河合隼雄のカウンセリング講話 (2013) |
2018.7.22 更新2018.7.27
NHK Eテレの100分de名著は、現在は、河合隼雄スペシャルで、23日の月曜日が、第4回の最終回で、
ユング心理学と仏教を取り上げることになっているので、楽しみにしています。
予習のために、図書館で、この本を借りてきました。
河合隼雄さんが、四天王寺カウンセリング講座で講演した内容をまとめて本にした何冊かの本の最後の一冊ですが、
第3章が「禅仏教とカウンセリング」、第4章が日本中世の物語の世界」で、予習に最適です。
内容に進む前に、紹介しておきたい文章があります。
100分de名著の講師は、河合隼雄さんの息子さんの河合俊雄さんですが、NHKサイトのゲストコラムに
「こころの物語を読み解く」という文章を寄稿されています。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/78_kawai/guestcolumn.html
その一部を以下に引用しておきます。
●河合隼雄の著作を通読すると、一つのキーワードが浮かび上がります。それは「物語」です。
人間の心を考える素材として、『古事記』や『源氏物語』、民話から現代的なファンタジー、子どもの本に至るまで、様々な物語を取り上げています。
●彼は物語の世界から隠れた原石を掘り出す名手でした。出会った物語の数だけ発見があり、それを「もう一度物語る」というスタイルを持っていたことが多作につながったのではないかと思います。
●物語から構造を読み解くという作業は、心理療法に通じるところがあります。
クライエント(来談者)が紡ぐ物語に耳を傾け、隠されたプロットを共に辿っていくのがセラピストの仕事。
大切なのは、そこに勝手な解釈をはさまないことです。
河合隼雄の臨床は、繰り返し本人も強調しているように「何もしない」ところに一番の特徴があります。
何もしないことで器を提供し、クライエントの自己治癒力や、その結果として起こることに対して、彼は常にオープンであろうとしていました。
とはいえ「何もしない」療法は時間を要します。
今は、何事においても効率や即効性、経済性、科学主義的なものが重視される時代。
心理療法の現場も例外ではありません。
河合隼雄が取り組んできたことや考えてきたことは、マイノリティになりつつあります。
河合隼雄の臨床は、本人も繰り返し強調しているように、「何もしない」ところに一番の特徴があると指摘されていますが、
この本にも、本人が語っているところがあります。
第3章 禅仏教とカウンセリングの116頁です。
だから我々は、普通、相手が言ったのと同じことを反復することがよくあります。
例えば、「私、学校へ行っていないんです」と言われると、「いつから」「どうして」とは言わないで、「ああ、学校へ行ってないの」と言うことが多いですね。
何故かと言うと、せめて馬鹿なことは言わないでおこうということです(笑)。
わかったようなことで妙なことを言うぐらいなら、そのあたりにしておくということです。
ところが、言われた側に回ってみるとわかりますが、同じことを言われると何とも言えない感じがするのです。
普通の対話、日常の対話というのはめったに同じことを言いません。
「学校へ行ってないです」と言うと、「いつから」とか、「なんで行ってないの」と言うのが普通です。
ところが、「学校に行ってないんです」と言ったときに、「ふーん、学校へ行ってないの」と言われると、
自分で言った同じ言葉が自分に返ってくるわけです。
これは、すごくおもしろい対話になります。
自分の言った言葉ともう一度対話しなければいけないようになる、ということです。
さて、第3章 禅仏教とカウンセリングの冒頭で、河合さんは、私は、禅は全然知らない と宣言されます。
それどころか、次のようにおっしやいます。
私はもともと数学科の出身で、科学的なことに関心があって、西欧の合理的な考え方や自然科学の考え方というのが大好きでした。
その反面、日本のものはどうもわけのわからないことを言っているようで、あまり好きではありませんでした。
特に、そのなかでいちばんわけのわからないことを言っていると思ったのが禅でした。
何か言うとすぐ「喝!」と怒られて、あんなものは嫌だというので、ひたすら敬遠していました。
ところが、欧米で留学中に、向こうの先生たちが、日本や中国の事をよく知っていて、禅を好きな人も沢山いて、
河合さんも、にわか勉強して、東洋のことに関心が向くようになり、帰国して、京大に勤めることになったとき、
上田閑照先生がいて、1973年に出版された『禅仏教−根源的人間』をいただいて、読み、
「ここにはカウンセラーにとって、とても大事なことが書いてある」と思われたのです。
この章では、上田先生の「言葉から出て、言葉に出る」という言葉について、かなり時間を割いて解説されます。
私達は、言葉にとらわれすぎては駄目で、一度、言葉から離れて出て、そして再び、言葉で表して出る、すなわち、
自分の言葉でものをいうことが必要なのです。
第4章 「日本中世の物語の世界」 は、宇治拾遺物語を題材にして、物語を今の話として読む読み方が語られます。
まず、「こぶとりじいさん」について、以下のような軽妙な説明で、聴衆の心をつかみます。
「こぶとりじいさん」というと、鬼にこぶを取ってもらう話です。
鬼に取ってもらうなんて、そんな馬鹿なことがあるかと思われるかもしれませんが、
まあ、非常に大きいこぶがあれば、いまなら医者に行って手術して取ってもらうことになると思います。
それでも、手術ではなかなか取れないこぶというのがあるものです。
みなさんのなかに、目の上にたんこぶのある人はおられませんか(笑)。
「あいつさえいなかったらええのに」「あいつは目の上のたんこぶや。あいつさえいなかったらおれはいま頃もっと出世していたのに」とか、
「あの人は悪口ばかり言って困る。何とかしたい。もう、取って捨てたい」とか。
(中略)
そのように少し読み変えてみますと、何かわけのわからない話ではなくて、一気にいま現在の話になってきます。
(中略)
いま「人を食う鬼がいる」と言いましたけど、人間でも人を食っている人がいるではありませんか。
そういう人はひょっとして鬼かもしれません(笑)。
そのように考えると、本に書いてあるちょっとしたことが、みないまのことになってきます。
このあと、夢に関するいくつかの話や、わらしべ長者の話などがあり、最後に、以下の様に結ばれます。
今日の話を聴かれて面白かったと思う人は、だまされたと思って、中世の物語を読んでみてください。
読んでいるうちに、「これはわらしべと同じだ」と思われることもあるでしょうが、案外、そこからわかっていただけることがあるかもしれません。
さて、、岩波現代全書から、「日本人の心を解く」という本が出版されています。
これは、河合隼雄さんが、スイスで英語で講演したものを、息子さんの河合俊雄さんが翻訳したもので、
その第一章は、『宇治拾遺物語』を題材にしていますが、『宇治拾遺物語』を題材にした対談や講演はあっても、
論文や著書は見当たらないのだそうです。。
河合俊雄さんが、以下のように述べておられるので紹介します。
今回翻訳のために読み直しても、この第一章が圧巻で、
また著者としてもこれに中心的なアイデアがあるからこそ最初に持ってきたと考えられるのに、
日本語の著書や論文で展開されずに終わったのは不思議である。
それだけに今回の出版を通じて、多くの人に伝えることができればと願っている。
興味のある方は、是非、この本も読んでいただきたいと思います。
河合隼雄さんは、英語で講演され、その講演集が出版されていることから、日本だけでなく、世界で知られているのですが、
河合隼雄さんの英語講演がどのようなものであったかを紹介したく、
以下に、第一章の英語原文とその直訳を、対比することにしました。
第一章の英文だけは、インターネットの世界で入手することができます。
著作権上問題があると指摘された場合は、削除するつもりです。
DEAMS, MYTHS AND A FAIRY TALES IN JAPAN 日本の夢と神話とおとぎ話
●●Introduction 序
●This book consists of five lectures which were
originally given at Eranos Conferences, Ascona, Switzerland, from 1983 to 1988.
この本は、1983年から1988年までスイスのアスコナでのエラノス会議で行った5つの講義から成っている。
All are concerned with Japanese culture: Japanese
dreams, myths, fairy tales, and medieval stories.
講義のすべては、日本の文化:日本の夢、神話、おとぎ話、中世物語に関係している。
●In my youth, I was strongly attracted to Western
culture.
若い頃、私は、西洋の文化に強く惹かれていました。
With my experiences of the Second World War, I came to
hate the irrational and constantly vague Japanese attitude toward life.
第二次世界大戦を経験して、私は、生に対して非合理的で常にあいまいな日本文化の態度を忌み嫌うようになりました。
Scientific rational thinking stood as the symbol of the
West and always as a creative treasure for me to capture.
科学的で合理的な思考は、西洋のシンボルとして、そして、私が獲得すべき創造的な宝として常に、私の前にありました。
●In 1959, I came to the United States to study clinical
psychology in order to become like a Westerner.
1959年に、私は、米国に来ました、臨床心理学を学んで、西洋人のようになるために。
The experience in fact opened the way to Jung’s
psychology, by which I was able to find myself as a Japanese.
この経験は実際ユング心理学への道を開きました、それにより、私は、日本人としての私を見つけることができました。
After my initial years of study in the United States, I
went to the C.G. Jung Institute in Zürich, Switzerland, receiving a diploma
there in 1965.
米国での最初の年月のあと、私は、スイス、チューリッヒのユング研究所に行き、そこで、1965年に分析家資格を得ました。
Interestingly, Western analysts helped me find the
values of Japanese culture.
興味深いことに、西洋の分析家たちは、私が、日本文化の価値を見つけることを手助けしてくれたのです。
Before that, I was of the opinion that the Japanese must
make efforts to establish a modern ego, following the European way completely.
それ以前は、私は、西洋の方法に完全に従って、近代の自我を確立する努力をしなければならないという意見でした。
Then all of the unique features of Japanese tradition
seemed for me to be utterly disgusting and unbearable.
その時、日本の伝統のユニークな特徴のすべては、私にとって、全く嫌悪すべきで耐え難いものに見えたのです。
The old ways of living had to be discarded as soon as
possible.
古い生き方の様式は、できるだけ早く、捨て去られなければなりませんでした。
However, I began to realize, through my analytical
experiences, that European consciousness is not “the best” nor “the only one”
for everybody in the world to attain.
しかし、私は、私の分析的な経験を通して、理解し始めていました。西洋の自覚は、世界のすべての人が獲得すべき『最善のもの』でも『唯一のもの』でもないことを。
Jung talked about the importance of Self to which the
conscious ego must surrender.
ユングは、『自己』の重要性について語りました、意識的な自我は、『自己』に身を委ねなければならないと。
説明 自我(ego) は、意識されている自分、自己(Self) は、意識下の自分と、無意識の自分を合わせたもののことです。
If Self is most precious there might be other ways to
reach it, other than following the European way with its ego-Self axis.
もし『自己』が最も重要なものなら、西洋の自我-『自己』軸による方法に従う以外にも、『自己』に到達する方法が他にもあるかもしれない。
●If Self-realization is understood as a process and not
a goal, we can compare the process for Japanese and Westerners, and benefit each
other without concern for which is better or worse.
もし自己実現が、プロセスであって、ゴールではないと理解されるならば、私達は、日本と西欧のプロセスを比較し、どちらがより良いか悪いかを気にすることなく、お互いを利することができる。
Although I still retain my opinion that the Japanese
must learn from the modern European way of ego establishment, they do not have
to imitate it completely.
日本人は、近代西欧の自我確立の方法を学ばなければならないという意見を、私は、今も持ち続けていますが、日本人は、それを完全に真似する必要はありません。
The Japanese must struggle to find their own way.
日本人は、独自の方法を模索すべきなのです。
For my part, I began to investigate Japanese mythology,
fairy tales, and old stories because they contain so much knowledge of the
unconscious.
私の場合、私は、日本の神話、おとぎ話、昔話の研究を始めました、何故なら、そこには無意識についての沢山の知識が含まれているからです。
They were first told by a consciousness which is
different from the modern ego.
それらは、最初、近代的自我とは異なる意識によって語られました。
Their features give us hints about the new conscious
states of we modern Japanese.
それらのもつ特徴は、私達現代日本人の新しい意識状態についてのヒントを与えてくれます。
Westerners might be interested in these new states, if
they too are trying to find a way to go beyond their own modern ego.
西洋の方たちも、この新しい意識状態について興味を持たれるでしょう、もし、彼らも、自分たちの近代的自我を乗り超える道を見つけようとされているのであれば。
●In the first chapter, some medieval stories are
discussed, especially those having to do with dreams.
第一章で、いくつかの中世の物語を議論します、特に、夢と関係している物語を。
At that time, the demarcation lines between conscious
and unconscious and between human beings and Nature are very thin.
当時、意識と無意識の間、人間的なものと自然との間の、境界線は、非常に細いものです。
With that kind of consciousness, one can certainly have
a different view of the world from that of modern people.
そのような意識のもとでは、人は、現代人とは、全く異なる世界観を持ち得ます。
Medieval persons can acknowledge inner reality much more
freely and easily.
