鴨長明 方丈記 原文 現代語訳 対比

2015.11.8   更新2015.12.28

 古文の現代語への直訳を試みてみました。なるべく原文に忠実に翻訳して、原文との対応をわかりやすくしました。

まず原文をよみ、現代語訳を読み、ふたたび原文を読むという読み方ができるように考えました。

知識が必要な場合には、説明を加えました。

 全体をかなり急いで訳しました。直すべき箇所は多々あると思いますが、時間をかけてゆっくり取り組みたいと思います。

 古文のすべてを現代語に訳すのではなく、古文の文語体のままでも、現代の人にわかる場合は、原文をなるべく残したいと思っていますので、いろいろと微調整してみたいと考えています。

 です・ますは、なるべく使わないようにしましたが、まだ、残っています。「いわんや」という反語の訳し方も、もっと工夫したいと考え中です。

  2015.12.28に、以下の表示法を変更しました。下段の訳を赤色太字にしました。対比がよりわかりやすくなると思いますがいかがでしょうか。

001 ゆく河の流れは  絶えずして     しかも、もとの水にあらず。
   
ゆく河の流れは、絶えることなくして、しかも、もとの水でない。
Incessantly the river flows, and yet the water never stays the same.

説明 「ゆく河」は、流れ行く河 と読みましょう。

002 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、 かつ結びて、 久しくとどまりたる例(ためし)なし。
  よどみに浮かぶ泡は、   かつ消散し、かつ結集して、久しくとどまった例がない。

Foams appear and disappear at flow stagnations, without any example of staying there for a while.

説明 うたかた=泡沫、水面にできる泡。 例文 うたかたの恋=はかない恋

003 世の中にある、  人とすみかと、またかくのごとし。
  この世の中にある、人間も住居も、またかくのごとし。

So it is with people and dwelings in this world.

004 玉敷の都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、賎しき、人の住ひは、
  世々を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。
  玉敷の都のなかに、棟を並べ、甍を争っている、身分の高い人や低い人達の住まいは、
  世代を経て、尽きてしまわないものなれど、これを本当かとたずねると、昔あった家は希なり。
In the glorious capital the houses of the noble or the lowly stand in line and vie in loftiness.
They may never seem to perish, but

説明 「玉敷の都」とは、玉を敷いたように立派な都 という意味で、ここでは京都のことを指します。

説明 棟や甍が正確に何を指すのか詳しくありませんが、棟は屋根の一番高い水平にのびている部分で、
   家が複数あると、並んでいるようにみえます。
   甍は、屋根の両端のとがった一番高い部分のことを指すかと思いますので、
   「甍の高さを争う」ようにみえることを指していると思います。
   童謡の「こいのぼり」に「甍の波」という言葉がでてきますが、甍が並んで海の波のようにみえることを指していると思います。

説明 「尽きせぬ」は、動詞「尽きす」の未然形「尽きせ」に、打ち消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」が続いたもので、
   尽きない、なくならないという意味です。
   動詞「尽きす」は、動詞「尽く」との連用形と、動詞「す」が合体したもので、「尽く」と同じく、尽きるという意味ですが、
   「尽きす」は、主として、下に打ち消しの語を伴い、「尽きせず」「尽きせぬ」の形で用いられます。

   まだ、古文学習の初心者ですが、「尽きぬ」という言葉は、尽きたという意味と、尽きないという意味の
   どちらともとれる曖昧性を持ちます。「尽きせぬ」であれば、尽きないという意味で、あいまいさはありません。

005 或は去年(こぞ)焼けて、今年造れり。或は大家(おおいえ)亡びて、小家(こいえ)となる。住む人もこれに同じ。
  
或家は去年焼けて、今年造ったもので、或家は、大きな家が亡び、小さな家となる。住む人もこれに同じ。

006 所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかに一人二人なり。
  
場所も変わらず、人も多いけれど、昔見た人は、二三十人の中で、わずかに一人二人です。

007 朝(あした)に死に、夕(ゆうべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
  
人が朝に死に、夕に生まれるならい、ただ、水の泡に似ていることよ。

008 知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より來りて、何方へか去る。
  
知りません。生まれそして死ぬ人、何処から来て、何処へ去るのかを。

009 また知らず、仮の宿り、誰がために心をなやまし、何によりてか、目を悦ばしむる。
  
また知りません。仮の住まい(のこの世)で、誰のために心を悩まし、何によって目を悦ばそうとするのかを。

010 その主人(あるじ)と住家と、無常を争ふさま、いはば、朝顔の露に異ならず。
  
その(家の)主人と住居が、無常を争う様子は、いわば、朝顔の露に異ならず。

011 或は、露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。
  
或ものは、露が落ちて花が残っている。残るといっても、朝日に枯れてしまう。

012 或は、花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。 
  或ものは、花はしぼんで露はまだ消えない。消えないといっても、夕方まで待つことはない。

 

安元の大火

013 予(われ)、物の心を知りしよりこのかた、四十年(よそぢ)あまりの春秋を送れる間に、
  世の不思議を見ること、やゝ度々になりぬ。
  
私は、物心を知ったときから、40年あまりの年月を送った間に、
  世の不思議を見ることが、次第にたびたびになった。

014 去(い)んし安元(あんげん)三年 四月(うづき)二十八日かとよ。
  
去る安元三年四月二十八日のこと。

015 風烈しく吹きて、靜かならざりし夜、戌(いぬ)の時ばかり、
  都の巽(たつみ)より、火出で來りて、乾(いぬい)に至る。
  
風が激しく吹いて、静かでなかった夜、午後8時ころ、
  都の東南から火事が出てきて西北に至る。

016 はてには朱雀門・大極殿・大學寮・民部省まで移りて、一夜(ひとよ)が中(うち)に、塵灰となりにき。
  
最後には、朱雀門・大極殿・大學寮・民部省まで火が移って、一晩のうちに、塵灰となった。

017 火元は、樋口富の小路とかや。舞人(まいびと)を宿(やど)せる仮屋より、出で來たりけるとなん。
  
火元は、樋口富の小路とか。舞人を宿泊させる仮小屋から出てきたという。

018 吹き迷ふ風に、とかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如く、末廣になりぬ。
  
吹きさまよう風に、あれこれと移り行くうちに、扇を広げたように末広がりになった。

019 遠き家は煙にむせび、近きあたりは、ひたすら焔を地に吹きつけたり。
  
遠くの家は煙にむせび、近くのあたりは、ひたすら火炎を地面に吹きつけていた。

020 空には、灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なるなかに、
    風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして、一二町を越えつつ移り行く。
  
空中には灰を(高々と)吹き上げていたので、火の光に映ってあまねく紅色になるなかに、
  風にこらえきれず、吹きちぎられた炎が、飛ぶように、一二町を越えながら移り行く。

説明 町=60間=109 meter

021 その中の人、現し心(うつしごころ)あらむや。
  その中にいる人は、生きた心地がしたでしうか。

022 或は、煙にむせびて倒れ伏し、或は、焔にまぐれて、忽ちに死ぬ。
  
或る人は、煙にむせいで倒れ伏し、或る人は、煙にまかれて、たちまちのうちに死ぬ。

023 あるは、身一つ辛くして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず、七珍万宝(しっちんまんぽう)、さながら灰燼(かいじん)となりにき。
  
