小林昭美 日本語千夜一夜〜古代編〜3

2021.02.07 更新2026.08.22

[弥生時代の日本語]
第060話 弥生音の痕跡
第061話 弥生音の特色
第062話 やまとことばのなかの中国語
第063話 国語学者亀井孝の反論
第064話 国学の伝統
第065話 やまとことばは純粋か(1)
第066話 やまとことばは純粋か(2)
第067話 やまとことばは純粋か(3)

[古事記の日本語]
第068話 『古事記伝』を読む
第069話 本居宣長の古事記解読
第070話 古事記解読の方法
第071話 漢心をすすぎさる
第072話 古事記はやまとことばで書かれているか
第073話 古事記は日本書紀とどう違うか
第074話 古事記はどのようにして成立したか
第075話 記紀万葉時代の日本語
第076話 大国主とは誰か
第077話 記紀のなかの朝鮮語の痕跡

[日本語のかたち]
第078話 キリシタン宣教師の日本語研究
第079話 ジョン万次郎の英会話
第080話 沖縄語入門
第081話 ケセン語入門
第082話 大槻文彦の語源研究
第083話 日本語の基層〜からだをあらわすことば 〜
第084話 新井満の『自由訳 般若心経』
第085話 外国人に日本語を教えてみると

[日本語の系統]
第086話 日本語の系統論
第087話 日本語とアイヌ語
第088話 『アイヌ神謡集』を読む
第089話 日本語と朝鮮語
第090話 日本語とタミル語
第091話 日本に一番近い南島のことば〜チャモロ 語〜
第092話 台湾原住民のことば
第093話 比較言語学の方法
第094話 言語の起源はひとつか
第095話 言語の類型
第096話 クレオール誕生
第097話 日本語の座標軸

[聖書のことば]
第098話 はじめにことばありき考
第099話 朝鮮語訳の聖書
第100話 モンゴル語訳の聖書
第101話 中国語・英語の対訳聖書
第102話 アイヌ語訳の聖書
第103話 チャモロ語訳の聖書
第104話 タミル語訳の聖書
第105話 ビルマ語訳の聖書
第106話 日本語と近いことば・遠いことば

[弥生時代の日本語]

第060話 弥生音の痕跡

「やまとことば」のなかには、弥生時代における中国語からの借用語で、日本語のなかに定着してしまったと思われることばが含まれている。日本語の語彙のなかには「音」と「訓」が奇妙に似ている単語が多い。通説によれば、「音」は中国語からの借用音であり、「訓」は「やまとことば」を漢字で表記したものであるはずである。

 竹(チク・たけ)、 筆(ヒツ・ふで)、 鉢(ハツ・はち)、 葛(カツ・くず)、
 牧(ボク・まき)、 麦(バク・むぎ)、  幕(バク・まく)、 舌(ゼツ・した)、
 役(エキ・やく)、 着(チャク・つく)、剥(ハク・はぐ)、 索(サク・さがす)、

 これらのことばの古代中国語音は、つぎのように推定されている。

竹[tiuk]、筆[piet]、鉢[puat]、葛[kat]、牧[miuək]、麦[muək]、幕[mak]、舌[djiat]、役[jiek]、着[diak]、
  剥[peok]、索[sheak]、

竹(チク・たけ)、筆(ヒツ・ふで)、鉢(ハツ・はち)、葛(カツ・くず)などは、音も訓も、子音は同じで母音だけが変化している。牧(ボク・まき)、麦(バク・むぎ)、幕(バク・まく)、舌(ゼツ・した)では、音は語頭の子音が濁音になっている。古代日本語では濁音が語頭にくることはなかったので、語頭の子音は清音になりやすく、第二音節の子音は濁音になる傾向がみられる。これらのことばは音も訓も、中国語からの借用音である可能性がたかい。「音」と「訓」のこのような奇妙な類似は、かなり多く例をあげることができる。

洲(シュウ・す)、 巣(ソウ・す)、  黄(コウ・き)、  九(キュウ・く)、
帆(ハン・ほ)、  枯(コ・かれる)、 死(シ・しぬ)、  指(シ・さす)、
耐(タイ・たえる)、通(ツウ・とおる)、透(トウ・とおる)、舞(ブ・まう)、
迷(メイ・まよう)、染(セン・そめる)、占(セン・しめる)、

 これらのことばは音訓ともに意味はおなじであり、かつ発音が類似している。発音がおなじで、意味が同じことばは同源である可能性がある。これらのことばの古代中国語音は、つぎのように推定できる。

州[tjiu]、巣[dzheô]、黄[huang]、九[kiu]、帆[biuəm]、枯[kha]、死[siei]、指[tjiei]、耐[nə]、通[thong]、透[thu]、舞[miua]、迷[myei]、染[njiam]、占[tjiam]、

古代日本語に二重母音がなかったから、州(す)、巣(す)、黄(き)、九(く)などは單母音として発音されていたものであろう。帆(ほ)は日本語では中国語の韻尾[-n]が失われたものである。これらのことばのなかには、「枯れる」、「死ぬ」、「指す」などのように日本の動詞として活用するものもみられる。借用語を日本語の動詞として活用させるときは、一般に「す」、「る」などのようにウ段の音節を付加する。

 射す、挿す、刺す、指す、差す、死す、押す、捜す、伏す、
 照る、散る、依る、知る、通る、透る、凝る、似る、降る、来る、釣る、作る、造る、揚げる、 濁る、擦る、刷る、割る、掘る、刈る、困る、占める、稔る、染める、滲みる、沁みる、
 侵める、眠むる、練る、灯もる、兼ねる、粘ばる、
 払う、吸う、合う、会う、汲む、就く、呑む、澄む、剥ぐ、着く、築く、

 現在の日本語の五十音図の最後は「ん」で終っているが、古代の日本語には「ん」で終ることばはなかった。古代中国語の[-n] あるいは[-m] で終ることばは、古代日本語ではナ行あるいはマ行の音で代替している。

 壇(タン・たな)、金(キン・かね)、 兼(ケン・かねる)、殿(デン・との)、
 浜(ヒン・はま)、弾(ダン・たま)、 困(コン・こまる)、君(クン・きみ)、
 文(ブン・ふみ)、蝉(ゼン・せみ)、 肝(カン・きも)、 沁(シン・しみる)
 混(コン・こむ)、眠(ミン・ねむる)、占(セン・しめる)、染(セン・そめる)、

 これらのことばの古代中国語音は、つぎのように推定できる。

壇[tan]、金[kiəm]、兼[kyam]、殿[dyən]、浜[pien]、弾[dan]、困[khuən]、君[giuən]、文[miuən]、
蝉[zjian]、肝[kan]、沁[tsiəm]、混[huən]、眠[myen]、占[tjiam]、染[njiam]、

「君」の古代中国語音は君[giuən] であり、弥生音では「きみ」となり、のちに「クン」と呼ばれるようになった。また、殿[dyən] は「との」が後に「デン」と読まれるようになった。弥生音は隋唐の中国語音ではなく、古代中国語音に依拠している。また、朝鮮半島を通して日本語のなかに借用されたものが含まれているので、朝鮮漢字音の影響も認められる。弥生音は日本が本格的な文献時代に入る8世紀のころには、「やまとことば」のなかに定着していて、借用語とは感じられなくなってしまっていたのである。

第061話 弥生音の特色

 日本漢字音には呉音、漢音、唐音などがあることが知られている。しかし、日本が本格的文字時代に入る8世紀よりかなり以前から、中国語の語彙は日本語のなかに入ってきていた。弥生時代は中国大陸から朝鮮半島をとおして稲や鉄をもたらしたばかりでなく、ことばを含む文化を運んできた時代だった。従来「やまとことば」と考えられてきたことばのなかにも中国語からの借用語が含まれている。これらの借用語は「やまとことば」の音韻体系のなかに呑みこまれてしまっているので、一見「やまとことば」と区別がつきにくい。しかし、古代の中国語と規則的に対応しているものがいくつかある。これを「弥生音」と呼ぶことにする。弥生音にはいくつかの特色がある。それを文献時代以降の日本漢字音と比較してみると次のようになる。

1.語頭の濁音は清音になる。

舌(ゼツ・した)、牧(ボク・まき)、麦(バク・むぎ)、幕(バク・まく)、
蝉(ゼン・せみ)、弾(ダン・たま)、殿(デン・との)、文(ブン・ふみ)、

 2.語中の清音は濁音になる。

   筆(ヒツ・ふで)、葛(カツ・くず)、麦(バク・むぎ)、剥(ハク・はぐ)、

3.語尾の「ン」はナ行またはマ行で現れる。

君(クン・きみ)、金(キン・かね)、殿(デン・との)、浜(ヒン・はま)、
弾(ダン・たま)、文(ブン・ふみ)、蝉(ゼン・せみ)、肝(カン・きも)、

 4.二重母音は短母音で現れる。

   州(シュウ・す)、巣(ソウ・す)、黄(コウ・き)、九(キュウ・く)、

 弥生音にこれらの特色がみられるのは、弥生時代以来の日本語の音韻構造を反映しているからである。中国語からの借用語は「やまとことば」の音韻構造に適合して転移した。

     (1) 弥生時代の日本語では、語頭に濁音がくることはなかった。
(2) 弥生時代の日本語では、第2音節以降の音節では清音が濁音になった。
(3) 弥生時代の日本語では、すべての音節は母音で終る開音節であった。
(4) 弥生時代の日本語では、二重母音は避ける傾向があった。

弥生音の特色は記紀万葉の時代の日本語にも受け継がれた。弥生時代の始まりを紀元前3世紀としても、日本が本格的な文献時代に入る7〜8世紀との間には約1000年近くの隔たりがある。その間に日本語は中国語から多くの語彙を借用した。

文字に記録された日本語のなかに、弥生時代の中国語からの借用語の痕跡を見つけ出すことは、そう容易ではない。しかし、音韻の変化には一定の法則がある。調音の位置が同じ音は転移しやすい。また、調音の方法が同じ音も転移しやすい。例えば、ナ行とマ行は交替しやすい。ナ行もマ行も鼻音であり、調音の方法が同じだからである。バ行とマ行も転移しやすい。バ行とマ行はいずれも唇音であり、調音の位置が同じだからである。

日本語の子音は調音の位置や方法によって、つぎのように分類できる。縦軸が調音の方法を表わし、横軸に調音の位置を示している。

  清 音   濁 音   鼻 音   流 音
前口蓋音 タ行    ダ行    ナ行     ラ行
後口蓋音 カ行    ガ行
歯  音 サ行    ザ行
唇  音 ハ行    バ行    マ行

前口蓋音は硬口蓋音ともいい、歯茎に近い位置で調音される。後口蓋音は軟口蓋音ともいい、口腔の奥(喉の近く)で調音される。調音の方法には鼻音(空気が鼻に抜ける音)、破裂音(p、t、kなど)、摩擦音(s、zなど)破擦音(ts、dzなど)がある。この図では横軸に、調音の位置が同じ音は転移しやすい。また、縦軸に調音の方法が同じ音は転移しやすい。

日本語の音図では普通ダ行はタ行の濁音であり、バ行はハ行の濁音であると説明されている。しかし、ダ行はタ行の濁音であると同時にナ行の濁音でもある。また、バ行はハ行の濁音であると同時にマ行の濁音でもある。中国語音韻学ではナ行、マ行は次濁音あるいは清濁音と呼ばれることもある。

○ナ行とダ行の関係
 日本漢字音には呉音と漢音の違いが、ナ行とダ行の違いになってあらわれるものが多くみられる。

 那(ナ・ダ)、  儺(ナ・ダ)、  内(ナイ・ダイ)、 男(ナン・ダン)、
   奴(ヌ・ド)、  怒(ヌ・ド)、  捏(ネチ・デツ)、 粘(ネン・デン)、
   鮎(ネン・デン)、暖簾(ノレン)、 呑気(ノンキ)、

ナ行とタ行はいずれも前口蓋音で、調音の位置が同じである。日本語の音と訓の間にも、ナ行とダ 行の転移がみられる。

   濁(ダク・にごる)、呑(ドン・のむ)、鈍(ドン・にぶい)、

中国語の韻尾「ン」をタ行で発音したとみられるものがある。

 音(オン・おと)、管(カン・くだ)、 琴(キン・こと)、 肩(ケン・かた)、
   言(ゲン・こと)、盾(トン・たて)、 灘(ナン・なだ)、 幡(ハン・はた)、
   鞭(ビン・むち)、本(ホン・もと)、 綿(メン・わた)、 面(メン・おもて)、
   腕(ワン・うで)、堅(ケン・かたい)、断(ダン・たつ)、 満(マン・みつる)、

中国の言語学者、王力の『同源字典』によれば中国語でも韻尾が[-n] と[-t] とは交替することが多く、つぎの中国語は同源語だという。

例: 判・別、 弁・別、 断・絶、 温・鬱、 遵・率、 

  また、声符を同じくする漢字のなかにも、韻尾が[-n]と[-t]で交替するものがみられる。
   例:因(いん)・咽(えつ)、 顕(けん)・頁(けつ)、 乾(かん)・乞(こつ)、
  産(さん)・薩(さつ)、 柵(さん)・冊(さつ)、 本(ほん)・鉢(はち)、

○マ行とバ行の関係 
 日本漢字音には呉音と漢音の違いが、マ行とバ行の違いとなってあらわれるものが多くみられる。

 梅(マイ・バイ)、米(マイ・ベイ)、幕(マク・バク)、 万(マン・バン)、
   美(ミ・ビ)、  無(ム・ブ)、  武(ム・ブ)、   舞(ム・ブ)、
   矛(ム・ボウ)、 謀(ム・ボウ)、 免(メン・ベン)、 母(モ・ボ)、
   模(モ・ボ)、  亡(モウ・ボウ)、望(モウ・ボウ)、 木(モク・ボク)、
   牧(モク・ボク)、黙(モク・ボク)、物(モツ・ブツ)、 文(モン・ブン)、
   聞(モン・ブン)

 古代の日本語では濁音が語頭にくることはなかったので、中国語のバ行音は呉音ではマ行となった。呉音は日本人が語頭でバ行の発音ができるようになる前の、古い音を反映している。弥生音では濁音が語頭にくることがないので、日本漢字音でバ行になることばのなかには、訓ではマ行であらわれるものがみられる。

 麦(バク・むぎ)、幕(バク・まく)、物(ブツ・もの)、鞭(ベン・むち)、
   眉(ビ・まゆ)、 厖(ボウ・むく)、牧(ボク・まき)、舞(ブ・まう)

「音」と「訓」は一定の法則にしたがって対応している。これは両者が同源であることを示唆している。マ行の音が古く、バ行の音のほうが新しい。

○ナ行とラ行の関係
 古代の日本語ではラ行の音が語頭にくることはない。中国語の原音[l]が日本語ではナ行に転移して あらわれるものがある。ナ行とラ行はいずれも調音の位置が歯茎の後で、同じである。

 梨子(リ・なし)、練(レン・ねる)、泣(キュウ/リュウ・なく)、狼(ロウ・のろ)、

 また、訓読みの日本語のなかには、中国語韻尾「ン」をラ行で発音していると思われるものがかな  りある。

 俺(アン・おれ)、 庵(アン・いおり)、漢(カン・から)、 韓(カン・から)、
   雁(ガン・かり)、 巾(キン・きれ)、 玄(ゲン・くろ)、 昏(コン・くれ)、
   塵(ヂン・ちり)、 榛(ハン・はり)、 怨(オン・うらむ)、撚(ネン・よる)、
   練(レン・ねる)、 嫌(ケン・きらう)、

達磨(だるま)、算盤(そろばん)などもこの系列のことばである。日本の古地名でも敦賀は(つ るが)、平群は(へぐり)、駿河(するが)などがある。

○ナ行とマ行(バ行)の関係
ナ行とマ行はいずれも鼻音であり、調音方法が同じである。マ行(あるいはバ行)の音が「やまとことば」でナ行であらわれるものには、つぎのようなものがある。

無(ム・ない)、  名(メイ・な)、 鳴(メイ・なく)、眠(ミン・ねむる)、
  抜(バツ・ぬく)、 靡(ビ・なびく)、寐(ビ・ねる)、 猫(ビョウ・ねこ)、
  苗(ビョウ・なえ)、撫(ブ・なでる)、亡(ボウ・ない)、望(ボウ・ねがう)、

これらの日本語はいずれも弥生時代における中国語からの借用語である可能性がある音読みの日本語も訓読みの日本語も、古代中国語の同一の語源から、一定の法則にしたがって変化したと推測するに十分な音韻対応がみられる。

 それはなぜ金(キン) は金「かね」となり、漢(カン)は漢「から」となり、肩(ケン)は肩「かた」となったのかという点になると、答えはそう簡単ではない。「金」、「漢」、「肩」の古代中国語音は金[kiəm]、漢[xan]、肩[kyan]だと考えられているから、介音(わたり音)の違いが影響している可能性がある。肩[kyan]は肩(ケン・かた)であり、堅[kyen] も堅(ケン・かた)である。「肩」も「堅」も、古代中国語音の段階で肩[kyat]、堅[kyet] という異音があった可能性がある。漢[xan]は古代中国語音に漢[xat]に近い発音があり、それが朝鮮半島で漢(hat)になり、日本語では漢(から)になったと想定することもできる。「金」の韻尾[-m]は古代中国でも朝鮮でも[-n]、[-m] を区別している。現代の北京音では[-n]と[-m]が合流して[-n]になっている。日本の弥生音で[-m]がナ行に転移して金(かね)になっているのは日本語に「ン」で終わる音節がなく、[-n]と[-m]が弁別されていなかったとめだと考えられる。

 弥生時代のはじめから8世紀に日本が本格的な文字時代に入るまでには千年近い時代の流れがあり、中国語も江南地方の方言や朝鮮半島の言語の影響を受けている。これらのことばが弥生時代のいつごろ、どのような経路で「やまとことば」のなかに入ってきたかを特定することはほとんどの場合、残念ながら、今となっては不可能に近い。

○ア行、ヤ行、ワ行の関係
  日本語のヤ行音は中国語の拗音(i介音を含む音)と関係が深く、ワ行音は中国語の合音(u介音 を含む音)との関係が深い。ヤ行、ワ行は半母音と呼ばれることもある。朝鮮語(ハングル)では ア行、ヤ行、ワ行は同じ行に表記されている。現代の日本語でもヤ行、ワ行の音はア行に転移しや すい。たとえば、行(いく・ゆく)、云(いう・ゆう)、良(いい・よい)などである。ヤ行、ワ 行のイ段、ウ段の音なかには、「ヰ」、「ヱ」などのようにア行の「イ」、「エ」に合流してしまったものもある。

ア 行 ア イ ウ エ オ
ヤ 行 ヤ (イ) ユ (エ) ヨ
ワ 行 ワ (ヰ) (ウ) (ヱ) (ヲ)

( )内の音については、ア行、ヤ行、ワ行の音の区別は失われている。

日本漢字音でもア行、ヤ行、ワ行は相通じる場合が多い。

         ア行       ヤ行       ワ行
   遺・唯   イ        ユイ
   右・有   ウ        ユウ
   益・役   エキ       ヤク
   委・倭   委(イ)              倭(ワ)
   域・惑   域(イキ)             惑(ワク)
   苑・椀   苑(エン)             椀(ワン)

  日本語の音と訓の間でもア行、ヤ行、ワ行の間のゆれがみられる。

         ア行        ヤ行       ワ行
    闇    アン       やみ
    癒    いえる      ユ 
    憂    うれい      ユウ
    要    いる       ヨウ
    訳             ヤク       わけ

これらの音と訓も同源であり、両方ともに中国語からの借用語である可能性がたかい。

○語頭音の脱落
  やまとことばのなかには、中国語からの借用語で、語頭音が脱落したと思われるものがかなり含 まれている。

 [カ行] 絵(カイ・え)、 甘(カン・あまい)、今(コン・いま)、 根(コン・ね)、
    犬(ケン・いぬ)、血(ケツ・ち)、 魚(ギョ・うお)、 合(ゴウ・あう)、
 [サ行] 赤(セキ・あか)、息(ソク・いき)、 臣(シン・おみ)、身(シン・み)、
    真(シン・ま)、 & nbsp;矢(シ・や)、 舎(シャ・や)、 世(セ・よ)、
    山(サン・やま)、床(ショウ・ゆか)、折(セツ・おる)、射(シャ・いる)、
 [タ行] 天(テン・あめ)、丹(タン・に)、 宅(タク・やけ)、荻(テキ・おぎ)、

これらの「やまとことば」は弥生時代における中国語からの借用語で、日本語の音韻構造に適応するために、語頭の子音が脱落したものである可能性がある。日本語は中国語にくらべて、母音で始まる単語がはるかに多いことが知られている。

 「ことば」はいつの時代に、どのような経路を経て、日本語のなかに入ってきたかによって発音は異なる。弥生時代、古墳時代は少なくと1千年続いたから、そのなかで、いつ、どのような経路をへてことばが日本語に入ってきたかを、文字時代以降に残されたわずかな資料から類推することは、きわめて困難である。楽浪郡を経て日本に入ってきたのか、高句麗あるいは新羅を通って入ってきたのかによっても、発音が違ってしまう。また、中国語の原音そのものが、江南地方などの発音に依拠している可能性もあり、「やまとことば」の語源探しは、不確定な要素が多い。しかし、「やまとことば」と一般に考えられていることばのなかに、中国語や朝鮮語と語源を同じくすることばが、かなり多く含まれているという事実は否定しがたい。

 

第062話 やまとことばのなかの中国語

中国語の語彙が日本語のなかに入ってきたのは8世紀以降で、それまでは純粋な「やまとことば」が日本列島で話されていた、と考えるのが通説である。万葉集はまったく純粋な「やまととことば」で書かれていると考える人がかなり多い。日本語は孤立した言語なのだろうか。日本は弥生時代、古墳時代を通じて中国や朝鮮半島と交流を続けてきた。文字をもった優勢言語である中国語は、遅くとも1世紀には日本列島に入ってきていたことは、考古学によって確かめることができる。

スエーデンの言語学者カールグレンはその著書『言語学と古代中国』のなかで、古い時代に中国語から借用した日本語として、つぎのようなことばを例示している。

  馬(うま)、梅(うめ)、邑(いへ)、室(さと)、 築(つく)、槅(かき)、析(さく)、
閾(ゆか)、絹(きぬ)、秈(しね)、蛺(かひこ)、竹(たけ)、麦(むぎ)、松(すぎ)、
琢(とぐ)、剥(はぐ)、湿(しほ)、郡(くに)、 盆(ふね)、坩(かま)、鎌(かま)、
熱(なつ)、熊(くま)、酪(さけ)、

これらのことばが中国語からの借用語である根拠として、カールグレンはつぎのように説明している。

○ 馬(うま)、梅(うめ) 文化史的にも音韻学的にも、中国からの借用語であることは、チェン バレンも指摘しているところである。古代中国語の馬[mea]、梅[muə]を日本語では「むめ」、「む ま」、あるいは「うま」、「うめ」のように発音した。

○ 邑(いへ)、室(さと) 中国語の邑[iəp]、室[sjiet] を語源としており、韻尾の[-p]、[-t] に寄生母 音「エ」、「オ」がついたものである。「邑」は中国語では、24戸が集まる「村」の意味である が、日本語では「家」になった。また、「室」は中国語では「家」の意味であるが、日本語では  「村」の意味になった。古代の「家」は大家族で1族が同じ家に暮らしていたから、家族や氏族の 意味になった。借用語ではしばしば意味の転移が起こる。フランス語のbureau は「物を書く机」 の意味だが、英語では「引き出し」の意味になっている。フランス語の「引き出し」はcommode   である。

○ 築( つく)、槅(かき)、析(さく)、閾(ゆか) いずれも家に関係のあることばである。こ れらの漢字の古代中国語音は築[tiok] 、槅[kek]、析[syek]、閾[hiuək]である。家を築(つく)のも、 家のまわりに槅(かき)を植えて境を作るのも中国からの借用語である。日本人は大工の技術を中 国から学んだから、析(さく)もまた中国語からの借用である。「析」は中国語でも日本語でも「わ かつ」の意味がある。閾は「しきい」であり、「ゆか」ではないという人があるかもしれない。し かし、古代日本の家は、床が全面に張られていたわけではなく、壁に沿って敷いた木の板だった。 『オックスフォード英語辞典』によるとsill(しきい) はthreshold(しきい)ばかりでなくfloor   (ゆか)の意味もある。

○ 絹(きぬ)、秈(しね) 文化史的にも明らかに中国からの借用語だといえる。絹[kyuan] は[-n]  の後にはウ段の寄生母音がつき「きぬ」、秈[shean] の場合には[-n] の後にエ段の寄生母音がつい て「しね」と発音した。稲は通常「いね」だが『古事記』には「しね」という形も用いられてい  る。「いね」は「しね」の頭音が脱落したものである可能性がある。

○ 蛺(かひこ) 日本語の「かひこ」は中国語の蛺[keap] が語幹である。「こ」は子である。   「蛺」は中国語では「蝶」であり、日本語の「かひ・こ」はその幼虫を指す。ただし、「かひこ」  には「蚕」という漢字が常用されており、借用関係を確認するのには注意が必要である。

○ 竹(たけ)、麦(むぎ)、松(すぎ) 「竹」、「麦」については、文化史的に見ても、中国語 からの借用語であることは間違いない。松(すぎ)が借用語であるかどうかは議論を要する。   「竹」の古代中国語音は竹[tiuk] であり、日本語の「たけ」とは母音が一致しない。日本語の竹  (たけ)はかなり古い時代の中国語音を反映している可能性がある。「竹」は東アジア一帯で育て られている植物であり、利用範囲が広いことから、日本人が中国人からその利用法を学ばなかった とは考えにくい。「むぎ」と「すぎ」はともに「ぎ」で終っている。「ぎ」は木の濁音である。こ のような例はほかにもみられる。たとえば「やなぎ」は屋根の木のことである。チェンバレンも  「むぎ」、「すぎ」の「ぎ」は木であると指摘している。「むぎ」は麦[muək] 木、「むく・ぎ」の 略であり、「すぎ」は「すぐ・ぎ」の略である。「松」の古代中国語音は松[ziong] と推定されてお り、日本語では[z-] は清音で「す」となる。[-ng] は日本語にないので「ぎ」になった。「むぎ」も 「すぎ」も、一定の法則にしたがって音が入れ替わっている。ただし、「すぎ」についてチェンバ レンは「真っ直ぐな木」の意味だろうとしているので、その可能性も否定しがたい。

○ 琢(とぐ)、剥(はぐ) いずれも動詞の語幹であり、古代中国語の琢[teok] 、剥[peok]の語尾  が、有声音にはさまれて濁音になったものである。宝石の研磨法は大陸から渡来したものであり、 なめし皮の技術もまた大陸から伝来した。

○ 湿(しほ) 海水から塩をとる製塩の技法は、中国では古くから知られており、日本にも古くか ら伝えられた。海水を湿地に引き込んで、塩田で塩を採る方法が一般的であり、最近までその方法 が行なわれていた。「湿」の古代中国語音は湿[sjiəp] であり、日本語の「しほ」の語源である。

○ 郡(くに) 「くに」は行政用語として日本に入ってきた。「郡」の古代中国語音は郡[giuən] であ り、音韻法則に則って語頭の[g-] は[k-] になり、語尾には寄生母音の[i] がついて「くに」になった。

○ 盆(ふね)、坩(かま) 家庭用品では「舟」と「釜」がある。現代の日本語では「ふね」は  「舟」の意味しかないが、古事記では盆(ぼん)の意味にも使われている。英語でもvessel は船を 意味するばかりでなく、窪んだ容器の意味もある。「釜」を表わす漢字で広く使われている文字  が、中国語にはないということが問題点である。しかし、辞書にはポット(かま)を表わす文字と して「坩」、「土瓦*」などが示されている。*土瓦*=土偏+瓦

○ 鎌(かま) 「鎌」は農業用語である。「鎌」の中国語音は鎌[liam] だから、これは少し大胆過ぎ ると思われるかもしれない。しかし、鎌[liam] の古代中国音は鎌[kliam]、あるいは鎌[gliam] であ  り、lが喪失したものが日本語の「かま」になったと考えることができる。

 ○ 熱(なつ) 日本語の「夏」は中国語の熱[njiat] に由来する。

○ 熊(くま) 「熊」の古代中国語音は熊[hiuəng] と推定される。さらに古い形は熊[hiuəm] であ  る。 古代中国語の韻尾[-m] は 介音[-u-] の後では、規則的に[-ng] に変化したことが知られている から、「熊」は紀元前の中国語音は熊[hiuəm] であったと想定することができる。現在でも汕頭方 言では「熊」は熊(him) である。日本語の「くま」は中国語の「熊」の古い形を伝えている。
 (注:カールグレンは古代中国語音の表記に国際標音記号を使っているが、ここでは王力の表記法  を援用した)

カールグレンの論文は1920年に発表されたものである。カールグレンがあげている例は必ずしも適切でないかもしれない。しかし、西洋言語学の方法論を古代中国語と日本語の関係に応用した方法論は示唆に富んでいる。ところが、カールグレンの説に対する日本の学界の反応は無関心、ないしは無視に近かった。日本では学問も師資相承であり、カールグレンのような門外漢が国学の本丸である「やまとことば」の問題に参入すること歓迎されなかった。戦後になって、国語学者の亀井孝が長大な論文を英語で書いて、カールグレンに反論している。

 

第063話 国語学者亀井孝の反論

カールグレンの説にたいして、国語学者の亀井孝は徹底した反論を試みた。”Chinese Borrowings in Preliterate Japanese” (「文字以前の時代に日本が借用した中国語」)と題する英文の論文を書いて「やまとことば」の純粋性を主張した。この論文は『亀井孝論文集』にも収められていて、カールグレンの論文以上の分量がある。亀井孝の恩師である橋本進吉博士の十年祭をひかえて、それに合わすべく1951年から1952年にかけて執筆されたものである。

日本語の起源に関する論点ばかりでなく、日本文化の形成、日本人の成り立ちに関する重要な視点がいくつか含まれている。亀井孝は「文字以前の時代に日本が借用した中国語の語彙は後の文献時代の借用にくらべてごく稀にしか起こらなかった」と結論づけている。そして、その理由として二つの点を指摘している。

まず第1は、中国語と日本語は構造が違うという点である。二つの言語の構造が異なれば、それだけ語彙の借用も困難になる。類似した言語の間では語彙の借用も起りやすいが、言語の構造が異なると借用は困難になるというのが亀井孝の主張である。

第2には文化的、社会的背景である。言語の構造を乗り越えて借用が起るとすれば、借用される新しい語彙にたいする、社会的必要性がかなり強くなければならない、と亀井孝は指摘する。

そのうえで亀井孝は、カールグレンが中国語語源ではないかとした語彙を、三つのグループに分けて、詳細な検討を加えている。

1.間違いなく誤りと認めうる例
     湿(しほ)、蛺(かひこ)、

2.多分に疑わしい例
琢(とぐ)、剥(はぐ)、築(つく)、析(さく)、槅(かき)、熱(なつ)、
   閾(ゆか)、邑(いへ)、室(さと)、松(すぎ)、麦(むぎ)、竹(たけ)、
   盆(ふね)、坩(かま)、鎌(かま)、秈(しね)、

3.あるいは認めてもよいかと思われる例
郡(くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)、

この論文は一般には目にふれにくい本であるうえに、英文で書かれているので少し詳細に紹介することにする。

第1のグループについて、間違いなくあやまりと認めうる理由はつぎの通りである。

○ 「湿」は湿地の意味である。古代の日本では藻塩から塩を取っていたのであって、中国から製塩 法を学んだのではない。新井白石も「潮をば古語にはシホといひしを、倭名抄には、潮字読てウシ ホといひけり。シホといひし義不レ詳。ウシホといふは海潮(ウシホ)也。古事記には海塩としる したりき。食塩をもシホといへば、其名わかちいひしなるべし」と『東雅』のなかでいっている  と、亀井孝は指摘する。つまり、古代日本の「シホ」は「潮」と「塩」の両方を意味する幅広いこ とばであり、カールグレンは「シホ」は「湿地」を意味したとしているが、それは誤りである。

○ 「蛺」については、亀井孝はつぎのように批判する。「かひこ」を「かひ」と「こ」のふたつに 分けて考えることには、別に異論はない。しかし、「かひ」が中国語の「蛺」つまり「蝶」からき ているのだとすると、「かひ」ということばがまず日本語として定着して、しかる後に「かひ・  こ」という複合語ができたはずである。「かひ」が中国からの外来語で、「こ」が古来からの日本 語だとすると、いわゆる重箱読みになってしまう。文字時代になってからの漢語にも、重箱読みの ことばはないわけではないが、きわめて少ない。「かひ」ということばが日本語として定着してし まい、中国語語源であることが忘れられてからでないと、そのような複合は起こらない。
  「蝶」のことを日本の古語では「かはひらこ」といい、「蛾」は「ひひる」という。「かひ」と いう古語はない。そのうえ、養蚕で重要なのは繭であり、蚕である。蝶の段階は期間も短く、さし て重要ではない。だから、「蚕」が「蝶の子」とよばれるという説明は説得力が乏しい。「かひ・ こ」は「養ひ子」とすれば説明は簡単である。万葉集にも例がある。

    たらちねの 母が養ふ子の 繭隠り こもれる妹を 見むよしもがも(万2495)
    たらちねの 母が養ふ蠶の 繭隠り いぶせくもあるか 妹にあはずて(万2991)

  平安時代以来、「養ふ子」あるいは「養ふ蠶」は「かふこ」と読み習わされている。このことから も、「蚕」は平安時代以来「かふ・こ」であったことが分かる。したがって、湿(しほ)と蛺(か ひこ)は間違いなく誤りと認めうる。

 第2グループの「多分に疑わしい例」には、それぞれ疑わしさの度合いの異なるものが含まれている。ひとつひとつについて要約するとつぎのようになる。

○琢(とぐ)日本語の「とぐ」は「砥ぐ」であって「琢ぐ」ではない。

○剥(はぐ)日本語の「はぐ」は「刃ぐ」であって「剥ぐ」ではない。
 中国語と日本語は構造が異なるから、「とぐ」、「はぐ」のような動詞を外国語から借用するこ  とはほとんどありえない。

  ○築(つく) 「堤」を「築く」などのような使いかたが、ないわけではない。しかし、「つく」  は「臼」を「舂く」、「鐘」を「撞く」などの用法が主であり、家や壁を作ることは「つく」と  はいわない。

  ○析(さく) 動詞であり借用語である可能性は少ない。しかし、偶然の一致ということなら話は  別である。

  ○槅(かき) 「垣」は「囲う」、「囲む」という動詞から形成された名詞であり、その逆ではな  い。

  ○ 熱(なつ)意味の転移が大き過ぎる。夏「なつ」はむしろ朝鮮語の夏(njərɯm)に近い。

  ○閾(ゆか) 日本語の床(ゆか)の語源は不明だが、日本語では床(ゆか)は床(とこ)を意味  味する。

  ○邑(いへ) 「家」のような基本語は外国語から借用されない。「い」は寝る、「へ」は隔てる  であろう。

  ○室(さと) 「里」と「室」は意味が離れてい過ぎる。生まれ故郷のような基本語は借用語には  なじまない。

  ○松(すぎ) 日本には「松」も「杉」もあり、なぜ中国語の「松」が日本語で「杉」になったか  説明がつかない。

  ○麦(むぎ) 「むぎ」の「ぎ」は「木」だというが、麦は草である。「むぎ」の「ぎ」は古代日  本語では「ぎ(甲)」であり、杉の「ぎ」は「ぎ(乙)」であり、同じではない。

  ○竹(たけ) 「竹」は、日本人の祖先が日本列島に住み始めた、太古の時代から日本にあった。  日本人の祖先は筍を食べていたに違いなく、「竹」には日本古来の名前がついていたにはずであ  る。

  ○盆(ふね) 「ふね」が什器の意味で使われるのは、酒船、湯船など複合語の場合だけである。  日本は島国であり、「舟」には日本古来のことばがあったはずである。

  ○坩(かま) 「壺」という意味で「かま」が使われるようになったのは、鎌倉時代以降である。  「壺」は古くは「鼎」である。平安時代には「竈」も竈(かま)と呼ばれた。朝鮮語にも       (kama) ということばがあり、竈と壺を意味する。

  ○鎌(かま) 「鎌」が古代中国語音が鎌[kliam] であったならば、日本語では「からま」になった  のではないか。

  ○秈(しね) 日本語では「いね」あるいは「よね」が一般的で、「しね」は複合語にしかあらわ  れない。「いね」は「いな」と交替するが、「しね」については不明である。

第3のグループは「一見あるいは、認めてもよいかと思われる例」である。

 ○郡(くに) 古代日本語には「ン」で終ることばはなかったので、郡[giuən] の「ン」に母音がつ  いて「に」になることは理解できる。しかし、なぜ「くな」、「くね」、「くぬ」、「くの」で  なく「くに」になるのか、説明が十分でない。万葉仮名では天(て)、南(な)のように「ん」  が脱落している例もある。朝鮮半島における中国の植民地は「郡」と呼ばれていたから、「国」  を「郡」と呼ぶのは朝鮮半島で起こり、それを日本に輸入した可能性も否定はできない。

 ○ 絹(きぬ) 「絹」は布の意味にも使われる。日本語では「布」を表すことばとして「そ」と  か「ころも」ということばもあり、「きぬ」と平行して使われていた。新井白石は『東雅』のな  かで「絹をキヌといひしは、韓地の方言に出て、絹の字の音の転じて訛れるやうにぞ聞こえ ぬ  る」としているが、卓見である。

○馬(うま) 『魏志倭人伝』には「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とある。新井白石  は『東雅』で概ね、つぎのように述べている。
   1.日本の在来種は土佐駒のように小形の馬だった。
   2.今のような馬は百済から献上されたのが始まりである。
   3.外来種は大馬「うま」と呼ばれ、在来種は子馬「こま」と呼ばれた。
   4.百済から献上された馬を胡馬(漢音で「うま」)と呼んだのであろう。
  亀井孝は新井白石を引用したうえで、つぎのように推論している。「馬」の語源は中国語の馬     [mea] だが、「うま」の「う」は中国語から直接きたのではなく、どこか途中で入ってしまっ  たのだろう。しかし、今となって確かめようがない。

  ○梅(うめ)「梅」は中国語からの借用であることが確実な、数少ないことばのひとつである。  「梅」あるいは「烏梅」は薬用として中国から輸入された。

 亀井孝は、文献時代以前に中国から借用されたと思われることばは、郡(くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)のみであり、これ以外には探し出すことができないと結論づけている。中国語からの借用は、実際にはあったのかも知れない。しかし、その痕跡を探すことはができないのだから、借用はなかったという結論に達せざるを得ない、というのが亀井孝の考え方である。

『新撰姓氏録』によれば、平安時代の初期でも畿内の人口の3分の1は外国人だったという。それにもかかわらず中国語からの借用語が痕跡を残していないのは、構造の異なる言語の間では日常語の語彙の借用はむずかしいからである、と亀井孝は主張している。歴史時代に入ってからの借用も数の上では多いものの、借用語は文語に使われただけで、日常語にはほとんど入ってきていない、と亀井孝はいう。徳川時代になってからも、漢語を使うことは気どった表現だと考えられていた。日常語に漢語がたくさん使われるようになったのは明治以降のことであると、亀井孝は古代日本語の純粋性を強調している。

 亀井孝は国語学者のなかでも言語学全般について該博な知識をもった学者である。その学者が戦後になって、構造のことなる言語からの借用はむずかしい、などと主張していたことは不思議に感じられる。戦後日本語は構造のまったく異なる英語からたくさんの語彙を借用している。我々は「父」「母」という日本語があるのに「パパ」「ママ」という外来語に簡単にとってかわられることがあることを知っている。「ご飯」という日本語があるのに「ライス」になることもある。

 日本に昔からあったものには和名があったはずであり、外国語を借用する必要はなかったという説明はどうであろうか。亀井孝は「竹は日本人の祖先が日本列島に住み始めた太古の時代から日本にあった。日本人の祖先は筍を食べていたに違いなく、竹には日本古来の名前がついていたにはずである。」という。しかし、最近の英語からの借用語をみてもすでにあることばが優勢言語からの借用語にとってかわられる例は枚挙にいとまがない。母はママになり、父はパパになり、ご飯はライスになった。弥生時代は稲作や鉄をもった優勢な文化を取り入れた時代であった。ことばもまたその優勢な文化を背景としていた。 

 亀井孝は後に『日本語の歴史1 民族のことばの誕生』(平凡社)で若干の弁明を試みている。

 さて、亀井の狙(ねら)いがどこにあったのかというに、それは、カールグレンの所説をたんにしらみつぶしに否定してみせることにあったのではけっしてない。実は、亀井は、彼独自のひとつの大胆な仮説を抱懐していたので、それがはたしてどこまで可能なものかを世に問おうとこころみたのだった。カールグレンの提案した語源の例は、さしたる数にのぼるものでない。すでにカールグレン自身、十分慎重な態度で問題に臨んでいるのであって、彼に先行する学者たちの業績に、彼はきびしい批判の眼をあらかじめむけているのである。、、、カールグレンをしりぞければ、大昔の日本語に流入したシナ語の単語は、まず皆無であるといった解釈がいちおうの結論としてだせるであろうというのが、亀井の狙いであった。『日本語の歴史1 民族のことばの誕生』(平凡社)

 この弁明を読んでも亀井孝の説は十分な説得力をもっているとは思えない。

第064話 国学の伝統

 亀井孝が論文を英語で書いたのは、日本語がいかに純粋な言語であるかを、外国人にも知ってもらうためであろう。しかし、外国の言語学者は必ずしも亀井孝の意図どおりには受け取らなかった。例えばアルタイ語の研究者であるロイ・アンドリュー・ミラーは『日本語・歴史と構造』(日本語版、三省堂)のなかで、つぎのように評している。

亀井孝は日本語における古代シナ語借用語と推察されるものを事実上すべて反証しようと試みてきた現代の学者であるが(中略)このような借用語の当否に関する議論の多くはいたずらに紙数を費やすだけであった。何故ならその問題の本質自体が可能性と蓋然性との区別を極度に難しいものにしているからである。これらの語源の多くは可能性を示し、その多くが蓋然性を示している。しかしそれ以上のことを確信をもって論じることはまず不可能である。(『日本語・歴史と構造』p.235)

 日本の国学は、国史とともに、皇国史観によって日本のアイデンティティを明らかにする役割を背負ってきた。そして、伝統的に日本人だけの手によって担われてきた。国文学者久松潜一は国学の本質を「明確に日本的立場を以て純粋日本的なるものを闡明しようとする学問」であると規定している。また、国語学者の山田孝雄は、現在も再版されている『國語學史要』(岩波全書)のなかでつぎのように述べている。

我々のいふ國語學は日本國の標準語を研究するものであるから、この國語を如何なる人が研究しても我々はこれを國語學といひうるかといふ問題がある。西洋人でも、支那人でも、わが國語を研究することはもとより差支無いことであるし、又事實上西洋人がわが國語を研究をした業績も多少存するのである。かやうな場合、これを國語學と偁へて差支ないか、どうかといふことが一の問題である。西洋人のわが國語を研究したそれは西洋人の立脚地からいへば、日本語學といふには差支はあるまいが、国語學といふことは出来ぬ譯である。(『國語學史要』p.5)

 やまとことばと考えられていることばのなかに、中国語起源のことばが混入しているというカール グレンの仮説は、本居宣長以来やまとことばの純粋性を信奉する、国学のタブーに挑む結果になって しまったのである。亀井孝が仮に、カールグレンと共同作業をして研究し、さらに中国語の学者や韓 国、朝鮮の学者と共同で研究していたら、別の結論に達していたかもしれない。しかし、残念ながら そのような学問的風土は戦後になっても育っていなかった。国学あるいは、国語学は、日本人の、日 本人による、日本人のための学問であった。

 日本語の語源研究は、いまだに当たるも八卦、当たらぬも八卦といわれるほどに進展していない。 専門家の著書でも、語源説話あるいは語源譚の域を出ないものが少なくない。その原因は日本語の語 源を、日本語のなかにのみ求めようとするからである。日本語が純粋な日本語のみによって形成され てきたという、循環論の輪のなかにはまりこんでしまうからにほかならない。やまとことばがどのよ うに形成されてきたかが明らかにされない限り、現代の日本語がどのようにして形成されてきたかは 明らかにすることはできない。

  亀井孝は国語学者であるが、ヨーロッパの言語学にも深い関心をもった数少ない国際派の学者の一 人である。その学者の論説が、カールグレンなど欧米の学者によって出された仮説を、日本人の立場 から検証し、反論すべきところは反論し、補強すべきところは補強して、深めていくような環境にな いことは、日本語の研究だけでなく、日本の歴史研究にとっても不幸なことである。科学や工学の分 野では、日本人の学者も日常的に欧米の学会の論文に目を通し、自らも必要ならば英語で論文を発表 するということが行われている。しかし、長く閉鎖的な伝統をもった国語学は、一般言語学ともほと んど交流はなく、学会の外からの提言については、共通の基盤のうえで議論されることもない。最近 になって、国語学会は日本語学会と名称を変えた。しかし、日本語学会も西欧の言語学、中国語の言 語学、韓国の言語学会などとはほとんど交流もない。日本の国語学あるいは日本語学が、外国の言語 学との間にはかなりの乖離があることは、否定できない。

 国語学は外国人に理解されないことによって、そのアイデンティティを保っているとさえいえる。 ロイ・ミラーは、先に引用した『日本語・歴史と構造』の日本語版のための序のなかで、つぎのよ うに述べている。

 今日、日本の学問研究諸分野が国外に目を向け、少なくとも海外の学問的発展に伍して行こうと真 剣な努力をしているのに対し、日本語研究ばかりは概して例外となっている。その結果、日本の国 語学者のあまりに多くの人々が、海外の学者によって成されてきた仕事を皆目知らず、そうした外 国人の研究を利用することも批判することもできないでいる。このような状況は双方にとって不幸 である。外国の日本語研究は、日本の学者に期待し得るはずの詳細な批評や有益な示唆を受けるこ とができないという損失をこうむる。そして(これは著者個人の意見であるが)日本における日本 語研究もまた、世界の言語学研究の主流から自らを切りはなすことになり損失を受けるのである。  (p.vi)

  日本語は古代に遡れば遡るほど、中国語や朝鮮語の影響を強く受けている。古代の日本語を解明  し、日本語の源流を遡るためには中国語、朝鮮語をはじめ、一般言語学や歴史学、考古学、人類  学など関係諸分野の国際的な共同作業が欠かせない。

 

第065話 やまとことばは純粋か(1)

「やまとことば」は中国文化が日本列島に影響を及ぼす以前の純粋な日本語の姿を留めているのだろうか。そもそも、言語にとって純粋な言語とは何だろうか。キリスト教徒にとって、かつてはヘブライ語は聖なることば、神の言語としてあがめられていた。しかし、今ではサンスクリットのほうが古い言語であることが判明し、ヘブライ語はセム語族のひとつとして位置づけられている。

日本語は日本民族の精神的血液であるとすれば、やまとことばは日本列島に人が住むようになって以来、日本民族によって純粋性が保たれてきたまじりけのない言語なのだろうか。「やまとことば」のなかに、中国語からの借用語があったのかなかったのか、と問えば亀井孝の結論は「あった」という答えになる。亀井孝はカールグレンの論文をほとんど全面否定しているが、郡「くに」、絹「きぬ」、馬「うま」、梅「うめ」については、文字時代以前の借用語であることを認めている。呉音、漢音のほかに古代の借用語音があったとすれは、日本の漢和辞典は書きかえられなければならない。辞書を引いてみると普通次のように書いてある。

    呉音    漢音    唐音    訓
  郡   グン               こほり
  絹   ケン    ケン         きぬ
  馬   マ     バ     メ    うま
  梅   マイ    バイ         うめ

 郡(くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)が「やまとことば」ではなく、中国語からの借用語だということになると、日本には呉音、漢音のほかにもうひとつの漢字音(弥生音)があったことになる。文献時代以前だから、文字による借用ではないにしても、古代の中国人が郡[giuən]、絹[kyuan]、馬[mea]、梅[muə] と発音していたことばを、古代の日本人が郡(くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)と発音したとすれば、それは「やまとことば」ではなくて、中国語の日本式発音だということになる。

郡(くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)の語源が、中国語にあると認めたとすれば、「やまとことば」は純粋であるとは、いえなくなってしまう。「やまとことば」のなかには、このほかにも「弥生音」が含まれている可能性がある。カールグレンの方法論を生かして、彼の提案を再検討して、補強すべきところは補強し、否定すべきところは否定してみると、弥生時代の日本語の姿が浮かび上がってくる。

ここではつぎの3点に注目してカールグレンの提案を検証してみたい。

  1.古代中国語音と「弥生音」との間にどのような音韻対応があるか。
2.記紀万葉の文字資料に「弥生音」の痕跡が残されているか。
3.カールグレンが提案したことばに、ほかに類例があるか。

古代中国語音が「やまとことば」のなかで、どのような音韻対応を示すか、中国語原音を七つにわけて検討することにする。

(1)頭音が[m-]の場合。(2)韻尾が[-n]、[-m]の場合。(3)入声音[-k]の場合。
(4)入声音[-t]の場合。 (5)入声音[-p]の場合。     (6)韻尾が[-ng]の場合。
(7)古代音の韻尾が[-m]であり、中古音が/-ng/である場合。

(1)中国語の原音が[m-] で始まる場合。馬(うま)と梅(うめ)
 「馬」、「梅」の古代中国語音は馬[mea]、梅[muə] であり、弥生音は「うま」、「うめ」と二音  節になり、前に「う」がついている。万葉集では馬は(宇摩、宇麻、宇麼、宇馬、宇万、馬、牟  麻など)と表記されている。また、梅は(烏米、烏梅、宇米、宇梅、汙米、于梅、梅など)と表  記されている。馬は「うま」とも呼ばれ、「むま」とも呼ばれた。梅は「うめ」あるいは、「む  め」と呼ばれている。記紀万葉の日本語には古代中国語音の[m-] の前に「う」がついたと思われ  る日本語はほかにもある。

味(うま)くもあらず(万葉集)、
  美(うまし)國そ(万葉集)、
  さはに牧(うまき)を置きて馬(うま)を放つ(日本書紀)、
  時に伊予の湯、没(うも)れて出ず(日本書紀)。

これらのことばの古代中国語音は味[miuət]、美[miei]、牧[miuək]、没[muət] であり、いずれも[m-]  ではじまる。梅、馬ばかりでなく味(うまし)、美(うまし)、牧(うまき)、没(うもる)など も、文字時代以前の中国語からの借用音(弥生音)である可能性がある。古代中国語で[m-]ではじ まることばはいずれも2音節になって、「ま」の前に「う」がつくという音韻対応の法則があると いう想定が可能である。

中国語の[m-]は日本語のマ行より閉鎖性が強く、「馬」、「梅」は日本語では馬(ウマ)、梅(ウ  メ)あるいは馬(ムマ)、梅(ムメ)としたのではないかと考えられる。現代の上海語音にその傍 証となる音を発見することができる。上海方言では語頭の[m-] の前に喉門閉鎖音である [・] ある いは [h] の音を聞くことができる。馬[ma]、梅[hme] のごとくである(参考文献、宮田一郎編著  『上海語常用同音字典』光生館)。

古代の日本語は江南地方の中国語音の影響を受けているから、現代の上海方言が古代の江南音を 受け継いでいるとすれば、中国語の「馬」、「梅」が弥生時代の日本語に取り入れられて「う   ま」、「むま」あるいは「うめ」、「むめ」となったとしても不思議はない。日本語はもともと単 音節を嫌い、2音節ないし3音節のほうが安定している。「牧」は「むまき」とも読まれる。   「鰻」は万葉集では「むなぎ」と呼ばれていて、中国語の鰻魚[miuan-ngia] に対応する。万葉集の 鰻(むなぎ)も中国語からの借用語である可能性がある。

石麿に われ物申す 夏痩せに 良しといふ物そ 武奈伎とり食(め)せ(万3853)

  中国語の[m-]の前に「う」以外の母音がついたと思われることばを記紀万葉のなかに探してみる  と、つぎのような例がある。

 網(あみ)刺さば(万葉集)、     虻(あむ)爾蛧咋ニ御腕一(記雄略)
 妹(いも)は忘れじ(古事記歌謡)、  夢(いめ)にし見ゆる(万葉集)、
 未(いまだ)解かずて(古事記歌謡)、 母(おも)も父も(万葉集)、
 面(おも)や珍らし(万葉集)、

これらのことばの古代中国語音は網[miuang]、虻[miuang]、妹[miuət]、夢[miuəng]、未[miuət]、母[mə]、面[mian] である。「妹」の韻尾は次第に弱まって妹/miuəi/ になったと考えられている。いずれも古代中国語では[m-] ではじまる音で、日本語では前に母音がついている。前につく母音になにが選ばれるか、その規則を見出すことは困難である。古代の日本語には母音調和の法則が働いていたから、後舌母音(ア、オなど)の後には後舌母音が選ばれることが多い。母「おも」などの場合も主母音が「も」だから、オ段の母音が選ばれたものと考えることができる。

 日本語の海(うみ)についても、中国語との関係を検討してみる必要がある。「海」の現代北京音は海(hai)であり、日本漢字音は海(カイ)である。「海」の声符は「毎」であり、古代中国語の毎[muə] が日本語の「うみ」になった可能性がある。現代上海方言では「毎」は毎[me] である。中国語では毎[me] の入り渡り音[] が発達して海(hai) になり、日本語には喉音がないため、入り渡り音[] が失われて、日本語では海「うみ」になった可能性がある。日本語で、中国語の[m-] の前の入り渡り音[] の痕跡を留めていると思われることばの例は、ほかにも馬「こま」、米「こめ」などがある。

(2)中国語の原音が[-n]、[-m]で終る場合。

郡(くに)、絹(きぬ)、秈(しね)、盆(ふね)、坩(かま)、鎌(かま)、

 これらのことばの古代中国語音は郡[giuən]、絹[kyuan]、秈[shean]、盆[piuən]、坩[kam]、鎌[liam] ま たは鎌[gliam] と推定される。日本漢字音で「ン」と発音されているものは、弥生音では母音をつけ てナ行あるいはマ行の音で発音されている。記紀万葉のことばのなかからこれらの用例を探してみ ると、つぎのようになる。

 久爾(くに)のまほろば(古事記歌謡)、 買ひてし絹(きぬ)の(万葉集)、
  十握稲(とつかしね)を(日本書紀)、  棚無し小舟(おぶね)(万葉集)、
  拝く竈(かま)の神ぞ(古事記)、    中臣鎌子(かまこ)の連(日本書紀)、

 ○郡(くに) 「くに」に「郡」の字をあてた例は。万葉集などにはない。万葉集では「くに」は  國、久爾、久邇、本郷、地、邦などと表記されている。一方、「郡」は日本語では郡「こほり」  である。古代中国語の[-n] は日本語ではラ行になることがあるから、郡「こほり」が中国語の   「郡」に対応することばである可能性がある。

 毛野臣(けなのおみ)、百濟の兵来(きた)ると聞きて、背評(へこほり)に迎へつ。背評は地 の名なり。亦の名は能備己富利(のびこほり)。傷(やぶ)れ死ぬる者半(なかば)なり。    (『日本書紀』継体二十四年)
 凡そ郡(こほり)は四十里を以(も)て大郡(おほこほり)とせよ。三十里より以下、四里より 以上を中郡(なかつこほり)とし、三里を小郡(すくなきこほり)とせよ。(『日本書紀』孝徳 二年)

  日本語では郡[giuən] の第一音節の子音は清音となる。韻尾の[-n] はラ行になる例としては漢國(か らくに)、雁(かり)、昏(くれ)などをあげることができる。古代中国語の「郡」は日本語で郡 「こる」あるいは「こほり」になる可能性は十分ある。一方、朝鮮語では「郡」、「邑」は「こう る(ko-eul)」である。日本語の「こほり」は朝鮮語との関連も考えられる。さらにまた、日本語の  「こほり」、朝鮮語の「こうる」はともに、中国語の「郡」が語源である可能性もある。

 ○絹(きぬ) 「絹」は万葉集でも「きぬ」と読まれており、日本語の「きぬ」が中国語の絹[kyuan]  であることはほぼ間違いない。万葉集では「きぬ」に絹、衣、伎奴、絁などの文字が用いられて  いる。絹の音は絹(ケン)、訓は絹(きぬ)とされているが、訓の絹(きぬ)は文字時代以前の  中国語からの借用語であり弥生音である。日本語の「きれ」も中国語の「絹」あるいは巾[kiən]   と関係のあることばである。

○ 秈(しね) 「しね」には万葉集では「稲」の字があてられている。「しね」は十握稲のように  複合形で用いられている。単独の場合は稲(いね)と読む。中国語の「秈」は「うるち米」の  ことであり、音義ともに日本語の「しね」に近い。カールグレンが指摘するように、中国語の
  「秈」が日本語の「いね」の語源である可能性は十分ある。中国語では語頭の子音がサ行イ段  で失われる例も多い。

例:船(セン)・鉛(エン)、説(セツ)・悦(エツ)、詳(ショウ)・羊(ヨウ)、
   序(ジョ)・予(ヨ)、 除(ジョ)・余(ヨ)、 俗(ゾク)・欲(ヨク)、

  ○盆(ふね) 「ふね」は「酒船」、「湯船」などの場合には什器になぞらえられることがある。しか  し、万葉集などには「ふね」に「盆」の字が用いられた例はない。「舟」には舟、船、舨、舫、槽  などの漢字が使われており、日本語の「ふね」に一番発音が近いのは舨[piuan]である。これが日  本語の「ふね」の語源となった可能性がある。

  ○坩(かま) 中国語の坩[kam] は土器のことであり、万葉集では「坩」を「かま」に用いた例はな  い。中国語の「坩」に近いものとしては、日本語では「かま」よりもむしろ「かめ」がある。中  国語の罐[kuan] も弥生音では「かめ」であろう。日本語の釜「かま」は朝鮮語の釜(ka-ma) と関  係がある可能性がある。

  ○鎌(かま) 現代北京語では鎌(len)である。しかし、「鎌」の声符は兼「けん」であり、日本で  は古くから藤原鎌足、中臣鎌子などのように鎌を「かま」と読んできた。カールグレンは、同じ  声符をもつ漢字のなかに、ラ行で発音されるものとカ行で発音されるものがかなりあることに注  目して、古代中国語音は[kl-] あるいは[gl-] という複合音だったのではないかと推論している。

例:格(カク)・洛(ラク)、 監(カン)・藍(ラン)、 兼(ケン)・簾(レン)、
  諫(カン)・練(レン)、 剣(ケン)・斂(レン)、 果(カ)・裸(ラ)、
  京(キョウ)・涼(リョウ)、 楽(ガク・ラク)、

現代上海方言では「鎌」は鎌[hliam] で[l]の前に喉音hの入りわたり音が聞こえるという(宮田一郎編著『上海語常用同音字典』による)。このことはカールグレンの仮説を裏付けているようにみえる。古代中国語の鎌[kliam] あるいは[gliam]は中国語では語頭の[k] が失われて鎌(len) となり、日本語では[l] が失われて鎌「かま」となった、と考えて間違いなさそうである。日本語の動詞「兼ねる」も中国語からの借用語であろう。また、栗(くり)、来(くる)、輪(くるま)なども中国語語源で、古代中国語の[kl-]を留めている可能性がある。複合語では裸体(からだ)も中国語からの借用である可能性がある。

 郡、絹、秈、盆、坩、鎌の古代中国語音はいずれも[-n] あるいは[-m] で終るが、日本の古地名には  中国語の[-n] あるいは[-m] に母音を付加して読んでいるものが多い。

 例:信濃 しなの、因幡 いなば、 引佐 いなさ、 印南 いなみ、雲梯 うなて、
   難波 なには、養訓 やまくに、乙訓 おとくに、丹波 たには、敏馬 みぬめ、
   讃岐 さぬき、雲飛 うねび、 民太 みのた、 信太 しのだ、信夫 しのぶ、