中世の人達は、内的なリアリティを、より自由に、より簡単に、持ち得ます。
●The second chapter is about a Japanese priest in the
12th-13th Centuries called “Myôe,” who keeps a dream diary until the end of his
life.
第二章は、12-13世紀の明恵と呼ばれる僧侶の話です、彼は、生涯が終わるまで、夢の日記を続けました。
With interpretations of some of his dreams, I try to
show how his state of consciousness is different from that of modern people.
彼の夢のいくつかの解釈を通して、私は、彼の意識状態が、現代人といかに違うかを示そうとしました。
As a result of his dream experiences he claims to attain
the state of “coagulation of body and mind.”
自分の夢経験の結果として、彼は、『身体と精神の凝結』状態を達成したと、主張します。
It is a hint for thinking about the difficult issue of
the body and mind continuum.
それは、身体と精神の連続体の様々な問題を考えるヒントになります。
It is indeed a different approach from Descartes.
それは、デカルトのアプローチとは、全く異なるものです。
●The third chapter deals with Japanese mythology. 第三章は、日本の神話を扱います。
There I pay attention to gods who are neglected in the
Japanese pantheon.
そこで私は、日本の神殿では無視(or軽視)されている神々に注目します。
The mightiest God is the center in Christianity; a god
who does nothing stands in the center of the Japanese pantheon.
最強の神が、キリスト教の中心にいます。何もしない神が、日本の神殿の中心にいます。
This remarkable difference is reflected in their
psychology and ways of living.
顕著な違いが、両者の心理や生き方に反映されています。
●In the fourth chapter, I discuss Japanese fairy tales
in connection with the theme of beauty.
第四章で、私は、日本のおとぎ話を議論します、美というテーマと関連させて。
Japanese fairy tales have a completely different
structure from Grimm’s tales.
日本のおとぎ話は、グリム童話とは、完全に異なる構造をもっています。
We seldom find a Japanese fairy tale in which a male
hero attains the goal of marrying a beautiful woman after accomplishing the
difficult tasks assigned to him.
男性のヒーローが、彼に与えられた困難な仕事を達成して、美女と結婚するというゴールを達成するというようなおとぎ話は、日本には殆どありません。
In this chapter, I try to make it clear that the main
thrust of Japanese fairy tales is aesthetic rather than ethical.
この章で、私は、日本のおとぎ話の推進力は、美的なものであって、倫理的なものではないことを、明らかにします。
Japanese fairy tales convey to us what is beautiful
instead of what is good.
日本のおとぎ話は、何が善であるかではなく、何が美であるかを、私達に語ります。
●In the last chapter, I discuss the long medieval story
called “Torikaebaya.”
最後の章で、私は、『とりかえばや』という中世の長いお話を議論します。
A boy is raised as a girl, and a girl, his sister, is
raised as a boy.
一人の少年が、少女として育てられ、彼の姉の一人の少女が少年として育てられます。
The girl herself pretends to be a boy, even eventually
marrying a woman.
少女は、少年である振りをして、ついには女性と結婚までします。
With the exchange of sexual roles, the story implies
that the clearcut division between manliness and womanliness is artificial.
性的な役割を交換することで、このお話は、男らしさと女らしさの間の明確な区別は、人為的なものであることを示唆します。
Human beings have rich possibilities – one can be manly and womanly at the same
time.
人間は、豊かな可能性を持っていて、同時に男らしくも、女らしくもなることができます。
The story gives us suggestions to enrich our ways of
life.
このお話は、私達の生き方をより豊かにすることを提案しています。
●In these chapters I compare some characteristics of
Japanese culture with those of the West.
これらの章において、私は、日本文化のいくつかの特徴を、西洋文化の特徴と比較します。
I am afraid readers may feel I put too much value on the
Asian side.
読者の方は、私が、アジアの側に価値を置き過ぎていると感じられるかもしれません。
In fact I think both are equally important. 実際、私は、両者は等しく重要であると思っています。
Until
recently I had thought in terms of integrating the two, or of finding a third
way somewhere between them.
最近まで、私は、両者を統合したり、両者の間のどこかに第三の方法をみつけたりしようと考えてきました。
But nowadays I think it is impossible. しかし、今、私は、それは不可能だと考えます。
I now feel that we can be conscious of the state of
being we are in and of the advantage and disadvantage of it in detail.
私達は、自分がいる状態を意識し、その有利不利を詳しく意識することができると、私は、今は、思っています。
It might be better if we could switch from one attitude
to another according to the situation.
私達が、状況に応じて、ある態度から別の態度に転換することができれば、いいのですが。
●I shall be happy if this book in some way helps readers
in the West see their own way of life from a different angle.
この本が、西洋の読者たちが、自分たちの生き方を異なる角度から眺めることにお手伝いできれば、私は、幸せです。
●●1. Dreams 夢
●A dream is a peculiar product. 夢は、特異な産物です。
When I have a dream, I refer to it as my dream, but to
whom does the dream really belong?
夢を見たとは、私は、それを私の夢と呼びますが、その夢は、いったい、誰のものなのでしょうか?
I call a painting mine insofar as it is my creation with
which I am free to do as I wish – I can keep it or destroy it.
私は、絵を自分のものと言います、それが、私の作であり、どうしようと (持ち続けることも棄てることもできます)
私の自由である限りにおいて。
We do not make our dreams and yet we call them our own.
私達は、夢を作ることはできません、それでも、自分の夢といいます。
To speak of a dream as being “mine” is somewhat like
saying, “This is my Picasso.”
夢を私のものということは、『これは私のピカソです』と言うのと、どこか似ています。
Although Picasso did the painting, I claim it as mine
and can do with it as I please.
その絵は、ピカソが描いたものですが、私は、それが自分のものと主張し、私の好きなように扱う事ができます。
However, there is a problem with this analogy. しかし、このアナロジーには、問題があります。
Where is the “Picasso” who painted my dream?
私の夢を描いた『ピカソ』は、どこにいるのでしょう。
Furthermore, I cannot control a dream as freely as a
painting.
さらに、私は、絵を描くように自由に、夢をコントロールすることができません。
Sometimes I even feel that a dream destroys me.
時には、私は、夢が私を破壊すると感じることすらあります。
Perhaps it would be more appropriate to say that a dream
is like a butterfly which happens to fly into my garden.
多分、夢は、私の庭にたまたま飛び込んで来た蝶々のようなものだと言う方が、より適切です。
I can see and appreciate it, but the butterfly comes and
goes of its own accord.
私は、それを見て楽しむことができます、しかし、蝶々は、自分の意思で来たり去ったりするのです。
I can catch it and literally pin it down to analyze, but
it would have undergone an important change, for then it would already be dead.
私は、蝶々を捕まえて、文字通りピン留めして分析することができますが、それは、重大に変化を被っています。つまり、その時、蝶々はすでに死んでいます。
Some of you may be familiar with the story of Chuang Tzu
(ca. 330 B.C.) and the butterfly.
読者のなかの何人かは、荘子(約330年BC)と蝶々の話をご存じかもしれません。
Chuang Tzu once dreamt that he had become a butterfly. 荘子は、ある時、蝶々になった夢をみました。
Upon awakening he wondered whether it was a human being who had
just dreamt of being a butterfly, or a butterfly which had dreamt that it had
become a human being.
目が覚めたとき、それは、蝶々になったと夢見た人だったのか、それとも、人となった夢を見た蝶々だったのか、と荘子は疑問に思いました。
Chuang Tzu raises a big question: Can it be that my
whole life is someone else’s dream?
荘子は大きな問題点を揚げました: 私の全人生は、誰か他人の夢だったりすることがあり得るのか?
Most people today assume that their
dreams belong to them, but do not feel responsible for what they dream.
今日、殆どの人は、夢は自分に属していると思っていますが、自分がどんな夢を見るかに責任は感じていません。
This
contradictory attitude reveals a flaw in the prevalent understanding of
dreams.
この矛盾する態度は、夢についてのこの広範な考え方の欠点を暴露しています。
I think it may be more accurate to say that they belong to the cosmos
as well as to the human being who sees them.
夢はそれを見た人のものであるだけでなく、宇宙全体のものであるとしたほうがより正しいのではないかと、私は、思います。
In this respect people in
pre-modern societies had a more suitable attitude towards their dreams.
この観点において、前近代社会の人は、夢についてより適切な態度をとっていました。
Before I explain what I mean by this, I would like to
tell a story about
dream experiences in medieval Japan.
これがどういう意味か説明する前に、私は、中世日本の夢経験に関する物語を一つ話してみたい。
The following episode appears in the Uji
Shui Monogatari (USM), a collection of stories compiled at the beginning of the
thirteenth century:
以下のエピソードは、宇治拾遺物語(USM)にあります、USMは、13世紀初頭に編纂された物語集です。
□●There was a man living with his wife and only daughter. 昔々ある男が、妻と一人娘と住んでいました。
□He loved his daughter very much and made several attempts to arrange a good
marriage for her, but was unable to succeed.
男は娘を大層愛し、良い結婚を調えようと色々と試みましたが、成功しませんでした。
□Hoping for better fortune he
built a temple in his backyard, enshrined it with the bodhisattva of compassion,
Kannon, and asked the deity to help his daughter.
幸せを願って、男は裏庭にお堂を建て、観音様をお祀りして、神様に娘をお守り下さいと祈りました。
□He died one day, followed by
his wife shortly thereafter, and the daughter was left to herself.
ある日男は亡くなり、彼の妻も続いて亡くなり、娘は一人残されました。
□Though her
parents had been wealthy she gradually became poor and eventually even the
servants left.
両親は裕福でしたが、娘は次第に貧乏になり、最後に、召使たちすら去ってしまいました。
□Utterly alone, she had a dream one night in which an old
priest emerged from the temple of Kannon in the backyard and said to her,
全く一人になった或る夜娘は夢を見ました、年老いたお坊さんが、裏庭の観音様のお堂から現れて、娘に言いました、
“Because I love you so much, I would like to arrange a marriage for you.
「お前を大層愛しておるので、お前に縁談を世話してやりたい。
□A
man I have called will visit here tomorrow. You should do whatever he asks.”
私が呼んだ男が明日ここを訪れる。お前は、男が言う通りにするのじゃ。」
□The next night a man with about thirty retainers came to her home.
翌日の夜、30人ばかりの従者を従えた男が娘の家にやってきました。
□He seemed quite kind and proposed to marry her. 男はとても親切そうで、娘に結婚を申し出ました。
□He was attracted to her because she
reminded him of his deceased wife.
娘が男の亡くなった妻のことを思い起こさせたので、男は娘に惹かれたのです。
□Remembering the words which Kannon had
spoken to her in her dream, she accepted his proposal.
夢で観音様が娘に言ったことを思い出して、娘は男の申し出を受け入れました。
□The man was very
pleased and told her that he would be back the next day after attending to some
business.
男は大層喜び、少し仕事をしてから明日戻ってくると娘に言いました。
□●More than twenty of his retainers remained behind to
spend the night at her home.
男の従者が20人以上後に残り、娘の家で夜を過ごしました。
□She wanted to be a good hostess and prepare a
meal for them, but she was too poor to do so.
娘はよくおもてなしして食事を用意したいと思うのですが、余りに貧しくてそれができません。
□Just then an unknown woman
appeared who identified herself as the daughter of a servant who used to work
for the parents of the hostess a long time ago.
その時見知らぬ女が現れて、昔娘の両親にお仕えしたことのある召使の娘だと名乗りました。
□Sympathetic to the hostess’
plight, she told the latter that she would bring food from her home to feed
the guests.
娘の苦境に同情して、女は娘に、お客をもてなすために家から食べ物を持ってくると言ったのです。
□When the man returned the next day, she helped the daughter of
her parents’ master again by serving the man and his attendants.
男が翌日戻ってきた時も、女は、女の両親の主人の娘を手助けして、男とその従者をおもてなししました。
□The hostess
showed her gratitude by giving her helper a red ceremonial skirt (Jpn. hakama).
娘は、感謝の意を表す為、女に儀式用の赤いスカート(日本の袴)を贈りました。
□●When the time came to depart with her fiancé, she went
to the temple of Kannon to express her thanks.
フィアンセと共に出立する時になって、娘は、観音様のお堂に行って感謝のお祈りをしました。
□To her surprise she found the
red skirt on the shoulder of the statue;
驚いたことに、娘は、観音様の肩に、赤い袴を見つけました。
□she realized then that the woman who
had come to help her was actually a manifestation of Kannon. 1
娘は了解しました、娘を助けるためにやってきた女は、実は、観音様の権現だったのです。
1 Uji Shui Monogatari, revision and commentary by Etsuji Nakajima, Kadokawa Shoten, Tokyo, 1960, Ch. 9, No. 3 (108).
●In this story we see the free interpenetration of this
world and the dream world, a common feature of medieval Japanese stories
concerning dreams.
