭に来ることはないから日本語では長(な が)となったと考えられないことはない。同じような例としては眺(ながめ・チョウ)、暢(のび る・チョウ)、銚(なべ・チョウ)などがある。古代の言語世界はかなりの確信をもって再構でき るものと、そうでないものがある。資料が限られているのでやむをえないことである。
○高殿(たかどの)。 殿(どの)は殿[dyən]の韻尾に母音が添加されたものである。殿(との)も君 (きみ)も中国語起源の日本語である。
○畳(たたな・たたみ)。 「畳」の古代中国語音は畳[dyap]である。似た音の漢字としては蝶[thyap] がある。蝶は旧かなづかいでは蝶(テフ)と書いた。日本語の畳(たたみ)は語頭音が重畳とな り、韻尾の[-p]が鼻濁音化したものであると考えることができる。同類のことばとしては弔(とむら う・チョウ)、吊(つる・チョウ)、塚(つか・チョウ)、釣(つり・チョウ)、鳥(とり・チョ ウ)、鯛(たひ・チョウ)などがある。
○御調(みつき)。 調[dyô]が調(つき・チョウ)となった可能性がある。「調」には調(ととのえ る)の読みもある。
○黄葉(もみぢ)。 平安時代以降は紅葉を使用するが、万葉集では紅葉は「紅葉散筒」(万 2201)(もみぢちりつつ)だけである。万葉集では黄葉、秋黄、黄變、黄などが多く用いられ ている。黄[huang]と紅[hong]は中国語原音が近い。日本語の黄(き)、紅(くれなゐ)も中国語と関 係のあることばであろう。「もみぢ」ということばは中国語とは関係がない。
○鵜(う)。 鵜[dyei]は鵜(う)に用いられているが鳥の「う」の語源は烏[a]である。
○依(よる)。 日本語の「よる」は中国語の依[iəi]を日本語として活用させたものである。
○鴨(かも)。 「鴨」の音は鴨(オウ・アフ)とされているが、鴨の声符は甲であり、鴨も鴨[keap] という中国語音があった時代があったものと思われる。日本語の鴨(かも)は中国語の「鴨」によ る。
次の歌は「軽皇子(かるのみこ)の安騎(あき)の野に宿りましし時、柿本人麻呂の作る歌」とされている。
八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為 京乎置而 隠口 乃 泊瀬山者 眞木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尒 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而(万45)
やすみしし 吾(わご)大王(おほきみ) 高照らす 日の皇子(みこ) 神ながら 神さびせむと ふとしかす 京(みやこ)を置きて 隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山は 眞木(まき)立つ 荒(あら)山道を 石(いは)が根(ね) さへき押(お)しなべ 坂鳥の 朝(あさ)越えまして 玉かぎる 夕(ゆふ)去(さ)り来(く)れば み雪(ゆき)ふる 阿騎(あき)の大野に 幡(はた)すすき しの押(お)しなべて 草枕 たびやどりせす 古昔(いにしへ)念(おも)ひて
○照(てる)。 照(てる・ショウ)の古代中国語音は照[tjiô]である。しかし、中国語音韻学の知見に よると、中古(随唐の時代)音における照[tj-]・穿[thj-]・神[dj-]の3母は上古の時代(随唐以前)の端
[t-]・透[th-]・定[d-]から分岐したものである、という。つまり、「照」の上古音は照[tiô]あるいは[tô]に 近い音だったということになる。そこで、現代の日本漢字音で「ショウ・チョウ」と発音されてい るもののなかに訓の韻尾がラ行で終わるものはないか探してみると、吊(つる)、釣(つる)、鳥 (とり)、昇(のぼる)、乗(のる)、城(しろ)などがあることがわかる。これをもって十分な 例とするかどうかは、意見の分かれるところであろう。
○泊瀬(はつせ)。 泊瀬は大和の国の地名で今は初瀬とか長谷と書く。泊は舟の碇泊に適したとこ ろ。瀬は浅瀬をいう。泊瀬(はつせ)は朝鮮語の百済(paek-je)に近く、渡来人の住み着いたところで あろう。済は「わたり」である。
○眞木(まき)。 眞(ま)は眞[tjien]の頭音がわたり音(i介音)の発達によってうしなわれたもので ある。木(き)の語源は枝[tjie]であろう。枝の声符は支であり、同じ声符をもつ漢字に「伎」があ る。カ行音が古く、サ行音は摩擦音化したものである。
○根(ね)。 根(ね)は根[kən]の頭音が脱落したものであろう。眞(ま)はマ行であり、根(ね) はナ行であるが、日本語では中国語の韻尾[-n]・[-m]を弁別しない。
○押(おす)。 中国語の韻尾は[-p]・[-t]・[-k]であり、「ス」で終わる音節はない。しかし、日本語 では「す」をつけて動詞にすることがある。癒(いやす)、交(かわす)、期(きす)、刺(さ す)、指(さす)、射(さす)、挿(さす)、捜(さがす)、死(しす)、出(だす)、屯(たむ ろす)、照(てらす)、点(ともす)、流(ながす)、伏(ふす)、付(ふす)、満(みたす)、 黙(もだす)など。また、足(たす)は朝鮮語の足(tari)に依拠したものである。
○鳥(とり)。 現代の北京語では「鳥」は鳥(diao/niao)である。日本語の鳥(とり)は中国語の 「鳥」の転移したものである。
○限(かぎる)。 「限」の古代中国語音は限[hean]である。日本語の限(かぎる)は中国語の「限」 の頭音が重複し、韻尾の[-n]がラ行に転移したものである。頭音[h-]は日本語にはない喉音であり、し かも濁音である。日本語では濁音は語頭に立たない。そのため清音と濁音を重ねて受け入れやすく したものである。韻尾の「ン」はラ行と調音の位置が同じであり、転移しやすい。
○
落(ふる)。 万葉集では「ふる」に「落」、「零」が使われている。「降」は使われていない。 白川静の『字通』によると、中国語では「降」は神が降下すること、天孫降臨などの場合に用いる ことばであり、「落」は雨、露についていることばであるという。「零」は雨が降ることから、草 木の衰えて散ることを零落といい、人のうれぶれることもいうという。宮田一郎編著『上海語常用 同音字典』によると、上海語音では落(hlot)、零(hlin)であり、頭音(l-)の前に入りわたり音(h)が聞こえ るという。古代の日本語が江南地方の中国語の影響を受けているとすれば、万葉集の落(ふる)、 零(ふる)は現代の上海語音にみられる入りわたり音(h)の痕跡を留めている可能性がある。
○旗(はた)。 現代の漢字の用法では旗(はた・キ)である。しかし、日本語の「はた」は中国語 の幡[phiuan]を語源とすることばである。可能性がある。中国語の韻尾[-n]は[-t]から転移したものがみ られる。音(おと・オン)、管(くだ・カン)、琴(こと・キン)、肩(かた・ケン)、盾(た て・トン)、などである。[-n]と[-t]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国の音図である 『韻鏡』でも[-n]と[-t]は同じ音図のなかで異音として収められている。
