橋爪大三郎 小林秀雄の悲哀 (2019) 

2019.7.26

 いつか、小林秀雄本居宣長を読もうと思っているのですが、まだ、とりかかっていません。

図書館で、小林秀雄全集 第十三巻 本居宣長 を借りてみたのですが、目次がなく、何が書かれているのか検討もつきません。

 図書館に、橋爪さんのこの書があったので、読み始めのヒントが無いかと、借りてきました。

 でだしのはじめに

 小林秀雄も、本居宣長も、大物である。この二人を相手に相撲が取れるのか。

そもそもまわしに手が届くのか。なんの成算もない。

どこかに食いつく隙がありそうだ、というかすかな勘だけを頼りに、この原稿を書き始めている。

と、なんとも頼りない。

 橋爪さんは、『本居宣長』が、1977年に出版されたとき、書店で山積みになっているのを購入され、

以来、折に触れて読んできた。理解できた、とはとても言えないが、未知だった世界について、多くを学んだ

と述べておられます。

 そして、序章の最後で次のように語ります。

小林秀雄は運命のように、本居宣長に向き合い、難渋した。そして、批評の限界を味わった。

小林秀雄の「悲哀」である。

でもそれは、ただの悲哀ではない。

みずから引き受けた、批評家としての運命である。

そして、日本の読者に対する、贈り物である。

生涯をかけ、この国で批評を根付かせようと、できるだけのことはすべてやった。

それへの感謝も踏まえて、本書を『小林秀雄の悲哀』と名づけよう。

 

 第2章 『本居宣長』という書物の中に、各章を要約した目次があり、参考になります。

1 (葬儀のこと) 冒頭、この章は、宣長の遺言書の紹介から始まる。

2 (葬儀の事・続) この章は、遺言書の紹介を続ける。

3 (宣長の生涯) この章は、宣長の生い立ちから始め、医師として、学者としての生涯を探る。

4 (学問の系譜) この章は、宣長の学問の系譜を紹介する。

5 (好信楽) この章は、宣長が古典のテキストに内在する原則を描き出す。

6 (契沖のこと) この章は、宣長が契沖にどのように開眼したかをのべる。

7 (契沖の生涯) この章は、契沖の生涯について、紹介している。

8 (中江藤樹のこと) この章は、中江藤樹について、述べている。

9 (新学問) この章は、中江藤樹に始まる新学問の流れをたどる。

10 (仁斎から徂徠へ) この章は、伊藤仁斎の学問が、荻生徂徠によって発展していくさまをのべる。

11 (宣長の学者生活) この章は、京都から戻ってのちの、宣長の学者生活を概観する。

12 (あしわけ小舟) この章は、宣長が早い時期に著した和歌論である『あしわけ小舟』を論ずる。

13 (もののあわれ) この章は、宣長が、源氏物語からどう『もののあわれ』を読みとったかを探る。

14 (式部と宣長) この章では、紫式部の批評的な創作意識と、宣長の批評的な読解の意識の、照応が論じられる。

15 (『もののあわれ』と道) この章では、宣長のいう「もののあわれ」が、道としての性格をもつことを論じる。

16 (準拠説) この章は、源氏物語を後世解釈して現れた準拠説に、批判的に論及する。

17 (諸家の源氏評) この章は、江戸時代以降の諸家の源氏評を紹介する。

18 (歌としての歌物語) この章は、歌物語である源氏物語の、作品の秘密を宣長がどのように理解していたかを考える。

19 (冠辞考) この章は、宣長が賀茂真淵の教えを受け、源氏研究から古事記研究に移ったことをのべる。

20 (師弟の交流) この章は、真淵と宣長の師弟の交流を考察する。

21 (頓阿) この章は、宣長が頓阿のコメンタリーを書いたこと、そして歌の、時代による変遷を体感することの重要性をのべる。

22 (歌を詠む道) この章は、宣長がどのように、歌を詠む中で、歌の本質に接近しているのかを明らかにする。

23 (おのがはらの内の物) この章では、もののあはれを「知る」とはどういうことだと宣長がのべたか、その核心を論じる。

24 (詞の玉緒) この章は、『詞の玉緒』をとりあげ、古言を読むひとが、どのようにストレートな関係を結ぶことができるかを考える。

25 (やまと心) この章は、やまと心(または大和魂)について、その含意と奥行きを議論する。

26 (篤胤のこと) この章は、やまと心の観念が、宣長から篤胤に伝わり拡がって行ったことをのべる。

27 (和歌と和文) この章は、漢学から疎外された和歌が、実生活のなかで反省の力をたくわえ、和歌の世界を拓き、やがて和文の物語を成立させるメカニズムを、概観する。