このお話には、この世と夢の世界が自由に相互浸透しています、夢に関する中世日本の物語に共通する特性です。
What Kannon foretells in the dream is realized in the
waking world, and the bodhisattva manifests himself in the form of an actual
human being.
観音様が夢の中で予言したことは、目が覚めている世界で実現します、観音菩薩さまは、現実の人間の姿で姿を現すのです。
●Before continuing I would like to say a little more
about the sources which I am using.
次に進む前に、私は、今使おうとしている出典についてもう少し述べたいことがあります。
These are the Uji Shui Monogatari, which
I mentioned earlier, and the Myôe Shonin Yume no Ki, or The Dream Diary of
Saint Myôe.
それらは、すでに述べた宇治拾遺物語と、明恵上人夢記です。
During the Kamakura and Muromachi Periods in Japan several major
collections of religious stories were compiled.
日本の鎌倉と室町時代の間に、宗教的な物語の主要な編纂がなされました。
The USM is one of these and
contains anecdotes, legends, and records of historical events from India,
China, and Japan which Buddhist priests used in their sermons.
USMは、それらの一つで、逸話や伝説、インド、中国、日本の歴史的出来事の記録が含まれていて、お坊さん達はお説教に用いました。
All strata of society are represented in these tales. 社会のすべての層が、これらのお話の中に表現されています。
Unknown members of the lower classes
as well as famous warriors and nobles appear in them.
下層階級の名もない人たちも、有名な武将や貴族と同様に、物語の中に登場します。
It is difficult to say how and when they evolved; それらのお話がいつどのように出来上がってきたのかを言うのは難しい。
some have been transmitted down to this day in the
form of fairy tales and are still being modified.
いくつかのお話は、おとぎ話の形で今日まで伝わっていて、いまも変容しつつあれます。
Although they are primarily
didactic Buddhist episodes, they are interesting from the standpoint of depth
psychology due to the inclusion of dreams and fantasies.
それらは、もともと仏教の説教のための逸話ですが、夢やファンタジーが含まれているので、深層心理学の観点から非常に興味深いものです。
Many of them appear in
variations or in virtually the same version in several different collections.
物語の多くは、いくつかの異なる編纂の中に、変容したり、実質的に同じバージョンとして現れています。
I have chosen the USM because it contains many outstanding examples of the
interpenetration of the dream and waking worlds.
私がUSMを選んだのは、それが、夢と覚醒の世界の解釈の実例を沢山含んでいるからです。
The period of its
compilation overlaps with the life of Myôe (1173–1232) whose dreams I will
also discuss.
編纂の時期は、明恵(1173-1232)の生涯と重なります。明恵のの夢についても、議論します。
●●2. Life and Death 生と死
●The land of death is easily entered in the dreams of
medieval Japan.
死の国は、中世日本の夢の中で、簡単に入ることができます。
The following is a typical example: 以下に典型的な例を示します:
□●There was a Buddhist
priest named Chiin Kano who failed to keep the precepts and was only
interested in worldly affairs.
賀能知院という名前の僧がいました、彼は、教えを守ることができず、俗事にのみ興味を抱いていました。
□On the side of the road leading up to his temple
there was a tower enshrined with an old neglected statue of the bodhisattva
Jizo.
彼の寺に向かう道の脇に、塔があって、古く打ち捨てられた地蔵菩薩の像が祀ってありました。
□Occasionally the priest would remove his hood and bow to the statue as
he passed by.
しばしば彼は、通りがてら、頭巾を脱いで、像にお辞儀をしました。
□After he died, his master said, “That priest was always
breaking the precepts. He was so bad he’s surely gone to hell,” but the
master still felt sorry for him.
賀能が亡くなったとき、彼の師は言いました、「あいつはいつも教えを破った。彼は悪い男で、定めし地獄に行ったに違いない。」
しかし、師は、彼の事を憐れに思っていました。
□●Shortly thereafter, some people from the temple noticed
that the statue of Jizo had disappeared from the tower and thought that the
statue might have been taken out for repair.
そのすぐあと、お寺の何人かは、お地蔵様の像が塔から消えてしまったことに気づき、像は修理のために持ち出されたのだろうと考えました。
□One night the master had a
dream: A priest appeared and said, “Jizo has gone to hell with priest Chiin
Kano in order to help him.”
ある夜、師は夢を見ました:一人の僧が現れ、言いました、「お地蔵様は、賀能知院を助けるためにかれとともに地獄に行きました」と。
□The master then asked why Bodhisattva Jizo had gone
to accompany such a bad priest.
師は尋ねました、地蔵菩薩さまは、何故、あんな悪い僧の御伴をされたのかと。
□The priest in the dream replied, “Because Chiin
Kano bowed to Jizo sometimes when he passed by the tower.”
夢の中の僧は答えました、「賀能知院は、しばしば塔を通り過ぎるときに、お辞儀をしたからさ。」
□Upon awakening,
the master went to the tower to check for himself and saw that the statue of
Jizo was actually gone.
目が覚めて、師は、塔の所にゆき、自ら確かめて、お地蔵様の像が実際にないことを確認しました。
□After a while he had another dream in which he went
to the tower and found Jizo standing there.
しばらくして師は別の夢を見て、その中で、彼は塔に行き、お地蔵さまが立っていることをしりました。
□He asked why Jizo had reappeared,
and a voice said,
師が、何故お地蔵さまが再び現れたのかと問うと、声が聞こえました:
“Jizo has returned from hell, where he had gone to help
Chiin Kano. The fire has burned his feet.”
「お地蔵さまは、賀能知院を助けるために地獄にゆき、そこから戻ってこられた。火がお地蔵様の脚をこがした。」
□Upon awakening, the master hurried
to the tower and saw that Jizo’s feet had actually been charred.
目が覚めて、師は急いで塔に行き、お地蔵さまの脚が実際に焦げているのを見ました。
□He was deeply
moved, and tears flowed down his face.
師は深く感銘し、涙が顔から流れ落ちました。
□After hearing this story, many went
to worship the statue of Jizo in the tower. 2
多くの人は、この話を聞いて、塔のお地蔵様を拝みに行きました。
2 USM, Ch. 5, No. 13 (82).
●Jizo went to hell and returned to this world with actual
evidence of his journey.
お地蔵様は、地獄に行き、実際に行った証拠を持って、この世に戻ってきたのです。
The circumstances surrounding his disappearance were
all related in dreams.
お地蔵様が消えていなくなることに係る事情は、すべて夢の中に関わっています。
The USM contains numerous stories in which not only
bodhisattvas but ordinary humans also go to and return from the land of
death, and a large number of these involve dreams.
宇治拾遺物語は、菩薩様だけでなく、普通の人が死の国に行って帰って来る物語が沢山含まれていて、それらの多くは夢に関与している。
Whether such stories are
“real” is not our concern.
それらの物語が、『本当』かどうかは、私達の関心事ではない。
What is important is that through them we can
learn about the kind of cosmos the people of that period lived in.
大切なのは、それらの物語を通して、私達が、当時の人達が生きていた宇宙の種類について知ることができるということである。
What we
have seen so far is that their cosmology included the land of death, or life
after death.
これまでに私達が見て来たのは、彼らの宇宙観が死の国、もしくは死後の生を含んでいたということです。
In order to really think about our lives I feel that it is
important to take a standpoint which encompasses both this world and the
next.
私達の生命について真に考えるためには、この世と次の世を両方とも包括する立場をとることが大切と、私は感じます。
●Here is another story about a man who goes to the land of death:
死の国に行った男のもう一つの物語があります。
□●There was a talented calligrapher named Toshiyuki, and some two hundred people
asked him to copy the Lotus Sutra, an important Buddhist scripture.
敏行という名前のすぐれた書家がいました。200人余りの人が彼に法華経の写経を依頼しました。
□(It was
customary during that time to have scriptures copied as a means of accruing
merit towards an auspicious afterlife.)
(当時は吉兆の死後生のために功徳を積む方法として写経することは慣習でした)
□One day Toshiyuki became mortally
ill, and just as he thought, “I’m going to die,” he was caught by an unknown
man who took him to the land of death.
ある日敏行は、死病におちいり、「もう死ぬ」と思ったその時、彼は、見知らぬ人に捕まり、死の国に連れていかれました。
□There Toshiyuki saw two hundred horrible-looking people, all wearing armor and breathing fire from their mouths.
そこで敏行は、怖ろしい姿をした200人の人を見ました、みんな、鎧を着て、口から火を吐いています。
□Terrified, he asked his captor who these people were.
怖くなって、敏行は、捕え人に、これらの人達は誰なのか尋ねました。
□The man told him that
they were the ones who had asked Toshiyuki to copy the Lotus Sutra.
男は、彼らは、敏行に法華経の写経を頼んだ人達だと言いました。
□They were
now suffering unexpectedly because he had made the copies with defiled hands:
彼らは、思いがけなくも苦しんでいます、敏行が不浄の手で写経したからです。
□he had failed to purify them after having relations with women or eating
fish.
敏行は、女と関係を持ち、魚を食べた後、手を清めることをしませんでした。
□Toshiyuki had not actually been fated to die, but was brought to the land
of death to suffer revenge.
敏行は実際は死ぬ運命ではありませんでしたが、報いを受けるため、死の国に連れてこられたのです。
□His captor told him that his body would be cut
into two hundred pieces, and his mind divided among them to experience the
pain.
捕え人は、彼に言いました、敏行の体は200の小片に切り刻まれ、彼の心はそれらに分けられて痛みを経験すると。
□They came to a river flowing with a thick, black liquid, and he was
told that it was the ink which he had used to copy the sutra.
二人は、濃く黒い液体が流れる河にやってきました、それは敏行が写経に使った墨だと言われました。
□The copies he
had made had to be washed away because they were impure.
彼の写経は、不純だったので、洗い流されなければならなかったのです。
□When he went before
the court of the land of death, he vowed to copy the Suvarna-prabhâsa Sutra,
a lengthy four-volume scripture, and he was allowed to return to this world.
敏行が死の国の裁きの場に引きたてられたとき、彼は、長い4巻の金光明教の写経をすると誓い、この世に戻ることを許されました。
□He
made this vow because the man had told him that this was the only way to be
rescued.
これが、助かるための唯一の方法だと、男が教えてくれたので、敏行は、この誓いをしました。
□Upon returning he felt that what he had just experienced “was like
looking into a clear, bright mirror,” and he was firmly resolved to copy the
sutra.
戻った時、彼は、今経験したことは「明瞭で明るい鏡を覗き込んだようなものだ」と感じ、写経することを固く決心しました。
□But when he became well again, he forgot about everything and spent
his time pursuing women instead.
しかし、また元気になると、彼はすべてを忘れ、女を追いかけて時をすごしました。
□He died a few years later, and an
acquaintance named Tomonori Kino had a dream about him:
彼は、二三年して亡くなりました、紀友則という知己が彼の夢を見ました:
□Toshiyuki looked so
terrible that he was hardly recognizable.
敏行は、大層悲惨で、彼だと見分けがつかないほどでした。
□He told Tomonori, “I came back to
life with the help of my vow to copy sutras, but now I am suffering unbearably
because I did not fulfill the vow.
彼は友則に言いました、「私は、写経するという誓いの助けでこの世に戻ってきました、しかし、誓いを実行しなかったので、今、耐え難い苦しみを受けています。
□If you have any sympathy, please find the
paper I had set aside for copying, take it to the monk at the temple of
Miidera, and ask him to do what I had promised.”
もし少しでも憐れんでくれるなら、私が写経のためにとっておいた紙を見つけて、三井寺の僧のところに持って行って、私が約束した写経をしてもらうように頼んでください。」
□The dream ended with Toshiyuki crying bitterly. 敏行が激しく泣くところで、夢は終わりました。
□As soon as he awoke he went to get the paper and took
it to the monk at Miidera.
目覚めるとすぐ、友則は紙を取りに行き、三井寺の僧の所に持って行きました。
□The monk was glad to see him and said that
Toshiyuki had appeared in a dream asking him to copy the sutra on the paper
that Tomonori Kino brought.
僧は彼を見て喜び、言いました、敏行が夢に現れて、紀友則が持ってくる紙に写経するように頼んだと。
□The monk made the copies and held a service for Toshiyuki. 僧は、写経を行い、敏行のために供養しました。
He reappeared in the dreams of both Tomonori Kino and the monk of
Miidera, and he looked much better. 3
敏行は、再び、紀友則と三井寺の僧の夢に現れ、はるかによさそうに見えました。
3 USM, ch. 8, no. 4 (102).
●Although what he saw in the land of death did not help
him change his earthly life, his experiences there clearly mirrored his life
in this world.
彼が死の国で見たことは彼の地上での生活を変えるのに役立ちませんでしたが、そこでの彼の経験は、彼のこの世の生活を明瞭に反映しています。
The remarkable synchronicity of events in dreams, this world,
and the land of death was not considered unusual.