或る人は、身一つかろうじて逃れたけれども、資財を持ち出すことができず、沢山の宝がすべて灰燼となった。

024 その費(ついえ)いくそばくぞ。
  
その損失はいくばくであったことか。

説明 いくばく(幾許)も、いくそばく(幾十許)も、どちらも、いかほど、どれほど、どれだけ という意味です。

025 そのたび、公卿の家、十六焼けたり。まして、その外は数え知るに及ばず。
  
そのおり、公卿の家は16焼けました。まして、それ以外の家は数え調べることができない。

説明 「そのたび」 このたびという言葉は、現代も生き残っていますが、「そのたび」は、残念ですが、そのおり としました。

026 すべて、都のうち、三分が一に及べりとぞ。男女死ぬる者、数千人、馬・牛の類、辺際(へんさい)を知らず。
  
都の全体のなかで、三分の一に及んだという。男女死んだ者、数千人、馬・牛のたぐいは、限りを知らない。

説明 辺際=果て、限り

027 人の営み、皆愚かなるなかに、さしも危き京中の家をつくるとて、
  宝を費し、心を悩ますことは、勝れてあぢきなくぞ侍る。 
  人の営みは、すべて愚かであるなかで、こんなに危うい京の中に家を建てようとして、
  資財を費やし、心を悩ますことは、もつともつまらないことでございます。

 

治承の辻風

028 また、治承四年卯月の頃、中御門京極のほどより、大きなる辻風おこりて、六條わたりまで、吹きける事侍りき。
  
また、治承四年4月の頃、中御門京極のあたりから、大きな辻風が起こって、六條界隈まで、吹きけるという事がありました。

029 三四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなるも小さきも、一つとして破れざるはなし。
  (辻風が)三四町を吹きまくる間に、巻き込まれた家など、大きいのも小さいのも、一つとして壊れないものはない。

030 さながら、平に倒れたるもあり。桁・柱ばかり、残れるもあり。
  
そのまま、平らに倒れたものもあれば、桁や柱だけが残ったのもある。

031 門を吹きはなちて、四五町がほかに置き、また、垣を吹きはらひて、隣と一つになせり。
  
門を吹き飛ばして、四五町も外に置き、垣を吹き払って、隣家と一つにしてしまった。

032 いはんや、家の内の資財、数を尽して空にあがり、檜皮(ひはた)・葺板(ふきいた)のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るるがごとし。
  
まして、家の中の資財が、あるだけすべて空中に舞い上がり、檜皮や葺板のたぐいは、冬の木の葉が風に乱れるようです。

説明 数を尽くして=(連語) あるだけすべて、ことごとく、数えきれないほど多く

033 塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびただしく鳴りとよむほどに、もの言ふ声も聞えず。
  
塵を煙のように吹き上げたので、全く目も見えない。おびただしく鳴り響くので、もの言う声も聞こえない。

説明 とよむ(響む)は動詞で、鳴り響く、大声で叫ぶという意味です。

034 かの地獄の業(ごう)の風なりとも、かばかりにこそはとぞ覚ゆる。
  
あの地獄の業の風にしても、この程度のものと思われる。

035 家の損亡せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身を害(そこな)ひて、かたはづける人、数を知らず。
  
家が損失亡失しただけでなく、それを修繕する間に、怪我をして、かたわのようになった人は、数をしらない。

説明 「かたはづける」は名詞「かたは(片端)」に、接尾辞「づく」がついて、かたわのような状態になるという意味です。
   「づく」は四段活用の動詞のようにふるまうことができ、連体形で。「づける人」となります。

036 この風、未(ひつじ)の方に移りゆきて、多くの人の歎きをなせり。
  
この風は、南南西の方角に移動してゆき、多くの人の嘆きを生んだ。

037 辻風は常に吹くものなれど、かかることやある。ただごとにあらず、
  さるべき物のさとしかなどぞ、疑ひ侍りし。
  
辻風はいつでも吹くものだけど、こんなこともあるのか。ただごとではない。
  しかるべきもののお告げなのかなどと、疑ってしまいました。

 

思いがけぬ遷都

038 また、治承四年水無月のころ、にはかに都遷り侍りき。いと思ひの外なりし事なり。
  
また、治承四年六月のころ、にわかに都が遷りました。非常に思いがけなかった事件です。

039 おほかた、この京のはじめを聞ける事は、嵯峨天皇の御時、
  都と定まりにけるより後、既に四百余歳を経たり。
  
おおかた、この京のはじめについて聞いていることは、嵯峨天皇の御時に
  都と定まってから後、すでに四百余を経たということです。

040 ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、
  これを、世の人安からず愁へあへる、実にことわりにもすぎたり。
  
異なる理由がなくて、たやすく改まるべではないので、
  これを世間の人達は、心安らかでなく、みなで愁いあったこと、まことに、当然すぎることです。

説明 「愁へあへる」の「あへる」は動詞「あふ」の連体形です。動詞「あふ」は、補助動詞として「〜しあう」という
   意味を持ちますので、「愁へあふ」は、みんな一緒に愁うという意味になります。

説明 「ことわりにもすぎたり」の「ことわり」は道理、「すぐ」は、過ぎる、それ以上であるという意味です。
   最後の「たり」は断定の助動詞で、動作や状態をはっきり強く指し示して、〜であるという意味になります。

041 されど、とかく言ふかひなくて、帝より始め奉りて、大臣・公卿、みなことごとく移ろひ給ひぬ。
  
しかし、あれこれ言うかいもなく、帝からお始めになり、大臣公卿のかたもみなことごとくお移りなされました。

説明 「奉る」という言葉は、謙譲むにも尊敬にももちいられますが、高貴な身分の人の動作は、自ら行うのではなく、
   周囲の人がしてさしあげることから、奉るとか参るという謙譲語が、尊敬語の意味を持つようになったようです。

説明 動詞「移ろふ」は、変化していくという意味ですが、引っ越すの意味でも使います。
   動詞「うつる」に上代の反復・継続の助動詞「ふ」がつながった「うつらふ」から変化したと考えられます。

042 世に仕ふるほどの人、たれかひとり、ふるさとに残りをらむ。
  
宮廷に仕える身分のかたは、だれひとりとして、ふるさとに残り居りましょうや。

説明 「世に仕ふ」は、宮廷に仕える、宮仕えするという意味です。

043 官(つかさ)・位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりとも、とく移らむと励み、
    時を失ひ、世にあまされて、期する所なき者は、愁へながら止まりおり。
  
官位に望みをかけて、主君のお陰を頼むほどの人は、一日なりともはやく引っ越そうと励み、
  時機を失い、世間から余計ものになり、将来に期するところが無い人は、愁えながらとどまり居ます。

