石川忠久 朗読で味わう漢詩 (2003) |
2020.4.21
石川さんは、旧制中学一年の時、初めて漢文を習い、漢詩に出会い、魅力に取りつかれました。
有名な宋の朱熹の「偶成」という漢詩で、「唐詩選」に載っています。
少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽ろんずべからず
未だ覚めず 地塘春草の夢 階前の梧葉已に秋聲
この読み方は、漢文訓読法です。漢文を、文語の書き下し文で読む日本独自の方法です。
この文語詩を、声を出して朗々と読むと気分がいいため、石川さんは、唐詩選に載っている
465首の殆どを覚えてしまったそうです。
そして、また、次のように語ります。
もともと、漢詩は中国の詩ですから、中国語のリズムによって読むのが本来のあり方です。
先ほどの「偶成」を例にとると、
少年易老学難成 シャオ ニェン イー ラオ シュエ ナン チョン
一寸光陰不可軽 イー ツン コワン イン プー コー ナン
未覚池溏春草夢 ウェイ ジュエ チー タン チュン ツァオ モン
階前梧葉已秋聲 ジェ チェン ウー イェイー チュウ ション
是非、中国語も勉強して、漢詩の味わいを二倍楽しんでください。
漢詩というのは、元の白文でも、読み下し文でも、一度聞いただけでは理解できないので、
何度も繰り返して覚えてしまうくらい勉強して、意味も理解し、親しみを持つようになります。
この本で、石川さんは、感銘を受けた沢山の漢詩を、披露してくれます。
ここで、私は、二つ疑問がわきます。
まず、文語詩は、格調が高く、私も大好きですが、文語詩は、漢文の書き下し文に限りません。
島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」も、立派な文語詩で、沢山の人がまる暗記しましたが、
漢詩とは無関係です。漢詩の力というよりは、文語詩の力です。
もうひとつは、漢詩は、韻を大切にしますが、書き下し文も、中国語読みも、どちらも、韻を無視しています。
韻は、昔の漢音での発音で踏んでいるので、現代中国人よりも、漢音を知っている日本人の方に向いているのです。
先程の、「偶成」を、漢音で読むと
少年易老学難成 ショウ
ネン イー ロウ ガク ナン セイ
少年は老いるのはたやすいが、勉学は成就し難い
一寸光陰不可軽 イッスン
コウイン フー カ ケイ
一寸の光陰(ほんのわずかの時間)もかろんじてはいけない
未覚池溏春草夢 ミー
カク チー トウ シュン ソウ ム
池の堤の春草の夢が未だ覚めないうちに
階前梧葉已秋聲 カイ
ゼン ゴ ヨウ イー シュウ セイ
階段前の庭先にしげる青桐の葉は、已に秋風の音をたてている
となり、セイ、ケイ、セイ と韻を踏んでいることが明白です。
日本人は、仏教のお経は、呉音で読みます。何故、漢詩を漢音で読まないのでしょうか。
以下、取り上げられた漢詩を漢音読みで、表示してみたいと思います。
杜甫 「絶句」
江碧鳥逾白 コウ
ヘキ チョウ ユ ハク 江(こう)碧(みどり)にして鳥いよいよ白く
錦江は深緑で、鳥がますます白く見える
山青花欲然 サン
セイ カ ヨク ゼン 山青くして花燃えんと欲す
山は青々とし、花は燃え出そうと欲している
今春看又過 キン
シュン カン ユウ カ 今春(こんしゅん)看(みすみす)又過ぐ
今春も、みるみるうちに又過ぎてゆく
何日是帰年 カ ジツ
シ キ ネン 何れの日か是れ帰年ならん
いつの日が、これ、帰る年になるであろうか
孟浩然 「春暁」
春眠不覚暁 シュン
ミン フー カク ギョウ 春眠 暁を覚えず
春の眠りは、暁に気が付かない
処処聞啼鳥 ショ
ショ ブン テイ チョウ 処処 啼鳥を聞く
あちらこちらに、啼く鳥の声が聞こえる
夜来風雨声 ヤ ライ
フウ ウ セイ 夜来 風雨の声
昨夜は、風雨の音がしていた
花落知多少 カ ラク
チ タ ショウ 花落つること知る多少(たしょう)
花はどれほど散ったかわからない 知多少 は、どれほどかわからないの意
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