 また、万葉集では「血沼の海」を「陳奴乃海」とも「珍海」とも表記している。珍(チン)を珍(ちぬ)と読んだのである。古代中国語の韻尾[-n]、[-m] は、韻尾に母音をつけて、記紀万葉のなかではナ行あるいはマ行の音としてあらわれる。

[-n] の例:壇[tan] たな、 段[duan] たな、絹[kyuan] きぬ、巾[kiən] きぬ、殿[dyən] との、
     浜[pien] はま、 君[giuən] きみ、文[miuən] ふみ、蝉[zjian] せみ、簡[kean] かみ、           蟠[buan] へみ、呑[thən] のむ、 罐[kuan] かめ、肝[kan] きも、 雲[hiuən] くも、
     混[huən] こむ、染[njian] しみる・そめる、

 [-m] の例:困[kuəm] こまる、 闇[əm] やみ、 暗[əm] やみ、 沁[tsiəm] しみる、
      滲[shiəm] しみる、浸[tziəm] しみる、坩[kam] かめ、侵[tsiəm] せめる、
      占[tjiam] しめる、 兼[hyam] かねる、金[kiəm] かね、

日本語の墨(すみ)は「染」である可能性がある。また、卵(たまご)は中国語の「蛋子」であろう。古代中国語の[-m] と[-n] は日本語では区別されず、[-n] も[-m]も日本語ではナ行であらわれることもあり、マ行であらわれることもある。現代の日本語における英語からの借用語についても、mとnの区別は行われていない。例えば、Olympic、jump、pump などはオリンピック、ジャンプ、ポンプとなって、オリムピック、ジャムプ、ポムプとなることはない。

 

第066話 やまとことばは純粋か(2)

 日本語の音節は母音で終わる開音節である。しかし、唐代の中国語の音節は閉音節であり、[-p]、
[-t]、[-k]や[-n]、[-m]、[-ng]で終わる音節があった。中国語の音節は日本語の音韻構造に適応して転移した。カールグレンが中国語からの借用語としてあげた語彙について中国語原音と日本語音を対比してみることにする。

(1)中国語原音が入声音[-k]で終る場合。

 築(つく)、槅(かき)、析(さく)、閾(ゆか)、竹(たけ)、麦(むぎ)、琢(とぐ)、
 剥(はぐ)、酪(さけ)

 これらのことばの古代中国語音は築[tiok]、槅[kek]、析[syek]、閾[hiuək]、竹[tiuk]、麦[muək]、琢[teok]、剥[peok]、酪[glak] と推定される。古代中国語の入声音[-k] は、弥生音では母音が添加されて現れる。記紀万葉のなかでこれらのことばに相当すると思われるものには、つぎのようなものがある。

みもろに都久(つく)や玉垣(古事記歌謡)、
出雲八重賀岐(がき)(古事記歌謡)、
眞木佐苦(さく)檜のつまでを(万葉集)、
ともに床(ゆか)を同じくし(日本書紀)、
竹(たけ)の林に鶯は(万葉集)、
麦(むぎ)はむ駒の(万葉集)、
つるぎ太刀いよよ刀具(とぐ)べし(万葉集)、
最端に伏せる和邇、我を捕へ悉く我が衣服を剥(は)ぎき(古事記)、
一坏の濁れる酒(さけ)を飲むべくあるらし(万葉集)、

これらの例は音仮名表記のものが多く、都久(つく)、賀岐(かき)、佐苦(さく)、刀具(とぐ)がカールグレンの指摘する「築」、「槅」、「析」、「琢」と対応しているかどうかは、これだけの資料からは判断することは困難である。しかし、文献時代の初期から日本語には「つく」、「かき」、「さく」、「とぐ」ということばが使われていたことは明らかである。これらのことばは、古代中国語の「築」、「槅」、「析」、「琢」と音義ともに近いことから、中国語から借用した語彙である可能性も否定できない。

 ○垣(かき) カールグレンは「槅」が日本語の垣(かき)の語源だとしている。「槅」と垣(か き)は音は近いが意味が少し離れすぎてはいないだろうか。古代中国語の垣[hiuan]の日本漢字音は 垣(エン)である。中国語の喉音[h-]は日本語にはない音である。しかし、[h-]は[k-]と調音の位置が 近いことから日本語ではカ行であらわれることがある。雲[hiuən]、熊[hiuəm]が日本語で雲(く   も)、熊(くま)であらわれることはすでにみたとおりである。垣(かき)が中国語からの借用語 である可能性は否定しきれない。問題は中国語の韻尾[-n]がどうして日本語ではナ行ではなく、カ 行であらわれるのか、ということになる。これに対する答えは王力の『同源字典』のなかにある。  王力によれば暮[mak]と晩[miuan]は通転であり、同源だという。また、額[ngeak]と顔[ngean]、幕    [mak]と幔[muan]、隙[khyak]と間[kean]、曳[jiat]と引[jien]なども同源であるという。韻尾の[-n]と[-k] 中国音韻史のなかでも転移がみられるのである。

 ○閾(ゆか) 中国語の「閾」は「しきい」が原義であり、意味が離れ過ぎている。日本語の「ゆ  か」はむしろ、古代中国語の床[dzhiang] の頭音が脱落して床(ゆか)になったと考えたほうが自 然であろう。王力によれば陶[du] と窯[jiô] は音が近く同源であるという。中国語では[d-] の次にi介  音がくると[d-] の音が脱落することが多い。

例:多(タ)・移(イ)、  途(ト)・余(ヨ)、  誕(タン)・延(エン)、
     談(ダン)・炎(エン)、濯(タク)・躍(ヤク)、

 床[dzhiang]の頭音が脱落すれば床[jiang] となり、弥生音では日本語の床(ゆか)になる。また、語 頭の子音が生きていると床(とこ)になる。日本語の「ゆか」は中国語の「閾」ではなく「床」に 由来すると考えられる。

○ 琢(とぐ)「啄」と「とぐ」も意味の乖離がかなりある。琢[teok] が日本語と関係があるとすれ ば、むしろ「つく」あるいは「つつく」ではないだろうか。日本語では中国語の一音節を二音節で 表わすことがしばしばある。啄「つつく」もその例であろう。

  例:琢[teok](つつく)、 続[ziok](つづく)、綴[tiuat](つづる)、畳[dyap](たたみ)、
     進[tzien](すすむ)、括[kuat] (くくる)、鑑[keam](かがみ)、

○酪(さけ) 「酪」は乳漿であり、意味のうえでは日本語の「さけ」と関係があるかも知れない。  しかし、音のうえでは、日本語の「さけ」にもっと近い中国語をほかに求めることができる。酢     [dzak]、醋[tsak] は日本語の「さけ」に近い。また、董同龢によれば、「酒」の古代中国音は      [tsiog]であり、韻尾に[-g] の音があった。日本語の「さけ」は古代中国語の「酒」の発音を留めて  いる可能性がある。

○ 竹(たけ)、麦(むぎ)、剥(はぐ) 「竹」、「麦」、「剥」については、万葉集にも用例も  あり、音韻対応さえ認められれば、中国語からの借用語である可能性はある。「竹」、「麦」、  「剥」が中国語からの借用語であると、にわかに認めがたいのは、これらのことばには、竹(チ  ク)、麦(バク)、剥(ハク)という漢字音がすでにあり、竹(たけ)、麦(むぎ)、剥(は   ぐ)は「やまとことば」だと考えられやすいからである。呉音、漢音のほかに中国語音があると  いうことは、普通学校では教わらない。しかし、竹、麦などは古代中国語の竹[tiuk]、麦 [meak] も  中国語からの借用語であり、弥生時代の借用音が竹(たけ)、麦(むぎ)であり、奈良時代以降  に日本漢字音として定着したのが竹(チク)、麦(バク)である可能性が高い。

 日本語には古代中国語の韻尾[-k] を留めていると思われることばはほかにもある。

例:額[ngeak] (ぬか・ガク)、束[sjiok] (つか・ソク)、 塞[sək] (せき・ソク)、
      奥[uk] (おく・オウ)、 着[diak] (つく・チャク)、作[tzak](つくる・サク)、
      濁[diok](にごる・ダク)、漬[dziek] (つける・シ)、 直[diək] (じき・チョク)、
      索[sheak] (さがす・サク)、

「奥」の古代中国語音は奥[uk] であって、随唐の時代には奥/ö/ と発音されるようになった。日本語の奥「おく」は古代中国語音に対応している。そして、奥「オウ」は隋唐の時代以降の中国語音を反映したものである。

 直(チョク)は植(ショク)と声符が同じであり、サ行音とタ行音がある。「真直」の直(すぐ)はサ行であり、「正直」の「じき(ぢき)」も現代の日本語ではサ行である。「すぐに」、「じきに」などの日本語は中国語からの借用語から派生している。複合語では、閉塞[pyet-sək]ふさぐ、仇敵[giu-dyek]かたき、などの語源も中国語である可能性がある。借用語には名詞ほうが動 詞より多いのが普通である。しかし、動詞や形容詞も借用されないわけではない。「着く」、「作 る」、「濁る」、「漬ける」、「索(さが)す」などは日本語の動詞として定着して、活用する。

(2)中国語原音が入声音[-t] で終る場合。室(さと)、熱(なつ)

 「室」、「熱」の古代中国語音は室[sjiet]、熱[njiat]と推定される。記紀万葉のなかで「さと」、「なつ」に相当すると思われるものには、つぎのようなものがある。

 吾妹子が里(さと)にしあれば(万葉集)、
    春過ぎて夏(なつ)来たるらし(万葉集)、

 ○ 室(さと) 記紀万葉のなかには「室」を里、「熱」を夏にあてた用例は見出せない。万葉集では「さと」は里、郷、佐刀、散度、五十戸などと表記されている。

 ○ 熱(なつ) 万葉集では「なつ」は夏、奈都などと表記されていて、「熱」と記された例はない。しかし、「熱」は万葉集では「あつい」にあてられている例がある。

例:熱爾       汗可伎奈気 木根取 
      熱(あつ)けくに 汗かきなけ 木の根取り、(万1753部分)

 中国語の「熱」は日本語の「あつい」の語源であろう。古代中国語の日母[nj-] は朝鮮漢字音では規 則的に脱落して、熱(yeol)になる。日本語の熱(あつ)は韻尾のtは留めているが、語頭の日母     [nj-] は朝鮮語と同じように失われている。朝鮮語の「夏」は夏 (yeo-reum)である。朝鮮語の夏     (yeo- reum)は熱(yeol)と関係があることばであると考えられている。日本語の夏「なつ」の語源は 不明である。春夏秋冬を表わす日本語の語源は明らかでない。朝鮮語では春 (pom)、夏 (yeo-reum) 、秋(ka- eul)、冬 (kyeo-ul) である。朝鮮語の春(pom)は日本語の「はる」に近い。古代日本語の 「はる」は唇音のpであり、「春」は「ふぁる」と発音音されていたと考えられる。古代日本語音 では古代中国語や朝鮮語の「ン」はラ行で発音された。昏(コン・くれ)、雁(ガン・かり)など と同じように朝鮮語の春(pom)も、日本語では「はる」と発音された可能性がある。

(3)国語原音が入声音[-p] で終る場合。邑(いへ)、蛺(かひ・こ)、湿(しほ)、「邑」、

 「蛺」「湿」の古代中国語音は、邑[iəp]、蛺[keap]、湿[sjiəp] と推定される。中国語の韻尾[-p]   は、日本語では、旧かなづかいでは「ハ行」で表された。例えば蝶[thyap] は「てふ」と書かれた。 現代の日本語では音便化して「ちょう」となっている。(ここでは便宜上旧かなづかいで表記する ことにする。)記紀万葉のなかで「いへ」「かひこ」「しほ」に相当すると思われるものを探して みると、次のようになる。

 家(いへ)聞かな告らさね(万葉集)、
    母が養蚕(かふこ)の(万葉集)、
    焼く之保(しほ)の辛き恋を(万葉集)  

 ○邑(いへ)「家」は万葉集では家、宅、伊弊、伊倍、伊敝、伊閉、以弊、伊返などの文字が使  われていて、「邑」の例はない。日本語の家(いへ)に近いことばは中国語にはない。朝鮮語の  「家」は家(jip)である。日本語の家(いへ)は朝鮮語の家(jip)の頭音が脱落したのものである可能 性がある。

 ○蛺「かひ・こ」 「蛺」は万葉集では「養蚕」あるいは「養子」としてあらわれる。万葉集の  「養蚕」を「かふこ」と読むと、万葉集には「かひこ」という用例はないことになる。『倭名抄』 に「蠶和名賀比古」とあるので、少なくとも平安時代には「かひこ」という日本語はあったことは 確かである。『倭名抄』は平安時代の古語辞典だから、奈良時代の日本語に「かひこ」という日本 語があった可能性がある。「蚕」は平安時代以前から「かひこ」と呼ばれていたからこそ、『倭名 抄』は「蚕」を「かひこ」としたのではなかろうか。

古事記歌謡には「こちごちの山の賀比(かひ)に」とあり、「かひ」は「峡」と考えられている。 柿本人麻呂が亡くなったとき、妻の依羅娘子が詠んだとされる万葉集の歌に、「今日今日とわ が 待つ君は石川の貝に(一に云う、谷に)交りてありといはずやも」(万224)という歌がある。  「貝」は「谷」であると注にあるところから、「かひ」は「峡谷」ではないかとされている。万葉 集が編纂された時代には、峡[keap] はすでに峡(かひ)ではなく峡(キョウ)と発音されるように なっていたにちがいない。万葉集の編者は「かひ」に「貝」の字をあてたが、「峡谷」という伝承 もあることを喚起するために、「谷」と注記したのであろう。

甲斐の国の「かひ」ももとは「峡」であろう。甲[keap] が発音の変化によって甲(かひ)から甲  (コウ)となってしまったために、「甲」は「かひ」とはよめなくなってしまった。そのために、 「甲」のあとに「斐」を添記して、「甲」は甲(コウ)ではなく、甲(かひ)と読むべきことを示 したものである。古代の日本語では「蛺」、「峡」、「甲」、「蝶」などは蛺(かひ)、峡(か  ひ)、甲(かふ)、蝶(てふ)として、日本語に取り入れられた。結論として日本語の「かひこ」 は中国語の蛺蠱[keap-ka]の借用語である可能性がある。

○ 湿(しほ) 中国語の湿[sjiəp] が日本語の塩「しほ」の語源であるとするには、意味が離れすぎ ている。「湿」は「塩」ではなくて湿「しめる」の語源であろう。古代日本語では第二音節は濁音 になる傾向がある。中国語韻尾の[-p] が清濁音[-m] になって「しめる」になることは十分考えられ る。日本語の「塩」の語源は不明である。万葉集では「しほ」は塩、潮、之保、思保、志保、之  富、斯抱、四寳などと表記され、「しほ」は「塩」と「潮」の両用に使われている。潮は「うし  ほ」ともいう。潮「うしほ」は、新井白石もいうように、「海潮」であろう。
 「潮」は日本語の「しほ」に意味が近い。「潮」が旧かなづかいでは「しほ」であることから、韻 尾は[-p] でなければならない。しかし、潮[diô] の韻尾は[-p] ではない。ちなみに、潮[dô] と同じ 韻尾をもつ鯛[dyô] も、旧かなづかいでは鯛「たひ」である。

古代中国語の韻尾[-p] は古代日本語では普通、ハ行、マ行、バ行で現れる。

例:吸[xiəp] すふ、 合[həp] あふ、 踏[thap] ふむ、湿[sjiəp] しめる、
      甲[keap] かめ、 鴨[keap] かも、汲[giəp] くむ、渋[shiəp] しぶい、

複合語では「かぶと」がある。日本語の「かぶと」の語源は甲兜[keap-to]であろう。日本の古地名  でも漢字の韻尾[-p] をハ行、マ行、バ行で表しているものがあり、古代中国語音に近い音を伝えて  いる。

例:愛甲 あゆかは、 邑楽 おはらき、 雑賀 さひか、  給黎 きひれ、
    甲斐 かひ、   揖保 いひほ、  宇納 うなみ、  鴨部 かもべ、
    揖宿 いぶすき、 渋川 しぶかは  揖斐川 いびがわ、

甲斐の「斐」、揖保の「保」、揖斐の「斐」はいずれも、ハ行の末音を明らかにするための末音  添記である。末音添記は新羅の郷歌や漢訳仏典によく使われていることはすでに述べた。鹿児島 県の揖宿は「揖宿」では揖宿(いぶすき)と読めなくなってしまったために「指宿」と変えてし まった。

 

第067話 やまとことばは純粋か(3)

スエーデンの言語学者カールグレンが中国語からの借用語としてあげているのはわずかに24の語彙だが、中国語原音と日本語との音韻の転移の法則を調べてみるといくつかの転移の法則が明らかになってくる。

(1)中国語原音が[-ng] で終る場合。 松(すぎ)

 「松」の古代中国語音は松[ziong] と推定される。万葉集のなかで「すぎ」は杉、椙、須疑と表記 され、「まつ」は松、麻都、末都などと表記されていて、杉に松をあてたと思われる例はない。

 三輪の祝がいはふ杉(万葉集)、
    足柄山の須疑の木の間か(万葉集)、
    松が枝を結ぶこころ(万葉集)、
木垂る木を麻都と汝が言はば(万葉集)、

 中国語韻尾の[-ng] は[-k] と調音の位置が同じである。王力の『同源字典』によると、つぎの対語は同源だという。

例:読[dok]・誦[ziong]、 逆[ngyak]・迎[ngyang]、
       溢[jiek]・盈[jieng]、 督[tuk]・��[tong] 、 

同じ声符をもった漢字でも[-k] の韻尾をもったものと、[-ng] の韻尾をもったものとが並存している。

例:拡(カク)・広(コウ)、 較(カク)・交(コウ)、告(コク)・浩(コウ)、
      削(サク)・消(ショウ)、爆(バク)・暴(ボウ)、浴(ヨク)・裕(ユウ)、

 また、祝儀、格子、北条、句読点などのように祝(シュク・シュウ)、格(カク・コウ)、北(ホク・ホウ)、読(ドク・トウ)などのように、熟語では音便形になるものがみられる。

 「松」の日本漢字音は松「ショウ」である。松[ziong] は発音のうえだけからいえば、弥生時代の 日本語で松(スギ)となって現れてもおかしくはない。しかし、文献上そのような用例がないの で、文献時代以降の資料から傍証を得ることはできない。ちなみに、松は朝鮮語では松(so na    mu) であり、杉は杉(sam na mu) である。「なむ」は朝鮮語の木(na mu) である。動物や植物の 名前はヨーロッパの言語でも、はしばしば入れ替わることがある。例えば、ヒマラヤ杉は植物学 的には杉ではなく松科の常緑樹であり、レバノン杉も松だという。中国の「松」が日本で「杉」 になったとしても、必ずしも的はずれとはいえない。「やまとことば」のなかには、中国語韻尾  [-ng] が日本語でカ行、ガ行になったと思われる例はかなり多い。

  例:塚[tiong] (つか・チョウ)、性[sieng] (さが・セイ)、 茎[heng] (くき・ケイ)、
  脛 [hyeng] (はぎ・ケイ)、 楊[jiang] (やなぎ・ヨウ)、 羊[jiang] (やぎ・ヨウ)、
  厖[meong] (むく・ボウ)、 行[heang] (ゆく・コウ)、 往[hiuang](ゆく・オウ)、
  撞[deong](つく・トウ)、 衝[thjiong] (つく・ショウ)、湧[jiong](わく・ユウ)、
  涌[jiong](わく・ヨウ)、 泳[hyuang] (およぐ・エイ)、丈[diang](たけ・ジョウ)、
  光[kuang](かげ・コウ)、 甬[jiong] (おけ・ヨウ)、 揚[jiang] (あげる・ヨウ)、
  横[haong](よこ・オウ)、 王[hiuang](わけ・オウ)、 香[xiang](かぐわし・コウ)、

○ 楊(やなぎ)「やなぎ」は現在は柳(やなぎ)の字をあてているが、日本語の「やなぎ」の語 源は「楊」であろう。万葉集にも「安乎楊木能波良(あをやぎのはら)」などと用いられている。 楊(やなぎ)を「楊木」と書くのは、万葉集の時代には「楊」の文字は「ヨウ」と発音されるよ うになっており、楊(やぎ)とは読めなくなってしまっていたので、末音添記したものである。 「楊」が「やぎ」ではなく「やなぎ」となったのは「楊の木」の連想である。

   ○ 羊(やぎ) 「羊」は現代の日本語では羊(ひつじ)である。古代中国語音は羊[jiang] であり、 日本語の「やぎ」の語源である。「羊」は日本書紀に記録があり「百済、駱駝一匹、驢一匹、羊 二頭、白雉一隻を貢れり」(推古七年九月)とある。これは「ひつじ」ではなく「ぎぎ」を指し ている可能性がある。中国の羊は英国のヨークシャー種のようにふっくらと羊毛につつまれたも のは見かけない。山羊かと思えば羊である。奈良時代になって、「羊」の発音が変化し羊(ヨ  ウ)となったため、「やぎ」は「山羊」と書くようになったものと考えられる。日本語「ひつじ」 の原義は不明である。

○ 光(かげ) 「光」は「ひかり」と「かげ」のふたつの意味がある。月影「つきかげ」は月の光   [kuang] のことであり、太陽の影(かげ)は日の当たらないところである。「かぐや姫」の「か ぐ」は「光(かぐ)や姫」である。日本語の「かげ」には光と影で正反対の意味がある。中国語 の影[yang](あるいは景[kyang])は光[kuang]と発音が近い。中国語には同じ発音で反対の意味を 表すことばがいくつかある。光・影、授・受、売・買などの例があげられる。「光」の意味の  「かげ」も、「影」の意味の「かげ」もともに中国語からの借用語であり、「かがやく」は光耀   [kuang-jiôk] であろう。

○ 王(わけ) 「王」は古代日本の王や皇子の名にある王(ワケ)で、古代中国語の王[hiuang] に 由来する。「王」は古代中国語の頭音の[h-] が失われて、隋唐の時代には王/uang/ となり、現代 中国語音は(wang)である。日本漢字音は隋唐の時代の中国語音を反映して王(オウ)である。し かし、文字時代以前の弥生音は古代中国語音に準拠して王(わけ)となった。
 中国語音の喉音[h-]は唐の時代には失われて。行[heang]、往[hiuang] 、泳[hyuang]、横[hoang]も、 頭音が失われて行(ゆく)、往(ゆく・オウ)、泳(およぐ・エイ)、横(よこ・オウ)になっ た。中国語の韻尾[-ng]は日本漢字音では翁(オウ)、命(メイ)、鶯(オウ)、双(ソウ)、光 (コウ)であるが、弥生音では翁[ong]女( おきな)、命[mieng]人( みこと)、鶯[hiueng]( う ぐひス)、双六[seong-liuk] (すごろく)、光耀[kuang-jiôk](かがやく)なども中国語の韻尾[-ng]  が弥生音でカ行であらわれたものである。

  ○ 翁(おきな) 「翁」の古代中国語音は翁[ong] である。日本語の「おきな」の「な」は女[njia]   である。

○ 命(みこと) 「命」の古代中国語音は命[mieng] であり、「みこと」の「みこ」にあたる。日 本語の「みこと」は「命人」であり、「妹人」が「いもひと」になり、妹「いもうと」になるの と同じ造語法である。

○ 鶯(うぐひす)「鶯」の古代中国語音は鶯[hiueng] と推定される。語頭の喉音[h] は唐代になる  と失われて、日本漢字音では鶯「オウ」となる。日本語の「うぐひす」は鶯/ueng/ の「うぐ」 である。「うぐひす」の「す」は朝鮮語の鳥( sae)である。「うぐひす」は「鶯(中国語)の鳥(朝  鮮語)」ということになる。「うぐひす」の「ひ」については不明である。日本の古地名でも、  中国語の韻尾[-ng] がカ行音であらわれる例が多くみられる。

    例:相模(さがみ)、相楽(さがらか)、英多(あがた)、當麻(たぎま)、
楊生(やぎふ)、愛宕(おたぎ)、久良(くらき)、望多(まぐた)、
香山(かぐやま)、

 賀茂真淵は『語意』のなかで、「佐我美の國は、牟佐我美の牟を畧き、牟佐斯の國は、牟佐斯毛の毛を畧きたり」として、相模は「ムサガミ」の略であるとしている。「相模」、「相楽」の「相」の古代中国語音は相[siang] である。「相」は上[zjiang]に音が近く、朝鮮漢字音では「相」も「上」もともに相(sang)、上(sang) である。「相模」は「上模」であり、「相楽」は「上洛」であろう。「相」が「上」の音をあらわすとすれば、「相模」は「上模」の略だと考えることができる。

 「香山」は香久山、香具山、香来山などとも書かれる。文字時代になって「香」が香「コウ」となり、香(かぐ)とは読めなくなってしまったので、「久」「具」「来」などの字を末音添加したのである。「香具山」の意味は不明だが、香[xiang] は光[kuang]に近く「光山」である可能性がある。「高」、「光」の日本漢字音はいずれも「コウ」であり、弥生音は「かぐ」であろう。

 同じような末音添記の例として、「高句麗」をあげることができる。「高句麗」の「句」は末音添記である。『日本書紀』の表記はすべて「高麗」であり、『三国史記』は「高句麗」である『三国遺事』では「高麗」と「高句麗」が混用されているという。「高句麗」の「句」は「高」の韻尾を古音で高[kôk] と読ませるための工夫である。また、『古事記』には「新羅」を「新良」と表した例がある。日本の古地名「久良」の「くらき」も良[liang] の末音を「ギ」と読ませている。このことは、末音を添記しなくても良[liang] の末音を「ギ」と読むことのできる時代があったことを示している。 

(2)古代中国語の韻尾が[-m] である場合。

 熊(くま)「熊」の古代中国語音は熊[hiuəm] であったと考えられている。日本語の熊(くま)は古代中国語に依拠している。ところが熊[hiuəm]の韻尾[-m] は介音[-iu-] の後では規則的に/-ng/ に変化した。そのため、唐代の中国語音に依拠している日本漢字音は唐代の中国漢字音である熊/hiuəng/    に対応して熊(ユウ)となった。万葉集では「熊」は熊、久麻と表記されている。

 荒熊の住むとふ山の(万葉集)、
  久麻吉(くまき)をさして(万葉集)、

 古代中国語の喉音[h] は唐代以降はi介音の前で失われた。古代中国語の喉音[h-] は、『古事記』『日本書紀』歌謡では、つぎのような日本語音にあてられている。

 ア行<う>宇[hiua]・于[hiua]・禹[hiua]・羽[hiuə]・雨[hiua]、
 カ行<か>何[hai]・河[hai]、<が>賀[hai]、<け甲>鶏[hyei]、<こ>胡[ha]、
 ワ行<わ>和[huai]、<ゐ>韋[hiuəi]・謂[hiuət]・偉[hiuəi]、位[hiuət]・為[hiuai]、
   <ゑ>恵[hyuet]・衞[hiuat]・慧[hyuət]・廻[huəi]、<を>袁[hiuan]・遠[hiuan]・弘[huəng]・
      乎[ha]、

 記紀歌謡では、i介音を伴わない喉音[h-]をもつ「賀」、「何」、「鶏」、「胡」はカ行、ガ行であらわれ、i介音を伴ったものは、ア行あるいはワ行であらわれることがわかる。唐代の韻図である『韻鏡』を見ると、古代中国語音でi介音を伴う「于」、「韋」、「位」、「為」、「衞」、「袁」、「遠」などは匣母[h-] ではなく、喩母[j-] の音として分類されている。

 熊[hiuəm] や雲[hiuən] は日本語に取り入れられて、弥生時代には熊(くま)、雲(くも)と発音され、奈良時代になると熊(ユウ)、雲(ウン)と発音されるようになったものと考えられる。「熊」の韻尾は唐代には熊/hiuəng/ と発音されていたが、「熊」の古代中国語音は熊[hiuəm]であると考えられている。「風」も古代中国語音は風[piuəm] であり、隋唐の時代に風/piuəng / になった。現代の朝鮮語で「風」は風(pa ram) である。朝鮮語の風(pa ram) は、中国語の「風」の古音を留めていると言語学者は考えている。唐詩では「風」は東[tong] と韻を踏んでいる。ところが、『詩経』(紀元前600年ころ成立)では「風」は心[siəm] と押韻している。このことから、中国語における「風」の発音は、つぎのように変化したものと推測できる。

  『詩経』の時代 (過渡期) 隋唐の時代
    風 piuəm     piuəng   piung

 朝鮮語の風(pa ram) は詩経の時代の古代中国語音を継承している。日本漢字音の風「フウ」は唐代の中国語音を反映している。熊(くま)は『詩経』の時代の中国語音を反映した弥生音である。日本語の風「かぜ」は中国語の「風」とも、朝鮮語の風(pa ram) とも別の系統のことばであろう。

 現代の中国語では、広東方言では-n、-m、-ngは区別されているが、北京語では-n と-m が合流している。また、福建方言では-n、-m、-ngの三つが合流して-ng ひとつだけになっている。

 現代中国語方言の韻尾
   北京語   福建語    広東語
    -n -ng -n
    -n -ng -m
      -ng -ng -ng

  朝鮮漢字音では-n、-m、-ngの区別が保たれているが、日本漢字音では-n、-mの区別は失われて「ン」に合流している。中国語の韻尾[-ng] に相当する音は古代日本語にはなかった。そのため、熊(ユウ)、風(フウ)のように、音便形で代替された。韻尾の[-n]、[-m]、[-ng] は、いずれも鼻音であり、調音の方法が同じであるため転移しやすい。

 日本語のなかで中国語の[-ng] がマ行、ナ行で表れているものには、つぎのようなことばがある。

例:熊[hiuəm](くま・ユウ)、停[dyeng](とまる・テイ)、 公[kong](きみ・コウ)、
      浪[liang] (なみ・ロウ)、 詠[hyuang](よむ・エイ)、 痛[thong](いたむ・トウ)、
      醒[syeng](さめる・セイ)、灯[təng](ともる・トウ)、 霜[shiang](しも・ソウ)、
      頸[kieng](くび・ケイ)、 常[zjiang](つね・ジョウ)、 種[diong](たね・シュ)、
      峯[phiong](みね・ホウ)、 舨[piuan](ふね・ホウ)、

 また、日本の古地名では、つぎのような例がみられる。

    頸城 くびき、 浪坂 なむさか、 霜見 しもみ、養訓 やまくに、

  これらの事実を総合すると日本語の「熊」は、ほとんど間違いなく弥生時代の借用語だといえる。

 カールグレンが指摘した日本語のなかで、弥生時代の借用語である可能性の高いと思われるものは、若干の修正も含めてつぎの通りである。

  馬(うま)、梅(うめ)、築(つく)、槅(かき)、析(さく)、絹(きぬ)、秈(しね)、
蛺蠱(かひこ)、竹(たけ)、麦(むぎ)、松(すぎ)、琢(つつく)、剥(はぐ)、
湿(しめる)、郡(くに)、舨(ふね)、坩(かめ)、鎌(かま)、熱(あつい)、熊(くま)、酒(さけ)、

 日本人は弥生時代のはじめから中国文化の影響を受けて、ことばも中国語から借用してきた。弥生時代の借用音は古代中国語音に依拠している。また、弥生時代はまだ文字が普及していなかったため、借用語は話しことばを通して入ってきたものが多かったものと思われる。弥生音のなかには、現在慣用として使っている漢字と違う漢字を語源とすると考えられえるものもある。たとえば、日本語の「せき」は「関」ではなく、塞[sək] に由来するものであろう。「へび」は「蛇」ではなくて蟠[buan] が語源であろう。

 カールグレンが指摘した以外の日本語も含めて、弥生時代あるいは古墳時代における中国語からの借用語だと思われることばを音韻の転移の法則にしたがって列挙すれば、つぎのようになる。

(1)中国語の[m-] の前に母音がくることば。

馬(うま)、梅(うめ)、味(うまし)、美(うまし)、牧(うまき)、没(うもる)、
 鰻魚(うなぎ)、網(あみ)、虻(あぶ)、妹(いも)、夢(いめ)、未(いまだ)、
 母(おも)、面(おも)、海(うみ)、

・中国語の[m-] あるいは[l-] の前に[k-] がくることば。

馬(こま)、米(こめ)、裸体(からだ)、栗(くり)、来(くる)、輪(くるま)、

(2)中国語の韻尾[-n] あるいは[-m] のあとに母音がつくことば。

郡(くに・こほり)、絹(きぬ)、巾(きれ)、秈(しね)、舨(ふね)、坩(かめ)、
罐(かめ)、鎌(かま)、壇(たな)、段(たな)、殿(との)、浜(はま)、君(きみ)、
文(ふみ)、蝉(せみ)、簡(かみ)、蟠(へみ・へび)、呑(のむ)、染(そめる)、
肝(きも)、雲(くも)、困(こまる)、混(こむ)、闇(やみ)、暗(やみ)、
沁(しみる)、滲(しみる)、浸(しみる)、侵(せめる)、占(しめる)、兼(かねる)、
金(かね)、

(3)中国語の韻尾[-k] のあとに母音がつくことば。

築(つく)、槅(かき)、床(ゆか・とこ)、析(さく)、竹(たけ)、麦(むぎ)、
 啄(つつく)、続(つづく)、剥(はぐ)、酒(さけ)、酢(さけ)、菊(きく)、
 肉(にく)、額(ぬか)、束(つか)、塞(せき)、奥(おく)、着(つく)、
 作(つくる)、濁(にごる)、漬(つける)、直(すぐ・じき)、索(さがす)、
 閉塞(ふさぐ)、仇敵(かたき)、

(4)中国語の韻尾[-t] のあとに母音がつくことば。

蜜(みつ)、室(しつ)、熱(ねつ・あつい)、鉄(てつ)、筆(ふで)、舌(した)、
 仏(ほとけ)、

・中国語の韻尾[-t] がラ行になることば。

払(はらう)、刷(する)、擦(する)、奪(とる)、没(うもる)、惚(ほれる)、
   滅(ほろびる)、

・中国語の韻尾[-t] がナ行になることば。

物(もの)、穴(あな)、骨(ほね)、

(5)中国語の韻尾[-p] がハ行、マ行になることば。

蛺蠱(かひこ)、湿(しめる)、吸(すふ)、合(あふ)、甲(かめ・かひ)、甲兜
(かぶと)、鴨(かも)、汲(くむ)、渋(しぶい)、粒(つぶ・いぼ)、

そのほか、潮(しほ)、鯛(たひ)もこの類推形であろう。

(6)中国語の[-ng] がカ行になることば。

松(すぎ)、塚(つか)、性(さが)、茎(くき)、脛(はぎ)、楊(やなぎ)、
羊(やぎ)、厖(むく)、行(ゆく)、往(ゆく)、撞(つく)、衝(つく)、湧(わく)、
涌(わく)、泳(およぐ)、丈(たけ)、光(かげ)、影(かげ)、桶(おけ)、
揚(あげる)、横(よこ)、王(わけ)、香(かぐ・わし)、翁女(おき・な)、
命人(みこ・と)、鶯(うぐ・ヒ・ス)、双六(すご・ろく)、光耀(かが・やく)、

(7)中国語の[-ng] がマ行、ナ行になることば。

熊(くま)、停(とまる)、公(きみ)、浪(なみ)、詠(よむ)、痛(い・たむ)、
醒(さめる)、灯(ともる)、霜(しも)、頸(くび)、常(つね)、種(たね)、
峰(みね)、

カールグレンは24の単語をあげ、亀井孝はそのうち「一見あるいは、認めてもよいかと思われる例」は郡(くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)の四つしかないと反論した。しかし、古代中国語音を基点として日本語への転移の法則をたてて精査してみると弥生時代における中国語からの借用語はかなりの数にのぼるであろうことは認めざるをえない。これらの単語が文字時代以前の中国語からの借用語であるかどうかは、今のところ仮説である。仮説は最小限の規則によって、なるべく多くの事象を説明できるものでなければならない。しかし、これらの例は古代日本語にはかなりの数の中国語からの借用語があるというカールグレンの仮説を支持しているように見える。

「やまとことば」のなかには、かなりの数の借用語があることがわかる。これらのことばは中国語音と規則的に対応しており、意味が同じである。そして、これらの例のほとんどは、初期の文字資料である記紀万葉によって傍証が得られる。「やまとことば」は純粋で世界の言語から隔絶したことばではなく、東アジアの三角地帯である中国大陸、朝鮮半島、日本列島の交流のなかで形成されてきたのである。これだけたくさんの語彙が弥生時代に中国語から日本語に取り入れられたとすれば、中国語を話す人びととアルタイ語を話す人びとが、共同生活をしていて、言語の混交が起こったことも想定される。

[古事記の日本語]

第068話 『古事記伝』を読む

 一介の町医者である宣長が『古事記傳』という、気の遠くなるような注釈を書き始めたのは、賀茂 真淵に会ってからである。宝暦13年(1763年)、本居宣長は伊勢松坂の本陣新上屋(しんじょう や)という宿屋で、賀茂真淵に会っている。真淵は67歳、宣長は34歳であった。その時のやり とりが『玉勝間』に載っている。賀茂真淵は本居宣長に、つぎのように諭したという。

 われ(真淵)ももとより、神の御典(みふみ)をとかむと思ふ心ざしあるを、そはまづからごゝろを 清くはなれて、古へのまことの意を、たづねえずばあるべからず。然るにそのいにしへのこゝろを えむことは、古言を得たるうへならではあたはず、古言をえむことは、萬葉をよく明らむるにこそ あれ。さる故に、吾は、まづもはら萬葉をあきらめんとする程に、すでに年老て、のこりのよは  ひ、今いくばくもあらざれば、神の御ふみをとくまでにいたることえざるを、いましは年さかりに て、行さき長ければ、今よりおこたることなく、いそしみ學びなば、其心ざしとぐること有べし。 (『玉勝間』二の巻)

 宣長は真淵のことばに勇気づけられて、『古事記傳』に取り組むことになる。宣長30才あまりの 時のことである。宣長が『古事記傳』を書き始めたのは明和元年(1764) とも明和4年(1767)ともい われている。『古事記傳』全44巻が完成したのは、寛政10年(1798)、宣長69歳のときである から、本格的な研究に着手してから、35年の歳月を要したことになる。宣長の学問的関心は、漢 学とか仏教を受け入れる以前の日本の姿を極めることであった。

 宣長の志は、その後もさまざまな形で受け継がれてきている。小林秀雄は昭和40年6月号の雑誌 『新潮』に「本居宣長」を書きはじめてから、昭和51年12月号まで「本居宣長」を書き続け  た。終章擱筆は昭和52年9月7日で、実に13年間にわたる畢生の大業である。小林秀雄はなぜ 本居宣長にこだわり続けたのだろうか。小林秀雄は『本居宣長』のなかで、つぎのように書いてい る。  

 「古事記」という謎めいた、譯のわからぬ物語を、宣長が、無批判無反省に、そのまま事實と承認  し、信仰したについては、宣長が、内にはぐくんだ宗教的情操が、彼の冷静な眼を曇らせた、さう 解するより仕方がない、とする考へ方に、研究者は誘はれ勝ちだが、これはいけないだらう。少な くとも、さういふ餘計な考え方で、話を混亂させる事はないやうに思われる。
 「言辭の道」を探る宣長の眼には、終始、何の曇りもなかつたと見ていゝ。訓古の長い道を徹底的に 辿つてみた、彼の何一つ貯へぬ心眼に、上ツ代の事物の、あつたがまゝの具體性或は個性が、鮮明 に映じて來た。其處に直觀される、事物の意味合なり價値なりが、そのまゝ承認出來ない理由な  ど、彼には、何處にも見當りはしなかつた。宣長の場合、さう端的に見れば、足りる事なのであ  る。(『本居宣長』p.532)

  本居宣長は、小林秀雄がいうように、彼の心眼に映し出された日本古代の姿をそのまま承認し  た。そして、小林秀雄は本居宣長の眼に映じた日本の古代、やまとことば、やまと心を、そのまま 受け入れようとした。本居宣長は太安万侶の『古事記』を読み解くことによって、日本の古代と出 会い、小林秀雄は本居宣長を理解することによって、日本の姿を再発見した。小林秀雄はいう。 

宣長には、迦微(かみ)といふ名の、所謂本義など、思ひ得ても得なくても、大した事ではなかつたのだが、どうしても見定めなければならなかつたのは、迦微といふ名が、どういふ風に、人々の口にのぼり、どんな具合に、語り合はれて、人々が共有する國語の組織のうちで生きてゐたか、その言はば現場なのであつた。「人は皆神なりし故に、神代とは云」ふその神代から、何時の間にか、人の代に及ぶ、神の名の使はれ方を、忠實に辿つて行くと、人のみならず、鳥も獣も、草も木も、海も山も、神と命名されるところ、ことごとくが、神の姿を現じてゐた事が、確かめられたのである。(『本居宣長』p.463)

 日本とは何かを問いかける人は、いつの時代にも本居宣長にもどってくる。明治時代には新渡戸稲造が『武士道』のなかで、本居宣長のやまと心の歌を引いている。

 志き嶋の やま登許ゝ路を 人登ハゝ 朝日尓ゝほふ 山佐久ら花

 本居宣長の漢心を排して日本の独自性を問う考え方は、大東亜戦争中は、己自身を華夷思想の中心にすえて、やまと魂を鼓舞する思想として宣揚された。本居宣長の『古事記傳』の解読と解釈は、現代の国語学者にも受け継がれている。冒頭の「天地初発之時」を宣長は「天地(あめつち)の初(はじ)めの時」と読んでいるが、倉野憲司は「天地(あめつち)初めて發(ひら)けし時」(岩波文庫)と読み、西宮一民は「天地(あめつち)初(はじめ)て發(おこり)し時に」(おうふう・桜楓社)としている。多少の異同はあるが、訓読みに徹するという点は本居宣長の伝統を忠実に守っている。「天地(テンチ)初發(ショハツ)の時」と漢文で読む人はいない。まして、「天地(テンチのあめつち)の初發(ショハツにして、はじめ)の時」などと文選読みに読む人はいない。『古事記』は漢字だけで書かれてはいるが、古代日本のロマンを伝える「やまとことば」の書なのである。

 敗戦後『古事記』の神話を字義のまま受けとめる考え方は否定され、神代を日本の歴史のなかに位置づけることはなくなった。しかし、歴史解釈の基本となる原文の解釈が変ったわけでもなく、新しい解釈が生まれたわけでもない。『古事記』の読み方は本居宣長の時代のままである。日本の歴史は石器時代にはじまり、縄文時代、弥生時代、古墳時代へと展開していくというのが現代の常識である。『古事記』にいう神代とはいつの時代に相当するのだろうか。

   神話の神々が登場する時代にはすでに五穀があり、刀(鉄器)があり、酒がある。このことか  らも『古事記』にいう神代とは、弥生時代以前にはさかのぼりえない。神代は現代の歴史観でみ  れば弥生時代になぞらえることができる。弥生時代は稲作の技術や鉄器の文化が大陸から、朝鮮  半島を経由して日本にもたらされた国際交流の時代である。

 『古事記』が成立した8世紀も、日本が中国大陸や朝鮮半島から孤立して、独自の文化を形成した時代ではなく、日本の歴史のなかでもまれにみる国際化の時代であった。日本民族の特性であるという皇国の言語は、中国語の語彙を数多く取り入れ、朝鮮漢字音の影響を受けた弥生音で発音されていた。「やまとことば」のなかに中国語や朝鮮語からの借用語を探すのは容易だが、縄文語の痕跡を見出すのはむずかしい。古代日本語の語彙のなかに狩猟採集時代のことばを探すことは困難である。

   近代の日本は「美しい日本語」、「日本独特の文化」、「単一民族」という幻想のうえに、日本の  アイデンティティーを形成してきた。日本の文化は外国人には理解できない。日本語は日本人と  して生まれてきた者たちの占有物である、という考え方が支配してきた。しかい、完璧に日本的  であるものはありえない。日本語も日本文化も複合的であることによって、はじめて普遍性を獲  得することができる。本居宣長は日本語を、そして国家としての日本を大宇の中心に据えること  によって、辺境の文化と考えられてきた日本を普遍の高みに押し上げようとした。そして、その  志を受け継ぐ日本人は後を断たない。

   アジア2千年の歴史のなかで、中国こそ文明の中心であった。中国語だけが正しい言語であ   り、あとは「南蛮鴂舌」(南方の蛮人はもずのさわがしい鳴き声のようにまくしたてる)である  というのが中国人の言語観であった。言語における華夷思想である。本居宣長はこれに反発し   て、「此ノ五十ノ外ハ。皆鳥獣萬物ノ聲ニ近キ者ニテ。溷雑不正ノ音也ト知ルベシ」と主張して  いる。日本語の五十音の正しさを主張することによって、日本語を小中華の言語として位置づけ  て、その他の言語は夷狄の言語としている点では、本居宣長もまた中国人の華夷思想を受け継い  でいる。

   明治時代以降に固められた「言語=文化=民族=国籍」という閉鎖的な言語観、歴史観が、国際  社会のなかで日本を孤立させる原因になった。しかし、『古事記』の神代を日本の弥生時代にあ  てはめてみると、弥生時代とは「漢心(からごころ)を排した純粋なやまとごころ」の時代では  なく、中国の文化が稲作や鉄器をともなって朝鮮半島を経て日本列島にやってきた時代であり、  漢字がもたらされ、百済人が、新羅人が、高麗人が中国語や朝鮮語の語彙を日本語のなかに持ち  込んだ時代であった。現代の日本語の基層は弥生時代に形成されたと考えられる。

   狩猟採集生活から農耕生活への転換は歴史の大きな転換点となる。たとえば、アメリカ大陸で  はヨーロッパをはじめ世界中からやってきた入植者が、狩猟採集生活を主とするアメリカイン   ディアンを押しのけて定住し、母国のことばである英語を話している。入植者たちは自分自身を  ヨーロッパ人ではなく、アメリカ人だと考えている。同じことは南北アメリカでもオーストラリ  アやニュージーランドなど先住民の人口密度が低かった地域ではどこでも起こった。また、カリ  ブ海の島々や太平洋の島々ではヨーロッパ人と先住民が一緒に生活するためにクレーオール(混  交語)が生まれた。

   日本の弥生時代はこれと同じようなことが起こっても不思議でない時代であった。大陸や朝鮮  半島からの渡来人はさまざまな言語をもたらし、やまとことばの形成に寄与した。そして自分自  身を「やまと」人と思うにいたったに違いない。『古事記』に描かれた日本のはじめとはこのよ  うな時代ではなかったのだろうか。

 

第069話 本居宣長の古事記解読

宣長は『古事記伝』一之巻で、まず、つぎのように述べている。  

此記の優(まさ)れる事をいはむには、先ヅ上ツ代に書籍(ふみ)と云物なくして、たゞ人の口に言傳(ひとつた)へたらむ事は、必ズ書紀の文(ふみ)の如くには非ずて、此記の詞のごとくにぞ有けむ。彼レ(注:日本書紀)はもはら漢(から)に似るを旨(むね)として、其ノ文章(あや)をかざれるを、此レ(注:古事記)は漢にかゝはらず、ただ古ヘの語言(ことば)を失わぬを主(むね)とせり。(中略)此記は、いささかもさかしらを加(くは)へずて、古ヘより云ヒ傳ヘたるまゝに記されたれば、その意も事も言も相偁(あひかなひ)て皆上ツ代の實(まこと)なり。是レもはら古ヘの語言(ことば)を主(むね)としたるが故ぞかし。(中略)かれこれ思へば、いよゝますます尊び仰(あふ)ぐべきは、此記になむ有ける。(『古事記傳一之巻』)

「漢(から)心」を排して『古事記』を復元できれば、そこに、中国語の圧倒的な力によって覆
い被されてしまう以前の、日本の姿が現れてくるはずだと、本居宣長は考えた。『日本書紀』は本来やまとことばであるべき日本語を漢訳して書いたものだが、『古事記』こそは「やまとごころ」を「やまとことば」で書いた正真正銘の聖典であるというのである。古事記の冒頭の部分は、つぎのようにはじまる。  

天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。
  並獨神成坐而。隠身也。

本居宣長は『古事記傳』でこの部分を、つぎのように読みくだしている。

天地(あめつちの)初發(はじめ)之(の)時(とき)。於ニ高天原一(たかまがはらに)成(な  りませる)神(かみの)名(みなは)。天(あめ)之(の)御中主(みなかぬしの)神(か    み)。次(つぎに)高御産巣日(たかみむすびの)神(かみ)。次(つぎに)神産巣日(かみむ  すびの)神(かみ)。此(この)三柱(みはしらの)神(かみ)者(は)。並(みな)獨神(ひ  とりがみ)成坐(なりまし)而(て)。隠(かくし)レ身(みみを) 也(たまひき)。

『古事記』はやまとことばで書いてあるとはいえ、本来中国語を表記するために作られた漢字を使って書いてあるため、漢文のよう返り点やレ点をつけて読む。「於二高天原一」は「高天原(たかまがはら)に」であり、「隠レ身也」は「み身を隠し也(たまひき)」と本居宣長は読みくだしている。そこにあらわれてくる原初の日本語は、つぎのようなものである。

天地はじめの時、タカマガハラに、なりませる神のみ名は、天のミナカヌシの神。つぎにタカミムスビの神、つぎに神ムスビの神、この三はしらの神は、みなひとり神なりまして、み身をかくしたまひき。

本居宣長は『古事記傳』で、つぎのように解釈している。

天地は阿米都知(あめつち)の漢字(からもじ)にして、天は阿米(あめ)なり。かくて阿米(あめ)てふ名義(なのこころ)は、未ダ思ヒ得ず。、、、天(あめ)は虚空(そら)の上(かみ)に在リて、天ツ神たちの坐(まし)ます御國なり。地は都知(つち)なり。名義(なのこころ)は、是れも思ひよれることあり。下に云べし。さて都知(つち)とは、もと泥土(ひぢ)の堅まりて、國土(くに)と成れるより云る名なる故に、小くも大きにも言り。小くはたゞ一撮(ひとつまみ)の土をも云ヒ、又廣く海に對(むか)へて陸地(くぬが)をも云フを、天(あめ)に對(むか)へて天地(あめつち)と云ときは、なほ大きにして、海をも包(かね)たり。(『古事記傳三之巻』)

天地開闢にあたって、「天」、「地」、「神」が重要な概念になっている。

 ○ 天地(あめつち)「天」は漢字では天「テン」だが、やまとことばでは天「あめ」である。「あ   め」がやまとことばで何を意味するかは、まだよくわからない。天は虚空の上にあって、天神の  住む国である。「地」は漢字では地(チ)であるが、やまとことはでは地(つち)である。「つ  ち」とは泥土が固まって国土になったものの名なので、大小さまざまである。小はひとつまみの  土をもいい、大は海に対して陸のことをいうこともある。「天」にたいして「地」というときは、  陸と海をふくめて地(つち)という。「阿米てふ名義は、未ダ思ヒ得ず」としているところが興  味深い。『古事記』は漢字を借りて書いてあるから「天地」と書いてあるが、漢字の「天地」は必  ずしも中国語の「天地」と意味が同じではない。「やまとことば」には漢字が入ってくる前から  のことばがあったはずである。それが、天(あめ)であり、地(つち)である。しかし、やまと  ことばの天(あめ)が何をさしているのかは、つまびらかでない、としているのである。

 ○神(かみ) 本居宣長は『古事記伝』で、つぎのように述べている。

  迦微(かみ)と申す名義(なのこころ)は未だ思ひ得ず。さて凡て迦微とは古御典(いにしえのみふみ)等に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀(まつ)れる社に座す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳ありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは云なり。(『古事記傳三之巻』)

  「神」は神典である『古事記』のなかで最も重要な概念である。その「神」についても本居宣長は「神と申す名の義は未だ思ひ得ず」としている。そのうえで、本居宣長は日本の神は天地の神々をはじめとして、神々を祭る神社の霊も神であり、人もまた神として祭られることがある。鳥や獣、草木や海山も「すぐれたもの」、「かしこく尊いもの」は神として崇められる。日本の神は精霊信仰だから、中国の神とは違うのだ、と主張している。
 天地のはじめの時に生まれた三神は、アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、タカミムスビの神である。しかし、『古事記』のなかでもっとも重要な神は天照大神であり、万国を照らす太陽が、この国に生まれたことが貴いのだと、本居宣長は考えた。

  古事記は3巻からなり、巻1は神代の記述である。巻2からは人代で、神武天皇から始まる。古事記には縄文時代も弥生時代もでてこない。邪馬台国も金印もない。神代は高天の原、葦原の中つ国、黄泉の国という上中下3層の世界からなっている。人の世は神の世を引き継いで形成された、というのが古事記の世界観である。

  本居宣長にとって『古事記』は聖典であった。『古事記』の冒頭は「天地初發之時」であるが、『日本書紀』の冒頭は「古天地未レ剖、陰陽不レ分」であり、「古(いにしへ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき」となる。古事記も日本書紀も、天地のはじまりについて述べている。しかし、宣長の考えでは、『日本書紀』は陰陽などという中国から輸入された概念で、わが神国のはじめを描いているからだめだ、ということになる。

 

第070話 古事記解読の方法

 本居宣長は『古事記』解読によって、日本の古代について、神について、そして「日本」について解明しようとした。戦後、皇国史観は日本の歴史解釈から姿を消した。『古事記』は神話であり、歴史ではないとして日本史の聖典としての位置を失った。しかし、『古事記』が日本語の歴史にとって重要な証人であることには変わりなく、その点では宣長の『古事記傳』は今もその輝きを失ってはいない。

 日本には文字はなかったから『古事記』は中国語を表記するための文字である漢字を援用して書かれている。しかし、『古事記』に書かれていることばは中国語ではなく日本語である。中国文化との接触は弥生時代の黎明とともにはじまった。弥生時代は遅くとも紀元前3世紀にははじまっているので、『古事記』成立の少なくとも1千年まえには、中国文化の影響は日本列島に及んでいたことになる。このことは、青銅鏡をはじめ弥生時代、古墳時代の考古学出土品によって裏づけることができる。

 日本語もまた、『古事記』成立の1千年まえから、中国語や朝鮮語の影響をうけ続けていたに違いない。『古事記』はその痕跡を留めている。そういう観点から、「八雲たつ出雲」の段を解読してみることにする。本居宣長は『古事記傳』でつぎのように日本語として読み下している。

 故(かれ) 是以(ここをもて) 其(その) 速須佐之男(はやすなおを) 命(のみこと)、宮(みや) 可(べき)ニ造作(つくる)一 之地(ところを)求(まぎたまひき)ニ 出雲(いづもの) 國(くに)一。 爾(ここに)到(いたり)ニ坐(まし)須賀(すがの)地(ところに)一 而(て) 詔之(のりたまはく)、 吾(あれ) 来(きまして)ニ 此地(ここに)一、我(あが) 御心(みこころ) 須賀須賀斯(すがすがし)而(とのりたまひき) 其地(そこになも) 作(つくり)レ宮(みや) 坐(ましましける)。 故(かれ)其地(そこを) 者(ば) 於(に)レ今(いま) 云(いふ)ニ須賀(すがとぞ)一 也。玆(この)大神(おほかみ)初(はじめ)作(つくらしし)ニ 須賀(すがの)宮(みや)一之時(ときに)、自(より)ニ其地(そこ)一雲(くも)立騰(たちのぼりき)。爾(かれ)作(よみしたまふ)ニ御歌(みうた)   一。其(その)歌(みうたは)日、

  夜久毛多都、伊豆毛夜幣賀岐、都麻碁微爾、夜幣賀岐都久流、曾能夜幣賀岐袁。
  やくもたつ、いづもやへがき、つまごみに、やへがきつくる、そのやへがきを。

 於(に)レ是(ここ) 喚(めして)ニ其(かの)足名椎(しなづちの)神(かみを)一、告(の  り)三言(たまひ) 汝(いまし)者(は) 任(たれと)ニ 我(あが)宮(みや)之(の)首 (おびと)一 且(また) 負(おほせたまひき)ニ 名號(なを) 稲田(いなだの) 宮主  (みやぬし) 須賀之(すがの)八耳(やつみみの) 神(かみと)一 (『古事記傳九之巻』)

 本居宣長は『古事記』の解読にいくつかの工夫をしている。

(1)漢字を訓読みして「やまとことば」を復元している。

故(かれ)、是(ここ)、以(もち)、男(を)、速(はや)い、命(みこと)、宮(みや)
可(べ)し、造作(つく)る、地(ところ)、求(ま)ぐ、出雲(いづも)、國(くに)、
爾(ここ)、到(いた)る、坐(ま)す、詔(の)る、吾(あれ)、来(く)る、此地(ここ)、我(あ)、御(み)、心(こころ)、其地(そこ)、作(つく)る、今(いま)、云(い)ふ、玆、(この)、大(おほ)、神(かみ)、初(はじ)め、時(とき)、雲(くも)、自(より)、立騰(たちのぼ)る、爾(かれ)」、歌(うた)、喚(め)す、其(かの)、告言(の)る、
汝(いまし)、任(たれ)、首(おびと)、且(また)、負(お)ほす、名(な)、稲(いね)、主(ぬし)、八(やつ)、耳(みみ)、

 『古事記』冒頭の「天地初発之時」では「地」を地(つち)と読んでいるが、ここでは地(ところ) と読んでいる。「其」は「其速須佐之命」では「その」とも読まれ、「其足名椎神」では「かの」とも 読まれている。「其地」は「そこになも」と文脈によって読み分けている。中国語の成句は初発(は じめ)、造作(つくる)と読んでいる。

(2)漢字の音を使って日本語を表記している。

  須賀須賀斯(すがすがし)、

(3)原文にはない、日本語の助詞を補っている。

是を以て、速須佐之男の命、可造作地を、出雲の國に、爾(ここ)に、須賀の地に、此地に、我が、須賀須賀斯(すがすがし)と、其地になも、其地を者、云須賀とし、玆(こ)の大神、須賀の宮、時に、其のみ歌は、其の足名椎の神を、任(たれ)と、我が宮、稲田の宮、須賀之八耳の神と

  代名詞には助詞が表記されていないことが多いのでそれを補っている。

  是(ここを)、其(その)、此地(ここに)、我(あが)、其地(そこになも)、其地(そこ
を)、玆(この)、其(かの)

  原文に助詞が漢字で書いてある場合は原文による。

速須佐之(の)男、造作之(を)地、到ニ坐須賀地一而(て)、須賀須賀斯而(と)、其地者(をば)、於(に)レ今也、作ニ須賀宮一之(し)時、自ニ(より)其地一、其歌日(は)、於(に)是、汝者(は)、我宮之(の)首、須賀之(の)八耳神

(4) 日本語の用言には、活用語尾などを補っている。

造作(つく)る、求(ま)ぎたまひ、到り、詔之(の)りたまはく、作り、坐(まし)ましける、云ふ、作らしし、立ち騰(のぼ)りき、作(よみ)したまふ、喚(め)して、告言(の)りたまひ、任(た)れ、負(おほ)せたまひき、

 活用語尾を添記したと思われる表記もある。

可造作之地、 作須賀宮之時、 詔之、 作須賀宮之時、

 「之」は「宮可造作之地」では「造作(つくる)べき地(ところ)」、「作須賀宮之時」は「須賀の 宮を作らしし時に」、「詔之」は「詔(の)りたまはく」のように読み分けられている。「之」を動 詞「作」、「詔」などにつけて用いる用法は新羅の誓記体と同じである。

(5)日本語の尊敬、謙譲の表現は、原文にないものも補っている。

求(ま)ぎたまひ、詔之(のり)たまはく、来まして、須賀須賀斯(すがすがし)と
のりたまひ而(て)、坐(まし)ましける、作らしし、作(よみ)したまふ、其のみ歌、
告言(の)りたまひ、負(おほ)せたまひき、