○
寸(き)。 万葉集では「寸」は寸(キ)に使われている。日本漢字音のサ行音のなかには古代中 国語音がカ行であったとみられるものがかなりある。伎(ギ)・枝(シ)、勘(カン)・甚(ジ ン)、活(カツ)・舌(ゼツ)、坤(コン)・神(シン)、感(カン)・鍼(シン)、堅(ケ ン)・腎(ジン)、喧(ケン)・宣(セン)、公(コウ)・頌(ショウ)などである。このことは すでに指摘した。サ行音はわたり音(i介音)の発達により摩擦音化したものである。
○
取(とる)。 日本漢字音のサ行音のなかにはタ行音の摩擦音化したものもかなりみられる。これ についても照(てる・ショウ)のところで指摘したとおりである。ほかに例としては衝(つく・ ショウ)、舂(つく・ショウ)、床(とこ・ショウ)、丈(たけ・ジョウ)、常(つね・ジョ ウ)、出(でる・シュツ)、苫(とま・セン)、時(とき・ジ)、垂(たれる・スイ)、などがあ げられる。
また、漢字音でも同じ声符をもった漢字をタ行とサ行に読み分けるものが多くみられる。
多(タ)・侈(シ)、陀(ダ)・蛇(ジャ)、堆(タイ)・推(スイ)、脱(ダツ)・説(セ ツ)、壇(タン)・氈(セン)、単(タン)・戦(セン)、迭(テツ)・失(シツ)、轉(テン)・専 (セン)、点(テン)・占(セン)、途(ト)・除(ジョ)、都(ト)・諸(ショ)、土(ド)・社 (シャ)、
これらはタ行音が古く、サ行音はわたり音(i介音)の発達により摩擦音化したものである。
日本漢字音には音と訓があり、音には呉音と漢音があるとされている。万葉集は呉音で書かれているともいう。しかし、万葉集を代表する歌人のひとりである柿本人麻呂の長歌について調べてみると、人麻呂の日本語について次のようなことが明らかになる。
1.人麻呂の時代にはまだ漢音は伝えられていない。
2.呉音のなかでも「ン」で終わる音はなく、ナ行またはマ行の母音を添加して二音節のことばとして日本語のなかに取り入れている。
3.万葉集の時代の日本語には「キョウ」、「シュウ」などの音節はなく、中国語音の[-ng]など古代日本語の音節にない音はカ行音・ラ行音などに転移している。
4.訓といわれている「やまとことば」のなかには、古代中国語音からの借用語であるものが含まれており、隋唐の時代以前の中国古代音の痕跡を留めているものがある。
5.訓のなかには日(ひ)、水(みず)なとのように朝鮮語と同源のものが含まれている。
[よみがえる八世紀の日本語]
古事記、日本書紀、万葉集などは、まだカタカナ やひらがなができる前に書かれたものだから漢字だけで書かれている。
古事記は音と
訓を併用して日本式に書かれている。日本書紀は漢文で書いた日本史である。古事記、日本書紀には、それぞれ120首あまりの古代歌謡が記録されていて、そ
れらは漢字の音だけを使って書いてあるので、古代の日本語音がどのようなものであったか復元するには貴重な資料となる。万葉集は音と訓を併用して日本語の
歌を表記したものである。万葉集も歌以外の本文は漢文で書かれている。
漢字はいうま
でもなく、中国語を表記するために作られたものであり、外国語を書くのには適した文字とはいえない。例えば、ワシントン、ニューヨーク、ボストン、フィラ
デルフィアなどのような外国の地名を漢字だけで表記しようとすると、かなり無理を強いられることになる。貨盛頓、紐約、波士頓、費城などとなる。
カナ以前の時代に漢字だけで日本語を表記した史
(ふひと)たちは、漢字という中国語を表記するために作られた文字を手なづけて日本語という中国語とはまったく違った音韻構造をもったことばを表記するの
に悪戦苦闘したにちがいない。
漢字は表意文
字であり、アルファベットは表音文字だといわれる。しかし、大部分の漢字には声符というものがあって読み方がある程度わかるように工夫されている。たとえ
ば貨盛頓は「化成屯」が声符である。同じように紐約は「丑勺」、波士頓は「皮士屯」、費城「弗成」が声符である。もっともフラデルフィアの場合の「城」は
音読みではなく、意味をとったもので、いわば訓である。
この章では主に古事記、日本書紀の歌謡に使われ
ている漢字をたよりに古代日本語音の復元を試みることにする。
次の歌は戦時中に大和魂を鼓舞する歌としてもて
はやされた歌であるが、古事記と日本書紀にほぼ同じ歌があってそれぞれ次のような漢字で書かれている。
美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇恵志波士加美 久知比 比久
和禮波和須禮士 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟(古事記)
瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 宇恵志破餌介瀰 勾致 弭比倶
和例破涴輸例孺 于智弖之夜莽務 (日本書紀)
この歌は漢音
でも呉音でも読めない。これらの漢字音は8世紀、唐の時代の漢字音に依拠しているものと思われる。しかし、同じ唐の時代といっても長安の都の発音と江南地
方の発音では異なる。日本漢字音は長安の漢字音に依拠しながらも、江南地方の発音の影響をかなり受けているようである。そればかりでなく、日本漢字音には
和音なまりが、かなり入っていると思わなければならない。英語の発音でもイギリス英語とかアメリカ英語といっても、日本人が発音すればfやv、thの発音などはジャパニーズ・イングリッシにならざ
るをえない。それと同じように、日本漢字音は日本語化した漢字音であると思わなければならない。
古事記の歌は一般に次のように読み下されてい る。
みつみつし 久米の子らが 垣下(かきもと)に 植えし椒(はじ かみ)
口ひびく 我は忘れじ 撃ちてし 止まむ
この歌は久米歌と呼ばれ、古代の久米部が伝承し
た戦闘歌謡である。久米部というのは宮廷の警備などを担当した部である。久米(くめ)というのは軍(ぐん)に由来する弥生音であろう。
唐の時代の中国語音と現代の中国語音ではかなり
違ってしまっている。そのうえ日本語のほうも、8世紀の日本語と現代の日本語ではまったく違ってしまっているので、記紀歌謡の解読はマトリックスを解くよ
うな作業にならざるをえない。
美(○み・×び)、 都(○つ・×と)、 久(○く・×きゅ う)、能(○の・×の う)、
良(○ら・×りょ
う)、岐(○き・×ぎ)、 母(○も・×ぼ)、 登(○と・×と う)、
爾(○に・×じ)、 恵(○ゑ・×え)、 波(○は・○わ)、 士(○じ・×し)、
禮(○れ・×れ い)、泥(○ね・×で い)、米(○め・×べ い)、藝(○ぎ・×げ い)、
牟(○む・×ん)、 瀰(○み・×び)、 梅(○め・×ば
い)、介(○か・×か い)、
等(○と・×と う)、珥(○に・×じ)、 餌(○じ)、 弭(○び)、 例(○れ・×れ い)、
涴(○わ・×わ
ん)、輸(○す・×ゆ)、 孺(○ず・×じゅ)、 莽(○ま・×ぼ う)、
日本語の音節