夢とこの世と死の国での出来事の驚くべき共時性は、普通ではないとは考えられていませんでした。
●●3. Which is the Real Reality? どちらが本当の現実か?
●As I was reading the stories in the USM, I began to
feel the people of that time believed that reality had many layers, and that
its appearance differed greatly according to the layer being seen.
宇治拾遺物語の物語を読んでいると、当時の人達は、現実が多くの層を持っていて、見られている層によって現実の現れ方が著しく異なると信じていると感じるようになりました。
The next
story illustrates this view of multiple realities:
次の物語は、多重現実の考え方を説明する良い例です。
□●There was a man who fell
in love with the daughter of the priest of Daianji Temple in Nara.
奈良の大安寺の僧侶の娘に恋をした男がいました。
□He was so
attached to her that he would even sleep with her during the day.
男は娘に大層惹かれていて、昼間でも床を共にするほどでした。
□Once when he
dozed off he saw the following dream:
あるとき、彼がまどろんでいると、こんな夢を見ました。
□The people in the house suddenly
started to cry, and he looked at them in surprise.
家の人達が突然泣き始めたので、男は驚いて彼らを見ました。
□The priest and his wife
[i.e., the parents of the man’s lover], the servants, and everyone else were
drinking molten copper from a large earthenware vessel.
僧侶とその妻
[男の恋人の両親]召使達、その他全員が、大きな土器製の器から溶けた銅を飲んでいました。
□One of the servants
called to the daughter who had been sleeping beside the man.
召使の一人が、男の傍で寝ていた娘に呼びかけました。
□She cried as she
drank the scalding liquid from a silver bowl, and smoke came out of her eyes
and nose.
娘は、銀の器から煮えたぎる液体を飲んで泣き叫び、目や鼻から煙が出ました。
□The servant then offered the bowl to the dreamer. 召使は、夢を見ている男に、器を差し向けました。
□He became frantic and awoke from the dream. 彼は半狂乱になって、夢から覚めました。
□●When he returned to the waking world, he was
startled to find a servant bringing him food.
男が覚醒した世界に戻ったとき、召使が食事を運んでくるのを知って驚きました。
□He heard the sound of the
family eating and thought,
男は、家の者達が、食事をしている音を聞き、考えました、
□“They are recklessly consuming what belongs to the
temple. That is what I saw [in the dream].”
「彼らは、お寺のものを無頓着に消費している。私が[夢で]見たのはそれだ。」
□He was so disgusted that his
feelings of affection for the daughter vanished without a trace.
男は余りに嫌悪を覚えたので、娘に対する愛の気持ちが、跡形もなく消え去りました。
□He declined
the food, left the house, and never returned. 4
男は食事を断り、家を出て、二度と戻ってきませんでした。
□□4 USM, Ch. 9, No. 7 (112).
●In his dream the man sees a layer of reality different
from that of external appearances.
この夢で男は、外観から見える層とは、異なる現実の層を見ています。
Without the view which the dream affords
him, the family would seem to be simply enjoying a meal together.
夢が彼に与えた見方がなければ、家の者達は、単に食事を互いに楽しんでいるように見えます。
Because he
feels the scene in which he saw them being tormented is closer to the truth,
he decides to end his relationship with his lover and her family.
彼が家の人達が苦しめられているのを見たそのシーンの方が真実により近いと彼は感じて、愛人やその家族との関係を終わらせようと決心したのです。
Yet, on an
entirely different level, one might say that without any good reason he lost
his chance to establish himself in the rich priest’s family.
しかし、全く異なるレベルでは、彼は、たいした理由もなしに、裕福な僧侶の家族の中に彼の身をかためるチャンスを失ってしまったのかもしれません。
●It is an uncanny
world in which an entire family drinks molten copper, but what the man sees
is more representative of the truth, or in Jung’s terms, of psychic reality.
家の者がみな溶けた銅を飲んでいるというのは、異様な世界です。しかし、男が見たものは、真理、もしくは、ユングの言葉にいう、心的現実を、よりよく表現しているのです。
●The following story is even more uncanny and involves life after death.
次の物語は、もっと異様で、死後の生を含んでいます。
It is
concerned with the father-son relationship and makes for an interesting
comparison with the myth of Oedipus:
それは父と息子の関係に関わっていて、エディプス神話と興味深い比較対照をなしています。
□●There was a Buddhist priest named Jokaku who lived near
the temple of Kamitsuizumoji in northern Kyoto.
上覚という名前の僧がいて、京都の北のかみついづも寺(上出雲寺)の近くに住んでいました。
□He had succeeded to the
temple following the death of his father, but it was now in a state of
disrepair.
彼は父の死をうけてお寺を継ぎました、しかしお寺は今、荒廃の状態でした。
□●One day he had the following dream: ある日、彼はこんな夢を見ました:
□His father appeared, looking
very old and carrying a long stick in his hand.
彼の父が現れました、とても年老いて見え、手に長い杖を持っていました。
□He said, “At two in the
afternoon the day after tomorrow, this temple will be destroyed by a storm.
父は言いました、「明後日の午後2時に、この寺は嵐に壊されるだろう。
□I
am now living as a big catfish in a puddle underneath.
私は、今、下方の水たまりで、鯰として生きておる。
□When the temple falls
down, I shall appear in the garden.
寺が倒れるとき、私は、庭に現れるであろう。
□Please help me and set me free in the Kamo
River.”
どうか私を助けて、賀茂川に放してくれ。」
□Upon awakening Jokaku told his family, and they wondered what the
dream meant.
目覚めて、上覚は、家族に言いました。皆は、この夢が何を意味しているのかいぶかりました。
□●Two days later the temple collapsed in a great storm, and a
large catfish swam up to Jokaku.
二日後、寺は大嵐で壊れました。大きな鯰が、上覚のところまで泳いできました。
□Without a moment’s thought he speared it
with an iron rod and was quite pleased with his catch.
躊躇する間もなく、上覚は鉄の棒で鯰を突き刺し、獲物に満足しました。
□He wanted to cook it,
but his wife scolded him for killing the fish from his dream.
彼は鯰を料理しようとしましたが、妻は、夢から出て来た肴を殺したことを叱りました。
□He gave no heed
and replied, “Father will be quite happy as long as no one except [his son] and
grandsons eat him.”
彼は気にも留めず答えました、「父さんは他でもない子と孫にたべられて幸せだろう。」
□He boiled the fish and ate it with his sons. 彼は魚を煮て、子供と一緒に食べました。
□“The reason
this fish is so tasty must be that it’s my father’s flesh.”
「この魚がこんなにうまいのは、我が父の肉だからに違いない。」
□Just then a big
bone pierced his throat, and he later died in pain.
丁度その時、大きな骨が彼の喉を貫き、その後、彼は苦しんで死にました。
□His wife was so horrified
that she never ate catfish again. 5
妻は大層怖がり、鯰は決して食べませんでした。
5 USM, Ch. 13, No. 8 (168).
●In his dream Jokaku perceives another layer of reality.
この夢で、上覚は、現実のもう一つの層を感知しました。
He is willing to believe that the catfish is his father, but fails to carry
out its request and thus loses his life.
彼は鯰が父であることを喜んで信じますが、父の頼みを聞くことが出来ず、命を落とします。
In this respect I do not think he
actually believes the dream, because for him that catfish’s assertion about
being his father seems to be nothing more than a joke.
この点で、私は、彼が実際に夢を信じたとは思いません、何故なら、鯰が彼の父だという主張は、彼にとって、冗談に過ぎないと思えるからです。
The theme of the story
in terms of traditional morality is filial piety,
この物語のテーマは、伝統的な道徳の言葉で言えば、孝行ですが、
but it can be given many
interpretations from the standpoint of depth psychology.
深層心理学の観点からすると多くの解釈が可能です。
I find the following
points to be particularly striking:
私は、以下の点が、特別に印象的だと思います:
●Eating is a primitive expression of
identification, and eating the flesh of one’s forbears is one example.
食べることは、同一化の原始的な表現です、祖先の肉を食べることは、その一例です。
We
might expect that the son would transmit his father’s soul by consuming the
latter’s flesh, but I have found no evidence for this in Japanese literature.
息子が父の肉を消費する(食べる)ことにより父の魂を伝達することが推測されるかもしれませんが、日本文学においてこのような例はみつかりませんでした。
In this story the father dies, and it is the grandson who transmits the
grandfather’s soul.
この物語において、父は死に、祖父の魂を伝達するのは孫です。
The mother must live on to protect the grandchildren, and
we thus have the triad of the mother, son, and the soul of the grandfather,
an important constellation in the psychic life of the Japanese.
母は、孫を守るために生き続けなければなりません、従って、母と息子と祖父の魂という三つ組が得られます、日本人の心的生活における重要なコンステレーション(星座、配置)です。
●When this episode is compared with the myth of Oedipus,
two important differences become apparent:
このエピソードをエディプスの神話と比較すると、二つの重要な違いが明らかになります。
First, although both Oedipus and
the man in this story kill their fathers, the Japanese son is aware that he
is killing his father whereas Oedipus only learned this after the fact.
最初に、エディプスも、この物語の男も共に父を殺しますが、日本の息子は父を殺していることを知っていて、エディプスは、そのことを後で知ります。
Second, the Japanese murder is motivated by the desire to eat and not by the
desire for power or sex.
次に、日本の殺人者は、食べたいという欲望に動機づけられていて、権力やセックスの欲望ではありません。
The appetite for food is more connected to the body
than the other two.
食べ物への食欲は、権力やセックスよりもずっと身体に結びつけられています。
●●4. I and the Other 私と他者
●The relation between others and myself is very subtle. 他者と自分の間の関係は非常に微妙です。
Although we may feel that you and I are clearly distinct, there are many
interpenetrating components, especially in the dream world.
あなたと私は、はっきり区別されると思うかもしれませんが、相互浸透する成分は沢山あります、特に夢の世界においては。
The following
story shows how this interpenetration manifested itself in the people of
medieval Japan:
次の物語は、この相互浸透が中世日本の人々の中にどのように現れたかを示してくれます。
□●In the town of Tsukuma in Shinano Province there was a
medicinal hot spring.
信濃の国の筑摩という町に薬効のある温泉場がありました。
□A man living nearby had a dream in which a voice said
to him,
近くに住むある男が夢をみると、その中で、声が語りかけました、
□“At midday tomorrow the bodhisattva Kannon will come to the hot
spring.”
「明日の正午に、観音菩薩さまが温泉に来られるであろう」
□The man asked how the deity would make his appearance, and the voice
replied that a bearded warrior about thirty years old would come riding on a
horse, and went on to describe his outfit and gear.
男が神様はどんな格好をされているかと尋ねると、声は、30歳くらいの髭をはやした武士が馬に乗ってやってくると答え、衣装や持ち物について説明を続けました。
□●Upon awakening the man
told some others about his dream, and many people gathered to clean the hot
spring and decorate it with flowers.
目が覚めると男は他の者達に夢の話をし、多くの者達が集まって温泉を清掃し花で飾りました。
□Around two in the afternoon a warrior
fitting the description from the dream came riding on a horse.
午後二時頃、夢の描写に合った武士が、馬に乗って現れました。
□Everyone stood
up and bowed before him in prostration.
皆は立ち上がり、そして彼の前にお辞儀をして平伏しました。
□Utterly surprised, the warrior asked
them what they were doing, but no one answered; they simply continued to bow.
完全に驚いて、武士は何をするのかと尋ねました、しかし、誰も答えず、ただお辞儀を続けました。
□Finally a priest from among them gave him an explanation.
最後に、彼らの中から一人の僧が説明をしました。
□The warrior said
that the reason he had come to the medicinal spring was that he had been
injured when he fell off his horse while hunting.
武士は言いました、私が薬効ある温泉に来た理由は、狩りの途中馬から落ちたときに怪我をしたからだと。
□However, everyone just continued to worship him. しかし、皆は、彼を拝み続けました。
□He remained perplexed for some time, and then the
thought occurred to him, “I am actually Kannon; I must become a monk.”
彼はしばらくまごついていましたが、ある考えが浮かびました、「私は実際に観音だ。私は法師にならないといけない」
□He
threw away his weapons and became a monk, and the people were deeply moved.
彼は武器を投げ捨て、法師になりました、人々は、大いに心を打たれました。
□●He went on to become a disciple of the famous priest Kakucho, and it was said
that he lived in the province of Tosa thereafter. 6
彼は、続けて有名な僧の覚朝の弟子となりました、その後、土佐地方に住んだと言われています。
6 USM, Ch. 6, No. 7 (89).
●This story is noteworthy in that a man comes to find himself
through someone else’s dream.
この物語は、男が、他人の夢を通して自己を見出すようになったことが注目に値します。
Before arriving at the hot spring he never
doubts his identity as a warrior and is quite puzzled that others would
regard him as Kannon simply on the basis of a voice in a dream.