  原文に敬語表現が表記されている例もある。

御心(みこころ)、御歌(みうた)、到坐(いたりまし)、作坐(つくりましましける)、

 「御歌」の場合は、表記のうえからも御歌(みうた)と読めるが、「其歌」も其歌(そのみうた) と読んでいる。本居宣長は速須佐之男命に対する尊崇の念から、「其歌」を其歌(みうた)と読むべきだと考えた。しかし、太安万侶が「其歌日」と書いたとき「その歌にいはく」を意図して書いた か、「そのみ歌にいはく」と読んでもらうつもりで書いたかは定かでない。本居宣長の読み方は読 みくだしというよりも、日本語への翻訳であろう。

 同じ漢字がいくとおりにも読みわけられている場合もある。

須賀の地に到り坐し而詔り之(たまはく)、吾此地に来まして、我が御心スガスガシ而(のりたま    ひて)

  最初の「而」は「て」と読み、つぎの「而」は「のりたまひて」と読ましている。また、「詔」は「のる」としているが、「而」も「のりたまひて」と読んでいる。

 この段は地名起源譚で、須賀の地名の由来が語られている。スサノオの命が出雲の国に来て、宮を 作る場所を探していた。須賀の地についた時、「我ここに来て、心がスガスガしい」といって、宮 を造営した。宮を作った時、雲がたちのぼったので、歌を作った。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

  そして、アシナヅチの神を呼んで「汝はこの宮の首(おびと)になれ」といわれて、イナダの宮 主スガノヤツミミの神と名づけた。須賀は現在の島根県大原郡大東町須賀の地で、ここには神社が 祀られている。本居宣長は『古事記傳』のなかで、概ねつぎのように述べている。書紀に、「遂に 出雲の清地(スガノトコロ)に到ります」とあって、「清地これを素鵞という」と注がある。「我が 御心須賀須賀斯」のところは、書紀には「すなわち言日(コトアゲシタマハク)、吾心清浄之(ス  ガスガシ)」とある。このことばの意味は濯々斯伎(スゝガスゝガシキ)である。

  古事記』は漢字で書かれているが、漢語あるいは漢語由来の日本語はまったく使われていないの だろうか。「八雲立つ出雲」の段について考察してみる。

○ 須賀(スガ) 「すがすがし」は古事記では「吾御心須賀須賀斯」、日本書紀では「吾心清清之」  と書かかれている。日本書紀には地名の「清地」を「スガ」と読むという注があることから、古  事記の「須賀」が「清」をあらわしていることは確実である。「清」の古代中国語音は清[tsieng]    であり、古代中国語音は清[tsieg]に近い。「須賀」の「須」は「清」の頭音をあらわし、「賀」   は「清」の韻尾音に対応している。日本語の「すがすがし」は中国語の「清」の弥生音であ   る清(すが)を重ねたものである可能性がある。『古事記』の天の日矛の段には「清日子」とい  う人物が登場するが、この人の名は「すがひこ」と読む。古事記歌謡には「清し女(め)」
  という表現もみられる。
  中国語の「清」は『同源字典』によると「浄」と同源である。また、「清は朗である」ともいう。   「わが心すがすがし」は「私の心は晴朗である」である。日本語の「清(すが)し」と中国語の  「清」とは音義ともに同じである。本居宣長は、漢心を排して「濯(すす)が濯(すすがし)と  解釈しているが、清(すがし)は中国語の「清」と意味は同じである。「やまとことば」の清   (すがし)は古代中国語の清[tsieng] の弥生音であり、日本漢字音の清(セイ)は唐代の中国語 音である清/tsieng/ を継承している。

  ○吾(あれ)、我(わが) 古代中国語の吾[nga]、我[ngai]の借用語である。朝鮮語では鼻濁音の   [ng-] は語頭にくることはないから、朝鮮漢字音では吾(o) であり、我(a) であり、現代中国語音  は吾(wu)、我(wo)である。日本語の吾(あれ)、我(わが)は古代中国語が朝鮮半島に定着し   て、その後日本語に移入された弥生音である。「あれ」の「れ」は誰(たれ)などの類推であろ  う。「れ」は人(ren)をあらわすことばとして用いられている可能性もある。朝鮮語では「私」の  ことを私(uri)といい、その影響も考えられる。「汝」も古代日本語で汝(な)あるいは汝(な   れ)として用いられる。

 ○ 今(いま) 古代中国語の今[kiəm] の語頭音が失われたものである。古代日本語では古代中国語   の頭音[k-] が失われることがある。

 例:犬[khyuan] いぬ、 甘[kam]あまい、禁[kiəm]いむ、居[kia]いる、弓[kiuəm] ゆみ、
     嘉[keai]よい、根[kən]ね、

  王力は『同源字典』のなかで、景[kyang]・影[yang]、公[kong]・翁[ong]は同源であるとしてい    る。中国語でも語頭の[k-] は脱落することがある。

  ○ 時(とき) 古代中国音は時[zjiə] である。「時」は特[dək] と声符が同じであり、古代中国語音は  時[dək] に近かった可能性がある。「やまとことば」の時(とき)は古代中国語の「時」の弥生音  である。

 ○ 命(みこと) 古代中国語音は命[mieng] である。「命」の弥生音は命(みこ)である。「いもう   と」が「妹人」に由来するように、「みこと」は「命人」である。

  ○出雲(いづも) 「出」の古代中国語音は出[thjiuət]である。古代中国語の[th-]は濁音に近く、日  本漢字音でも土[tha]、唾[thuai]、呑[thən]などは濁音で発音されている。古代の日本語には濁音で  始まることばはなかった。そのため、出[thjiuət]「でる」の前に母音「い」を加えたのであろう。  同じような例としては、伊豆、伊賀、伊達、井出、井手などをあげることができる。泉         [dziuan](いづみ)、挑[dyô](いどむ)、疼[duəm](いたむ)、何[hai](いかに)なども「い」  を加えた例であろう。古代日本語では濁音が語頭に立つことがなかったから、語頭の濁音の前に  母音をおいたものと思われる。

 ○ 雲(くも) 古代中国語音は雲[hiuən]である。中国語の[h-] は喉音で日本語にはない音であり、  日本語ではカ行で代替される。古代中国語の喉音[h-] は随唐の時代以降[-iu-] 介音の前では失われ  て雲/iuən/ になった。雲(ウン)は唐代以降の中国語音に依拠したものであり、雲(くも)は古  代中国語音を継承している。古代中国語の熊[hiuəm] も唐代以降は熊/jiuəng/ となった。「雲」、  「熊」の訓読みと音読みは、雲(くも、ウン)、熊(くま、ユウ)であり、訓は古代中国語音に  依拠し、音は唐代以降の中国語音を反映している。

 ○ 名(な) 古代中国音は名[mieng]である。頭音の[m-] は鼻音であり[n-] と調音の方法が同じなの  で転移しやすい。日本語ではほかに無(ない・ム)、苗(なえ・ミョウ)、鳴(なく・メイ)、  眠(ねる・ミン)、などの例があげられる。また、中国語の韻尾[-ng] は日本語ではしばしば失  われることがある。古事記歌謡でも夜麻登「やまと」のように、登[təng] が「と(乙)」に用いら  れている。「名」も韻尾の[-ng] が脱落して、日本語の「な」になったものである。

 ○ 作(つくる) 古代中国語音は作[dzak]である。日本語の「つくる」は中国語の「作」が日本語  に取り入れられて、動詞として活用するようになったものである。中国語原音の[ts-]、[dz-]は弥  生音ではタ行であらわれることがある。

   例:絶[dziuat] (たえる)、漬[dziek](つける)、

  サ行音はタ行音が摩擦音化したものであり、作(サク・つくる)、絶(ゼツ・たえる)、漬    (シ・つける)はいずれも、タ行音が古く、サ行音のほうが新しい。現代の日本語では濁音の   「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」は、区別が失われて合流している。

 ○ 来(くる) 古代中国語音は来[lə]である。しかし、スエーデンの言語学者カールグレンは    「来」の祖形は来[glə]であったと推定している。その理由は、中国語には「楽」のように、楽   (ガク)とも楽(ラク)とも読める漢字がいくつかあるからである。

 例:各(カク)・落(ラク)、監(カン)・藍(ラン)、兼(ケン)・簾(レン)、
      剱(ケン)・斂(レン)、諌(カン)・練(レン)、果(カ)・裸(ラ)、
      京(キョウ)・涼(リョウ)、

日本語の「来る」は古代中国語の来[glə]を留めている可能性がある。日本語にはこのような例がほ   かにもいくつかある。

  例:栗(リツ・くり)、辣(ラツ・からい)、輪(リン・くるま)、嫌(ケン・きらう)、

   この短い文章のなかからだけでも、中国語起源の「やまとことば」をいくつも探しだすことが  できる。

  かれ、こゝをもて、そのハヤスサノヲの命(みこと)、みや造作(つくる)べきところを出雲   (いづも)のくにに、まぎたまひき。ここに須賀(=清・すが)のところに、いたりまし、吾   (あれ)ここに来(き)まして、我(あ)がみこころ須賀(=清・すが)須賀(=清・すが)し  とのりたまひて、そこになも、みや作(つくり)ましましける。かれ、そこをば今(いま)に、  須賀(=清・スガ)とぞいふ。このおほ神(かみ)、はじめ須賀(=清・スガ)のみや作(つ   く)らしし時(とき)に、そこより雲(くも)たちのぼりき。かれ、みうたよみたまふ。

   や雲(くも)たつ 出雲(いづも)やへがき つまごみに やへがき作(つく)る
   そのやへがきを

  ここに、アシナヅチの神(かみ)をめして、いましは我(あ)がみやのおびとたれと、のりたま  ひき。また名(な)をイナダのみやぬし須賀(=清・すが)のヤツミミの神(かみ)とおほせた  まひき。

 このほかにも中国語起源の思われる語彙がいくつか含まれている。カールグレンは国(=郡・く  に)、垣(=槅・かき)、稲(=秈・しね)も中国語からの借用語だという。宮(みや)は廟(ビョ ウ)、立(たつ)は立(リツ)の転移したもの、田(た)は田(デン)の韻尾が脱落したものである 可能性もある。

本居宣長は呉音、漢音以外のものはすべて「やまとことば」であると考えた。しかし、いわゆる  「やまとことば」のなかには、古代中国語音に依拠する弥生音の借用語が隠されている。古代中国語音に関する研究は、『詩経』の韻の研究などを通じて進みつつあるが、まだ復元された古代音は学者によって開きがある。朝鮮漢字音、ベトナム漢字音、さらには日本語の訓との関係も含めて、古代中国語音の研究がさらに進めば、古代の日本語の姿は、より明らかになるはずである。

 


第071話 漢心をすすぎさる

 太安万侶が『古事記』を書いたときのままの「やまとことば」を復元できれば、美しき「敷嶋のやまとことば」の姿をよみがえらせることができると、本居宣長は考えた。宣長は『玉勝間』でつぎのように述べている。

 あがたのうしは古へ學のおやなる事

 からごころを清くはなれて、もはら古へのこころ詞をたづぬるがくもむは、わが縣居の大人よりぞはじまりける。(中略)古事記書紀など、古典(いにしへのふみ)をうかがふにも、漢心(からごころ)にまどはされず、まづもはら古の言を明らめ、古の意によるべきことを、人みなしれるも、このうしの、萬葉のをしへのみたまにぞありける。そもそもかかるたふとき道を、ひらきそめたるいそしめは、よにいみしきものなりかし。(『玉勝間』)

 「あがたのうし」とは本居宣長が師とあおぐ賀茂真淵のことである。国学のはじまりは賀茂真淵にありとする宣言である。本居宣長は『うひ山ふみ』でも次のように書いている。

 件の書ども(=古事記書紀の二典)を早くよまば、やまとたましひよく堅固(かた)まりて漢意(からごころ)におちいらぬ衞(まもり)にもよかるべき也。道を學ばんと心ざすともがらは、第一に漢意、儒意を清く濯ぎ去て、やまと魂(たましひ)をかたくする事を、要とすべし。さてかの二典の内につきても、道(ち)をしらんためには、殊に古事記をさきにすべし。(『うひ山ふみ』)

漢心を清く濯ぎさると、そこに漢字が伝わる前の日本語の姿があらわれてくると本居宣長は考えた。宣長は『漢字三音考』の冒頭で次のように書いている。

皇(すめら)大御國(おほみくに)ハ。天地ノ間ニアル萬ノ國ヲ御照(みてら)シ坐(まし)マ   ス。天照大御神(あまてらすおほみかみ)ノ御生坐(みあれませ)ル本ツ御國(みくに)ニシテ。  即其御後(みすゑ)ノ皇統(あまつひつぎ)。天地ト共ニ動キナク無窮(とこしへ)ニ傳ハリ坐   (まし)テ。千萬(ちよろづ)御代(みよ)マデ天ノ下統御(しろしめ)ス御國(みくに)ナレ   バ。(中略)萬ノ物モ事モ。皆勝(すぐ)レテ美(めでた)キ中ニ。殊ニ人ノ聲音言語ノ正シク美  (めでた)キコト。亦夐(はるか)ニ萬國ニ優(まさり)テ。其音晴朗トキヨクアザヤカニテ。譬  ヘバイトヨク晴タル天ヲ日中ニ仰ギ膽(み)ルガ如ク。イサゝカモ曇リナク。又單直ニシテ迂曲   (まが)レルコト無クシテ。真ニ天地ノ間ノ純粋正雅ノ音也。(『漢字三音考』皇国の正音)

   唐土と日本だけが世界であった時代にあって、本居宣長は漢字だけで書かれた『古事記』のなかに漢字受容以前の「やまとことば」が隠されているという確信を得た。本居宣長の意識のなかでは、この国のはじまり、この国の神、この国のことばが一体となって、日本の古代について、なかんずく日本という国について、『古事記』を通して考究を深めていく。漢字で書かれた日本語をどう読むのが正しいのかは、本居宣長にとって大問題であった。宣長はまた、つぎのようにも述べている。

 然レバ其時ノ字音。必彼國ノママニハアルベカラズ。或ハ拗音ヲ直音ニツゞメ。或ハ通音ニ轉  ジ。 或ハ鼻聲ヲ口聲ニ移シ。或ハ急掣(つま)ル韻ヲ舒緩(ゆるやか)ニ改メナド。凡テ不正 鄙俚ノ甚 シキ者ヲバ除キ去テ。皇國ノ自然ノ音ニ近ク協ヘテ。新ニ定メラレタルモノ也。然レ バ字音ハ。皇 國ノ語音ニ似タルヲ以テ正トシ。イサゝカニテモ漢國ノ音ニ似タルヲ不正トスベ シ。(『漢字三音 考』皇国ニシテ漢字音ノ始)

 宣長は「日本漢字音は中国における漢字音とは発音が異なる。拗音(介音iを伴う音)は直音に  し、あるいは鼻音を鼻音でなくするなど、不正を正して日本語の自然の音に近づけようとしてい  る。漢字の読み方は「日本式が正しく、中国風の発音は正しくない」と主張している。

 日本漢字音には呉音と漢音がある。漢音は唐代の漢字音に対応している。呉音は中国の江南地方 の漢字音に対応している。呉音、漢音の区別はよく知られているが、つぎのような例をあげること ができる。

  呉音:経文(キョウモン)、京都(キョウト)、今昔(コンジャク)、成就(ジョウジュ)、
  漢音:経済(ケイザイ)、 京浜(ケイヒン)、昔日(セキジツ)、 成功(セイコウ)、

  呉音:正体(ショウタイ)、灯明(トウミョウ)、文書(モンジョ)、 金色(コンジキ)、
  漢音:正確(セイカク)、 明治(メイジ)、  文章(ブンショウ)、金銀(キンギン)、

  呉音:世間(セケン)、  殺生(セッショウ)、末期(マツゴ)、
  漢音:中間(チュウカン)、殺人(サツジン)、 期末(キマツ)、

  呉音は古事記、万葉集などに用いられている。仏典の音読などにも用いられる。漢音は日本書紀 に用いられている。儒教ではおもに漢音が用いられる。本居宣長が『漢字三音考』で三つといって いるのは、呉音、漢音に唐音を加えて三つとしているのである。唐音は唐宋音ともいわれ、唐代以 降の新しい発音である。例えば、行脚(アンギャ)、行燈(アンドン)、暖簾(ノレン)、提灯  (チョウチン)などである。

  本居宣長は日本語の五十音図が日本語の正しい音の規範を示していると考えた。宣長は五十音図 について、『漢字三音考』のなかで、つぎのように述べている。

 又五十ニテ足(たら)ザル音モナク。餘レル音モナキ故ニ。一ツモ除(のぞ)クコトアタハズ。 亦 一ツモ添ルコトアタハズ。凡ソ人ノ正音ハ此(これ)ニ全備セリ。サレバ此ノ五十ノ外ハ。 皆鳥獣 萬物ノ聲ニ近キ者ニテ。溷雑不正ノ音也ト知ルベシ。然ルニ外國人ドモノ。皇國ノ人の 音ヲ聴テ。東方ノ國ナル故ニ。音声イマダ開ケザル所アリナドゝ云メルハ。各其國ノ溷雑ノ音ニ ナラヒテ。正 音ノ正音ナルコトヲ知ラザルモノナリ。(『漢字三音考』皇国の正音)

 皇国ノ古言は五十ノ音ヲ出ズ。是レ天地ノ純粋正雅ノ音ノミヲ用ヒテ。溷雑不正ノ音ヲ厠(ま  じ)ヘザルガ故也。(『漢字三音考』皇国言語ノ事)

 日本語音は純粋で正しいが、中国語音は混じり気があって正しくないとするのが、本居宣長の主 張である。五十音図ができたのは平安時代のことであり、古事記の時代の日本語には母音が八つ  あったことは後に橋本進吉の発見することになるのだが、本居宣長が江戸時代にそのことを知りえ なかったのはやむをえない。古代日本語の母音が五つではなくて八つあったことを証明した橋本進 吉は「古代國語の「え」の假名について」のなかで、つぎのように書いている。

漢字音を以て國語の音韻を冩した漢字(萬葉假名)の古代中國に於ける發音を明らかにし、之を 國語の音韻と對照して考察する事は、古代國語の音韻の實體を研究する手段として必須のもので はあるが、それは萬葉假名として我が國語の如何なる音韻を冩す爲に用ゐられてゐるかを精査し 確定した上で、はじめて為すべき事であって、中國に於ける字音に基づいて、國語の如何なる音 韻を冩したかを決定する如きは、むしろ本末を顛倒したもので、萬止むを得ざる場合の外は執る べき方法で はない。(『文字及び假名遣の研究』p.225)

  橋本進吉の説は、漢字音は日本語のどの音を書写しているかが大切なのであって、古代中国語音 と比べて考察することは本末顛倒であるという。大学者の説とはいえ本当にこれでいいのだろう  か。漢字は中国語を表記するための専用の文字として発明され、使われてきたので中国語の音韻体 系にしたがって発音される。中国語の音韻体系は日本語の音韻体系と違うからそこにずれが生ずる のは当然である。

  日本漢字音は中国漢字音と同じではない。しかし、古事記を編纂した史(ふひと)が日本語を表 記するために選んだ文字は漢字を恣意的に選んだのではなく、中国語の音義に依拠して、それを日 本語に転用したはずである。中国語の原音を知り、それをどのように日本語にあてはめたかを精査 しなければ、中国漢字音と日本漢字音の関係は解明できないのではなかろうか・

 また、日本を代表する国語学者の一人であり、古代日本語にアルタイ諸語と同じように母音調和 のあることを発見した有坂秀世は「奈良時代に於ける國語の音韻組織について」で、つぎのように 書いている。

 ここに注意すべきは、漢字を萬葉假名として用ゐる場合、その基礎になる字音は、直接には當時 の倭音であり、決して本来の支那音でないといふことである。當時支那人と直接交渉する人々は 確に支那音によく習熟してゐたであらうし、又支那人を音博士として任用されたことも持統紀以 來國史に見えて居り、大學寮などでは漢音奨励のために相當骨を折つとことと思はれるが、それ は専門家としての話である。(中略)但し萬葉假名字體の中に朝鮮や支那からの歸化人の始めて 用ゐたものが含まれてゐるとすれば、そればかりは別問題であるが、實際に資料を扱ふ場合にそ れらを一々識 別することはむづかしい。(『上代音韻攷』p.191) 

  万葉仮名は日本人が書いたものだから、中国人や帰化人が書いたような例外を除いて、中国語音 に依拠して読むのではなく、日本漢字音で読むべきであるというのが、その主張である。こうした 考え方は国学のなかに脈々と受け継がれてきている。上田万年が講演「国語と国家と」のなかでつ ぎのように述べていることはよく知られている。

 言語はこれを話す人民に取りては、恰も其血液が肉体上の同胞を示すが如く、精神上の同胞を示 すものにして、之を日本国語にたとへていへば、日本語は日本人の精神的血液なりといひつべ  し。日本の国体は、この精神的血液にて主として維持され、日本の人種はこの最もつよき最も永 く保存せらるべき鎖の為に散乱せざるなり。(上田万年「国語と国家と」)

 上田万年はさらに講演「国語研究について」ではつぎのように述べている。

 開闢以来比類のない支那征伐に、我陸海軍が連戦連勝で、到る処朝日の御旗の御稜威に靡き従は ぬ者はないのに、我国の国語界、文章界が、依然支那風の下にへたばり附て居るとは、なさけな い次第であります。今は大和魂の価直は、世界の輿論の上で定まりました。しかも其大和魂の外 にあらはれたとも申すべき、大和言葉は未だ其価直がきまりませぬ。東洋に於てどころか、我国 中でさへきまりませぬ。(上田万年「国語研究について」)

  日本人の民族精神である大和魂の卓越性は世界の世論に認知されたのに、日本人の精神の血であ る「大和言葉」が支那の風下におかれているのはなさけないというのだ。

  しかし、開闢以来日本の文字文化は漢字文化圏のなかで発達してきたことは否定できない。朝鮮 漢字音もベトナム漢字音も中国語の原音が、まず初めにあって、それを一定の音韻法則にしたがっ て転用して、母国語の音韻体系のなかに取り入れているのである。「日」の古代中国語音は日[njiet] であり、「月」の古代中国語音は月[ngiuat] である。日本漢字音の場合も、まず初めに中国原音が あって、それを日本語の音韻体系に馴化させている。日本漢字音の日(ニチ)は中国語の日[njiet] 韻尾の[-t]のあとに母音iを付加している。日「ジツ」は中国語の中古音である日/djiet/ に依拠して いる。「ジツ」は韻尾に母音uを付加している。月(ゲツ)の中国語原音は月[ngiuat] であるが、日 本語では語頭に鼻濁音がたつことがないので月(ケ゚ツ)ではなく月(ゲツ)と発音される。

 日本漢字音は日本風に発音するのが正しいという主張は、その通りだとしても、借用語の発音  は、朝鮮漢字音には朝鮮語訛りがあり、日本漢字音には日本語訛りがある。漢字の読み方は、その 依拠した中国音によってことなるばかりでなく、それを受け入れた国によっても異なる。朝鮮漢字 音では「日本」は日本(il-bon) で、「日」は日(il) である。「月」は月(wol) でなる。ベトナム漢字音では 「日」は日(nhat) であり、「月」は月(nguyet) である。これらの漢字音はみな古代中国語の日[njiet] 、 月[ngiuat]に依拠している。

 日本漢字音だけが正しくて、そのほかは不正であるとすると、朝鮮漢字音は不正な音ということ になる。しかし、朝鮮漢字音は朝鮮漢字音で一定の音韻変化の法則にしたがって朝鮮語化した発音 であり、古代の日本語は朝鮮漢字音の影響も受けていることは事実である。日本の弥生音は朝鮮漢 字音の影響をかなり受けている。呉音のなかにも朝鮮漢字音の影響と思われるものがある。日本の 文字文化を司った史は朝鮮半島の出身者であり、中国の文化は紀元前後には帯方郡を通じて、まず 日本にもたらされた。

  古代の日本語の発音を復元するためには、その依拠する古代中国語音なり唐代の中古中国語音を 解明し、そのうえで、それがどのような音韻法則にしたがって日本漢字音になっているかを検証し なければならない。古代日本語音がまずあり、それに似た音の漢字をあてはめたという前提にたて ば、漢字で書かれた古代日本語の文章は恣意的に読むよりほかに、解読できなくなってしまう。

 

第072話 古事記はやまとことばで書かれているか

 『古事記』の冒頭の部分はつぎのようにはじまる。

 天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神。

 これを本居宣長は『古事記伝』でつぎのように読み下している。

天地(あめつち)の初發(はじめ)の時(とき)、高天原(たかまがはら)に成(なり)ませる神(かみ)の名(な)は、天(あめ)の御中主(みなかぬし)の神(かみ)。

漢語が入ってくる前に、日本には神代の時代から伝わるやまとことばがあったはずであると本居宣長は考えた。天(あめ)、地(つち)、神(かみ)などのやまとことばは、日本古来のことばであり、天(テン)、地(チ)、神(シン)など中国語由来のことばが日本列島に入ってくる前から敷島の大和の国で話されていたことばである、と考えた。

日本語は日本列島で生れた世界に類をみないことばであり、中国語とも朝鮮語とも、あるいはアイヌ語とも関係のない特殊なことばである、という考え方は今でも根強くある。しかし、この考え方は19世紀以来ヨーロッパで支配的な言語観とはかなり異なる。ヨーロッパの言語学ではインドからヨーロッパ大陸にいたる広大な土地で話されているほとんどのことばはインド・ヨーロッパ語族という一大ファミリーに属し、英語はドイツ語やオランダ語と類をなし、フランス語はイタリア語やスペイン語と類をなすという。本居宣長が解明したやまとことばアジアで孤立したことばなのだろうか。

○ 天(あめ) 「天」の古代中国語音は天[thyen] である。「天」の頭音は透母[th-]で、日本語では清音 で読まれるが、中国語音韻学では次清音といって濁音に近い。古代中国語の声母[th-]や[d-]は、つぎ  に介音iがくるときは脱落することがある。

例:赤[thjyak]セキ・シャク・ あか、  荻[dyek]テキ・おぎ、
      尺[thjiak]シャク・訳やく・駅えき、 侈[thjiai]シャ・移イ、

また、韻尾の[-n] がマ行に転移する例は古代日本語には多い。

例:文[miuən]ふみ、 君[giuən]きみ、 浜[pien]はま、 肝[kan]きも、

これらのことを総合すると天(あめ)は「やまとことば」とされているが、中国語の「天」と同源で「天」の弥生音である可能性がある。中国語の「天」と日本語の天(あめ)とは音韻対応がみられ、意味が一致している。天(テン)と天(あめ)はともに中国語起源のことばでありる。天(あめ)は弥生時代に日本語のなかに取り入れられた弥生音であり、日本語にはまだ「ン」で終わる音節がなかった。天(テン)は文字時代に入ってから日本漢字音として定着した発音である。天(あめ)は古事記が編纂された8世紀には「やまとことば」のなかにとけこんでいて、借用語とは感じられなくなってしまっていたに違いない。

○地(つち)「地」の古代中国語音は地[diet] である。古代中国語の韻尾[-t] は唐代には脱落して地   /diei/ になる。日本漢字音の地(チ)は、唐代の中国語音である地/diei/ に依拠したものである。  日本語の訓である地(つち)は古代中国語の韻尾を留めている。
  「天地」は中国語では対語である。『文選』の冒頭の部分では「天地玄黄 宇宙洪荒」とあり「天  地」は熟語をなしている。古事記の冒頭の「天地」は中国語の成句を使ったものであり、天地(あ  めつち)と訓で読むにしても、天地(テンチ)と音で読むにしても、意味は中国語の「天地」とい  う熟語に依拠している。

○ 神(かみ) 「神」の古代中国語音は神[djien]と推定される。旧仮名使いで書けば、神(ジン)  ではなくて神(ヂン)である。神の声符は申であり、申[sjien] と発音が近い。一方、申を声符と する漢字に「坤」があり、乾坤一擲のように坤(コン)と発音する。「坤」の古代中国語音は坤   [khuən] と推定されることから、「神」も、ある時代、ある地方で、神(コン)と発音されてい  た可能性がある。日本語の神「かみ」は古代中国語音の神[khuən] に依拠した弥生音である可能  性も否定できない。
  日本語のサ行音のなかには、古くはカ行であったことばが含まれている。5世紀の天皇である雄  略天皇の和風諡号は獲加多支鹵「ワカタケル」であり、稲荷山鉄剣では「支」の文字がサ行では   なく「ケ」に当てられている。また、「技」、「伎」、「岐」の声符は「支」であるが、日本漢  字音では技「ギ」、伎「ギ」、岐「ギ」とガ行で発音する。漢字には同じ声符をカ行とサ行に読  み分けるものが、いくつかみられる。

   例:伎楽・支配、嗅覚・臭気、 乾坤・神仙、嗜好・伯耆、参詣・趣旨、威嚇・赤面、
       勘定・激甚、感情・箴言、 祇園・紙幣、期間・斯道、絢爛・旬日、喧伝・宣伝、

 このほかにも金庫(キンコ)・馬車(バシャ)、宦官(カンガン)・臣民(シンミン)、などを  あげることができる。「薦」の訓が「こも」であり、音が「セン」であるのも、薦「こも」が弥  生時代の中国語からの借用語であることを示唆している。カ行音が古く、サ行音が新しい。中国  の言語学者王力はつぎのように述べている。

舌端音の[tz]、[ts]、 [dz]、 [s]、 [z] のうち、i介音を伴うものは、調音の位置が後退して、漸次[tj]、[thj]、 [sj] に変わっていった。また、舌根音の[k]、[kh]、 [g]、 [x]、 [h]もi介音を伴うものは調音の位置が前に移って[tj]、[thj]、[sj]に変わっていった。両者は合流して転移は完了した。(『漢語語音史』p.531) 

 また、台湾の言語学者董同龢は「旨・耆、赤・郝、示・祁などのts、tz、dzは上古においてはい ずれも[k-]、[kh]、 [g-] であったのではないか」(『上代音韻表稿』p.16)としている。古代中国 語の「神」の声符は「申」である。「申」の音は坤[khuən]から、神[djien] になり、申[sjien] に変 化したと考えられる。日本語の神(かみ)は古代中国語の神[khuən] に依拠しており、神(ジ  ン)は唐代の漢字音神/djien/ を継承している可能性がある。したがって、日本語の神(かみ)は 古代中国語の「神」と同源である。

  本居宣長は日本の神は中国の神の概念とは違うと『古事記伝』のなかで強調している。確かに日 本の神は、中国の神ともちがう面もある。しかし、それは神ということばが日本に移入されてか  ら、日本の神々をも指すことばとして使われるようになったからであり、その中核をなす概念は中 国の神と同じである。神(かみ)という言葉は日本語の精霊も、キリスト教の神もイスラム教の神 も取り入れてその外延を広げてきた。古事記が成立するよりずっと古い時代に、おそらく弥生時代 に、中国語の「神」という言葉が日本に入ってきたものである。

 ことばは慣用によって意味の範囲を広げることがしばしばある。例えば酒(さけ)である。日本酒は中国の酒とは異なる。しかし、酒(シュ)は中国の酒のことであり、酒(さけ)が日本の酒だとはいわない。中国の酒も日本の酒も酒(さけ)である。最近ではウイスキーやビールも酒と呼ばれている。

 古事記における基本概念のひとつである「天地」についても、弥生時代に中国から移入された概念である可能性がたかい。古事記の記述によれば、応神16年に百済の和邇が『論語』10巻と『千字文』1巻合わせて11巻を献上したとある。『千字文』は古事記が書かれた当時の漢字の教科書であり、「天地玄黄」で始まっている。

  天地玄黄
   宇宙洪荒
   日月盈昃
   辰宿列張

「天地」は中国語の成句であり、古事記は『千字文』の最初の1行を取り入れているのである。『千字文』は文選読みで、つぎのように読む。

テンチのあめつちはクヱンクワウとくろきなり
   ウチウのおほぞらは コウクワウとおほいにおほきなり
   ジツグヱツのひつきは エイショクとみぢかく
   シンシウのほしのやどりは レツチャウとつらなりはる

文選読みは朝鮮半島における両点(音読みと朝鮮語の訓読みを併記する方法)の日本語への応用で ある。朝鮮語では「天」は天(hanal・cheon)であり、「地」は地(stu・ta) である。 朝鮮語の天の訓は天  (hanal)、朝鮮漢字音は天(cheon) である。地の訓は地(stu) であり、朝鮮漢字音は地(ta) である。それ を併記することによって、中国語の音と朝鮮語の意味を一度に理解しようという方法である。

 本居宣長は古事記を「やまとことば」として読みくだすにあたって、文選読みの訓の部分をとって 天地(あめつち)と読んでいる。しかし、「天地」という概念は中国のものであり、すでに『千字 文』の時代から日本に移入されていた。天地(あめつち)は日本が本格的な文字時代に入る以前に 中国語から入ってきた借用語であるり、天地(テンチ)は文字時代以降に日本漢字音として定着し た読み方である。

 

第073話 古事記は日本書紀とどう違うか

 本居宣長は『古事記』はやまとことばで書かれたものであり、『日本書紀』は中国語で書かれているという。一般に、『古事記』では呉音が用いられ、『日本書紀』では漢音が用いられているともいう。『古事記』、『日本書紀』に用いられている漢字の音価を知ることは、記紀成立の謎を解く鍵にもなる。

 『古事記』と『日本書紀』には、それぞれ120首あまりの歌謡が記録されている。そのうちの50首あまりは、同じ伝承の歌が、記紀に重複して記録されている。記紀の歌謡は東洋のロゼッタ・ストーンともいえる。記紀の歌謡は同じことばを、ふたつの異なった音韻体系によって伝えたかけがえのない史料である。記紀に使われている文字の体系を比較してみることにする。(上段=読み下し、中段=古事記歌謡、下段=日本書紀歌謡)

 八雲立つ  出雲八重垣   妻籠みに  八重垣作る   その八重垣を
 夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊賀岐都久流 曾能夜弊賀岐袁
 夜句茂多莬 伊都毛夜覇餓岐 莬磨語昧爾 夜覇餓枳莵倶盧 贈廼夜覇餓岐廻

やまとは 国のまほろば  たたなづく 青垣山こもれる  やまとしうるはし
 夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯
 夜摩苔波 區珥能摩倍邏摩 多多儺豆久 阿烏伽枳 夜摩許莽例屢 夜摩苔之于漏破試

古事記と日本書紀ともに歌謡は漢字の音だけを使って書かれている。しかし、古事記と日本書紀では同じ歌に違う漢字が使われている。まず、「妻ごめに」と「八重垣」を唐代の中国語音を復元してみると、つぎのようになる。

 [古事記]  都  麻  碁  微  爾、   夜  弊  賀  岐
      ta mea giə  miuəi njiei    jya biai hai gie

 [日本書紀]  菟  磨  語  昧  爾、   夜  覇  餓  枳
       tha mai ngia muəi njiei jya pea ngai gie

「つまごめに」の「ご」、「やえがき」の「が」に注目してみると、日本書紀では鼻濁音の語[ngia]、餓[ngai] が使われているが、『古事記』では鼻濁音が使われず、碁[giə]、賀[hai] で表記されている。鼻濁音は発音するとき息が鼻に抜ける音で、英語のsing a song のような発音である。現代の日本語では、学校は「ガッコウ」と鼻濁音でなく発音するが、標準語では小学校は「ショウカ゚ッコウ」と鼻濁音で発音する。学校の「ガ」は語中では鼻濁音「カ゚」になる。音楽学校は「オンカ゚ク・ガッコウ」である。アナウンサーの訓練では、鼻濁音を「カ゚」と書いて「ガ」と区別するように指導している。しかし、鼻濁音は東京方言はじめ、日本各地の日常会話から消えつつある。

なぜ『日本書紀』では鼻濁音が使われ、『古事記』では使われていないのだろうか。高木市之助によれば、「やへがき」の「餓」は日本書紀には62回の用例があるのにもかかわらず、古事記には1回も使用されていない。反対に「賀」は古事記には122回も使われているのに、日本書紀では一回も用例がないという。(高木市之助「記紀歌謡の比較に就いて」『吉野の鮎』所収)

アルタイ系の言語である日本語や朝鮮語では、鼻濁音は語頭にこない。現代の朝鮮語では、鼻濁音は脱落して、「餓」は餓(a) であり、「語」は語(eo) である。古代の日本語でも、鼻濁音は語頭にはこなかった。鼻濁音ができない人が「夜覇餓枳」を読めば「ヤヘアキ」となり、「菟磨語昧爾」は「ツマオメニ」になってしまう。古事記歌謡を書いた史は、朝鮮語を母国語としていたために鼻濁音が発音できなかった可能性がある。

 『日本書紀』が編纂された8世紀には、唐の都の正音を伝える音博士が招かれている。大和朝廷は『古事記』に使われている漢字音が江南地方の田舎音に依拠しており、長安では軽ろんぜられているものであることを教えられたに違いない。また、文章も正式な漢文ではなく、朝鮮半島で用いられている吏読や誓記体であることに気づく。そこで『古事記』が編纂されてからわずか8年後には、新たに唐の都の正音にもとづいた、漢文の形式をそなえた国史として『日本書紀』を編纂することになる。

 古事記が編纂された712年から日本書紀が編纂された720年の間に、日本語のガ行鼻濁音が発生したとは考えられない。古事記と日本書紀は異なった音韻体系をもった史によって記録されたと考えざるをえない。古事記と日本書紀の歌謡に用いられている漢字のうち、記紀で用いられている漢字が異なるものについて、唐代中国語の音価を示すと、つぎのようになる。

 [古事記] 久、 毛、 豆、 弊、 賀、 都、 麻、 碁、 微、 岐、 久、 流、
     kiuə mô do biai hai ta mea giə miuəi gie kiuə liu
 [日本書紀]句、 茂、 都、 覇、 餓、 莵、 磨、 語、 昧、 枳、 倶、 盧、
ko mu ta pea ngai tha mai ngia muəi gie kio la

 [古事記]  曾、 能、 袁、 麻、 登、 久、 爾、 本、 呂、 婆、 那、 袁、
     tzəng nə jiuan mea təng kiuə njiei puən lia buai nai jiuan
 [日本書紀] 贈、 廼、 廻、 摩、 苔、 區、 珥、 倍、 邏 、 摩、 儺、 烏、
dzəng nə uəi muai də kio njiə buə lai muai nai a

 [古事記]  加、 碁、 母、 禮、 流
keai giə mə lyei liu
 [日本書紀] 伽、 許、 莽、 例、 屢
khia xia pən liai lo

 古事記歌謡と日本書紀歌謡を対比することによって、いくつかのことが判明する。

1.古事記歌謡には鼻濁音の漢字は使われていない。(古事記:日本書紀)
  賀/hai/:餓/ngai/、 碁/giə/:語/ngia/、

2.古事記歌謡では、日本書紀歌謡で濁音が使われているところに、清音の漢字が使われているこ  とが多い。
 曾/tzəng/:贈/dzəng/、 登təng/:苔/də/、 本/puən/:倍/buə/、

3.古事記歌謡では中国語の介音i が発音されていない。
  久/kiuə/ く、碁/giə/ ご、流/liu/ る、袁/jiuan/ を、呂/lia/ ろ、禮/lyei/ れ 

4.古事記歌謡でも日本書紀歌謡でも中国語の韻尾/-n/、/-ng/が失われることがある。
  袁/iuan/を、本/puən/ほ、莽/pən/も、曾/tzəng/そ、贈/dzəng/そ、登/təng/と

 古事記歌謡に鼻濁音が使われていないのは、古事記の史が朝鮮漢字音の音韻体系を持っていたことを示唆している。また、古事記歌謡で清音に使われている漢字が、日本書紀歌謡では濁音に使われているところもある。

  例: (記) 曾/tzəng/、 登/təng/、 本/puən/、
     (紀) 贈/dzəng/、 苔/də/、  倍/buə/、

  日本書紀歌謡を古事記の史が読めば、贈廼夜覇餓岐(ぞの八重垣)、夜摩苔(やまど)、摩倍邏 摩(まぼろま)となってしまう。古事記の史にとっては贈(ぞ)、苔(ど)、倍(ぼ)と読むべき同じ文字が、日本書紀の史にとっては贈(そ)、苔(と)、倍(ほ)と読めた。これは中国語における音韻変化の結果を映している。中国では贈[dzəng]、苔[də] などの濁音は長い時間をかけて清音に変化して、唐代には贈/tzəng/、苔/tə/ になった。日本書紀の史は、より新しい中国語音を身につけていて、濁音を清音に読んでいる。

 古事記で中国語音の介音iが失われるのは、朝鮮漢字音の影響である。「久」、「碁」、「流」、「袁」、「呂」、「禮」は朝鮮漢字音では久(ku)、碁(ki)、流(lu)、袁(won)、呂(lyeo)、禮((le)であり、古事記歌謡の漢字音、久(く)、碁(ご)、流(る)、袁(を)、呂(ろ)、禮(れ)、と極めて近い。古事記の史が朝鮮漢字音系の音韻体系をもっていたことは疑いの余地がない。

 結論として、『古事記』は朝鮮漢字音の音韻体系をもった史(ふひと)によって書かれた可能性が高い。また、『日本書紀』は新しく唐からもたらされた中国の正音に依拠した漢字を使っている。日本書紀歌謡の漢字音については森博達の『古代の音韻と日本書紀歌謡の成立』(大修館)にくわしい。森博達は日本書紀歌謡の漢字音を調べてそれをα群とβ群に分類している。そしてα群は中国語を母語とする表記者が記したものであり、β群は日本漢字音に基づく仮名が多く使われているという。森博達には古事記歌謡についての言及はないが、古事記歌謡は朝鮮漢字音の影響を受けた表記者によって書かれているといえるのではなかろうか。

 

第074話 古事記はどのようにして成立したか

 『古事記』は和銅4年9月18日、詔(みことのり)により太安万侶が、稗田阿礼が誦むところの旧辞を撰録して献上した、と太安万侶の序にある。『古事記』序の日付は和銅5年正月28日となっているから、詔からわずか5ヶ月という短期間に太安万侶は『古事記』を完成させたことになる。

 『古事記』が成立したとされる和銅5年は712年である。壬申の乱を収束して、新国家の構想を打ち出さなければならなかった天武天皇にとって、修史の仕事は必要欠くべからざるものであったであろう。『古事記』が完成してわずか8年後の720年には『日本書紀』という新たな年代記がまた編纂されている。どうして、わずか10年後に新たな年代記を編纂する必要が生じたのだろうか。

 『日本書紀』には「或る本に曰く」などと、いくつかの原典があったことを示唆している。また、推古天皇28年には「この年、皇太子・嶋大臣、共に議(はか)りて、天皇記及び国記、臣連伴造国造百八十部あはせて公民等の本記を録(しる)す」とある。遅くとも推古天皇の時代、7世紀初頭までには歴史の編纂作業ははじめられている。また、天武天皇の詔勅にも「帝紀を撰録し、舊辭を討覈(とうかく)して、偽りを削り實(まこと)を定めて、後葉(のちのよ)に流(つた)へんむと欲(おも)ふ」とある。帝紀や旧辞は5世紀にはできあがっていた可能性がある。5世紀の日本ですでに漢字が使われていたことは、稲荷山鉄剣などで実証されている。『古事記』は序文で、帝紀や本辞が存在したことを示す記述がある。

ここに(天武)天皇詔(の)りたまひしく、「朕(われ)聞きたまへら、『諸家の齎(もた)る帝紀及び本辭、既に正實に違(たが)ひ、多く虚偽を加ふ。』といへり。今の時に當たりて、其の失(あやまち)を改めずは、未だ幾年をも經ずしてその旨(むね)滅びなむとす。これすなはち、邦家の經緯、王化の鴻基(こうき)なり。故(かれ)これ、帝紀を撰録し、舊辭を討覈(たうかく)して、偽(いつは)りを削り實(まこと)を定めて、後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。」とのりたまひき。

ところが『古事記』の序文は続けてつぎのようにも書いている。

時に舎人(とねり)ありき。姓(うぢ)は稗田(ひえだ)、名は阿禮(あれ)、年は廿八。人と為(な)り聰明にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に拂(ふ)るれば心に勅(しる)しき。すなはち、阿禮に勅語して帝皇日繼(すめらみことのひつぎ)及び先代舊辭(さきつよのふること)を誦(よ)み習ひたまひき。

 前半を素直に読めば天武天皇は帝紀や本辞が伝えられているのを知っていたことになる。ところが後半ではそれは稗田阿禮によって口伝として伝承されてきたもののようにも読める。『古事記』の本文には、『日本書紀』とちがって異本、異伝についての記録はない。しかし、『日本書紀』が伝本を列挙していることに照らしていえば、『古事記』もまた伝本に依拠して編纂された可能性が十分にある。稗田阿禮による口承に関する記述は『古事記』を権威づけるための文飾である可能性もある。

 『古事記』が仮に5世紀ころの原本に基づいて編纂されているとすれば、太安万侶が古事記の序でいうように、和銅4年9月に詔勅が出て、わずか4ヵ月後の翌年(712年)の正月に完成させることができたとしても不思議ではない。また、古事記歌謡の漢字音が日本書紀歌謡の漢字音より数百年も古いことも、すべて説明がつく。

 『古事記』が歴史物語として語っているのは雄略天皇、清寧天皇、顕宗天皇までで、仁賢天皇以降は簡単に系譜が述べられているだけである。そのことは古事記の原形が雄略天皇のころには、できあがっていたことを示唆していないだろうか。仁賢天皇以降は系譜が述べられているだけであることも、太安万侶が『古事記』を編纂するにあたって原本につけ加えたと考えれば、説明がつく。

 古事記歌謡と日本書紀歌謡では漢字の音が変化していることも、その有力な傍証となる。このような音韻変化はわずか10年で起こりうるものではなく、長い年月をかけてはじめて起るものである。古事記を書いた史は、日本書紀を書いた史よりも、数百年前の漢字音に依拠していると考えられる。

 記紀歌謡のすべてについて、その表記を全部比較してみると、その対応の仕方に一定の規則性があることが判明する。もう1首だけ、古事記歌謡と日本書紀歌謡を比較検討してみることにする。(上段=読み下し、中段=古事記歌謡、下段=日本書紀歌謡)

  この御酒は わが御酒ならず くしの神  常世にいます  石立たす
  許能美岐波 和賀美岐那良受 久志能加美 登許余邇伊麻須 伊波多々須
  虚能瀰企破 和餓彌企那羅儒 區之能伽彌 等虚豫珥伊麻輸 伊破多々須

  すくな御神の  神ほぎ  ほぎ狂ほし  とよほぎ ほぎもとほし
  須久那美迦微能 加牟菩岐 本岐玖琉本斯 登余本岐 本岐母登本斯
  周玖那彌伽未能 訶武保枳 保枳玖流保之 等豫保枳 保枳茂苔倍之

まつり来し御酒ぞ あさず飲せ ささ
  麻都理許斯美岐叙 阿佐受袁勢 佐々
  摩菟利虚辭彌企層 阿佐孺塢斎 佐々 

 日本書紀の歌謡は「すくな御神の」の後が「、、、とよほぎ ほきもとほし 神ほき ほき狂ほし まつり来し 御酒そ あさず飲(を)せ ささ」という順序になっているが、比較のため古事記の順序にしたがった。このなかで古事記に使われている漢字と日本書紀に使われている漢字の音価を比べてみると概略つぎのようになる。日本書紀歌謡では、古事記で清音で書いてあるところを濁音で書いてある場合が多い。

古事記(清音): 日本書紀(濁音)
  登[təng]:苔[də]、 本[puən]:陪[buə]、 斯[sie]:辭[ziə]

古事記(清音): 日本書紀(次清音)
  許[xia]:虚[khia]、 波[puai]:破[phai]、 都[ta]:莵[tha]

古事記(喉音): 日本書紀(鼻濁音)
  賀[hai]、      餓[ngai]

古事記(幽母): 日本書紀(日母)
  受[zjiu]、     孺[njio]

古事記(摩擦音):日本書紀(破擦音など)
  斯[sie]:之[tziə]、 須[sio]:周[tjiu]、

 中国語音には kh-、ph-、th- のような次清音と呼ばれる音がある。日本書紀の史が濁音や次清音を清音にあてているということは、日本書紀の史は、古事記の史が濁音で読む文字を清音に読んでいたことになる。その理由は中国本土における濁音の清音化に求めることができる。中国では苔、陪、辭、虚、破、莵などの発音が長い時間をかけて、濁音あるいは次清音から、清音に変かわるという音韻変化が起こっていた。そして、随唐の時代には清音になってしまった。日本書紀の史は、この音韻変化が起った後の中国語音を身につけていたのである。

 また、古代中国語音の孺[njio] は唐代には孺/djio/ に変化した。「孺」は日本書紀では「ず」にあてられている。そのほか、古事記では「餓」などの鼻濁音が使われていない。古事記では斯/sie/ とあるところが日本書紀では之/tziə/ であり、須/sio/ とあるところに日本書紀では周/tjiu/ があてられているなどの特色がある。

 古事記はかなり古い時代の中国音を継承した史によって書かれ、日本書紀は唐の時代の新しい中国音を受け入れた史によって書かれている。また、古事記には朝鮮漢字音の影響が顕著である。古事記歌謡の漢字音でみる限り『古事記』は日本書紀より数百年前に朝鮮半島に定着した朝鮮漢字音に依拠しており、日本書紀は唐の時代の中国語音に依拠しているということがいえる。古事記は朝鮮漢字音の影響を無視しては解読できない。

第075話 記紀万葉時代の日本語

奈良時代に成立した万葉集、古事記、日本書紀は漢字だけで書かれている。日本語の起源をたどるには、まず記紀万葉など初期の文字資料を解読して、そのなかに文献時代以前の日本語の痕跡を探す必要がある。現代の日本語から、いきなり日本語の祖語にたどり着くことはできない。文字に残された最古の日本語のなかから、文字時代以前の日本語の姿を復元することによって、はじめて日本語の成立過程を解明することができる。日本語はどこからきたのか。最古の日本語はどのような言語だったのか。これらの問いに答えるには、初期の文字記録である古事記、日本書紀、万葉集のなかに隠されている。『古事記』には120首あまりの歌謡が伝えられている。(上段=読み下し、下段=原文)

八雲立つ  出雲八重垣   妻籠みに  八重垣作る   その八重垣を
 夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊賀岐都久流 曾能夜弊賀岐袁

やまとは 国のまほろば  たたなづく 青垣  山ごもれる  やまとしうるはし
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多々那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯 

はじめの歌は須佐之男の命が出雲の須賀の地で詠んだ歌とされている。つぎの歌は倭建の命が能煩野(のぼの)で詠んだ歌と伝えられている。能煩野は現在の三重県鈴鹿郡のあたりである。古事記歌謡は漢字の音だけを使って書かれている。漢字の音だけを使って書き表されているので、漢字の意味はまったく無視されている。

古事記、日本書紀に記録されている8世紀の日本語を解読するには、隋唐の時代の中国語音を復元しなくてはならない。日本語の音韻構造は中国語と違うから、唐代の音をそのまま日本語にあてはめたのでは8世紀の日本語音はよみがえってこない。古事記歌謡の漢字音は、現在の漢字音とは違う。その違いを比較してみると、つぎのようになる。(カタカナは現代の読み方を示し、ひらがなは古事記での読みを示す。)

久(キュウ・く)、流(リュウ・る)、毛(モウ・も)、豆(トウ・づ)、能(ノウ・の)、
弊(ヘイ・へ)、禮(レイ・れ)、都(ト・つ)、微(ビ・み)、母(バ・も)、爾(ジ・に)、
袁(エン・を)、本(ホン・ほ)、 

久(キュウ)、流(リュウ)は久(く)、流(る)と単音節にあてられている。毛(モウ)、豆(トウ)、能(ノウ)、弊(ヘイ)、禮(レイ)も単音節の日本語にあてられている。「都」は現代の漢字音は都(ト)であるが、古事記では都(つ)に用いられている。微(ビ)、母(ボ)はマ行に用いられている。袁(エン)、本(ホン)は韻尾の「ン」が失われて、袁(を)、本(ほ)にあてられている。いずれも単音節で日本語の開音節に適合させられている。

これは唐代の中国語音に依拠しているというよりも、中国語とはまったく音韻構造の異なる日本語にあてはめるために、むりやり中国語音を日本語にあてはめているために起こったことだと考えざるをいない。現代の日本語には「キュウ」、「リュウ」、「モウ」、「トウ」、「ノウ」、「ヘイ」、「レイ」、「エン」、「ホン」というような音節があるが、それは中国語音の影響で発達した音節であって、古代の日本語はあくまでも子音+母音の単音節である。

これらの漢字の唐代音を示すと、つぎのようになる。

 久/kiu/、流/liu/、毛/mô/、豆/do/、能/nə/、弊/biai/、禮/lyei/、都/ta/、微/miuəi/、母/mə/、爾/njiei/、
袁/iuan/、本/puən/、

 中国語の原音を基準にして考ええると、古事記歌謡では久/kiu/、流/liu/ のわたり音/-i-/ が失われている。袁/iuan/、本/puən/は中国語の韻尾/-n/が失われている。中国語の二重母音は日本語では單母音にあてられていることがわかる。借用語の発音は、受け入れる言語の音韻構造に合わせて、一定の法則にしたがって変化すから、中国語からの借用語音が当時の日本語でどのように変化しているかを調べれば、8世紀の日本語の音韻構造を知る手がかりになる。

古事記では「やまと」は「夜麻登」と表記されている。万葉集では「やまと」は「夜麻登」、「夜麻等」、「夜末等」、「夜萬登」、「也麻等」のように音で表記された例もあるが、「倭」、「日本」、「山跡、「山常」、「八間跡」などのように訓をまじえて書かれた例もある。万葉集は漢字の音だけでなく、訓で書かれた歌も多い。たとえば、柿本人麻呂の歌はつぎのように表記されている。

 軽皇子宿ニ于安騎野一時柿本朝臣人麻呂作歌

 東 野炎 立所レ見而 反見為者 月西渡(万48)

 過ニ近江荒都一時柿本朝臣人麻呂作歌

 左散難弥乃 志我能大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛(万31)

これらの歌は一般に、つぎのように解読され、日本語に復元されている。

軽皇子の安騎野(あきの)に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌

 東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月傾きぬ

近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌

 ささなみの 志賀の大わだ 淀(よど)むとも 昔の人に またもあはめやも

題詞は漢文で書かれているから中国語を読み下すように読めば、完全に解読することができる。中国語の文章は漢字による表記法が確立されていて、規範をはずれることはない。それにたいして、歌のほうは日本語を漢字で書いているため、表記法が確立されているわけではない。

初めの歌は訓で表記されているが、レ点も使われているので、語順は必ずしも日本語の通りではない。「所」、「而」、「者」、は日本語の助辞を示すためにつけ加えられている。「而」は古事記や万葉集では、日本語の接続助詞「て」にあてられている。「者」は万葉集では日本語の助詞「は」を表わす字として使われている。「乃」「能」「二」「母」「毛」はいずれも、日本語の助詞にあてられたものである。しかし、日本語の助詞や活用語尾はすべてが表記されているわけではない。

東  野炎   立所レ見而  反見為者   月西渡
 東の 野に炎の 立つ所レ見而 反り見為れ者月西渡きぬ

ここに平仮名で表記した部分は、原文では何も表記されていない。読者は平仮名の部分を補って、はじめて日本語として読むことができる。この歌は江戸時代まで、読み方がなかなか確定しなかった。「東野(あづまの)のけぶり立てるところ見て」などと読まれていたこともある。

次の歌はほとんどが音読みである。音読みの漢字をカナに書き換えてみるとつぎのようになる。

左散難弥乃 志我能大和太 與杼六友 昔人二    亦母相目八毛
 ささなみの しがの大わだ よど六友 昔(の)人に 亦も相目八も

音読の文字と訓読の文字を識別して「大」、「六」、「友」、「人」、「亦」、「相」、「目」、「八」は訓で読む。しかも、そのなかの「六」、「友」、「目」、「八」については、読み方は「訓」だが、漢字の意味とはまったく関係がない。音と訓を混用して書かれている万葉歌を解読することはかなり困難である。中国語を知り尽くしていても、漢字の中国語音と意味だけを理解している人には、まったく解読不能である。

万葉集には朝鮮半島で漢字で朝鮮語を書くために開発された、吏読、誓記体、郷札などの表記法が使われている。万葉集を表記した史は、漢字を使って朝鮮語を表記する方法を知っていて、それを日本語の表記に応用した。

万葉集には漢字の訓読みを転用したいわゆる「訓借」も多い。不レ相妹鴨(あはぬいもかも)、妹見鶴(いもをぞみつる)、相見鶴鴨(あひみつるかも)などである。「鴨」や「鶴」は日本語の訓であり、鴨(かも)、鶴(つる)は、中国語の音とも意味とも関係がない。漢字は表意文字であるから「鶴」「鴨」を日本語として「つる」「かも」と読んでも、漢字の原義である「つる」、「かも」という鳥のイメージがどうしてもつきまとう。しかし、借訓では漢字の義を捨てて、便宜的に日本式の表音文字として使っている。平安時代に片仮名が考案されてはじめて、「つる」は「津流」の漢字の一部をとって「ツル」とし、「かも」は「加毛」と書くかわりに「カモ」と書くことができるようになった。

 日本で五十音図が考案されたのも平安時代のことである。記紀万葉時代の日本語は次のような特色をもっていたと考えることができる。

 1.「ン」で終わる音節はなかった。(袁=を、本=ほ)
 2.二重母音はなかった。(毛=も、豆=づ、能=の、弊=へ、禮=れ)
 3.拗音はなかった。(久=く、流=る)
 4.現在の濁音(バ行音)は鼻濁音(マ行音)だった。(微=み、母=も)
 5.現代の濁音(ジ)は「ニ」であった。(爾=に)
 6.中国語とちがい助詞(て、に、を、は)でことばをのりづけしてゆく膠着語であった。

 そのほかにも、この少ない用例だけでは証明できないいくつかの特色があった。例えば濁音は語頭にたたない、ラ行音は語頭にたたない、などである。古代日本語には五つではなく八つの母音があり、前舌母音と後舌母音とにわかれ母音調和があったことも知られている。

 

第076話 大国主とは誰か

 『古事記』には因幡の白兎の話で知られる大国主の命の物語がある。大国主はまた、大黒さまとしても親しまれている。『古事記』では大国主はオホナムヂ(大穴牟遅)の神という名でも登場する。「ムヂ」は日本書紀では「貴」とも書かれて、神や人を尊び親しんで呼ぶときに使われている。本居宣長は『古事記傳』のなかで、つぎのように書いている。

大穴牟遅(おほなむぢ)ノ神。此ノ御名の訓は、萬葉に大汝(おほなむぢ)とかき、又於保奈牟知(おほなむち)と見え、古語拾遺には大己貴とかきながら、古語於保那武智(おほなむち)ノ神と云ひ、姓氏録に大奈牟智(おほなむち)ノ神、文徳實録に大奈母智(おほなもち)、三代實録に大名持(おほなもち)、延喜式に大名持、また於保奈牟智(おほなもむち)とある、此等以て知べし。遅は濁音なり。さて大穴と書るは、此記を始メとして、萬葉に大穴道(おほなむち)、出雲國造ノ神賀ノ詞、又神名帳、又出雲風土記などに、大穴持(おほなもち)、姓氏録に大穴牟遅(おほなむぢ)ノ命などあり。(中略)かくて御名の意は、師ノ説に、穴は那(な)の假字、牟(む)は母(も)の轉れるにて、大名持(おほなもち)なり。(『古事記傳九の巻』)

師の説にというのは賀茂真淵の説のことである。「大国主」は「大汝」、「大穴持」、「大名持」などの別称があるが、「大名持」のことだというのが本居宣長の結論である。地名や人名の由来はわからなくなってしまうことが多い。ここでは『日本書紀』についての言及はないが、『日本書紀』には、つぎのように書かれている。

大国主神(おほくにぬしのかみ)、亦の名は大物主神(おほものぬしのかみ)、亦は国作大己貴命(くにつくりのおほあなむちのみこと)と号す。亦は葦原醜男(あしはらのしこを)と日す。亦は八千戈神(やちほこのかみ)と日す。亦は大国玉神(おほくにたまのかみ)と日す。亦は顕国玉神(うつしくにたまのかみ)と日す。(『日本書紀神代上第八段』)

