玉音放送 現代語訳

2023.08.16

 終戦後、78年経ちました。あと、2年で、戦後80年です。

今年の9月1日は、関東大震災後、100年です。

関東大震災は、1923年で、終戦は、1945年ですから、22年しか違わないのですね。

太平洋戦争は、1941年12月8日の真珠湾攻撃にはじまり、1945年8月15日に終わりました。

3年8か月です。

新型コロナは、2019年末から2020年当初に顕在化し、2023年5月8日に、2類から5類感染症に移行し、

この夏になって、マスクからやっと解放されましたので、ほぼ3年半です。

コロナで失われた3年半は、太平洋戦争の3年8ヵ月と、ほぼ同じ期間なのですね!

 さて、今年の終戦の日に、以下の記事を読みました。

2023.08.15
玉音放送、わかりやすく現代語訳してみた。
「戦争を継続すれば我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊される」
https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/gyokuon-hoso

 前書きは、以下のとおりです。

この玉音放送で昭和天皇が読み上げた「終戦の詔書」は漢文調で難解な文章だったため、当日、その放送を聞いた国民の多くはその内容がほとんど理解できなかったとも言われています。現代を生きる私たちなら、なおさらわかりません。

そこでBuzzFeed Japan編集部では、「終戦の詔書」をなるべくわかりやすい文章で現代語訳しました。現代語訳するにあたっては、『【永久保存版】CDブック 昭和天皇 玉音放送』の著書がある麗澤大学の川上和久教授に監修をお願いしました。

終戦から78年を迎えるにあたって、太平洋戦争とは何だったのか昭和天皇の願いを私たちはかなえることができたのか。現代語訳を読むことで、改めて考えてみてはどうでしょう。

 

 現代語訳部分も、短いので、以下に再録します。元記事には、写真もありますので、見てください。

「終戦の詔書」の現代語訳(BuzzFeed Japan編集部)

 

私は世界情勢と我が国の現状を深く考えた上で、非常の手立てをもって事態を収拾したいと思うようになり、ここで私の忠義で善良な国民に告げます

アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国による共同宣言(※ポツダム宣言のこと)を受諾する旨を、私は日本政府から4カ国に通告させました

そもそも日本国民が平穏な生活を送って、世界の国々と共に栄えるようにすることは、歴代天皇が残してきた手本であり、私の念願でした。
以前、アメリカとイギリスの2カ国に宣戦布告した理由も、
我が国が自らの力で存続することと、アジアの安定を願ったからです。
他国の主権を排除して、領土を侵害するようなことは、もとより私の意志ではありません

しかし、この戦争が始まってからすでに4年が経過しました。
その間、陸海将兵は各所で勇戦奮闘し、役人たちもそれぞれの職務に励み、また1億人の国民も各職域で奉公してきました。
このように
各自が最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも私たちに有利に展開したとはいえず、世界の情勢もまた私たちに不利になっています

これに加えて、敵は新たに残虐な爆弾(※原子爆弾のこと)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷しました
その惨害はどこまで広がるか計り知れません。
戦争を継続すれば、我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊されるでしょう
そうなれば、私はどうやって我が子に等しい国民を保護し、歴代天皇の神霊にお詫びできるでしょうか。
これこそが、私が日本政府に共同宣言を受諾するようにさせた理由です。


私は、これまでアジアの解放に向けて我が国と協力した友好国たちに遺憾の意を表明しないわけにはいきません。
また、我が国民のうち戦死や殉職するなど不幸な運命で亡くなった人々や、その遺族に思いをはせると身が引き裂かれるような思いです。
さらに戦場で負傷したり、災禍に遭ったり、家業をなくしたりした人々の生活を豊かにすることを考えると、私の心は深く痛みます。


思えば今後、我が国が受けるであろう苦難は尋常なものではないでしょう
私は国民の心中もよくわかります。
しかし、情勢の移り変わりはやむを得ないことなので、
私は耐えられないようなことも耐えて、我慢できないようなことも我慢して、将来のために平和を実現しようと思います

私はここに国家体制を維持することができ、忠義で善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります
もし、感情の激するままに争い事をしたり、同胞同士が互いに相手をけなし、陥れたりして、時局を混乱させ、そのために道を誤り、世界の信頼を失うようになれば、
それは、私が最も戒めるところです

挙国一致してこの国を子孫に伝え、我が国の不滅を固く信じ、国家の再建と繁栄への重い任務と遠い道のりを心に刻み、全ての力を将来の建設に傾け、道義心を向上させ、志を強固にして、我が国の美点を発揮し、世界の進歩に遅れないように努力しなければなりません。

あなた方国民は、私の思いをよく理解し、それに従って行動してください

 昭和天皇のこの決断が無ければ、戦争は、8月15日には、終わりませんでした。

 日本の軍部や、昭和天皇に対して、戦争責任を問う声は、いまだに、大きいと思います。

しかし、軍部も、昭和天皇も、日米開戦に関しては、極めて慎重でした。

逆に、当時の新聞は、戦争を煽っていて、国民の声は、好戦的でした。

 日本の新聞は、かつて、戦争に反対の時期がありました。

しかし、日清戦争や日ロ戦争が始まると、新聞の購読者数が、急激に増大しました。

戦争で支配地域が拡大すると経済が変化しますので、経済人にとっては、貴重な情報です。

戦争に行った兵士の安否を心配する人たちも、新聞を読みました。

新聞は、戦争に反対するどころか、好戦的な読者を煽るような記事もたくさん書きました。

 戦後、新聞は、自分たちの行動は、極秘に隠して、軍部や天皇の戦争犯罪のみを、

声高に訴えますが、私は、国民をあおった新聞にも、重大な責任があると思っています。

 

 

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