28 (文体と訓法) この章は、太安万侶の著した古事記の序にもとづき、古事記の編纂について考察する。

29 (漢文と口承) この章は、古事記という書籍が生まれた必然について、漢字の受容と散文の書字体系の成立について思索をめぐらす。

30 (古のふり) この章は、宣長の古事記伝における特異な古事記読解の方法を、実証の終わるところに内証が始まる、直観的な解読として明らかにする。

31 (白石と宣長) この章は、新井白石の『古史通』と対照しつつ、宣長の方法の特質を描き出す。

32 (徂徠その1) この章では、徂徠の仕事のどの部分が、宣長に本質的な影響を与えたかを考える。

33 (徂徠その2) この章では、徂徠の方法と宣長の方法とが、どのように共通するのかを理解する。

34 (目に見えないカミ) この章は、宣長の実証性と超越性(目に見えなくても実在する)との関係を論ずる。

35 (言語共同体) この章は、宣長の考える言語の本来のあり方を、彼独自の言葉から追及していく。

36 (歌に師匠なし) この章は、歌を詠むことの本質を、宣長がどう論じたかを、総括する。

37 (おのずからなる道) この章は、『玉鉾百首』『直毘霊』をひき、わが国の自然の道について論じる。

38 (カミとは) この章は、源氏物語の雅言に対して古事記の古言が対応し、古言のなかに神代のさまが浮かび上がる、宣長のアプローチを明らかにする。

39 (カミの名) この章は、「神代一之巻」の神名について、宣長が進める考察を概観する。

40 (日神論争) この章は、日神(天照大神)を太陽と同一視する宣長と、それを批判する上田秋成との論争を素材に、宣長の難解な狂信性について考察する。

41 (古学の眼) この章は、宣長と秋成の論争をさらに追い、宣長の言う「古学の眼」の源泉を問う。

42 (最上の史典) この章は、宣長が古事記の古伝に沈潜し、それを最上とする信念の由来を問う。

43 (神り歌と物語) この章は、古事記の神という言葉を吟味する宣長の境地と、真淵との関係をのべる。

44 (神の道) この章は、真淵と宣長の神の道の解釈を例に、二人の古道の考えの違いを考える。

45 (真淵の訓読への論難) この章は、古事記についての真淵の訓読について、宣長が論難する理由を述べる。

46 (古言と雅言) この章は、宣長が古事記を「意も事も相称」つた最上の形とみる次第をのべる。

47 (あやしからざる) この章は、真淵と宣長が、ともにから心を離れ究極を目指しながら、その到達点がどのように相違するかを考える。

48 (言い伝えの徳) この章は、宣長がどのように、無文字社会の実相をよく理解しているかをみる。

49 (「古学の眼」より) この章は、上田秋成との論争をふり返り、宣長の「古学の眼」を再論する。

50 (皆よみの国へ行く) この章は、人が死ぬあはれの語り方を、門人と宣長の応答を入り口に探っていく。この少し長めの章が、本書の締めくくりである。

補記-1 (ソクラテスと宣長) この章は、プラトンの『パイト゜ロス』が、宣長の考えに重なるのでは、と示唆する。

補記-2 (古学の眼) この章は、『うひ山ぶみ』『玉勝間』を再読し、古学のありようを再考する。

補記-3 (真暦考) この章は、宣長の、古代の暦(真暦)についての議論を考察する。

補記-1 (「心ざし」を立てる) この章は、宣長の考えた古学のありようと、学問の「心ざし」について述べる。

補記-2 (直毘霊・玉くしげ) この章は、『玉くしげ』より『直毘霊』のわうが、古学の真髄をよく伝えるとのべる。

補記-3 (歌の事と道の事) この章は、源氏研究から古事記研究へと移行する宣長を貫く、本質を考察する。

補記-4 (物語の本意と文勢) この章は、『補記』をしめくくる最後の章。宣長の本質を語ろうとする。

 

 橋爪さんは、第3章から、『本居宣長』を、小林秀雄が書いた順序に従って、前から順番に読んでゆかれます。

私は、橋爪さんの目次をたよりに、興味を持てそうなところから、読み始めることにします。

 

 なお、松岡さんの解説もありますので、これも、頼りに読んでいきたいと思います。

松岡正剛の千夜千冊 思構編 0992夜 小林秀雄 本居宣長

   https://1000ya.isis.ne.jp/0992.html

 

 

 

 

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