古事記の編者にとっても、日本書紀の編者にとっても、また万葉集の編者にとっても、「大国主」あるいは「大名持ち」の原義はすでに不明になっていた。大汝(おほなむぢ)、大名持(おほなもち)、大穴道(おほなむち)、大物主(おほものぬし)などはいずれも発音からその字義を類推して漢字で表記したものである。大国玉神(おほくにたまのかみ)は文字のうえで「大国主神」が誤って転写されたものであろう。大国主(おおくにぬし)を大黒(だいこく)というのも、大国(おほくに)を大国(だいこく)と音で読んで大黒(だいこく)と書いたことからきたものとして説明できる。しかし、大黒天は本来ヒンドウ教の神であり、仏教とともに日本に入ってきたものの、大国主とは何の関係もない神である。

しかし、「大名持ち」がなぜ「大国主」なのかは不明である。それを解く鍵は、朝鮮語にありそうである。李基文の『韓国語の歴史』(日本語版p.44)によると、「な」とは高句麗語で「土地」あるいは「国」のことである。金印の「漢委奴国王」は「漢の倭の奴(な)の国王」であり、奴(な)は国のことだとされている。また奈良の奈(な)は国の意味ではないかとされている。「なむぢ」の「な」が「地」を表わすとすると、「おほなもち」は「大土地持」ということになる。「おほなもち」の「な」は「名」ではなく、高麗語の「土地」あるいは「国」だったのである。

現代日本語の「名主」は名前の主ではなくて、「土地の主」であることとも整合する。奈良の都の「奈」も、金印の「奴国」も、官位の奈率の「奈」も、「なむぢ」の「な」も高句麗語の「な」であり、「地」あるいは「国」を意味する。「むぢ」は貴人を表わす。「大国主」は「大国(な)貴人(むぢ)」である。「大国主」の由来は中国語ではなくて、高麗語であると考えると本居宣長の疑問は解ける。しかし、残念なことに本居宣長の時代には金印は発見されていなかった。また、朝鮮半島の言語についての関心や知識もないに等しかった。

 

第077話 記紀のなかの朝鮮語の痕跡

 朝鮮半島で最初に建国された高句麗(BC33〜AD668)の言語である高句麗語は日本語とには共通の語彙が多いという。三国史記の地理志には、朝鮮半島の地名がいくつか記されている。これらの古地名のなかには、日本語の数詞に酷似したものがある。

 三峴縣  一云密波兮
  五谷郡  一云于次呑忽
  七重縣  一云難隠別
  十谷城縣 一云徳頓忽

 これは、高麗語の地名の発音を漢字の音で示したものである。「三」は「密」であり日本語の三「みつ」に近い。「五」は于次(いつ)、「谷」は呑(たに)でそれぞれに近い。「七」は難隠(なな)であり、「十」は徳(とう)であろう。そのほかにも、旦(たに)、烏斯含(うさぎ)、乃勿(なまり)など高麗語の語彙は日本語に似ている。日本語が高麗語と語彙を共有しているとすれば、倭人が当時の高句麗に住んでいたか、高句麗に住んでいた人々が後に日本列島に渡ってきたか、どちらかの可能性がある。

 百済の言語は高句麗と同じであると、中国側の文献は記録している。百済では支配者は高句麗語を話し、被支配族は韓系に属する馬韓語を使用していたという。『周書百濟傳』(636年)にはつぎのような記事がある。

  [原文] 王姓夫餘氏、號於羅瑕、民呼爲鞬吉支、夏言竝王也、妻號於陸 夏言妃也
  [訳]  王の姓は夫餘氏である。支配族の言語では王はオラカといい、被支配民は王をケンキルチと    呼んでいる。王の妻である妃はオリクという。

ここで興味深いのは、これらの百済語の読み方が、日本書紀に伝えられていることである。日本書紀では朝鮮関係の記述のなかで、「王」を「コニキシ」、「コキシ」、「オリコケ」と訓み、「夫人」を「オルク」あるいは「オリク」と読んでいる。「コニキシ」は周書の「鞬吉支」にあたり、「オリコケ」は「於羅瑕」に、「オルク」「オリク」は「於陸」に相当する。

任那王(コキシ)(垂仁2年)、新羅國王(コキシ)(垂仁3年)、百濟王(コキシ)(神功49年)、高麗王(コキシ)(應神37年)、狛国(コマノクニ)の香岡(ヌタノス)上王(オリコケ)(欽明6年)、狛王(コマノオリコケ)(欽明7年)、

狛王および狛国の香岡上王は、百済本記からの引用という形で日本書紀には載せられている。「コニ」は「大」、「キシ」は「君」を意味する。つまり「大君」ということになる。「オリコケ」の「オリ」も「大」の意味らしい。日本書紀には「オルク」、「オリク」以外に「ハシカシ」という読み方も伝えられている。

慕尼(ムニ)夫人(ハシカシ)(雄略2年)、 君(コキシ)の大夫人(ハシカシ)(齋明6年)

「ハシ」は意味不明であるが、「カシ」は中期朝鮮語で「女」または「妻」の意味があるという。『日本書紀』には新羅、百濟などからの渡来人の名が何人も登場する。

 那奇他(ナカタ)甲背(カフハイ)(任那)、 適莫(チャクマク)爾解(ニゲ)(百済)、
 古爾解(コニケ)(百済)、 莫古解(マクコケ)(百済)、鼻利(ビリ)莫古(マクコ)
 (百済)、 木�函淵皀�ラ)眯淳(マイジュン)(百済)、 紀臣奈率弥麻沙(ミマサ)、
 河内(カフチノ) 直(アタヒ)、 加不至(カフチノ)費直(アタヒ)、阿賢移(アケエ)那斯
 (ナシ)、 佐魯麻都(マツ)、

地名では爾林(ニリム)(高麗)、帯山(シトロモロノ)城(キシ)(百済)などがある。

これらの名前を『日本書紀』では日本漢字音で読んでいる。朝鮮半島で使っていた漢字をそのまま使って、それを日本漢字音で読み慣わしているものもある。

朝鮮半島では日本とは漢字の読み方も違っていた。たとえば、「甲背」の「背」は甲[keap] の末音の[-p] を背[puək] によって示した末音添記であり、「甲背」と書いて甲背「かひ」と読む。同じように「莫古」の「古」は莫[mak] の[-k] を古[ko] で表わしたものであり、「莫古」は「まくこ」ではなく「まこ」と読む。木�箸蓮嵬據廚鯆�鮮語の訓で木(nam)と読むから、「木�函廚蓮屬覆爐蕁廚△襪い蓮屬覆爐蹇廚汎匹燹�「木�函廚蓮嵬斃紂廚判颪�れていることもあり、「木」とだけ書いてあることもある。「�函廚筺嵳紂� は末音添記であると考えられる。

地名の「爾林」は現代の朝鮮漢字音で読むと爾林(i rim) である。帯山城(しとろもろのさし)の山(もろ)、城(さし)は朝鮮語の訓である。帯の古代中国語音は帯[tat] であり、朝鮮漢字音では[-t] は規則的にラ行で現れるから、帯(たる)あるいは帯(とろ)となる。

応神25年に百済から渡来したとされる木満致も、日本漢字音で木満致「もくまんち」と読み慣わしているが、これも「なむぢ」と読むに違いない。「木」は朝鮮語で木(nam) である。これを「もく」と音読するのではなく、訓で木(nam) と読ませるために「満」で末音を示したものである。

新羅の万葉集ともいえる郷歌(ひやんが)では、漢字の末音を添記する表記法が行なわれていた。たとえば「春」は朝鮮語の訓で春(pom) である。「春」と書いただけでは、春「しゅん」と音読すべきか、訓で春「ぽむ」と読むか分からない。「春」を確実に春(pom) と読ませるために、郷歌では「春音」と表記して「ぽむ」と読ませている。「春音」の「音」は末音の音(eum) で春(pom) の末音をあらわしている。「木満致」はそれと同じ表記法を用いたもので、木満致は「なむち」あるいは「なむぢ」であろう。

『日本書紀』には百済人の名が約180人、新羅人が約100人、高麗人が約50名、任那の人が約10人など、朝鮮半島の人の名が多く登場する。百済人は萬智(まち)、昧奴(まな)、麻那(まな)、莫古(まこ)、麻鹵(まろ)などの名前が多い。阿直岐(あぢき)、直支(とき)のように末音添記の例もみられる。新羅人は金姓を名のる人が多く、高麗人は雲聰、恵慈、若徳、俊徳、道顕、曇徴など2字の中国風の名前が多い。百済王(こにきし)、嶋君(せまきし)、慕尼夫人(むにはしかし)、高麗の香岡上王(ぬたのすおりこけ)などは朝鮮半島での呼称を留めている。

 日本では中国人や朝鮮人の名前を日本漢字音で読み習わしてきた。昭和58年崔昌華という牧師がNHKで自分の名前を崔昌華(サイ・ショウカ)と日本語読みしたとして1円の損害賠償を求める訴訟を起こした。裁判は最高裁まで争われ原告敗訴で結審したが、この裁判がきっかけとなって日本のマスコミは韓国・朝鮮人の名前の読み方を日本語読みから朝鮮語読みに変えた。古事記日本書紀に登場する朝鮮人の名前は今でも日本語読みのまま残っている。

 

[日本語のかたち]

第078話 キリシタン宣教師の日本語研究

 フランシスコ・ザビエルがキリスト教布教のために鹿児島に着いたのは1549年のことである。それ以来、宣教師たちは布教のために日本語を学ぶ必要にせまられていた。1603−1604年にはポルトガル語と日本語の辞書である『日葡辞書』が長崎で発行されており、1604−1608年にはジョアン・ロドリゲスの『日本文典』が、そして1620年にはその普及版ともいうべき『日本語小文典』が出ている。

 ロドリゲスは宣教師のなかでも特に日本語に優れ、秀吉の通訳なども務めている。『日本文典』『日本語小文典』はいずれも日本の言語についての文法学書であり、ラテン語文法の枠組みを日本語に見合うように拡張しているのが特徴である。日本語を外国語として記述したはじめての本であり、日本語の特徴を知るうえでも、16−17世紀の日本語を知る上でも興味がつきない。ロドリゲスは日本語には三種類のことばがあるとしている。

  1.Yomi(訓)だけのことば。源氏物語、伊勢物語など、
2.Coye(音)だけのことば。仏僧の経文など、
3.YomiとCoyeとが混じたことば。王国の共通のことば。

 ロドリゲスは日本語の発音については気音を伴う音もなければ、喉音的なものもなく、上下の歯の間や鼻腔を利用して発音することもなく、流音としてのL、Rの区別も、子音の連続もない、としている。当時の日本語をロドリゲスの日本語教典によってみると、つぎのような例文がでてくる。アルファベトはポルトガル語の慣用にしたがって書かれているので、cやxの使い方が現在われわれが親しんでいる表記のしかたと違うが17世紀の日本語の音声を復元することができる。

 Cunxiua xocuuo acanto motomuru coto naku, kio yasucaranto motomuru coto naxi.
 君子は食を飽かむと求むる事なく、居安からむと求むる事なし。

Madzuxû xite fetçurŏ coto naku, tonde vogoru coto nakumba ycan?
 貧しうして諂ふことなく、富んで驕ることなくんば、如何。

Fitoto xite cŏ nakiua chicuxŏ ni cotonarazu.
 人として孝なきは畜生に異ならず。

Vonuo xiruou fitotoua yûzo, vonuo xirazaruuoba chicuxŏto coso jye.
 恩を知るを人とは言ふぞ、恩を知らざるをば畜生とこそ言へ。

Miyacoye noboru, Kiûxûni cudaru, Quantôsa cudaru.
 都へ上る。   九州に下る。 関東さ下る。

ロドリゲスは「人」をfitoと表記している。また、「諂う」をfetçurŏとされており、この時代までの日本語ではハ行は唇音であったと考えられている。万葉集の時代の日本語もハ行音は唇音であったらしいことが万葉仮名の音価を調べてみるとうかがえる。

波奈[puai-na]=花(ファナ)、波流[puai-liu]=春(ファル)、比可里[piei-kha-liə]=光(フィカリ)、比等[piei-təng]=人(フィト)、布由[pa-jiu]=冬(フユ)、保登等伎須[pu-təng-təng-gie-sio]=フォトトギス、 

日本語のハ行は万葉の時代から室町時代まで唇音であったと考えられる。

ロドリゲスはさらに、「京へ、筑紫に、関東さ」と方言の違いにも注意を払っている。キリスト教の布教は日本の支配層だけでなく、全国津々浦々に広げて行く必要があったからである。

ロドリゲスは日本語の文体についても言及している。「日本語の文章体は高尚・荘重で格調の高い表現形式であって、日常の会話体とは動詞の(活用)語尾、小辞、表現が異なる。したがって、日常の会話体のなかでこうした表現形式は決して用いてはいない」としている。民衆のなかにキリスト教を広めるためには俗語も使い、秀吉などの権力者と接する時には格式のある日本語を使う必要があった。

また、ロドリゲスは『日本文典』のなかで「書状に於ける書き言葉の文体は、簡潔という点においても、又助詞や成語の特有なものがある事に於いても、他の書き言葉とは大いに違っている」と指摘している。また、女の為の書状と男のための書状が異なる、ともしている。手紙ではSoro(そろ)、Nari(なり)が使われるほか、先方の地位などによって礼法が定まっており、「謹んで言上致し候」「謹んで申上げ候」「恐れながら申上げ候」などの例をあげている。「公方様へ年頭の御礼として御太刀一腰、持御馬一疋進上致し候、然るべき様に御披露に預かるべく候。恐恐謹んで言す」となると現代の日本人には書くこともできないだろう。ロドリゲスは、すでに日本語から失われた日本語の痕跡を留めている。ロドリゲスはまた、「日本人が一生涯の中でその時々に応じて違った名を付けてゐるという事は注意しなければならない」としている。

幼名(Vosanana) 牛若、菊女など、
 仮名(Quemiŏ) 太郎、三郎など、
 官(Quan)・宮廷における官職の名、 左衛門、右衛門、兵衞など、
 受領(Iuriŏ)の名称、上野の介、常陸の介など、
 実名(Iitmiŏ) 正宗、信長など

このほかに隠居名(宗麟、道安、宗雪など)、名字(一条殿、近衛殿など)、氏(源、平、藤、橘など)がある、としている。これも現代では失われた日本語である。ロドリゲスは太平記、平家物語、発心集、方丈記などをよく研究しており、それらの書物からの引用も多い。

朝に生れ、夕に死すならひ、ただ水の泡に似たりけん。(鴨の長明)
 琵琶を弾き給ひしに、雲隠れたりつる月のにはかにいとあかくさし出でた。(太平記)
 君君たらずと雖も、臣以て、臣たらずんばあるべからずと言へり。(平家物語)
 泣く泣くなんわらひにける。かかる心憂き業をなん見侍べりき。(発心集)

現代の日本語は千数百年にわたり漢字文化圏のなかで、中国語の文字を取り入れ、漢語を借用して豊かになってきた。しかし、考えてみると中国語を学んだのは日本人であり、中国人が日本語を研究した痕跡は何も残っていない。ロドリゲスの『日本文典』および『日本語小文典』は日本語を、日本語の外からとらえようとした最初の試みであるといえる。

 

第079話 ジョン万次郎の英会話

ジョン万次郎は『英米対話捷径』(1859年、安政6年)という英会話の入門書を書いている。この本は早稲田大学の図書館などにあることが知られているが、最近『ジョン万次郎の英会話』(Jリサーチ、2010)という本が出版されて、そのなかに『英米対話捷径』がファクシミリで載録されているので誰でも簡単にみられるようになった。「捷径」とは「早道」というような意味である。当時西洋のことばといえばオランダ語しか知らなかった日本人にとって、はじめての英会話入門書となり、万延元年に咸臨丸でアメリカへ渡った人々もこの本で英会話を勉強したという歴史的な書物である。『英米対話捷径』では返り点やレ点を使って、英語を漢文の読み下しのように説明している。

You   may   say   what   you    please.
 ユー  マイ  セイ  フッチ  ユー    プリージ 
 あなた べしレ いうニ 何にても あなたの こころにあることを一

Good   day,  Sir.
 グーリ デイ シャー
 善き  日でござる

How   do you do,   Sir.
 ハヲ  ヅウ  ユー  ヅー シャー
 いかが ごきげんレ あなたさま ようござるか

英語もまた、文法構造を入れ替えることによって日本語に変換できる、と考えたのであろう。ジョン万次郎の翻訳はかなり巧妙にできている。日本語表現にはないwhatなども「何にても」とはよく訳したものである。また、Good day, Sir.のSirは訳さないで、そこに含まれる相手への尊敬の気持ちを「ござる」で表していることなども、かなりの工夫が感じられる。しかし、Good day, Sirは「、、、でござる」と訳してHow do you do, Sirを「ござるか」と疑問形に訳すためには、語頭のHowとの関係を考えなければ不可能である。

もし、日本語と英語、あるいは日本語と中国語が語順だけを入れ替えれば変換でくるものであるとすれば、コンピューター翻訳などはもっと早く実現していたはずである。コンピューターによる翻訳を可能にするためにはmay say「べしレ いう」、say,,,please「いうニ こころにあることを一」などのレ点や返り点をどのような場合につけるかを、それぞれの単語にそくしてコンピューターに記憶させなければならないだろう。Howは「いかが、、、ござるか」となるのであろうか。How do you do, Sir.では、はじめのdoは「ごきげん」とし、次のdoは「ござる」となるのだろうか。これはかなり困難な作業である。とにかく、ジョン万次郎は英語の構造をとらえ、日本語の構造と比較してそれを転換しようと試みている。

ジョン万次郎は、英語を日本語の語順に変換しているばかりでなく、発音もみごとに日本語式に変換している。

 I   am  sorry to  hear   that  your    Grandfather     is    sick.
アイ アム ソレ ツ ヘヤ ザヤタ ユーア グランダフワザ イジ セッキ
わたくしは きのどくにおもふレ ことをレ きくニ その あなたが 祖父(ぢぢさま)の あると一レ やまひで

 Is  your   Father  any   thing better than he   was     this   morning?
イジ ユーア フワザ ヱネ センキ ベタ ザン ヒー ウワーシ ゼシ モーネン
ありや五 あなたの ててごは いささか三 こころよく四 よりもニ かれの すぎし 今(この)朝(あさ)一

 No,   I    think   he   is   rather  worse.
 ノー アイ センカ ヒー イジ ラザ  ウワーシ
 否(さふでない) わたくし おもふに かれ あるニ すこしづつ あしきかたで一

日本語にないth-や-ngの発音は日本語の発音に置きかえられている。

  that(ザヤタ)、Grandfather(グランダフワザ)、Father(フワザ)、thing(センキ)、
than(ザン)、this(ゼシ)、morning(モーネン)、think(センカ)、rather(ラザ)、

 これは辞書もなく発音の規範を示すものも何もなかった時代の発音である。Thing(センキ)、think(センカ)では-ngと-kの区別がつかなくなってしまう。かといってthing(セン)、としたのではthin(セン)と区別がつかなくなってしまう。日本語はジョン万次郎から150年たっても-ngの音を発音することができない。そればかりか、日本語が千数百年前に接触した外国語である中国語にも-ngの発音があったにもかかわらず、日本語の音韻体系には-ngは定着していない。中国語の香港Hong Kongはいまだに「ホンコン」である。

現代のように辞書もあり、学校教育で英語が教えられている時代になっても英語のth-の発音がままならないのはジョン万次郎の時代とほとんど変わらない。英語の語尾の-ngについてはthing(センキ)ではカ行になり、morning(モーネン)では脱落している。ほかには次のような例もある。

 Are you  coming?
 アー  ユー  カメン
 あるか二 あなた  来られるで一

 I   am  going.
 アイ  アム ゴイン
 わたくし こと 行くところなり

 日本人にとって語尾の-ngの発音が不得意なことは今も昔も変わらない。むしろ東京方言などでは鼻濁音の-ngが失われてgになる傾向がみられるので、英語の-ngの発音はますますむずかしくなっている。日本語では語頭では濁音の[g-]で発音し、語中・語尾では鼻濁音の[ng-]で発音するのが正しいとされている。かつてはアナウンサーなどは音学学校を「オンカ゜ク ガッコウ」などと書いて鼻濁音の「カ゜」と濁音の「ガ」を区別していた。しかし、現在では鼻濁音が残っているのは東北地方など一部の地域だけになってしまった。このためアナウンサーの試験でも濁音と鼻濁音の区別は重視されなくなってきているという。

 『英米対話捷径』で、もうひとつ注意しておきたいのは最初にあげた例文にあるGood day, Sir.(グーリ デイ シャー)である。誤植ではないかと思いほかの例を調べてみるとbed(ベーリ)、bad(ヘーリ)、hard(ハーリ)など英語の語尾のdが「リ」で表記されている例がある。日本語の音節はいわゆる開音節であり、母音で終わるのが特徴である。Goodはいまでもguddoなどと母音をつけて発音する人が多い。また「それはグーだよね」などといっても意味は通じる。しかし、われわれはgoodとい文字の規範を知っているし、学校ではdを落とすと英語の試験では満点がもらえないことを知っている。ジョン万次郎はどうであろうか。

 ○脱落した例:cold(コール)、changed(チャインジ)、dead(ダイ)、eight(エイ)、hold
(ホール)、hundred(ハンヅレ)、night(ナイ)、thousand(サウシン)、unsettled(アンセツ  ル)、
○両方ある例:and(アン・アンデ)、but(ハッ・バッタ)、must(マスー・マスト)、
○リに転移した例:bad(ヘーリ)、bed(ベーリ)、good(グーリ)、hard(ハーリ)、should (シーリ)、

これは表記の混乱とみるよりも、むしろ聴覚に忠実に表記したもので、規範になるものが定まっていなかったためにこのようなことが起こったとみるべきであろう。

 韻尾のdが日本語で「リ」に転移したのも、聴覚に忠実に表記したものであろう。日本語のタ行、ダ行、ラ行、英語でいえば-t・-d・-lはいずれも調音の位置が同じであり、いずれも歯茎の裏のあたりで調音される。調音の位置の同じ音は転移しやすい。

韓国語では地下鉄は「チハチョル」であり、万年筆は「マンニョンピル」と発音される。中国語音のtは語中・語尾では規則的にlに転移するのである。達磨を「ダルマ」と読むのも同じである。サンスクリットの「ダル」を表すのに漢字の達(タツ)が用いられている。このように考えるとジョン万次郎がgoodを「グーリ」と表記したのも、混乱によるものではなく、万次郎が聴覚にできるだけ忠実に再現しようとした努力の結果であるとみることができる。 

語尾の-t・-dは脱落することもあるので、次のような例もみられる。

It is a moon light night.(イータ イシ エイ ムーン ライト ナイ)

 現在の英語教育を受けて辞書と教科書を使って習った人の目からすると、ジョン万次郎の英語はあれで本当に通じたのでろうか、と思われるかもしれない。しかし、It is a moon light night.(イット イズ ア ムーンライト ナイト)もジョン万次郎の英語より通じるとは限らない。英語のIt is a moon light night.は六音節である。ジョン万次郎の英語は十五音節(モーラ)で表記されている。それに対して現代の日本語英語も十五音節であり、音節のとらえかたはジョン万次郎の時代も今もそう変わりはない。つまり、ジョン万次郎の英語も、現代の日本式英語の発音も現地の英語の発音からかなり離れているという点では似たりよったりである、ということになる。

言語の規範が定まるまでにはさまざまな試行錯誤が行われる。万葉集仮名なども表記の仕方はさまざまである。例えば、梅、馬、恋について調べてみるとつぎのようになる。

梅:烏梅、宇米、汙米、宇梅、有米、于梅、
 馬:宇麻、宇万、牟麻、
 恋:孤悲、古非、古飛、古比、故非、眷、

ジョン万次郎の英語の表記に揺れがあったとしても当然であり、違う言語を音韻体系の違う言語の文字で表記するうえでの苦斗という点では、万葉集の史(ふひと)とジョン万次郎は同じ問題を共有していたともいえるだろう。

ジョン万次郎こと中浜万次郎は土佐の漁師の子で、十五歳のときに漂流して、アメリカの捕鯨船に救助された。十年間もアメリカで教育を受けて帰国した。日本では教育は受けていないから、『英米対話捷径』も万次郎の口述を誰かが書き起こしたものであろう。

ジョン万次郎の時代(1827-1898)には洋学といえば蘭学であった。1841年、土佐の漁師だった万次郎は、漁に出て3日目嵐に遭遇する。無人島に漂着するが、4カ月後にアメリカの捕鯨船に救助される。船長にかわいがられ、アメリカではマサチューセッツ州フェアヘヴンの学校でアメリカ人のこどもにまじって英語や航海術を学ぶ。

1851年に日本に帰国するが、鎖国の掟を破った罪で取り調べを受ける。しかし、時代は黒船来航(1853)、日米和親条約締結(1854)へと動いており、日本語―オランダ語―英語という二重通訳でない日英の直接通訳が求められていた。万次郎は時代の支配者である武士階級のなかに通弁として取り立てられる。出身地の土佐長浜の地名をとって名字とすることを許されたのも漁師としては異例のことだった。   

万次郎は薩摩藩開成所、土佐藩開成館、開成学校などで英語を教えることになるが、万次郎の指導を受けた者のなかには福沢諭吉、榎本武揚、西周、大鳥圭介などいるという。『英米対話捷径』(1859)は日本最初の本格的な英会話教本である。万次郎は咸臨丸(1861)で通訳としてアメリカへ再度わたることになるが、咸臨丸の乗組員も『英米対話捷径』を携帯したという。

 

第080話 沖縄語入門

沖縄といえば「おもろ」、アイヌといえば「ゆから」くらいの知識はある。しかし、「おもろ」も「ゆから」も高校でも大学でも習ったことがないから、実際には読んだことも、聞いたこともないというのが普通ではあるまいか。新書版を新しい知識の窓口にしている一般の読者層にとっては、なかなかいい入門書が見つからないという事情もある。

そこでお勧めしたいのが『沖縄語の入門〜たのしいウチナーグチ〜』西岡敏・仲原穣著(白水社)である。1課から20課までの教科書のような構成になっていて、練習問題までついている。CDもついていて本物の「うちなーぐち」を聞くこともできる。まず、その第1課から勉強してみることにする。

第1課「ニヌファブシ」

A:アレー ヌー ヤガ?
    ‘aree nuu ya-ga?

B:アヌ フシヌ ナーヤ ニヌファブシ ヤサ.
    ‘anu hushi-nu naa-ya ninuhwabushi ya-sa.

   ユル フニ ハラスル トウチネー.
   yuru huni harasuru tuchi-nee.

アリガ ミアティ ヤンドー.
    ‘ari-ga miati yaN-doo.

A:ヤンナー。
   yaN-naa.

アンシ フシヌ チュラサンヤー.
    ‘aNshi hushi-nu churasaN-yaa.

B:ヤサー! チューヤ タナバタ ヤタッサー.
   ya-sa! Chuu-ya tanabata yata-ssaa.

アイヌ語は日本語とは系統の違う言語だが、沖縄のことばは日本語の方言であるという。しかし、これが日本語の一方言なのだろうか。「ウチナーグチ」は「沖縄口(沖縄ことば)」である。「ニヌファブシ」とは何か。「ニヌファブシ」とは「子(ね)の方星」、つまり、北の方角にある星=北極星だという。解説によると次のようになる。

A:あれは何(ヌー)かな?
  B:あの星(フシ)の名は北極星(ニヌファブシ)だよ。夜(ユル)舟(フニ)走らす時(トウ      チ)には、あれが目当てだよ。
  A:そうなんだ。なんと星(フシ)が 美しい(チュラサン)ことよ。
  B:そうだ!今日(チュー)は 七夕(タナバタ)だったよ。

こうしてみると「ウチナーグチ」は標準日本語に対応しているようにもみえる。沖縄語も「やまとことば」も元は同じだから共通する部分はたくさんある。この本を読み進んでいくと、沖縄方言が標準語とどこが違い、どこが同じかだんだん分かってくる。まず、「ウチナーグチ」には母音が三つしかない。

  1)共通語のエは沖縄語のイになる。
  例:舟(ふね)は「フニ」、目(め)あて、は「ミアティ」になる。
  2)共通語のオは沖縄語のウになる。
例:星(ほし)は「フシ」、夜(よる)は「ユル」になる。

標準語と沖縄方言には音韻対応の規則がある。標準語のカ行イ段は口蓋化して「チ」になる。「おきなわ」は「ウチナー」になる。おなじみの「チュラサン(美しい)」は標準語の「清(きよ)らさ」に相当することばで、標準語のカ行イ段の「きよ」が口蓋化して「チュ」になったのである。時(とき)も「トウチ」となり、今日(キョウ)は「チュウ」になってあらわれる。これが「ウチナーグチ」の第1課である。「ウンジョー マーカイ メンシェービーガ?」が分かるようになってもまだ第11課、道半ばである。

第11課 「スバ カミーガ」

三郎:ウンジョー マーカイ メンシェービーガ?
      ‘uNjoo maa-kai meNsheebii-ga?

 朝秀:チューヤ ナーファヌ マチンカイ スバ カミーガ イチュサ
     chuu-ya naahwa-nu machi-Nkai      Suba kamii-ga ‘ichu-sa     

ッヤーン マジュン イチュサ
  ‘yaa-N majuN ‘ichu-mi?

三郎:ウー、チューヤ ヌーン ネービランクトウ
‘uu,chuu-ya nuu-N neebiraN-kutu ‘u-tumu sabira

 朝秀:トートー、マジュン トウーレー
  Tootoo, majuN tuuree

 この会話は標準語ではつぎのようになる。

 三郎:(あなたは)どこへいらっしゃるんですか?
 朝秀:今日は那覇の町に沖縄ソバを食べに行くのだ。君も一緒に行くか?
 三郎:はい、今日は何も(予定が)ありませんのでお供しましょう。
 朝秀:よしよし、一緒に来なさい。

  ○スバ 沖縄そば、○カミー 「カムン=食べる」の連用形、○ウンジョー 「ウンジュ=あなた」+ヤ、○マー どこ、○メンシェービーン いらっしゃいます、「メンシェーン」の丁寧語、○ナーファ 那覇、○ウトウム お供、○サビラ しましょう、○トートー よしよし、ほらほら、○マジュン 一緒に、○トウーレー 「トウーユン=通る」の命令形、

 沖縄語には標準語と同じように尊敬語がある。「メンシェーン(=いらっしゃる)」は尊敬語で普通語は「チューン(=来る)」である。「メンシェービン」は「メンシェーン」をさらに丁寧にした言葉づかいである。

これを第20課まで学習すれば、沖縄語入門は終了する。第20課まで進むと「おもろさうし」を鑑賞することができるまでにいたる。

第20課 組踊(クミウウドウイ)/おもろさうし

 執心(シューシン)鍾入(カニイリ)
 中城若松:廿日夜(ファツイカユ)の(ヌ)暗(クラ)さ
      道迷(ミチマユ)て(ティ)居(ウウ)たん
   御情(ウナサキ)の(ヌ)宿(ヤドウ)に しばし休(ヤスイ)ま

 宿の女:稀(マリ)の(ヌ)御行逢(ツウイチエ)さらめ(ミ)
 あまく片時(カタトウチ)も(ン)
 起(ウ)きれ(リ)きれ(リ)里(サトウ)よ(ユ)
 語らひ(カタレ)欲しやの(ブシャヌ)

 中城若松:今日(チュー)の(ヌ)初(ファツイ)行逢(ツウイチエ)に
   語る事(クトウ)無(ネ)さめ(ミ)

 宿の女:深山鶯(ウグイスイ)の(ヌ)
 春の(ヌ)花ごとに(グトウニ)
 添(ス)ゆる世(ユ)の(ヌ)中の(ヌ) 習(ナレ)や知らね(ニ)

中城若松:知らぬ(ン)

 あらすじは次のとおりである。中城(ナカグスイク・ワカマツイ)という美男子が、首里へ上がる際、夜道に迷って村はずれの家に一夜の宿を乞う。家の女は、親が留守といっていったんは断るが、結局は宿を貸すことにする。若松は見目麗しい若松に恋心を覚え、若松を起こして彼に迫る。若松は振り払って逃げるが、女は執拗に迫ってくる。

中城若松:二十日夜の暗さに、道にまよっていた。
  ご厚意の宿に しばし休もう。
 宿の女:たまさかの出会いではないか、ほんの少しの時間でも
  起きてください。あなた、語り合いたいから。
 中城若松:今日初めての出会いに 語ることなどないではないか。
 宿の女:深山鶯の春の花ごとに
 寄り添う世の中の習いをしらないのか。
 中城若松:知らぬ。

ここまで学習が進むと沖縄の文化に出会える。しかし、そこまで至るには外国語をひとつ習得するほどの努力が必要である。日本語とはなにか。標準語とはなにか。方言とはなにか考えさせられてしまう。現代の言語学の知見によれば、言語には優劣はなく、方言も標準語も、先進国の言語も未開民族の言語も言語として対等であり、かついずれも完全であるという。

 さて、ここに明治十三年に沖縄県学務課が編纂した『沖縄對話』という沖縄のこどもに標準語を教えるための教本の復刻版がある。近代国家の建設をめざす明治政府にとって「国語」の同一性こそ日本国民にとって本質的なものであるという意識があった。『沖縄對話』はそのための教材として作られた。『沖縄對話』の第一章はつぎのようにはじまっている。(ひらがな=標準語、カタカナ=沖縄語)

晴天(はれたてん=シーテン)、曇空(くもりそら=クムイデンチ)、日(ひ=テーダ)、月(つき=ツチ)、光(ひかり=ヒカリ)、星(ほし=フシ)、雨(あめ=アミ)、風(かぜ=カズ)、雲(くも=クム)、霧(きり=チリ)、雪(ゆき=ユチ)、虹(にじ=ヌージ)、煙(けむり=キブシ)、坂(さか=ヒラ)、谷(たに=ヤマスク)、森(もり=ムイ)、池(いけ=イチ)、桐(きり=チリ)、柳(やなぎ=ヤナジ)、菊(きく=チク)、

第二章からは文章になる。(カタカナは沖縄語)

第二章 四季の部

○今日は、誠に長閑(のどか)な天気でござります。
    チュウヤ。マクトニ。エー。 テンチ。デービル。

  左様でござります、好き天気に、 なりました。
    アンデービル。 いー。テンチ。ナヤビタン。

○あれへ、 見へます、山へ、最早(もう)、霞(かすみ)が、かかりては、をりませぬか。
  アマナカイ。ミイユル。ヤマー。ナー。 カスミヌ。 カカテー。 ウヤビラニ。

  成程、     皆、 霞を   帯びました。
   アンヤゝビイサ。ンナ。カスミヌ。カゝトーヤビイン。

  御宅の  梅は、 此、 東風(はるかぜ)に、綻(ほころ)びましたで、ござりましやう。
   トンチヌ。ムメー。クヌ。カズウテー。     サチョウルハヅ。    デービル。

  はい、唯今、 満開でござります。
   ウー。 ナマ。セーチュウデービル。

第三章 学校の部

○貴方の 御時計(おとけい)は、何時でありますか。
  ウンジュヌ。ウトチーヤ。 ナンジナタフヤビーガ。

   私の時計は、 八時でござります。
  ワートチーヤ。 ハチジナタフヤビーン。

 ○ 最早、 學校へ、 御出なさる時刻では、 ありませぬか。
    ナー。ガツカウジンカイ。ウンジミシエールジブノー。アヤビラニ。

  否へ、 少し、 早ふござります。
  アヤビラン。ウヘー。フヘーサヤビーン。

 ○ 授業は、 何時から、 始りますか。
    ナラユセー。ナンドチカラ。ハジマユガ。

  九時に、 はじまります。  
    クジカラ。 ハジマヤビーン。

 この教材を読んでいると、明治初年の沖縄の学校での方言の矯正がかなり困難であったろうことが  伝わってくる。今日の標準語話者にとって沖縄語がむずかしいのと同じように、沖縄の子どもたち  にとって標準語は奇異に感じられたにちがいない。沖縄の子どもたちからみれば、標準語は「おか  しな日本語」、「みだれた沖縄語」にみえたのではなかろうか。

 

第081話 ケセン語入門

井上ひさしの『吉里吉里人』は東北の寒村が、突如日本から分離独立するという奇想天外な物語である。そのなかで「ズーズー弁」という吉里吉里の標準語が重要な役割をはたしている。日本国の一地域である東北の方言が日本国の国語である日本語と対等のことばとしていちづけられることになるのである。そこでは近代国家とは何か、そのなかの地域、例えば東北と国家との関係はどうなのかがユーモアを交えて問われている。吉里吉里国には旅券も必要なのだ。

「ほんじゃこれがら読みあげっからねす、よっく聞いてて呉(く)ないよ。――旅券法(りょげんほ)。第一条(でえちじょ)、この法律(ほーりづ)は、旅券(りょげん)の発給(はつきゆ)、効力(こうりょく)その他(だ)、旅券(りょげん)に関(くわん)し必要(ひつよ)な事項(ずこう)を定(さだ)めっごとば目的(もくでき)とすんのっしゃ。第二条(でえぬじょ)、この法律(ほーりつ)さおいで、左(ひんだり)の各号(かくご)さ掲(かんがげ)だ用語(ようご)の意義(えぎ)は、そんぞれ当該(とうげえ)各号(かくご)さ定(さだ)めっとこさ依(よ)るんだごった。」

 方言はしばしば嘲笑の対象になる。東北弁は標準日本語から「ずれた」ことばであり、日本国では明治以降、方言撲滅、訛音矯正の努力が積み重ねられ、学校教育では方言札が用いられることもあった。そのズーズー弁が吉里吉里国では標準語になり、法律の文章にも用いられている。日本語の文学が吉里吉里語に翻訳されさえする。吉里吉里語による『坊ちゃん』はこんな書き出しになる。

親がらの無茶(むつちや)で小供(わらす)の時(どき)がら損ばっかすてる。小学校さ入(へ)ってた頃(あだり)、学校(がつこ)の二階(にげゐ)がら跳(は)ね降(お)づて一週間(えつすうかん)ばっか腰(こす)あ抜(の)がすた事(ごだあ)ある。なすてそんであな無茶(むつちや)すたど聞く人ああったかも知んねえ。別(べつ)に深(ふけあ)訳はねえのす。新(あだら)す二階(ぬげあ)がら首(くんび)出してえだっけあ、同級生(おんなずくみ)の一人あ冗談(やぐであ)なんぼ威張(えば)ったて、そっかー飛び降(お)づらんねあべ、臆病(おくびょ)くされ、ど囃すたがらだ。

 そんな東北弁をこよなく愛し、存亡の危機に瀕する東北弁をより多くの人に学んでもらおうと東北弁の入門書を書いた人がいる。岩手県大船渡市在住の医師、山浦玄嗣さんである。その著書『ケセン語入門』は400ページを超える大著である。東北弁の文法体系が分析されているばかりでなく、ケセン語がケセン文字と称するローマ字で表記されている。

 ケセン語は標準語とは音韻体系も違い、アクセントやリズムも違うから、標準語の音節構造に合わせて用いられているカナではなく、子音と母音の組み合わせが自由にできるローマ字を選んだのである。例えば第12課Umi sa iguをみてみると、次のようになる。

 Umí sa igu [ウ・ミ・サ イ・グ]  海へ行く
  Yané sa ağaru [ヤ・ネ・サ ア・カ゜・ル]  屋根に上がる
  Óhunádo sa igu [オオ・ナ・ナ・ド・サ イ・グ] 大船渡へ行く
  Yama sá noboru [ヤ・マ・サ ノ・ボ・ル] 山に登る
  Hama sá igu [ハ・マ・サ・ イ・グ] 浜へ行く
  Kesen sá kuru [ケ・セン・サ ク・ル]  気仙へ来る
  Niwa sa deharu [ニ・ワ・サ デ・ハ・ル] 庭へ出る
  Kawa sa hairu [カ・ワ・サ・ヘア・ル] 川に入る
  Agasagi sa igu [ア・ガ・サ・ギ・サ イ・グ] 赤崎へ行く

○ saは方向を示す<格辞>で、日本語の『へ・に』にあたる。

○ 第一のグループの名詞は自分自身の音調をもっている。saには音調はない。
  海Umí、屋根Yané、大船渡Óhunádo、

○ 第二のグループの名詞は名詞自体には音調はなく、sáに音調がある。
  山Yama、浜Hama、気仙Kesen、

○ 第三のグループの名詞には音調がなく、saにも音調がない。
  庭Niwa、川Kawa、赤崎Agasagi、

  ○ このように、同じ方向を示す<格辞>saも、前にある名詞の音調型によって、音調を持ったり、  持たなかったりする。

○ saの用法にはいろいろある。
  <方向> Attı sá igu. あっちへ行く
  <相手> Omai sa keru. 君にやる。
  このほかにも<場所>、<目的>、<帰着>、<比較>を表す場合もある。
  <場所> Sogó sa ogu. そこへ置く。
  <目的> Kaseŋí sa igu. 稼ぎに行く。
  <帰着> Kesen sá tıgu. ケセンに行く。
  <比較> Ore sa kuraber de 俺にくらべて、、、
  <場所>、<目的>、<帰着>、<比較>の用法は格辞ni(に)の用法と重なっている。

この本はいくつかの課に分かれていて、語学教科書のように練習問題もついている。正しいケセン語を習うための教科書だから、日本語訛りのケセン語にならないようにさまざま工夫がこらされている。箸を東北弁で「ハス」といえば東京では笑われる。しかし、『ケセン語入門』では箸は「ハシ」と訛ってはならないのである。山浦玄嗣さんはいう。

「ケセン語は、私にとって最も美しいことばです。幼い日々の潮騒の音のような、甘美な思い出に満ちた言語です。表情に富み、力と優しさに溢れる生きたことばです。」

「自分たちにとってかけがえのない、自分の歴史・文化・伝統に愛着と誇り、をもち、自分たちの人格そのものの表現として自分たちの言語を限りなく美しく尊いものであると意識したとき、ケセン地方の『名もなき』言語は、『ケセン語』として意識され、発見され、独自の人格を持ったのであります。」

危機言語というと何か外国の辺境の言語かと思う人が多いのではないかと思うが、「ケセン語」はれっきとした日本列島のなかの危機言語であり、消滅の危機にあると山浦さんは考える。そのケセン語に山浦玄嗣さんは限りない愛着をもっている。

東北地方の方言は宮沢賢治を生みだしたことでもわかるように、驚くほど美しい音韻とリズムをもっている。牛をベコといい、母をアッパといい、箸をハスという語彙の違いだけでなく、そこには標準日本語とは異なる音韻体系と文法体系があるという。否定の疑問文に対する答えで「はい」「いいえ」は日本語と反対になる。英語と同じである。

『ケセン語入門』の著者である山浦玄嗣はカトリック教徒でもある。山浦さんは聖書のケセン語訳も試みている。

 Sore gara, Yasó-sama a desiădo sa kaderi-yar’ tar,
  それから、イエススは弟子たちに言った。

 “N’ dar gará, kadar’ té ogu domo,
 『だから、 言っておくが、

 nanî kuwú be e ‘te, inodí no god’ te, nayam’ dári,
  何を食べようかと命のことで、

 nanî kir’ be e’ té, kabáne no god’ te, anzír dari sir’ năr’ nă.
  何を着ようかと 体のことで思い悩んではならない。

 Inodi a kuwimono yóri daizi dár si,
  命は食べ物よりもたいせつであり、

 kabáne a kiru mono yóri daizi nár mon’ dar.
  体は衣服よりもたいせつなのだ。

 Karásï mir dé mir-nare.
  烏を思い浮かべてみなさい。

 Tanê magú godo mo, agizmaî sir’ kodo mó nag’í si,
  種をまくことも刈り入れることもなく、

 kura mó naya mó moda-nág’ ar’ baĭ?
  納屋も倉も持たない。

 N’ dar domó, Kamisáme a karási adigaw’ te kér-yar’ n’ de a nag’i na.
  だが、神は烏を養ってくださる。 (ルカ伝)

東北弁には人をとりこにする何かがある。井上ひさしに記念碑的巨編『吉里吉里人』を書くエネルギーを与えたのも東北弁である。『吉里吉里人』は全編ユーモアがあふれ、奇想天外、抱腹絶倒の筋立てだが、笑いのあとに残る「やがて悲しき」の部分がある。その「やがて悲しき」の部分を追求したのが山浦玄嗣さんの『ケセン語入門』だろう。

この本は昭和60年の発行で、知る人ぞ知る名著なのだが、東京では大型書店の地方出版コーナーでも手にはいらない。運がよければ近くの図書館で見つかるかもしれない。ネットで検索すると手に入れることもできる。山浦さんのケセン語熱はその後も衰えず『みんなのケセン語』、『ケセン語大辞典』、『ケセン語聖書』なども出している。一時は方言に対する劣等感にさいなまれ、やがてその美しさのとりこになり、「私にとって」のことばとは何かをここまで深く、執拗に考えた日本人はほかにあまりいないのではなかろうか。

 

第082話 大槻文彦の語源研究

日本語はほとんど語源が分からないことばだといわれている。明治時代に日本ではじめて、日本普通語の辞書『言海』を作った大槻文彦は、西欧の近代的な辞書と同じように、日本語の語源を示そうとした。大槻文彦は『言海』編纂の大意のなかで、つぎのように書いている。

語原ノ説クベキモノハ、載スルヲ要ス。例ヘバ、くれなゐ[紅]ハ、[呉(クレ)ノ藍(アヰ)]ノ約ナル、ほしいままに(恣)ハ、[欲シキ儘ニ]ノ音便ナル、だんな(檀那)ハ、梵語、陀那鉢底(ダナバテ=施主)ノ略轉ナル、びろうど[天鵞絨]ハ、西班牙語Velludaノ轉ナルガ如キ、是等ノ起原、記サザルベカラズ。

日本ではじめての近代的国語辞書、『言海』は17年の歳月をかけて明治24年に完成した。従来辞書というものは難解な語を解明するものであったが、『言海』では普通に使われる日本語の語彙についても記述がある。人の体のように誰でもしっていることばに関してもその語源も示している。

 肌    [端ノ義ト云]、 
  肉 
[シシ=肉(ニク)に同ジ]、
  骨 
[秀根ノ義カ]、 
  髪
  [上毛(カミゲ)ノ略ナラムト云]、
  頭 
[貴間(アテマ)ノ轉カ、或云天玉ノ意カト]、
  鼻 
[端ノ義]、
  目
   [見ト通ズ。或ハ云、見(ミエ)ノ約]、
  唇 
[口縁(クチベリ)ノ轉カ、口片(クチビラ)ノ轉カ]、
  唾 
[つばきニ同ジ。唾吐(ツバキ)ノ義]、
  膝
   [ひきゐざる意カト云]、 
  腕
=タダムキ  [手手向(タダムキ)ノ義カト云]、
  手
   [取(トリ)ノ約ト云]、
  爪
   [端(ツマ)ト通ズルカ]、
  腹 
[廣(ヒロ)ニ通ズ、原(ハラ)、平(ヒラ)ナド意同ジト云、又張(ハリ)ノ意]、 
  臍(ほぞニ同ジ)、 
  腸
=ハラワタ  [膓蟠(ハラワタ)ノ義カ、腹綿ノ義トモイフ]、 
  胸
[生根(ウムネ)ノ約、心ヲ原トスルカト云、或云、身根ノ轉、或ハ群骨ノ約略ト云、イカガ]、
  乳
  [乳(チ)ヲ重ヌ、小児ノ語ニ起ル]、 
  心臓
 [心(シン)ノ條ヲ見ヨ]、心= ココロ[凝凝(コロコロ)ノ約ト云]、
  きも
=肝  [カンザウ。臓ノ名]、 
  背
  [背(ソ)ト通ズ]

大槻文彦は洋書調査所に学んでいて、ウエブスターの辞書など西洋の辞書がどのようなものであるか、よく知っていた。ことばへの関心も国学者のそれというよりは洋学者の肌合いである。従来の辞書はだいたい漢字に和訓をつけたり、和語に漢字をあてたもので漢和対訳辞書である。大槻文彦は新しい時代にふさわしい辞書、ウエブスターのような辞書を作ろうと志していた。しかし、日本語の語源についての蓄積はあまりにも貧しかった。

「胸」の項では「生根(ウムネ)ノ約、心ヲ原トスルカト云、或云、身根ノ轉、或ハ群骨ノ約略ト云、イカガ」、といくつかの案を出して読者に問いかけてさえいる。「いかが」とは普通辞書では使わない問いかけである。「肌」を端、「鼻」を端とするのもいかがなものだろうか。

大槻文彦の前に日本語の語源について書いたものといえば、新井白石の『東雅』ぐらいしか参考文献はなかったはずである。だから、大槻文彦はほとんどすべての単語について、独自の見解を示さなければならなかった。有名な猫の項は、つぎのように記されている。

ね−こ(名) 猫 〔ねこまノ下略、寐高麗ノ義ナドニテ、韓国渡来ノモノカ、上略シテ、こまトモイヒシガ如シ、或云、寐子ノ義、まハ助語ナリト、或ハ如虎(ニョコ)ノ音轉ナドイフハ、アラジ〕古ク、ネコマ。人家ニ畜フ小キ獣、人ノ知ル所ナリ、温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ、然レドモ、窃盗ノ性アリ、形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル、毛色、白、黒、黄、駁等種種ナリ、其晴、朝ハ圓ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ、陰處ニテハ常ニ圓シ。(大槻文彦『言海』)

新井白石の『東雅』では、猫の項はつぎのように書いてある。

猫 ネコマ 倭名鈔に野王説を引て、猫ネコマ、似レ虎而小シク、能捕リレ鼠ヲと注せり。ネとは鼠(ネ)也。コマとは、コマといひクマといふは転語也。鼠の畏るゝ所なるをいひし也。即今俗にネコといふは、其語の省(ハブ)ける也。(新井白石『東雅』)

新井白石が参考にした資料となると、平安時代に編纂された『倭名抄』まで遡る。『倭名抄』では猫の項はこうなっている。

猫 野王案猫音苗和名禰古萬似虎而小能捕鼠為粮(源順『倭名抄』)

大槻文彦は新井白石に学び、新井白石は『和名抄』の編者である源順に学んでいる。しかし、これらの語源説はいずれも民間語源説の域をでない。

 「猫」の古代中国語音は猫[miô] であり、猫の鳴き声からきた名称である。倭名抄も「猫音苗」といっているように、「猫」の中国語音は「苗」と同じである。夏目漱石の『吾輩は猫である』の中国語訳は『我是猫』で、「ニャーニャーと泣く」は「猫猫地哭泣」と翻訳されている。中国の猫は「ミャオミャオ」と泣くのであろう。日本語では猫は「にゃー」あるいは「にゃーご」と泣く。中国語のm音は日本語ではしばしばナ行で現れる。日本語の猫「ねこ」、苗「なえ」は中国語の猫[miô]、苗[miô]の頭音がナ行に転移したものである。

古代中国語の頭音[m-] が日本語でナ行で現れる例はほかにもある。鳴[mieng]、無[miua]が鳴(なく)、無(ない)となるのもその例である。日本語でも韮(にら)は古くは韮(みら)であり、蜷(にな)は蜷(みな)であった。また、王力によれば中国語の韻尾宵部[-ô] は覚部[-uk]に近く、校[heô]・学[heuk]、少[sjiô]・叔[sjiuk]は同源語である。『詩経』では昭[tjiô]・楽[lôk]、笑[siô]・棹[dôk]は韻を踏んでいる。古代中国語の猫[miô] は猫[miuk] に近く、日本語の「ねこ」は中国語の「猫」の古音を留めた借用語である可能性が高い。弥生時代には稲作や鉄とともに中国語の語彙が日本語のなかに数多く入ってきており、それが弥生音となってやまとことばのなかに残っている。

 江戸時代の学者の語源論は、カミ(上)を転じてキミ(君)とし、タカ(高)を転じてタケ(竹)、クロ(黒)を転じてカラス(烏)とする類であった。大槻文彦はもちろん、このような語源論にくみしていない。しかし、現代でも日本語の語源論はその域を越えず、一流の学者が「雲」の語源は「こもる」である、「竹」は「丈が高い」などという説をなす。

 日本で最初に五十音順の辞書が作られたのは、大槻文彦の『言海』である。それまでの辞書は事項分類別で、『倭名抄』にしても天部、地部、水部、とか船部、車部、牛馬部など、項目別に分かれている。しかも、名詞がほとんどで、動詞などはほとんど辞書にない。大槻文彦は、英語の辞書『ウエブスター』がアルファベット順であるように、日本語の辞書も音順にしようと考えた。『言海』は五十音順に並べられた辞書だったため、出版された当初は「いろは」順のほうが引きやすいのではないかという意見もあったという。

五十音図では「ン」は五十音のあとに付け加えられているが、『言海』では「ん」はマ行に入っていて「ま、み、む、ん、め、も」の順番になっている。例えば心(しん)ということばは「しむ」、「しん」、「しめ」という配列のなかで探す。

滲(しむ)、染(しむ)、占(しむ)、閉(しむ)、使(しむ)、心(しん)、 信(しん)、
 真(しん)、新(しん)、神(しん)、臣(しん)、標(しめ)、注連(しめ)、締(しめ)、

大槻文彦は「ん」はマ行に近い音だと考えたのである。五十音図の最後にある「ン」は、サンスクリットのアルファベットで最後にあるɱという文字からきているという。日本の寺院にある仁王像の「阿吽」、あるいは「こまいぬさん」の「あうん」は、サンスクリットのアルファベットの最初の文字であるa と、最後の文字であるɱ の音を表わしている。

五十音順に日本語を並べるという作業も前例がないのだから、そう簡単ではなかった。「どじょう」はどじょう屋では「どぜう」と書いているが、『言海』では「ど-ぢやう」となっている。大槻文彦は「常ニどぜうト記スルハイカガ」と書いている。「どぢやう」は「泥鰌」と考えたから、このように表記したのである。ちなみに、40年あまり後、文彦の死後に出版された『大言海』では、「どぢよう」である。

『言海』ははじめての本格的な日本語の辞書で、「文明者何。自單之複自粗之精之謂也。」で始まる格調高い漢文の序がついている。大槻文彦は1847年に生まれた。父は儒学者、祖父は蘭学者として知られる大槻玄沢である。大槻文彦は開成所の前身である洋書調所に入学して洋学を志し、後に仙台で漢学も学んでいる。しかし、本当にやりたかったのは英学で、ウエブスターの英語辞書に匹敵する日本普通語辞書を作るという大事業に、ひとりで立ち向かう。開明派の大槻文彦の言葉への関心は国学者というよりは洋学者の肌合いが感じられる。大槻文彦は漢学、蘭学、英学という幅広い学問を背景に、日本語を解明しようとしたのである。

大槻文彦が『言海』を編纂してから約百年の間に近代言語学は進歩した。しかし、その成果は未だに日本語の語源論、日本語形成論に十分生かされているとはいえない。日本語の語源の究明は、日本語の成立に寄与した古代中国語音の研究、中国語方言の研究、さらには同じ漢字文化圏である朝鮮漢字音、ベトナム漢字音の研究がさらに進まないと、前へ進むことができない。

 

第083話 日本語の基層〜からだをあらわすことば 〜

 比較言語学ではことばの系統や類縁関係をはかる尺度として、日常よく使われる基礎語彙を比較してみることが行われている。日常語には借用語の入り込む割合が少ないから、二つの言語の間に共通の語彙が多ければ多いほど、その二つの言語は類縁関係が深いことになる。言語学者のスワデシュは200ほどの基礎語彙を選んで、言語が共通の言語から分かれた年代を推定する言語年代学を提案している。

基礎語彙のなかには人体に関する語彙が数多く含まれている。ここでは人体についての語彙について、日本語を中国語、朝鮮語を比較してみることにする。中国語は広東方言を示した。広東方言を選んだのは、広東方言が北京語よりも中国語の古い形を留めているからである。日本語はひらがなで表記し、2番目に広東語、そして最後に朝鮮語を示した。

 日本語  広東語・朝鮮語 日本語 広東語・朝鮮語   日本語   広東語・朝鮮語 
 肌(はだ)gei・ppibu、   肉(にく)yuhk・kogi、   血(ち) hyut・ppi、
 骨(ほね)gwat・ppyeo、  髪(かみ)faat・tteol、   頭(あたま) tauh・meori
 耳(みみ)yih・kwi、    目(め) muhk・nun、   鼻(はな)  beih・kko、
 口(くち hau・ip、   歯[牙](は)chi(ngah)・i、  唇(くちびる)seuhn・ip-sul、
 舌(した)siht・hyeo、    唾(つば) teu・chim、   足(あし) juk・pal、
 脚(あし)geuk・tari、   膝(ひざ) sat・mureup、  腕(うで) wun・ppal、
 手(て) sau・son、   爪(つめ) jaau・son-top、  腹(はら) fuk・pae、
 背(せ) bui・teung、 胸(むね) hung・kaseum、 乳(ちち) yuh・jot、

 日本語      広東語・ 朝鮮語
 首[頸](くび) sau(geng)・ mok、
 臍(へそ)  chaih(touh-chaih)・paekyop、
 内臓(ないぞう) noih-johng・ naejang、
 心臓(しんぞう) sam-johng・ sim-jang、
 肝臓(きも) gon・ kan-jang、

日本語の基礎語彙は中国語とも朝鮮語とも似ていないものが多い。あえて、似ていると思われるものをあげてみると、つぎのようになる。

中国語に似た日本語:肉・にく(yuhk)、舌・した(siht)、腕・うで(wun)、腹・はら(fuk)、
           頸・くび(geng)、肝・きも(gon)、
 朝鮮語に似た日本語:腹・はら(pae)、

 中国語の口語では漢字一字が使われているとは限らず、「はな」は「鼻子」、「へそ」は「肚   臍」、「つめ」は「指甲」である。同じ中国語でも北京語と広東語で慣用が違うものもある。

(北京語:広東語)、(北京語:広東語)、(北京語:広東語)、(北京語:広東語)、
   眼晴:眼、     耳朶:耳仔、     嘴:口、      肩膀:膞頭、
   舌頭:月利*、   嗓子:喉嚨、     脖子:頸、     肚子:肚、
   腕子:手首、    脚後跟:脚足争*、
   *月利*=肉+利、*足争*=足+争、

古代日本語は弥生時代に中国語方言の口語から入ってきた可能性もあり、漢字だけを見て日本語との対応を探すのにはむりがある。また、朝鮮語については、古い文字資料が全部漢字で書かれており、古代の朝鮮語音を復元するのがむずかしい。このことが、日本語と朝鮮語の関係を解明するのを一層困難にしている。

スワデシュの基礎語彙のうち人体に関することばについて、中国語、朝鮮語との関係を探ってみると、つぎのようになる。

○肌(はだ) 日本語は「はだ」だが、日本語には皮膚(ヒフ)という中国語からの借用語もあ  る。広東語は肌(gei)であり、朝鮮語は皮膚(ppibu) である。しかし、日本語の「はだ」に近い言葉 は中国語、朝鮮語のなかから探し出すことはできない。

○ 肉(にく) 古代中国語音は肉[njiuk] であり、日本語の肉(にく)は中国語語源である。現代の  北京語では肉は肉(rou)だが広東語では肉(yuhk)であり、日本漢字音は広東語に近く、古代中国語  音の痕跡を留めている。広東語では頭音の日母[nj-] が失われて肉(yuhk)となり、朝鮮語音に近い。  北京語では青椒肉絲(チンジャオロウスー)や回鍋肉(ホイコウロウ)の肉(rou) である。
  朝鮮語では「肉」は焼肉(pul-kogi) の肉(kogi) であるが、「肉」には肉(yuk) という借用語もあっ   て、肉醤(ユッケ・ジャン)などになる。古代日本語では「肉」は「しし」である。