は子音ではじまり母音でおわる、いわゆる開音節である。それに対して中国語の音節は子音ではじまり母音がつづき、韻尾にまた子音がくることもある。また、
頭子音と母音のあいだにわたり音(介音)が入ることもある。そのうえそれぞれの音節は四声という声調をもっている。日本語アクセントは「雲」と「蜘蛛」の
ように二音節なまたがるが、中国語の声調はひとつの音節のなかで完結する。
例えば「良」の現代北京音は良(liang)である。それが「久米能古良賀」(古事記)では良 「ら」に使われている。「良」の唐代の中国語音は良[liang]だっ
たと考えられている。中国の韻書である切韻では「良」は「離陽切・陽韻・平下声)とされている。つまり、頭子音は離と同じであり韻は陽である。そして、声
調は平声である。また、『韻鏡』では声母は「来」、韻尾は陽韻四等・平声とされている。四等というのは直音ではなく拗音であることを示している。拗音であ
るはずの「良」がなぜ、古事記では直音に使われているのであろうか。漢和辞典を調べてみると「良」の呉音は良(ろう)、漢音は(りょう)とされている。旧
仮名使いで書くと呉音は良(らう)、漢音は良(りゃう)ということになる。
前にも述べたごとく日本語は開音節であり中国語
の韻尾[-ng]にあたるような音はないから韻尾が脱落して、古事
記では良(ら)となったのであろう。ちなみに「良」の現代語音は北京音良(liang)、広東音は良()、朝鮮漢字音は語頭では良(yang)、語中では良(liang)となる。また、同じ漢字文化圏であるベトナムの漢
字音は良(luong)である。中国漢字音でi介音が発達してきたのは隋の時代だとされており、
特に南部の越南や広東方面はi介音の発達が弱く、また遅かったようである。古事
記歌謡で「久米能古良賀」を「くめのこらが」と読ませているのは、随の時代の漢字音の残影であり、あるいは南方の漢字音の影響であると考えられる。
久米歌を例に記紀歌謡の漢字音を分析してみると 概略つぎのようになる。
1.二重母音や拗音などはない。
良(○ら・×りょ
う)、久(○く・×きゅ う)、能(○の・×の う)、登(○と・×と う)、
等(○と・×と う)、莽(○ま・×ぼ う)、禮(○れ・×れ
い)、泥(○ね・×で い)、
米(○め・×べ い)、藝(○ぎ・×げ い)、介(○か・×か い)、例(○れ・×れ い)、
孺(○ず・×じゅ)、
古代日本語には二重母音はなかった。
2.濁音は清音、鼻音などで発音されている。
美(○み・×び)、 母(○も・×ぼ)、
瀰(○み・×び)、 梅(○め・×ば い)、
米(○め・×べ い)、泥(○ね・×で い)、莽(○ま・×ぼ う)、
古代日本語では語頭に濁音がくることはなかっ た。現代の朝鮮語でも濁音は語頭にくることはない。この点では、古代日本語は朝鮮語と同じ特徴をもっていたことになる。
現代の日本語
ではバ行はハ行の濁音であるが、古代日本語ではバ行はマ行の濁音でもある。また、ナ行の濁音はダ行である。これは五十音図の考え方とはことなる。五十音図
は平安時代に円仁らの留学僧が中国でサンスクリットの音韻学を学び、それを日本語に応用してつくったものである。古代日本語の音韻構造は次のようになる。
| 清 音 | 鼻 濁 音 | 濁 音 |
| ハ 行 | マ 行 | バ 行 |
| タ 行 | ナ 行 | ダ 行 |
3.母音が変化している場合がある。
都(○つ・×と)、 梅(○め・×ば い)、
都(つ)はウ段であり、都(と)はオ段である。
記紀歌謡では「都」は都磨(つま=妻)などに使われているが、「阿都圖唎(あとどり=足取り)」(記96)のようにオ段に使われている例もある。記紀歌謡
で「つ」「と」に使われている漢字には次のようなものがある。
【つ】 都、覩、菟、途、屠、豆、逗、
【と甲】斗、土、杜、刀、度、
渡、徒、妬、圖、都、
古代日本語のウ段とオ段甲とは音が近かった。
梅(め)は古代日本語ではエ段乙であるが、現代
の日本語では二重母音になってア段に転移している。記紀歌謡で「め乙」に使われている漢字には次のようなものがある。
【め乙】梅、毎、妹、昧、米、迷、
「め乙」に使われている漢字はすべて「マイ」あ るいは「メイ」のように二重母音になっている。
4.頭子音が変化している場合がある。
爾(○に・×じ)、 珥(○に・×じ)、 餌(○じ)、 弭(○び)、
爾、珥、餌、弭、はいずれも中国音韻学で日母と
呼ばれる文字で「日」と同じ頭音をもっている。唐代漢字音は爾[njiai]、珥[njiə]、餌[njiə]、弭[mie]である。日母は中国語のなかでも歴史的変化のはげ
しい音で、現代の北京語では爾(er)、餌(er)、日(ri)などとなっている。また、朝鮮漢字音では爾(i)、餌(i)、日(il)である。恐らく唐代以前には弭[mie]のような音だったものが[-i-]の影響で口蓋化して唐代には珥[njiə]になり、さらに餌[djiə]に変化したものと考えられる。記紀歌謡の漢字音について
みると、弭 (び)は唐代以前の音の痕跡を留めており、珥(に)は唐代中国語音に準拠したものであろう。餌(じ)は唐代にすでにはじまっていた音韻変化を先取りしたも
のといえる。
ちなみに、日本語の耳(みみ)は唐代以前の中国 語音である耳[mie]に依拠した弥生音である可能性がある。
5.ア行音、ヤ行音、ワ行音の区別がある。
恵(○ゑ・×え)、 波(○は・○わ)、
現代の日本語ではア行の「え」とワ行の「ゑ」の
区別は失われてる。しかし、記紀の時代にはア行の「え」とワ行は区別されていた。
宇恵志波士加美(古事記)、宇恵志破餌介瀰(日本書紀)、
「植ゑし椒(はじかみ)」の「恵」はワ行専用で ある。「ゑ」には日本書紀では「恵」が、日本書紀では「恵」ほか「慧」「衞」「隈」が使われている。
「和礼波夜恵奴=我はや餓ぬ」「宇恵具佐=植草」「由恵=故」 「須恵=末」「和礼恵比邇 祁理 =我酔ひにけり」「恵具志=笑酒」(古事記)、
「伊比爾恵弖=飯に餓て」「喩衞=故」「須衞=末」「須慧= 末」「和例破椰隈怒=我はや 餓 ぬ」(日本書紀)、
記紀の時代にはワ行の「ゑ」のほかにヤ行の
「え」もあった。五十音図にはヤ行の「え」に相当するカナはないから便宜上「イエ」と表記することにする。「イエ」には古事記では「延」が使われ、日本書
紀では「曳」「延」が使われている。
「奴延=鵼」「奴延久佐=萎草」「佐加延=栄」「延=兄」「延= 枝」「岐許延=聞こゑ」
「延=江」「美延斯怒=み吉野」 「美延受=見ゑず」(古事記)
「延=枝」「瀰曳泥麼=見ゑねば」「曳=枝」
「曳=江」「枳虚曳=聞こゑ」「多曳磨=絶ゑば」 「波曳=栄(はゑ)」「曳陁=枝」「府曳=笛」「古曳底=越ゑて」(日本書紀)
古代日本語には二重母音はなかったがえ(e)とゑ(we)、イエ(ye)などの入りわたり音(y/w)はあったということになる。されに「波」「破」は
語頭では波・破(は)と読まれ、語中では波・破(わ)と読まれていた。
宇恵志波(は)士加美 和禮波(わ)和須禮士(古事記)
宇恵志破(は)餌介瀰 和例破 (わ)涴輸例孺(日本書紀)
語頭の「わ」は「和」「涴」などで表記され