温泉に到着する前、男は武士としての自分を決して疑わず、人々が単に夢の中の声が基で彼を観音と見做すことにかなり困惑しました。
Yet, in the
end he accepts this and becomes a monk.
それでも、最後には、彼はこれを受け入れ、法師になります。
I like the fact that the story does
not say the former warrior became a famous priest or saved many people.
物語が、この武士が有名な僧侶になったとか、沢山の人を救ったなったとはいわないところが、私は好きです。
He is
just an ordinary monk. That is enough to be a bodhisattva.
男は、ただ、普通の法師です。それで、十分、菩薩になるのです。
●Most people would
think such a warrior strange or weak because he determined his identity not
by his own will or thought but through a stranger’s dream,
多くの人はこんな武士は変で弱いと思うでしょう、彼が自分は誰かを決めたのは、自分の意志や考えからではなく、見知らぬ人のみた夢からなんですから。
and I am sure that many Japanese would feel the same. きっと、多くの日本人はそう感じます。
However, this tendency is still at work on a
subconscious level in the everyday life of the Japanese.
しかし、この傾向は、日本人の日々の生活の中に、潜在意識のレベルで今も働いています。
Evidence for this can
be seen in the use of the Japanese words for “I.”
その証拠は、日本語の「私」という言葉の使い方に見ることができます。
There are many terms for
the first person singular, such as watakushi, boku, ore, and uchi.
一人称単数には、多くの用語があります、例えば、わたくし、ぼく、おれ、うち。
The choice
depends entirely on the circumstance and the person being addressed.
どれを選ぶかは、全く、状況や話しかける相手に依存します。
In this
respect it can be said that the Japanese finds “I” solely through the
existence of others.
この点で、日本人は、「私」を他者の存在を通して見出だしているのだと言うことができます。
●However, if this aspect is over-emphasized, one might
conclude that the Japanese are so passive as to accept everything that comes
their way and that they have no autonomy.
しかし、この面を強調しすぎると、日本人は、大層受動的で、ふりかかってくることをすべて受け入れ、自律性をもっていないと結論してしまうかもしれません。
The actual situation is more subtle. 実際の状況は、もっと微妙です。
In order to help us understand personal autonomy in a Japanese
context, let me refer to another dream episode from the USM:
日本の文脈における個人の自律性を理解するのに役立つように、宇治拾遺物語からもうひとつ夢のエピソードを取り上げる。
□●There was a man
named Yoshio Tomo-no-Dainagon who was an attendant of the chief of Sado
Province.
伴大納言善男という名前の男がいました、佐渡の国の郡司の従者でした。
□He had a dream that he was standing with one foot on Todaiji and the
other on Saidaiji [two major temples located in the east and west of the city
of Nara, respectively].
男は夢を見ました。片足を東大寺、もう片足を西大寺に置いて立っています。
□When he told his wife about this dream, she
interpreted it and said, “Your body will be torn in two.”
男が妻に夢について語ると、妻は、解釈して言いました、「あなたの体は二つに引き裂かれるでしょう」
□Yoshio was startled
and thought that he had done something wrong.
善男は驚き、何か悪いことをしたのかと思いました。
□●Later he went to see his lord
who was skilled in reading faces.
その後、男は主人の所に行きました、主人は、人の顔を読むことに長けています。
□He invited Yoshio to enter and was unusually kind to him. 主人は善男を招き入れ、いつになく親切でした。
□Remembering what his wife had said, Yoshio became
suspicious and thought that his lord was plotting to harm him.
妻が言ったことを思い出し、善男は怪しみ、主人が彼に危害を与えようと企んでいると思いました。
□However, his
lord told him that his face showed he had seen an auspicious dream; he had
simply related it to the wrong person.
しかし主人は言いました、顔は、吉兆の夢を見たと語っているが、それを間違った人に語ってしまった。
□As a consequence, he would get a high
position in the course of his life but would be implicated in some crime.
その結果、生涯で高い地位につくであろうけれど、何か犯罪に巻き込まれるであろうと。
□Sometime later Yoshio moved to Kyoto and received a high appointment but was
accused of wrongdoing and lost his position.
しばらくして善男は京都に行き、高い地位を受けましたが、悪事をしたと訴えられ、地位を失いました。
□Everything turned out as his lord had said. 7 すべては主人が言ったとおりになりました。
7 USM, Ch. 1, No. 4 (4).
●This story shows the importance of the dreamer’s
attitude.
この物語は、夢を見る人の態度の重要性を示して居ます。
Although Yoshio had an auspicious dream, his carelessness leads to
misfortune.
善男は吉兆な夢を見ましたが、彼の不注意が不幸に導きます。
The next story illustrates the importance of keeping a dream
secret:
次の物語は、夢を秘密にしておくことの重要性を説明します。
□●A certain man overheard a dream being told to a dream interpreter who
told the dreamer that he would become a minister of state.
或男が、夢解きに夢が語られているのを立ち聞きしました、夢解きは、夢を見た人に大臣になるだろうと告げました。
□Afterwards the
first man asked the interpreter if he could buy the dream.
その後、男は、夢解きにその夢を買うことはできるかと尋ねました。
□The interpreter
replied that he could, and instructed him to enter the room and relate the
dream exactly as the dreamer had done.
夢解きは、出来ると答え、男に、部屋に入って夢を見た人が語ったのと全く同じく夢を語るように指示しました。
□She gave him the same prediction, and he
presented her with a gift.
夢解きは、男に、同じ予言をし、男は、夢解きに贈り物をしました。
□He eventually did become the minister of state
while nothing special happened to the man who had actually had the dream. 8
男は、ついに大臣となりましたが、実際に夢を見た男には何ら特別な事は起こりませんでした。
8 USM, Ch. 13, No. 5 (165).
●Like the previous episode, this story shows that having
an auspicious dream is not enough.
前のエピソードと同じく、この物語は、吉兆な夢を見るだけでは十分でないことを示しています。
If one is careless it will lose its effect,
but if one has a certain reverence, one can even buy dreams.
もし人が不注意だと、効果が失われる、しかし、或る畏敬の念をもつと。夢を買う事すらできるのです。
It is sometimes necessary to have the strength to hold
on to them.
時には、夢を保ち続ける力を持つことが必要なのです。
Otherwise one may lose a blessing or even be subject to
misfortune.
さもないと、人は、恵を失うか、不運を被ったりすらします。
A merely passive attitude towards dreams does not work.
夢への単に受動的な態度は、機能しないのです。
●●5. The Concept of Nature 自然の概念
●In considering the correlation between the human and
the cosmic, we must ask ourselves what meaning Nature has for us.
人間と宇宙の間の相互関係を考察するには、私達は、自然が私たちにとって何を意味するかを自問しなければなりません。
Jung says
that the human being is an opus contra naturam.
ユングは、人間存在は自然に反する作業であると言います。
This paradoxical condition
makes the issue very complicated, especially when we consider the situation
in Japan where the concept of Nature is quite different from that of the
West.
この逆説的な状態は、この問題を非常に複雑にします、特に日本におけるこの状況を考察する時に、日本では、自然の概念が西洋での自然の概念とは実に異なるのです。
Strictly speaking, the Japanese had no conception of Nature as such
prior to their contact with Western culture.
厳密にいうと、日本人は、西洋文明と接触する前は、自然それ自体の概念を持ちませんでした。
●As I have shown through the dream stories of medieval
Japan, there was no distinct demarcation between life and death, reality and
fantasy, myself and others.
中世日本の夢の物語を通して示してきたように、生と死、現実と空想、自己と他者の間に明確な境界設定はありません。
The same holds true for man and Nature. 同じことは、人と自然についても成り立ちます。
Throughout European history, Nature has been a concept which stands in
opposition to culture and civilization, and continues to be objectified by
human beings.
西洋の歴史を通して、自然は、文化や文明の対局に立つ概念であり、人間によって、物とされ続けてきました。
The word “Nature” was translated into Japanese as shizen,
自然.
自然という語は、日本語では しぜん と翻訳されました。
Prior to this we did not have a concept of Nature. これ以前、私達は、自然という概念をもちませんでした。
When we Japanese wish to talk
about “Nature,” we use such expressions as sansensomoku, 山川草木 which literally
means “the mountains, rivers, grasses, and trees.”
日本人が、自然について語りたいときは、私達は、山川草木
というような表現を使います。これは、文字通り、山と川と草と木です。
Akira Yanabu has pointed out
the clear differences between the Japanese shizen and “Nature.”9
柳父章は、日本語の自然とNatureの間の明確な差異を指摘しました。
9 Akira Yanabu, Honyaku no Shiso, Heibon-sha, Tokyo, 1977. 翻訳の思想 「自然」とNature
Many Japanese today confuse the two, causing a great
deal of misunderstanding.
多くの日本人は、この二つを混同し、大量の誤解を生じている。
●Let us see how the word shizen, 自然 was used before the
encounter with the West.
西洋との出会いの前に、自然という言葉がどのように使われたのかを見てみよう。
The term originated in China, and its oldest usage
in literature is to be found in the Taoist writings of Lao Tzu (604? - 531
B.C.) and Chuang Tzu.
この言葉は、中国に起源をもち、文献での最古の使用は、老子や荘子の道教の書物に見られます。
It appears in the last line of the well-known
twenty-fifth chapter of the Tao Te Ching which reads: Tao Fa Tzu Jan, 道法自然.
自然は、老子道徳経の有名な第25章の最後の行に現れており、道法自然と書かれています。
Many
attempts have been made to translate this, and here are just a few examples:
これを翻訳する多くの試みがなされてきました、いくつかの例をあげますと:
□“The way conforms to its own nature.” (Blackney) 道は自らの性質に従う
□“Tao’s standard is the Spontaneous. “(Fung Yu-lan) 道の基準は自発的なことである
□“The law of the Tao is its own being.” (James Legge) 道の法則はそれ自身の存在である
□“Tao follows its own ways.” (Wu) 道は自らの道に従う
□“Tao is by nature itself. There is
nothing which it could take for its model.” (Ho Shang-Kung)
道はその本性から自分自身である。それ自身のモデルとなるものは何もない。
●The difficulty of
translating the term 自然 is readily apparent.
自然という言葉を翻訳する難しさは、すでに明らかです。
The first important point is that
it is not identical to “Nature.”
最初の重要な点は、自然がNatureと同一ではないことです。
In fact it is not even a noun, and in
pre-modern Japanese literature it was used almost exclusively as an adverb or
adjective.
実際、自然は名詞ですらありません。前近代の日本の文献において、それはもっぱら副詞や形容詞として使われました。
It might be said that 自然 expresses a state in which everything flows
spontaneously.
自然は、すべてが自発的に流れる状態をあらわしていると言えるでしょう。
There is something like an ever-changing flow in which
everything – sky, earth, and man – is contained.
常に変化する流れのような何かかあって、その中には、空や、大地や、人など、すべてのものが含まれています。
Because it is like a
continual process, it can never be grasped spatio-temporally, and strictly
speaking, cannot be named.
それは、連続過程のようなものであり、空間・時間的に把握することはできず、厳密に言うと、名前を付けることもできない。
This state of 自然 was intuitively grasped by the Japanese
and was originally read as jinen rather than the later shizen, which was used to
translate “Nature.”
自然の状態は、日本人によって本能的に把握され、元来は、しぜん
ではなく じねん と読まれていました。しぜん は、Natureを訳すために、後に使われました。
The meaning of the two readings was identical until
the Meiji Period (late 19th Century) when the latter was applied to the Western
concept.
二つの読みの意味は、明治時代まで一緒でした、明治に しぜん
は西洋概念に適用されました。
Shizen never lost its original meaning, and the resulting failure to
distinguish jinen from “Nature” has been the source of confusion.
しぜん は、元の意味を決して失いませんでした、じねん と Nature
を区別することに失敗したことが、結果として、混乱の原因となってきました。
One point
which these two terms do have in common is that both signify the opposite of
artificiality.
二つの言葉が共通してもっている点の一つは、両方とも、人工的であることの反対を意味していることです。
When the Japanese say that they like Nature, they are
referring to a mixture of the two.
日本人が Nature
が好きだというときは、二つの入り混じったものを指しています。
One might say that jinen is more
comprehensive than “Nature” and represents a standpoint embracing the latter.
じねん は、Nature よりも包括的で、Nature を包含する立場を表している
と言えるかもしれません。
We may gain a better understanding of the stories I have related if we can sense
what is meant by the former term.
これまで話してきた物語の意味をよりよく理解できるかもしれません、もし、じねん が何を意味しているかがわかるならば。
You and I, humans and Nature, reality and
fantasy, flow spontaneously in jinen, which transcends all distinctions.