○ 血(ち) 古代中国語音は血[xyuet] である。王力は影母[〇]・暁母[x] は鄰紐であるとして、嫗   [io]・姁[xio]、蔫[ian]・暵[xan] を同源語としてあげている。中国語の喉音[x・h]は日本語への借用 語では失われやすい。とくにi介音の前では失われやすい。軍[hiuən]グン・運[hiuən]ウン、禾      [hiuai] カ・和[hiuai]ワ、のごとくである。一般にやまとことばといわれていることばのなかにも 古代中国 語音の頭音の喉音[x・h]が失われたと思われることばがいくつかある。

例:許[xia]ゆるす、呼[xa]よぶ、会[huai]あう、合[həp]あう、恨[hən]うらむ、訓[xiuən]よみ、
  穴[hyuet]あな、荒[xuang]あれる、行[heang]ゆく、興[xiəng]おきる、或[hiuək]ある、

 血[xyuet] が[yuet] に近いとすれば、日本語の「ち」は中国語の血[xyuet] の頭音が失われたものであ る可能性がある。

  ○ 骨(ほね) 古代中国語音は骨[kuət] である。王力によると見母[k]・匣母[h]は調音の位置が同じ であり、旁紐である。また、韻尾の[-ət]は[-ən]と調音の位置が同じだから転移しやすい。例えば粋  [suiət] と純[zjiuən] は同源である。古代中国語の骨[kuət]は骨[huən] に近く、日本語の骨(ほね)は 古代中国語語の「骨」の弥生音である可能性がある。[k-]と[h-]は調音の位置、方法ともに近く、堀   [khiuət](クツ・ほり)などの例もみられる。

○ 髪(かみ)古代中国語音は髪[piuat] である。髪の日本漢字音は髪「ハツ」であり、訓の「か  み」と似てはいない。日本語の「かみ」の「み」は毛[mô]である可能性がある。古代中国語の [m] は入りわたり音[h-]をもっていた可能性がある。入りわたり音の痕跡は現代上海語音にも残ってい て、宮田一郎編の『上海語常用同音字典』によると、米は米(hmi)、海は海(he)、毛は毛 (hmo)で ある。この入りわたり音が日本語の米(こめ・ベイ・メイ)、海(うみ・カイ・毎=マイ)、毛 (かみ・モウ)として痕跡を留めている可能性がある。
  大槻文彦の「髪は上毛(カミゲ)の略ナラムト云。首(カウベ)ノ上ニ生ズル毛ノ称」という のはいかがなものだろうか。

○ 頭(あたま) 日本語の「あたま」の「た」は中国語の頭(tauh)に近く、「ま」は朝鮮語の頭   (meori) と関係がありそうである。中国語には丫[ea]頭[do] ということばがあり、「丫」は「あげ  まき」、「ふたまた」を意味する。強いて考えれば、日本語の「あたま」は中国語の「丫頭」  と、朝鮮語の頭(meori) の両点だと考えられないことはない。しかし、日本語の「あたま」の語  源は不明である。

○ 耳(みみ) 古代中国語音は耳[njiə] であると推定されている。中国語では古代中国語の耳[njiə] は唐代以降、耳[djiə]に変化した。日本漢字音の耳(ジ)に対応している。日母[nj-]は一般に呉音  が「ニ」であり、漢音が「ジ」であるとされている。日(ニチ・ジツ)、児(ニ・ジ)、任   (ニン・ ジン)などである。しかし、日母にはマ行で読まれるものもある。地名の壬生(ミ  ブ)、任那(ミナマ)などである。地名は古い発音の痕跡を留めているものが多いのでマ行の  発音のほうがナ行の発音より古い可能性がある。「耳」はもと耳[miə] であり、介音[-i-] の影響  で口蓋化して耳[njiə] になったのではないかと考えられる。例えば、女[njia]は日本語では女    (め)である。これも文字時代以前の中国語からの借用語である可能性がある。日本語の「み  み」は古代中国語の耳[miə] を留めていると考えてほぼ間違いないのではなかろうか。古代の日  本語では耳(みみ)、馬「むま」、梅「むめ」、鰻「むなぎ」などのように、語頭の鼻音mを  重ねることがある。

○ 目(め) 古代中国語音は目[miuk] である。王力によれば目[miuk] は眸[miu] と同源であるとい  う。日本語の「め」は目[miuk]の韻尾[-k]の脱落したもの、あるいは眸[miu]であろう。いずれにし  ても、中国語では目と眸は同源である。「目」は「眼」とも近い。朝鮮語の目は(nun)であり、  中国語の眼[ngean] が語源であろう。日本語の「め」は中国語の目、眸、眼などと関係の深いこ  とばである。

 ○ 鼻(はな) 古代中国語音は鼻[piet] である。「鼻」の日本漢字音は鼻(ビ)であるが古代中国  語音には韻尾[-t]がついていた。日本語の訓は鼻(はな)であり、一見漢字音音の鼻(ビ)とは  関係なさそうである。しかし、古代中国語の鼻[piet]の韻尾[-t]は調音の位置が[-n]と同じであ   り、「鼻」は鼻[pien] に近い発音であったと考えられる。日本語の鼻(はな)は古代中国語の  鼻[piet]の転移したものであろう。同じような例として骨[kuat]が骨(ほね)になったのをあげる  ことができる。なお、現代北京語では「鼻」は鼻(bi) であり、韻尾のtは失われている。

  ○口(くち) 古代中国語音は口[kho]であり、朝鮮漢字音は口(ku)である。日本語の「くち」は中  国語の「口」と関係があることばであろう。「くち」の「ち」は不明だが、強いて求めれば口  嘴[kho・tziue] かもしれない。現代の北京語では「口」は嘴(ziu) である。「嘴」は福建語では嘴    (chui) である。日本語の「くち」は中国語の「口嘴」の南方方言である可能性がある。

 ○ 歯(は) 古代中国語音は歯[thjiə] である。現代の中国語では「歯」は「牙」であり、歯科医は  牙科である。日本語の「は」は中国語の牙[ngea] と関係がある可能性がある。中国語の牙       [ngea] はは調音の位置が喉音[h-] に近く、転移しやすい。王力によれば偽[ngiuai] と為[hiuai] は  同源である。古代中国語の「牙」 は牙[hea] に近い発音であったと考えられる。

 日本漢字音のカ行は古代中国語の牙音([k-]、渓[kh-]、群[g-]、疑[ng-])のほか喉音(影[・]、暁[x-] 、匣[h-])などが含まれている。古代中国語の牙音は日本漢字音では一般にカ行または、ガ行であ らわれるが、古代日本語ではハ行に転移していると思われるものがいくつかある。

見母[k-]:筥[kia](キョウ・はこ)、橋[kiô](キョウ・はし)、頬[kyap](キョウ・ほお)、
     古[ka](コ・ふるい)、  広[kuang](コウ・ひろい)、骨[kuət](コツ・ほね)、
 渓母[kh-]:開[khea](カイ・ひらく)、寛[khuan](カン・ひろい)、
     筐[khiuang](キョウ・はこ)、堀[khiuət](クツ・ほり)、誇[khoa](コ・ほこる)、
     墾[khən](コン・ひらく)、
 群母[g-]:掘[giuət](クツ・ほる)、
 疑母[ng-]:牙[ngea](ガ・は)、原[ngiuan](ゲン・はら)、
 暁母[x-]:火[xuəi](カ・ひ)、花[xuai](カ・はな)、熙[xiə](キ・ひろい)、
     響[xiang](キョウ・ひびき)、惚[xuət](コツ・ほれる)、
 匣母[h-]:灰[huai](カイ・はい)、 蓋[huat](ガイ・ふた)、 翰[han](カン・はね)、
     艦[hem](カン・ふね)、 閑[hean](カン・ひま)、華[hoa](カ・はな)、
     脛[heang](ケイ・はぎ)、弘[huəng](ひろい)、  挟[hyap](キョウ・はさむ)、
     減[həm](ゲン・へる)、 戸[hu](コ・へ)、   宏[hoəng](ひろい)、
     降[hoəm](コウ・ふる)、 幌[huang](コウ・ほろ)、衡[heang](コウ・はかり)、

韻尾の対応は複雑になるのでここではふれない。日本語のハ行音はファ、フィ、フ、フェ、フォだったとされているが、古代中国語の牙音や喉音が文字時代以前に日本語のハ行で日本語に定着したことは間違いないと思われる。現代の中国語では「歯」は北京語・上海語では「牙歯」、広東語では「牙」、福建語では「嘴歯」である。

○ 唇(くちびる) 日本語の「くちびる」は「くち・びる」の複合語である。「くち」は中国語の 「口」あるいは「口嘴」であり、「びる」は中国語の「吻」であろう。「吻」の古代中国語音は 吻[miuət/miuən]である。韻尾の[-n] は [-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国語の[-n]  が、日本語ではラ行で現れる例としては、辺(ヘン・へり)、巾(キン・きれ)、昏(コン・く れ)、玄(ゲン・くろ)、漢(カン・から)、雁(ガン・かり)などがあげられる。

○ 舌(した) 古代中国語音は舌[djiat] である。日本語の舌(した・ゼツ)は中国語の「舌」の借 用語である。王力によれば中国語の[dj-] は[z-] と鄰紐であり、順[djiuən]・馴[ziuən]、食[djiək]・ 飼   [ziə]は同源である。古代の日本語では語頭に濁音がくることがないから、「舌」は弥生音では舌 (した)となり、日本人が語頭の濁音を発音できるようになってから後に、舌(ゼツ)と発音さ れるようになった。現代の広東語音は舌(siht) であり、北京語の「舌」は舌頭(shetou) である。い ずれも、日本語の舌(した)に近い。

○ 唾(つば)古代中国語音は唾[thuai] である。日本語の「つば」の「つ」は中国語の「唾」であ  る。「ば」の語源は不明である。「つば」の「ば」は中国語の「唾沫」あるいは「唾罵」である 可能性がある。「唾」も「唾罵」も、いずれも吐くという意味である。古代日本語には濁音では じまる音節はなかったから、日本漢字音の唾(ダ)が濁音で発音されるようになったのは後のこ とである。

○ 足(あし)スワデシュは基礎語彙のなかにはleg(脚)とfoot(足)がある。日本語ではいずれ も「あし」である。朝鮮語では「足」は足(pal) 、「脚」は脚(tari)である。朝鮮語の脚(tari)は日本 語では足「たり」にあてられている。「足りる」、「足りない」などと動詞に使われることもある。 藤原鎌足の足「たり」も朝鮮語読みである。日本語の「あし」は、中国語にも朝鮮語にも類似の 語彙がなく、語源は不明である。

○ 膝(ひざ) 古代中国語音は膝[siet] である。朝鮮語は膝(seul) で中国語語源である。日本語の  「ひざ」の語源は不明である。

○ 腕(うで) 古代中国語音は腕[uan] である。現代の北京語は腕(wan) であり、広東語は腕(wun)  である。王力によると[an] と[at] は対転であり転移しやすい。判[phuan]・別[biat]、弁[bian]・別    [biat]、断[duan]・絶[dziuat]、などはいずれも同源語である。日本語でも琴(こと・キン)、音  (おと・オン)、肩(かた・ケン)、幡(はた・ハン)、管(くだ・カン)など音「ン」に訓が タ行で対応していることばが多い。これらはいずれも中国語語源である。腕[uan]は腕(うで・  ワン)であり、腕「うで」が古く、腕「ワン」が新しい。

○ 手(て) 古代中国語音は手[sjiu] である。王力によると、[sj-] は[th-] あるいは[d-] と鄰紐であり、 発音が近い。手[sjiu]・杻[thiu]、首[sjiu]・頭[do]は同源語である。現代ベトナム漢字音では「手」は 手(thu) であり、日本語の「て」に近い。ベトナム漢字音では日本漢字音でサ行であらわ れるもの がタ行であらわれることが多い。

例:佐(ta)、作(tac)、散(tan)、心(tam)、新(tan)、祭(te)、臣(tan)、辰(than)、十(thap)、妻(the)、
         誓(the)、時(thoi)、常(thuong)、爪(trao)、塵(tran)、聾(tung)、寺(tu)、

 ベトナム漢字音では鉄(thiet)と切(thiet)が同じになる。日本語の手「て」はベトナム漢字音、あるいは古代中国語の江南音を継承している可能性がある。日本語の作(つくる)、散(ちる)、臣(たみ)、辰(たつ)、十(とお)、妻(つま)、時(とき)、常(つね)、塵(ちり)、寺(てら)などもベトナム漢字音の影響を受けたとはいわないまでも、中国南方方言の影 響を受けている可能性は否定できない。漢字のなかには同じ声符をサ行とタ行に読み分けるものが数多くみられる。

例:拿捕・手腕、途中・除外、冬至・終焉、統治・充実、透明・秀逸、動物・重量、
  敦煌・芳醇、屯田・純粋、椿事・春秋、支柱・主人、祈祷・寿命、調査・周囲、
  単純・戦争、楕円・随筆、顛末・真実、端緒・喘息、店舗・占領、更迭・損失、

  これらは、いずれも介音[-i-] の影響で塞音[t-] が摩擦音[ts-] になったものである。中国語では真 珠は珍珠であり、現代北京語では真(zhen) と珍(zhen) は同音である。日本語でもイ段では「ヂ」と「ジ」の区別が失われている。訓がタ行で音がサ行である例もある。訓が古く、音が新しい。

例:手(シュ・て)、取(シュ・とる)、珠(シュ・たま)、 種(シュ・たね)、
     就(シュウ・つく)、出(シュツ・でる)、盾(ジュン・たて)、

○ 爪(つめ) 古代中国語音は爪[tzheu] である。ベトナム漢字音は爪(trao)である。日本語の「つ め」の「つ」は中国語の「爪」であろう。中国語には「爪牙」ということばがあり、日本語の  「つめ」は古代中国語の爪牙[tzheu ngea] である可能性がある。中国語の[ng-] は鼻音であり、同 じ鼻音の[m-] に転移しやすい。日本語では芽[ngea] を芽(め)、元[ngiuan]を元(もと)など中国 語音からの転移がみられる。

○ 腹(はら) 古代中国語音は腹[piuk] である。古代中国語の韻尾-p、-t、-k、は破裂音ではなく、 いわゆる内破音である。現代の北京語では失われている。福建語では-p、-t、-k、の区別がなく  なって-k に統合されているし、上海語では-p、-t、-k、の区別は失われて喉門閉鎖音になってい  る。
   広東語 -k -t -p
   福建語 -k -k -k
   上海語  -ʔ -ʔ -ʔ
   北京語 ○ ○ ○   (-ʔは声門閉鎖音、○はゼロ=脱落)

このことから、腹[piuk]の韻尾[-k]は広東から北に向かうほど弱まり、腹[piut]あるいは腹[piuʔ] に近 かったとものと考えられる。王力は遞[dyek]・迭[dyet] は同源語であるとしている。腹の韻尾が[-t]  に近かったとすれば、朝鮮漢字音では中国語の韻尾の[-t] は規則的に[-l] で現れるから、朝鮮漢字 音では腹(プル)あるいは腹(ハラ)となったはずである。中国語の韻尾[-k] が日本語のラ行に なったものとしては、つぎのような例がる。

例:夜[jyak] よる、黒[xək] くろ、悪[ak] わる、

現代朝鮮の腹(pae) も古代中国語の韻尾[-k] が失われてもので、中国語の「腹」と同源である。

○ 背(せ) 古代中国語の「背」は背[puək] である。唐代になると背/puəi/となり、日本漢字音で  は背「ハイ」である。日本語の「せ」は中国語の「背」ではなく脊[tziek] と関係があるかもし  れない。

○ 胸(むね)古代中国語音は胸[xiong] である。日本語の「むね」に該当する中国語には見当たら  ない。しかし、中国語では黒(コク)・黙(モク)や海(カイ)・毎(マイ)など同じ声符を  カ行とマ行に読みわける文字がいくつかある。それらの漢字の上海音を宮田一郎編著『上海語  常用同音字典』(光生館)で調べてみると黒(həʔ)・黙(hməʔ)・墨(hməʔ)、海(hai)・毎(hmai)の  ようにmの前に入りわたり音(h)があることがわかる。また、膠(コウ)と謬(ビュウ)は同じ  声符の字をカ行とバ行(唇音)に読み分けている。


 胸の上海音は胸(xiong)であるが、胸の中国南方音は胸(hmiong)のように入りわたり音をともなう発音であったと仮定したらどうであろうか。胸(むね)は入りわたり音が脱落したものであり、胸(キョウ)は入りわたり音(h)が発達したものである可能性がある。日本語の海(うみ)は入りわたり音(h)が脱落したものであり、海(カイ)は入りわたり音が発達したものである。そのひとつの傍証として、中国語の牙音と喉音が訓ではマ行であらわれ、音ではカ行であらわれるものがいくつかある。

  見母[k-]:鑑[keam](カン・みる)、鞠[kiuk](キク・まり)、宮[kiuəm](キュウ・みや)、
      京[kyang](キョウ・みやこ)、見[kyan](ケン・みる)
  渓母[kh-]:看[khan](カン・みる)、曲[khiok](キョク・まがる)、
  群母[g-]:巻[giuan](カン・まき)、毬[giu](キュウ・まり)、局[giok](キョクまがる)、
      群[giuən](グン・むれ)、
  疑母[ng-]:芽[ngea](ガ・め)、雅[ngea](ガ・みやび)、眼[ngean](ガン・め)、
         御[ngia](ゴ・み)、詣[ngyei](ケイ・もうでる)、迎[ngyang](ゲイ・むかえる)、
       睨[ngiəi](ゲイ・みる)、元[ngiuan](ゲン・もと)、
  暁母[x-]:海[xuə](カイ・うみ)、胸[xiong](キョウ・むね)、向[xiang](コウ・むう)、
  匣母[h-]:回・廻[huəi](カイ・まわる)、丸[huan](ガン・まる)、恵[hyuet](ケイ・めぐ        み)、幻[huan](ゲン・まぼろし)、

朝鮮語には胸(kaseum) のほかに胸(ma-eum) ということばがあって「心」、ハートを意味する。日本語の「むね」は朝鮮語の胸(ma-eum) と近い。しかし、日本語の胸(むね)も朝鮮語の胸(ma-eum)もともに中国語起源である可能性もある。

  ○ 乳(ちち) 古代中国語音は乳[njia] である。日本語の乳(ちち)の語源は不明である。

 ○首(くび) 現在の日本語では「首」の文字が用いられているが、中国語では「頸」である。日 本語の「くび」は古代中国語の頸[kieng] に由来する。 

 ○臍(へそ) 古代中国語音は臍[dzyei] である。日本語の「へそ」の「そ」は中国語の「臍」に近 い。現代中国語は「肚臍」であり、朝鮮語は(paekkop) である。「ぺ・こっぷ」の「ぺ」は腹     (pae) であり、「こっぷ」は「こぶ」であろう。日本語の「へそ」も「腹・臍」の複合語である 可能性がある。

 ○内臓(ナイゾウ) スワデシュのリストではguts としてあるものを日本語では内臓とした。『倭 名抄』では「胃」に「くそわたふくろ」ということばを当てている。複合語でgutsにあたる日本 語としては「はらわた」がある。「くそ・わた・ふくろ」、「はら・わた」はいずれも 複合語 である。「やまとことば」には狩猟の対象となる獣や家畜の臓器に関する語彙は乏しい。現代の 日本語は縄文時代の狩猟を中心とした生活から受け継がれたことばは少ないように思われる。

 ○心臓(シンゾウ) 内臓と同じく「やまとことば」には心臓にあたることばはない。朝鮮語では 心臓はyeo ttongあるいはma eumである。

 ○肝臓(カンゾウ) 日本語では肝(きも)である。日本語の「きも」の語源は中国語の肝[kan] で ある。

日本語は狩猟や家畜の臓器に関することばに乏しい。例えば英語では雄牛(ox)、牝牛(cow)、小牛(calf)の区別があるし、肉や内臓も部位によって名称が異なる。しかし、日本語は狩猟採集生活をしていた縄文時代の言語を継承しているようには思えない。

これをまとめてみると、つぎのようになる。

中国語語源:肉(にく)、血(ち)、骨(ほね)、髪(かみ)、丫頭(あたま)、耳(みみ)、
目(め)、鼻(はな)、口嘴(くち)、牙(は)、口辺(くちびる)、舌(した)
唾沫(つば)、腕(うで)、手(て)、爪芽(つめ)、腹(はら)、脊(せ)、頸(くび)、腹臍(へそ)、内臓(ナイゾウ)、心臓(シンゾウ)、肝(きも)、

朝鮮語語源:胸(むね)、足(たり)、

語源不明: 肌(はだ)、足(あし)、膝(ひざ)、乳(ちち)、

人体に関することばには、中国語語源と思われることばが多い。スワデシュの基礎語彙以外でも、「まゆ」は眉[miei]、「まなこ」は眼玉[ngean ngiok] は中国語語源である。「のど」は嚨吐[long tha]であろう。「ほほ」は頬[kyap] であり、「あご」は顎[ngak] の頭音が失われたものである。「かた」は肩[kyan] であり、「わきのした」は腋[jyak] の下である。尻は「しり」と読めば語源不詳だが、「けつ」は中国語の尻[kheu] と関係がある。「へ」は屁[piei] である。屁は動詞にもなって屁を「ひる」ともいう。「はぎ」は脛[hyeng] である。「かかと」は現代北京語では脚後跟、広東語では脚足争*、福建語では脚踵である。日本語の「かかと」は中国語の脚踵[kiak tjiong] あるいは脚踏[kiak thap] の借用語であろう。 *足争*=足+争、

 これだけ大量の基本語彙が日本語に入ってくるということは、中国語を話す人間と日本語の原形となったことばを話す人間が、文献時代以前にかなり深い関わりをもっていたことを物語っている。弥生時代に農耕の技術が中国から入ってきたことにより、従来狩猟採集生活をしていたアルタイ語を話す人々の生活には革命的な変革が起こり、ことばもまた大きく変ったに違いない。

稲作と鉄器をもった圧倒的に優勢な文明が、主として狩猟生活をしていた朝鮮半島、日本列島に入ってくる。しかも、その文明は漢字を使用することによって政治的支配の仕組みを構築することができる高度な文明である。紀元前3世紀前後の朝鮮半島は、アルタイ文化と中国文化の融合の時代であったと想定することができる。その波動は日本列島にも達していたことが基礎語彙の分析からも分かる。

 

第084話 新井満の『自由訳 般若心経』

「千の風になって」で大ヒットした新井満が自由訳『般若心経』など自由訳シリーズを次々に手がけている。自由訳『般若心経』の導入部分はつぎのようになっている。

 ある時、 仏(ほとけ)は、 おたずねになった。
 「大いなる智恵とは、 何だろうね。
 さとりに至る究極の智恵とは、何だろうね。
 さらに問う。
 その智恵と言葉の霊力によって、さとりに導いてくれる、
 聖なる呪文(じゅもん)があるとすれば、
 それは、 どんなものだろうね。」

般若心経ほど日本人に親しまれたお経は少ないのではなかろうか。それにもかかわらず般若心経は難解である。漢文は普通はレ点をつけて日本語に翻訳しながら読むものだが、お経はレ点や返り点は使わず棒読みする。

観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子
 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子
 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄

 「カンジザイボサツ ギョウシンハンニャハラミッタジ ショウケンゴウンカイクウドイッサイクヤク シャリシ」と読んでいる。しかし、これではさっぱり意味がわからない。だから、いろいろな解説書がでている。それでも理解できないのが普通である。その原因のひとつはインド哲学の難解さにもある。「色即是空 空即是色」を『論語』風に返り点をつけて読んでみる。「色(いろ)は即(ソク)是(これ)空(そら)である。空(そら)は即(ソク)是(これ)色(いろ)である。」と読み下して全く理解できない。それを新井満の『自由訳 般若心経』で読んでみると、つぎのようになる。

 観自在菩薩は、おもむろに話し始めた。
 「この世は、五つの要素から成りたっている。
 五つの要素のことを五蘊と呼ぶのだが、
 それらは、すべて空(くう)なのだ。そして、
 すべてが空(くう)であると見極めるならば、 
 一切の苦悩や災難から、万人は救われるのだ」
 観自在菩薩は、修行僧の中でも知恵者第一番と目されている人物に向かって言った。
 「舎利子よ、、、この世に存在する形あるものはすべて、空にほかならないのだよ。
 そして、空であるからこそ、すべてのものが、この世に生じてくるのだよ」
 「あのう、、、」舎利子は、首をかしげながら言った。
 「空の意味が、よくわからないのですが、、、」
 「よろしい。ではもっとわかりやすく説いてあげよう」

 このように展開していく。お経は難解だからありがたい、ということもあるようだ。キリスト教でも聖書は長い間ラテン語から翻訳されることはなかった。「色即是空 空即是色」も「色(いろ)はすなわち空(そら)であり、空(そら)はすなわち色(いろ)である」ではチンプンカンプンであるばかりか、少しもありがたくない。しかし、せっかくの観音さまのことばも日本語になっていなければ馬耳東風というものだ。

『般若心経』が難解な理由のひとつは、『般若心経』がサンスクリットの経典からの漢訳であり、音訳と訓訳が混在していることにもある。般若心経の原文は四世紀には鳩摩羅什(344-412)によって中国語に翻訳され、現在一般に親しまれている玄奘三蔵(600-665)訳も唐代にはできあがっている。サンスクリットの文字をアルファベットで表記してみると原文と漢訳はつぎのようになる。

 Ā ryā valokite śvara bo dhi sa ttvo
  聖  観  自在 菩薩

Ga mbhī ra pra jñā pā ra mi tā yāɱ
 深    般若  波羅密多

 Grū paɱ yadrū paɱ sā śū nya tā
 色   即  色 是 空

 Yā śū nya tā tadrū paɱ
  即 空   是  色

 観自在菩薩は鳩摩羅什の訳では観世音菩薩となっている。つまり観音さまのことである。般若心経の中国語訳は意訳の部分と、パーリ語をそのまま漢字音に置き換えた音写の部分がある。パーリ語の部分をアルファベットで表記するとつぎのようになる。

観自在bo dhi sa ttvo(菩薩) 行深般pā ra mi tā (若波羅密多)時
 
「般若」はprajňā、「波羅密多」はpāramitāの音写である。パーリ語を知らなければ理解できなくて当然である。「般若」は直訳すると「智恵」のことであり、「波羅密多」は「彼岸に至る」となる。新井満はこれを「さとりに至る智恵」と訳している。

一方、「色」と「空」は漢語訳である。しかし、その意味はそう簡単ではない。「色」はパーリ語に漢語をあてただけのものであり、日本語の「いろ=色彩」ではない。まして、色恋の「いろ」でもない。仏教では「色」とは「形あるもの」のことである。「空」の意味はさらに深淵で「実体のないもの」を指すらしい。そうすると「色即是空 空即是色」は漢訳から直訳すると「形あるものは実体のないものであり、実体がないからこそ形あるものにもなれるのである」ということになる。「仏教では因縁により生じる一切の法は、ことがとく空である」と説く。形あるものはすべて滅び、冬は枯れた木も春にはまた芽生える、これが「空即是色」である。

新井満はここを「この世に存在する形あるものはすべて、空にほかならないのだよ。そして、空であるからこそ、すべてのものが、この世にしょうじてくるのだよ」としている。そして、さらに続けて次のように自由訳している。

観自在菩薩は、話をつづけた。
 「この世に存在する形あるものとは、喩(たと)えて言えば、見なさい、
 あの大空に浮かんだ雲のようなものなのだ。
 雲は刻々とその姿を変える。そうして、いつのまにか消えてなくなってしまう。
 雲がいつまでも同じ形のまま浮かんでいるなどということがありえないように、
 この世に存在する形あるものすべてに、永遠不変などということはありえないのだ。」

ちなみに般若心経の英訳ではThe Heart Sutra “Emptiness is not other than form. Form is not other than emptiness.”となっている。これはきわめて即物的な訳だが、少なくともパーリ語がそのまままじっていたり、漢語が特殊な意味で使われたりしていないから、誰が読んでも意味を取り違えることはない。ところが、日本では般若心経に注釈をつけることは盛んに行われたが、翻訳されることはなかったようである。

日本人は明治以来、翻訳をひとつの文化としてきた。Ars longa vita brevis 芸術は長く人生は短いというラテン語を「命短し恋せよ乙女」と訳した名訳もある。戦後にいたってもLove is a Many Splendored Thingという映画を「慕情」と訳すようなこともあった。仏教の世界で経典の翻訳が行われてこなかったのも不思議である。

キリスト教では民衆のことばで神のことばを伝えることが布教には必要だと考えてきた。聖書は現在では世界のほとんどの言語に翻訳されている。最初に英語の聖書が翻訳されたのは1300年代の後半のことであり、1611年には『欽定訳聖書』ができている。

イスラム教の『コーラン』はアラビア語から翻訳されることなく神のことばとしての神秘性を保ってきた。イスラム教徒は『コーラン』を読むためにアラビア語を習う。中国人はサンスクリットの聖典を音訓をまじえた中国語に翻訳した。日本では円仁などの僧が中国でサンスクリットを習ったことはあるが、サンスクリットの原典からの直接の翻訳は行われず、中国語訳の訓古学だけが発達した。日本の仏教では中国語訳を原典としてその神秘性を守ってきた。

新井満は般若心経ばかりでなく、老子や良寛の漢詩、イマジンなどの自由訳も手がけている。般若心経の自由訳は10万部を突破したという。経典が翻訳されることによって仏教の復興が起こる可能性はないのだろうか。もっとも自由訳では木魚を叩きながら読経するには不便かもしれない。

 

第085話 外国人に日本語を教えてみると

人間は誰でもことばを話せる。学校で英語の成績の悪い生徒でも、成績の良い生徒でも同じように日本語でコミュニケーションできる。生れたばかりの赤ん坊は歯が生えていないが、やがて誰でも歯が生えてくる。それと同じように日本人なら誰でも母国語である日本語だけはしゃべれるようになる。学校で日本語の文法を習うとむずかしいが、赤ちゃんは日本語の文法を間違えることはない。日本人の子供は文法だけでなく、小学校に入るまでに既に約六千の語彙を覚えている。日本人は小学校に入るまでに、「見えない文法」を脳に蓄積している。

それに対して外国語として日本語を習う人は大変である。毎日なにげなく使っている日本語を外国人に教えてみると、普段は気がつかない日本語の特徴に気がつくことがある。例えば日本語では動物や人間のように生きているものと、無生物では動詞の使い方が違う。

○「います」と「あります」
  英語では「池があります」も「蛙がいます」も同じ動詞をつかう。

 There is a pond.
   There is a frog.

 ところが日本語では「池があります」、「蛙があります」では間違いである。

 ○ 池があります。
 × 蛙があります。

 日本人なら誰でも小学校へ入るころまでにはこんな間違いはしない。しかし、英語を母国語とする 人はまず、この違いを覚えなければならない。ところが、それで終わりではない。

  This is a book.
    This is a dog.

 この場合はどうだろうか。この場合は「これは本です」「これは犬です」でよい。

 ○ これは本です。
 ○ これは犬です。

 誰でも知っている日本語でも外国人に「なぜ」と聞かれると答えに窮することが多い。

 ○助詞の使い方。「に」と「で」

 「教室に机があります」There is a desk in the classroom.
  「教室で勉強します」We study in the classroom. We study at school.

 英語ではinであらわすところが「に」になったり、「で」になったりする。日本語を習い始めたば かりの外国人は「教室で机があります。」「教室に勉強します。」というかもしれない。そこで「に」は存在をあらわし、「で」は動作をあらわす、などと説明することになる。

○助詞の使い方。「は」と「が」
  日本語の助詞「は」と「が」の使い方も外国人にとってはむずかしい。

 いつが誕生日ですか。(疑問詞が前)
  誕生日はいつですか。(疑問詞が後)

 頭が大きい(描写)、
  頭は大きく見える(説明・判断)、

 Aは好きだが、Bは嫌いだ(対比)

○助詞の誤用。
  外国人の日本語には助詞の誤用も多い。

 ×バスで乗って、
  ×朝に起きて、

 これは英語でいえばby bus, got up in the morningであろうが、英語を直訳しただけでは日本語にならない。英語の表現と日本語の表現は1対1で対応しているわけではない。

○形容詞の使い方
  ここに二つの文章がある。

 「この部屋は静かです」
  「この部屋は広いです」

 これは英語ではつぎのようになる。

  This room is quiet.
    This room is wide.

 さてこれを過去形にしてみたらどうなるだろうか。

 「この部屋は静かでした。」
  「この部屋は広かったです。」

 この場合、「この部屋は広いでした。」でしたでは日本語として×である。

  ○この部屋は静かでした。
  ×この部屋は広いでした。

 さらにこれを否定形にするとどうだろうか。

 「この部屋は静かでは(じゃ)ありません。」
  「この部屋は広くありません(広くないです)。」

 この場合も「この部屋は広いありません。」では日本語にならない。外国人に日本語を教えるとき は「静か」はナ形容詞、「広い」はイ形容詞として区別して教える。日本語の文法では「静か」は形 容動詞であり、「広い」は形容詞とされている。しかし、英語には形容詞と形容動詞の区別がないか ら、「苦い」の否定形は「苦いじゃない」、過去形は「苦いでした」となってしまうことが多い。

 ○「、、、ている」
 英語の文章では一つの文章に動詞はひとつしかない。しかし、日本語では「行ってくる」とか   「座っている」とか、「て」でつなげば動詞をふたつ重ねることができる。しかし、この「て」の  つなげかたがまたやっかいである。同じ「きる」でも「切る」と「着る」では活用のしかたが違  う。「切る」は「切っている」となり、「着る」は「着ている」となる。また、「ねる」の場合  も、「練る」は「練っている」、「寝る」は「寝ている」となる。なぜだろうか。

  ここにもいくつかの複雑なルールがあるようである。佐々木瑞枝の『日本語を「外」から見る』   (小学館新書)によるとルールは七つもある。

  ルール� 屬Α△帖△襦廚能�わる動詞は「って」になる。
      例:買って、打って、取って、
  ルール�◆屬燹△屐△漫廚能�わる動詞は「んで」になる。
      例:噛んで、結んで、死んで、
  ルール��「す」で終わる動詞は「して」になる。
      例:隠して、直して、
  ルール�ぁ屬�」で終わる動詞は「いて」になる。
      例:聞いて、書いて、
  ルール�ァ屬亜廚能�わる動詞は「いで」になる。
      例:急いで、漕いで、
  ルール�Π戝奮萢僂瞭飴譴蓮屬襦廚鮗茲辰董屬董廚鬚弔韻襦�
      例:似て、着て、寝て、
  ルール��変格活用の動詞は「来る」「する」で個別に覚える。
      例:来る→来て、する→して、

 ○「ている」は進行形ばかりでなく、いろいろな場合に用いられる。

1.動作の進行中。
    例:勉強している、寝ている、
  2.動作の結果の状態が今。
    例:目の前にある、ふたが開いている、閉じている、
  3.元からの状態を示す。
    例:似ている、
  4.過去の経験。
    例:前にも来ている、
  5.繰り返しの動作。
    例:毎日通っている、

 外国人の日本語には時制の誤用も多い。

  ×家を出た前に、

 日本語では「家を出る前に」となる。しかし、「なぜ」と聞かれると「はてよ」ということになる。論理的には「家を出た前に」も正しいような気がしてくる。英語ではbefore I left homeとなる のかもしれない。しかし、それは日本語の論理ではない。

 日本語の時制と英語の時制とは同じではない。

 ○Aは中学生のときにBと出会った。
 ○Aは中学生のときにBに出会う。

 ×A meets B when he was in the high school.
 ○A met B for the first time when he was in the high school.
 ○A came to know B when he was a high school boy.

 日本語では「出会った」という過去の事実が現在も事実であるときは現在形を使うこともある。

○ 敬語はむずかしい。
 日本語の敬語の使い方はむずかしいといわれている。朝鮮語などのように敬語が発達している言語 を母国語とする学生はともかくも、英語などヨーロッパの言語を母国語とする学生にとっては特に 難題である。

 「いる・いらっしゃる」、「いう・おっしゃる」、「する・なさる」、「たべる・めしあがる」、
  「やる、あげる、差し上げる」、「くれる、くださる」、「もらう、いただく」

 これらは個別に覚えるよりしかたがない。

 ×「先生は私に傘をかしました」
  ×「彼は車で私を駅まで送りました」

 日本語ではだめな表現も英語では正しい。

 ○My teacher rent me an umbrella.
 ○He took me to the station by car.

○ ていねい語もむずかしい。
   ていねい語の「お」や「ご」の使い方にはある程度の規則性がある。和語には「お」、漢語には  「ご」をつける。

 「お」、お話なさる、お読みください(和語)
  「ご」、ご覧になる、ご卒業なさる、ご入場ください(漢語)

 しかし、「お礼」「お札」の場合はどう説明したらいいのだろうか。「お」や「ご」をつける語と つけない語の区別もむずかしい。

  ○ ご飯、お味噌汁、お豆腐、お酒、お醤油、
  × お人参、お納豆、おパン、おバター、

  学生:「先生、朝は『おはようございます』とていねいにいうのに、なぜ昼になると『おこんにち     は』とか『こんにちはございます』といわないのですか。」
  先生:「それはですね、、、、、」
  学生:「先生、お医者さまには『お医者さま』とか『お医者さん』というのに、なぜ先生には『先     生さま』とか『先生さん』といわないのですか。」
  先生:「それはですね、、、、、」

  敬語や謙譲語が発達している朝鮮語などを母語とする学生にとっても日本語の敬語はむずかしいよ うである。儒教の影響の強い韓国では父母や先生、医者などにたいしては日本語よりていねいな敬語 を使っているからである。

 ○ 日本語の数詞
 日本語には和語と漢語があり、使い分けられている。数詞にも漢語と和語が使われている。 一(イチ・ひとつ)、二(ニ・ふたつ)、三(サン・みっつ)などである。しかし、どの場合に和語 を使い、どこで漢語を使うかは慣用によることが多く、なかなか外国人には説明しにくい。

  例:四時(よじ)、四分(よんぷん)、四月(しがつ)、四日(よっか)、

 これらは慣用として個別に覚えてもらうよりほかに方法はない。

 ○ 日本語の論理と英語の論理
 日本語は日本語の論理で世界を切り取り、英語は英語の論理で世界を切り取っている。日本では信 号は「青」だが、英語ではgreenである。日本語の「緑」は牧場の「緑」である。英語のcoldやhot も日本語には直訳できない。

  The water is cold.<冷たい>
   The weather is cold.<寒い>

  The weather is hot.<暑い>
  The pepper is hot.<辛い>

 英語のcoldやhotがカバーしている意味の範囲と日本語の「冷たい」、「寒い」、「暑い」などがカ バーしている範囲とは重なっている部分もあるが、同じではない。

 英語では水はwater、お湯はhot waterであり、水もお湯もwaterの下位分類になる。冷たい水という ときにはcold waterとなるが、日本語では水とお湯は別の分類である。

 兄弟・姉妹も英語ではそれぞれbrotherでありsisterだが、日本語では自分より年上か年下かによって 兄・弟、姉・妹と別の単語が用意されている。英語では兄はelder brother或いはbig brother、弟は   younger brotherでありbrotherの下位分類だが、日本語では兄弟、姉妹のほうが複合語である。

 家畜の名称も英語では雄雌の区別がある。日本語の牛にあたることばは英語ではox(労役用・食用 の去勢した雄牛)、cow(雌牛)、bull(去勢してない雄牛)となる。豚もpig(子豚)、swine(集 合的に「豚」)、hog(豚pig,sow,boar,swine)、sow(成熟した雌豚)、boar(去勢してない雄  豚)となる。鶏もchicken(生後1年以内の鶏)、hen(めんどり)、cock(おんどり)である。

 日本語の肉(にく)は中国語からの借用語である。古語では「しし」である。英語では肉も牛肉は  beef、豚肉はporkである。英語のbeefはフランス語のbeufからの借用語であり、porkもフランス語 のporcからの借用語であり、食用になると借用語になる。英語では牧場にいる羊はsheepであり、 羊の肉はmuttonといわれるが、フランス語ではいずれもmoutonと言われる。Beefもporkもmuttonも 1066年のノルマン征服によって英語にもたらされたことばであるという。

 鳥のトンビは英語ではkiteである。Kiteはまた「凧」でもある。英語では鳥のトンビと「凧」に同じ単語を用いる。鳥の名前が先にあり、「凧」はトンビになぞらえて名づけたものらしい。たしかにトンビが空を滑空している姿は凧」ににている。ことばは類推で広がっていく。それぞれの言語には数千年にわたることばの歴史がこめられている。だから、ことばは論理だけでは理解できない。

 

[日本語の系統]

第086話 日本語の系統論

 世界には5000を超える言語があるという。そのなかで日本語はどこに位置づけられるのだろうか。日本語の起源をたどることは、日本人のルーツを遡るという難題に直面せざるをえない。しかも、その歴史は、日本という国家が成立するはるか以前に遡る。日本語の系統については大きく分けて二つの考え方がある。ひとつは北方起源説であり、もうひとつは南島起源説である。

北方起源説では、日本語はモンゴル語や朝鮮語とともにアルタイ系の言語であると考える。日本語と朝鮮語が同系であるとする白鳥庫吉や金沢庄三郎の説もこれに属する。朝鮮語学者の金沢庄三郎は『日韓両国語同系論』(明治43年)のなかで「韓国の言語は、わが大日本帝国の言語と同一系統に属するものにして、わが国語の一分派たるに過ぎざること、あたかも琉球方言のわが国語におけると同様の関係にあるものとす」としている。金沢庄三郎は日本語が本家で朝鮮語が分家であると主張している。明治43年初版といえば、日本が韓国を植民地として支配した、日韓併合の年である。こうした考え方は、日韓併合にも政治的に利用されるところとなった。

戦前は日本語アルタイ系説が主流で、新村出の『国語系統の問題』(1911)、金田一京助『国語史系統論』(1938)などがアルタイ説を支持している。国語学者の橋本進吉は、アルタイ系言語にみられる母音調和が、奈良時代の日本語にもあることを発見して、日本語アルタイ系説をさらに裏づけた。

戦後は南島起源説が多い。南島起源説には古くは泉井久之助の説があり、村山七郎、川本崇雄、松本信宏、土田滋、崎山理などが支持している。朝鮮語と日本語は共通の語彙が少ないのにたいして、オーストロネシア系(南島系)のことばのなかには日本語と似た単語が多いという。また、安本美典はビルマ語、カンボジア系、インドネシア系の語彙との関係を指摘し、西田竜雄はチベット・ビルマ語と日本語の語彙の類似を指摘している。

日本語の音節が母音で終る開音節であるのは、オーストロネシア系の言語の影響であると南方起源説は主張する。さまざまな研究者が日本語の語彙と関係のあると思われる語彙をランダムに指摘している。人体に関係のある語彙は言語にとって基本的な要素であり、借用されることは少ないとされている。その人体に関する語彙を南島語のなかに探してみると、つぎのようなものがあるという。

 目mata(インドネシア語、マライ語、フィジー語、サモア語)、目maas(トラック諸島語)、
鼻panga(タガログ語)、口gutu(サモア語)、口nutu(マオリ語)、
のどnunsu(マライ・ポリネシア語)、

大野晋は1957年に『日本語の起源』(岩波新書)を出版してベストセラーになった。1957年版の『日本語の起源』で大野晋は日本語アルタイ語系説を展開している。しかし1990年代に入ると大野晋は日本語タミル語起源説に変ってしまった。大野晋は『日本語の起源』(旧版)を絶版にして、新たに『日本語の起源』(新版)ではインド南部やスルランカの一部で話されているタミル語と日本語の類似を指摘している。

大野晋は『日本語以前』(岩波新書)のなかで「もし仮に中国の雲南に、あるいはアジアの西部に一つの(原日本語・ドラビダ語というべき)中心があったとすれば、一つの波は東進して日本に着き、南進したものはインド大陸に進み入ってそこに広まった」という仮説を立てているところから判断すると、タミル語やドラビダ語が日本語の祖語だと主張しているわけではない。どちらが本家、分家といっているのではなくて、タミル語の属するドラビダ語族という系統の言語があって、日本語もタミル語もそれがおそらくはもはや存在しない何らかの共通の祖語から発展してきたのだと主張しているようである。

インド南部、および、北部の小さな飛び地ではタミル語が使われている。印欧語族に属する部族がインド亜大陸に来襲する以前には、インド亜大陸の大半ではタミル語が使われていたと考えられている。タミル語と日本語が同系だという説は定説にはなっていないが、アルタイ系説にたいするアンチ・テーゼとして受けとめられている。

また最近では、日本語多重構造説が登場して、南方説と北方説を整合的に統合しようとする試みも行なわれている。日本語は南方系だが、そのうえに北方系の要素がかぶさった、とする説である。日本語多重構造説にも2説あって、一方は南方語が基層だと考えるみかたであり、もう一方は北方語が基層だと考える。

南方語基層説では、縄文時代の日本ではオーストロネシア系の言語が話されていたが、縄文晩期から弥生初期にかけて朝鮮半島を経てアルタイ系言語を話す人々が渡来して、アルタイ語の文法構造のなかにオーストロネシア系の縄文語の語彙を取り入れて日本語が成立したとする。

北方語基層説では、日本列島では縄文時代まではアルタイ系の言語Aが行われていた。そこへ、優れた稲作文化を担った南島語族が入ってきて、言語Bをもたらしたと考える。

言語は接触によっても近隣の言語の影響を受ける。大航海時代以降はヨーロッパの言語がアフリカ大陸や南北アメリカ、太平洋の諸島やカリブ海諸島でも話されている。日本語のなかにも英語の語彙がたくさんはいってきている。

人類の歴史のなかで人間が言語を獲得したのは10万年前のことだと考えられている。しかし、そのなかで文字としてことばが記録に残されているのは最も古いものでも数千年前のものにすぎない。文字として刻まれた言語の歴史には欠落があり、文字資料だけから言語の起源にいたる歴史をしることはできない。人類はアフリカ大陸に発生して世界に広がっていったというのが現在の学界の通説である。人類は古い時代から旅をし、民族移動を繰り返してきた。農耕生活がはじまり、人類が定住をはじめる以前の世界では、移動が常態であったといえるかもしれない。日本列島に住むようになった人々も日本列島にきてからことばを話すようになったわけではない。日本列島へたどりつく前にさまざまな言語の人びとと接触し、その言語の影響を受けてきたに違いない。

言語の系統論は生物の進化論の影響を受けて19世紀に確立された。生物の系統図は下等生物を底辺として人間を頂点として描かれている。言語も自然淘汰によって生成し、優れたインド・ヨーロッパ語族がその頂点にたっている。言語の優越性が民族の優越性の根拠とされた。ユダヤ人の言語であるセム語はインド・ヨーロッパ語族の外におかれ、言語による民族差別に利用された。しかし、民族と言語の起源を同一視することはできない。生物は異種交配をせず、突然変異によって進化するが、人間の獲得物である言語は貸し借りされうる。言語の生成を系統樹によってのみ説明することはできない。言語の系統樹説にたいして、言語の伝搬を重く見る波動説も無視することはできない。

日本語の周辺には、朝鮮語、中国語のほかにも、アイヌ語、南島語(オーストロネシア語)などがあり、日本語がその影響を受けていないとはいえない。しかし、日本人は中学校から義務教育で英語は習っているものの、朝鮮語やアイヌ語については基礎的知識しかないのが実情である。ましてや、日本語とタミル語が類似しているといわれても、その輪郭すらつかむことができない。以下の夜話では、朝鮮語、アイヌ語、チャモロ語(グアム、サイパンの言語)、台湾原住民の言語、それにタミル語について、日本語との関係をどこが似ていて、どこが異なるのか、言語形態を類型としてとらえてみることにする。

 

第087話 日本語とアイヌ語

 アイヌ語はかつて日本列島で東北から北海道にかけて、かなり広い範囲で話されていた。しかし、現在では日常生活には使われておらず、数少ない古老の記憶のなかだけに残された言語になっている。「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」を意味する。「イヌイット」がエスキモーのことばで「人間」を意味するのと同じである。

われわれが知っているアイヌ語といえば、カムイ(神)、シャケ(鮭)、コタン(村)、イタコ(云う)くらいである。恐山の「イタコ」はアイヌ語の「云う」からきているという。金田一京助、知里真志保の『アイヌ語法概説』(岩波書店)によると、アイヌ語は、つぎのような言語である。

poro  chise ta horari.
  大なる 家  に彼住めり

poro pet kotan un arpa.
  幌別  村  へ 彼行く

meko seta orowa a-nospha.
  猫が 犬 に追われる

tampe huchi ku-kore na.
  これ  祖母さんに 私上げる わ

管見しただけで、日本語とはかなり違う言語であることがわかる。アイヌ語は抱合語といわれ動詞のなかに代名詞を包み込んでいる。Horari(彼住めり)、arpa(彼行く)、ku-kore(私―上げる)のように動詞にはその主語や目的語が接頭辞などとして明示されている。語彙もかなり隔たりがある。

目shik、鼻etu、耳kisar、頭sapa、顔nan、手tek、犬seta、猫meko、山 nupuri、ことばitak、

神の国kamui-kotan、人間の国ainu-moshir

神kamui、手tek、猫meko、など日本語と似た語彙もあるが、借用語である可能性がある。引用は断片的にならざるを得ないが、もう一つだけ引用すると、つぎのよう例もある。

 ekashi   nina kusu ekimun oman.
  爺さんは 柴刈り に  山へ  行き

huchi ihuraye kusu pet otta san.
  婆さんはせんたくに  川  へ  行った

東京帝国大学教授だったチェンバレン(Basil Hall Chamberlain)は、明治20年(1887)に「アイヌ研究からみた日本の言語・神話・地名の研究」を発表して、アイヌ語は日本語とは系統の異なる言語であると論じた。その後、金田一京助は昭和12年(1937)に、「国語とアイヌ語との関係――チェンバリン説の再検討――」という論文を発表して、つぎのように述べている。

国語とアイヌ語とは、系統上、如何なる関係に立つ言語であろうか。チェンバリン教授は、半世紀の昔に、これを無関係の言語であると断じて、はっきりとその証拠を提示されたのであるが、爾来幾多の学者が、幾度もこの問題を取扱いながら、曾てチェンバリン説を支持したものを聞かず、さりとてまたこれを論破した学説のあることを聞かないのである。然しながら、いつまでも、そのままに放置して居るべきものではなく、そろそろ始末を附けてよかるべき時代に達しているのであろうかと思うので、聊か所見を開陳しておくべき次第である。(『アイヌ語研究』p.363)

アイヌの叙事詩ユーカラを研究した金田一京助の結論は、つぎのようなものであった。

 してみればお互い、相隣りながら、太古以来かかる別々の構造の言語を以て生きていたのであ る。有史以前からの接触であるから、この正反対に、沢山の類似が相互の間に生じても不思議が 無いことであるに係わらず、截然として全くちがう色彩をして相臨んでいるということは、必 竟、両国語は本源のちがう言語だということに帰着せざるを得ないのである。この点、チェンバリン教授が半世紀前の断案は、今日に及んで、終に微塵も憾ぐところが無いのである。
実をいえば、アイヌ語は日本語と関係があってくれたら好いのである。若し同じ元から分かれた姉妹語ででもあってくれたら、この間に比較言語学が有望になって来、それに由って、分岐以前の日本語、即ち文献も金石文も遺らぬ悠久な太古日本の言語へ溯って行くことが出来て、アイヌ語の研究も、今あるより、より遥かに興味多いものとなって来る筈である。だが遺憾ながらその関係は、終に無いということに結着するのである。欲すると欲せざるとに係わらず、それが事実であるから、真理の前、また如何ともしがないのである。(『アイヌ語研究』p.376)

アイヌ語は人称名詞が発達していて、一人称複数に我々(あなたを含む)、と我々(あなとを含まない)の区別がある。これはイヌイットやアメリカ・インディアンの言語と共通の特色である。

 例:我々(あなたを含む)aokai、   我々(あなたを含まない)chiokai

アイヌ語は抱合語と呼ばれる言語である。抱合語はベーリング海峡から、北アメリカ、メキシコにかけて広がっている言語の特色である。イヌイット(エスキモー)の言語は典型的な抱合語である。ヨーロッパではスペインの一部で話されているバスク語がこのような特色をもっているという。抱合語では「誰が」、「誰を」あるいは「誰に」という関係を接辞によって明確に示す。

 例: 我が・君に・与える a-e-kore
  我が・彼に・与える a-kore
   君が・私に・与える e-i-kore
 君が・彼に・与える e-kore
  彼が・私に・与える i-kore
  彼が・君に・与える e-kore

 このような違いにもかかわらず、最近では哲学者の梅原猛は日本語アイヌ語同系論を展開している。また、現代におけるアイヌ語研究の第一人者である田村すず子も、アイヌ語は日本語にむしろ似ている点も多い、としている。アイヌ語にはまた、朝鮮語の要素をもつものが「群をなして」みいだされるという。たしかに、アイヌ語は語順は日本語とほとんど同じである。修飾語は被修飾語の前に置かれる。日本語と違った点は、否定の表わし方で、「〜しない」という否定形が動詞・動詞句の前に置かれる。数詞は20進法である。古代日本語や朝鮮語と違ってr音が語頭にたつ、などの点である。

アイヌ語は南島のオーストロネシア語と関係があるのではないか、という興味深い説が村山七郎によって提起されている。(村山七郎『日本語の比較研究』三一書房ほか)また、それを裏づけるかのような見解も発表されている。人類学者の埴原和郎は「骨から古墳人を推理する」のなかで、つぎのように述べている。

第一に、アイヌはいまも一部で信じられるようなコーカソイド(白色人種系統)ではなく、モンゴロイドに属する人たちである。第二に、アイヌはシベリア方面に住んでいるような寒冷地民族ではなく、むしろ南方系の原モンゴロイドに近い。そして第三に、アイヌは縄文人にもともよく似ていることから、弥生時代以後の渡来者の影響を受けることなく、縄文人がそのまま小進化した集団と考えられる。(中公文庫『日本の古代5』p.170)

さらに、埴原和郎は頭骨の形態の比較などから、「アイヌ・沖縄同系論」を支持している。

幕末から明治初年にかけて来日したシーボルト父子は、アイヌ・琉球同系論を主張したが、思えばこれは卓見であった。この説は、その後長い間埋れたかたちになっていたが、シーボルト説を、あらためて“発掘”すべきだと思う。私自身のデータを含めて、やはりアイヌと琉球人には共通する特徴が多いのである。
例えば歯の形態や頭骨の形態について、多変量解析を行うと、この両者は必ずといってよいほど高い類似性を示し、しかも縄文的伝統を残していることが分かる。(中略)もちろん、アイヌと琉球人とは、それぞれ異なる歴史を歩んできた。そのため、文化の面では、両者は大きく違っている。共通することは、水田稲作の弥生時代がなかったこと、その後も古墳文化が及ばず、律令体制の外に置かれ続けたというネガチブな点だけであろう。(『日本人の起源(増補)』p.212)

 アイヌ人は縄文土器をもたない縄文時代人であり、沖縄人は弥生文化をもたない弥生時代人であった。縄文時代に北海道、東北にアイヌ人が暮らしていたことは明らかだが、アイヌ人が縄文土器を製作した痕跡は残されていない。アイヌ人は12世紀に入ってはじめて独自の文化を形成するにいたった。

琉球列島には縄文時代に早くから人が住み着いていたことは疑いない。しかし、本土が弥生時代の波に洗われていたとき、琉球は縄文晩期を迎えていた。

 縄文時代の日本列島で南島系(オーストロネシア系)の言語が話されていたとすれば、アイヌ人も沖縄人も、後に弥生文化を受け入れた縄文人も、みな縄文時代には南島系言語を話していたことになり、アイヌ語と日本語は同系だということになる。しかし、縄文時代のことばが弥生時代以降も受け継がれたという証拠はない。

一方、日本列島には縄文時代からアルタイ系言語Aを話す人と南島系言語Bを話す人が住んでいて、そこに弥生時代になってアルタイ系言語Cを話す人々が渡来したとすれば、縄文時代の日本列島には、アルタイ系言語Aを話す人と南島系言語Cを話す人の二群が同居していたことになる。日本語はアルタイ系言語Aのうえにアルタイ系言語Cがかぶさった言語だと考えることもできるし、南島系言語Bのうえにアルタイ系言語Cがかぶさった言語だと考えることもできる。

アイヌ語は南島系言語Cの末裔であり、南島系言語はアリューシャン列島からアメリカ大陸に広がりアメリカ・インディアンの言語ともつながりをもつ、環太平洋に広がる言語の一環であるということになる。アイヌ語と日本語が似ているところがあるとすれば、日本列島にアルタイ系言語Bを話す人々が入ってくる前に南島系言語Cを話す人たちが住んでいて、その痕跡が現代の日本語にも残されているからだ、ということになる。

縄文時代は1万2千年前から約1万年の長きにわたる時代である。縄文時代の日本語を探求することは、弥生時代の日本語を復元することよりも一段と困難である。「やまとことば」のなかには、狩猟採集生活の痕跡を残す語彙が驚くほど少ない。動物の内臓などに関する語彙も希少であり、弥生語と縄文語の間に断絶があるのではないかという問題は解決されていない。

世界の言語で系統論の立証に成功しているのは、いずれも古い言語資料が残っている言語である。インド・ヨーロッパ語族の解明が19世紀に進んだのも、サンスクリットの古い文献が残っていたからである。インド・ヨーロッパ語族についで解明が進んでいるのはセム語族である。セム語族に属するアッカド語は紀元前2300年代のタブレットがたくさん残っている。それ以降も古代バビロン、シリア、メソポタミアと続く。

日本語や周辺の言語は中国語を除いて残念ながら古い時代の文字記録を残していない。縄文時代は文字の記録を残していない。アイヌ語も文字をもたなかった。そこで、考古学資料や形質人類学の成果を援用して日本語の源流を探り当てようということになるのだが、言語の歴史は言語史料によってしか解明できない。言語の歴史を現在に残されたわずかな資料だけから解明することは、そう簡単ではない。

 

第088話 『アイヌ神謡集』を読む

ユカラをアイヌ語で読んでみたいという気持ちになることがある。しかし、新しい言語を学ぶとなると3年間はかかることを覚悟しなくてはならない。金田一京助と知里真志保の『アイヌ語法概説』やバチェラーの文法書や辞書も手に入る。三省堂の『言語学大辞典』はアイヌの項だけで90ページ近くを費やしている。しかし、文法書というのは概して血沸き心躍る読物ではない。日本語を母語としながら、学んだのはヨーロッパの言語ばかりで、アイヌ語も韓国語も中国語も知らないのは少しおかしいのではないかと自分自身のことばの姿勢に疑問をもつことがある。

『アイヌ神謡集』は名著として誉れ高い。しかし、それを日本語で読んだのではアイヌ語のリズムや美しさは伝わらないのではないかという思いがある。そこで出会ったのが知里幸恵著訳・北道邦彦編注の『注解 アイヌ神謡集』(北海道出版企画センター)である。この本はアイヌの詩がローマ字とカタカナで表記されていて、日本語訳が一行ごとに対訳になっている。昔、英語を勉強していたころ映画のシナリオを対訳にしたものを使って生きた英語を勉強しようとしたことがあった。あれと同じ形式である。しかも、反対側のページには単語の説明や文法の解説があって辞書なしで、アイヌ語の詩を味わえる。

『注解 アイヌ神謡集』は題名のとおり、知里幸恵の『アイヌ神謡集』の対訳に注釈をつけたもので、英語の教科書でいえば虎の巻のような作りになっているのが独学者にはありがたい。例えは、有名な「銀の滴降る降るまわりに」はつぎのようになる。

    “sirokani pe ranran   piskan,
  白金 水 降る降る〜まわりに

   konkani pe ranran piskan”
  黄金  水 降る降る 〜まわりに
○主格の助詞はない。

   ari an rekpo
  〜と ある 歌
○an(ある、いる)単数、okay(ある、いる)複数

   ci=ki kane
  私=をする 〜しながら

   pet esoro
  川  に沿って

   sap=as        ayne,
  川下に向かって=私 〜したあげく

   aynu      kotan
  アイヌ(人間) 村

    enkasike
  〜の上

   ci=kus     kor
  私=〜を通る 〜しながら
○動詞には、現在、過去、未来の区別はない。

    sicorpok       un
  自分(si)の下(corpok) 〜へ

   inkar=as  ko
  見る=私  〜する
○ikarは自動詞(見える)、他動詞はnukar(見る)。

   teeta wenkur,
  昔  悪い/貧しい(wen)人(kur)

   tane nispa ne,
  今  金持ち 〜である。

   teeta nispa ne
  昔  金持ち 〜である

   tane wenkur ne
  今  貧しい人  〜である(になる)。

   kotom    siran.
  〜のように 〜である

 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに。」と云う歌を私は歌いながら流れに沿って下り人間の村の上を通りながら下を眺めると昔の貧乏人が今お金持ちになっていて昔のお金持ちが今の貧乏人になっている様です。