「波」「破」で表記されることはない。このような例を音韻学では相補分布という。古代日本語では「わ」は「は」の異音である。
現在の朝鮮語はハングル表記で濁音と清音を区別 しない。同じpaの音でも語頭に来れば「は」であり、語中では
「ば」と読む。例えば「小林」はハングルでは小林(kopayashi)と表記して小林(こばやし)と読み、林は林(payashi) と表記して林(はやし)と読む。朝鮮語のでは濁
音は語頭に現われることがなく、清音が語中では濁音に発音されるという相補分布をしているからである。朝鮮語では「ば」は「は」の異音である。
6.「ん」という音はなく「む」と表記したいる。
牟・務(○む・×ん)、
古代の日本語には「ん」という音節はなかった。
五十音図の最後に「ん」があるのはサンスクリット語の音図の最後にある[-m]にならったものである。日本語でも阿吽の呼吸と
か、「コマイヌサン ア ウン」などというが、サンスクリットと音図は[a]ではじまり、半母音の[m]で終わる。ここで半母音というのは[m]は子音であるが、それ自体で音節を構成することが
できるという意味である。古代日本語では「ん」ではひとつの音節を構成することができなかったので「うん」とした。梅、馬などが梅(うめ)、馬(うま)と
なったのも、古代日本語では[m]が単独では音節を構成することができなかったから である。
宇知弖志夜麻牟(古事記)、于智弖之夜莽務(日本書紀)は現代日本語では「撃ちてし止まん」となる。これは現代の日本語が[m]あるいは[n]をひとつの音節(モーラ)とみなすようになったか
らである。
7.撥音便(ん)ななく、韻尾が脱落している。
涴(○わ・×わ ん)
日本語には[-n]あるいは[-m]で終わる音節はなかった。日本書紀では久米歌に 「涴(わ)」が使われている。古事記では同じ場所に「和」が使われている。
和例破涴輸例孺(日本書紀)、
和禮波和須禮士(古事記)、
古事記歌謡ではこのほかに存、傳、が使われてい
る。日本書紀では絆、煩、鐏が使われている。しかし、いずれの場合も韻尾の[-n]は脱落している。
許存許曾波=
今夜こそは、多麼傳=玉手、淤母比傳=思い出、伊傳多知=い出立ち、
比傳流 =日照る、弁=辺(べ)、本=火(ほ)、麻本呂婆(まほろば)、
邇本抒理 (に ほ鳥)、本牟多(ほむ た)、本斯(欲し)、志本=塩、遠=を、遠=(を)、 遠登賣=乙女、阿遠夜麻=青山、遠=男(を)、(古事記)、
絆=は、塢等綿=乙女、泮娜= 肌、異泮梅=云はめ、幡=は、廼煩例屢=登れる、
去鐏去曾 =今夜こそ(日本書紀)、
また、記紀歌謡では入声音(韻尾が-p、-t、-k、で終わる漢字音)も使われているが、いずれも韻 尾の子音は脱落している。
憶(お)、乙(お)、吉(き)、賊(そ)、必(ひ)、末(ま)、 楽(ら)、
8.頭子音が残存しているものがみられる。
輸(○す・×ゆ)、
日本書紀歌謡では「輸」が「す」に使われてい る。
和例破涴輸例孺(日本書紀)
和禮波和須禮士(古事記)
漢和辞典を調べてみると「輸」は呉音「す」、漢
音「しゅ」、慣用「ゆ」となっている。日本書紀の用法が本来のものでる。現代の北京音では輸送は輸送(shu-song)である。広東語では輸送(syu-sung)、朝鮮漢字音では輸送(su-song)であり、現代の日本語の輸送(ゆそう)は喩(ゆ)
などの連想で頭母音が脱落したものである。
ここでは120首あまりある記紀歌謡のなかから
1首だけをとりあげたに過ぎないが、古代日本語の特徴がいくつか浮かびあがってくる。
ここでは扱っ
ていないが、古代の日本語には母音が5つではなくして8つあったという。古代の日本語のカ行は「か・き(甲)・き(乙)・く・け(甲)・け(乙)・こ
(甲)・こ(乙)」の区別があった。しかし、ここでは混乱そ避けるために甲乙の区別については、ひとまずふれないでおいた。古代日本語の甲乙の違いについ
てはあらためて検証してみることにしたい。
本居宣長に『漢字三音考』という著書がある。三 音とは呉音、漢音それに唐音のことである。そのなかで本居宣長は次のように述べている。
「皇國の古音は五十の音を出ず。是天地の純粋正
雅の音のみを用ひて、溷雜不正の音を厠(まじ)へざるが故に。さて如此く用る音は甚少(すくな)けれども。彼此相連ねて活用する故故に。幾千萬の言語成す
といへども。足(たら)ざることなく盡ることなし。」
本居之宣長は『古事記傳』を書いた江戸時代の大 国学者である。ところが明治時代になると古代の日本語の母音は五つではなく八つあったことが橋本進吉などによっ
て明らかになってくる。古代の日本語の音図を書いてみると次のようになる。
ア行 あ い う
え お
カ行 か き(甲)・
き(乙)
く け(甲)・
け(乙)
こ(甲)・
こ(乙)
サ行 さ し す
せ そ(甲)・
そ(乙)
タ行 た ち つ
て と(甲)・
と(乙)
ナ行 な に ぬ
ね の(甲)・
の(乙)
ハ行 は ひ(甲)・
ひ(乙) ふ
へ(甲)・
へ(乙)
ほ
マ行 ま み(甲)・
み(乙)
む め(甲)・
め(乙) も(甲)・
も(乙)
ヤ行 や ― ゆ
イ
エ よ(甲)・
よ(乙)
ラ行 ら り る
れ ろ(甲)・
ろ(乙)
ワ行 わ ゐ ―
ゑ
を
これは上代特殊假遣の発見とされ、後に日本語が ウラル・アルタイ系統の言語であるとする系統論に有力な示唆を与えることになる。古代日本語ではイ談、エ段、オ段はそれぞれ2種類の漢字が使い分けられて いる。
例えば古事記歌謡では「き」の音に六種類の漢字 が使われている。( )内は回数
岐(150)、
紀(24)、
伎(5)、
棄(1)、
貴(1)、
疑(1)
このうち岐、伎、棄は甲類の単語のみに使われ、 紀、貴、疑は乙類の単語のみに使われている。
甲類:由岐(雪)、淤岐(沖)、登岐(時)、加岐(垣)、美岐
(御酒)、岐美(君)、
岐奴(絹)、都婆岐 (椿)、須岐(鋤)、由岐(行き)、那伎(鳴き)、
乙類:都紀(月)、紀(木)、 多加紀(高城)、疑理(霧)、阿治志貴(あぢしき)、
雪、沖、時な どには甲類の漢字のみが用いられ、乙類の漢字が用いられることはない。また、月、木、霧などには乙類の漢字のみが用いられて、甲類の漢字が用いられること
はない。橋本進吉はこのように漢字が使い分けられているのは記紀万葉の時代の日本語に何らかの発音上の違いがあったからに違いないと考えた。甲類、乙類と
いうのはいかにも古めかしい命名だが、甲類と乙類のあいだにどのような違いがあったかは分からなかったのでいたしかたない。
五十音図は平安時代に作られたものであり、古事
記や日本書紀の時代の音を全部あらわすことができない。例えば、古事記歌謡につぎのような歌がある。これを古事記の時代の日本語音に復元すれば次のように なる。
多迦比迦流 比
能美古 夜
須美斯志
たかひ(甲)か
る ひ(甲)の(乙)み(甲)こ(甲) やすみ(甲)し し
和賀意富岐美 阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆
わがおほき(甲)み(甲) あらたまの(乙) と(乙)しがき(甲)ふれば
阿良多麻能 都紀波岐閉由久 宇倍那宇倍那
あらたまの(乙) つき(乙)はき(甲)へ(乙)ゆく うべ(乙)なうべ(乙)な
岐美麻知賀多爾 和賀祁勢流 意須比能須蘇爾
き(甲)み(甲)まちがたに わがけ(甲)せる おすひ(甲)の(乙)すそ(甲)に
都紀多多那牟余
つき(乙)たたなむよ(乙)
この歌は現代の五母音で読むと次のようになる。
高光る 日の御子 やすみしし
我が大君 あらたまの 年が来 経(ふ)れば
あらたまの 月が来経(へ)ゆ く うべなうべな
君待ちがたに 我が着(け)せ る 襲(おすひ)の裾に
月立たなむよ
古代日本語の 母音の甲乙はどのような違いがあったのだろうか。橋本進吉も、その二種類の別は何等かの発音上の差異にもとづくことが推定される、としているだけでその違 いを解明するには至っていない。大野晋は岩波古語辞典で記紀万葉における甲乙の音を弁別しているが、その音価については、き(甲)ki、き(乙)kï、け(甲)ke、け(乙)kë、こ(甲)ko、こ(乙)köと示すだけで、その音価については明言をしていな い。
古事記歌謡におけるイ段の甲乙に使われている漢 字はつぎのとおりである。( )内は濁音
き(甲):岐、伎、棄、(藝、岐)
き(乙):紀、貴、疑、(疑)
ひ(甲):比、(毘)
ひ(乙):斐、肥、(備)
み(甲):美、弥、
み(乙):微、味、
甲類の漢字音も乙類の漢字音も現代の日本漢字音
では同じである。甲乙の違いは中国語音の違いに依拠しているものと考えてみる。まず、き(甲)とき(乙)について中国語の四声を調べてみると、次のように なる。
き(甲): 岐(上)、伎(上)、棄(去)、藝(去)、
き(乙): 紀(上)、貴 (去)、疑(平)、
次にこれらの漢字の古代中国語音は白川静の『字 通』、藤堂明保の『学研漢和大辞典』などによって推定すると次のようになる。
き(甲):岐[gie]、
伎[gie]、
棄[khiei]、
藝[ngiai]、
き(乙):紀[kiǝ]、
貴[kiuǝi]、
疑[ngiǝ]、
ひ(甲):比[piei]、毘[phiei]、
ひ(乙):斐[phiuǝi]、肥[biuǝi]、備[buǝi]
み(甲):美[miei]、弥[miai]、
み(乙):微[miuǝi]、味[miuǝi]、
乙類の漢字には、あいまい母音の[ǝ]が含まれていることがわかる。もうひとつの特徴として乙類 の漢字音は[-u-]介音を含んだものが多いということで ある。ひ(乙)、み(乙)は明らかに合音である。き(乙)についても「貴」は合音であり、「疑」も鼻音であり、唇は閉じられている。
き(甲)とき(乙)の違いについてさらにその特 徴を現代の北京語音、広東語音、朝鮮語音で調べてみると次のようになる。
甲類 乙 類
| 北京音 | 広東音 | 朝鮮音 | 北京音 | 広東音 | 朝鮮音 | ||
| 岐(152) | qi | keih | ki | 紀(24) | ji | gei | ki |
| 伎(5) | ji | geih | ki | 貴-(1) | gui | gwai | kwi |
| 棄(1) | qi | keih | ki | 疑(5)- | yi | yih | ui |
| 藝(18) | yi | ngaih | ui |
( )内の数字は使用頻度をあらわす。
日本語、朝鮮語ではき(甲)・き(乙)の区別はほとんどつかないが、北京音では甲類のほ とんどが(qi)であり、乙類では(ji)が
多い。現代の漢字音は古代の漢字音の変化してきたものであり、古代の発音の違いの痕跡を留めているものと思われる。現代の漢字音では音符の「支」はカ行
(技、岐、伎など)で読むものとサ行(枝、支)で読むものがあるがカ行音のほうが古い。日本で出土した稲荷山鉄剣の銘にある「獲加多支鹵」は「わかたけ
る」と「支」を支(け)とカ行で読む。
岐の類と紀の類の差異については『韻鏡』などの
韻書をみても必ずしも明らかでないが、現代の北京語音では差異が明らかである。現代語音の差異は唐の時代の差異を何らかの形で反映しているはずである。森
博達は『古代の音韻と日本書紀の成立』のなかでき(甲)・き(乙)の違いを重紐、つまり中舌的拗音(ï)と前舌的拗音(i)の差異に求めている。いずれにしてもき(甲)・き(乙)の違いは主母音の違いによるものではなく、介音の
違いであり、介音の違いが後に北京語音では頭子音に影響を与えたものと考えられる。
これらのこと
を綜合すると古代日本語における岐の類と紀の類の違いは母音の側よりもむしろ頭子音またはわたり音(介音)にあるのではないかと思われる。従来橋本進吉、
有り坂秀世、大野晋などの国語学者は古代の日本語には母音が八つあったとしているが、古代の日本語も主母音は五つであり、介音の影響で拗音(i)あるいは合音(u)になり、やがてそれが頭音に影響を及ぼして摩擦音
あるいは破擦音になったのではあるまいか。「支」の古代音がカ行からサ行に転移していった事実はそのことを裏づけているように思われる。
古代日本語には二重母音はなかった。古代日本語
には二重母音を避ける工夫がみられる。我家(わぎへ)、我妹(わぎも)、などは我(waga)の最後の音節の母音と家(ihe)、妹(imo)の語頭の母音が二重母音になることを避けている。
吾が思ふ妻(あがもふつま)なども吾が(waga)の最後の母音と思う(omoufu)の語頭の母音とが二重母音になることを避けてい る。
しかし、ヤ行はi介音を含む音節であり、ワ行はu介
音を含む音節であった。青(あを)、岡(をか)、乙女(をとめ)、尾(を)、猪(ゐ)、居(ゐ)る、枝(イエだ)、末(すゑ)、植(うゑる)などは現在で
はア行に統合われているが、ヤ行、ワ行のことばであった。また、「我」は古代日本語では我(われ)でもあり我(あれ)でもあった。現代の日本語ではi介音あるいはu介音が失われている。
これと同じことが古代日本語の甲乙についても起
こったに違いない。古代日本語には母音が八つあったのではくて、ア行以外の行にも拗音や合音があったと考えるべきであろう。古代日本語でも母音は五つで
あったと考えれば、現代の日本語ではわたり音(i介音、u介音)が失われたということになる。
古代日本語には母音が八つあった。記紀万葉の時
代の日本語は文字としては残っているものの、その音を聞いた人は誰もいない。その日本語の音を文字をたよりに復元してみることにする。次の歌は古事記歌謡 の歌である。
許母理久能 波 都勢能賀波能 賀 美都勢爾
こ(乙)も(乙)り くの(乙) はつせの(乙)か
はの(乙) かみ(甲)つ せに
伊久比袁宇知 斯毛都勢爾 麻久比袁宇知
いくひ(甲)をうち しも(甲)つせに まくひ(甲)をうち
伊久比爾波 加賀美袁加氣 麻久比爾波
いくひ(甲)には かがみ(甲)をかけ(乙) まくひ(甲)には
麻多麻袁加氣 麻多麻那須 阿賀母布都麻
またまをかけ(乙) またまなす あがも(乙)ふつま
阿理登 伊波婆許曾余 伊幣爾母由加米
ありと(乙) いはばこ(乙)そ(乙)よ いへ(甲)にも(乙)ゆかめ(乙)
久爾袁母斯怒波米
