池谷裕二 単純な脳、複雑な「私」 (2009)  

2025.11.05

池谷裕二(いけがや ゆうじ)さんは、1970年静岡県藤枝市に生まれ、

1989年に静岡県立藤枝東高校を卒業し、東京大学理科一類に入学し、

薬学部に進学し、1998年に博士号を取得し、

2002年から2005年にかけて米国ニューヨークのコロンビア大学に客員研究員として留学し、

2006年に薬学系研究科の講師、2007年に准教授となりました。

ニューヨーク滞在中に、現地の高校で日本人学生相手に脳科学の講義をして、

進化しすぎた脳」という本を朝日出版社から出し好評を得たのですが、池谷さん自身が、

あのような講義を日本でもしたいという希望を出版社に伝え、実現したのが、この本です。

第1章 脳は私のことを本当に理解しているのか? が、全校生徒相手の講演、

第2章 脳は空から心を眺めている第3章 脳はゆらいで自由をつくりあげる

第4章 脳はノイズから生命を生み出す、が、生徒9名相手の3日間の連続講義の内容です。

 全校生徒相手の講演から、一つ紹介します。

1-3 手をみれば、理系か文系か判別できる

 イギリスの未発表の研究成果なのですが、薬指が人差し指より長いと理系、ほぼ同じ長さだと文系だそうです。しかし、池谷さんは、そういう相関があるのは正しいかもしれないが、理系だから人差し指が短いというわけではないと反論します。

 2000年に発表された別の研究では、男性は人差し指が薬指より短く、女性はほぼ同じという傾向があるそうで、理系に男性が多く、文系に女性が多ければ、理系は、薬指が長い傾向が生まれます。

 ここで池谷さんは、こう主張します。
私がとくに強調したいのは、サイエンス、とくに実験科学が証明できることは、「因果関係」た゜けだということです。因果関係は絶対に証明できません。
脳は相関が強い時に、勝手に"因果関係がある"と解釈してしまう。

 池谷さんは、全校講演の最後に、若い後輩に向けて、このように発破をかけました。

「吾、十有五にして学に志し」、これは「論語」の有名な言葉ですね。ちょうどこの年齢の頃から、勉強に対する考え方が変わってくる。「勉強って意外と楽しいかもしれない」と、自分から積極的に学び始めるようになるのは、ちょうどみなさんくらいの年頃なんでしょうね。勉学へのスイッチがオンになる真っただ中を、今まさに生きているんだということを、自覚してもらえるとうれしいです。
 はい、今日は以上です。たくさんの話題がありましたが、何かひとつでも心に残ってくれるものがあれば、私はみなさんの先輩としてすごくうれしく思います。ありがとうございました。

さて、タイトルの単純な脳と、複雑な私がどういう意味なのか、4章に書かれているので、引用します。

●4-28 僕らの「心」はフィードバックを基盤にしている
「自分が行動している」様子を脳がモニターして、「自分がやっていること」の目的や意味が理解できる。つまり、ぼくらの「心」はフィードバックを基盤にしている。
●4-29 「脳」を使って「脳」を考える − リカージョンと入れ子構造
自分の脳を使って脳を考える。自分で自分を、という構造を「入れ子構造」と言う。あるモノの中に同じモノが入っているという構造。英語では「リカージョン(recursion)」。日本語だと「再帰」。
数えるという行為はリカージョンだね。わかるかな? ((1+1)+1)+1・・・・・ すべての自然数は入れ子構造を多層にすることによって表現できる。
●4-31 サルは24783という数字を理解できるだろうか?
僕らはリカージョンを無限に続けられる。リカージョンによって、はじめて「無限∞」という概念が獲得できるんだ。君らも成長の過程で、数字を数えて続けていくとキリがないと思ったりして、無限の不思議に気づいた瞬間があると思う。「無限の不思議」にふと気づいて、急に怖くなった経験はだれにもあるはずだ。その感覚を持った瞬間こそ、リカージョンの能力を手に入れた記念すべき瞬間なんだ(笑い)。
●4-31 地球上で「有限」というものを理解している唯一の動物
命の有限性に気づき、「自分はいつか必ず死ぬ運命にある」と理解できているのはヒトだけ。僕の飼っているイヌは、基本的にノウテンキで、あと10年くらいで死ぬだろうと意識しているようにはとても見えない。
わかるよね? 「有限」を知っているというメタ知識こそが、ヒトをヒトたらしめている。自分の心や存在を不思議に思ってしまう僕らの妙な癖は、リカージョンの反映だ。
●4-32 単純な脳、複雑な「私」 − リカージョンの悪魔
「無限」という概念は、理屈としては頭で理解できるけど、実感としては理解できない。それは、ワーキングメモリの容量が限られていることが原因だろうね。ワーキングメモリは、同時に処理できる情報量が限られていて、その限界容量は、だいたい7つ前後だと言われている。自分の心を考える自分がいて、そんな自分を考える自分がさらにいて、・・・・と再帰を続けると、ワーキングメモリが溢れて、「心はよくわからない不思議なもの」になる。脳の作動そのものは単純なのに、そこから生まれた「私」は一見すると複雑な心を持っているように見えてしまう。ただそれだけのことではないだろうか。

脳の働きは単純なのに、自分自身の事を考えると、考えが混乱してしまうのは、深みにはまって、ワーキングメモリが溢れていまうからではないかと説明されています。 

 

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