第1話 梟の神が自ら歌った謡「銀の滴降る降るまわりに」はつぎのように展開する。

フクロウの神である「私」が、人間のうえを飛んでいると、子どもたちが弓矢で私を射ようとした。金持ちの子どもたちの矢を避けて、仲間はずれの貧乏人の子の矢にみずから当たる。貧乏人の子は私の死体を自分の家へ持ち帰る。
 老夫婦が家から出てきて私をていねいに出迎えてくれた。そして「今日は遅いから明日(神の国 へ)お送りしましょう」と私を神窓のしたに置いて寝てしまった。
 私の魂は真夜中に起きあがり、家のなかを飛びまわり宝物でいっぱいにした。そして、りっぱな大きな家に作りかえた。
 夜が明けて家の人びとは起きてみて驚き、私を送るためにイナウや酒を作り村の人びとを招く。人々は家を見て腰を抜かす。
 主人が「大神様のお恵みをいただいたのだから、これからは仲良くしたい」と述べると、人々も今まで貧乏人を差別していたことを謝し、酒宴は盛りあがった。
 人々が仲良くなったのを見て、私(の魂)は安心して神の国へ帰ってきた。私は人間たちから贈られたイナウや美酒で神たちを招いて酒宴を開いた。一部始終を話すと神たちからほめられた。私は今も人間の国を守っている。

このような神謡が13編おさめられているのである。心躍る教科書である。普通の教科書では第1課でならったことがらは第2課にでてくると、もう既知のこととして繰り返さないものだが、この『注解 アイヌ神謡集』では第13課にいたっても、an(ある)、ne(〜である)といように繰り返し注釈が出てくるから、頻度の多い単語は自然に覚えられる仕組みになっている。これなら『アイヌ神謡集』を読むためにだけでも、アイヌ語を習いたいという気持ちになってくる。

『アイヌ神謡集』をとおして、アイヌ語の特徴がだんだんと分かってくる。アイヌ語の語順は日本語と同じく主語+目的語+動詞である。ところが、日本語とはかなり違った構造をもった言語である。アイヌ語は動詞のなかに人称接辞が抱合される言語である。普通言語は日本語のように名詞に助詞がついて格を示す膠着語、名詞や代名詞の屈折によって格変化を示すラテン語のような屈折語、中国語のように助詞も屈折も使わず語順で関係をあらわす孤立語の三つに分類されるが、アイヌ語はエスキモー・アリュート語などとともに抱合語あるいは複総合的(Polysynthetic)言語だという。

巻末の解説編をみると、アイヌ語は日本語のように名詞の後に助詞がついて格を示すのではなく、動詞に人称接辞がついて格関係を示す。 見る(nukar)という動詞について見てみるとつぎのようになる。

  単数 複数
  主語 目的語 主語 目的語
1人称 ku=nukar en=nukar ci=nukar un=nukar
2人称 e=nukar e=nukar eci=nukar eci=nukar
3人称 nukar nukar nukar nukar
不定人称 a=nukar i=nukar a=nukar i=nukar

on-menoko hekaci nukar.
 娘が(主格) 少年を(目的格) 見る

Toan hekaci en=nukar.
 あの 少年は(主格) 私を(目的格)見た。

Toan hekaci un=nukar.
 あの 少年は(主格) 私たちを(目的格)見た。

Toan hekaci e=nukar.
 あの 少年は(主格) あなたを(目的格)見た。

Toan hekaci eci=nukar.
 あの 少年は(主格) あなたたちを(目的格)見た。

Toan hekci nukar.
 あの 少年は(主格) 彼を(目的格)見た。

Toan hekaci nukar.
 あの 少年は(主格) 彼らを(目的格)見た。

Toan hekaci i=nukar.
 あの 少年は(主格) ある人を(目的格)見た。

Toan hekaci i=nukar.
 あの 少年は(主格) ある人たちを(目的格)見た。

また、自動詞の場合の人称表示についてmina(笑う)で見てみるとつぎのようになる。

  単数 複数
1人称 ku=mina mina=as
2人称 e=mina eci=mina
3人称 Mina mina
不定人称 mina=an mina=an

 抱合語はシベリア東北部のチュクチ語、アリュシャン列島からカナダに広がるエスキモー・アリュート語、北米インディアンのナバホ語、スー族のダコタ語・アイオア語、イロコイ語、モホーク語、シャイアン語などがある。ヨーロッパではスペインとフランスの国境で話されているバスク語が抱合語である。フィンランド語、ハンガリー語も抱合的言語であるという。アフリカ大陸ではバンドウ語があり、北オーストラリアのアボリジニーの諸語も抱合語であるという。

言語の特徴は系統樹だけでは説明できず、近隣の言語からの影響だけでも説明しきれない何かをもっているようである。抱合語は世界中の飛び地に広がっている。そうなると、人間の言語には名詞と動詞の関係を示す方法にいくつかの普遍的な方法があり、ある言語は接頭辞によって、またある言語は接尾辞によって、またある言語は動詞に抱合された接辞によって、その関係を示す。またある言語は語順によってその関係を示す。言語にはいくつかの普遍的な文法の型が仕組まれていて、それぞれの言語はいくつかのパターンのなかから文法の型を選んでいるのではないか、と思われてくる。言語の分布は必ずしも系統によるものではなく、世界中に同じ類型の言語が分布していることを示唆しているかのようである。

 

第089話 日本語と朝鮮語

日本語は朝鮮語と語順も同じであり、敬語や謙譲語を多く使うことなど共通点が多い。しかし、日本語は朝鮮語と共通の語彙が200語くらいしか見出せないことが、日本語と朝鮮語を同系統とする説のネックになっている。また、日本語が開音節であり母音で終るのにたいして、朝鮮語は子音で終る音節が多いことも、日本語と朝鮮語の関係を疑問視させるひとつの要因になっている。しかし、朝鮮語も中国語との接触以前は開音節であった可能性もある。朝鮮語は子音で終る音節が次の音節の母音とリエゾン(連声)して発音されるから、聴覚印象はきわめて開音節に近い。

例: 私は na neun、 我々は uri neun、   母は eomeoni neun、
   本は chaek eun、地下鉄は jihacheol eun、風は param eun

朝鮮語では日本語の「〜は」にあたることばがneun とeunのふたつの形がある。前の音節が母音で終る場合はneun があらわれて、前の音節が子音で終る場合にはeun という形になる。朝鮮語はリエゾンするから、「本は」はchaek eun だがchae keun と聞こえる。これは「私は」のna neunや「我々は」uri neun と同じで母音で終っているような印象を与える。

このような現象は「〜は」neun・eun ばかりでなく、「〜を」reul・eul でも、「〜が」ka・i、「〜と」wa・kwa、「〜へ・〜で」ro・euro でも起る。朝鮮語はハングル文字で書けば、いかにも子音で終っている音節が多いようにみえるが、聴覚印象は開音節に近い。

朝鮮語を表記するために作られた文字ハングルは音節の末尾の子音を表記するように作られている。-p、-t、-k、-n、-m、-ingなどを表記する記号が用意されている。日本語の仮名では末尾の子音をあらわす文字は「ン」しかない。文字体系からみると日本語の音韻構造と朝鮮語の音韻構造はかなり違う。しかし、日本語の五十音図に「ン」が加えられたのは平安時代のことであり、古事記や万葉集には子音で終わる音節は使われていない。中国語からの借用語も金(かね)、浜(はま)のように母音を付加して日本語の音節構造に馴化させていた。

ハングルは15世紀、李朝時代にできたものである。その頃の朝鮮語には中国語からの借用語が多く使われていたからハングルは中国語からの借用語の韻尾を表記する体系になったと考えられる。朝鮮語も日本語も中国語と出会うまでは母音で終わる開音節の言語であった蓋然性がある。

日本語の語根が開音節かどうかということになると、これも議論のあるところである。大野晋は「万葉時代の音韻」のなかで、日本語の動詞の語幹が子音で終っている可能性を指摘している。

      未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
  有る(ラ変) ar-a ar-i ar-i ar-ru ar-ai ari-a
  咲く(四段) sak-a sak-i saki-u sak-ru sak-ai saki-a
  去ぬ(ナ変) in-a in-i ini-u in-uru in-ai ini-a
  為 (サ変) s-ö s-i si-u s-uru s-urai si-a
来る(カ変) k-ö k-i ki-u k-uru k-urai ki-ö
(大野晋『仮名遣と上代語』p.176〜より作成)

日本語が母音で終る開音節の構造であり、朝鮮語が子音で終る閉音節があるので、日本語の開音節構造は南島語と関係があるのではないかとされることがあるが、日本語の語幹は子音で終るという考え方もあり、朝鮮語もリエゾンして開音節に近く発音される、となると日本語と朝鮮語の関係はますます深いことになる。

ヨーロッパの言語でもイタリア語やスペイン語は開音節が多く、ドイツ語や英語は子音で終る単語が多い。しかし、いずれも同じインド・ヨーロッパ語族に属する。同じ系統とされるインド・ヨーロッパ語族のことばのなかにも開音節のことばもあり、閉音節のことばもある。開音節のことばと閉音節のことはは必ずしも系統の違うことばだということにはならない。

 

第090話 日本語とタミル語

 日本語タミル語同系論はほとんど大野晋の独壇場である。大野晋は戦後、日本語の起源を新しい視点で求めた先駆者のひとりであり、1957年に初版がでた『日本語の起源(旧版)』(岩波新書)は日本語起源論のランドマークでもある。その頃の大野晋は日本語アルタイ系説だった。その大野晋が、約半世紀にわたる日本語の起源を求める旅の末にたどり着いたのがタミル語である。
大野晋は『日本語以前』のなかで、タミル語の人体に関する語彙をとりあげて、日本語と対比している。注:ローマ字はタミル語とその意味、「 」は日本語である。

 タミル語              日本語
  mell-iyal 妻、女   「女、妻」、
  kat-ir 穀物の穂     「かしら」、
  ka-vul 頬、象の両顎  「顔」、
  tol 二の腕、肩     「手」、
  at-i 足         「足」、
  pal 歯         「歯」、
  tupp-al 唾     「唾」、 
  cuv-al うなじ、肩の上の部分、背後  「背」、
  mutt-u 痘痕、粒、水晶        「みっちゃ、あばた」、
  pakk-am肩から尻までの体側、近い所、「腋」、
 (『日本語以前』p.116〜より作成)

大野晋のタミル語説にはかなりの反論もあり、学会の定説になったわけではない。どうも言語学会あるいは日本語学会は言語の起源という実証不能な議論には原則としてかかわらないことになっているらしい。しかひ、名著『日本語の起源(旧版)』の著者が、前説をひるがえして、世に問うているのがタミル語同系説である。旧版の説が正しいのか新版の説が正しいのか読者としては知りたいところである。日本にいるタミル語の専門家の数は限られている。また、よほど大きな書店に行ってもタミル語の入門書を手に入れることはむずかしい。タミル語を知らない普通の人には反論のしようもないし、納得のしようもない。しかし、タミル語の専門家だけが議論に参加できるのであれば、タミル語説の議論が深まり、発展するみこみは全くない。

そこで筆者は蛮勇をふるって、現地チェンナイ(旧マドラス)で求めてきた。タミル語の入門書と辞書をもとに、タミル語と日本語の類似点と相違点について、独自に検証してみることにする。まず人体に関することばである。

体udal、頭thalai、額netri、顔muham、目kann、まつげkann myir、眉kann puruvam、目玉kann manhi、白目vallai vizhi、黒目karu vizhi、まぶたimai、頭蓋骨mandai odu、脳moolai、耳kaadhu、
鼻mookku、鼻の穴mookkuhduv、口vaai、上唇mel udhadu、下唇keezh udhadu、脣udhadu、
舌naakku、歯pal、顎thaadai、頬kannam、えくぼmuhaparu、首kazhuthu、背中muthuhu、喉thondai、肩thoal、胸maarbu、心臓irudhayam、肺nuraiyeeral、血iratham、腹vayirh、胴adi vayiru、手kai、 
手のひらullangai、臂muzhangai、手首manikattu、指viral、親指kaiperuviral、爪naham、腕bujam、 臍thoppul、腰iduppu、膝madi、脚kaal、ももthodai、ひざがしらmuzhangaal、足首kunukaal、
かかとkanukaal、ヒールkuthjkaal、足の親指ullangaal、つま先kaal viral、足paadham、
神経narambu、髪mayir、(”Learn Tamil in a Month”による)

もとより入門書のことであり不完全であるとしても、ここからはタミル語と日本語語彙との関係は、ほとんど見えてこない。さらに、辞書を引いてみると、大野晋が日本語の妻、顔にあたるとしているタミル語が載っている。manaivi=wifeやkavul=The cheeks.The jaws of an elephantという単語があることはある。しかし、タミル語のmanaivi が日本語の妻「め」とどのように音韻対応しているのだろうか、疑問になる。また、「象の顎」がなぜ、日本語の「顔」に比定されるのかはまったく不明である。

日本語とタミル語の語彙にはかなりの隔たりがある。だが、逆に文法構造には類似点がありそうである。

Nee   Enna  Seidhukondiruckiraai?
 あなたは 何を  しているか

 Naan Puththaham Padiththuckondiruckiraeni
 私は 本を    読んでいる

Un     Thambi  Engay  Poickondlruckiraan?
 あなたの 兄弟は どこへ  行くか

En   Thambi  Pillickoodam  Poickondiruckiraan
 私の 兄弟は  学校へ    行く

 タミル語の語順は日本語の語順と同じである。タミル語は膠着語であり、この点も日本語に似ている。しかし、タミル語はドラヴィダ語族のひとつであるというのが専門家の間では定説になっており、日本語がタミル語と同系であるということは、日本語はドラヴィダ語族に属するということになる。ドラヴィダ語族は北部インドにアーリア人が侵入したとき、南部の移動した人々の言語であり、反り舌音が発達していることでも知られている。日本語には反り舌音はない。

大野晋はチェンナイに滞在していて、現地で使われているタミル語が日本語と関係があるのではないかと思うにいたった。言語学者は南島に住むと南島語は日本語と関係があるのではないかと思い、ビルマ語を研究するとビルマ語と日本語の類似に気づく。アイヌ語を研究すると日本語とアイヌ語は関係があるのではないかと思う習性をもっているようである。それは日本語とその言語が似ているということなのだろうか、それとも言語というもののもっている普遍性に気づくということなのだろうか。

世界には5千ないし6千の言語があり、それが200を超える語族に分かれているという。ひとつの言語を習得するのには3年くらいの修行が必要であり、かりに言語学者が10の言語をマスターしようとすると30年もかかってしまうので、ひとりで世界の言語を鳥瞰することは不可能である。してみると、世界の言語と日本語との関係を知ろうとすれば、それぞれの言語の専門家の研究をもとにそれを検証してみるよりほかに方法はない。

それにしても、日本人によく知られている英語や中国語との類似を指摘する人はほとんど皆無であり、専門家の数も限られているレプチャ語やタミル語がひきあいに出されるのはなぜだろう。ここまでくると、言語の系統とは何か、言語が似ているとはどういうことか、言語が異なるとはどういうことか、というような神学論争の世界に入ってしまう。

 

第091話 日本に一番近い南島のことば〜チャモロ 語〜

日本列島の南に広がるミクロネシア(グアム・サイパンなど)、メラネシア(フィジーなど)、ポリネシア(サモアなど)、それにインドネシアからフィリピン、マレー半島に広がる地域で話されている言語は、オーストロネシア語(南島語)と呼ばれている。「オーストロ」とは「南の」という意味で、「ネシア」はギリシャ・ラテン系のことばで「島」である。したがって、オースロネシア語は南島語ということになる。その分布は、東はイースター島から、西はアフリカ沿岸のマダガスカルにいたる地域で、少なく見積もっても500を超す独立した言語が含まれている。そのなかの一つに、グアム・サイパンで話されているチャモロ語がある。

チャモロ族は紀元前1500年頃、アウトリガー・カヌーに乗って、この島にたどり着いたものと考えられている。アウトリガー・カヌーはポリネシア、ミクロネシア諸島にみられる丸木舟で、船体の横にフロートをつけてあるため安定性がよく、波を切って遠距離の航海をすることができる。オーストロネシア語を話す人々はアウトリガー・カヌーに乗って南太平洋の島々に広がっていったと考えられる。

グアム島は日本から一番近い南島で、飛行機で三時間で着く。現在グアム島の人口は約14万人で、そのうち約5万5千人がチャモロ語を話す。チャモロ語では「こんにちは」はbuenos dias、「さようなら」はadios で、いずれもスペイン語からの借用語である。グアム島は、現在はアメリカ軍の基地の島であるが、アメリカの委任統治地になる以前はスペインの植民地で、スペイン語が日常生活のなかに取り入れられている。日本語の語彙も、日本軍統治時代にとりいれられていて、denke(電気)、chirigame(ちり紙)、chimboko、chingchengなどが残っているが、日本語の影響は少数の語彙に限られる。日常使われているチャモロ語はつぎのようなものである。

「ご機嫌いかがですか」 Hafa dai、
  「ありがとう」 Si yu’us ma’ase、
  「小さい」 dikike’、「とても小さい」 dikikikike’ 、
  「大きい」 dankolo、「とても大きい」 dankololo 、
  「今何時ですか」 ki ora
  「私は銀行に行くところです」 Bai falak y banko、
  「私は仕事に行くところです」 Bai falak y checho、
  「私はお店にゆくところです」 Bai falak y tenda.、

チャモロ語については、ハワイ大学太平洋言語研究所が辞書と文法書を出版していて、その概要を知ることができる。”Chamorro Reference Grammar” by Donald M. Topping、”Chamorro-English Dictionary” by Donald M. Topping et alである。それを参考にしながら日本に一番近い南の島の言語を探ってみることにする。

Gafo’        椰子の実。木になっているほとんど熟していないもの。
   Kannu’on       熟して食べられる椰子の実
   Ma’son        青い殻をかぶった熟しかけの椰子の実
   Niyok        パーム椰子の木、または実。
   Niyok kannnu’on   熟した青い椰子の実。
   Pontan        熟して木から落ちた椰子の実。
  Tafu         腐りかけた椰子の実。椰子蟹釣りの餌に使う。

チャモロ語では、同じ椰子でも呼び名がいくつもある。しかし、日本語の椰子「やし」と近いことばはひとつもない。日本語の「やし」は中国語の「椰子」からの借用語である。

稲作が南の島から来たとしたら、稲作に関する共通語があるかもしれない。しかし、それもみあたらない。

Fa’li  稲、成長したもの
   Hineksa’  炊いたご飯
   Pugas  炊いてない米
   Hineksa’ agaga  赤飯
   Potu  餅
   Alaguan  かゆ
   Balensiana  スパニッシュ・ライス
  Fama’ ayan  田んぼ

チャモロ語には接頭辞、接尾語のほかに、接中語というのがある。例えば、-um- という接中辞が、単語の真中に入り込んでくる。Taotao(人)に-um-が入ってくるとtumaotao になり、dankolo(大きい)に-um-が入るとduma’nkolo になって、動詞のような機能をする。

例:Tumaotao  i    patagon.
   人になる(定冠詞)こども    =「こどもは成長した」

  Dum’ankolo   i    palo’an.
  おおきくなる(定冠詞) 女の人 =「女の人は太った」

南島語のもうひとつの特徴は焦点形と呼ばれる代名詞の強調形があることである。

例:Guahu      lumi’e’ i palao’an.
  私こそ(焦点形)見た (定冠詞)  女の人

  Hu        li’e’   i     palao’an.
  私は(非焦点形)見た (定冠詞) 女の人

チャモロ語の一人称代名詞はhu だが、guahu となると「私こそ、その人だ」という強調形になる。焦点形はフィリピンのタガログ語、イロカノ語、セブ語、台湾原住民の言語などマレー・ポリネシア系言語に共通してみられる。

チャモロ語の数詞は現在では、スペイン語からの借用語が使われている。しかし、宣教師たちが残した古い記録をみると、チャモロ語には今では忘れ去られてしまった固有の数詞があったことが判明する。

   1   2  3  4    5   6  7  8  9   10
 スペイン語 un(u) dos tres kuatro sinko sais siete ocho nuebe dies
 チャモロ語 hacha hugua tulo fatfat lima gunum fati gualu sigua manot

日本語にも「いち、に、さん」という中国語から借用し数詞と「ひ、ふ、み。よ、い、む、な、や、ここの、とお」という和語の数詞がある。しかし、チャモロ語の数詞は日本語の数詞とは何の関係もなさそうである。語順は日本語とはかなり違う。

Dankolo  si   Juan.
 大きい である ファンは

Hu   li’e’   i     dankolo.
 私は 見る(定冠詞) 大きい

Hu   li’e’   i   dankolo  na  taotao.
 私は 見る (定冠詞) 大きい (助辞) 人

このような例をみる限り、チャモロ語は日本の初期の文献である古事記、日本書紀、万葉集などのことばとは、何の共通点もなさそうである。しかし、それにもかかわらす日本の言語学者のなかには日本語南島語起源説をとなえる学者が多い。南島語は縄文時代には日本列島で話されていたのだろうか。

オーストロネシア語がマレー半島から南太平洋の島々で話されるようになったのは、そう古い時代のことではない。ミクロネシアのマリアナ諸島が最も古くて、約3千6百年前とされている。ポリネシアのイースター島に達したのがほぼ1千5百年前、ハワイへは1千4百年前にたどりついたと推定されている。

南島の航海者がアウトリガー・カヌーに乗って、日本列島にたどり着いたことがあるにしても、それは紀元前1千5百年以前のことではありえない。日本の縄文時代は1万2千年前から約1万年続いており、三内丸山遺跡にしてもいまから5千年前から4千年前までの遺跡であるとされているから、三内丸山遺跡を営んだ縄文人が南島語を話したということはありえない。もちろん、マンモス・ハンターたちの言語が南島語であったとは考えられない。

しかし、チャモロ語とアイヌ語の文法はかなり類似点がある。接頭辞、接尾辞などが多用される。一人称複数の代名詞には相手を含むものと、話相手を除外したことばがあるのも共通の特色である。

一人称複数 包括的(相手を含む「われわれ」):対立的(相手を含まない「手前ども」)
   [チャモロ語]   ta(hit) :   in(ham)
   [アイヌ語]   a-okai : chi-okai
注、チャモロ語には一人称複数を表わすことばは2種類あるので、( ) で示した。

 チャモロ語とアイヌ語では、語彙はかなり違うが、文法構造は似ているところもある。アイヌ語と南島語との比較研究はまだ進んでいない。アイヌ語の研究者はチャモロ語については知らず、チャモロ語の研究者はアイヌ語についての知識がないのだから比較しようもない。しかし、アイヌ語は沖縄語と類似していると指摘する学者もあり、アイヌ語―沖縄語―南島語を結ぶミッシングリングが結ばれる日が来るかもしれない。アイヌ語と南島語の比較研究が進んで、文法構造にかなり類似点があることが判明すれば、ポリネシアからミクロネシア、日本列島を経てアリューシャン列島、さらにはアメリカ・インディアンに至る環太平洋語族が存在していたことが証明される可能性もある。

 

第092話 台湾原住民のことば

台湾には、日本統治時代に高砂族と呼ばれた原住民が住んでいる。中国大陸から大量の移住者がやってきたために、今では人口のわずか2パーセントをしめる少数民族になってしまったが、台湾原住民のことばはオーストロネシア(南島)系である。オーストロネシア語族は四つの下位類に分かれることが学者によって認められているが、そのうち三つは台湾にある。このためフイリピン、インドネシア、マレーシアから東はポリネシア、西はマダガスカルまで広がるオーストロネシア系の言語の発祥地は台湾ではないかと考えられている。

台湾原住民のことばにはアミ語(14万人)、アタヤル語(8万6千人)、パイワン語(6万6千人)、ブヌン語(4万人)など12の言語がある。しかも、それぞれの言語はほとんど意志の疎通ができないほど異なっている。日本順益台湾原住民研究会編の『台湾原住民研究への招待』によると、語順は動詞が先にくるのが通例である。主語が代名詞の場合は、動詞+主語(代名詞)+目的語となり、主語が普通名詞の場合は、動詞+目的語+主語(普通名詞)となる。動詞が最後にくる日本語とはかなり違う。

例:(アミ語)mafana’ay kiso   to sowar no dipong?
        分かる  あなた を 言葉  の  日本

  (アタヤル語)baq-un su ke’ zipun?
分かる あなた 言葉 日本

(パイワン語)kmelyang sun   toa Dinipungan?
      分かる  あなた を 日本語

(プヌン語)hayap-as    malaslipun?
分かる-あなた 日本語話す

台湾原住民のことばでは、チャモロ語と同じように、接中辞が使われる。例えば、パイワン語で「食べる」はk-m-anとなる。パイワン語の-m-はチャモロ語の-um-と同じで名詞を動詞にするはたらきをもっている。主語や目的語を表わす代名詞が多用されるところはアイヌ語にも似ている。

台湾原住民のことばには、チャモロ語にみられる焦点形がある。焦点形というのは日本語にはない形で名詞や動詞の強調したいところに焦点をあてる。英語でいえば受動態に似ている。たとえば、ツオウ語の場合、つぎのようになる。

   ��   mo   mo-fi      to peisu to oko-si ‘o ino.
(行為者焦点形・非過去)与える(行為者焦点形)を 金  に 子ども-彼女の は 母

意味は「お母さんが子どもに(いくらかの)お金をあげた」である。この文章では主語は「お母さん」であり、目的語は「お金」「子ども」である。「お母さん」「子ども」「お金」という構成要素のうち動作主である「お母さん」に焦点があたっていることを行為者焦点形によって示している。

   ��   i-si        fi-i           to peisu to ino ‘o  oko-si.
(非行為者焦点形・非過去)与える(場所焦点形) を 金  に 母 は 子ども-彼女の

意味は「自分の子どもにお母さんは(いくらかの)お金をあげた」である。この場合「お母さん」「子ども」「お金」という三つの要素のうち非行為者であるお金をもらった人、この場合は「子ども」に焦点があてられていることをi-siによって示している。英語では受動態が使われて”Her children were given money by mother.”となるところである。ツオウ語では主語、述語という概念でこれをあらわすのではなく、行為者(動作主)・非行為者(動作をされる人)という概念でこの関係をあらわす。

   ��   i-si       fa-eni       to   oko-si      to ino ‘o peisu.
(非行為者焦点形・非過去)与える(道具焦点形)に 子ども-彼女の に 母  は 金

 意味は「お母さんは子どもにそのお金をあげた」である。この場合焦点は動作主である「お母さん」ではなくて、非行為者である「お金」である。
(日本順益台湾原住民研究会編『台湾原住民研究への招待』p.146による。)

  上の三つの文章で主語と動詞の関係を見てみるとつぎのようになる。

�� ’o ino(母は)mo-fi(与える)

�� oko-si(彼女の子ども)fi-i(与えられる)

�� ‘o peisu(お金)fa-eni(与えられる)

 焦点形は日本語や英語にはない文法形式だが、オーストロネシア(南島)系言語には多く見られる文法形式であり、英語のボイス(受動態、能動態)に近い。神戸夙川学院大学の野本泰氏によるとブヌン語では動作主ボイスと対象ボイスがあるという。

�� ma-pataz      kaimin       mas   hanvang
 殺す(動作主ボイス)私たち(包含形) (目的格) 鹿

�� pataz-un       dau=s      ‘isbabanal    a maaz=a  ‘ivut
 殺す(対象ボイス)だそうだ(伝聞)ババナル姓の人 その    ヘビ 

 最初の文章は動詞ma-patazにmaという接頭辞がついているので動作主ボイスだということが分かる。また、�△諒絃呂脇飴�pataz-unにunという接尾辞がついていることで対象ボイスだということが分かる。それぞれの文章の意味はつぎのようになる。 

  �� 「私たちは鹿を殺した」

  �� 「ババナル姓の人がそのヘビを殺したそうだ」

 最初の文章では動作主ボイスの接頭辞ma-が動詞についているので、主格名詞kaimin(私たち)が「殺す」という行為の動作主、つまり殺す側であることが分かる。それに対して�△任蓮�対象ボイスを示す接尾辞-unが動詞についていることで主格名詞句である「ヘビ」が「殺す」という行為の対象で、つまり殺される側だということが分かる。

 動詞に接辞をつけることによって動作主と対象を表す方法はアイヌ語の語法にも近いように思われる。(参照:第87話 日本語とアイヌ語、第88話 『アイヌ神謡集』を読む)アイヌ語では動詞に人称格表示をする接辞がつけられる。

  我が・君に・与える a-e-kore
  君が・我に・与える e-i-kore
  我が・彼に・与える a-kore
  彼が・我に・与える i-kore

南島語は日本列島の南、沖縄の目と鼻の先まで広がっている。台湾原住民のことばはオーストロネシア語(南島語)に属することは学者の一致した意見である。沖縄語、日本語、アイヌ語はオーストロネシア語とどのような関係にあるのだろうか。日本の学者のなかには沖縄語とアイヌ語は関連があると論ずる学者もいる。また、言語学者のなかには日本語はオーストロネシア語と同系であるとする学者も何人かいる。台湾原住民のことばは縄文時代の日本語とつながっていた可能性もある。しかし、素人の目からみると台湾原住民のことばの構造はずいぶん現代の日本語とは違うように見える。

 アイヌ語と南島語の間にはかなりの相違点もあり、アイヌ語と南島語が同系であるという説は、一般には受け入れられるまでにいたっていない。たとえば、アイヌ語は動詞が文末にくるが、南島語では動詞が文の最初にあらわれる。アイヌ語は接尾辞だけしかもっていないが、南島語は主に接頭辞を使い、接中辞も使う。アイヌ語は所有形を前置するが、南島語は後置する。これらの相違点を乗り越えて共通性が見出せるかどうかは、これからの課題である。

もし日本語と台湾原住民のことば、さらにはミクロネシアからポリネシアに広がる言語群共通の特徴が見られ、それがさらにアイヌ語からイヌイット語(エスキモー語)へと広がり、南北アメリカのインディアンのことばとも共通な特徴が見いだせるのであれば、北海道からサハリン、アメリカ・インディアンへと広がる言語族は、台湾を通して南島語ともつながり、環太平洋のミッシング・リングが結ばれることになる。

 

第093話 比較言語学の方法

英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語などヨーロッパの言語はインド・ヨーロッパ語族というひとつの言語系統に属することが知られている。インド・ヨーロッパ語族はヨーロッパ大陸を覆っているばかりでなく、東はロシア、ペルシャからインド北西部までに及んでいる。インド・ヨーロッパ語族はさらにいくつかの下位グループに分けることができる。

     (1) インド諸語(サンスクリットなど)
(2) ペルシャ語
(3) バルト・スラブ諸語(ロシア語、ポーランド語、リトアニア語)
(4) ギリシャ諸語
(5) ラテン諸語(ラテン語、イタリア語、スペイン語、フランス語)
(6) ケルト語(アイルランド語、ウェールス語、ゲール語)
(7) ゲルマン語(スカンジナビア語、ゴート語、高地ドイツ語、オランダゴ、英語)

ヨーロッパの言語のなかにも、スペインの一部で話されているバスク語のようにインド・ヨーロッパ語族に属さない言語もあるし、イベリア半島には未解読の古い碑文が残されており、ヨーロッパ大陸における言語の興亡は完全に解明されているわけではない。しかし、インド・ヨーロッパ語族の言語は語彙にも共通性のあるものが多い。英語を中心に諸言語との関係をみてみると、つぎのようになる。

 英語 中世英語 古代英語 高地ドイツ語 ラテン語 ギリシャ語 サンスクリット
 ear ere eare ohr auris ous karna
 eye eye eage ouga oculus okkos aksi
 foot fot fot fouz pes pous padas
 heart herte heorte herza cord kradie hrdaya
 lip lippe lippa lippe labium xeilos estha
 nose nose nosu nasa nasus miti nasa
 tongue tunge tunge zunga lingua glossa jihva
 tooth toth toth zand dens odontos danta

音韻の変化は規則的であり、ラテン語・ギリシャ語のpはドイツ語・英語ではfで表われる(例:foot-pes、fish-piscis)。また、ラテン語・ギリシャ語のkはドイツ語・英語ではhで表れる(例:heart-cord、hundred-centum) 。さらに、ラテン語・ギリシャ語のsはドイツ語・英語ではtあるいはthで表われる(例:foot-pes、tooth-dens、three-tres)。

  インド・ヨーロッパ語族が発見されたのは18世紀の末のことである。それは、イギリスによるインド支配の確立と深い関係がある。当時、通俗的なオリエンタリズム(東洋趣味)がかなり人気を博していた。イギリス人のウイリアム・ジョーンズは1876年2月2日、インドのカルカッタでアジア協会設立3周年を記念して講演を行なった。その中で、古代インドの聖典の言語であるサンスクリットについてつぎのように述べた。

サンスクリットは、その古さはどうであろうとも、驚くべき構造をもっている。それはギリシャ語より完全であり、ラテン語より豊富であり、しかもそのいずれにもまして精巧である。しかもこの二つの言語は、動詞の語根においても文法の形式においても、偶然つくりだされたとは思えないほど顕著な類似をもっている。それがあまりに顕著であるので、どんな言語学者でもこれらの三つの言語を調べたら、それらは、おそらくもはや存在しない、ある共通の源から発したものと信ぜずにはいられないだろう。(風間喜代三『言語学の誕生』p.13)

   当時サンスクリットの法典といえばペルシャ語訳があっただけで、サンスクリットの原典に通じたイギリス人はジョーンズのほかに一人もいなかった。ジョーンズは1746年ロンドンで生まれた。少年のころから語学にすぐれ、オックスフォード大学ではギリシャ語、ラテン語のほかにペルシャ語なども学んでいた。1783年にイギリスを後にしてインドへ出発するより前に、すでにアラビア語、ヘブライ語、ペルシャ語に習熟していた。りっぱなオリエンタリストの仲間入りをしたにもかかわらず、ジョーンズの公式の仕事は法律であり、インドでは上級裁判所の判事であった。
 ジョーンズ以前の言語観では、神がエデンの園で人間に言語を授けたとされ、ヘブライ語が、聖なる言語として太古に遡る言語であると考えられていた。ダンテは『俗語詩論(ダ・ヴルガリ・エロクエンタ)』のなかで「最初の話し手の唇が作り出した言語はヘブライ語であった」としている。しかし、サンスクリットの解明によって、ヘブライ語が太古に遡るものでもなく、また神に由来するものでもないということが明らかになった。比較言語学の発達によって、神がエデンの園で人間に言語を授けたというような考え方は排除されざるをえなくなった。

   日本語の場合は近隣の言語で古い記録が残っているのは中国語しかなく、中国語と日本語は明らかに文法構造がちがう。日本語はアルタイ系、南島系、あるいはビルマ・チベット系、さらにはタミル語と同系であるという諸説があるが、立論の根拠、方法はまちまちで、ジョーンズのようにそれらの言語を俯瞰して、総合的にとらえられる言語学者がいないように思われる。そのためか、「やまとことば」は神代の時代からこの島に伝わる言語だと考える人もまだ少なくない。

日本語の場合は近隣諸語との関係は複雑で、インド・ヨーロッパ語族のような広がりをもった類縁関係を見出すことは困難なようである。また、日本語は文字時代の初期から表意文字である漢字で書かれているため「歯」はいつの時代にも「歯」と書かれ、「目」、「耳」はいつの時代にも「目」、「耳」と書かれているから、発音が変化したとしても文字はその変化の痕跡を留めないという問題もある。ちなみに人体についての基本語彙を近隣の言語と比較してみるとつぎのようになる。

朝鮮語 アイヌ語 タミル語 チャモロ語
  頭 meori sapa netri amu
  髪 tteol otop mayir gapotulu
  顔 eolgeul nan muham fana
  目 nun shik kann atadok・mata
  鼻 kko etu mookku guteng
  耳 kwi kisar kaadhu talanga
  口 ip par vaai pachot
  脣 ip-sul chapus udhadu labios
  舌 hyeo parunpe naakku hula
  歯 i nimak pal akankang

 語彙の面だけからみると、日本語の系統を確定することは困難なようにみえる。現代の言語学では、インド・ヨーロッパ語族のほかに、オーストロネシア語族、ドラヴィダ語族、ウラル語族、アルゴンキン語族、アサバスカ語族、アラワク語族、マヤ語族などが確立されている。日本語南島系統論では日本語はオーストロネシ語族に属することになり、日本語タミル語同系論では日本語はドラヴィダ語族に属することになる。また、日本語アルタイ語系統論では日本語は朝鮮語と同系ということになる。しかし、基本語彙といわれる人体の名称をみても日本語と近縁のことばはそう簡単に探しだせそうにない。

 言語はその構造上の特色から分類されることもある。インド・ヨーロッパ語のような屈折語、日本語や朝鮮語のような膠着語、中国語のような孤立語、アイヌ語のような抱合語である。

 屈折語  ギリシャ語、ラテン語、サンスクリット語、
 膠着語  日本語、朝鮮語、蒙古語、満州語、ツングース語、トルコ語、スワヒリ語、
 孤立語  中国語、ベトナム語、サモア語、
 抱合語  アイヌ語、アメリカ・インディアン諸語、イヌイット(エスキモー)語、

 屈折語は単語の語尾を変化して格変化を表わし、あるいは単語の母音が変化して動詞の時制を表わしたり複数形を作って文法関係を示す。膠着語は意味をもつ要素と接尾辞(助詞など)が分離できる形で並存し、接尾辞をのりづけして文章を構成していく。孤立語は意味を持つ要素が各々孤立した單語になっていて、格変化や接辞によって文法関係を表わすことはない。抱合語は単語に形容詞、動詞、接尾辞などをつぎつぎにつけることによって、単数、複数、直説法、間接法、自動詞、他動詞などの文法要素を表わす。単語をふくらまして文章にするので、単語と文章が区別しにくい。

 本居宣長は漢心(からごころ)を排すれば、中国語の影響を受ける前の、神代から日本列島に伝わる「やまとことば」がみえてくると考えて古事記や万葉集のなかにそれを求めようとした。江戸時代に生きた本居宣長にとって、ことばとは日本語であり、中国語であり、それが世界のことばのすべてであった。しかし、現代の言語学は諸言語の構造や語彙は互いに類似していて、言語は語族に分類できることを教えている。日本語はほんとうに世界にひとつしかない孤立した言語なのだろうか。

 『日本語の起源』の著者である大野晋は1957年版の『日本語の起源』(旧版)では日本語アルタイ語系説を展開している。ところが、1980年代になると突如日本語タミル語同系説に転向して、『日本語の起源』(旧版)は絶版にしてしまった。タミル語はインド南部で話されるドラヴィタ系の言語だが、確かに日本語と同じく膠着語である。しかし、なぜ大野晋は日本の隣にある膠着語である朝鮮語を飛び越えてタミル語に日本語の起源を求めなければならなかったのだろうか。

 大野晋の『日本語の起源』は日本人が敗戦から立ち直り日本人のアイデンティティーを求めていた時期に出版されたこともあり、版を重ねた。しかし、日本語と朝鮮語が同系であるということにかなり抵抗感をもつ人も多かった時代であった。

日本人は明治以来英語、ドイツ語、フランス語など西欧の言語を学び、言語を通して西欧の近代に近づこうと努力を重ねてきた。こうしたなかで、朝鮮語など近隣の言語はほとんど無視されてきた。ここがヨーロッパの言語状況と違うところである。ヨーロッパであれば例えば母語がフランス語であってもイタリア語やスペイン語、あるいは英語、ドイツ語についてもある程度の知識はある。

サンスクリットを学びインド・ヨーロッパ語族の発見に導いたジョーンズは、当時のヨーロッパの読書語であるギリシャ語、ラテン語のほかにペルシャ語なども学んでいた。また、アラビア語、ヘブライ語、ペルシャ語に習熟していたという。そのうえでサンスクリットに遭遇したのだから、サンスクリットを諸言語のパースペクティブのなかに位置づけることができた。

 日本語の起源の探究にとって、もうひとつの不幸は国語学者と一般言語学の専門家の間の壁が厚いことである。大野晋は正統派の国語学者で、国語学の分野では実績のある学者だが、一般言語学についてはどうだろうか。朝鮮語についても、タミル語についても、それぞれの専門家の助言は求めているが門外漢であることは否めない。

 一方、言語学者のほうはといえば、19世紀以降ヨーロッパで発達した言語学の理論を日本に紹介し、あるいはそれを日本語にあてはめて考えようとしているが、国語学者との間には厚い壁があって、ヨーロッパ言語学と日本語学との間の交流はあまりみられないようである。それが、日本語を言語一般のなかのひとつとして位置づけることを一層困難にしているのではなかろうか。

 日本語、朝鮮語、ツングース語、蒙古語、トルコ語など、アルタイ系あるいはウラル・アルタイ系といわれる言語はいずれも膠着語であり、文法構造は似ている。しかし、日本では朝鮮語に関する本は一般の書店で手に入るにしても、その他の言語についてはごく少数の専門家がいるだけで、普通の日本人は何も知らないに等しい。日本語についでだけしかしらなければ、日本語は孤立した言語だと考えてもやむをえないというものだ。

 

第094話 言語の起源はひとつか

 「はじめに言葉ありき」という。聖書によると、言語は神がエデンの園で人間に与えたものであり、人類は最初ただ一つの言語を話していたことになっている。その言語はヘブライ語であった。旧約聖書の創世記によれば、人間が天に達するような高さの「バベルの塔」を作ろうとしたことを怒った神が、これを作った人々の言語をいくつにも分けてお互いに通じないようにして、塔の建設をやめさせたのだという。言語の起源がひとつであれば、人類の言語は日本語も中国語もチャモロ語もアイヌ語もみな兄弟ということになる。

世界中に人跡未踏の土地がなくなった今、探検家や人類学者がえた結論は、文字をもたない種族は数多くあるが、言葉を話さない人間は未だに発見されていないということである。近代言語学の発達によってヘブライ語よりも古い言語があることが分かってきた。そして言語神聖起源説も否定されている。しかし、言語は人類に固有のものであり、人類とともに言語はあったということは確かであろう。また、未開の民族の言葉は単純であろうという大方の予測に反して、未開人の言葉も文明人の言葉に勝るとも劣らない複雑さをもっていることも、次第に知られるようになった。

ヒトがチンパンジーから分かれたのは、DNAの類似性から推定すると七百万年前であるという。人類はいつから言語を話しはじめたのだろうか。考古学者の研究によると、現代人の祖先といえる人類はおよそ20万年前アフリカに登場して、10万年前に移動を始め、ヨーロッパやアジアに到り、5万年前にはさらにそこからオーストラリアへ、太平洋の島々へ、南北アメリカへと移動していったという。ネアンデルタール人は、約10万年前から3万年前にかけて生存し、人類はそのころまでには言語を獲得していたというのが定説である。

日本人の祖先は日本列島がまだシベリアと陸続きだったころ、マンモスを追ってここにやってきた。その原日本人が言語をもっていたことは疑う余地がない。日本語は現在世界で使われている5000とも6000ともいわれる言語のなかのひとつであり、日本人だけのために神が作りたもうた特殊な言語であるわけではない。数万年にわたる人類の歴史のなかでさまざまな変遷を経て現代の日本語は形成されてきたものである。しかし、日本人の記録が中国の記録に表われるのは3世紀のことであり、人類が言語を獲得したと考えられる10万年の歴史のなかで、おぼろげながらも記録がたどれるのは約2千年に過ぎない。

日本人はイザナギ・イザナミの子孫であり、日本語は神とともにあったと考えれば、日本語は日本列島で生れたことになる。しかし、ヨーロッパの言語がアダムとイブの時代より古い祖先につながっているように、日本語もまたイザナギ・イザナミよりふるい祖語にたどりつく蓋然性のほうが高い。日本列島にたどりついた最初の人類はすでに言語をもっていたと考えるほうが自然なのである。その言語がどのような言語であったのか、文字を持たない言語は記録を残さないから、それを復元することはできない。

 人類は1回だけ生まれて、さまざまな人種に分かれていったとしたら、人類の言語の祖語もまたひとつであるということになる。言語が人類の進化とともに生まれ、言語の発生が一度だとすると、現在世界中にある言語はすべて世界祖語の末裔であり、言語として共通の特性をもっているはずである。しかし、インド・ヨーロッパ祖語の構築に成功した歴史言語学者も、世界祖語を構築するにはいたっていない。

人間の言語は人間の脳が発達するのにつれて発達していったに違いない。最近の言語学者は、人間が誰でも言語を話す潜在能力をもっていて、人間だけが言語を操ることができるのは、言語能力が生得のものであり、人間は生まれたときから普遍言語をインプリントされてくるのではないか、と考えるようになった。普遍言語をインプリントされて生まれてきた赤ん坊は、大人ならとうてい覚えられないような複雑な言語をたちどころに解明し、習得することができる。

 言語学者のノーム・チョムスキーはある講演で、「火星人からみたら、人間はすべて単一の言語を話している」と述べている。人間に特有な言語能力は、人間の脳の生得的な性質に由来する。言語に規則があるのは、人間が規則的な言語を作ったためではなく、言語が自然の法則に従っているためである。世界のあらゆる言語の底には、同一の記号操作があるとチョムスキーは考える。

ここ数年の研究では、言語間差のさまざまな選択肢を辞書部門の下位部分に限定し、初期能力に帰属させることができる、言語の一般原理が確認され、ある程度の成果をおさめております。言語表現のもつ形式と関係とを決定している、言語の「演算システム」は、実は不変であると言えるのです。この意味で、理性を持った火星人ならば仮定したように、単一の人間言語が存在するのです。個別言語の獲得というのは、簡単な、利用可能なデータを基にして、語彙的な選択肢を固定する過程なのです。研究の目標でいまや現実的なやり方で少なくとも定式化はすることができるものは、一つには、許される有限の語彙的変異の範囲内でそのような選択肢をすべて固定することにより、ハンガリア語であれスワヒリ語であれ個別言語を、文字どおり導くことができる、ということです。(チョムスキー『言語と思考』松柏社叢書p.46)

チョムスキーは深層構造と表層構造という言葉で、普遍言語が現実の言語として表れる仕組みを説明している。チョムスキー学派の言語観は、この50年の間にかなり発展し、修正も加えられている。チョムスキーは知の革命家であり、自説を破壊しながらつぎつぎに新しい理論を展開しているが、その考え方の骨子を著者流に説明すればつぎのようになる。

例えば、ラテン語ではCanis hominen mordet.といえば「犬が人間を咬む」であり、Homo canem mordet.といえば「人間が犬を咬む」ということになる。ラテン語は格の表示が明確であり、canis(犬)、homo(人間)は主格でありcanem(犬を)、hominen(人間を)は目的格であることが明示されている。だから、ラテン語では、単語の順序を入れ替えても意味が取り違えられることはない。しかし、英語ではA dog bites a man.とA man bites a dog.では意味が逆になってしまう。ラテン語では格が関係を示し、英語では語順が関係を示す。しかし、それは表にあらわれた言語の表層構造であって、深層構造はラテン語も英語も同じである。

 日本語ではどうであろうか。「犬が人間を咬む」、にしても「人間が犬を咬む」にしても、主語+目的語+動詞という語順が一般的である。しかし、日本語には助詞があるから「犬を、人間が咬む」と語順を変えて同じことを言うこともできる。それにたいして、中国語は前置詞や後置詞がないから、語順は意味を伝えるうえで決定的な役割をはたす。「犬咬人間」と「人間咬犬」の違いは、語順によってしか伝えられない。

 ラテン語は語順が自由な言語であり、中国語は語順を変えられない言語である。英語は語順がかなり不自由な言語である。日本語は後置詞(助詞)があるので、語順を変えることもできるが、基本的にはSOV(主語+目的語+動詞)という語順をもった言語である。英語や中国語はSVO(主語+動詞+目的語)という語順の言語である。言語の構造は多様であるが、さまざまな言語は語順とか、前置詞、後置詞などという言語のもついくつかの仕組みのなかから、いくつかを選んで組み合わせることによって意味の伝達を可能にする文法を成り立たせていることになる。

 ある言語の基本的語順が日本語や朝鮮語のようにSOVであれば、後置詞(助詞など)が使われることが多く、疑問詞は文末にくるのが通例である。逆にある言語の基本語順が英語やドイツ語、フランス語などのようにSVOであれば、前置詞が使われることが多く、疑問詞は文頭におかれることが多い。「犬が人間を咬む」のか「人間が犬を咬む」のか、どの言語を使っても間違いなく意味を伝達できるのは「言語は深層構造が同じであり、それが個別言語の限られた文法規則によって変形され、表層構造に割り付けられている」だけだからだというのであるということになる。

 言語の深層構造を語順によって示すか、前置詞や後置詞によって示すか、あるいは格変化によって示すのかは言語によって異なる。その変換装置が人間の脳に埋め込まれていて、赤ちゃんはその演算プログラムを獲得する。人間は誰でもこの演算プログラムを獲得することのできる能力をもって生れてくる。異なった言語を話す人は、深層構造を個別の演算プログラムにしたがって、表層構造に変換しているだけだ、ということになる。

赤ん坊は深層構造を翻訳する仕組みを3歳くらいまでに獲得する。3歳を過ぎた大人がそれを習得することは困難である。6歳までは確実に言語を獲得できるが、それ以後は確実性が徐々にうすれ、思春期を過ぎると外国語を完璧にマスターする例はごくまれである。

チョムスキー学派によれば、順序を規定しないスーパールール(原理)は普遍的であり、かつ人間生得のものであるという。子どもは言語を学習するのではない。子どもは成長するにつれて歯が生えてくるように、あるいは歩行を覚えるように、人間の生得の能力として言語のプログラムを獲得するのである。

 日本語は基本的にSOV言語であり、後置詞(助詞)を使い、疑問詞を文末に置く言語である。中国語はSVO言語であり、前置詞も後置詞も使わない。しかし、日本語も中国語も深層構造は同じで、それを変換する方式が違うだけである。普遍文法は同じだと考えれば、世界の言語は多様ではあるが、基底では類似していてあたりまえだということになる。

日本人は漢文を読むとき、返り点やレ点をつけて日本語の語順になおして読む。たとえば論語の冒頭の部分はつぎのようになる。

 子日、学而時習レ之、不ニ亦説一乎、
 有レ朋自ニ遠方一来、不ニ亦楽一乎、
 人不レ知而不レ�А�不ニ亦君子一乎、

 これを、さらに日本語の助詞や活用語尾を補って、日本語に変換する。

 子日わく、学びて時に之を習う、亦た説(よろこ)ばしからず乎(や)、
 朋(とも)有り遠方自(よ)り来たる、亦た楽しからず乎(や)、
 人知らずして�А覆Δ蕁砲泙此∨鬚新�子ならず乎(や)、

 中国語の文章を日本語でも理解できるのは、日本人も中国人も、脳に言語中枢をもっており、脳の左半球にある言語中枢が複雑な心的計算によって、言語を成生できるからである。中国語も日本語も表層構造はちがうが、深層構造は同じであるということになる。

 チョムスキーは、言語は表面的の多様性にもかかわらず、相違するところはきわめて少ないと主張する。基底は深層構造を生成し、変形規則は深層構造を表層構造に変換する。普遍文法は、すべての人間言語の充たさなければならない条件の研究であり、深層構造は言語から言語へと相違することがわずかである、とチョムスキーは論ずる。中国語と日本語は系統を異にするといわれているが、言語であることにおいて普遍性をもっているとすれば、日本語も中国語も同じであるということになる。

ジョン万次郎は『英米対話捷径』(1859年、安政6年)という英語の入門書を書いて、返り点やレ点を使って、英語を日本語にして説明している。

あなた べしレ いうニ 何にても あなたの こころにあることを一
  ユー  マイ  セイ  フッチ   ユー   プリージ
   You  may   say what you please.

善   日でござる
  グーリ  デイ シャー
  Good   day, Sir.

いかが ごきげんレ あなたさま ようござるか
  ハヲ  ヅウ    ユー    ヅーシャー
   How   do you do, Sir.