くにをも(乙)しの(甲)ばめ(乙)
現代の日本語では同じになっている音がイ段、エ
段、オ段ではふつつにわかれていた。「上(かみ)つ瀬」の「上」は甲類で「かみ(甲)」だが「神」の場合は乙類で「迦微」などと書く。こ の歌は次のように読まれる。
隠国の 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杙(いくひ)を打ち
下つ瀬に 眞杙(まくひ)を打 ち 斎杙(いくひ)には
鏡を掛け 眞杙(まくひ)には 眞玉(またま)を掛け
眞玉(またま)なす 吾が思ふ 妹 鏡なす 吾が思ふ妻
有りと 言はばこそよ 家にも
行かめ 国をも偲ばめ
古事記歌謡ではエ段に次のような漢字が使われて いる。
【エ段】 [
]は古代中国語音、( )は使用頻度、*は濁音をあらわす
け(甲) : 祁[giei](37)、 牙*[ngea](1) け(乙) :
氣[kiǝi](26)、 宜*[ngiai](6)、
へ(甲) : 弊[piai](26)、 幣[piai](4)、 弁*[bian](2)
へ(乙) : 閉pyei](19)、 倍[buǝ](2)、
め(甲) : 賣[mai](24)、 め(乙) : 米[muǝi](36)、
祁(ぎ)、氣(き)、宜(ぎ)は現代日本漢字
音ではイ段であり、牙(が)はア段である。弊(へい)、幣(へい)、閉(へい)は二重母音であり、倍(ばい)、賣(ばい)、米(べい・まい)もまた二重母
音である。古代日本語には二重母音がなかったから、中国語音の[ai]、[ei]が古代日本語のエ段に使われたものと思われる。エ
段甲乙の区別がどのゆなものであったかは古事記歌謡の用例だけからは明らかでないが、け(乙)、へ(乙)、め(乙)には合音(u)の要素を含んだものが多い。
古事記歌謡では甲と乙が次のように使い分けられ ている。
け(甲):祁布(今日)、迦祁(鶏)、多祁流(武)、祁理(け
り)、祁牟(けむ)、
け(乙):伊氣(池)、多氣 (竹)、須宜(菅)、加宜(陰)、尒宜(逃 げ)、 夜氣(焼 け)、
へ(甲):伊弊(家)、麻弊(前)、淤岐弊 (沖辺)、弊具理(平群)、夜弊(八重)、
へ(乙):斯 漏多閉(白妙)、牟
加閉(迎へ)、意母閉杼(思へど)、多麻閉(賜へ)、
め (甲) :遠登賣(乙女)、須賀志賣(清し女)、賣杼理(女鳥)、佐陁賣(定め)、
め (乙) :阿米(雨)、須受米(雀)、米(芽)、曾米(染 め)、由加米(行かめ)、
古事記歌謡でオ段に次のような漢字が使われてい る。
【オ段】 [ ]は古代中国語音、( )は使用頻度、*は濁音をあらわす
こ(甲)
:古[ka](41)、故[ka](1)、胡*[ha](3) こ(乙) :許[xa/xia](119)、碁*[giǝ](15)、其*[giǝ](1)、
そ(甲):蘇[sa](15)、 そ(乙):曾{tzǝng](49)、叙*[zia]、 存*[dzuǝn](1)、
と(甲):斗[tǝu](26)、刀[tô]、度[da](2)、 と(乙) : 登[tǝng](194)、等[tǝng](3)、 杼*[zia](20)、
の(甲):怒{na](14)、 の(乙):能[nǝ](271)、乃[nǝ](2)、
も(甲):毛[mô](37)、
も(乙):母[mǝ](136)、
よ(甲):用[jiong](19)
よ(乙):余[jia](26)、与[jia](8)、
ろ(甲):漏[lo](7)、路[la](3)、盧[lia](1)1、
ろ(乙):呂[lia](37)、
甲類はほとんどが直音である。乙類は拗音(i介音を含む)か、あいまい母音である。現代の日本
漢字音では乙類の漢字は許(きょ)、叙(じょ)、杼(じょ)、呂(ろ・りょ)あるいは曾(そ・そ
う)、登(と・とう)、等(とう)、能(のう)、乃(の・ない)などと発音される。
古事記歌謡では甲と乙が次のように使い分けられて いる。
こ(甲):古斐(恋)、古杼母(子ども)、美古(御子)、古須受(小 鈴)、 加志古志(畏 し)、
こ(乙):許登(琴)、許呂母(衣)、許々呂(心)、美許登(みこと)、曾許(そこ)、
そ(甲):蘇良(空)、伊蘇(磯)、蘇弖
(袖)、須蘇(すそ)、阿蘇毘(遊び)、
そ(乙):阿曾(朝臣)、曾米(染め)、曾能(その)、曾許(そこ)、許曾(〜こそ)、
と(甲):波斗(鳩)、佐斗(里)、斗 (戸)、斗比(問ひ)、斗理(取り)、
と(乙):比登(人)、登理(鳥)、登岐(時)、夜麻登(大和)、遠登賣(乙女)、
の(甲):袁怒(小野)、延斯怒(吉野)、多
怒斯(楽し)、斯怒(偲)ばめ、
の(乙):伊能知(命)、能知(後)、許能波(木の葉)、曾能(その)、許能(この)、
も(甲):伊毛(妹)、久毛(雲)、伊豆毛 (出雲)、毛々(百)、毛由流(燃ゆる)、
も(乙):古杼母(子ども)、母登(本)、母布(思ふ)、母知(持ち)、母(〜も)、
よ(甲):麻用(眉)、用(夜)、伊佐用布
(いさよふ)、用理(〜より)、
よ(乙):余許(横)、登許余(常世)、余佐美(依網)、余志(良し)、与呂斯(よろし)、
ろ(甲):斯路岐(白き)、久路岐(黒き)、 迦藝漏肥(陽炎)、牟盧(室)、
ろ(乙):許呂母(衣)、許々呂(心)、麻本呂婆(まほろば)、宇斯呂(後)、
古代日本語の母音は八つあったというよりも、む
しろ古代日本語のイ段、エ段、オ段には直音と拗音あるいは合音の区別があったと考えるほうが自然ではなかろうか。古事記では、「も(甲)」は毛、「も
(乙)」は母と区別されていた。それが日本書紀や万葉集ではも(甲)とも(乙)は混用されて、甲乙の区別は失われている。古代日
本語の甲乙の区別はマ行(唇音)から失われはじめたらしい。マ行音は鼻音であり、口唇性が強い。そのため直音と合音の区別が失われたのであろう。
現代の日本語でもヤ行はア行の拗音であり、ワ行
は合音である。旧仮名使いでは「い・ゐ」、「え・ゑ」、「お・を」は区別されていた。古代日本語ではア行以外でも直音と拗音あるいは合音は区別されていた
と考えるべきであろう。
古事記歌謡でア行、ヤ行、ワ行の区別に用いられ ている漢字は次のとおりである。古代日本語にはヤ行にもエ段の音があった。
ア行 ヤ 行 ワ 行
い 伊[iei](115)、 ゐ 韋[iuǝi](15)、
え 亜[ai](2)、 イ エ 延[jian](27)、 ゑ 恵[yuei](13)、
お 淤[ia](45)、
意[iǝi](32)、 於[ia](2)、 を 袁[iuan](121)、 遠[iuan](24)、
古事記歌謡ではヤ行、ワ行の音は次のように使わ れている。
イエ 延(枝)、延(江)、延(兄)、延斯怒(吉野)、岐許延(聞 こえ)、
美延受(見 えず)、
ゐ 韋(居)、韋(井)、韋(猪)、韋(堰)、麻韋(参)る、韋泥斯(ゐ寝し)、
ゑ 由恵(故)、須恵(末)、恵比(酔ひ)、恵美(笑み)、宇恵(植 え)、 恵奴(飢 ぬ)、
を 遠(男)、遠(緒)、袁(尾)、遠登賣(乙女)、袁美那(女)、阿袁(青)、
登袁加(十日)、袁夫泥(小舟)、袁波理(尾張)、袁理(居り)、麻袁須(申す)、
古代日本語の