044 軒を争ひし人の住居、日を経つつ荒れゆく。家はこぼたれて淀河に浮び、地は目の前に畠となる。
  
軒を競った人々の住居は、日を経るにつれ荒れていく。住居は壊されて、淀川に浮かび、土地は目前に畑となる。

説明 動詞「毀つ」(こほつ、こぼつ)は、打ち壊すの意。
   淀川に浮かぶとは、家を壊し、材木として筏にされて、淀川に浮かぶということのようです。

045 人の心みな改まりて、ただ馬・鞍をのみ重くす。牛・車を用とする人なし。
  
人の心はみな改まって、ただ馬・鞍をのみ大切にする。牛・車を使う人はいない。

説明 「用とする」は「用する」となっているテキストもあり、使用する、用いる、使う という意味です。

046 西南海の所領を願ひて、東北の庄園をこのまず。
  
西南海の所領を願って、東北の庄園をこのまない。

047 その時、おのづから事の便りありて、津の国の今の京にいたれり。
  
その時、たまたま、ことのついでがあって、摂津の国の今の京に至りました。

説明 「ことの便り」は、「ことのついで」と同じく、何かの機会というような意味のようです。

048 所の有樣を見るに、その地、ほど狭くて、条里を割るに足らず。
  
場所のありさまを見るに、その地は、広さが狭く、条理を割るに足らない。

049 北は山に沿ひて高く、南は海近くて下れり。
  
北は山に沿って(近寄って)高く、南は海が近くて下っている。

050 波の音つねにかまびすしくて、潮風ことにはげし。
  
の音はつねにやかましく、潮風は特に激しい。

051 内裏は山の中なれば、かの木の丸殿(きのまろどの)もかくやと、なかなか様かはりて、優なるかたも侍り。
  
内裏が山の中なので、あの木の丸殿もこのようなものかと、なかなか様子が変わっていて、優れている向きもありました。

052 日々にこぼち、川も狭に運びくだす家、いづくに造れるにかあらん。
  
日々に分解し、川も狭しと運び下ってきた家は、どこに造ったのであろうか。

053 なほ空しき地は多く、造れる家は少なし。古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。
  
なお空いた土地は多く、造った家は少ない。古京(平安京)はすでに荒れ果て、新都(福原京)はいまだに出来上がらない。

054 ありとしある人は、みな浮雲の思ひをなせり。
  
ありとあらゆる人は、みな浮雲の思いをしました。

055 もとよりこの所にをるものは、地を失ひて愁ふ。今移れる人は、土木のわづらひあることを嘆く。
  
もとからこの地にいる人は、土地を失って愁い、いま移ってきた人は、土木工事のわずらいがあることを嘆く。

056 道のほとりを見れば、車に乗るべきは馬に乗り、衣冠・布衣(ほい)なるべきは、多く直垂(ひたたれ)を着たり。
  
道路のあたりを見ると、車に乗るべきは馬に乗り、衣冠や布衣なるべきは多く直垂を着ている。

057 都の手ぶり、たちまちに改まりて、ただ鄙(ひな)びたる武士にことならず。
  
都の習わしは、たちまちに改まって、ただ田舎びた武士に異ならない。

058 世の乱るる瑞相(ずいさう)とか聞けるもしるく、日を経つつ世の中浮き立ちて、人の心もをさまらず、
    民の愁へ、ついに空しからざりければ、同じき年の冬、なほこの京に帰り給ひにき。
  
世が乱れる瑞相(=前兆)とか聞いていたがまさにそのとおりで、日を追うにつれて世の中が浮き足立って、人心がおさまらず、
  民の愁いが、ついに事実無根ではなくなったので、同じ年の冬に、やはりこの京に帰り給いました。

説明 「著し」(しるし)は、「〜もしるし」の形でもちいられて、思ったとおりだ、はっきりわかるという意味となります。

059 されど、こぼちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、ことごとくもとの様にしも造らず。
  
しかし、こわしてしまった家などは、どうなってしまったのか、ことごとくもとのようには造られない。

説明 「こぼちわたす」の「渡す」は、補助動詞で、動作がひろい範囲にわたることわ示し、
    あまねく〜するを意味しますので、「こわしてしまう」という意味になります。見渡すのような言葉として生き残っています。

060 伝へ聞く、いにしへの賢き御代には、憐みをもて国を治め給ふ。
  
伝え聞きます。いにしえの名君の治世には、憐れみをもって国を治めたまいましたと。

061 すなはち、殿に茅を葺きて、その軒をだに整へず、煙の乏しきを見給ふ時は、
  かぎりある貢物をさへゆるされき。
  すなわち、宮殿を茅で葺いて、その軒先をすら切って整えることをせず、炊事の煙が少ないのをご覧になるときは、
  限りある貢物(租税)をすら許されたまいました。

062 これ、民を恵み、世をたすけ給ふによりてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。
  
これは、民をいつくしみ、世を助け給うことによってなのです。今の世の中の有様は、昔になぞらえてわかるにちがいない。

説明 「知りぬべし」の助動詞「ぬ」は、きっと〜だという意味で、「べし」も当然そうなるという意味の助動詞なので、
   きっと知るでしょうという意味になります。

 

養和の飢饉

063 又、養和の頃とか、久しくなりて、たしかに覚えず。二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。
  
また、養和の頃とか、時が久しくなって、正確には覚えていません。二年のあいだ、世の中が飢饉で、ひどい事態がありました。

064 あるは春・夏ひでり、あるは秋、大風・洪水など、よからぬ事どもうち続きて、五穀悉くならず。
  
或年は春夏ひでり、或年は秋に大風洪水など、良くないことが打ち続いて、五穀はすべて実らなかった。

065 空しく春かへし、夏植うるいとなみありて、秋刈り、冬收むるぞめきはなし。
  
むなしく春に耕し、夏に植える営みはあっても、秋に刈り、冬に収穫する騒ぎはない。

説明 かえす=耕す、ぞめき=浮かれ騒ぐこと

066 これによりて国々の民、あるは地を捨てて、境を出で、あるは、家をわすれて、山に住む。
  
これにより、諸国の民は、ある者は土地を捨てて、国境を出て、ある者は、家を忘れて、山に住む。

067 さまざまの御祈り始まりて、なべてならぬ法ども行はるれど、さらに其のしるしなし。
  (朝廷においては)様々な御祈祷が始まって、格別な修法なども行われましたが、さらにその御利益はない。

説明 「並べてならず」の「並べて」は並、普通の意で、その否定形なので、普通でない、格別なという意味になります。
   「法」は「修法」(すほう)の略で、密教で行う加持祈祷の法を意味します。「しるし」は、ご利益の意味です。

068 京の習ひ、何わざにつけても、みなもとは、田舍をこそ頼めるに、
  絶えて上るものなければ、さのみやは操も作りあへん。
  
京都の慣習は、何事につけても、その根源は、田舎をこそ頼りとしているのに、
  全然あがってくるものがないので、ひたすら平静をよそおいあおうとするが、そうはいかない。

説明 副詞「絶えて」は、「絶えて〜打ち消し」の形で、ある物事が全く行われないようすを表し、全然〜ないの意味となります。

説明 「さのみやは」は、反語をあらわして、ひたすらそうして〜だろうか、いや違う という意味で、
   「操つくる」は、いつもとかわらないふりをする、我慢して平気をよそおうという意味で、
   「あふ」は、補助動詞で、〜しあうという意味ですので、全体を通して、ひたすら平静をよそおいあおうとするが、
    そうはいかないという意味となります。

069 念じわびつつ、様々の財物、かたはしより捨つるが如くすれども、更に目みたつる人なし。
  
我慢しきれないので、様々な財物を、かたはしから捨てるように処分するが、まったく目にとめる人はいない。

説明 「念じわぶ」の「念ず」は、神仏に祈るという意味と、我慢する、耐えるという意味があり、
   補助動詞「わぶ」は、〜しかねる、しあぐねるという意味ですので、我慢しようとするが耐えられないという意味になります。
   現代でも、待ちわびる、言いわびるというような使い方をします。

説明 「見たつ」は、目を留めて見る、注意して見るという意味です。補助動詞「たつ」は、動詞の意味わ強め、
    しきりに〜する、ひどく〜する、特に〜するという意味になります。現代では、磨きたてるという言い方で使われています。

説明 「さらに〜打ち消し」の形で、まったく〜ない という強い打消しになります。

070 たまたま換(か)ふる者は、金を軽くし、粟を重くす。
  乞食路のほとりに多く、愁へ悲しむ声耳に満てり。
  
たまに交換する人も、金の値打ちを軽く、粟(食料)の値打ちを重くします。
  乞食が道端に多くいて、愁い悲しむ声が耳を満たしました。

071 前の年、かくの如く、からうじて暮れぬ。明くる年は、立ちなほるべきかと思ふほどに、
  あまりさへ疫病うちそひて、まさざまに跡かたなし。
  
前年はこのように、かろうじて暮れました。明くる年は、立ち直るだろうかと思うに、
  おまけに疫病まで打ち揃って、ますますひどく跡形がない。

072 世の人みなけいしぬれば、日を経つつ、きはまり行くさま、少水の魚(いお)のたとへにかなへり。
  
世の人がみな飢えてしまったので、日がたつにつれ、困窮がきわまっていく様子は、「少水の魚」の例えにぴったりかなっている。

説明 「啓す」は、言うの謙譲語で、申し上げるの意であるが、ここでは意味不明。
    古本系は「やみ死にければ」、流布本系は「飢え死にければ」とあるので、ここでは飢えたとしておく。