(『ジョン万次郎の英会話』Jリサーチ出版による)

英語もまた、文法構造を入れ替えることによって、日本語に変換できる。ジョン万次郎は土佐の漁師の子で、15歳のときに漂流して、アメリカの捕鯨船に救助された。10年間もアメリカで教育を受けて、日本人が西洋のことばといえばオランダ語しか知らないときに、英語を身につけて帰国した。英語の語順を日本語に変換するばかりでなく、発音もみごとに日本語式に変換している。英語と日本語は表層構造はまったく違う言語であるが、深層構造は変異することが少ない、ということになる。

 人間言語の著しい多様性に眼を奪われていると、諸言語の普遍性など成り立つはずがないと思われるかもしれない。しかし、人間は、正常な子供ならば、訓練を受けずに複雑な構造の言語を獲得することができる。人間である限り、言語の学習能力に個人差はほとんどない。それは生得的言語能力が、人間という種を特色づける特質の一部であり、遺伝的に決定されているからである。言語はその多様性にもかかわらず、諸言語に生じうる多様性はきびしく制限されており、さまざまな言語は、言語理論によって許される仕組みのうち、いずれを選択するかによって異なっているだけである。

 

第095話 言語の類型

 ヨーロッパで発達した比較言語学はインド・ヨーロッパ語族の系統を明らかにすることに成功した。しかし、世界には5000を越える言語があって、そのすべてについて系統が明らかにされたわけではない。南北アメリカ大陸の先住民の言語やアフリカ大陸の言語は隣同志の言語でもその特徴は複雑に入り組んでいて、系統を明らかにできないものが多い。日本語の系統についても、アルタイ語系統説、タミル語と同源説、ビルマ語と同源説などがあって、専門家の間でも意見の一致をみない。

 そこで、言語を系統としてとらえるのではなく、言語を音韻体系、文法の構造などによって分析して、言語を類型としてとらえようとする試みが行われている。例えば日本語の語順は主語+目的語+動詞だが英語では主語+動詞+目的語である。今仮に日本語のような語順をSOV型とし、英語のような語順の言語をSVO型とすると、世界の主な言語は次のように分類できる。

○SOV型(日本語、朝鮮語、モンゴル語、アイヌ語、タミル語、ビルマ語、)
 ○SVO型(英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、インドネシア諸語、)

 インド・ヨーロッパ語族の言語はほとんどがSVO型であるが、ケルト語はVSO型である。また、アラビア語などは動詞が主語の前に現われるVSO型であるという。

 また、SOV型の言語は後置詞(助詞など)を使う言語が多く、SVO型の言語は前置詞を使う言語が多いことも分かってきている。そのほかにも形容詞の位置や所有格のおかれる位置などでも共通性がある。

○SOV型の主なタイプ:後置詞、所有格+名詞、形容詞+名詞、動詞+助動詞、
 ○SVO型の主なタイプ:前置詞、名詞+所有格、名詞+形容詞、助動詞+動詞、

 発音のタイプにもいくつかの類型がある。日本語をはじめ多くの言語では清音と濁音を区別するが、朝鮮語では濁音は語頭に立つことがなく、清音と相補分布をなす。また、中国語などでは帯気音(次清音)が非帯気音と弁別的な要素として使われる。日本語ではラ行音(流音)がひとつしかないが、英語などではlとrの区別があって、日本人は英語の発音に苦労する。世界の言語を流音がひとつのものと流音がふたつのものに分けてみると次のようになる。

○ 流音がひとつ:日本語、朝鮮語、中国語、アイヌ語、北米大陸の先住民言語、アフリカ大陸の 中南部の言語、
 ○ 複数の流音(rとl):インド・ヨーロッパ語族のほとんど全部、ウラル・アルタイ語族、タ ミル語などドラヴィダ語族、アフリカ大陸北部の言語、ナイル・サハラ諸語、

  朝鮮語では流音は語頭に立たない。語頭ではtになる音が語尾ではlになって現われる。例えば「室」はsil、「八」はphalとなる。日本語でも古代日本語ではラ行音は語頭に立たなかった。これと同じ現象がモンゴル語、バスク語、ギリシャ語などにも見られるという。

  語順や発音ばかりでなく、言語にはさまざまな特徴がある。例えば英語の名詞には単数と複数の区別のあるものがある。また、オーストロネシア諸語のように単数と複数のほかに双数を区別するものもある。ひとつ、ふたつ、たくさんという区別である。

  英語では代名詞を除いて名詞の性別は失われているがドイツ語やフランス語では名詞に男性名詞、女性名詞の区別がある。中性名詞がある場合もある。

  日本語では名詞の後に後置詞(助詞)が置かれるが、英語をはじめヨーロッパの言語では前置詞をおいて格を表す。格の標示のしかたも日本語や英語は自動詞の主語も他動詞の主語も同じ格が使われる対格型である。これに対して、自動詞の主語と他動詞の主語を別の格で表し、自動詞の主語と他動詞の目的語を同じ格で表す能格言語(エスキモー語、バスク語など)と呼ばれる言語もある。また、中国語のようにほとんど格標示を使わず語順によって格を表す言語や、アイヌ語のように動詞の側に格を表す機能をもった言語もある。

  日本語では1冊、2冊、あるいは1匹、2匹のように数の範疇をあらわす助数詞が使われることが多いが、英語などでは本も犬もone book、あるいはone dogである。助数詞を使う言語としては、日本語、中国語、朝鮮語、アイヌ語、ベトナム語、タイ語、ビルマ語、カンボジア語、インドネシア諸語、北アメリカ北西部諸語などがあげられる。助数詞をもつ言語は名詞の性別や単数・複数の区別のない言語に多いという相関もみられる。

  名詞に単数複数の区別があるばかりでなく、動詞にも単数と複数を区別する機能をもった言語も多い。例えば英語では3人称単数の動詞には(e)sをつけて区別する。3人称単数ばかりでなくすべての人称を区別する言語もある。名詞の側でも人称・数を区別し動詞の側でもそれを受けて区別するのを人称・数の一致(agreement)という。言語にはこのような冗長性がある。このために雑音などで一部の情報が失われても正しく情報を伝えることができる。

  アイヌ語などでは名詞の側に人称・格を標示する機能がなく、動詞の側が人称・格を標示する機能をになっている。しかも、主語の人称ばかりでなく目的語の人称・数をあらわすことができる。アメリカ先住民の言語にはこのような言語が多い。

  人称の標示では1人称複数に聞き手の側を含む「わたしもあたなたも」と、聞き手の側を含まない「わたしども」とを区別する言語もある。モンゴル語、ツングース語、アイヌ語、ギリヤーク語、タイ語、オーストラリア原住民の諸語、アメリカ先住民の諸語などでは1人称複数の包含形と除外形を区別する。

  言語にはこのほかさまざまな類型がある。冠詞のある言語、ない言語。母音調和のみられる言語、ない言語。喉音のある言語、ない言語。疑問文で語順を変える言語、疑問標識が文末にくる言語。形容詞にbe動詞が必要な言語、形容詞が動詞のようにふるまう言語。などなどである。これらの言語の特徴は単独の言語に現われる場合もあるけれども、近隣の言語にも同じ特徴をもった言語があることが多い。またSOV型と後置詞(助詞)、SVO型と前置詞のようにいくつかの特徴が相関して現われることもある。

 世界の言語のいくつかについて、これらの特徴をみてみると次のようになる。

  日本語 英語 中国語 朝鮮語 タミル語
語順のタイプ SOV SVO SVO SOV SOV
r・l音の区別 単式 複式 単式 単式 複式
単数・複数の区別 − + − − +
名詞の性別 − − − − +
名詞の格標示 後置詞 前置詞 前置詞 後置詞 後置詞
助数詞の有無 + − + + − 
動詞の人称標示 − + − − +
1人称複数の包含除外 ± − ± − +

 世界の言語の多様性にもかかわらず、言語に利用できる音声は無限にあるわけではない。人間の発声器官の構造が同じである限り、言語に利用できる音声の種類は限られている。その限られた音声の中から、ある言語は流音(r・l)を二つにわけ、またある言語は一つを識別する。また、流音を使わない言語もある。中国語のように声調(高低アクセント)を使う言語がある一方、英語などのように強弱アクセントを使う言語もある。喉音なども使う言語もあり、使わない言語もある。

 文法構造にしても主語+目的語+動詞などの順列組み合わせは限られている。ある言語は語順を守ることによって主語や目的語の位置を示し、格標示がなくともその関係を示すことができる。また、ある言語は名詞の側で格を表示し、他の言語では動詞の側で格を標示する。名詞と動詞の双方で格を標示する言語もある。

 日本列島がいまのような形で大陸と切り離された島国となったのは今から1万年ぐらい前のことである。日本列島はユーラシア大陸やアメリカ大陸とつながり、大陸の一部であった。列島の形成と縄文時代の開始は、ほぼ同時期とみてよいかもしれない。少なくとも1万年前以上前の後期旧石器時代まで遡って人類言語史を再構してみなくてはならない。旧石器時代の日本列島で話されていたことばはアジア大陸やアメリカ大陸の言語と関連があったと考えても何の不思議もない。日本語の原型の形成は、今から1万年以上前の最終氷河期、アメリカ大陸とアジア大陸が陸続きとなっていた時期(約3万5千年前から1万年前)まで遡ると見なければならない。

しかし、日本語のまとまった記録が文字として残るようになったのは8世紀以降のことであり、中国の書物である魏志倭人伝などに残された日本語の痕跡も3世紀までしかたどることはできない。

縄文時代中期の人口は30万人前後といわれている。縄文時代の日本列島の住人がどのようなことばを話していたかについては手がかりすらない。オーストラリアでは30万人の原住民が600近くの部族に分かれ、少なくとも200以上の言語を話していたという。狩猟・採集時代の社会では、同じ言語を話す集団の規模は、数百人多くても数千人程度であったと考えられる。このことから類推すると日本列島でもアイヌ語の祖語、日本語の祖語をはじめかなり多くの言語が話されていた可能性がある。

弥生時代になって農耕が始まると人口は爆発的にふえる。大勢の人を養えるだけの食料が確保されるようになるからである。農耕をはじめた部族は狩猟だけに頼る部族よりも優勢になり、ことばも農耕民族のことばが拡散され、狩猟民族のことばが消滅の危機に瀕する。これは世界共通の現象である。現在日本列島に話されている日本語の原型が弥生時代に成立したと考えるのはそれなりに理由がある。

東アジアの稲作農耕は今から9,000〜7,000年前に長江流域ではじまったことはもはや疑いの余地がない。河姆渡文化が紀元前5,000〜3,000年、良渚文化が紀元前3,300〜2,200年、三星堆文化が紀元前2,800〜2,850年とされている。メコン川流域に稲作が出現したのは大体紀元前2,500〜2,000年前のこととされている。フィリピン諸島には紀元前3,000年に、東ティモールには紀元前2,000年に稲作が伝わっている。日本は紀元前300年くらいに稲作がはじまる。

稲作農耕の到来とともにことばも変わる。長江流域の部族が東アジアを席巻したというよりは、稲作技術を習得した部族が優勢になり、人口が爆発的に増え、広い地域にその言語を普及させる力をもつようになったからであろう。

 中央の権力が確立され、国家が形成されるようになるのは農耕時代以降のことで、言語はさらに急速に拡散することになる。それとともに消滅する言語も多くなる。人類の言語史にスペイン語、ポルトガル語、英語などの世界言語が出現することになるのは大航海時代以降のことである。

 日本語は決して大きな語族に属したことばではないようである。しかし、それえは農耕時代以前の社会における言語のむしろ自然なあり方に由来しているといえる。大きな言語圏を形成した言語はいずれもかなり早い時期に農耕時代に入り、いまから5〜6千年前に、急速に勢力を拡張した言語である。しかし、日本語は類型的にみても、朝鮮語、アイヌ語、ギリヤーク語など日本周辺の諸言語と切り離して考えることのできない言語である。

 

第096話 クレオール誕生

 人間は征服や移民によって母語を捨てることも、しばしばある。アイヌ語はすでに日常語として使っている人はいない。シュメール語、ヒッタイト語、エトルリア語など一時代を画した古代語も消滅してしまっている。現在消滅の危機に瀕している言語が3千以上あるといわれている。北米では150もの先住民言語が失われようとしている。これは、現在残っている言語の80パーセントにもあたるという。言語に進化と絶滅があるとすれば、現在生残っている言語は生存競争に勝ち残った言語だということになる。

異なる言語が接触すると、優勢な言語が劣勢な言語を駆逐してしまうこともある。大航海時代以降、南北アメリカ大陸で、オーストラリア大陸で、そしてアフリカ大陸で、植民地化によってヨーロッパの言語が現地の言語を駆逐していった。同じことは、カリブ海や太平洋の島々でも起った。植民地に奴隷として売られてきた人々は、わずか数世代の間に母語を捨てて英語やスペイン語を受け入れていった。小説『ルーツ』の主人公クンタキンテの子孫たちも、アフリカの言語の記憶はもうまったく留めていない。インドのネール元首相はインド人がインドの歴史をヒンディー語ではなく、英語でしか学ぶことができないことを、その著書のなかで嘆いている。しかも、ネールはその著書を英語で書いている。シンガポールのリー・クアンユー元首相も第一言語は英語である。

消えてゆく言語もあるが、新たに生まれてくる言語もある。ひとつの言語がいくつかの方言や異なった言語に分化していくこともある。インド・ヨロッパ語族の系統樹は生物の進化による系統の発生に擬せられる。言語も進化する。しかし、言語の変化する速度は生物が突然変異によって進化する速度に比べればはるかに早い。また、生物は異種交配をすることはないが、言語は隣接する系統の異なる言語との接触によって変化することもある。言語の混交は1世代あるいは2世代という短い間に完了する。アメリカに移住した日系人などでも、孫の世界は祖父の世代と異なる言語を使うようになるのが普通である。

ヨーロッパによる植民地支配を通じて、15世紀以降ピジン英語やクレオールと呼ばれる、まったく新しい混交言語が生まれた。カリブ海で、南太平洋の諸島で現地のことばとヨーロッパの言語が接触して新しい言語がいくつも生れている。クレオールは言語が新しく生れる仕組みを観察することのできる実験場にもなっている。パプア・ニューギニアにはトクピジンという英語と現地語の混交によって生まれた言語があり、国会でも使われている。トクピジンは、つぎのような言語である。

【トクピジン】
  どうもありがとう。(Tenk yu tru.)    ごきげんいかがですか。(Yu orait?) 
  私はあなたが好きです。(Mi laikim you.) 私の名前は伊藤です。(Nem bilong mi Ito.)
  あなたはどこから来ましたか。(Yu bilong we?) 私は知りません(Mi no save.)
  これは鶏です。(Em kakaruk ya.)     朝食(monin kaikai)夕食(avenun kaikai)

英語からの借用語が多いが文法構造は英語とは違う。’bilong’は所有格をあらわし、英語の’of’ にあたる。’nem bilong me’ は’my name’ である。’laikim’は英語の’like him’ に由来するが、全体で’like’ をあらわす。目的語が’you’ であるときは、あらためて’you’をつけ加えて’laikim you’ とする。代名詞も’mi’ や’em’ のような目的格が主格にも使われる。なかには現地語も混ざっていて’kakaruk’ は「鶏」であり、’kaikai’ は「食べる」である。’save’は英語語源でなく、ポルトガル語語源の’savoir’ で、「知る」という意味に用いられている。’gras bilong fes’、「顔の草」は「ひげ」であり、’gras bilong hed’、「頭の草」は「髪の毛」である。’meri bilong me’といえば「私の妻」のことである。’meri’は英語名の’Mary’ だが一般名詞として用いられている。

トクピジンは語彙の75ないし80パーセントが英語起源である。15ないし20パーセントが土着の言語からのもので、5パーセントがドイツ語その他からのものである。英語起源の単語が圧倒的に多いにもかかわらず、文法構造や語順は南島語であるオーストロネシア系の特徴が著しい。たとえば、トクピジンでは「あなたを含む私たち」と「あなたを含まない私たち」を区別する。

太平洋の島々には宣教師も来て、聖書をトクピジンに翻訳している。たとえば「マタイ伝第6章」の一部はつぎのようになる。

【トクピジンの聖書】
 Papa bilong mipela, yu stap long heven, nem bilong yu i mas i stap holi.
  Our Father in heaven, hallowed be your name.

天にましますわれらの神よ、御名があがめられますように。

Papa 父、神、bilong<belong の、mipela<me+fellow (あなたを含まない)われわれの、stap<stop いる、住む、である、long heven<along heaven 天国の、nem<name 名まえ、i (動詞標識)でi mas<must ねばならない、i stap でなければならない。

Nau yu ken givim mipela kaikai inap long dispela de.
  Give us today our daily bread.

われらに今日も、日ごとの糧を与えたまえ。

Nau<now 今、さて、ken<can 許す、givim<give+’em 与える、kaikai メラネシア語で「食べる、
食べ物」、inap<enough 十分な、long<along で、dispela<this fellow この、de<day 日、
(『ピジン・クレオール入門』附録、パプア・ニューギニア聖書協会刊行Nupela Testamen Na ol Sam より作成)

19世紀から20世紀の初めにかけて、ハワイでは砂糖キビ生産がブームを迎え、現地人だけでは労働需要がまかないきれなくなった。そこで、中国、日本、朝鮮、ポルトガル、フィリピンなどから労働者が集められた。言葉の通じない者どうしが共同作業をしなくてはならず、当座しのぎのことばとしてピジンが生れた。

ハワイの日系1世は家庭では日本語を話したが、農園では監督やほかの国からの移民との会話にはピジンを用いた。日本人の移民は中国人の移民、ハワイの現地人に混じって砂糖キビ畑で働く。そこでの共通語は、日本語でも中国語でもハワイ語でもなく、ピジン英語であった。農場主や現場監督との会話もピジン英語になる。ハワイ移民の1世が歌ったホレホレ節という歌が残っている。ホレホレ節のなかにもピジンの語彙の痕跡がみられる。ホレホレとは砂糖キビのプランテーションで枯葉をむしりとる作業のことでポリネシア語である。

【ホレホレ節】
 ハー 朝も早よからヨー 弁当箱肩に ホレホレ通いも まま(飯)の種
 ハー 明日はサンデーじゃヨー 遊びにおいで カネ(亭主)はハナワイ わしゃ家に
 ハー 頼母子落としてヨー ワヒネ(妻)を呼んで 人に取られてべそをかく
 ハー 行こかメリケンヨー 帰ろかジャパン ここが思案のハワイ国
 ハー 条約は切れるしヨー 未練は残る ダンプロ(他所)のワヒネにゃ 気がのこる
 ハー 条約切れたらヨー キナウ(船の名)に乗って 行こかマウイの スペクルス
 ハー 三五センでヨー ホレホレしょより パケさん(中国人)とモイモイ(寝る)すりゃ
    アカヒドラ(1ドル)

 歌は日本語だが、ピジンの単語が混用されている。移民たちはハオレ(白人)のルナ(現場監督)のもとで中国人移民や現地人に混じって働いた。35センは当時の日給35セントのことであり、アカヒドラは1ドルである。ハナワイとは水あて作業のことであり、スペクルスはスプレックルス農場である。当時の移民は3年間の契約移民であり期限が切れると、帰るか、カリフォルニア(メリケン)などに渡るか決めなければならなかった。条約は契約のことである。言語学者のビッカートンはハワイの日系人のピジンやクレオールとして、つぎのような発話を記録している。

【ハワイのピジン】
   mista karsan-no tokoro tu eika sel shita.
  ミスター・カールソンのところへ2エーカー(の土地を)売った。

   tumach mani me tink kechi do.
 彼はたくさん金をかせぐと思うよ。

   da pua pipl awl poteito it.
   貧乏人はじゃがいもしかたべなかった。

 【ハワイのクレオール】
   yang fela dei no du deat.
   若いもんは、そんなことしないよ。

   awl diz bigshat pipl dei gat plenty mani dei no kea.
  大物(ビッグショット)は皆金持ちだから気にもかけないよ。

   get wan wahini shi get wan data.
  あの女の人、彼女には娘がひとりいる。

 ピジンとは、共通語をもたない人々が接触したとき、当座しのぎのコミュニケーションのために生まれた補助言語である。クレオールはピジンから発達して、第2世代の母語になった混交言語である。クレオールは母語であるから、人間の経験のあらゆる分野を表現できなければならない。だからクレオールは言語としての体系を備えている。

ピジン・クレオールは複数の言語が接触してできたものであり、屈折の欠如、固定した語順、数・性・一致の区別の喪失または縮小などの特徴が共通してみられる。また、ハワイのピジン英語が、遠く離れたカリブ海のピジンと共通の特色をもっていることも注目されている。たとえば、過去を示すためにbin を使い、未来を示すためにgo を使う。

 Dem bin kom.(They came.)
Dem go kom.(They will come.)

また、どこのピジン英語、クレオール英語にも’saber’(知る)、’pikini’(小さい)という語彙が共通してある。名詞は単数しかなく複数を示すには’dem’ をつけ加える。たとえば、’i get di buk dem.’(He has the books.) のようになる。また、very という意味にtoo muchを使う。トク・ピジンでは’mi kol tumas.’(I’m very cold.) となる。これは、カリブ海のピジンも太平洋のピジンにも共通にあるという。英語の語彙を取り入れる前のポルトガル語の影響だと考えることもできるが、新しい言語が生まれるときには共通の特徴が表れるのではないかと考える言語学者もいる。

 ピジン・クレオールは、基本的に書きことばのない言語であるため、発音にはかなりの揺れがみられる。lとrは区別されないことが多く、pとfも混用される。ドミニカ・インディアンは子音で終るすべての語に母音をつけたので、たとえば、chin(あご)はchin-ne となる。これらの特徴は、日本語の特徴とかなり似ているように思われる。

 クレオールは新しく生まれた言語であり、言語創造の原初の形に最も近いものと考えられている。日本語が最初に中国語と接触した時も、ピジンやクレオールの時代を経験したと考えられる。日本語もピジン化の過程を経て形成されてきたと考えると、弥生時代の日本語に中国語からの借用と思われる語彙がかなりあること、日本語の構造が朝鮮語と同じであり中国語とはかなり違うこと、近隣の言語に日本語に似た言語が発見できないことなどがかなり整合的に説明できる。

グアム島のチャモロ語もまた混交言語である。大航海時代がはじまってマジェラン一行がグアム島に到着したのは1521年のことである。グアム・サイパンにおけるスペインの影響は、1898年にアメリカが米西戦争に勝ってグアム・サイパンを手中におさめるまで400年近く続いた。チャモロ語は一時ほとんど死滅しかけていたが、現在ではチャモロ語を保存しようとする熱心な努力によって、学校などでもチャモロが復活しつつある。しかし語彙の70パーセントはスペイン語によって置き換えられている。

スペイン語      チャモロ語   スペイン語     チャモロ語
   verde(みどり) betde      vender(売る)   bende
   la mesa(テーブル) la masa asul(青)       asut
   paloma(鳩) paluma animal(動物)     animat
   caballo(馬)  kabayu llave(鍵)     yabi
   libro(本) lepblo historia(物語) estoria

チャモロ語にないvはbに変わり、語尾のlはtに入れ替わっている。チャモロ語の文法はオーストロネシア系であり、スペイン語からの借用語はチャモロ語の文法に馴化している。

【クレオール化したチャモロ語】
   Kumekuentos hao(あなたは話している。)
  話す    あなた

Este estorian un taotao.(これはある人の物語です。)
  これは 物語  一つの 人

Hu  taitai     i      lepblo.(私は本を読んだ。)
   私 読んだ ひとつの 本

Manaitai  yo’ lepblo.(私は本を読んだ。)
   読んだ 私 本

Yu-hu   tumaitai  i      lepblo-ku.(私は読書が好きだ。)
  そこの 読む ひとつの  本  私の

Malago’  yo’ setbesa.(ビールをください。)
   欲する  私 ビール

Kuantos anos hao?(年はいくつですか。)
   いくつ 年 あなた

 スペイン語語源のことばがいくつも使われている。話す(cuentos)、これ(este)、物語(historia)、一つの(un)、本(libro)、私(yo)、ビール(cerveza)、いくつ(cuantos)、年(ano)である。「私」を表わすことばは、チャモロ語固有の’hu’ とスペイン語からの借用語である’yo’’ とがあって、文章のなかで現れる位置が違う。チャモロ語の語彙は繰り返しが多く、’taotao’ は「人」であり、’taitai’ は「読む」である。

 シンガポールやマレーシアのように、現地のマレー人のほかに中国系移民やインド人の移民が入り混じって生活しているところでは、市場などの買い物にはバザー・マレーという共通語が使われてる。「ユー・オッケイ・ア?」「ノー・ラ」のように「ア」や「ラ」がつく。「ア」は中国語の「嗄」、「ラ」は「啦」である。「嗄」は疑問または反語で「イズ・イット?」とか「そうですか」を意味する。また、「キャン・アンダスタンド?」に対して、「イエス」、「ノー」でなく、「キャン」と答えるのもシンガポール・イングリッシュである。

19世紀の言語学者は、言語は生物の系統樹のように、祖語からいくつもの系統に分かれていくと考えていた。しかし、20世紀になって、まったく系統を異にする言語が混交して新しい言語を作り出すことが明らかになってきた。大航海時代以降、世界中の植民地で系統を異にする言語が混じり合い、クレオールと呼ばれる新しい言語が生まれた。植民地の支配者は、現地の人々と、クレオールを使ってコミュニケーションするようになった。太平洋の島々で、南米で、カリブ海の島で、クレオール化された言語が数多く使われて、現地の言語構造のうえにヨーロッパ言語の語彙が無数に借用されて新しい言語が生れている。クレオールについて研究することは、新しい言語の形成過程を解明することにもなるとして、専門家の間で新たな関心を集めている。

古代の日本語も中国語の語彙を受け入れる過程で、クレオール化が起った可能性がある。紀元前後朝鮮半島のどこかで、稲作技術をもった中国語を母国語とする人びとと、アルタイ系言語を母国語とする人びとが出会い、そこに漢の植民地ができたときの言語状況は、大航海時代以降の植民地の言語とあまり違ったものではなかったものと思われる。

現代の朝鮮語は新羅語の流れを汲む言語であるが、高句麗系の言語がどこへ行ってしまったかは明らかではない。高麗系言語は百済の支配階級の言語でもあったという。古代日本語は高麗系の言語を母体として、朝鮮半島の漢の植民地で形成されたピジンの特徴を受け継いだ言語である可能性がある。現代の日本語のなかには縄文時代のことばはほとんど受け継がれていないようである。狩猟採集民族のことばに含まれているはずの動物の内臓や根菜類に関することばは年代の日本語ではほとんどが中国語からの借用語であり、やまとことばの語彙は継承されていない。農耕民は圧倒的に優勢な弥生文化に押されて、縄文語は消滅してしまった可能性もある。古代の日本語は、ただひとつの祖語があって、それが万世一系の系譜のように、連綿と続いてきた言語ではないことだけは、少なくとも確かである。

 

第097話 日本語の座標軸

日本列島は、ナウマン象など大型動物の化石が出ることから、大陸と陸続きだった時期があったことが知られている。マンモスハンターたちは、大陸から歩いて日本列島に渡来した。長野県の野尻湖畔からはナウマン象やオオツノシカの化石とともに旧石器時代の石器や骨器が見つかっており、ナウマン象は当時の人類の狩猟の対象だったと考えられている。

今からおよそ10万年ないし7万年前に、アルタイ山脈の周辺に住んでいた人類は、東に移動し、2万3千年前にはバイカル湖のあたりに達した。そして、シベリア平原に世界的に有名なマリタ遺跡を残している。捕獲したマンモスの肉を食料とし、残された皮や骨牙を余すところなく用いて、住居や道具を作って、小さな集落で生活を営んでいた。彼らが制作したマンモスの絵や小像も残されている。バイカル湖のほとりに住んでいた旧石器人はモンゴロイドであり、その一部がサハリンから北海道、本州へとマンモスを追って移動して来たと考えられる。

 マンモスハンターたちはお互いにことばを使って集団でマンモスを追い込み捕獲していたに違いない。しかし、旧石器時代に日本列島に住んでいた人びとがどんなことばを発していたかについては何のてがかりもない。マンモスを見つけた旧石器時代の人びとは「おーい、象が来たぞ」と叫んだのだろうか。しかし、それはありそうにない。なぜならば「象」は中国語からの借用語であり、旧石器時代の日本語の語彙として使われていたとは考えにくいからである。象は万葉集では象(きさ)と呼ばれている。

 昔見し 象(きさ)の小河を 今見れば いよよ清(さや)けく なりにけるかも(万316)
 み吉野の 象山(きさやま)際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだもさわく 鳥の声かも
 (万924)

 また、平安時代の辞書である『和名抄』には「象(岐佐)、獣の名なり、水牛に似て大耳、長鼻、眼細く、牙長き者なり」とある。文字時代に入ってからの日本語では象は象(きさ)であったことが知られる。しかし、マンモスハンターたちの日本語が「おーい、象(きさ)が来たぞ」だったかどうかは分からない。万葉集から現在までの時間距離は約1300年で有るのに対して、ナウマン象の時代から現代までは1万5000年も隔たっているからである。ただ、旧石器時代の人類が言語を獲得していたであろうことは脳の発達などからして、ほとんど疑いの余地はないという。

日本列島で土器が出現したのは約1万2千年前からである。考古学者の研究によると、日本の縄文人の骨格は、弥生人とはかなり異なっている。縄文人の頭骨は現代の日本人に比べると大きい。顔は上下に短く頬骨は外側に張り出して顔幅が広い。眉間は盛り上がっていて、鼻の付け根の部分は深く窪んでいて彫りが深い。このような骨格の特徴は現代のアイヌ人にも見られるという。この時代に日本列島で話されていたことばについては何もわかっていない。

 紀元前300年頃、大陸方面から稲作農業と金属器の文化が西日本に伝えられて、急速に東日本に広がっていった。日本列島に住む人々の生活は弥生時代になって大きく変化した。農耕生活は狩猟・採集生活にくらべて食料の確保という点で格段に安定している。飢餓の恐れは減り、人口は急速に増える。狩猟採集の時代は獲物や植物の実を求めて人びとは移動する。農耕の時代になると人びとは定住し、余剰生産物の交易もはじまる。弥生文化は縄文文化にたいして圧倒的な優勢文化だったのである。

山口県の日本海に面する土井ケ浜遺跡などの弥生遺跡から出土する初期の弥生人が、大陸から海を渡って来た人々であったことはほぼ間違いない。稲作文化をもって渡来した人々の影響を受けて、それまでは狩猟採集生活を営んでいた縄文人も、稲を作るようになった。縄文人のことばも、新たに渡来した人々の影響で、大きく変わったにちがいない。

弥生人と縄文人の間には断絶がある可能性がある。農耕技術という優勢な文化をもった渡来人が大陸から押し寄せて、縄文人を放逐して弥生文化が生まれた可能性がある。日本列島に古くから住んでいた縄文人も、鉄器や稲作を伴った弥生文化を受け入れて変容した。

弥生時代の日本語はすでに中国語の語彙を多量に受け入れている。従来「やまとことば」とされてきたことばのなかにも弥生時代に日本語のなかに入ってきたと考えられる語彙がたくさん含まれている。

 麦(むぎ・バク)、 金(かね・キン)、絹(きぬ・ケン)、 舌(した・ゼツ)、
 肝(きも・カン)、 竹(たけ・チク)、浜(はま・ヒン)、 牧(まき・ボク)、
 文(ふみ・ブン)、 筆(ふで・ヒツ)、壇(たな・ダン)、 幕(まく・バク)、
 着(つく・チャク)、剥(はぐ・ハク)、染(そめる・セン)、沁(しみる・シン)、

 これらの語彙はいずれも子音の部分が中国語音と対応していて、日本が本格的な文字時代に入る前の時代、弥生時代から古墳時代にかけて、中国語から日本語のなかに入ってきたものと考えられる。優勢な農耕民族のことばが狩猟採集民族のことばのなかに取り入れられて、混交し日本語はクレオール化したと考えられる。

現代の日本語はいわゆる膠着語であり、名詞のあとに助詞(後置詞)をはいりつけて格と表し、動詞の後に助動詞などをはりつけて時制や相、態などを表す構造になっている。これは朝鮮語などと同じ構造であり、中国語とはかなり違う。しかし、弥生時代以降日本語のなかにはかなりの数の中国語の語彙が入ってきている。

『古事記』や『日本書紀』にみられる神話の舞台も、弥生文化がその背景に読みとれる。たとえば、天の石屋戸の場面の記述をみると「天照大御神は機屋で神に奉る神衣を機織女に織らせていた。するとスサノヲノ命はまだら毛の馬の皮を剥ぎ取って落とし入れてきた。天照大御神はこれを見て天の石屋戸にたてこもってしまった。八百万の神が集まって相談し、常世の長鳴き鳥を集めて鳴かせることにした。次に天の金山の鉄を採って鏡を作らせた」とある。

縄文時代の家畜は犬くらいで、馬や鶏はいない。『魏志倭人伝』には「その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲なし」とある。また、『古事記』応神天皇の条に「百済の王が牡馬一匹、牝馬一匹を貢上した」とあるから、日本にはもともと馬がいなかった可能性すらある。蚕の飼育や機織も縄文時代の情景にはなじまない。鉄は米とともに弥生時代になって日本列島に入ってきたものである。

つぎに、スサノヲノ命は、食料をオホゲツヒメノ神に求める。「オホゲツヒメノ神の頭からは蚕が生まれ、目からは稲の種が生まれ、耳からは粟が生まれ、鼻からは小豆が生まれた。陰部に麦が生まれ、尻に大豆が生まれた。これが五穀の種となった」という。これはまさに農耕時代のはじまりの物語である。また、八俣のおろち退治には酒船に酒を満たして大蛇に飲ませ、酔いつぶさせてしまう。酒を醸すのも穀物の栽培があってはじめてできることである。日本の神代とは石器時代のことでも、縄文時代のことでもなく、弥生時代のことである。

縄文文化は東日本を中心とした文化であり、マンモスハンターの文化の後裔であると考えられる。縄文時代の日本語をAとし、弥生時代になって渡来人がもたらした言語をBとすると、言語Aと言語Bは、ともにアルタイ系言語であった可能性がある。しかし、言語Aと言語Bは同じアルタイ系でも、2万3千年前にバイカル湖のほとりで別れた親戚であり、ほとんど相互に理解不能だったに違いない。

朝鮮半島を経て日本列島にやってきた言語Bは、おそらく高句麗語系のアルタイ語であったものと思われる。百済は高句麗系で言語Bと同系だから高句麗・百済系といってもいい。朝鮮半島から弥生文化とともに入ってきた言語Bは、朝鮮半島にある時代にすでに、言語C(中国語)から多くの中国語の語彙を取り入れてクレオール化していた。それが「やまとことば」に中国語系の語彙を供給したと考えることができる。

これが、古代中国語の音韻と「やまとことば」の語彙との対応を検証してえられた、日本語形成のシナリオである。言語の系統は主として文法構造を中心に分類される。語彙は変りやすいが、文法構造は語彙にくらべて変化しにくい。日本語はアルタイ系の文法構造、音韻体系のうえに、長い間にわたって中国語の語彙を受け入れている。日本語は弥生時代の当初からクレオール化を経験した混交言語である。

日本には、日本人という人種、あるいは日本語という言語は、純粋でなければならないという考え方があるように思われる。しかし、純粋な言語というようなものは世界中にあるのだろうか。ことばは時代とともに変化する。日本語は日本列島に住みついた旧石器時代の人びとの時代から縄文時代、弥生時代を経て形成され、何度も生まれ変わってきた。古事記や万葉集のことばが、縄文時代から弥生時代という1万年を越える時代を通じて日本列島で話し続けられてきた「やまとことば」であり、「やまとことば」は不変であったと考えることはできない。

今まで、「やまとことば」は純粋だと考えられてきたから、「やまとことば」のなかに中国語の語彙がかなり含まれていることを指摘した学者はいない。日本語の語彙は、同じアルタイ系であるはずの朝鮮語と共通のものが少ないことだけが強調されてきた。日本語は2万年前に朝鮮語と分かれた言語であり、文法の構造は朝鮮語にきわめて近い。しかし、弥生時代以降2千年以上にわたって中国語の語彙を受け入れ続けてきたため、語彙は中国語系の語彙が多い。

ヨーロッパの言語学によると、すべての音変化は例外のない法則によって遂行されるという。つまり、音変化の方向はひとつの集団に属するすべての成員にとって常に同じであり、変化にさらされた音を含むすべての単語は、例外なしにその変化をこうむる、という。

ところが日本漢字音の場合はどうであろうか。日本漢字音には呉音と漢音がある。

  馬  幕  万  美  眉  武  無  望  牧  文
呉 音 マ  マク マン ミ  ミ  ム  ム  モウ モク モン
漢 音 バ  バク バン ビ  ビ  ブ  ブ  ボウ ボク ブン

もし、日本漢字音のもとになった中国語音が同じであったとしたら、なぜ馬(マ・バ)などのように違った発音が伝わることになったのだろうか。中国のなかで音韻変化があったとしたら、例外なく同じ方向に変化するのが音韻法則であったのではないのか。呉音は中国江南地方の漢字音に依拠しており、朝鮮半島を経由して日本にきた借用語の音であるとされている。それに対して漢音は中原の中国語音に依拠しており、日本が文字時代に入ってから直接中国から入ってきた音だとされている。呉音のほうが古く、漢音のほうが新しい。

上の例では呉音がマ行であり、漢音がバ行である。古代日本語では濁音が語頭にくることはなかった。だから、より古い時代の借用音である呉音ではマ行音(鼻音)で発音され、遅れて日本に入ってきた漢音ではバ行音(漢音)で発音される。遣唐使などが中国に行き、また中国から音博士などが渡来した漢音の時代には、日本語は中国語の影響で語頭に濁音が立つようになったのである。

日本漢字音は中国の江南音に依拠しているのか中原音に依拠しているのか、またいつの時代に借用されたかによって発音が違うこともある。

  金   絹   文   麦   牧   筆   舌   眉   
 訓 かね  きぬ  ふみ  むぎ  まき  ふで  した  まゆ  
 音 キン  ケン  ブン  バク  ボク  ヒツ  ゼツ  ビ  

 日本が本格的な文字時代に入る前に中国語から日本語に入ってきた語彙はやまとことばとして訓のなかに紛れ込んでいる。日本語には「ン」で終わる音節はなかったから、古代中国語で-nまたは-mで終わる音節は母音を添加して開音節(母音で終わる音節)に転移させた。金(かね)、絹(きぬ)、文(ふみ)などはその例である。日本語には子音(-k、-t)などで終わる音節がなかったから母音を添加して開音節(母音で終わる音節)に転移させた。麦(むぎ・バク)、牧(まき・ボク)、筆(ふで・ヒツ)、舌(した・ゼツ)などの例があげられる。これらの借用語は語頭の母音も濁音から鼻音あるいは清音に転移している。眉(まゆ・ビ)なども日本語では二音節に発音されているが、中国語からの借用語の例であろう。

 弥生時代までの日本語は文字がなかったので、記録のうえで何の痕跡も残していない。しかし、「やまとことば」は縄文時代、弥生時代、古墳時代を通じて形成されてきた日本語が歴史上はじめて文字化され、記録に残されたものだから、「やまとことば」のなかに弥生時代の日本語の痕跡を探し求めることはできる。

 本居宣長の時代には「やまとことば」は敷島のやまとの国に、ことだまのさきわう国に神代の時代から伝わったものであり、古事記や万葉集はまじりけのない、漢語を含まない純粋な日本語で書かれていると考えられてきた。しかし、古代の日本語だけが世界の言語から孤立した起源をもち、「やまとことば」は純粋な日本語であったという考えは否定されざるをえない。日本語の文法構造は朝鮮語にきわめてちかく、語彙は古代日本語の時代から中国語からの借用語を数多く取り入れていることはもはや疑う余地がない。

 

[聖書のことば]

第098話 はじめにことばありき考

 第98話「はじめにことばありき考」から第106話「日本語と近いことば・遠いことば」までは中部大学発行の雑誌『アリーナ』(2009年12月10日)第7号に「はじめにことばありき考〜日本語比較言語学の企て〜」として載せたものに加筆したものである。

はじめに

 「はじめにことばありき」とは新約聖書ヨハネによる福音書の冒頭のことばである。この地球上にはじめにあったことばとは、どのようなことばだったのだろうか。キリストはヘブライ語あるいはアラム語を話していたのではないかと考えられている。人類最初のことばとはどのようなことばだったのだろうか。そして、日本語は人類最初のことばとどのような関係にあるのだろうか。

  19世紀に歴史言語学が発達した結果、世界にはヘブライ語やアラム語より古いことばがることが明らかになってきた。ナンスクリットである。ヨーロッパの諸言語については、言語の系統が解明され、これらの諸言語の関係をあたかもひとつの幹から枝分かれした樹木に見立て、これを系統樹と名づけた。

インド・ヨーロッパ祖語 �.殴襯泪鷂� 西ゲルマン語 英語
  ドイツ語
     北ゲルマン語 アイスランド語
   �▲ぅ織螢奪�語 ラテン語 スペイン語
   フランス語
       イタリア語
  �� ギリシャ語   ギリシャ諸方言
  �� インド・イラン語  イラン語
   サンスクリット
   �ゥ好薀峺� 西スラブ語 ポーランド語
   東スラブ語 ロシア語

ヘブライ語もアラム語はインド・ヨーロッパ系の言語であり、セム語系のことばであることが明らかにされている。中国語、ドラヴィタ語(インド南部)、オーストロネシア語(マレー語やインドネシア語)についても、その系統が明らかにされている。しかし、日本語については、アルタイ語系論、南島語(オーストロネシア)系論、タミル語起源説などがあり、いまだにその類縁関係は明らかにされていない。

もし、仮に万葉集がロゼッタ・ストーンのように朝鮮語や、中国語、アイヌ語、インドネシア語、タミル語などに翻訳されていたら、それらを比較することによって日本語との類縁関係を検証することができるのではないか。ところが、万葉集については朝鮮語の完訳はあるものの一部でも翻訳のある言語は中国、英語などに限られている。ところが、聖書はほとんど世界中のことばに翻訳されている。東京銀座四丁目の教文舘のビルにある日本聖書協会に行けば誰でも聖書を世界中の言語で閲覧することができる。そこで、聖書の「はじめにことばありき」の部分と主の祈り(マタイによる福音書第6章)をとりあげ、日本語と類縁関係にあると考えられる言語と比較してみることにする。聖書は壮大なロゼッタ・ストーンでもある。

ここでは、日本語と類縁関係がるとされるとされる朝鮮語、モンゴル語、アイヌ語、チャモロ語(グアム・サイパンのことば)、タミル語、ビルマ語のほかに中国語、英語についても同じ聖句の翻訳文をたよりに比較することによって、日本語との類縁関係を探ってみることにする。ひとつの言語をそれなりに習得するには3年はかかる。仮にひとりの人間が8カ国語を習得しようとすると20年以上かかることになる。しかし、辞書と文法書がそなわっている言語を解読することは不可能ではないはずである。辞書も文法書もないヒエログリフを解読した人シャンポリオンのような人もいるのである。

 聖書の解読にあったては、それぞれの言語の専門家の協力が得られるものについては、原稿の段階で校閲していただいた。しかし、解釈に誤りがあるとそれば、それはすべて筆者の責任である。

 

第099話 朝鮮語訳の聖書

 大野晋は今では日本語・タミル語起源説でしられているが、1957年に『日本語の起源(旧版)』を出版したときは日本語・アルタイ語系説であった。日本語・アルタイ語系説は明治以降多くの学者によって唱えられ、当時の通説でもあった。ところが、大野晋は1990年代になるとタミル語起源説を提唱して、旧版は絶版にしてしまった。日本語はアルタイ系の言語なのだろうか、タミル語と同じドラヴィダ語系の言語なのだろうか。

 ここでは、まず『韓日対照聖書 改訳改訂版新共同訳』日本聖書協会、1992年によって日本語と韓国・朝鮮語を比較してみることにする。(原文はハングル)

<ヨハネによる福音書>

1.初めにことばがあった。
     tae-cho- e  mal-sseum- i    kye-si ni-ra
    [太初] -に お言葉 -が   ありました。(文語・ていねい形)

  ことばは神と共にあった。
     i  mal-sseum- i ha-na- nim- gwa ham-kke kye-syeott eu-ni
   また お言葉  -が 神    -と 共に   あられた。(過去・ていねい形) 

  ことばは神であった。
     i  mal-sseum- eun  kot  ha-na- nim- i-si-ni-ra
   また お言葉  -は  即   神   -でありました。(文語・ていねい形)

 

○ 朝鮮語では日本語と同じく、「太初」など中国語からの借用語が使われている。

○ 朝鮮語は日本語と同じく、助詞によってことばを糊付けしていく、いわゆる膠着語である。
e「に」、i「が」、gwa「と」など。

○ 朝鮮語では日本語と同じく、あるいは日本語以上に敬語やていねい語が多く使われる。
mal-sseum(malは「ことば」、sseumは尊称)、先生や目上の人、神などにはmal-sseum「お言  葉」のように尊称を使う。

○ kye-si-da(おられる、いらっしゃる、まします)も、尊敬語である。ke-si-raは文語形である。

○ ha-na-nim(キリスト教の唯一神、プロテスタントの神)、カトリックではcheon-ju(天主)を使う。

○ 朝鮮語の語順は日本語と同じで、主語+目的語または補語+動詞である。

2.このことばは、初めに神と共にあった。
     keu- ga tae-cho- e  ha-na-nim- gwa  ham-kke   kye-syeot-   go
    それ –が [太初] -に  神   -と 共に (過去・ていねい形)  あって

3.万物はことばによって成った。
     man- mul- i  keu-ro mal-mi-am-a ji-eun  ba  toe-eott-  
     [萬物] -はそれ  によって 造られ  (断定) 成った(過去)

 成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった。
     eu-ni   ji-eun   geot  i ha-na-   do  keu- ga   eops-i-  neun
    だから 造られた もの -は ひとつ  –も それ が なしに は

  toen  geot- i eops- neu- ni- ra
   成った もの は  ない  のである(文語・ていねい形)

○ 萬物は朝鮮語では萬物(man-mul)と発音される。中国語の韻尾-tは朝鮮語では規則的に-lになる。
地下鉄(chi-ha-chol)、万年筆(man-nyeon-pil)などのごとくである。日本語の刷(する)、擦(す  る)、払(はらう)、お祓い(おはらい)なども朝鮮語音の影響を受けた、古い時代の中国   語からの借用語である可能性がある。

<マタイによる福音書第6章>

 9. だから、こう祈りなさい。
   keu-reo-meu-ro  neo hui-  neun  i-reoh-ke   ki-do  ha-ra
   - だから    お前-たち  -は  このように  [祈祷]  しなさい(命令)。

  天におられるわたしたちの父よ、
ha-neul  e  kye-sin          u- ri  a-beo-ji  yeo
天   -に おられる(ていねい形) 我ら 父親 よ  

  御名が崇められますように。
i-reum-  i  keo-ruk-hi  yeo-gim-eul  pat-eu-si-   o-myeo
     名前  -が 神聖である みなす (受身)される ますように(連結語尾)

10. 御国が来ますように。
na-ra-i im-  ha-eop-si-    myeo  
    国 –が [臨] なされ(勧誘) ますように(文語形の語尾・尊敬)

  御心が行われますように。
tteut -i  ha-neul  e-seo   i-run  geos
    志-が   天 -にて 成り (接続語尾)  

  天におけるように地の上にも。
katt- i  ttang-e seo-do   i-ru-eo     ji -i-da
    同じく 土地-に にも  成る(命令) (補助詞)

○ 国は朝鮮語でna-raである。日本の奈良も渡来人が朝鮮語のna-raにならって命名したのではない  か、といわれている。

○ 中国語の「臨」は朝鮮語では臨(im)と発音する。朝鮮語では語頭にr音が立たないので、語頭  のrは脱落して臨(im)となる。r音が語頭に立たないのはアルタイ系言語の共通の特徴で、モン  ゴル語もr音は語頭に立たない。日本語も古代日本語では借用語以外はr音が語頭に立つこと  ばはない。日本漢字音では臨「リン」であるが、朝鮮語では韻尾の-mと-nは区別さて臨(im)とな  る。意味は「国が降臨しますように」である。

11.わたしたちに必要な糧(かて)を今日与えてください。
o-neul-nal u-ri-  e-ge  il-yeong- hal   yang-sik- eul  ju- eop- si-go
   今日   我われ に  [日用] たべる  [糧食] -を 与え くださり(勧誘)

○ 中国語からの借用語「日用」は朝鮮語では日用(il-yong)であり、中国語原音の日用(njiet-jiong)の  語頭音nj-は脱落し、語尾の-tは-lに転移している。「日本」を朝鮮語で日本(il-bon)というのも同  じである。「糧食」の語頭音rが脱落して糧食(yang-sik)となるのは前出の臨(im)と同じであ   る。

12.わたしたちの負い目を赦してください。
u-ri- ga   u-ri- e-ge  joe ji-eun ja- reul   sa- ha-yeo
     我ら−が 我ら−に  [罪] 犯した  [者]−を  [赦] すした(過去・ていねい形)

わたしたちも自分に負い目のある人を、赦しましたように。
jun-geot katt-i   u-ri  jeo reul sa ha-yeo ju-eup-si-go
     こと  のように 我  [罪]−を  [赦] し(未来・ていねい形) たまえ

○ 朝鮮語のhadaは日本語の「する」に相当することばである。過去形はhayeot-ta、過去ていねい  形はha-yeos-seum-ni-da、未来推量形はha-yeok-ket-ta、未来推量ていねい形はha-yeok-kes-
  seum-ni-daである。「ありがとう」はkam-sa-ham-ni-da(感謝ham-ni-da)はていねい形、あいさ  つのan-nyeong-ha-sim-ni-kka(安寧ha-sim-ni-kka)尊敬・ていねい形に疑問の-kkaが加わったも  のである。

○ 朝鮮語のu-riは主格にも所有格にももちいられる。

13.わたしたちを誘惑に遭わせず、
u-ri- reul  si-heom- e  teul-ge ha-ji  ma- eup-si-go  
我ら -を [試験]  -に 落とし入れ  (否定) たまうな 

  悪い者から救ってください。
ta-man  ak-  e-seo  ku- ha-si  eup-so seo 
ただ   [悪]  –から  [救]  って やってください 

○ 中国語からの借用語で朝鮮語では「テスト・試練」と「誘惑」のふたつの意味で使われる。この場合は「誘惑」である。
前出の臨imと同様、朝鮮語では「験」の韻尾-mと-nは区別は保たれている。北京語では「験」はyanで-mと-nの区別は失われているばかりか頭子音も失われている。広東語では「験」はyimで現在でも韻尾の区別が保たれている。 

聖書の翻訳を通して日本語と朝鮮語を比較してみると日本語と朝鮮語の特徴についていくつかのことが分かってくる。

○日本語と同じ特徴:●日本語と異なる特徴

○ 朝鮮語は日本語と同じように、中国語からの借用語が多くみられる。
太初tae-cho、萬物man-mul、祈祷ki-do、臨im、日用il-yong、糧食yang-sik、者ja、赦sa、罪jui、試験si-heom、悪ak、救ku、

○ 朝鮮語の語順は基本的には日本語と同じで、主語+目的語+動詞の順である。文章の最後に動詞がくる。

○ 日本語、朝鮮語ともにいわゆる膠着語であり、名詞のあとに助詞がついて主格、所有格、目的格などをあらわす。前置詞は用いられない。

前の音節] 〜は 〜が 〜を 〜と 〜に 〜に 〜も 〜から
          (場所) (人)   〜で
母音終わり -neun -ga -reul -wa -ui -ege -do -e seo
子音終わり -eun -i -eul -gwa        

○ 日本語にも朝鮮語にも尊敬表現、ていねい表現などがある。朝鮮語は尊敬表現やていねい表現が日本語より発達している。これは中国語やヨーロッパの言語にもない特徴である。

● 借用語は朝鮮語の音韻体系によって転移するので、中国語原音の発音とも、日本漢字音の発音とも異なっている。

 �|羚餮豈と�の-tは規則的に-lになる。万物(man-mul)、日用(il-yong)、
��朝鮮語では中国語韻尾の-nと-mは区別されているのに対し日本語では「ン」となって弁別され ない。例:臨(im)、試験(si-heom)、
�D�鮮語では中国語韻尾の-ngが保たれているのに対し日本語では音便形になる。
   例:日用(il-yong)・「ニチ−ヨウ」、糧食(yang-sik)・「リョウ−ショク」
�つ�鮮語ではラ行音が語頭にくることがないので、中国語原音のラ行音は語頭では脱落する。糧 食(yang-sik)。古代日本語でもラ行ではじまることばはなかった。ラ行ではじまることばがない のはアルタイ系言語の特色のひとつとされている。
�ツ�鮮語では語頭に濁音がくることがない。語中では濁音となる。日本語でも語頭では清音のも のが語中では濁音になる。例:a-bo-ji(父)など、

 ハングルでは父a-po-jiと書いて語中ではpはbと発音される。朝鮮語では語頭に濁音がたつことはない。語頭では清音で発音される音が語中では規則的に濁音になる。清音と濁音が語頭と語中で相補分布する。古代日本語でも濁音が語頭にくることはなかった。

○ 朝鮮語には母音調和があって、陽母音(a,o)は陽母音と結びつき、陰母音(i,u,eo,eu)は陰母音の接尾辞や助辞と結びつくと性質がある。これはアルタイ系言語の特色のひとつであり、古代日本語にも母音調和があったといわれている。

● 朝鮮語の音節は子音で終わるものもある。例:kot「則」、kye-syeot, toe-eott, geot,など、しかし、これは多分に表記法上の問題であって、話ことばでは韻尾の子音はつぎの音節の母音とリエゾンするので、聴覚印象的には開母音に近い。

 朝鮮語の語彙は日本語に似ているものは少ないが、文法構造はきわめて日本語に近い。語彙は、方言などもあって変わりやすい。しかし、言語がその意味を伝える構造・文法構造は語彙ほどには変わらない。従来、言語の系統は語彙や音韻の比較によって、主になされてきたが、文法の構造を比較することによって、深層構造の比較をすることができる。

朝鮮語の解釈は、基本的には辞書と文法書をたよりに行ったが、東京韓日バプテスト教会の黄洛孝牧師の指導を受けた。

 

第100話 モンゴル語訳の聖書

 日本語は朝鮮語、モンゴル語などとともにアルタイ語系であるという説が古くからある。モンゴル語の聖書によって、モンゴル語と日本語との比較を試みることにする。(原文はロシア式のキリル文字)

  ヨハネ福音書第1章
   kokhan

1.初めもことばがあった。
     ekhlel   ug   baisan  ug    burkhan-tai   khamt  baisan
   はじめ ことば(主格) あった ことば 仏-と(共同格)  ともに あった

 ことばは神とともにあった。
ba      ug      n     burkan  baisan
   そしてまた ことば(主格) (強調)  仏    であった

  ○ モンゴル語訳では「ことばは神であった」ではなくて、「ことばは仏さまであった」というこ  とになる。burkhanとは「仏・仏陀」でる。キリスト教の神の概念をどのように翻訳するかは、 キリスト教の布教の過程ではしばしば問題になった。韓国語訳でもカトリックとプロテスタント では違う訳を用いたことは、韓国語訳のところで述べたが、日本でも、宣教師ザヴィエルは「大 日を拝みましょう(大日を拝みあれ)」と説いた。大日とは大日如来のことである。
○ モンゴル語は日本語や朝鮮語と同じように、助詞(後置詞)によって単語と単語を糊付けしてい く膠着語的性格もある。urkan-taiの-taiは「と」を表す。
○ モンゴル語では主格をあらわす助詞は省略される。例:ug(ことばは・主格)
○ モンゴル語の語順は主語+目的語(あるいは補語)+動詞で日本語と同じである。

2.このことばは、初めに神とともにあった。
     ene   ug    n  ekhleed  burkhan-tai    khamt    baisan.
    この ことば  は はじめに 仏+と(共同格) 共に(後置詞) あった

  ○ekhleedは「はじめに」、ekhlelは「はじまり」、ekhelehは「始まる」。

3.万物はことばによって成った。
      bukh   zuil      ug-nees         bii bolson
    万  物は(主格)  ことば+によって(奪格) 成る  

  成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった。
    bii bolson  zuilees  ug-gui-g-eer
    成る      もので   ことば+(否定)+によって(具格)

  bii bolson  zuil    neg   ch   baikh-gui.
    成る     ものは(主格)  ひとつ も(助詞)  存在しない(否定形)

○ug-nessのeesは奪格「によって」でug-gui-g-eerのeerは具格「によって」をあらわす。
  ○ モンゴル語には母音調和がある。格助詞も文法上の性別によって使いわける。例えば、
    男性母音の場合 aas,oos/aar,oor
    女性母音と中性母音の場合 ees,öös/eer, öör となる。
    古代日本語にも母音調和があったといわれている。

  マタイ福音書第6章
   Matai

9.だから、こう祈りなさい。
      tiim uchraas  ingej     zalbir
    だから   このように 祈る  

  『天におられるわたしたちの父よ、
    tengert baigaa bidnii    etseg 
    天   おられる  われわれ-の  父 

  御名(みな)が崇められますように。
    mini    tanii   ner   ariunaar  duursgagdag.
    私たち-の  あなた-の 名前  神聖として 有名にする

  ○tegej=そのように、(ingej=このように)、zalbarikh=祈る、 tenger=天、baih=あらしめよ (命令)、bidnii=われわれの、 etseg=父、mini=1人称代名詞所有格・私の、tanii =あな
 たの、ner=名前、名声、ariun=清い、神聖な(ariun=非常に清浄な)、duursgah=有名にする こと、
○ tengert「天」はチュルク語からの借用語である。モンゴル語はチュルク語との関係が深いとい われている。

10.御国(みくに)が来ますように。
    tanii    khaanchlal irekh    boltugai 
    あなた-の  治世 来る(未来形)  ように

  御心(みこころ)が行なわれますように、天におけるように地の上にも。
    Ariun setgel tengert orshih  gazar deer biyelegdekh  boltugai.
    神聖な 天   のように 地上-に  実現され(未来形・受身)   ますように

○ khaanchlakh=治世(khaantai=皇帝=汗)、irekh=来る、bolutugai=bolox「になる」の命令 形「でありかし」、küsel=希望、tani=あなたの(2人称代名詞所有格)、tangert=天、   shig-=のような、gazar=土地、地上、deer=上に、biyeleh=実現する、biyelegdekh=実現さ れる、
○ khaanchlalは「王としての振る舞い」を意味することばである。khaanはジンギスカンなどの汗(カン)でモンゴル語では王を意味する。

  11.わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
    udur tutmiin  mini  hunsiig  onoodor bidend  ogooch.
   毎日      私-の  パン-を  この日 我々-に  与えて-ください

  ○udur=日、 tutum=毎、(udur tutum=毎日)、mini=1人称所有格「私の」、talkan=パン、 ene=この、bid-en=我々、ogokh=与える、
○ モンゴル語では代名詞に格表示があるばかりでなく、名詞も格を表示することができる。    talkanは「パン」であるが、それに-gをつけて目的格「パンを」を表す。所有格の場合は-nを つける。

12.わたしたちの負い目を赦してください、
    bidnii gem zemiig uuchlaach      adil
    我々-の 罪-を    許してください   同様に

  わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
    Bid ch gem zemtei huniig uuchlasan shig
    我々-も  罪のある   人を 許した  ように

  ○bid=我々、gem zem=罪、öri-n=借金、üüchlakh=赦す、adal=同様に、bidnii=我々の(1人 称複数代名詞所有格包括形)、mön=[間投詞]然り、その通り、 uuchlaach=赦す、
○ ここでも、gem zem「罪」に-gをつけることによって目的格を表している。

13.わたしたちを誘惑に遭わせず、
    bidniig hudal huurmagaas hol bailgaj
    われわれ-を  誘惑    遠くにさせて

  悪い者から救ってください。
    muu  hunees   avraach.
    悪い  人-から  救って-ください 

○ bidnii=我々の(包括形)、 sorilt/sorilgo=試練、hudal huurmag=試練、嘘、buu=禁     止の 助辞、oruulah-=入れる(oroh=入る)、kharin=しかし、 buzar=穢れた、muu=悪    (muugaas= 悪から[奪格])、 avrah=救う(getül-gex=[他動詞])


国の力と栄えは、とこしえに、あなたのものですから。アーメン
 Uchir  n   khaanchlal khuch chadal aldar sur   taniikh  amyen.
   こと (受身) 治世     力  才能  名声 威光  あなたの  アーメン

  ○uchir=事実、状態、 n=3人称代名詞の受身形・古い形、khaanchlakh=治世、khuch=力、   chadal=能力、才能、 aldar=名声、sur=威光、taniikh= あなたの
○モンゴル語では名詞の格表示によって目的格(-g)や所有格(-n)、奪格(-s)を示すこともできる が、日本語と同じように助詞(後置詞)によって関係を示すことも多い。ここで取り上げた例文 のなかでも、khamt(と共に)、deer(上に)、などが使われている。
○複数の表示は英語などのように義務的ではないが、文法上複数を示す形式がある。この点は日本 語とは異なる。しかし、モンゴル語は日本語、朝鮮語などとともに膠着語に属するといえる。

参考文献:小沢重男『現代モンゴル語辞典』大学書林
              Bawden”Mongolian-English Dictionary”Kegan Paul International

 なお、モンゴル語の解釈についてはダシニャム・オランマンダハさんの協力を得た。モンゴル語の特徴を日本語、朝鮮語と較べてみるとつぎのようになる。

○日本語と同じ特徴: ●日本語と異なる特徴

[日本語]                       [モンゴル語]   [朝鮮語]
○ 語順は主語+目的語+動詞が基本である。        ○      ○
○ 助詞(後置詞)で語と語の関係を示す。         ○      ○
○ 母音調和がある。                   ○      ○
○ rで始まる音節はない。                ○      ○
○ rとlの区別がない。                 ●       ○
○ 疑問の標示は文末にくる。               ○      ○
○ 名詞には文法上の性はない。              ○      ○
○ 名詞に単数・複数の区別はない。            △      ○
○ 名詞には冠詞はつかない。               ○      ○
○ 1人称代名詞に包括形と除外形の区別なない。      ●       ○

 モンゴル語の文法は日本語の文法とかなり多くの特徴を共有している。朝鮮語と共通の特徴も多い。日本語や朝鮮語がアルタイ系言語ではないかといわれる所以である。

モンゴル語の名詞は複数を示すこともあるが、義務的ではない。代名詞に単数・複数の別があり、1人称複数(所有格)には包括形と除外形の区別もみられる。1人称複数に除外形と包括形の区別のある言語はモンゴル語ばかりでなく、アイヌ語、チャモロ語、タミル語などにもみられる。除外形は話し相手を含まない「我々」であり、包括形は話し相手を含む「あなたと私」を表す。モンゴル語の人称代名詞はつぎのように変化する。

  1人称 1人称複数 1人称複数 2人称 2人称 3人称 3人称
(単数) (除外形) (包括形) (単数) (複数) (単数) (複数)
主格 bi bid bid ta ta nar ter ted nar
所有格 minii manal bidnii tany tanai tuunii ted naryn

 モンゴル語はrとlの区別がある、1人称代名詞に包括形と除外形の区別があるなど、日本語とは違った特徴はあるものの、安定した語幹に、接尾辞や助詞がついて単語を連ねて行く膠着的構造など文法構造は朝鮮語、日本語にきわめて近い。モンゴル語はアルタイ系言語とされており、その意味では日本語も朝鮮語もその構造はアルタイ系言語に近いということになる。もし、日本語がアルタイ系言語ではないということになると、そもそも言語の系統とは何か、どこまで共通の特徴をもっていれば同系統といえるのか、という根本的な問題につきあたることになる。

同じインド・ヨーロッパ語族の言語といっても英語とフランス語では語彙も文法構造もかなり違う。ラテン語、ギリシャ語になるとさらに違う。それにもかかわらすインド・ヨーロッパ語族をひとつの語族として成り立たせているのは、インド・ヨーロッパ諸語の歴史がかなり古い時代まで遡ることができ、それらの言語の分岐してくるようすが歴史的にたどることができるということではなかろうか。それに対してアルタイ系というわれる言語が文字記録に現われるのは、いずれも遅く、千年以上の歴史をたどれる言語はきわめて少ない。したがって、歴史上それらの諸語がお互いに、いつの時代に、どのように分岐してきたのかが明らかにできないという点にあるように思われる。モンゴル語、朝鮮語、日本語の分岐は、それぞれの言語が文字時代に入る前に行われてしまっていたのであろう。

 

第101話 中国語・英語の対訳聖書

日本語は中国語や英語とは系統が違うといわれているが、中国語や英語とは共通の特徴はひとつもないのだろうか。ここでは『新約全書 中英對照』香港聖經會、1957年版によって、日本語と中国語や英語との関係を検証してみることにする。

  約翰福音
  The Gospel according to John

1. 太初有道、
  In the beginning was the Word,

  道與上帝同在、
  and the Word was with God,

  道就是上帝。
  and the Word was God.

2. 這道太初與上帝同在。
He was in the beginning with God.

   3. 萬物是藉着他造的;
     All things were made through him;

   凡被造的、没有一様不是藉着他造的。
     and without him was not anything made that was made.

○ 聖書の中国語訳では「はじめにことばがあった」のではなく「はじめに道があった」となってい る。中国語では「道」は「申す」とか「導く」という意味もある。日本語の聖書でも明治時代  (1906年)に出版された『英和対訳新約全書』では、「元始より在し生命の道(ことば)を  爾らに傳ふ」と、「道」と書いて「ことば」と読ませている。
 現代の『新約聖書』はギリシャ語を原典として訳している。ギリシャ語ではlogosがあったと書 かれている。そのlogosとは「ことば」なのだろうか「道」なのだろうか、それとも、「論理」 なのだろうか。これは、ことばの問題であると同時に神学上の問題でもある。

  ○中国語も英語も語順の基本形は主語+動詞+目的語(または補語)であり、同じである。

○ 英語には前置詞がある。中国語では前置詞は使われないことが多い。しかし、「與」などは前置 詞の役割をはたしていると考えることもでいる。
 太初=In the beginning、與上帝=with God

○ 英語では名詞に冠詞がつき、単数と複数の区別があるが、中国語には冠詞はなく、単数と複数の  区別もない。
 太初=In the beginning、道=the Word,

○ 英語の代名詞には性・数・格の表示があるが、中国語では性・数・格の表示はない。

  ○ 英語には動詞に時制があり、ある場合には人称標示もある。しかし、中国語には時制も人称標示 もない。中国語の「太初有道」をそのまま英語に直訳すれば、”very beginning be word”であり、 「道與上帝同在」は”word and God same exist”となるであろう。

  ○英語にはr音とl音の区別があるが、中国語にはrとlの区別はない。

○ 現代の北京語では韻尾の-p、-t、-kは失われている。
 例:約翰福音yuē-hàn-fú-yīn、萬物wàn-wù、藉着jí-zháo、他造的tā-zào-de、
 広東語では韻尾の入声音(韻尾の-p、-t、-k)が保たれている。
 例:約翰福音yeok-gon-fuk-yam、萬物warn-mat、藉着jihk-jeok、他造的ta-jou-dik、
 古代中国語音は韻尾に子音があったものと考えられている。広東音のほうが、現在の北京語より も古い中国語音を留めていることになる。

  ○ 中国語訳ではGod が「上帝」となっているのも気にかかるところである。中国における初期の布 教に従事したイエズス会は、道教の最高神のひとつ「上帝」を「カミ」を示すことばとして用い た。「上帝」は天の神で、その宮殿は北極星であるとされた。都には天子が「上帝」を祭るため に天壇があり、冬至ほ日には皇帝が儀式を営んだ。

マテオ・リッチは儒教の経典にもでてくる「上帝」が、「天主」と同じであると説いた。しかし、Godの訳語として「神」を採るか、「上帝」を採るかをめぐって激しい対立が生じた。「神」を主張する側にはアメリカ系の宣教師が、そして「上帝」を主張する側にはイギリス系の宣教師がいた。「上帝」を斥ける理由としては、「上帝」は「天の支配者」または「至上の支配者」を意味し、これはDeityを表すよりも、政治的な役割の名であるというのである。  

  馬太福音第六章
   Mathew 6

9.所以你們禱告、要這様説:
      Pray then like this:

  “我們在天上的父、
      Our Father who art in heaven,

  願人都尊你的名為聖。
      Hallowed be thy name.