甲・乙の区別がまず最初に失われた。次にヤ行の拗音が失われた。だから、平安時代にできた五十音図には甲乙の区別もヤ行のイエもない。ワ行の合音は平安時
代を生き延び、旧仮名使いのなかにその痕跡を留めていたが、戦後の新仮名使いでは表記法上からもその区別は失われた。
古代日本語の母音は五つであったか、八つであっ
たかというのは、実は大した問題ではない。世界の言語のなかには母音の数が五つのものあるし、八つのものもある。隣の朝鮮語などは主な母音だけで七つあ る。
古代日本語の
母音は甲乙に分かれるものも含めて八つあり、その母音の組み合わせに法則性があり、母音調和していることが後に発見された。母音調和とは、その言語のなか
で使われる母音が男性母音、女性母音、あるいは陽母音、陰母音、中性母音などに分かれていることである。一般に男性母音は男性母音と共存するが、男性母音
と女性母音が同じ単語のなかに共存することはない。言語によっては男性母音の単語には男性母音専用の助詞がつき、女性母音の単語には女性母音専用の別の助
詞が用いられる言語もある。
アルタイ諸語(満州語などのツングース諸語、モ
ンゴル語、トルコ語、フィンランド語、ハンガリー語など)に多く見られる現象である。上代日本語にも母音調和があったことを、有坂秀世などが、万葉集の母
音の甲乙を子細に調べることによって明らかにした。
このことによって、それまで系統不明の言語とさ
れていた日本語がアルタイ系の言語であるという傍証がえられた。有坂秀世によれば古代日本語音は三つのグループに分けられるという。
1.オ(甲)音
とオ(乙)音 は同一語根内に存在しない。
2.ウ段音とオ(乙)音 は同一語根内に共存することが少ない。
3.ア段音とオ(乙)音
は同一語根内に共存することが少ない。
このことを古事記歌謡によって検証してみること にする。
許能美岐波 和賀美岐那良受 久志能加美 登許余迩伊麻須 伊波 多多須 須久那美迦微能
加牟菩岐 本岐玖琉本斯 登余
本岐 本岐母登本斯 麻都理許斯 美岐叙 阿佐受袁勢 佐佐
この歌は現代の日本語では次のように読み下されて いる。
この御酒(みき)は 我が御酒ならず 酒(くし)の神 常世にい ます 石(いは)立たす
少(すくな)御神の 神(か
む)寿(ほ)ぎ 寿ぎ狂(くる)ほし 豊(とよ)寿ぎ 寿ぎ
もとほし まつり来し 御酒ぞ あさずをせ ささ
この歌を古代音で復元すると次のようになる。
こ(乙)の(乙)み(甲)き(甲)は わがみ(甲)き(甲)な らず くしの(乙)か み(甲)
と(乙)こ(乙)よ(乙)に
います いはたたす すくなみ(甲)か み(乙)の(乙) かむほぎ(甲) ほぎ(甲)く るほし
と(乙)よ(乙)ほ ぎ(甲) ほぎ(甲)も(乙)と(乙)ほ し まつりこ(乙)し み(甲)き(甲)ぞ(乙)
あさずをせささ
この歌に出てくる母音について甲乙の結びつきを 調べてみると次のようになる。(甲乙の別のない母音については(中)、つまり中性として表示してみた。)
・甲類は甲類と、乙類は乙類と結びついている 例:
こ(乙)の(乙)、 み(甲)き(甲)、 と(乙)こ(乙)よ(乙)、 と(乙)よ(乙)、
・甲乙の別のない音と結びついている例:
か(中)み(甲)、 ほ(中)ぎ(甲)、 も(乙)と(乙)ほ(中)し(中)、 こ(乙)し(中)、
・助詞などで独立している例:
の(乙)、 ぞ(乙)、 み(甲)か(中)み(乙)、
これだけの例からも、甲類は甲類と結びつき、乙
類は乙類と結びつきやすく、中性の母音は甲類とも乙類とも結びつくことが分かる。
モンゴル語などでは母音調和は助詞にまで及び、
男性母音の単語には男性母音の助詞がつき、女性母音の単語には女性母音の単語がつく。しかし、古代日本語の場合は、母音調和は「の(乙)」、「ぞ(乙)」などには及んでいない。また、「み(甲)か(中)み(乙)」のように「み(甲)」は語幹とは切り離されているようにみえる。
フィンランド語などでは前舌母音の単語は活用語
尾も前舌母音であり、後舌母音の単語は後舌母音の語尾を使い分けるという。古代日本語の場合は、その意味では母音調和はすでに崩れかけているといえる。
朝鮮語の場合は、中期朝鮮語(高麗王朝の成立し
た10世紀から16世紀末ころ)までは母音調和がかなり残っていたことが知られている。朝鮮語の場合、母音は三つのグループに分かれている。
1.陽性母音(口の開きが大きい):a、o、ə、
2.陰性母音(口の開きが小さい):eo、u、eu、
3.中性母音:i
ひとつの単語のなかで陽性母音は陽性母音と共存
し、原則として陰陽両母音は共存を容認しない。中性母音は陰陽いずれの母音とも共存しうる。中期朝鮮語では母音調和は助詞にも及んだが、いまではそれは崩 れてきている。
有坂秀世はこれを万葉集についてまんべんなく調
べた。その結果到達したのが、上にあげた三つの法則である。古事記歌謡について三つの法則をあてはめてみると次のようになる。
1.オ(甲)音とオ(乙)音は同一語根内に存在しない。
例外:古杼母(こ甲・ど乙・も乙)、
2.ウ段音とオ(乙)音は同一語根内に共存することが少ない。
例外:意母布(思ふ=お中・も乙・ふ
中)、比登都(一つ=ひ甲・と乙・つ中)、伊佐用布 (い中・さ中・よ乙・ふ中)、
3.ア段音とオ(乙)音は同一語根内に共存することが少ない。
例外:阿曾
(朝臣=あ中・そ乙)、麻用(眉=ま中・よ乙)、余佐美(依網=よ乙・さ中・ み甲)、夜麻登(大和=や中・ま中・と乙)、麻本呂婆(ま中・ほ中・ ろ乙・
ば中)、許能 波(木の葉=こ乙・の乙・は中)、登加受(解かず=と乙・か中・ず中)、母多勢(持たせ =も乙・た中・せ中)、
古事記歌謡で 検証しただけでも、かなりの例外を認めなければならない。「子ども」は「子・ども」、「一つ」は「ひと・つ」であると説明することができるかもしれな
い。「思ふ」は「おも」が語幹である、動詞の活用語尾には母音調和は及ばない、つすることができるかもしれない。しかし、「大和」は「やま・と」である。
「まほろば」は「まほろ・ば」であろうか。「朝臣」は「あ・そ」であろうか。「眉」は「ま・よ」であろうか。
確かに「許々
呂=心=こ乙・こ乙・ろ乙」、「許呂母=衣=こ乙・ろ乙・も乙」、「登許余=常世=と乙・こ乙・よ乙」、「曾許=そ乙・こ乙」、「許曾=〜こ乙・そ乙」、
「曾能=そ乙・の乙」、「許能=こ乙・の乙」などオ段乙類はオ段乙類と共存する場合が多い。しかし、古代日本語に母音調和があったといっても、モンゴル語
やフィンランド語に比べるとかなり崩れた形で残存したいたと認めざるをいない。
母音調和とは調音の流れのなかで、前の母音が後
の母音の調音にに影響を与え、あるいは後の母音が前の母音を引っ張るというような一般的が現象であり、アルタイ系言語はかりでなく、アフリカやアメリカ原
住民のことばにもみられるということが最近わかってきたという。
古代日本語に
ついては甲乙の区別は認められるものの、甲乙の音価について定説がないのだから、これ以上議論を進めるのは困難であろう。しかし、日本語の語順が朝鮮語や
モンゴル語、あるいはビルマ語やタミル語などドラヴィダ系の言語と同じであり、歴史的にどちらが先祖であるかどうかはともかくも、言語の類型として近いこ