073 はてには、笠うち着、足ひき包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに、家ごとに乞ひありく。
  
なれの果てには、笠をかぶり、足を(脚絆でまき)包んで、きちんとした姿をした者が、ひたすらに家ごとに物乞いをして歩く。

074 かくわびしれたるものども、歩くかと見れば、即ち倒れ伏しぬ。
  
困窮でぼけたようになった人達は、歩くかとみれば、すぐ倒れ伏しました。

説明 動詞「侘び痴る」(わびしる)は、困窮のあまりばかのようになる、あまりにも辛い目にあってぼけたようになるという意味です。

075 築地(ついひぢ)のつら、道のほとりに飢え死ぬるものの類、数も知らず。
  
土塀のかたわらや道路のはたで、飢え死ぬものの類、数を知らない。

076 取り捨つるわざも知らねば、くさき香、世界にみち満ちて、
  変りゆくかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。
  (死体を)取り除いて捨てる方法を知らないので、くさいかおりが、世界に満ち満ちて。
  変わっていくかたち有様、メモあてられないことが多くありました。

077 いはんや、河原などには、馬・車の行き交う道だになし。
  
いうまでもなく、川原などには、馬や車の行きかう道すらない。

078 あやしき賤(しづ)・山がつも力尽きて、薪(たきぎ)さへ乏しくなりゆけば、
  頼む方なき人は、自ら家をこぼちて、市に出でて売る。
  
身分の低い卑しい人やきこりも力が尽いて薪さえ乏しくなっていくので、
  頼む人のない人は、みづから家をこわして、市にでて売る。

079 一人が持ちて出でたる価、一日が命にだに及ばずとぞ。
  
一人が持ち出した価値は、一日の命にも及ばないとのこと。

080 怪しき事は、薪の中に、赤き丹つき、箔(はく)など所々に見ゆる木、あひまじはりけるを、
    尋ぬれば、すべき方なき者、古寺にいたりて、仏を盜み、堂の物の具を破り取りて、わりくだけるなりけり。
  
怪しいことに、薪のなかに赤い塗料が付着し、箔など所々に見える木材があいまじっているのを
  調べてみると、どうしようもない者は、古寺にやってきて、仏を盗み、お堂の調度品を破り取って、割り砕いたのでした。

081 濁悪世にしも生れあひて、かかる心うきわざをなん見侍りし。
  
乱れきった末世に生まれ合わせて、このようになさけない所業を見ましたのです。

082 又、いとあはれなることも侍りき。
  
またたいそう感慨深いこともありました。

083 さりがたき妻、男持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先だちて死ぬ。
  
去りがたい妻や夫を持つものは、その思いが勝って、深いものが、必ず先立って死にます。

084 その故は、我が身をば次にして、人をいたはしく思ふ間に、まれまれ得たる食い物をも、かれに讓るによりてなり。
  
その理由は、我が身を二の次にして、人をいたましく思う間に、たまたま得た食料を、相手に譲ることによるのです。

085 されば、親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先だちける。
  
ですから、親子でいるものは、決まったことに、親が先立ちます。

086 また、母の命つきたるをも知らずして、いとけなき子の、なお乳を吸ひつつ臥せるなどもありけり。
  
また、母の命が尽きてしまつたのをしらず、いとけない子供が、なお乳を吸いつつ臥せっていることなどもありました。

087 仁和寺に、隆曉法印といふ人、かくしつつ数も知らず死ぬることを悲しみて、その首(こうべ)の見ゆるごとに、
    額に阿字(あじ)を書きて、縁を結ばしむるわざをなむせられける。
  仁和寺に、隆曉法印という人、このようにして数も知らず死んでいくことを悲しんで、その首を見るごとに、
  額に阿字を書いて、仏と縁を結ばせる善行をなされました。

088 人数を知らんとて、四五両月を数へたりければ、京のうち、一條よりは南、九條よりは北、京極よりは西、
    朱雀よりは東の路のほとりなる頭、すべて、四万二千三百余りなむありける。
  
人数を知ろうとして、四月五月の両月数えましたところ、京の中で、一条より南、九条より北、京極より西
  朱雀より東の道路のほとりにある頭は、全部で、四万二千三百余りありました。

089 いはんや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの辺地などを加へていはば、際限もあるべからず。
  
まして、その前後に死ぬ人も多く、また、賀茂河原、白河、西の京など辺ぴな所を加えていうなら、際限がないであろう

090 いかにいはんや、七道諸国をや。
  
いかにいいましょうか、七道諸国を加えたら。

091 崇徳院の御位のとき、長承のころとか、かかる例ありけりと聞けど、その世のありさまは知らず。
  
崇徳院が御位のとき、長承のころでしょうか、このような事例があったと聞きますが、その世のありさまは知りません。

092 まのあたり、めづらかなりしことなり。
  
まのあたりに見ること、めずらしいことでした。

 

元暦の大地震

093 また、同じころかとよ。おびただしく大地震(おおなゐ)ふること侍りき。そのさま世の常ならず。
  
また、同じ頃だったろうか。大地震で揺れ動くことがありました。その状況は、世の常ではない。

094 山崩れて、河を埋み、海はかたぶきて、陸地(くがち)をひたせり。
  
山が崩れて、河を埋め、海が傾いて、陸地をひたしました。

095 土さけて、水涌き出で、巖(いはほ)割れて、谷にまろび入る。
  
地面が裂けて、水が湧き出し、岩壁が割れて、谷に転がり込みます。

096 なぎさ漕ぐ船は、波にただよひ、道行く馬は、足の立ちどをまどはす。
  
なぎさを漕いでいた船は、波の中を漂い、道を行く馬は、足の踏み場をまよわされる。

097 都のほとりには、在々所々、塔廟堂舍、一つとして全からず。
  
京の都の近くでは、いたるところ、塔廟堂舍、一つとして、全うなものはありません。

098 或は崩れ、或は倒れぬ。塵・灰立ち上りて、盛りなる煙の如し。
  
あるものは崩れ、あるものは倒れました。塵灰が立ち上がって、燃え盛る煙のようでした。

099 地の動き、家の破るる音、雷に異ならず。家の内に居れば、忽ちにひしげなんとす。
  
地面が動き、家が壊れる音は、雷と同じでした。家の中にいると、たちまち押しつぶされそうになった。

100 走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らん。
  
走り出すと、地面が割れ避ける。羽が無いので、空を飛ぶことができない。竜ならば、雲に乗ろう。

101 おそれの中に、おそるべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覺え侍りしか。
  
恐れの中で恐るべきだったのは、ただ地震であったと思ったのでした。

102 かくおびただしくふる事は、しばしにて、止みにしかども、そのなごりしばしは絶えず。
  
こんなに激しく揺れることは、しばらくして止んでしまいましたが、その余震は長い間絶えません。

103 よのつね、驚くほどの地震(ない)、ニ・三十度ふらぬ日はなし。
  
世の常なら驚くほどの自身が、二三十回起こらない日はない。

104 十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四・五度、ニ・三度、もしは一日交ぜ(ひとひまぜ)、
    ニ・三日に一度など、大方その餘波、三月許りや侍りけむ。
  