   10. 願你的國降臨。
   Thy kingdom come,

  願你的言意行在地上、
Thy will be done,

  如同行在天上。
On earth as it is in heaven.

  11.我們日用的飲食、今日賜給我們。
    Give us this day our daily bread.

  12. 免我們的債、
    And forgive us our debts,

 如同我們免了人的債。
      As we also have forgiven our debtors;

  13.不叫我們遇見試探;
And lead us not into tempation,

  救我們脱離兇悪
      But deliver us from evil.

○ 英語で前置詞が使われているところでも中国語では前置詞が使われない場合もある。
   如同行在天上(On earth as it is in heaven.)、
   不叫我們遇見試探(lead us not into tempation,) 、
     救我們脱離兇悪(But deliver us from evil.)、
  また、“我們在天上的父(Our Father who art in heaven,)の場合は「的」が後置されて英語の前置詞     (in)の役割を果たしている。

   ○ 中国語も英語も命令形のときは動詞ではじまる文章が多いようである。
    例:願人都尊你的名為聖(Hallowed be thy name.)、
      免我們的債( forgive us our debts,)、
      不叫我們遇見試探(lead us not into temptation,)、
      救我們脱離兇悪( deliver us from evil.)、

英語と中国語は系統がまったく違うにもかかわらず、いくつかの共通の特徴があるようである。そこで、日本語、中国語、英語の文法構造上の特徴について比べてみることにする。

○日本語と同じ特徴: ●日本語とは異なる特徴

  [日本語]      [中国語] [英語]
  ○ 語順の基本形は主語+目的語+動詞である。    ●       ●
  ○ 前置詞は使わない。               ○       ●
  ○ 助詞(後置詞)を使う。             ○       ●  
  ○ 冠詞を使わない。                ○       ●
  ○ 名詞に単数・複数の区別がない。         ○       ●
  ○ 代名詞に性・数・格の区別がない。        ○       ●
  ○  動詞が時制によって活用する。          ●       ○
  ○   動詞に人称標示、単数・複数の区別がない。    ○       ●
  ○ rとlの区別がない。               ○       ●
  ○ –p,-t,-kで終わる音節がない。 ●       ●

 ここにあげた文法的特徴についてみると、英語は日本語とほとんど対極にあるのにたいして、中国語は日本語と半数の特徴を共有している。中国語は孤立語であり、英語はインド・ヨーロッパ語族に属する屈折語だとされている。しかし、系統の同じ言語だからといってすべての特徴を共有しているわけではなく、また、系統が異なるからといってすべての特徴を異にしているわけでもない。日本語と較べてみると中国語は英語よりもはるかに日本語に近いことがわかる。

 

第102話 アイヌ語訳の聖書

 柳田国男が「海上の道」を書いて以来といおうか、島崎藤村が「椰子の実」の詩を書いて以来といおうか、日本民族南方起源説、あるいは日本語南方起源説を支持する人は専門家のなかにも多い。日本語圏の北にはアイヌ語圏、イヌイット語圏が広がり、南にはオーストロネシア語圏が台湾・グアム・サイパンからフィリピン、インドネシア、マレーシアへと広がり、東はハワイ・イースター島、西はマダガスカルまで広がっている。日本語は北のことばとより多くの共通点をもっているのか、南のことばに近いのか、アイヌ語とチャもロ語(グアム・サイパンのことば)との比較によって、検証してみる。

 アイヌ語はかつて日本列島で東北から北海道にかけて、かなり広い範囲で話されていた、地理的には日本語に一番近いことばである。聖書は明治時代にキリスト教布教のために来日したイギリス聖公会の司祭ジョン・バチェラーによって翻訳された。バチェラーは1887年(明治10年)に来日し、アイヌ・コタンに住みつき献身的にキリスト教の布教につとめるとともに、1889年には”An Ainu-English Dictionary”の初版を出版し、また1897年には聖書を翻訳している。

  翻訳聖書ヨハネ福音書第1章
   Yoannes

1. 初めもことばがあった。
     Atpake-ta   anak  ne    Itak   an, 
   はじめ-に   −は     ことば ある 

ことばは神と共にあった。
Itak   anak   Kamui  tura  an,
   ことば −は  神   と共に ある

ことばは神であった。
Itak   anak  ne  Kamui  ne  ruwe- ne.
   ことば −は    神     である

○ アイヌ語のitak(ことば)は東北の恐山などにみられる巫女の「いたこ」と関係のあることばで あるといわれている。また、kamui(神)も日本語の「神」からの借用語ではないかと考えられ ている。ただし、アイヌ語のkamuiは熊をあらわすこともある。Kim-un-kamuiといえば熊であ  る。Kimは「山」、unは「住む」である。
○ アイヌ語の語順の基本形は主語+目的語(または補語)+動詞で日本語と同じである。
○ アイヌ語は前置詞でなく後置詞つまり助詞(ta「に」、anak「は」、tura「と」など)を多用す る点でも、日本語と似ている。
○ neは日本語に対応することばを見つけることがむずかしいアイヌ語である。田村すず子による とne=�,任△襦米飴譟法↓△修痢箆�体形)、�2燭蕕痢箆�体形)、�ぁ◆◆△砲覆襦◆◆△垢襦 奮塀�詞)として使われるという。
  ruweは名詞化辞で、「確かに、、である」を意味する。

2. このことばは、初めに神と共にあった。
     Nei  Itak   anak   ne   atpake-ta Kamui tura no        an
   その ことば −は である はじめ−に 神  と共に まさに(強調) あった

nisa  ruwe-ne  
(過去形) のである

3.万物はことばによって成った。
     Obitta   no   an okaibe anak ne nei Itak orowa
   すべての(強調)ある 存在物−は  であるこのことばによって

no   akara,
(強調) 造られた

 成ったものでことばによらずに成ったものは何一つなかった
    orowa,    akarape  shinep  ne     yakka  
   によって  造られた  物  である  けれども

  Shinuma  isama    no    akara shomoki nisa     ruwe- ne.
   それない(否定) (強調) 造られる ない(否定)  (過去完了) のである

  ○アイヌ語ではisama(否定辞)、shimoki(否定辞)などが動詞の前におかれる。この点は日本 語と違う。日本語では「造られ+ない」のように否定詞は動詞の後に置かれる

 ○アイヌ語には口語のほかにユカラなどで使われる雅語があってshinumaは雅語の代名詞3人称単 数である。代名詞についてみると口語と雅語ではだいぶ違う。

  雅語   口語
  単数 複数 単数 複数
1人称 a-shinuma a-okai ku-ani chi-okai/a-okai
2人称 e-shinuma echi-okai e-ani/a-okai echi-okai/a-okai
3人称 shinuma Okai Ani Okai

マタイ福音書第6章
   Mattaios

9.だから、こう祈りなさい。
    Tambe  gusu, tap  korachi     inonno-itak    ki    yan.
   これ  故に これ 、、のごとく 祈りのことば する  (命令形)

 『天におられるわたしたちの父よ、
     Kando  otta   an   chikoro   Michi,
    天   −に  ある 吾らの   父

 御名(みな)が崇(あが)められますように。
     E kon reihei orota   aeoripak   kuni ne ki wa   un    kore.
   汝 の 名前 がそこで 尊敬される ために して (依頼) 我々に−ください

  ○ アイヌ語の大きな特徴のひとつは動詞に接頭辞がついて、格に相当する概念を表すことができることである。例えばkoreという動詞は本来「与える」という意味であるが、接頭辞をつけることによって「与える」のは誰が、誰になのかを動詞の側で示すことができる。kore=与える、してくれる、un-kore=(あなたが私たちに)(それを)してくれる。これをさらに組み合わせると、つぎのような表現ができる。A-en-kore「 私が与えられる」、 a-un-kore「私たちが与えられる」などとなる。

○アイヌ語の代名詞には1人称複数が二種類ある。ひとつは除外形と呼ばれ、話しかけている相手を含まない「わたしども」というような表現で、もうひとつは相手を含んだ「我々」である。また、2人称にも「お前」にあたる表現と「あなたさま」(尊称)の区別がある。

Kando otta  an  chikoro  Michi
  天−に   ある 我らの 父

  この場合chikoroは1人称複数・除外形・所有格で、「我ら」は話相手を除いた「我ら」をさす。また、un-koreのunは1人称複数(除外形)目的格であることを示している。アイヌ語は1人称複数に包含形と除外形があるのという点では、先にみたモンゴル語と同じである。

10.御国(みくに)が来ますように。
      E  koro  moshiri  ekte      wa   -un   kore.
     汝 −の  国   来たらしめる (依頼)  我々に してください

  御心(みこころ)が行なわれますように、天におけるように地の上にも。
      E  kor’irenga  kando  otta  an  korachi,
    汝 の・意志  天   −に ある 如くに

  moshir’otta ne  yakka   une no     aki
    国 −に も 同じように  なされる 

  kuni  ne  ki   wa   -un    kore
    ように  して  (依頼) 我々に ください

○ koreは「与える」という動詞である。un-koreとなるとunが1人称複数・除外形・目的格、つま り「われわれに与える」を表す。日本語の「賜う」にあたる。
 動詞koreは次のように変化して主語や目的語の格を表す。 

  主格 目的格
  単数 複数 単数 複数
1人称 ku-kor chi-kor(除外形) en-kore un-kore(除外形)
    a-kor(包括形)   i-kore(包括形)
2人称 e-kor echi-kor e-kore echi-kore/i-kore
  a-kor(尊敬)   i-kore(尊敬)  
3人称 kor kor kore kore

これを「我が・君に・与える」とするとa-e-koreとなり、「君が・我に・与える」とするとe-i-koreとなる。

我が 君に 与える a-e-kore
我が 彼に 与える a-kore
君が 私に 与える e-i-kore
君が 彼に 与える e-kore
彼が 私に 与える i-kore
彼が 君に 与える e-kore

実際にはそれぞれの人称に単数と複数があるから格の標示はもっと複雑になる。

11.わたしたちに必要な糧(かて)を今日与えてください。
      Kesto  kesto  chi  e   kunip  tanto ne yakka   un kore.
    毎日  毎日  我々 汝 必要  今日   も我々に−与える

  ○ アイヌ語では「毎日、毎日」のように同じことばが重複して用いられることが多い。この点も、 日本語に似ている。

12.わたしたちの負い目を赦(ゆる)してください、
      Chi utara anak ne   chikoro  ashosere  utara  tusare  okere korachi,
    我々 人  −は   吾らの  負債    人  赦して あげた 如く

  わたしたちも自分に負い目のある人を赦(ゆる)しましたように。
      chikoro  shosep ne yakka  tusare    wa   -nun kore 
    我らの  負債    も  赦して (依頼)  我々に あげる

○ アイヌ語では接辞をつけることによって品詞を変えることができる。
  ashosereは、a(受動態を示す接辞)+shose「負債」+re(他動詞化接辞・使役相接辞)、
  shosepは、shose「負債」+p(名詞法語尾)である。

○ utaraはutariと同じで「人」を表す。

13.わたしたちを誘惑に遭(あ)わせず、
      Chi   utara anak  ne iteki       akoramnukara  kuni    ne
    我々 人間 −は  するな(否定・禁止) 誘惑する    ために 

    ki   wa   -un   kore;
    して (依頼)  我々に ください。

  悪い者から救(すく)ってください。』
      koroka  wenbe  orowa  no   un   ohaitare  wa  -un    kore.
    もしも  悪事 (受け身) (強調) 我々を 守る  (依頼) 我々に ください

○ 日本語では否定形は「誘惑し+ない」となるが、アイヌ語では動詞の前に否定形がくる。

 日本語とアイヌ語のようにかなり言語構造の違う言語を直訳すると、訳語はかなり不自然にならざるをえない。しかし、言語の構造の違いを際立たせるには直訳で対訳することが必要でもある。アイヌ語訳の聖書は日本語の原文が明らかなのだから、当初はアイヌ語の対応形をみつけだすことは簡単だと考えていたが、それはとんでもない間違いだったということに途中で気づいた。

辞書と文法書のそなわっている言語でも、それだけで未知の言語を解読するのは容易なことではない。辞書には通常基本形しかのっていない。しかし、生きたことばには活用があり、その辞書形を探し出すにはかなりのなれが必要である。また、辞書形にたどりついたとしても、ひとつの単語の意味はひとつだけであることはまずない。結局、ひとつの言語を習得するには最低3年はかかるという結論にいきつくことになるのか。

 アイヌ語の聖書の解読には次の文献を参考にした。
 参考文献:Batchelor”An Ainu-English-Japanese Dictionary”Fourth Edition岩波書店
       金田一京助・知里真志保『アイヌ語法概説』岩波書店
       田村すず子『言語学大辞典』三省堂の「アイヌ語」の項 

 聖書の対訳によって日本語とアイヌ語の文法のおもな特徴をみてみると、つぎのようになる。

 ○日本語と同じ点:●日本語と違う点

 ○ 語順は主語+目的語+動詞である。
 ○ 名詞の性・数の標示はない。
 ○ 形容詞は名詞の前にくる。
 ○ 疑問文は文末に疑問標識をおく。
 ● 1人称複数の代名詞に包含形と除外形がある。
 ○ 前置詞でなく後置詞(助詞)を使う。
 ● 動詞に主格、目的格などの格標示がある。
 ○ 冠詞はない。
 ○ 濁音は語頭にはたたない。また、語頭に複合母音がたたない。
 ○ アクセントは高低アクセントである。
 ○ rとlの区別がない。ただし、r音が語頭にくることもある。
 ● –p、-t、-kで終わる音節がある。

 アイヌ語と日本語は聖書の対訳で見るかぎり、かなり違った言語のようにみえる。しかし、日本語とアイヌ語との間にはかなり共通性もある。縄文時代に北海道、東北にアイヌ人が暮らしていたことは明らかだが、アイヌ人が縄文土器を製作した痕跡は残されていない。このことをどのように考えたらいいのだろうか。

 

第103話 チャモロ語訳の聖書

 日本の南にはオーストロネシア語圏という広大が言語圏が広がっている。そのなかで、日本から一番近い島のひとつであるグアム・サイパンのことば・チャモロ語について検討してみる。聖書はAmerican Bible Society 1908版による。

  ヨハネ福音書第1章
   Y Ybangelio Según San Juan 1

1. 初めにことばがあった。
    Y       tutujon-ňa      gaegue   y      Finijo, 
 (定冠詞)   初め+その(所有格)-である (定冠詞)  ことば  

ことばは神とともにあった。
ya     y     Finijo  güiya     yan  si   Yuus;
だから (定冠詞) ことば それである  -と -さま イエス 

ことばは神であった。
ya   y      Finijo  güiya      si  Yuus
  だから(定冠詞)  ことば  それである  –さま イエス

  ○ チャモロ語の基本的な語順は主語+動詞+目的語である。
○ チャモロ語には定冠詞yがあって、つぎに来る語が名詞であることを示す。
  Si Yuusのsiもつぎに来る語が固有名詞であることを示すマーカーである。
○ 所有格の代名詞(tutujon-ňaの-ňa)は名詞の後に置かれる。

2.このことばは、初めに神とともにあった。
     Güiya  gaegue  gui  tutujon-ňa       yan  si   Yuus.
    それは である それ 初め+その(所有格) -と  -さま イエス

3.万物は神によって成った。成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかっ    た。
     Todo   y    güinaja sija     manmafatinas    pot     güiya;
すべて(定冠詞) 富+それら(目的格) 創造される(受身) -によって 彼(強調)   

yagüin ti   pot    güiya,   taya- ni  esta   mafatinas.
彼に (否定)よらずに 彼(強調) (否定)  すでに 創造される(受身)      

nu- y   gaegue   gui          finatinas  sija.
によって である  彼(3人称単数主格)  創造物   それらを(3人称複数目的格)

  ○チャモロ語には代名詞が2セットある。hu型とyo型と呼ばれるものである。

  1人称 2人称 3人称 1人称 1人称 2人称 3人称
  単数 単数 単数 複数(含) 複数(外) 複数 複数
hu型 hu un ha ta in En Ma
yo型 yo’ hao gue’ hit ham hamyo Siha
所有 -hu -mu -ña -ta -mami -miyu -ñiha
強調 gauhu hagu guiya hita hami hamyo Siha

チャモロ語には1人称複数に話し相手を含む包含形と除外形がある。複数(含) は包含形を表し、複       数(外)は除外形を表す。
          hu型他動詞の前に置かれ、動作主を表す。また、yo型は自動詞および、不特定の対象物をさす目的       語を伴う他動詞の後に置かれる。

  ○sija(3人称複数・目的格)はgüinaja(富)について、富を受動態の目的格にする。
○ チャモロ語では接頭辞が多く使われる。manmafatinasはfatanas(創造する)に接頭辞man-(動  作主焦点形)とma-(受動形マーカー)のついたものである。文章のなかで話題の中心になって いるものを示す。
○チャモロ語には焦点形という日本語やヨーロッパの言語にはない文法形式がある。焦点形と非焦 点形があって、manmafatinasのman-は焦点形である。最後の行のnuは非焦点形である。
○ チャモロ語では接中辞(動詞の第一音節の子音の後に接辞をつける)が用いられることもある。 最後の行のfinatinasはfatanas(創造する)に接中辞-in-がついたもので、動詞を名詞化するはたら きをもっている。

  マタイ福音書第6章
   Y Ybangelio Según San Mateo 6

9.だから、こう祈りなさい。
      Lao   an     manmanaetae             jamyo    taegüine
    でも  そのとき 祈りなさい(主格焦点形・命令形)  あなた方は このように    

  天におられるわたしたちの父よ、御名(みな)が崇められますように。
      Tatanmame na gaegue jao   gui  langet: umatuna   y   naanmo.
われらの父 の である あなた その 天  たたえられる (冠詞)  名前 

  ○manmanaetaeのman-は動作者焦点形である。manaeteはfanaetae(祈る)の転移で命令形○umatunaのtunaは「たたえる」、umá-は再帰表示マーカーである。

10.御国(みくに)が来ますように。
      Umamaela   y   raenomo, 
    めぐり-来る (冠詞)あなたの王国

  御心(みこころ)が行われますように。天におけるように地の上でも。
   umafatinas   minalago-mo  jaftaemano gui langet taeg-jija  gui  tano;
  成就する (冠詞) 望み-あなたの の方法で  で  天国  のように で  地上

○umamaela、umafatinasのはいずれも再帰表示マーカーで、maela(来る)、fitina(創造する)ととも  に、「めぐって来る」、「成就する」のような意味を表す。
○ raenomoのmo(またはmu)は2人称単数所有格を表し、raenomoは「あなたの王国」、inalago-mo は「あなたの望み」となる。

11.わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
      Naejam     pago   nu    y   cada   jaane  na  agonmame;
    我らに与えたまえ 今日 (非焦点)(冠詞) 毎   日   の  我々の糧食

○ naeは「与える」、 jamは1人称複数・除外形、
○ agonは「主食」、mamiは1人称複数・所有格、

12.わたしたちの負い目を赦してください。
      Ya    asiijam      nu      y   dibenmame,
    そして われらを許す (非焦点形)(冠詞)借金+われわれの     

  わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
      taegüi-je   yan   inasisie  y    dumidibejam     sija;
    このように また 許す  (冠詞) われわれが借金する 彼らを(複数表示)

  ○asiiは「許す」、jamは1人称複数除外形
○dibiは「借金」、-mami=1人称複数除外形・所有格「われわれの」、
○inasi’iのinは=目的格焦点形表示の接頭辞、
○dumidibejamの -um-は動詞化接中辞・行為者焦点形、

13.わたしたちを誘惑に遭わせず、
      Ya    chamo-jam   pumó-polo na  infanbasnag       gui tentasion,
    そして するな+我々を ○○-場所 の  我々が転落する(未来形) その 誘惑

  悪い者から救ってください。
      lao   nafanlibrejam      nu     y    taelaye;
    また   救いたまえ+我々を (非焦点形)(冠詞) 乱暴者

○ pumóはDonald M.Topping et al.の”Chamorro-English Dictionary”には載っていない。
   poloは「場所」である。
○ infanbasangのbasnagは「転落する」、 inは1人称複数除外形・主格で、fanは未来時制をあらわ  す。
○ tentasionは「誘惑」で英語のtemptationと同じ、 libreは「救う」で、いずれもスペイン語などか  らの借用語である。
○ nafanlibrejamはna(動詞変換接辞辞)+fan(未来時制)+libre+jam(1人称複数除外形)

 次の聖句は聖書によってあるものと、ないものがあるがチャモロ語訳ではこのようになっている。

国と力と栄えは限りなく爾(なんじ)のものなればなり。
   sa    iyomo   y raeno, yan  y  ninasiňa
  ゆえに あなたの(冠詞)王国  と (冠詞) 力

yan  y   minalag   para   taejinecog  na  jaane;  Amen.
と (冠詞)栄光 ために   永遠の   の  日  アーメン

 参考文献:Donald M. Topping”Chamorro Reference Grammar” University of Hawaii
  Donald M. Topping””Chamorro-English Dictionary” University of Hawaii

 チャモロ族は紀元前1500年頃、アウトリガー・カヌーに乗ってこの島にたどり着いたと考えられている。アウトリガー・カヌーはポリネシア、ミクロネシア諸島などに見られる丸木舟で、船体の横にフロートをつけるため安定性がよく、波を切って遠距離を航海することができる。チャモロ語はオーストロネシア(南島)語族に属し、東はハワイ・ポリネシアからインドネシア、フィリピン、マレーシア、台湾(高砂族)から西はアフリカのマダガスカル島まで広がっている大語族である。

 グアム島は日本から一番近い南島で、飛行機で3時間で着く。現在グアム島の人口は約14万人で、そのうち5万5千人がチャモロ語を話すという。日本語は北のアイヌ語により近いのだろうか、それともチャモロ語との共通点が多いのだろうか。聖書の聖句の対訳からそれを探ってみると次のようになる。

○日本語と同じ特徴 :●日本語と異なる特徴

 [日本語]                     [アイヌ語] [チャモロ語]
  ○ 語順は主語+目的語+動詞である。*1      ○      ●
○ 疑問文は文末に疑問標識をおく。         ○      ●
 ○ 否定形は動詞の後にくる。    ●   ●
○ 名詞に性・格の表示はない。           ○      ○
○ 名詞に数の表示はない。             ○      ●
 ○1人称複数の代名詞に包含形と除外形はない。   ●       ●
○ 形容詞は名詞の前にくる。            ○      ●
○ 後置詞(助詞)が名詞のあとにくる。       ○      ●
○ 動詞に主格、目的格などの格標示はない。*2   ●      ●
○ 動詞は数の標示をしない。            ●      ●
○ 冠詞はない。                   ○      ●
○ 濁音は文頭にはたたない。 ○      ●
○ 複合子音は文頭にたたない*3           ○       ○
○ 母音調和がある。                 ●       ○
○ rとlの区別がない。*4             ○      ○
○ p、t、k で終わる音節はない。            ● ●

  注*1:チャモロ語では動作主の人称と格が代名詞によって示され、また文章の主題は焦点形によって示さ  れるので、主語の概念はとらえにくい。しかし、次のような文では主語+動詞+目的語が基本形となる。
Si    Juan   ha       li’e’   i  lepblo.
      (冠詞) ファン 彼(代名詞) 見る その 本

 注*2:チャモロ語ではアイヌ語と違って動詞が人称の格標示をすることはない。しかし、次のよ うな場合ha(主格表示辞)は主語につくとも、動詞につくともみることができる。
     i   patgon   ha      li’e   i   guaka.
    (冠詞) 子ども (主格表示辞) 見た (冠詞) 牛
     haが動詞につくとみれば、アイヌ語の動詞に含まれる人称表示と近い機能をもつとみなすこ とができる。

 注*3:スペイン語が入ってくる前のチャモロ語には複合子音はなかったと考えられている。

 注*4:スペインの支配は250年間続いた。それ以前のチャモロ語にはrとlの区別はなかった と考えられている。

チャモロ語には焦点形といわれるインド・ヨーロッパ語にはない文法形式がある。焦点形はフィリピンの言語などに典型的に見られるもので、チャモロ語では次のように現われる。

 例:Guahu   lumi’e’  i    palao’an.
   私こそは 見た (冠詞) 女の人−を

チャモロ語で「見る」はl’ie’であるが接中辞-um-がついて動作主、つまり「私」に焦点があったっていることを文法的に明らかにしている。「私」はhuであるが、guahuは強調形である。焦点形には動作主焦点形のほかに目的焦点形(goal focus)、原因焦点形(causative focus)などがある。

世界の言語には能格型といって他動詞の主語と自動詞の主語に違う格をもちいる言語がある。日本語などは他動詞の主語も自動詞の主語も同じ助詞(は、が)をもちい、目的語には「に」、「を」をもちいる対格型という言語である。チャモロ語では他動詞の主語(1人称はhu)と自動詞の主語(1人称はyo’)は違う代名詞をもちることから能格言語に近いのではないかと見る言語学者もいる。

 例:Hu  tunge’   i katta.
    私は 書く (冠詞) 手紙。

  Malagu yo’.
    走る  私(私は走った。)

チャモロ語の形容詞は用言型といわれるのもで、日本語の形容詞と同じ型である。

 例:Dikike’ yo’.
    小さい 私は

英語では「私は小さい」というときはI am small.とbe動詞を使う。これを形容詞名詞型という。これに対してチャモロ語や日本語は形容詞がbe動詞の役割を果たしているから形容詞用言型という。

アイヌ語もチャモロ語も日本語にはない文法上の特徴をいくつかもっている。しかし、比較してみると、日本語の構造は南方系のチャモロ語よりもむしろ北方系のアイヌ語にはるかに近い。しかし、アイヌ語にはチャモロ語と共通の特徴もいくつかある。例えばアイヌ語もチャモロ語も1人称複数の代名詞に包含形と除外形の区別がある。また、動詞の側で主格、目的格などの格の表示をするなどである。

アイヌ語もチャモロ語も日本が農耕時代に入る以前に日本列島のあった言語の痕跡を留めた言語である可能性もある。それはまた、アメリカ西海岸にある先住民言語ともつながっている可能性すらある。

 

第104話 タミル語訳の聖書

 日本語の起源をたずねることは「やまとことば」の起源をたずねることである。江戸時代に本居宣長は、漢心(からごころ)を清く濯ぎ去るとそこに神代の時代からこの国に伝わる「やまとことば」が姿をあらわしてくる、と考えた。「やまとことば」は東海の小島に有史以来伝わる固有の言語であるとしたのである。現在でも万葉集は純粋な「やまとことば」で書かれていると考えている人は多い。

 ところが、戦後になると安田徳太郎という医者が『万葉集の謎』という本を書いた。安田によると、ヒマラヤ山脈の山ふところにいだかれて、今でも万葉集と同じことばを話している民族がいるというので、本はたちまちベストセラーになった。日本語の起源はレプチャ語だというのである。

 最近では大野晋が日本語の起源はタミル語であるとして注目をあつめた。大野晋は1957年に『日本語の起源(旧版)』を出版したときは日本語・アルタイ語系説であった。日本語・アルタイ語系説は明治以降多くの学者によって唱えられ、当時の通説でもあった。ところが、大野晋は1980年代になるとタミル語起源説を提唱して、旧版は絶版にしてしまった。レプチャ語もタミル語も日本人にはなじみのない言語であり、レプチャ語やタミル語の本は日本では容易に手に入れることができないから、検証することはむずかしい。専門家の間でも意見は分かれていている。言語学者の西田龍雄は、日本語はチベット・ビルマ語に近い言語であるという説を提出している。ビルマ語はレプチャ語に近い言語である。

 はたして、日本語はアルタイ系の言語なのだろうか、タミル語と同じドラヴィダ語系の言語なのだろうか。ここでは、タミル語とビルマ語の聖書をとりあげ、日本語と文法構造の比較を試みることにする。まず、はじめはタミル語である。(原文はサンスクリット系タミル文字)

ヨハネ福音書第1章

1.初めにことばがあった。
   Ātiy-il-ē          vārttai      irundadu 
   初め+に(場格・強調) ことば(主格)  あった(3人称・単数・中性・過去)

 ことばは神であった。
     anda vārttai         dēvan idatt-il  -irundadu 
   その ことば(主格) 神の所+に(場格) あった(3人称・単数・中性・過去)。 

  anda vārttai      dēvan-āy -irundadu
   その ことば(主格) 神-で あった(3人称・単数・中性・過去)。

○ タミル語の動詞には人称・数・性を示すマーカーがある。主格はゼロ標示である。
○ iruは英語のbe動詞にあたる動詞である。irundaduはiruの3人称単数(中性)過去形である。現  在形はirukku、未来形はirukkumである。動詞には性の表示もあって、男性はirundaan、女性は    irundaaとなる。

2.ことばは、初めに神と共にあった。
      Avar      ātiy-il-ē       dēvan-ōd   -irundār
    彼(=ことば)は 初め+に(場格・強調) 神+と(一緒に) あった(3人称・単数・過去)。

  ○タミル語の人称代名詞は性・数・格を表示する。「彼」(avar)は人称代名詞で英語のheにあた   る。3人称単数・男性はavan、女性はavalである。

  1人称 2人称 3人称
単数 nān nī (男性)avan
      (中性)aval
      (女性)atu
複数 (包含形)nām nīr (男性)avar
  (除外形)naǹkal nīǹkal(敬語) (男性・女性)avarkal
      (中性)avai、avaikal

3.万物はことばによって成った。
     Sakalam-um avar       mūlamāy und-āyirru
    すべて+も   それら(=ことば) によって  生まれた(完了)

 成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった。
    undānat-onr-um       avar-āl-ey       llāmal   undāka-villai
    (付属)物は+ひとつ+も それ+による+(強調) ないでは 生まれなかった(否定)

  ○タミル語では過去のできごとを表すのに、過去形と並んで完了表現がよく使われる。und-āyirruの  -āyirruは「〜しました」にあたり、完了を表す。
○否定形は動詞の後につく。undāka(生まれる)+illai(否定・ない)。これは日本語の否定のし かたと同じである。

  マタイによる福音書第6章

9. だから、こう祈りなさい。
    nīngal     jepam panna -vēndiya   vidam-āvadu 
   あなた方(主格) 祈る 必要がある   方法+というもの(は次のことである)

「天におられるわたしたちの父よ、
paramandalaǹgal-il  -irukkira  eǹgal  pitāv-ē 
天(複数)+に(場格)  いる   父+(強調)

御名が崇められますように。
ummudaiya  nāmam  parisuttap-paduvadu        -āka
あなたの(属格) 名前   讃えられること(受身・動名詞・未来) ありますように(願望) 

御国が来ますように。
ummudaiya rājyam varuvadu -āka
あなたの 王国が(主格) 来ること(動名詞・未来)+ますように(願望)

○ タミル語の人称代名詞は主格と並んで与格、対格、場格などがあり、さまざまな用法がある。 eǹgal(我々の)、ummudaiya(あなたの)はそれぞれ属格である。
○場格は-ilまたは-idamをつけて場所(〜において)を表す。-ilは無生物の名詞の場格であり、     -idamは人をはじめ生物の名詞の場格を表す。paramandalaǹgal-il(天)は無生物だから-ilが使   われている。

10. 御心が行われますように。
     ummudaiya chittam paramandalam-ttil-e seyyap-padukiradu pōla
    あなたの  心が 天国(場格・強調)  なされること(受身・動名詞・現在) ように

  天におけるように地の上にも。
būmiy-il-ēy-um  seyyap-paduvadu      -āka
地上+で(場格・強調) なされること(受身・動名詞・未来) ますように(願望)

   ○ rājaはサンスクリット系の言語で王。タミル語にはサンスクリットからの借用語も多い。

11. わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
     eǹgalukku  vēndiya ākārat-tai inru eǹgalukkut    tār-um
    私たちに(与格) 必要な 食糧+を  今日 私たちに(与格) 与える(丁寧な命令形)

  ○tār-umのumは相手が一人の場合、丁寧な命令形。

12. わたしたちの負い目を赦してください。
     eǹgal     kadanāli-galukku    nāngal    mannikkiradu    -pōla
    我々の(属格) 債務者(複数)+に(与格) 我々が(主格) 赦すこと(動名詞・現在)ように 

 わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
eǹgal     kadagalai      engalukku  manniy-um
我々の(属格) 借金(複数形)を(対格) 我々に(与格) 赦してください(命令形)

13. 私たちを誘惑に遭わせず、
     eǹgalai-s      sōdanaikku  utpadap        pannāmal
    私たち−を(対格) 試練に    囚われること(不定形)  しないように

  悪い者から救ってください。
tīmaiy-ininru    eǹgalai     iratchittukkoll-um,
悪+より(奪格) 我々を(対格)  救い出してください(命令形)

国と力と栄えは限りなく爾(なんじ)のものなればなり。
rājyam-um vallamaiy-um makimaiy-um enrenraik-kum
国+と   力+と   栄光+と   永遠+に
ummudaiyavaigal   -ē     āmen   enbadu   -e
あなたのもの(複数形)+(強調) アーメン というように+(強調)

 参考文献:Winslow “Tamil English Dictionary” 1862 (reprint 1979)
         ”English and Tamil Dictionary” New Delhi 1888,(reprint 1980)
         Harold F. Schiffman“A Reference Grammar of Spoken Tamil”Cambridge University               Press,1999
      カルパナ・ジョイ/袋井由布子『タミル語入門』南船北馬舎、2007

 タミル語については和光大学非常勤講師の袋井布由子氏の協力をえた。タミル語は分かち書きをしないので、どこまでがひとつの単語かを判断するのがむずかしく、辞書があっても初心者には辞書をひく手がかりすらみつからない。また、文字はサンスクリット系の音節文字であるが、似た文字がいくつかあって、それが書体によるものか違う文字なのかも、はじめはわかりにくい。日本語をはじめて習う人にとって「シ」と「ツ」、あるいは「ヌ」と「ス」、「れ」と「ね」あるいは「わ」との区別が判別しにくいのと同じである。袋井氏の協力なしにはほとんど解読は不可能であった。

 タミル語聖書で管見したタミル語の特徴を日本語と比べてみると次のようになる。

 ○日本語と同じ特徴:●日本語と異なる特徴
 
 ○ 語順は主語+目的語+動詞が基本である。
 ○ 名詞の後に後置詞をつけて格関係を示す膠着語の一種である。
 ○ 冠詞は使わない。 
 ○ 形容詞は名詞の前にくる。
 ○ 形容詞に比較級、最上級のような級はない。 
 ● 名詞に単数複数の区別・性の区別がある。
 ● 1人称複数の代名詞に包含形と除外型がある。
 ● 動詞に人称・数・性の表示があり、主語の人称・数・性と一致する。
 ○ 動詞の語幹のあとに接尾辞がつぎつぎについて時制・相(アスペクト)や法(モード)などを   示す。
 ○ 否定の標識は動詞の後にくる。
 ○ 疑問文でも語順は変わらず、文末に疑問詞をつける。
 ○ 敬語、丁寧形などが発達している。
 ○ 語頭に複合子音が立たない。
 ○ 音節は母音で終わる開音節である。
 ○ 文語のp、t、kは語頭では清音、語中では濁音となる。
 ● rとlの区別がある。
 ○ 文語ではrは語頭に立たない。                       

 タミル語はドラヴィダ語族という大語族のひとつである。日本語の起源がタミル語にあるとすれば、日本語はドラヴィダ語族に属するということになる。それは、ありそうにないことである。大野晋の主張にもかかわらず、タミル語の文法構造はかなり日本語とは異なる。しかし、人類の言語の起源がひとつであるとすれば、日本語もどこかでタミル語と似た点があるとしても、何の不思議もない。

 

第105話 ビルマ語訳の聖書

 ビルマ語はミヤンマー(ビルマ)のほぼ全域にわたって通用している言語で約4000万人の話者がいるといわれている。シナ・チベット語族、ロロ・ビルマ語群に属する言語だとされている。アメリカ人の宣教師A.ジャドソン(1788-1850)が布教のためにビルマに来て聖書を翻訳している。ジャドソンはバプティスト派の宣教師で1826年には”A Dictionary of the Burman Language”を出版している。

初期の言語研究は言語学者や人類学者によるものではなく、アイヌ語の場合のバチェラーや日本語の場合のようにロドリゲスにしても宣教師がになっている。ここではジャドソン訳の聖書によってビルマ語を分析してみることにする。原文はサンスクリット系のビルマ文字で、ローマ字表記は
Department of the Myanmar Language Comission, Ministry of Education, Union of Myanmar編集・発行の
”Myanmar-English Dictionary”2001年版による。

ヨハネ福音書第1章

1.初めもことばがあった。
asa au: hnai’ hnou’ gaba’  to shi.    i.
はじめ  に ことば  神 (尊称)  存在する (文末助詞)

  ○ビルマ語には中国語と同じように声調がある。au:の:は第3声調(高く長い)を表す。shi.など  の.(ドット)は第1声調(短く高い)を表す。aはいわゆるあいまい母音で、発音記号で書くと [ə]にあたる。
○ビルマ語には有気音と無気音があり、語頭のhは有気音を表す。また、hanai’ 、hnou’、gaba’ な どの(’)は声門閉鎖音を表す。
○ビルマ語では同じ意味のことばを重ねて強調することが多い。asa (はじめ)、au:(はじめ)  でasa au:は「そもそものはじめ」のような意味である。
○ビルマ語にはバーリ語からの借用語がかなりある。hnou’ gaba’はバーリ語のmou’ gaba(ブッダ の説かれたことば)というほどの意味になる。モンゴル語でもキリスト教の「神」をあらわすこ とばにburkan(ブッダ)ということばが使われていたが、ビルマ語でも仏教用語が援用されてい る。日本語でも布教の初期には「大日」という訳語がキリスト教の神にあてられた。
○ ビルマ語では日本語や朝鮮語などと同じように敬語が使われることが多い。 to は王、僧侶など 尊いものにつける接尾辞である。hnou’ gaba’ toで「神の説かれたことば」ということになる。

2.ことばは、初めに神と共にあった。
     hnou’ gaba’  to    dhi  hpaja:  thakin hnin   atu     shi. i.
    ことば 神の (尊称)  は  神   主  と  とともに  あった。

hnou’ gaba’  to    dhi  le:   hpaja: thankin  hpji’    to mu i.
ことば 神の (尊称)はまた神主  である(尊敬)

  ○ビルマ語は日本語などと同じように後置詞を多用して、膠着言語の特徴を共有している。dhi   (は)、hnin(と)、hnai’(に)などはその例である。
 hninは綴り字どおりに表記したもので、実際にはhneと発音される。ビルマ文字は11世紀後半か ら12世紀初頭にインド系の文字をもとに考案されたもので、綴り字と実際の発音とはずれてきて いるものもある。
○ hpaja:(神)thakin(主)で「主なる神」となる。
○ to mu iのtoは高貴なもの、尊崇すべきのもにつく接尾辞、muも尊敬をあらわす接尾辞である。

3.万物はことばによって成った。
     htou hnou’ gaba’  to dhi asa au: hnai’ hpaja: thakin hnin atu  shi. i.
    その ことば 神の (尊称) ははじめ に 神 主 と  ともにあった。

 成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった。
htou hnou’ gaba’to dhi kha’ thein dho: aja dou. gou hpanzin: to mu i.
その ことば 神の(尊称)は すべての もの(複数) を 創造する (尊敬)

hpanzin: to mu chin: ne. kin:lu’ lje’ hpji’ tho: aja dazoun
無関係である        である ところの もの  なにひとつ

takhu hmja. ma.     shi.
ひとつ すら ない(否定) のである・

  ○ビルマ語には文法上の複数形はないが、aja dou.のようにdou.を付加することによって複数である   ことを表示することがある。
  ○thoは文語表現で修飾語と被修飾語を結ぶ関係代名詞のような役割を果たす。

  マタイ福音書第6章

9.だからこう祈りなさい。
   htou gjaun. thin dou. hsu. taun: ja. mji hma
    その ゆえに あなた たち 祈る べき (未来)は 

 『天におられるわたしたちの父よ、
     kaun: ginbou hnai’  shi. to mu dho: akjun nou dou. aba koudo i.
    天国 に  いらっしゃるところの 私たち(文語) 父 (敬称) の

 御名が崇められますように。
     nama. do a:  jouthei lei: mja’ chin: si. ba
名前 (尊称) を 尊敬する 尊敬する  こと ある (丁寧語)
sei dho
させる(使役) ますように(末尾助詞・祈願)

○ mji は文語表現で未来、意思、可能性を示す。
○ koudo は神や僧侶につける敬称である。koudoのdo はto(尊敬すべきものにつける)が濁音に  なったものである。ビルマ語では語頭で清音の音が語中では濁音になる。これは日本語にもみ られる特徴である。
○ jouthei は「尊敬する」、lei: mja’ も「尊敬する」である。ビルマ語では同義語を重ねることに  よって強調することがしばしばある。

10. 御国が来ますように。
      naingan do    tidaun ba    sei       dho:
    国  (尊称) 作る (丁寧語) させる(使役) ますように(祈願)

 御心が行なわれますように、
alo   do ti       kaun: ginbou hnai pjei. soun dha. ke.dhou.
意思 (尊敬) が(主格)  天国 に 満ちている ように(文語)

 天におけるように地の上にも。
mjegji: po hma pjei. zoun ba sei dho:
地上 の上 に 満ちている (丁寧語) させる(使役)ますように(祈願)

11. わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
athe’ mwei: lau’ tho: asa gou akjun nou’ dou. a:
生命 養う にたる  ところの 食べ物 を 私たち(文語) に

janei.     pei: thana: do mu    ba
今日(文語) 与える 恵む (尊称)ください(丁寧)

○ pei:(与える)とthana: (恵む、情けをかける)も同義語を重複することによって修辞的に強調され ている。日本語では「恵贈」にあたる。

12. わたしたちの負い目を赦してください、
      thu    daba:  dhi akjun nou’ tou. gou hpji’ hma: dho:
    その人 異なる   は 私たち(文語)   に  負債間違っているところの 

apji’ mja; gou akjun nou dou. dhi hlu’ dha. ke. dhou.
罪  (複数) を  私たち(文語)  許す のように   

わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
akjun nou tou. i. apji’hma: gou   hlu’ to mu    ba
私たち   の 罪    を  許して (尊敬) ください (丁寧)

○ ビルマ語では名詞のあとにそれを修飾する形容詞がくる。thuは「彼・彼女・誰かある人、第三 者」で、dabaは「異なる」である。thu daba:は「異なる+人」となり、「ほかの人」というこ とになる。apji’ mja;は「罪+多くの」で、「多くの罪」になる。
○ ビルマ語では複数形という文法上の操作で複数をあらわすのではなく語彙によって複数を表  す。mja;の原義は「〜の多い」という意味である。

13.わたしたちを誘惑に遭わせず、
      apji’ thwei:hzoun ja    dhou. ma lai’   ma pa zei be:
    罪  誘惑する ところのもの へ (否定) 従う & nbsp;加わる させる (否定)

 悪い者から救ってください。
ma kaun: dho: ahmu aja hma. le: kehnou to mu ba
(否定) よいところの 行い から も 救い出して (尊敬)ください(丁寧)

○ 否定形はma---be:で係り結びのようにして表すことができる。ma は後ろの動詞を否定し、be:が 前のma を受けて意味を強める。古代日本語の「秋山に落(ち)らふ黄葉(もみちば)しましく は勿(な)散りまがひそ妹があたり見む(万137)」などの表現と似ている。ma kaun:の場合 はma(否定)kaun:(よい)で「悪い」という意味になる。
○ 聖書には文語表現もしばしば使われている。dho:は文語表現で修飾語と被修飾語を結ぶ。hma.  も文語表現で「から」を意味する。
○ kehnouはke(助ける)+hnou (出す)でkehnou (助け出す)となる。動詞がふたつ重なって 動詞句を作ることは英語などヨーロッパの言語にはないことであるが、日本語では「助け+出  す」など連用修飾することができる。この点でもビルマ語の文法は日本語に近い。

(国の力と栄えは、とこしえにあなたのものですから。アーメン。)
    asou: pain dho: akwin. hnin.     hpoun: dagou  anu. bo dhi
   君臨する  ところの  権能 によって(文語)   威光 力 は 

 gaba ahse’ hse’   koudo hanai’ shi. ba i. amin
   世界 いつもいつも  神 に ある (丁寧) である アーメン

hu. hsu. taun: kja. lo.
と 祈る (複数) せよ(命令)

  ○ビルマ語にはサンスクリットやバーリ語からの借用語がかなりある。anu. bo はバーリ語起源の ことばで「力」を意味する。
○ahse’ hse’は「継続して、歴代」などの意味である。この場合は音の繰り返しで動作が繰り返さ れていることを表す。
○hsu. taun:kja.のkja.は動作の主体が複数であることを示す助動詞である。

 ビルマ語の文字は音節文字であるが、視力検査表の ○ をいくつか重ねたような文字で、なかなかなれないと弁別しにくい。しかも、ビルマ語は分かち書きをしないから、どこまでがひとつの単語で、どこから新しい単語がはじまるのか初心者には分からない場合が多い。ビルマ語の解読にあたってはNHK国際局の田辺寿夫ディレクターの指導を受けたことを付記して、強力に感謝したい。解釈の誤りについては筆者の責任であることはいうまでもない。
 参考文献:大野徹『ビルマ語辞典』大学書林、2000年版

 ビルマ語はシナ・チベット語族に属し、タミル語はドラヴィダ語族に属している。日本語はどちらの言語により近いのだろうか。それぞれの言語の文法的構造の特徴を比較してみることにする。

○日本語と同じ特徴:●日本語と異なる特徴

[日本語の特徴]     [ビルマ語の特徴]  [タミル語の特徴]
(統語)
○ 語順は主語+目的語+動詞が基本である。   ○         ○  
○ 名詞の後に後置詞をつける膠着語の一種である。○         ○
○ 冠詞は使わない。              ○         ○
○ 形容詞は名詞の前にくる。    ●          ○
○ 動詞の語幹のあとに終助詞などがつく。    ○         ○
○ 否定の標識は動詞の後にくる。        ○         ○
○ 疑問文は文末に疑問標識をつける。      ○         ○
○ 敬語、丁寧形などが発達している。      ○         ○
(形態)
○ 名詞に単数複数の区別・性の区別がない。   ○          ●
○ 1人称複数の代名詞に包含形と除外型がない。 ○          ●
○ 動詞に人称・数・性の表示がある。      ○          ●
(音韻)
○ 日本語には声調はない。           ●          ○
○ 語頭に複合子音が立たない。         ○         ○
○ 音節は母音で終わる開音節である。      ○         ○
○ 語頭の清音は、語中では濁音となる。     ○         ○
○ rとlの区別がない。            ○          ●

 このように比較してみると、ビルマ語もタミル語も文法の構造はかなり日本語に似ていることがわかる。ここにとりあげた文法の項目だけみると、ビルマ語のほうがタミル語とりも日本語と共通の特徴を多くもっているようにみえる。

ビルマ語は中国語と同じように声調があるといってもビルマ語は2音節以上の語には声調があるのに対し、中国語の声調は1音節のなかの高低の変化である点が違う。2音節にまたがる高低アクセントがあるという点ではビルマ語のアクセントはむしろ日本語に近い。

 この表にはとりあげてないが、ビルマ語は動詞をふたつ並べて「立ち+あがる」のような表現ができる点でも日本語に似ている。また、形容詞が動詞のようにはたらきbe動詞なしで「花は美しい」などの表現ができるのも日本語に近い。そのほかにも、1人称・2人称の代名詞に男性用と女性用がある。助数詞(1匹、1冊など)がある。繰り返し表現を多くもちいる、なども日本語と共通の特徴である。

 言語学者の西田龍雄が日本語とビルマ語の類縁関係を指摘しているのも、細かい点はともかくとして、うなずける点が多い。また、安田徳太郎が『万葉集の謎』で日本語とレプチャ語との関係をセンセーショナルにとり上げたのも、ロロ語がチベット・ビルマ語のひとつであることを考えれば、まったく奇想天外な発想とばかりはいえないのではなかろうか。ただ、今までの日本語起源論は大野晋にしても西田龍雄にしても語彙の比較に重点を置きすぎていたように思われる。語彙は変わり易いが、文法構造は変わりにくい。文字時代以前のことばの痕跡は語彙よりも文法構造のなかに残されている。

 ことばの歴史は文字の歴史よりもはるかに古い。インド大陸にアーリア系民族が侵入してくる前に、膠着性の強いモンゴル語に似た言語がモンゴル高原から、ビルマを経てインド亜大陸まで広がっていた。ドラヴィダ族に属するタミル語を母語とする民族はアーリア系民族に押されて南下して、ビルマ語と分断された。しかし、アーリア系民族の言語の影響を受けて単数・複数の区別、文法上の性、格などを獲得した、と考えられないだろうか。

 

第106話 日本語と近いことば・遠いことば

日本語は世界の言語のなかでどこにも類例のない特殊な言語であるわけでは決してない。日本語はいくつかの座礁軸でとらえ、近隣の言語との類縁性をとらえることができる。日本語に近い言語を順に並べてみると次のようになる。

日本語<朝鮮語<モンゴル語
 日本語<中国語<英語
 日本語<アイヌ語<チャモロ語
 日本語<ビルマ語<タミル語

日本語と朝鮮語との距離は英語とドイツ語の距離と変わらないように思える。日本語とモンゴル語、アイヌ語、ビルマ語などとの距離もインド・ヨーロッパ語族のなかの英語とイタリア語、ロシア語、あるいはヒンディー語との距離に比定できるのではなかろうか。

 日本語の文法の構造を朝鮮語、蒙古語、中国語、英語、アイヌ語、チャモロ語、ビルマ語、タミル語と比べたものを統語、形態、音韻についてそれぞれ一覧表にしてみるとつぎのようになる。

[統語] ○日本語と同じ ●日本語と異なる

本語の特徴 朝鮮 蒙古 中国 英語 アイヌ チャモロ ビルマ タミル
S+O+V ○ ○ ● ● ○ ● ○ ○
形容詞+名詞 ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ○
後置詞(助詞)の使用 ○ ○ ○ ● ○ ● ○ ○
疑問表示は文末 ○ ○ ○ ● ○ ● ○ ○
否定形は動詞のあと ● ○ ● ● ● ● ● ○
丁寧形・尊称あり ○ ○ ● ● ○ ● ○ ○
男性ことばと女性ことばあり ○ ○ ● ● ○ ● ○ ○

☆朝鮮語では否定形は動詞の前にくる。ビルマ語では動詞の前と後に否定の表示がつく。

[形態] ○日本語と同じ ●日本語と異なる

日本語の特徴 朝鮮 蒙古 中国 英語 アイヌ チャモロ ビルマ タミル
(名詞)文法上性なし ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●
単数・複数なし ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●
助数詞あり ○ ● ○ ● ○ ○ ○ ●
格変化なし ○ ○ ○ ● ○ ● ○ ●
冠詞なし ○ ○ ○ ● ○ ● ○ ○
1人称包括形と除外形なし ○ ○ ○ ○ ● ● ○ ●
(動詞)時制による活用あり ○ ○ ● ○ ● ○ ○ ○
人称・単複区別なし ○ ○ ○ ● ● ● ○ ●
格表示なし ○ ○ ○ ● ● ○ ○ ○

☆日本語、朝鮮語、蒙古語などは安定した語幹があって、後置詞(助詞)を多用することによって格を示す膠着型である。

☆名詞に単数・複数の区別がない言語は助数詞(一匹、一本、一冊などclassifier)を使う言語が多い。

☆1人称代名詞の複数には「話しかける相手を含めた我々」と「話しかける相手を除外した手前ども」を区別する言語がある。

☆アイヌ語の動詞は人称・格などによって変化する。

[音韻] ○日本語と同じ ●日本語と異なる

日本語の特徴 朝鮮 蒙古 中国 英語 アイヌ チャモロ ビルマ タミル
開音節 ○ ○ ● ● ● ● ● ○
母音調和あり ○ ○ ● ● ● ○ ● ●
語頭濁音なし ○ ● ● ● ○ ● ● ●
語頭r音なし ○ ○ ● ● ● ○ ○ ○
rとlの区別なし ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●
声調なし ○ ● ● ○ ○ ○ ● ○

☆日本語の音節は開音節で-p,-t,-kで終わる音節はない。朝鮮語、蒙古語も-n,-mで終わる音節はあるが、昔は開音節(-p,-t,-kで終わる音節がなかったと考えられている。中国語は現代の北京音は開音節に近くなっているが、広東音は子音で終わる音節がある。古代中国語は閉音節であったとかんがえられている。

☆古代日本語には母音が七つあり、前舌母音と後舌母音をわけて、前舌母音は前舌母音と結びつき、後舌母音は後舌母音と結びつく母音調和があったという。母音調和は蒙古語、朝鮮語などにもみられ、アルタイ系言語の特徴の一つとされている。

☆日本語も朝鮮語もr音ではじまる単語はなかった。現在の日本語でラ行ではじまる単語は漢語からの借用語かヨーロッパ言語からの借用語である。チャモロ語もrではじまる単語は借用語だけである。

☆ 朝鮮語では語頭では清音である音が語中では濁音になるという特徴がある。古代日本語でも濁音が語頭に立つということはなかった。現代の日本語では林「はやし」は語中では小林「こばやし」となり濁音化する。辞書には「はやし」という形は載っているが「ばやし」という形はない。「はやし」と「ばやし」は同じことばであり、相補分布している。

 ハングルでは語中のbも語頭のpと同じ文字を使って表し、語中では濁音に、語頭では清音に読み分けている。

 言語学者のチョムスキーは「火星人から見たら、人間はすべて単一の言語を話している」とある講演会で話している。(ノーム・チョムスキー『言語と思考』松柏社叢書所収)世界のあらゆる言語はある限られた範囲の文法操作によって、意味を伝えるのに必要な仕組みを作り上げている。

 言語の構造には冗長性があって、動詞に人称標示があれば、主語は省略されてもかまわない。主語に単数と複数の表示や格の表示があり、動詞にも数、格の表示のある言語では一方が失われても不都合はない。また、名詞に文法上の単数と複数の区別のない言語でも語彙を補うことによって複数の概念を言い表すことはできる。単数と複数の区別のない言語は数助詞(1本、2本、1冊、2冊など)を使うことが多い。

ラテン語のように格標示が厳格である言語は語順を変えても意味の混乱は生じない。しかし、中国語のように格表示も前置詞や後置詞もほとんど用いられない言語では、語順を変えると意味が変わってしまう。

動詞の時制も現在形と未来形が同じで過去形が異なる形をとる言語もある。過去形と現在形が同じで、未来形が異なる形の言語もある。過去形でも継続する過去と完了した過去を区別する言語もある。進行形をもたない言語はたくさんある。しかし、過去の事象を表現できない言語はひとつもない。

中国語やビルマ語、ベトナム語は声調アクセントがあり、英語は高低アクセントがある。清音と濁音を区別する言語もあり、清音と濁音が相互補完的な言語もある。有声音と無声音の区別のある言語もあり、有声と無声を区別しない言語もある。r音とl音を区別する言語もあり、区別しない言語もある。しかし、それぞれの言語は意味の伝達に必要なだけの音を区別して使っている。人類の発声器官の構造は概ね同じであり、ある年齢に達するまでにrとl、あるいはbとvの区別を習得すれば誰でもそれらの音を完全にマスターすることができる。

発音は方言によっても変わるが、文法の構造は発音よりは安定的である。日本語の構造も朝鮮語やモンゴル語、アイヌ語などと相互に影響されあいながら形成され、現在の姿になってきたものである。ビルマ語やタミル語も日本語との類似性も、他人の空似にしては共通の特徴が多すぎる。

もとより、世界に5000以上あるといわれる言語の特徴を上の表にあげた22だけに限ることができない。言語構造を構成するDNAは複雑で、かつそれらのDNAは互いに独立しているのではなく、関連しあっている場合も多い。その数はまだ言語学者によって確定されているわけではない。人間は正常な子どもならば、比較的わずかな期間に、文法の訓練を受けずに言語を獲得することができる。しかも、人間であるかぎり、言語の学習能力に個人差はない。このことから、言語の基本構造はそう複雑なものではないようにも思える。一方、言語の音声を文字に転換する機械は未だにできていない。また、コンピュータによる翻訳も完成されていない。言語はコンピュータの能力をも超えた複雑なシステムであるようにもみえる。

しかし、日本語は世界の言語のなかでどのような特徴をもった言語であるかを検証するひとつの方法として、日本語の主な特徴を統語、形態、音韻にわけて比較検討してみるのも、意味のない企てではあるまい。聖書の聖句の対訳を例に、それぞれの言語の文法書などを参照しながら検証した結果を綜合してみると次のようになる。

[日本語との類似の総合評価]   分子は日本語と同じ特徴をもつ項目の数を示す

日本語の特徴 朝鮮 蒙古 中国 英語 アイヌ チャモロ ビルマ タミル
[統語] 6/7 7/7 3/7 1/7 6/7 0/7 5/7 7/7
[形態] 9/9 6/9 8/9 2/9 5/9 3/9 9/9 3/9
[音韻] 6/6 3/6 1/6 1/6 3/6 3/6 2/6 3/6
[総合] 21/22 16/22 12/22 4/22 14/22 6/22 16/22 13/22

日本語の主な特徴22項目について比較してみると、日本語と同じ特徴をもつ項目が多い順に次のようになる。

日本語<朝鮮語<蒙古語・ビルマ語<アイヌ語<タミル語<中国語<チャモロ語<英語

[参考文献]
大野徹(2000)『ビルマ語辞典』大学書林
小沢重男(1983)『現代モンゴル語辞典』大学書林
カルバナ・ジョイ/袋井由布子(2007)『タミル語入門』南船北馬舎
金田一京助・知里真志保(1936)『アイヌ語法概説』岩波書店
田村すず子(1988)『言語学大辞典―アイヌ語−』三省堂
Batchelor, John(1938) An Ainu-English-Japanese Dictionary, 第2刷(1981)、岩波書店
Bawden, Charles(1997)Mongolian-English Dictionary, Kegan Paul International
Schiffman, Harold F. (1999) A Reference Grammar of Spoken Tamil, Cambridge University Press
Topping, Donald M.(1973) Chamorro Reference Grammar, University of Hawaii
Topping, Donald M.(1975) Chamorro-English Dictionary, University of Hawaii
Winslow, Miron(1962) Tamil English Dictionary, (reprint 1979) South Asia Books

[著者紹介]
小林昭美(こばやし・あきよし)元NHK放送文化研究所所長
1937年長野県生れ。東京教育大学文学部英語学・英米文学科卒。NHKに入り教育・教養番組ディレクター。その間フルブライト留学生としてニューヨーク大学留学。NHK放送文化研究所所長。(財)NHKインターナショナル理事長。大正大学文学部客員教授。日本言語学会会員。NPO法人「地球ことば村」会員。
著作:『古代日本語の来た道〜カナ以前の日本語のかたち〜』(2003年、私家版電子印刷)
論文:「やまとことば」のなかの中国語からの借用語(『大正大学研究紀要』第92号、2007年3月)。「日本語と古代中国語」(吉田金彦編『日本語の語源を学ぶ人のために』2006年、世界思想社、所収)

 

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