とは否定しようがない。
第141話 柿本人麻呂の日本語世界
古代日本語の母音は五つであったか、八つであっ
たかというのは、実は大した問題ではない。世界の言語のなかには母音の数が五つのものあるし、八つのものもある。隣の朝鮮語などは主な母音だけで七つあ る。
古代日本語の
母音は甲乙に分かれるものも含めて八つあり、その母音の組み合わせに法則性があり、母音調和していることが後に発見された。母音調和とは、その言語のなか
で使われる母音が男性母音、女性母音、あるいは陽母音、陰母音、中性母音などに分かれていることである。一般に男性母音は男性母音と共存するが、男性母音
と女性母音が同じ単語のなかに共存することはない。言語によっては男性母音の単語には男性母音専用の助詞がつき、女性母音の単語には女性母音専用の別の助
詞が用いられる言語もある。
アルタイ諸語(満州語などのツングース諸語、モ
ンゴル語、トルコ語、フィンランド語、ハンガリー語など)に多く見られる現象である。上代日本語にも母音調和があったことを、有坂秀世などが、万葉集の母
音の甲乙を子細に調べることによって明らかにした。
このことによって、それまで系統不明の言語とさ
れていた日本語がアルタイ系の言語であるという傍証がえられた。有坂秀世によれば古代日本語音は三つのグループに分けられるという。
1.オ(甲)音
とオ(乙)音 は同一語根内に存在しない。
2.ウ段音とオ(乙)音 は同一語根内に共存することが少ない。
3.ア段音とオ(乙)音
は同一語根内に共存することが少ない。
このことを古事記歌謡によって検証してみること にする。
許能美岐波 和賀美岐那良受 久志能加美 登許余迩伊麻須 伊波 多多須 須久那美迦微能
加牟菩岐 本岐玖琉本斯 登余
本岐 本岐母登本斯 麻都理許斯 美岐叙 阿佐受袁勢 佐佐
この歌は現代の日本語では次のように読み下されて いる。
この御酒(みき)は 我が御酒ならず 酒(くし)の神 常世にい ます 石(いは)立たす
少(すくな)御神の 神(か
む)寿(ほ)ぎ 寿ぎ狂(くる)ほし 豊(とよ)寿ぎ 寿ぎ
もとほし まつり来し 御酒ぞ あさずをせ ささ
この歌を古代音で復元すると次のようになる。
こ(乙)の(乙)み(甲)き(甲)は わがみ(甲)き(甲)な らず くしの(乙)か み(甲)
と(乙)こ(乙)よ(乙)に
います いはたたす すくなみ(甲)か み(乙)の(乙) かむほぎ(甲) ほぎ(甲)く るほし
と(乙)よ(乙)ほ ぎ(甲) ほぎ(甲)も(乙)と(乙)ほ し まつりこ(乙)し み(甲)き(甲)ぞ(乙)
あさずをせささ
この歌に出てくる母音について甲乙の結びつきを 調べてみると次のようになる。(甲乙の別のない母音については(中)、つまり中性として表示してみた。)
・甲類は甲類と、乙類は乙類と結びついている 例:
こ(乙)の(乙)、 み(甲)き(甲)、 と(乙)こ(乙)よ(乙)、 と(乙)よ(乙)、
・甲乙の別のない音と結びついている例:
か(中)み(甲)、 ほ(中)ぎ(甲)、 も(乙)と(乙)ほ(中)し(中)、 こ(乙)し(中)、
・助詞などで独立している例:
の(乙)、 ぞ(乙)、 み(甲)か(中)み(乙)、
これだけの例からも、甲類は甲類と結びつき、乙
類は乙類と結びつきやすく、中性の母音は甲類とも乙類とも結びつくことが分かる。
モンゴル語などでは母音調和は助詞にまで及び、
男性母音の単語には男性母音の助詞がつき、女性母音の単語には女性母音の単語がつく。しかし、古代日本語の場合は、母音調和は「の(乙)」、「ぞ(乙)」などには及んでいない。また、「み(甲)か(中)み(乙)」のように「み(甲)」は語幹とは切り離されているようにみえる。
フィンランド語などでは前舌母音の単語は活用語
尾も前舌母音であり、後舌母音の単語は後舌母音の語尾を使い分けるという。古代日本語の場合は、その意味では母音調和はすでに崩れかけているといえる。
朝鮮語の場合は、中期朝鮮語(高麗王朝の成立し
た10世紀から16世紀末ころ)までは母音調和がかなり残っていたことが知られている。朝鮮語の場合、母音は三つのグループに分かれている。
1.陽性母音(口の開きが大きい):a、o、ə、
2.陰性母音(口の開きが小さい):eo、u、eu、
3.中性母音:i
ひとつの単語のなかで陽性母音は陽性母音と共存
し、原則として陰陽両母音は共存を容認しない。中性母音は陰陽いずれの母音とも共存しうる。中期朝鮮語では母音調和は助詞にも及んだが、いまではそれは崩 れてきている。
有坂秀世はこれを万葉集についてまんべんなく調
べた。その結果到達したのが、上にあげた三つの法則である。古事記歌謡について三つの法則をあてはめてみると次のようになる。
1.オ(甲)音とオ(乙)音は同一語根内に存在しない。
例外:古杼母(こ甲・ど乙・も乙)、
2.ウ段音とオ(乙)音は同一語根内に共存することが少ない。
例外:意母布(思ふ=お中・も乙・ふ
中)、比登都(一つ=ひ甲・と乙・つ中)、伊佐用布 (い中・さ中・よ乙・ふ中)、
3.ア段音とオ(乙)音は同一語根内に共存することが少ない。
例外:阿曾
(朝臣=あ中・そ乙)、麻用(眉=ま中・よ乙)、余佐美(依網=よ乙・さ中・ み甲)、夜麻登(大和=や中・ま中・と乙)、麻本呂婆(ま中・ほ中・ ろ乙・
ば中)、許能 波(木の葉=こ乙・の乙・は中)、登加受(解かず=と乙・か中・ず中)、母多勢(持たせ =も乙・た中・せ中)、
古事記歌謡で 検証しただけでも、かなりの例外を認めなければならない。「子ども」は「子・ども」、「一つ」は「ひと・つ」であると説明することができるかもしれな
い。「思ふ」は「おも」が語幹である、動詞の活用語尾には母音調和は及ばない、つすることができるかもしれない。しかし、「大和」は「やま・と」である。
「まほろば」は「まほろ・ば」であろうか。「朝臣」は「あ・そ」であろうか。「眉」は「ま・よ」であろうか。
確かに「許々
呂=心=こ乙・こ乙・ろ乙」、「許呂母=衣=こ乙・ろ乙・も乙」、「登許余=常世=と乙・こ乙・よ乙」、「曾許=そ乙・こ乙」、「許曾=〜こ乙・そ乙」、
「曾能=そ乙・の乙」、「許能=こ乙・の乙」などオ段乙類はオ段乙類と共存する場合が多い。しかし、古代日本語に母音調和があったといっても、モンゴル語
やフィンランド語に比べるとかなり崩れた形で残存したいたと認めざるをいない。
母音調和とは調音の流れのなかで、前の母音が後
の母音の調音にに影響を与え、あるいは後の母音が前の母音を引っ張るというような一般的が現象であり、アルタイ系言語はかりでなく、アフリカやアメリカ原
住民のことばにもみられるということが最近わかってきたという。
古代日本語に
ついては甲乙の区別は認められるものの、甲乙の音価について定説がないのだから、これ以上議論を進めるのは困難であろう。しかし、日本語の語順が朝鮮語や
モンゴル語、あるいはビルマ語やタミル語などドラヴィダ系の言語と同じであり、歴史的にどちらが先祖であるかどうかはともかくも、言語の類型として近いこ
とは否定しようがない。