金谷武洋 日本語は亡びない (2010) |
2019.9.2
この本のタイトル、および、第一部のタイトル 『日本語は亡びない』は、
水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』を意識して、つけられたもので、
亡びる という口語動詞が使われています。
亡びる という動詞は、び・び・びる・びる・びれ・びろ と上一段活用します。
対応する文語動詞は、亡ぶ で、び・び・ぶ・ふる・ぶれ・びよ と上二段活用しますので、
否定形は、亡びず です。
しかし、亡ぶ は、現代にも生き残っていて、ば・び・ぶ・ぶ・べ・べ と5段活用しますので、
否定形は 亡ばない です。
水村さんの 亡びるとき も 古語では 亡ぶるとき ですが、
現代では 亡ぶ の連体形は、亡ぶ ですので、亡ぶとき となります。
私のような、戦後すぐの世代では、亡ばない、亡ぶとき の方が、語感がいいですが、
より若い世代にとっては、亡びない、亡びるとき、の方が、感じがよくなっていくのでしょうか。
日本語の文法には、いろんな原理が働くので、日本語が母語でいない人にとっては、大変ですね。
さて、水村さんが、
今の日本でも優れた文学は書かれているであろう。それは出版されているであろう。
これだけの人口を抱えた日本に、才あり、志の高い作家がいないはずはない。
だが、漫然と広く流通している文学は別である。
そのほとんどは、かつては日本文学が高みに達したことがあったのを忘れさせるようなものである。
昔で言えば、またに「女子供」のためのものである。
かつて日本近代文学の奇跡があったからのみ、かろうじて、『文学』という名を冠して流通しているものである。
と、境目をはっきりせずに斬り捨ててしまった現代日本の文学に対し、
金谷さんは、こう反論します。
水村氏はただの一人も具体的に現代作家の実名を挙げることなく、
現代日本の数多くの小説家、表現者を説明もないまま一方的に、そして一まとめに弾劾している。p.120
誠に残念なことであるが、私はそこに「上から目線」つまり「神の視点」を感じてしまうのである。
作家も千差万別であろうに、これでは一刀両断の斬り捨てではないか。
どちらが正しいか、私には、まだ、わかりません。
明治維新の直後から、当時の日本には、全国共通の言語がないなか、日本の文人たちは、
言文一致の目標を掲げて、新しい日本語の文体作りにに奮闘し、
国語としての日本語をつくりあげました。
今、インターネットの時代となり、世界がグローバル化していくなか、文学も、日本語の中にとどまるのではなく、
英語で書く時代がやってこようとしているのではないかと叫ぶ水村さんの声に
日本語作家は、どう答えたらいいのでしょうか。
日本文学が、翻訳で世界に紹介されるのではなく、直接英語で書かれる時代は、どのように現れるのでしょうか。
イシグロさんが、2017年にノーベル文学賞をとり、このような道が開けつつありますが、
それと同時に、日本語としての文学は、どのように生き残っていくのでしょうか。
第二部 『日本語を発信する』、第五章『偽装する日本語』で、
日本語の学校文法の三大誤謬について、簡単にまとめられているので紹介する。
1.日本語に「主語」はいらない
これは、金谷さんの、昔からの持論ですが、私は、納得していません。
主語がいらないという自明の例を、示してほしいといつも、願っています。
p.87 に、英語のHappyは、文ではないが、日本語の「幸せだね」は、文として成立している と説明されています。
しかし、英語でも、Fine. Good. と、形容詞一つだけで、文は成立します。
「幸せだね」の場合は、「(あなたは) 幸せだね」 と、主語が省略されているだけです。
金谷さんの「日本語に主語はいらない」という本で、取扱説明書の「電源が入っているか確かめる」という文には、
省略されているはずの主語が見つからないと説明されていますが、主語は、使用者 です。
見つからないから、要らないのではなく、見つからなくても、存在します。
p.88 の「二階は、田中さんに貸しています」 の主語は、家主さんにあたる人です。
「二階は、田中さんが借りています」の主語は、二階です。
私には、未だ、主語はいらない と主張する根拠がよくわかりません。
2.平仮名分析に固執する不思議
この主張には、全面的に賛成です。
動詞「飲む」は、語幹が「の」で、ま、み、む、む、め、め、と活用し、
動詞「亡ぶ」は、語幹が「ほろ」で、ば、び、ぶ、ぶ、べ、べ、と活用すると説明されますが、
語幹は、Nom-、Horob- であるとすれば、活用部分は、a, i, u, u, e, e, と共通です。
動詞「来る」は、こ、き、く、くる、くれ、こよ と活用し、語幹はない とされますが、語幹は、K- です。
3.誤解されている日本語の自/他動詞の対立
他動詞は、通常、何々をという目的語をとる動詞と説明されますが、
日本語には、何々を とうける自動詞が存在しますので、例外扱いが必要です。
例 高速道路を通る、部屋を出る、グランドを走る、荷物を預かる、勉強を教わる
日本語の自動詞は、動詞「ある」(-ARU)に関係し、他動詞は、動詞「する」または「す」(-SU)に関係します。
例 通る、通す。走る、走らす。回る、回す。
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