あなたと私、人と自然、現実と空想は、じねんの中を自然発生的に流れます、じねん は、あらゆる区別を超越します。
●●6. Ego, Self and Nature 自我、自己、自然
●When the relation between human beings and the cosmos
is examined psychologically, Jung’s understanding of the relation between the
ego and the Self becomes very important,
人間存在と宇宙の間の関係を心理学的に調べるとき、自我と自己の間の関係についてのユングの理解が重要になります。
and I would like to make use of his
standpoint to help clarify the East Asian conception of the Self.
東アジアの自己の概念を明確にする手助けとしい、ユングの立場を利用しようと思います。
I say
“conception,” but the Self can never actually be conceptualized.
私は、「概念」と言いますが、自己は、実際、決して、概念化されることはありません。
●Jung
defined ego as the center of consciousness, and Self as the center of the
psyche which encompasses both the realm of the conscious and the unconscious.
ユングは、自我を意識の中心、自己を心の中心と定義しました、心は、意識と無意識の世界の両方を包括します。
He
also stated that the Self cannot be known directly, but only through symbols and
images which are accessible to consciousness.
ユングは、また、自己は、直接的に知ることはできず、意識がアクセス可能なシンボルやイメージを通してのみ知ることができると言いました。
Thus, although the Self is the
same for everyone, it appears differently to each person in accordance with
the unique contents of his or her consciousness.
かくして、自己はすべての人で同じであるにもかかわらず、人々の意識のユニークな内容に応じて、異なって現れます。
●The Japanese words
for ego, Self, and Nature are jiga, 自我, jiko, 自己, and jinen, 自然, respectively.
ego, Self, Nature に対する日本語は、自我、自己、自然です。
It
can be seen that they all have the character ji, 自 in common.
すべて、自 という字を含んでいることがわかります。
Other readings
for this character include mizukara and onozukara:
この字の他の読み方は、みずから と おのずから を含みます。
paradoxically, they mean
“voluntarily, of one’s own free will,” and “spontaneously, of itself.”
逆説的なことに、それらは、「自分の自由意志から自発的に」と「ひとりでに自然発生的に」を意味します。
They may
seem contradictory to the Westerner, but not to the Japanese.
それらは、西洋人には矛盾しているようにみえますが、日本人には、そうではありません。
Perhaps it
would be better to say that they are incommensurable from the standpoint of
ego consciousness, but not from the standpoint of jinen.
それらは、自我意識の立場からは、同じ標準で計れないが、じねん
の立場からは、そうではない、と言った方がいいかもしれない。
This two-fold sense
of ji is contained in the Japanese understanding of ego, Self, and Nature.
自の二重の意味が、自我、自己、自然の日本人の理解の中に含まれているのです。
●Thus it may be said that dreams belong to the ego, the Self, and Nature, and
that they all flow in jinen as originally understood by the Japanese.
従って、夢は、自我、自己、自然に属していて、それらはすべて、日本人が元来理解しているように、じねんに流れていると言えるでしょう。
We
are led to the conclusion that everything in the cosmos flows as it is, and
there is no need to speak of one thing symbolizing another.
私達は結論に至ります、宇宙のすべてのものは、あるがままに流れ、あるものが、他のものを象徴するなどと言う必要はないのだと。
They are just there. すべてのものは、ただそこにあるのです。
I have yet to clearly grasp the problem of Self and jinen, but I am inclined to
say the following:
自己とじねんの問題についてまだ、明確には把握していませんが、次のように語りたいと思います。
The notion of the Self is basic to the hero myth, and in
this context, human consciousness is inextricably bound to the ego.
自己の概念は、英雄神話の基本を成し、その文脈においては、人間の意識は、自我と不可分に結びついています。
There may
be another kind of consciousness in the reality of jinen;
じねんの現実の中には、別の種類の意識があるのかもしれません。
what Jung called
the Self may be important, but in this context, it might be called by any
number of names, or perhaps no name at all.
ユングが自己と呼んだものは、重要かもしれません、しかし、この文脈において、自己は、どんな数の名前でも呼ぶことが出来るし、どんな名前もないかもしれないのです。
●●7. The Conscious, the Unconscious, and a Horse 意識と無意識と馬
●Freud compared the relationship between the ego and the
unconscious to that between a rider and his horse.
フロイトは、自我と無意識の間の関係を、騎手と馬の間の関係と比較しました。
With this in mind, let us
examine the following dream seen by Myôe, a Buddhist priest of the thirteenth
century:
このことを頭に入れて、13世紀の僧侶である明恵が見た以下の夢を調べましょう。
□●There was a big, clear pond. I climbed onto a large horse and played
in the pond.
大きな澄んだ池があった。私は、大きな馬に乗って、その池で遊んだ。
□The horse was unusually well fed. Then [I was] about to set out
on a pilgrimage to Kumano.
馬は、常になく立派に餌を与えられていた。それから(私は)熊野へ巡礼に出立しようとした。
●Myôe goes on to comment: 明恵は、続けます。
□●In [another] dream two
or three nights previous, I playfully said, “How I would like to visit Kumano!”
ニ三夜前の別の夢で、私は、戯れに、言いました 「熊野に参りたいものだ」と。
□The priest Shinsho was there and reprimanded me: “You speak as if [you were]
actually not [going].”
真証房がそこにいて、私を叱責した
「あなたは、まるで実際には行かないかのように言っている」と。」
□●I said to myself, “That is not so,” and made a vow
to go.
私は、自分に言った 「それは違う」 そして、行くことを誓いました。
□[Thus] I reversed [my previous attitude], and now the dream is an
auspicious sign [showing] that I truly wish to go.
(従って)私は(以前の態度を)変えました、そして今、私の夢は、私が本当に行こうと願っている吉兆の徴です。
□In addition, the large
pond stands for meditation, and the horse for consciousness. 11
加えて、大きな池は、瞑想を表し、馬は、意識を表している。
□□11 Myôe Koben, Myôe Shonin Yume no Ki (MSYK), in Myôe Shonin Shu, 1981, pp. 85-86 (389).
●Freud might ask, “If the horse stands for consciousness,
then what does Myôe the rider stand for?”
フロイトは問うでしょう
「もし馬が意識をあらわすなら、騎手の明恵は何を表しているのだ?」と。
Before attempting to answer this
question, I would like to relate another dream which Myôe had about a year
earlier along with his commentary:
この質問に答えようとする前に、明恵が約1年前に見た別の夢と、その夢への明恵の解釈について語りたい。
□●I dreamt that I had constructed a pond
which [covered an area of] about a half to three quarters of an acre.
私は夢を見た、私は池を作った、広さは1エーカーの半分から4分の3くらいじゃった。
説明 エーカーは、約4000平方メートル、1200坪
□There was hardly any water in it. 中には殆ど水はなかった。
□A sudden downpour filled the pond with pure, clear
water.
突然の土砂降りで池は澄んだ透明の水で満たされました。
□There was another large pond next to it that seemed to be an old river.
その隣に別の大きな池があった、それは昔からの川のようじゃった。
□When the small one was full, there was [only] about one foot separating it
from the larger one.
小さな池がいっぱいになると、大きな池から隔てることほんの1尺しかなかった。
□If it rained just a little more, [the small pond] would
merge with the larger pond.
もしもう少し雨が降れば、小さな池は大きな池につながるであろう。
□I felt that if they merged, the fish, turtles,
and other [creatures] could move over to the small pond.
もしつながれば、魚や亀や他の生き物たちが、小さな池に移り込んでくるだろうと思った。
□It seemed to be the
fifteenth day of the second month.
時は、第二の月の15日目のようにであった。
□I thought, “Tonight the moon will rise
over this pond and is sure to be splendid.”
私は考えた、「今宵月が池の上に上がると、眺めはすばらしいじゃろう」と。
□●Interpretation: The small pond is meditation. 解釈: 小さい池は瞑想
□The large pond is the fundamental samadhi to which all the
Buddhas and bodhisattvas have awakened.
大きな池は、すべての仏陀や菩薩が目覚めた根本的な三昧です。
□The fish and other [creatures] are all sages. 魚や他の生き物は、聖人たちすべてです。
□Each being was deeply significant, and I contemplated this [fact].
それぞれの存在は、深い意味を持っていて、私は、そのことを沈思します。
□The
lack of water stands for the time of no practice.
水がないことは、修業をしないときを表します。
□Now, even with a little
faith, all the Buddhas and bodhisattvas can come through.
今や、少しの信心ですら、すべての仏陀や菩薩がこちらに来ることができる。
□The absence of fish
in the small pond at the beginning [represents] the initial aspiration [for
enlightenment]. 12
小さい池に最初魚がいないことは、最初の(悟りへの)憧れを表します。
□□12 MSYK, p. 77 (89).
●I have little to add to Myôe’s own interpretation. 明恵自身の解釈に殆ど付け加えることはありません。
Please note that in the lunar calendar, the moon is full on the fifteenth day
of the month.
太陰暦において、月の15日に、月が満月になることをご承知おきください。
The splendid full moon represents the fullness of deep
meditation,
すばらしい満月は、深い瞑想の充足を表しています、
but the fact that Myôe is absent indicates that he saw the truth
but did not experience it.
しかし、明恵が不在であるという事実は、明恵が真実は見たが、真実を体験してはいないことを示します。
He is waiting for the fundamental samadhi of the
large pond to flow into the small one.
明恵は、大きい池の根本的な三昧が、小さな池に流れ込むのを待っています。
Returning to the first dream I
mentioned (which took place about one year later), we find Myôe riding on a
horse and about to set out on a pilgrimage to Kumano, one of the major centers
of religious worship in Japan.
最初の夢(それは約1年後に起きました)にもどると、明恵は、馬に乗って、熊野への巡礼に出発しようとしています、熊野は日本の宗教的参拝の主要中心の一つです。
One might say that he made the transition from
observer to actor, except that Myôe tells us the horse stands for
consciousness, not himself.
明恵は観察者から実行者に変容したといえるかもしれない、もっとも、明恵は、馬が意識を表していて、自分自身が意識を表しているのではないと言っていますが。
Then what does Myôe stand for? それなら、明恵は、何を表しているのでしょうか?
My answer is that
he is jinen, the spontaneous flow of being.
私の解答は、明恵は、じねん すなわち、存在の自発的な流れなのです。
My translation reads, “Then [I
was] about to set out on a pilgrimage to Kumano,”
私の翻訳では、「それから(私は)熊野へ巡礼に出立しようとした。」です、
but the subject is omitted
in the original as is often the case in Japanese.
しかし、原文では主語が省略されています、日本語ではよくあることです。
It might be interesting to
think that the subject is neither the horse nor Myôe, but jinen, which
includes both.
主語は、馬でも明恵でもなく、その両者を含む じねん
であると考えるとおもしろいかもしれません。
●●8. A Constitution Based on Jinen じねんに基く憲法
●Myôe lived during one of the most important periods of
Japanese political history.
明恵は、日本の政治史の最も重要な時期の一つに生きました。
In the Jokyu Disturbance of 1221, an attempt by
the retired Emperor Go-Toba’s imperial faction to wrest control from the
military government failed.
1221年の承久の乱において、武家政権から支配を奪い取ろうとする後鳥羽上皇の派閥争いの試みは失敗しました。
This led to an increase in the political power of
the government in Kamakura, and Yasutoki Hojo became the military regent in
the imperial capital of Kyoto.
このため鎌倉政権の政治権力は増大し、北条泰時は、京都の六波羅探題となりました。
Myôe greatly influenced Yasutoki, who made
many revolutionary changes based on the former’s world-view.
明恵は泰時に多大な影響を与え、泰時は、明恵の世界観に基づいた多くの大改革を行いました。
This does not
mean that Yasutoki made Buddhism or Myôe’s Hua-yen the state religion.
これは、泰時が、仏教もしくは明恵の華厳宗を国の宗教としたということではありません。
On the
contrary there is virtually no external evidence of Myôe’s contribution, which
was actually more far-reaching than the establishment of religious
institutions.
逆に、明恵の寄与の外的な証拠は殆どありません、明恵の寄与は、宗教的な組織を確立することよりも、もっと広範囲に及ぶものでした。
●Until Yasutoki became the regent, the Japanese constitution had
been basically an imitation of the Chinese.
泰時が、執権になるまでは、日本の憲法は、基本的に中国の真似でした。
Yasutoki felt the necessity for a
new order, but it was neither possible nor desirable to abolish the old
system.
泰時は、新しい秩序の必要を感じましたが、古いシステムを廃することは、可能でもなく、望ましくもありませんでした。
He skillfully put his ideals into effect by establishing a catalogue
of practical law which did not replace the constitution, at least not in
appearance.
泰時は、巧みに実際的な法令の目録を樹立することにより自分の理想を実施していきました、実際的な法令は、少なくとも見掛け上は、憲法に取ってかわったりはしませんでした。
He stressed the fact that the old law did not fulfill the needs of
the present age,
泰時は、古い法律は、現代の必要を満たさないという事を強調しました。
and said the new catalogue consisted of what he simply felt
was reasonable, that it was not based on anything in particular.