十日二十日過ぎたので、ようやく間隔が遠くなり、ある日は、四五回、二三回、一日おき、
  二三日に一回など、おおよそその余震は三月ほど続いたでしょうか。

105 四大種(しだいしゅ)の中に、水・火・風は、常に害をなせど、大地に至りては、殊なる変をなさず。
  (仏教で説く)四大種の中で、水火風は常に害をなすが、大地にいたっては、特別な変化はしない。

106 昔、斉衡の頃とか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首(みぐし)落ちなど、
  いみじき事ども侍りけれど、なほ、この度には如かずとぞ。
  
昔、斉衡の頃でしょうか、大地震があって、東大寺の大仏の首が落ちるなど、
  大変なことがありましたが、それでも、今回には及ばないとという。

107 すなはち、人皆あぢきなき事を述べて、いささか、心の濁りも薄らぐと見えしかど、
  月日重なり、年経にし後は、言葉にかけていひ出づる人だになし。
  
すなわち、人々は皆、むなしいことを述べて、いささか、心の煩悩が薄らぐと見えましたが、
  年月がたった後は、言葉に出して言う人さえいない。

 

世上の高まる不安

108 すべて世の中のありにくく、わが身とすみかとの、はかなくあだなるさま、又かくのごとし。
  
すべて世の中がありにくく、我が身と住みかが、はかなくもろい状況であることは、またかくの如し。

109 いはんや、所により、身のほどに従ひつつ、心をなやますことは、あげてかぞふべからず。
  
いわんや、場所により、身の程に従いながら、心を悩ますことは、あえて数えることができないほど多い。

110 もし、おのれが身、数ならずして、権門のかたはらにをるものは、
  深くよろこぶことあれども、大きにたのしむにあたはず。
  
もし、自分の身が、とるにたらないもので、権力ある人のかたわらに居る人は、
  深くよろこぶことはあっても、大いに楽しむことはできない。

説明 「数ならず」は、取るに足らない、数える価値がない、ものの数にもはいらない の意。

111 なげき切なる時も、声をあげて泣くことなし。
  
なげきが切なるときも、声をあげて泣くことはない。

112 進退やすからず、立ち居につけて、恐れをののくさま、たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。
  
進退が不安で、立ち居振る舞いにおいて恐れおののく様は、たとえば、雀が鷹の巣に近づくがごとし。

113 もし、貧しくして、富める家の隣に居るものは、朝夕、すぼき姿を恥ぢて、へつらひつつ出で入る。
  
もし貧しくて、富裕な家の隣に住む人は、朝夕、みすぼらしい姿を恥じて、へつらいしながら出入りします。

114 妻子・童僕のうらやめるさまを見るにも、福家の人のないがしろなる気色を聞くにも、
  心念々にうごきて、時として安からず。
  
妻子や童僕(奉公の子供)がうらやむ様子を見るにも、裕福な家の人の軽くあしらう態度を聞くにも、
  心が一瞬一瞬に動いて、ひとときも安らかでない。

115 もし、狹き地に居れば、近く炎上ある時、その災いをのがるることなし。
  
もし狭き土地にいれば、近くに炎上があるとき、その災いをのがれることができない。

116 もし、辺地にあれば、往反わづらひ多く、盗賊の難はなはだし。
  
もし辺境の地にあれば、行き帰りがわずらわしく、盗賊の難もはなはだしい。

117 いきほひある者は貪欲深く、ひとり身なる者は人にかろめらる。
  
権勢ある人は欲深く、ひとり身の人は人に軽んじられる。

118 財あれば恐れ多く、貧しければ、恨み切なり。人を頼めば、身他の有(いう)なり。
  
財産がたくさんあれば恐れが多く、貧しければ、恨みが切実です。他人をあてにすると、自分の身は他人のものとなる。

119 人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。
  
他人を世話すると、心は、恩愛に使われて自由でなくなる。世間に従うと、身が苦しい。従わないと、狂っているようである。

120 いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし、玉ゆらも、心をやすむべき。 
  どんな場所を占めて、どんな行いをしたら、しばらくでもこの身を落ち着かせ、少しの間も、心を休めることができるのか。

 

出家遁世

121 我が身、父方の祖母の家を伝へて、久しく彼の所に住む。
  
我が身は、父方の祖母の家を継いで、長らくその場所に住む。

122 その後、縁かけて、身おとろへ、しのぶ方々(かたがた)しげかりしかど、遂に跡とむることを得ず。
  
その後、縁が切れて、おちめとなり、思い出に心ひかれることなど沢山ありましたが、ついに跡をとむることができず。

説明 「跡とむる」の「とむる」は、動詞「とむ」の連体形ですが、止む・留む・停む なのか 
    尋む・求む なのかが不明で、訳が定まりませんので、そのままにしました。

123 三十(みそじ)余りにして、更に我が心と一つの庵を結ぶ。
  30歳あまりにして、さらに、我が心のままに、庵を結びました。

説明 「我が心と」の「と」は、助詞「と」なのか、タリ活用動詞の連用形の「と」なのか、まぎらわしいところです。
   「堂々たり」という動詞の連用形は「堂々と」となりますので、我が心たりという動詞の連用形とも解釈できるわけです。
    わが心のままに としている訳本が多いので、それに従いました。

説明 「庵を結ぶ」の「結ぶ」は、ひもをつないで結ぶという意味から、そうした作業を繰り返してまとまったものを形づくることまでを表すようになり、網を結ぶ、庵を結ぶのように使われます。

124 これをありしすまひにならぶるに、十分が一なり。ただ居屋ばかりをかまへて、はかばかしく屋をつくるに及ばず。
  
これをもともとあった住まいに比較するに、10分の1です。ただ居室だけをかまえて、思い通り屋敷をつくることはできませんでした。

125 わづかに築地をつけりといへども、門をたつるたづきなし。竹を柱として、車をやどせり。
  
わずかに土塀はつけたのですが、門を建てる方策はありません。竹を柱として、牛車を置きました。

126 雪ふり風吹くごとに、危ふからずしもあらず。所、河原近ければ、水の難も深く、白波の恐れもさわがし。
  
雪が降り風が吹くごとに、危なくなくもありません。場所が河原に近いので、水難の危険も多く、盗難の恐れも多い。

説明 「危ふからずしも」の「しも」は、強調の意味もありますが、「必ずしも」のように部分否定としても使われますので、
    危なくなくもないと訳しておきました。

説明 「白波」は、盗賊の別称。後漢書に白波賊とあり。歌舞伎で有名な白波五人男に使われています。

127 すべて、あられぬ世を念じ過しつつ、心をなやませること、三十余年なり。
  
総じて、生きていられない世の中を我慢して過ごしながら、心を悩ませること三十余年です。

説明 「あられぬ世」の「あられぬ」は、あることができない、ありえない、あってはならないというような意味ですが、
   ここでは、あるを生きていると解釈して、生きていられない世の中と訳しました。

128 その間、折々のたがひめに、おのづから短き運を悟りぬ。すなはち、五十の春をむかへて家を出で、世をそむけり。
  
その間、そのたびごとの意に反する事にあって、自然に不運を悟りました。そこで、50歳の春を迎えて、出家し、遁世しました。

129 もとより、妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官禄あらず。
  
もとより妻子はないので、捨てがたい縁はありません。我が身には、官位も俸禄もありません。

130 何につけてか、執をとどめん。空しく大原山の雲に臥して、また、五かへりの春秋をなん経にける。
  
何に関して執着することがあろうか。むなしく大原山の雲に伏して、さらに五回目の年を経たのでした。

 

