平川祐弘 日本人に生まれて、まあよかった |
2017.2.17
書名の「日本人に生まれて、まあよかった」は、著者の平川さんの実感でありますが、もともとは、夏目漱石の言葉だそうです。
平川さんが、2013年4月3日の産経新聞の正論欄で発表した随筆に、産経新聞の西田令一さんがこのタイトルを付けたそうですが、
それを新潮社の後藤ひとみさんが読み、著者に、新潮新書への書き下ろしを依頼し、この本が生まれました。
産経新聞に発表した文章は、この本のまえがきに、全文引用されていますが、私なりに要約・整理・補完してまとめると、
以下のようになります。
夏目漱石は、明治42年(1909年) 9月20日に、大学予備門同窓で親友の満鉄総裁 中村是公の招きで満州に向かい、
10月17日に帰京すると、すぐ、朝日新聞に、「満韓ところどころ」と題して、見聞録を連載しました。
ところが、帰京直後の、10月26日に、伊藤博文が、ハルビンで、暗殺されました。
倒れた伊藤公を、抱きかかえたのは、中村是公ですので、漱石は、強い刺激を受けたはずです。
朝日新聞への連載は、大連、旅順、203高地、奉天まで、満鉄を中心とする植民地経営の見聞録で、年末まで続きました。
漱石は、奉天のあと、長春、ハルビン、韓国と見物したのですが、連載は、奉天で終わっていました。
ところが、伊藤博文の暗殺後、11月5,6日付けで、「満州日日新聞」に、漱石は、「韓満所感」と題する記事を書いていたのですが、
漱石全集に漏れていたのを、黒川創が見つけて、『新潮』2013年2月号に発表した「暗殺者たち」という小説の中に掲載しました。
平川さんは、それを読んで、漱石は、植民地帝国の英国と張り合う気持ちが強かったせいか、
ストレートに日本の植民地化事業を肯定し、在外邦人の活動を賀していると、感想を述べられています。
「韓満所感」を、少し、引用すると、
「余の如き政治上の門外漢は(中略)報道するの資格がないのだから極めて平凡な便り丈(だけ)に留めて置く」
「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸いにして日本人に生まれたと云ふ自覚を得た事である。
内地に跼蹐(きょくせき)してゐる間は、日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかったが、
満洲から朝鮮へ渡って、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となってゐる状態を目撃して、
日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた。
同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かったと思った。
彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児と云はねばならぬ。」
黒川さんの新発見を、2013年1月7日に、新聞各紙が報じましたが、「朝日新聞」には、肝心のその感想はなく、
後ほど、文芸批評欄で、松浦寿輝氏が、「この当代きっての知識人さえもがこうした無邪気な愛国者として振る舞っていたのか、
といううそ寒い感慨」に囚われたと書いています。
これに関して、平川さんは、「うそ寒いは嘘だろう」と内心思った と、感想を述べておられます。
以上、漱石に関する部分のみを、紹介しました。
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