そして、新目録は、彼が合理的と思ったものからなっていて、何か特別なものに基いているのではないと言いました。
To effect
such a comprehensive transformation of the national constitution and say that
it was based on nothing is remarkable.
国の憲法にこんな包括的な変容をもたらしつつも、それは何にも基いていないということは、注目すべきことです。
The power of the new catalogue can be
understood as a reflection of jinen.
新しい目録の力は、じねん
の反映と理解することができます。
●Yasutoki once asked Myôe how to rule the
nation, and the latter replied that a statesman should be like a good doctor
who cures an illness by rooting out its real cause.
泰時は、一度明恵にいかにして国を治めるかを問い、明恵は、後に、政治家は、真の原因を根絶することで病気を治す良医のようでなければならないと答えました。
The cause of disturbance
in Japan was greed, and if Yasutoki wished to remedy this, he had to abolish
his own.
日本における擾乱の原因は欲でした、泰時がこれを治したいと思うなら、自身の欲を廃することが必要でした。
Yasutoki expressed doubt that others would remain greedy even if he
were able to get rid of his own desire.
泰時は、疑念を表明しました、他の人達は、欲深いままかもしれない、たとい彼が自分の欲を捨てることができたとしてもと。
Myôe answered that if Yasutoki really
became free of his own, the entire nation would naturally follow.
明恵は答えました、もし泰時が本当に自分の欲から自由になるなら、国中が自然に従うでしょうと。
It is the idea
that the state one attains is the state of the world.
それは、自分が達成する状態は、世界の状態であるという考えです。
Yasutoki actually made
efforts to put Myôe’s advice into practice and has been praised as a noble
statesman ever since.
泰時は実際、明恵の忠告を実行しようと努力しました、その後ずっと、高潔な政治家として称えられてきました。
●Myôe did not say how the nation would be freed of
desire if Yasutoki eliminated his.
明恵は言いませんでした、もし泰時が欲望を除去したら、国民はどのようにして欲望から自由になるかを。
The former explained neither the
relationship between an individual and his world, nor the nature of one
person’s influence on another.
明恵は、説明しませんでした、個人と世界の間の関係についても、人が別の人に影響を与える本質についても、
In order to understand the basis of Myôe’s
advice, we must examine the teaching of the Hua-yen.
明恵の忠告の基礎を理解するためには、華厳の教えを調べる必要があります。
●●9. Yüan-ch’i in the Hua-yen School 華厳宗における縁起
●Although Myôe was relatively open to the various
Buddhist schools and teachings which had found their way to Japan, he was
primarily a student of the Hua-yen School.
明恵は、日本に伝わってきた仏教の様々な宗派や教えに対して比較的オープンでしたが、第一には華厳宗の徒でした。
In the Hua-yen Ching, or The Sutra of
the Flower Garland, all things freely interpenetrate each other.
華厳経においては、すべてのものは、自由にお互いに相互浸透します。
This complete mutual penetration and permeation is
beautifully captured in a phrase which appears often: “Even a speck of dust
contains all the Buddhas.”
この完全に相互的な浸透と透過は、「埃の欠片すらすべての仏を含む」というしばしば現れる文の中に、美しく捉えられている。
In 1980, Toshihiko Izutsu gave a talk on the philosophy
of the Hua-yen.
1980年に、井筒俊彦は、華厳の哲学について講義しました。
I would like to quote a passage from his presentation in
order to illuminate just one aspect of Hua-yen thought, the notion of yüan-ch’i
(Jap. Engi) as elaborated by the Chinese Huayen master, Fa-Ts’ang (643-712):
彼の発表から、一節を引用して、華厳思想の一つの局面、縁起の概念を明らかにしたい、縁起の概念は、中国の華厳宗の師である法蔵(643-712)によって精緻化されたものです。
□… nothing in this world exists independently of others.
… この世に、他の物から独立して存在するものは何もない。
□Everything depends for its phenomenal existence upon
everything else.
すべてのものは、その現象的な存在を他のすべてのものに依存している。
□All things are correlated with one another. すべてのものは互いに連関しあっている。
□All things mutually originate … すべてのものは、互いに由来している。
□Thus the universe in this vista is a tightly structured
nexus of multifariously and manifoldly interrelated ontological events, so that
even the slightest change in the tiniest part cannot but effect all the other
parts. 13
従って、この展望において宇宙は、多種多様で多重的に相互に関連した存在論的出来事が密に構造づけられた結合体であるで、最小部分の極小の変かですら、他のすべての部分に影響せざるをえないのです。
13 Toshihiko Izutsu, “The Nexus of Ontological Events: A Buddhist View of Reality” in Eranos 49-1980, pp. 384-85.
The quintessence of the Hua-yen yüan-ch’i is “the
dynamic, simultaneous, and interdependent emergence and existence of all
things.”
華厳の縁起の真髄は、「すべてのものの力動的で同時的で相互依存的な出現と存在」です。
It is important to note here that yüan-ch’i is not based
on linear causality.
縁起は、線形の因果性に基いてはいないことに注意することが重要です。
Izutsu uses the following diagram to illustrate the Huayen
cosmology.
井筒は、次の図を使って華厳のコスモロジーを説明しています。
Figure 1. Illustration of yüan-ch’i thinking 縁起思想の図示
●In this diagram each letter stands for some phenomenon
or entity.
この図において、それぞれの文字は、現象や実体を表しています。
From the standpoint of “X,” all other phenomena (“A,”
“B,” “C,”…) are the formative factors of “X.”
“X”の立場からは、他のすべての現象 (“A”, “B”, “C”,…) は、“X”を形成する要因です。
The situation is the same from the standpoint of any
other phenomenon, such as “K,” “A,” “B,” “C,” and so on, ad infinitum.
この状況は、“K”, “A”, “B”,
“C”,など無限に続くような他のどんな現象の観点からみても同じです。
I feel
that this diagram aptly describes the Kannon story.
この図式は、観音の物語をうまく描写していると感じます。
The warrior comes to the realization that he is Kannon
through the formative influence of the people around him, who correspond to the
letters in this diagram.
武士は、彼の周りの人々からの発育的影響を通して自分が観音であるという理解に至ります、彼の周りの人々は、この図式の中の文字に対応しています。
It is said in the Hua-yen Ching: 華厳経にはこう述べられています。
□If one begins to seek to become a bodhisattva, one will
understand that a small world is a large world, and a large world, a small
world.
人が菩薩になろうと求め始めると、小さい世界は大きな世界であり、大きな世界は小さい世界であると理解するでしょう。
□Moreover, a small world is many worlds, and many worlds,
a small world.
さらに、小さい世界は、多くの世界であり、多くの世界は、小さい世界です。
□A wide world is a narrow world. A world is limitless. 広い世界は狭い世界です。世界は無限です。
□A defiled world is a pure world,
and a pure world, a defiled world. 14
汚れた世界は純粋な世界であり、純粋な世界は汚れた世界です。
□□14 Hua-yen Ching. The Hua-yen Ching has been translated into English by Thomas Cleary,
Thus, one is all, and all is one. 従って、一はすべてであり、すべては一です。
Because Myôe had awakened to this truth himself, he was
able to advise Yasutoki that if he behaved correctly, the whole nation would
follow.
明恵はこの真実に目覚めていたので、泰時に、泰時が正しく振舞うなら国中が従うと忠告することができたのです。
If one is all, the problem of individual identity
presents itself:
もし一がすべてなら、個々人のアイデンティティが問題となってきます。
How can “A” be distinguished from “B”? “A”は、“B”からどのようにして区別できるのでしょうか?
Izutsu explained
this in terms of Fa-Ts’ang’s notion of ontological “powerfulness” and
“powerlessness.”
井筒は、これを、存在論的な「有力さ」と「無力さ」という法蔵の概念によって説明しました。
Each phenomenon (“A,” “B,” “C,”…) possesses identical
contents, but takes on various appearances according to the amount of power
being exerted by any given element:
各現象 (“A”, “B”,
“C”,…) は同じ内容を持ちますが、任意の要素から行使される力の総和に従って様々な外観をとります。
□Those elements that happen to be “powerless” in a thing
are not manifest, only the “powerful” and dominant elements being empirically
actualized.
ある物においてたまたま「無力」である要素は、顕在的でなく、「有力」で支配的な要素のみが経験的に顕在化されます。
□Nevertheless they are there, all of them as part of the
depth-structure of the thing, supposing, as it were, from below the phenomenal
subsistence of the thing as that very thing. 15
それにもかかわらず、無力な要素もそこに存在していて、それらのすべては、その物の深層構造の部分として存在し、その物そのものとしての物の現象的実在を、いわば下から、前提としているのです。
□□15 Izutsu, ibid., p. 391.
説明 井筒の原文は以下のとおりです。
あるものにおいて「無力」な要素は顕在的ではなくて、「有力」で支配的な要素だけが実際には現れてくる。それにもかかわらず、無力な要素は存在していて、全てがあるものの深層-構造の一部であって、いわば下からものの現象的実在をまさにそのものとして前提にしているのである。
From the standpoint of depth psychology, I would like to
say that the meaning of “powerless” and “powerful” becomes relative, and depends
upon the condition of consciousness.
深層心理学の立場からは、「無力さ」と「有力さ」の意味は相対的となり、意識の状態に依存すると言えるでしょう。
To ordinary consciousness, only the manifestations of
“powerful” elements are visible, but perhaps in other realms (such as the
dream state), “powerless” components can be seen as well.
通常の意識には、「有力な」要素の現れだけが目に見えるけれども、多分、他の領域 (夢の状態など)
においては「無力な」要素も見ることができるでしょう、
One’s father appears as a catfish, or one can stand with
one foot on Todaiji Temple and the other on Saidaiji.
ある人の父親が鯰として現れたり、片足を東大寺に、もう片足を西大寺に置いて立つこともできます。
I would like to relate another dream that Myôe had: 明恵が見た別の夢を話したい。
□I thought I was going somewhere. 私は、どこかに向かっていると思っていた。
□Then I arrived at the gate of the Great Minister of
Ichijo, where there was a single black dog.
すると一条の大臣殿の門に着いた、そこに一匹の大きな犬がいた。
□It rubbed itself against my feet and became very
friendly.
犬は、私の足に体をなすりつけ、とてもなついてきた。
□I had thought in my mind that I had raised this dog in
years past.
私は、過去に何年かこの犬を飼っていたのだと心の中に思った。
□I did not see it when I went out today; I arrived at
this gate and was waiting for it.
今朝出かけるときには、いなかった;
私はこの門に着いて、それを待っていた。
□I had wondered when it would come here; now we are
together and we should not part.
それは何時くるのだろう;
今、私達は一緒になった、離れないでいよう。
□That dog was like a pony; it was a young dog with fur of
dazzling color.
その犬は仔馬のようだった;
それは若い犬で、毛はまばゆいばかりの色だった。
□It seemed as if it had been brushed with a comb. 16
毛を櫛でといたかのようだった。
□□16 MSYK, p. 90 (131).
Perhaps the friendly black dog which he thought he had
raised is a “powerless” component in him which he had not been conscious of.
多分明恵が飼っていたと思った人懐っこい黒い犬は、彼の中の「無力」な要素で、彼はそれを意識していなかった。
It
is a sign of Myôe’s wisdom that once he had become aware of its existence, he
decides they should not part.
それは、明恵の知恵の徴です、一旦犬の存在を知ってからは、離れるべきでないと決心したことは。
It is important to accept the existence of “powerless”
elements in oneself, whether they take the form of a black dog or something
else.
自身の中に「無力」な要素の存在を受け行けることが重要です、それが黒い犬の形をとろうが、なにかほかの形をとろうが。
Here is another dream from about the same time: これは、ほぼ同じ時期の彼の別の夢です。
□[During my early evening meditation, when I wished to
perform esoteric practices], there was a very dignified, beautiful lady in a
room.
[夕方は役の黙想の時間に、秘伝の修業を行おうとした時]、とても威厳があって美しい女性が部屋にいました。
□Her clothing was exquisite, but she showed no sign of
worldly desire.
彼女の衣装は絶妙でしたが、浮世の欲情の兆しは見られなかった。
□I was in the same place, but I did not feel any
affection for her and ignored her.
私は、同じ場所にいたが、彼女にどんな愛着もわかず、彼女を無視しました。
□She was quite fond of me and did not wish to be
separated.
彼女は、私の事が大好きで、離れないように望んでいた。
□I [continued to] ignore her and left. She still showed
no sign of worldly desire.
私は、彼女を無視し続け、去った。彼女は、まだ、浮世の欲情の兆しはなかった。
□The lady held a mirror around which she wrapped some
wire. She also held a large sword.
女は鏡を持っていた、鏡の周りに何か針金が巻かれていた。女は大きな刀も持っていた。
□Interpretation: The woman was [the Buddha] Vairocana:
she was certainly the queen. 17
解釈:女は盧遮那(るしやな)仏だった、女はきっと后だったろう。
□□17 MSYK, p. 89 (12).