方丈の庵のありやう

131 ここに、六十の露消えがたに及びて、更に末葉のやどりを結べる事あり。
  
ここに、六十歳の露の消えていく頃に及んで、さらに、末葉の宿舎を結ぶことがありました。

説明 「消えがた」は、消えていくころの意。夕方のかたに同じ。「末葉」は、残りの命、余生

132 いはば旅人の一夜の宿りをつくり、老いたる蚕のまゆを営むがごとし。
  
たとえて言うなら、旅人の一夜の宿をもうけ、年老いた蚕が繭を作るがごとし。

133 これを中ごろのすみかに並ぶれば、また百分が一に及ばず。
  
これを中頃の家に比べれば、また百分の一に及ばない。

説明 「中ごろのすみか」とは、最初の父方の祖母の家の次に造った賀茂河原のすみかのことを指します。

134 とかくいふほどに、齡はとしどしにたかく、すみかは折々にせばし。
  
あれこれいううちに、歳は年毎に高くなり、住まいはおりごとにせまくなります。

135 その家のありさま、世の常にも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。
  
その家の有様は、世間一般のものとは似ていない。広さはわずかに一丈四方、高さは七尺未満なり。

136 所をおもひ定めざるが故に、地をしめて造らず。
  
場所を、あれこれ考えて決めなかったので、土地を所有して造ったのではない。

137 土居(つちゐ)を組み、うちおほひを葺きて、つぎめごとにかけがねをかけたり。
  
土台を組み、簡単な屋根をふいて、継ぎ目ごとにかけがねをかけました。

138 もし、心にかなはぬことあらば、やすく他へ移さんがためなり。
  
もし、思いとおりにならないことがあれば、簡単によそへ移そうとするためなり。

139 その改め造ること、いくばくのわづらひかある。
  積むところ、  わづかに二両。車の力をむくふ外には、更に他の用途いらず。
  
その改めて造ることに、どれだけの手間がかかるのか。
  車に積むところ、わずかに二両。車を引く能力に報いる費用以外に、さらにほかの費用はいらない。

140 いま、日野山の奧に跡をかくして後、東に三尺余りのひさしをさして、柴折りくぶるよすがとす。
  
いま、日野山の奥に跡を隠して後、東に三尺あまりのひさしをさして、柴を折って焚く場所としました。

説明 「柴折りくぶるよすが」の「くぶる」は焚く、「よすが」は、より所、手段、であるが、ここでは単に場所と訳しました。

141 南に竹の簀子(すのこ)を敷き、その西に閼伽棚(あかだな)を作り、北によせて、障子をへだてて、
    阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかけ、前に法花経を置けり。
  
南に竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚をつくり、北によせて、障子をへだてて、
  阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢菩薩の絵を掛け、前に法華経の経典をおきました。

説明 「閼伽棚」は、仏に供える水や花を置く棚のこと。「法花経」は、法華経。

142 東のきはに、蕨(わらび)のほどろを敷きて、夜の床とす。
  
東のはしには、蕨のやわらかい穂を敷いて、寝床とする。

143 西南に、竹の吊棚をかまへて、黒き皮籠(かわご)三合を置けり。
  
西南に、竹の吊棚を設けて、黒い皮籠を三つ置きました。

144 すなはち和歌・管絃・往生要集ごときの抄物を入れたり。
  
そして、和歌・管弦・往生要集などの抄物をいれました。

145 傍(かたはら)に、琴・琵琶、おのおの一張を立つ。いはゆるをり琴、つぎ琵琶これなり。
  
そばに、琴と琵琶をそれぞれ一張り立てました。よくいう、おり琴つぎ琵琶がこれです。

説明 「をり琴、つぎ琵琶」は、折ったり継いだりして折りたたみ組み立てのできる琴や琵琶のこと。

146 かりの庵の有様、かくのごとし
  
仮の庵の有様は、このようです。

147 その處のさまをいはば、南にかけひあり。
  
その場所の様子を言うと、南にかけいがあります。

説明 「かけひ、懸樋、筧」は、竹や木の樋むを地面より高いところに這わせて、水を導き流すものです。

148 岩をたてて、水をためたり。林、軒近かければ、爪木(つまぎ)を拾ふに乏(とも)しからず。
  
岩を立てて、水を貯めました。林が軒に近いので、たきぎを拾うのに不自由しない。

149 名を外山(とやま)といふ。正木のかづら、跡をうづめり。谷しげけれど、西は晴れたり。
  
地名は外山といいます。まさきのかずらが、道を覆っています。谷は茂っていますが、西は開けています。

150 観念のたより、なきにしもあらず。春は、藤波を見る。紫雲の如くして、西方に匂ふ。
  
観念のたよりは、ないことはない。春は、藤波を見ます。紫雲のように、西の方角に匂います。

説明 「観念のたより」の「観念」は、心静かに思いをこらして教えを観察することで、
   「たより」は、頼みとするよりどころなので、観念するに便利なところという意味だと思います。

151 夏は、郭公(ほととぎす)を聞く。かたらふごとに、死出の山路を契る。
  
夏は、ほととぎすの声を聞きます。ほととぎすと、語らうたびに、死出の山道を約束します。

説明 「死出の山路を契る」 ほととぎすは別名「死出の田長」と呼ばれているので、このような言い回しになつています。

152 秋は、ひぐらしの声、耳に満てり。うつせみの世を悲しむかと聞こゆ。
  
秋は、ひぐらしの声が、耳に満ちます。うつせみの世を悲しむかのように聞こえます。

説明 「うつせみ」は、この世の人間、現世のことを意味しますが、
    せみの抜け殻を意味する「空蝉」とも書きますので、言葉を掛けています。

153 冬は、雪をあはれぶ。つもり消ゆるさま、罪障にたとへつべし。
  
冬は、雪をあわれびます。雪が積もり消えていく様子は、きっと罪障に例えてしまうに違いないでしょう

説明 「罪障にたとへつべし」の「罪障」は、仏教用語で往生・成仏の妨げとなる罪深い行為のこと。
    助動詞「つ」と「べし」が連なった「つべし」は、未来に必ず起きるという気持ちをあらわすので、
    きっと罪障に例えてしまうに違いないでしょうというような意味と考えられます。

154 もし、念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る。
  
もし、念仏が物憂く、読経に熱心になれないときは、みずから休み、みずから怠ります。

155 妨ぐる人もなく、また恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、
  ひとり居れば、口業ををさめつべし。
  
妨げる人もいなく、気兼ねする人もいません。ことさらに無言の業をしなくても、
  独りであれば、口災いの罪を犯さないですむに違いないでしょう。

156 かならず禁戒をまもるとしもなくとも、境界なければ、何につけてか破らん。
  
かならず禁戒を守るとしなくとも、境界がなければ、何につけてか破ることがあめうか。

157 もし、跡の白波に、この身をよする朝には、岡の屋に行きかふ船をながめて、満沙弥が風情をぬすみ、
    もし桂の風、葉をならす夕には、潯陽の江をおもひやりて、源都督の行いをならふ。
  
もし進む船の後の白波に、この身をなぞらえる朝には、岡の屋に往復する船を眺めて、満沙弥の風情を盗み、
  桂に吹く風がその葉を鳴らす夕方に、白楽天の潯陽の江をおもひやって、源都督の行いをならって琵琶を演奏します。

158 もし余興あれば、しばしば松のひびきに秋風楽(しゅうふうらく)をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。
  
もし余興があれば、しばしば松風のひびきに秋風楽をまね、水の音に流泉の曲を弾く。

159 芸は、これ拙なけれども、人の耳を喜ばしめんとにはあらず。
  
私の芸は、拙いけれども、聞く人の耳を楽しませようというのではない。

160 ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり。
  
ひとり弾いて、ひとり詠って、自分の心を慰めるだけであります。

161 また、麓に一つの柴の庵あり。すなはち、この山守(やまもり)が居る所なり。
  
また、この山の麓に柴の庵が一つあります。この山の山守が居るところです。

162 かしこに小童あり。時々来りて、あひ訪(とぶら)ふ。
  もし、つれづれなる時は、これを友として遊行(ゆぎょう)す。
  
そこに小さな男の子がいます。時々やってきて、我が家を訪問する。
  もし、ひまなときは、これを友として散歩する。

163 かれは十歳、これは六十、その齡ことの外なれど、心を慰むること、これ同じ。
  
かれは十歳、こちらは六十歳、年齢差はことのほかですが、心を慰めることは同じです。

164 あるは茅花(つばな)を抜き、岩梨(いわなし)を採り、ぬかごをもり、芹を摘む。
  
或時は茅花を抜き、岩梨むを採り、こいもをもぎとり、芹を摘みます。

165 あるは裾わの田居にいたりて、落穗を拾ひて、穂組みをつくる。
  
或ときはふもとの田んぼに行って、稲の落穂を拾って、穂組をつくります。

166 もし、日うららかなれば、峰によぢのぼりて、はるかに故郷の空を望み、
  木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師を見る。
  
もし、のどかに晴れていれば、峰にのぼって、遠くに故郷の空を望み、
  木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師を眺めます。

167 勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。
  
景勝地には持ち主がいないので、心を慰めるに支障はない。

168 歩み煩ひなく、心遠くいたる時は、これより峰つづき、炭山を越え、笠取を過ぎて、
    或は岩間に詣で、或は石山を拜む。
  
歩きにわずらいなく、心が遠くに至るときは、ここから峰つづきで、炭山を越え、笠取山を通って、
  あるいは岩間山に詣で、あるいは石山寺に拝む。

169 もしはまた、粟津の原を分けつつ、蝉歌の翁が跡を訪ひ、田上河を渡りて、猿丸太夫が墓をたづぬ。
  
あるいはまた、粟津原に分け入り、蝉歌の翁の旧跡をたずね、田上河を渡って、猿丸太夫の墓を訪ねる。

170 帰るさには、をりにつけつゝ、桜を狩り、紅葉をもとめ、蕨を折り、木の実を拾ひて、
  かつは仏に奉り、かつは家土産(いえづと)とす。
  
帰り道には、おりにつけ、桜を鑑賞し、紅葉を求め、蕨を折り、木の実を拾って、
  かつは仏に供え、かつは家のみやげとする。

171 もし、夜静かなれば、窓の月に古人を忍び、猿の声に袖をうるほす。
  
もし夜が静かであれば、窓の月に古人をしのび、猿の声に袖を涙でぬらす。

172 草むらの螢は、遠く槇の島の篝火(かがりび)にまがひ、暁の雨は、自ら木の葉吹く嵐に似たり。
  
くさむらの蛍は、槙の島のかがり火に見まがい、暁の雨は、木の葉に吹く嵐に似ている。

173 山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峰の鹿(かせぎ)の近く馴れたるにつけても、
  世に遠ざかる程を知る。
  
山鳥がほろほろと鳴くのを聞いても、父か母かと疑い、山の鹿が近づいて馴れているにつけても、
  世間から遠ざかっている隔たりを知る。

174 あるはまた、埋火(うづみび)をかきおこして、老の寝覚の友とす。
  
あるいはまた、灰の中に埋もれた火をかきおこして、寝覚めする老人の友とする。

175 恐ろしき山ならねば、梟の声をあはれむにつけても、山中の景気、折につけて、尽くることなし。
  
それほど恐ろしい山ではないので、ふくろうの声をしみじみと聞くにつけても、山中の趣は、折につけて、尽きることがない。

176 いはんや、深く思ひ、深く知らん人のためには、これにしも限るべからず。
  
いわんや、深く思い、深く知りたい人のためには、これに限るべきではない。

 

閑居の気味

177 おほかた、此の所に住み始めし時は、あからさまとおもひしかども、今すでに、五年を経たり。
  
おおかた、この場所に住み始めた時は、ほんのしばらくと思ったけれども、今すでに、五年を経ました。

178 仮の庵も、ややふるさととなりて、軒には朽葉(くちば)ふかく、土居(つちい)には苔むせり。
  
仮の庵も、ややふるさととなり、軒には朽ちた葉が深くつもり、土台には苔がむしています。

179 おのづから、事の便りに、都を聞けば、この山にこもり居て後、
  やんごとなき人のかくれ給へるも、あまた聞こゆ。
  
たまたま、用事のついでに、都の様子を聞くと、この山にこもり住んで以後、
  高貴なかたがなくなられたことをたくさん耳にしました。

180 まして、その数ならぬたぐひ、尽してこれを知るべからず。
  
まして、その数えあげるに足らない人たちの数は、全部を知り尽くすことができないほど大勢です。

181 たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。ただ仮の庵のみ、のどけくして恐れなし。
  
たびたびの炎上でほろびた家はまた、どれほどでしょうか。ただこの仮の庵のみ、のどかにして恐れがありません。

182 ほど狭しといへども、夜 臥す床あり、昼居る座あり。
  
住まいは狭いといつても、夜に寝る床があり、昼に座る場所があります。

183 一身をやどすに、不足なし。寄居(がうな)は、小さき貝をこのむ。これ、事知れるによりてなり。
  
我が身一つを宿すには、十分です。やどかりは小さい貝を好みます。これは自分の事を知っているからです。

184 みさごは、荒磯に居る。すなはち、人を恐るるが故なり。我またかくの如し。
  
みさごは、荒磯にいます。すなわち、人間わ恐れるがためです。私もそのとおりです。

185 事を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。ただ靜かなるを望みとし、愁へなきを楽しみとす。
  