Myôe strictly adhered to the monastic code, and unlike
most priests of his time, obeyed the precept which forbids touching of women.
明恵は修道士の戒律を厳密に固執した、当時の殆どの僧と異なり、女にさわることを禁じた教えに従った。
His attitudes are reflected in this dream, since he
rejects the woman who does not want to be separated from him and leaves
her.
明恵の態度がこの夢に反映されている、明恵は、かれから離れたくなかった女を拒否し、置き去ったので。
In the interpretation, however, he tells us that she is the Tathagata
Vairocana, the Sun Buddha, who is the central figure of the Hua-yen Ching.
しかし、解釈において、明恵は、女が、華厳経の中心的な像である盧遮那仏だと言っている。
Although Vairocana is cosmic and transcendental, he is
usually depicted in male form.
盧遮那仏は、宇宙的で超越的であるが、通常は男性の形で描かれている。
The fact that Myôe calls Vairocana “the queen” indicates
that he sees the female aspect of the deity.
明恵が盧遮那仏を「后」と呼んだことは、彼が、神の女性的な側面を見ていることが示される。
●According to the Hua-yen view of yüan-ch’i Vairocana is
manifest in all phenomena, but Myôe’s choice to observe the precept on women
entails a rejection of an aspect of the deity.
縁起の華厳の見方に従うと、盧遮那仏はあらゆる現象に現れる、しかし明恵が女に関する教えに従うと選択したことは、神の側面を拒否したことになる。
I believe this is what Myôe meant
by his interpretation.
これが、明恵がその解釈で意図したことだと、私は思う。
A priest is supposed to maintain the monastic code, but
doing so paradoxically implies the exclusion of a part of one’s eternal reality.
僧は修道士の戒律を守ると思われているが、そうすることは、逆説的に、人の永遠のリアリティの一部を排除することを意味する。
There is no way to have both. 両方を手にする方法はない。
One must make an exclusive
choice with full commitment and be aware of the dark side which necessarily
accompanies it.
人は完全にコミットして排他的な選択を行い、それに必然的に伴う暗い側面に気づいていなければならない。
●●10. Turning Point 転回点
●What is the role of the human being in the reality of
jinen if everything including the former is simply flowing spontaneously of
itself?
じねんの現実において人間存在の役割は何でしょうか、もし人間も含めたすべてが自然発生的に流れているのだとすると。
In other words, what is the role of the ego? 言い換えると、自我の役割は何でしょうか。
In the East the importance of diminishing the power of
the ego has been emphasized in order to make one’s life conform to jinen,
東洋では、自我の力を減じることの重要性が、強調されてきました、自分の人生をじねんに従わせるために。
but I
do not feel that this provides a satisfactory answer.
しかし、これは満足できる回答であるとは、私は思いません。
In order to probe this question more deeply, let us turn
to another episode from the USM which has evolved into the well-known folk tale,
“The Straw Millionaire”:
この問題をより深く探るために、宇治拾遺物語からの別のエピソードに向かいましょう、それはよく知られた民話「わらしべ長者」に発展したものです。
□●A young warrior who was completely alone in this world
arrived at the temple of Hasedera where a statue of Kannon was enshrined.
この世で完全に一人の若い侍が長谷寺に着いた、そこには観音様の像が祀られていた。
□He prayed to Kannon and vowed not to leave until he
received a message in a dream.
彼は観音様にお祈りし、夢にお告げを受けるまでは立ち去らないと誓いました。
□Afraid that he would starve and cause a disturbance, the
monks of the temple offered him some food.
彼が飢えて騒動を引き起こすことを恐れて、寺の僧侶たちは食事を与えました。
□Twenty-one days later, he had a dream in which a man
emerged from the altar where Kannon was enshrined and told the warrior to leave
and keep everything which came into his possession.
21日後彼は夢を見ました、その中で男が一人、観音様の祀られている祭壇からでてきて、侍に立ち去って、手に入ったものをすべてとっておくように言いました。
□●Just as he went through the temple gate, he fell down
and clutched a single stalk of straw.
丁度お寺の門を通り過ぎようとしたとき、彼は倒れて、わらくずを一本つかみました。
□Remembering the dream, he got up and walked on with the
straw in his hand.
彼は、夢を覚えていて、立ち上がって、わらを手に持って歩き続けました。
□Shortly thereafter a fly began to pester him, so he tied
it to the end of his straw.
そのすぐ後、アブが飛んで来て彼を悩ましました、そこで彼はアブをわらの先にくくりました。
□Further down the road a woman of the nobility, her son,
and their retinue were approaching on their way to worship at Hasedera.
さらに道を下ると、高貴な女性と、息子と、お付きの者が長谷寺への御参りの道を近づいてきました。
□The son said that he wished to have the fly and straw,
and the warrior told one of the retainers:
息子がアブとわらが欲しいと言ったので、侍はお付きの者の一人に言いました:
□“Although these are gifts from the
Buddha, I will give them to him.”
「これは仏さまからの贈り物ですが、さしあげましょう」
□The mother was grateful for his generosity and gave him
three oranges.
母は、侍の気前の良さに感謝して、彼にみかんを3個あげました。
□He thought, “A single stalk of straw has been
transformed into three oranges.”
侍は思いました、「一本のわらが、みかん3個に変身した。」
□●Another woman of the nobility approached with her
retinue;
別の高貴な女が、お付きの者とやってきました。
□one of her servants told the warrior that she was tired and thirsty but
that they could not find any water for her.
従者の一人が侍に言いました、女は疲れて喉が渇いたが、彼女に水をみつけることができなかったと。
□The warrior offered her the oranges, and she gave him
three rolls of cloth as an expression of her gratitude.
侍はみかんを与え、女は感謝のしるしとして反物を3つ彼に与えました。
□He thought, “The stalk of straw has become three rolls
of cloth.”
侍は思いました、「わらが反物3つになった」と。
□●The next day he saw a man riding on a magnificent horse
but the latter suddenly died before his eyes.
翌日、侍は、立派な馬に乗っている男を見ました、しかし馬は、突然彼の目の前で真てせしまいました。
□Thinking that this was a sign the horse was meant to be
his, he bought the horse with a roll of cloth.
これは、馬が彼の物になるとされていことの徴だと思い、彼は、反物一つで馬を買いました。
□He then turned towards the Kannon enshrined at Hasedera
and prayed, “Please bring this horse back to life.”
彼は長谷寺に祀られている観音さまの方に向いて、祈りました、「どうかこの馬を生き返らせてください」と。
□The horse opened its eyes and stood up, and he was
overjoyed.
馬は、目を開けて、立ち上がりました、彼はおお喜びです。
□He exchanged the other two rolls of cloth for a saddle
and other gear and set off for Kyoto.
彼は残りの反物2つを、鞍や他の道具と交換し、京都に向かいました。
□There he exchanged the horse for a house and rice
fields, and he eventually became a wealthy man. 18
京で、彼は馬を、家と田んぼに交換し、ついには、長者になりました。
□□18 USM, Ch. 7, No. 5 (96).
●The young warrior is quite passive, just accepting what
comes his way.
若い侍は、実に受身で、彼にやってくる物をただ受け取りました。
However, his attitude changes when he sees the horse
die.
しかし、彼の態度は、馬が死ぬのを見たときに、変化します。
He actively seeks to purchase the horse and prays to
Kannon to resurrect it.
彼は積極的に馬を買う事を求め、観音さまにそれを生き返らせることを願います。
It is a great gamble on his part, for no one expects the
horse to revive.
それは、侍の側からすると大きな賭けです。誰も馬が生き返るとは予想しないので。
This act of full commitment is the turning point of the
story.
完全にコミットしたこの行動が、この物語の転回点です。
Similar scenes can be found in many Japanese stories,
and constitute the most important point in the development of the protagonist.
同様の場面は、沢山の日本の物語に見つかります。主人公の発達のための最も重要な点を成しています。
●Without the turning point, the hero would have been
destroyed by his own passivity.
転回点がなければ、この英雄は、自分の受動性によって壊されたでしょう。
But such points cannot be realized without full
commitment, which is in turn accompanied by danger.
しかし、そのようなポイントは、完全なコミットなしには実現できません、完全なコミットは、危険を伴います。
If the horse had not revived, the hero would have been
lost.
もし馬が生き返らなかったら、英雄は、損失したでしょう。
How and when does a person know that his turning point
has come?
いつどのようにして、人は、今転回点が来たとわかるのでしょう?
What are the criteria for determining it? それを決める基準は何でしょうか?
The answer is obvious: Follow jinen. 答えは明瞭です。じねんに従いなさい。
I know this is
meaningless from the so-called scientific point of view,
いわゆる科学的観点から、これは無意味であることはわかっています。
but perhaps my point
can be made more apparent by examining the notion of individuality.
しかし、多分、私のポイントは、個性という概念を調べることにより、より明確にすることができます。
●When one’s individuality is established by means of
making clear distinctions between oneself, others, things, and Nature, many
general laws for observing the world can be discovered.
人の個性が、自分、他者、物、自然の間に明瞭な区別をすることで確立されたときに、世界を観察する多数の一般法則を発見することができます。
By applying these laws Nature can be efficiently
controlled.
これらの法則を適用することで、自然は効率的に制御できます。
However, one cannot establish one’s uniqueness as long
as one is under the rule of the collective consciousness;
しかし、人は自分のユニークさを確立することはできません、人がこのような集団的意識の支配下にいる限りは。
a catfish remains a
catfish and a warrior cannot become Kannon.
鯰は鯰に留まり、武士は観音様になれません。
The objective path to individuality does not allow one’s
father to become a catfish or a warrior to become a bodhisattva.
個性への客観的な道のりは、父が鯰になり、武士が菩薩になることを許しません。
●On the other hand, one may lead a unique life if one is
open to others.
一方で、人はユニークな生を送ることができるかもしれません、もし、人が他人にオープンであれば。
Yet, this path is open to danger; しかし、この道のりは、危険にさらされています。
one may believe that a
catfish can be one’s father, but also lose one’s life.
人は、鯰が自分の父でありえることを信じるかもしれませんが、自分の命を失うかもしれません。
In Jungian terms, one’s
individuality may be lost in the collective unconscious.
ユング派の用語で言うと、人の個性は、集合的な無意識の中に失われるかもしれません。
●A truly individual life requires unique turning points
as well as general rules.
真に個性的な生は、ユニークな転回点も、一般的なルールも、ともに必要です。
Although by definition there are no rules for these
turning points, we can increase our sensitivity to them through reading stories
with full commitment.
定義上、これらの転回点にはルールはありませんが、私達は、それら転回点への感度を上げることができます、物語を完全にコミットして読むことを通して。
Our dreams are actually these stories, bestowed upon
each of us in the realm beyond distinctions, in jinen.
私達の夢は、実際、これらの物語であって、個々の我々に、区別を越えた領域に、じねんに、与えられるのです。
河合さんの英語文を翻訳して感じるのは、日本語で考えたものの英訳ではなく、もともと英語的な表現が
結構難解なところに何か所かでてくることです。河合隼雄さんが、アメリカやスイスに留学中に、
こういう英語を使って、議論されてきたのだろうなと思っています。
今後、河合さんの他の著作や、関係書籍を読んで、難解部分の、わかりやすい翻訳ができたらいいなと思っています。
最後に、この第一章について、日本語版の最後に、河合俊雄さんが解説している部分を少し引用します。
第一章は、「転回点」という節で締められている。つまり「わらしべ長者」の物語において、
受け身にふりかかってくることに身を任せるだけだった主人公が、馬が生き返るように積極的にお祈りして、
「抜き差しならぬコミット」を示すことで物語は決定的な転回点を迎える。
自然に任せているだけのようであった主人公が賭のように立ち上がる瞬間がある。
もしも物語がある深層構造の自己展開なら、それは自律的なものであるし、何かが関与したり、
転回点を迎えたりする余地はないであろう。
ある種の哲学や文学論なら、深層構造の把握で十分かもしれない。
しかし人のこころが変化していく心理療法にたずさわっていて、
そこからいわば「臨床の思想」を紡ぎ出そうとしていた河合隼雄には
それでは不十分に思えたようで、そこに「私」がコミットしていく必然性を強調する。
そこで第一章において、転回点に関して「じねん」という考え方が用いられるのは非常に興味深い。
「じねん」には、「おのずから」と「みずから」に対応して、「自然発生的に」と「自由意志から」という両方の意味がある。
「私」の関与というのは、単に受動的に従っているのでなければ、全く自由意志に基いているのでもないのである。
これは物語、そして私の関与についての、非常に重要な示唆であるように思われ、
河合隼雄が完成させなかったこの第一章を今後に引き継いでいくことは、
物語論、臨床の思想として待たれることかもしれない。
ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/
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