事を知り、世間を知ると、欲張らず、あくせくしません。ただ静かなのを望み、愁いがないのが楽しみです。

説明 「わしらず」の、動詞「わしる」は、走るの意味のほかに、せかせかする、あくせくするという意味があります。

186 すべて世の人の住家をつくるならひ、必ずしも、事の為にせず。
  
総じて世間の人が住居をつくる慣習は、必ずしも、(みずからの)事のためにするのではない。

187 或は、妻子・眷屬のためにつくり、或は、親昵(しんじつ)・朋友のためにつくる。
  
あるものは、妻子・眷属のためにつくり、あるものは近親者と友達のために造ります。

188 あるは、主君・師匠、および財宝・牛馬のためにさへ、これをつくる。
  
あるものは、主君・師匠や財宝・牛馬のためにさえ、これを作ります。

189 われ今、身のためにむすべり。人のためにつくらず。
  
私は今、自分のために造りました。他人のために造ったのではない。

190 ゆゑ如何となれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。
  
どうしてかというと、現世の慣習、我が身の境遇が、一緒にいるべき人がなく、頼りとする召使もいない。

191 たとひ、広くつくれりとも、誰をやどし、誰をか据えん。
  
たとえ広く造っても、誰を宿し、誰を置くのか。

192 それ、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。
  
それ、人の友である人は、富めることを尊み、丁寧であることを第一とする。

193 かならずしも情あると、すなほなるとをば愛せず。
  
必ずしも、情けあることと、素直であることをば大事にするのではない。

194 ただ、糸竹・花月を友とせんには如かじ。
  
ただ、ただ糸竹・花月を友とするにおよばない。

説明 「糸竹・花月」は、音楽と自然の意。

195 人の奴たるものは、賞罰甚しく、恩顧厚きを先とす。
  
人の召使である人は、賞罰が甚だしく良く、恩顧が厚いことを第一とする。

196 更に はぐくみ哀れむと、やすく静かなるとをば、願はず。
  
さらに、世話しかわいがってくれることや、落ち着き静かであることは願わない。

197 ただ、わが身を奴婢とするには、如かず。
  ただ、
我が身を召使とすることに及ばない(我が身を召使としたほうがましである)。

198 いかが奴婢とするとならば、もし、なすべきことあれば、すなはち、おのが身をつかふ。
  
どうして我が身を召使にするかというと、もしなすべきことがあれば、すなわち自分の身を使ってなすのである。

199 たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。
  
面倒でなくもないが、人を従え、人を気にかけるよりも、簡単です。

200 もし、歩くべきことあれば、自ら歩む。
  
もし、歩くべき用事があれば、自ら歩く。

201 苦しといへども、馬・鞍・牛・車と心を悩ますには、しかず。
  
苦しいと言っても、馬・鞍・牛・車と心を悩ますよりはましである。

202 今、一身を分ちて、二つの用をなす。
  
いま、一つの体を分かちて、二つの仕事をする。

203 手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。
  
手の奴も、足の乗り物も、私の思うとおりだ。

説明 「手の奴、足ののりもの」は、自分の手を召使として使い、自分の足を乗り物として使うことで、
    そうすると思い通りに働いてくれることを言っています。

204 身、心のくるしみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば、使ふ。
  使ふとても、たびたび過ぐさず。
  
身は、心の苦しみを知っているので、苦しいときは身を休めつ、やる気があると身を使う。
  使うとしても、たびたび度を越すことはない。

205 ものうしとても心を動かす事なし。
  いかにいはむや、常に歩き、常に働くは、養生なるべし。
  
気がすすまなくて怠けるとしても、気苦労することはない。
  ましてや、常に歩き、常に働くのは、心身の養生であろう。、

206 何ぞいたずらに、やすみ居らん。人を悩ます、罪業なり。いかが、他の力をかるべき。
  
どうして無駄に休んでいるのか。人を悩ますのは罪業です。どうして、他人の力を借りるのでしょう。

207 衣食の類、また同じ。藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひて、肌(はだへ)をかくし、
    野辺の茅花(おはぎ)、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。
  
衣食の類も、また同じです。藤の衣や麻の夜具を、得るに従い身にまとい、
  野辺の茅花、峰の木の実で、わずかに命を保つばかりです。

208 人に交はらざれば、姿を恥づる悔いもなし。糧(かて)乏しければ、おろそかなる報いをあまくす。 
  人と交際しないので、姿を恥じる悔いもない。食料が乏しいと、粗末なお返しをおいしくする。

209 すべてかやうの楽しみ、富める人に対して言ふにはあらず。
  ただわが身一つにとりて、昔と今とを、なぞらふるばかりなり。
  
総じてこのような楽しみは、富める人に対して言うのではない。
  ただ、我が身一つにとって、昔と今とを比較しているだけである。

210 それ三界は、ただ心一つなり。
  心もし安からずば、象馬・七珍もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし。
  
それ、三界は、ただ心一つの持ちようなり。
  心がもし安らかでないなら、象馬・七珍などの財宝も無益で、宮殿・楼閣に住んでも望みがない。

説明 「三界」は、仏教用語で、欲界、色界、無色界のみっつをいう。

211 今さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。
  
今いるさびしい住まい、一部屋の庵、私自身はこれを愛している。

212 おのづから都に出でて、身の乞がいとなれることを恥づといへども、
  帰りてここに居る時は、他の俗塵にはする事をあはれむ。
  
何かのついでに都に出かけて、自身が乞食になつていることを恥じるといっても、
  帰ってここにいるときは、他人が俗塵にあくせくすることをあわれむ。

213 もし人、このいへることを疑はば、魚と鳥との有様を見よ。
  
もし人が、私の言うこと疑うなら、魚と鳥の様子を見なさい。

214 魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。
  
魚は水に飽きず満足している。魚でなければ、その心はわからない。

215 鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。 
  鳥は林を願う。鳥でなければ、その心はわからない。

216 閑居の気味もまた同じ。住まずして、誰か悟らん。
  
閑居の気味も同じです。住まないで、誰がわかるでしょうか。

 

結び

217 そもそも、一期の月影傾きて、余算の山の端に近し。忽ちに三途の闇に向はんとす。
  
さてさて、私の生涯の月影は傾いて、余命は山の稜線に近い。たちまちのうちに三途の闇に向かおうとしている。

218 何のわざをかかこたむとする。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。
  
何事をなげこうとするのか。仏が教え給う趣意は、何事につけて執心を持つなということです。

219 いま草庵を愛するも、科(とが)とす。閑寂(かんせき)に著(じゃく)するも、障(さわ)りなるべし。
  
いま草庵を愛するのも、罪です。閑寂な生活に執着するのも、妨げとなるでしょう。

220 いかが用なき楽しみを述べて、あたら時を過さん。
  
いかに役にたたない楽しみを述べて、むだに時を過ごしましょうや、そうはいきません。

221 静かなる暁、この理を思ひつづけて、みづから心に問ひて曰く、
  
静かな暁、この道理を考え続けて、自ら心に問うていわく

222 世をのがれて、山林にまじはるは、心ををさめて、道を行はんとなり。
  
世俗を逃れて、山林に交わるのは、心を修行して、道を行おうとするからです。

223 然るを、汝、姿は聖人にて、心は濁りに染(し)めり。
  
しかるに、汝、姿は聖人だが、心は濁りに染まっている。

説明 古語の「染(そ)む」、「染(し)む」の2語に対して、現代語は、そめる、そまる、しみる と3語あります。
   「染(そ)む」は、染まる、染めるの両方に使い、「染(し)む」は、染みるですが、
   この文の使い方では、染まると訳したほうが、すわりがいいです。

224 すみかは、すなはち淨名居士の跡をけがせりといへども、
  たもつところは、わづかに周梨槃特(しゅりはんどく)が行ひにだに及ばず。
  
住居は、淨名居士の跡をまねて汚しているといっても、
  保っているのは、わずかに周梨槃特の行いにすら及ばない。

説明 「淨名居士」の「淨名」は、釈迦が生きていたころ長者として知られていた維摩羅詰のこと。
    居士は、出家せず在家のまま修行する人の称号

説明 「周梨槃特」は、釈迦の弟子で、初め最も怠惰な人であったが、一念発起して、修行に励み悟りを開いたという。

225 もしこれ貧賤の報いの自らなやますか、はた又、妄心の至りて狂せるか。
  もしこれは、
貧賤の報いがみずから悩ますのか、はたまた、妄心が至って狂うのか。

226 その時、心さらに答ふることなし。
  
その時、心はさらに答えることをしない。

227 ただ、かたはらに舌根(ぜっこん)をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申して止みぬ。
  
ただ、心のかたわらに、舌を借りて、不請の阿弥陀仏を、二三回申し上げて止めてしまった。

説明 「舌根」 六根清浄という言葉が知られていますが、これは、人間の六根、すなわち、
   眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)を清らかにすることです。
   ここでは、舌根という言葉を使っていますが、味覚の意味ではなく、言葉をしゃべるほうの意味で使っています。

228 時に建暦の二年とせ、三月(やよい)の晦日(つごもり)ごろ、桑門(さうもん)の蓮胤(れんいん)、外山の庵にしてこれをしるす。
  
時に、建暦二年(1212年) 三月の月末の頃、桑門の蓮胤、外山の庵にてこれを記す。

説明 「桑門の蓮胤」 「桑門」は、出家して仏の道を修行している人のこと、「蓮胤」は、長明の法号

 

 

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