ゴンブリッチ 美術の物語 1994 |
2016.5.14
エルンスト・ゴンブリッチ卿は、1909年に、ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれます。
ウィーン大学で美術史と古典考古学を学び、1933年に卒業しますが、オーストリアでは職を得る見込みは全くなく、
1936年にイギリスに渡り、ロンドンで人文科学を専門とするウォーバーグ研究所(the Warburg Institute)で職を得ます。
第二次世界大戦中は、BBCの傍受部につとめますが、戦後、ウォーバーグ研究所にもどり、
1959-1976年の間、所長をつとめ、1976年に定年を迎えます。
大学卒業後、まだウィーンにいるときに、「若者のための世界史」を書きますが、その成功により依頼されて
1950年に美術史の著作「美術の物語(The Story of Art)」を出版しますが、好評を得て、版を重ねます。
1994年に出版された第16版の表紙には、7百万部売れたというシールが貼られています。
2001年に、ゴンブリッチ卿は、92歳で亡くなりますが、没後の2006年に携帯用のポケット版が出版されます。
日本語訳は、1966年の第11版に基づいた翻訳が、1972年に美術出版社から「美術の歩み(上)」として出版され、
1972年に第12版が出版されたのを受けて改訳された「美術の歩み(下)」が1974年に出版され、さらに、
1983年に上下冊とも、改訂新版が刊行されましたが、
2007年にファイドン日本支社から第16版の翻訳が「美術の物語」として刊行され、2011年にはポケツト版の翻訳が刊行されました。
ポケット版は、図版は小さくなっていますが、本文は第16版と全く同じです。ポケット版は、本文の図版が別の頁にまとめられています。
そのため、本文の各章の頁数が、本文の長さを示し、ゴンブリッチがどの章に力を入れたかがわかります。
以下の目次の日本語タイトルのあとに、頁数を書き込みました。最後の27章と28章が、最も長い章です。
私は英語の勉強のため、英語版のThe Story of Art と、日本語版のポケット版を購入しました。
目次
00 Introduction On art and artist
序章 芸術と芸術家
14.5頁
01 Strange beginnings Prehistoric and primitive
peoples; Ancient America
不思議な始まり
先史時代の未開な人たち; 古代アメリカ
11頁
02 Art for eternity Egypt, Mesopotamia, Crete
永遠を求める芸術 エジプト、メソポタミア、クレタ
11.5頁
03 The great awakening Greece, seventh to fifth century BC
おおいなる目覚め
ギリシア、紀元前7世紀から5世紀
16頁
04 The realm of beauty Greece and the Greek world, fourth
century BC to first century AD
美の王国
ギリシアとギリシャ世界、紀元前4世紀から紀元後1世紀
11頁
05 World conquerors Romans, Buddhists, Jews and Christians,
first to fourth century
世界の征服者たち
ローマ人、仏教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、1世紀から4世紀
8頁
06 A parting of ways Rome and Byzantium, fifth to thirnteenth
century
道の別れ
ローマとビザンティン、5世紀から13世紀
7頁
07 Looking eastwards Islam, China, second to thirnteenth
century
東方を見る
イスラム、中国、2世紀から13世紀
5.5頁
08 Western art in the melting pot Europe, sixth to eleventh
century
るつぼの中の西欧美術
ヨーロッパ、16から17世紀
9頁
09 The church militant The twelfth century
戦う教会 12世紀
7.5頁
10 The church triumphant The thirteenth century
勝利の教会 13世紀
14頁
11 Courtiers and burghers The fourteenth century
廷臣と自由市民 14世紀
10.2頁
12 The conquest of reality The early fifteenth century
リアリティの制服 15世紀初期
15頁
13 Tradition and innovation I The later fifteenth century in
Italy
伝統と変革I 15世紀後期、イタリア
17頁
14 Tradition and innovation II The fifteenth century in the
North
伝統と変革II 15世紀その北側
12頁
15 Harmony attained Tuscany and Rome, early sixteenth century
勝ちとられた調和
トスカーナちローマ、16世紀初期
31頁
16 Light and colour Venice and northern Italy, early sixteenth
century
光と色
ベニスと北部イタリア、16世紀初期
9頁
17 The new learning spreads Germany and the Netherlands, early
sixteenth century
新しい学問が広がる
ドイツとオランダ、16世紀初期
14.5頁
18 A crisis of art Europe, later sixteenth century
美術の危機 ヨーロッパ、16世紀後期
18頁
19 Vision and visions Catholic Europe, first half of the
seventeenth century
ビジョンとビジョン達
ヨーロッパ・カソリック、17世紀の前半
20.5頁
20 The mirror of nature Holland, seventeenth century
自然の鏡 オランダ、17世紀
14.5頁
21 Power and glory I Italy, later seventeenth and eighteenth
centuries
権力と栄光I イタリア、17世紀後期と18世紀
6.4頁
22 Power and glory II France, Germany and Austria, late
seventeenth and early eighteenth centuries
I権力と栄光II
フランス、ドイツ、オーストリア、18世紀初期
5頁
23 The age of reason England and France, eighteenth century
理性の時代
英国とフランス、18世紀
13頁
24 The break in tradition England, America and France, late
eighteenth and early nineteenth centuries
伝統の破壊
英国、米国、フランス、18世紀後期と19世紀初期
16.2頁
25 Permanent revolution The nineteenth century
永久革命 19世紀
30頁
26 In search of new standards The late nineteenth century
新しい規準を求めて 19世紀後期
17頁
27 Experimental art The first half of the twentieth century
実験美術 20世紀の前半
35頁
28 A story without end The triumph of modernism, Another
turning of the tide, The changing past
終わりのない物語 モダニズムの勝利、次の潮への転換、変化する過去
39頁
この本には、美術について、ゆっくり、じっくり考えさせてくれる情報が山ほど書き込まれています。
例えば、セザンヌについては、ポケツト版の211頁に以下のように書かれていますので、少し省略しながら引用します。
「その新たな問題の本質を初めて明確に感じとったのは、印象派の巨匠達と同世代の画家、ポール・セザンヌだった。
セザンヌも、若い頃には印象派の展覧会に出品していたが、それに対する社会の反感に嫌気がさして、故郷に引っ込んでしまい、
そこで、批評家達の雑音に邪魔されることなく、自身の芸術上の問題を研究した。
彼には、ふつうの暮らしをしていくだけの財産があり、絵の収入を当てにする必要はなかった。
こうして彼は、自分で設定した芸術上の問題を解決し、目指す芸術的完成の理想を実現しようと、格闘しつづけていた。
理論的な話は苦手だったが、ときおり自分の求めるところを簡潔に説明しようとした。
自然をもとにプッサンのように描くことが目標だ、という言葉が、その一つとして伝えられている。
彼が言いたかったのは、プッサンのような古典主義の巨匠たちは、その作品において見事な均衡と完成の域に達している、ということだった。
セザンヌが目指したのも、こういう荘厳で落ち着きのある芸術だった。
しかし彼は、もうブッサンの方法は通用しないとも考えていた。
彼らの絵は、古典古代から学んだ形をあれこれ組み合わせたもので、改めて個々の対象を見つめなおした結果ではなかった。
セザンヌは、色彩と立体表現に関する印象派の発見を評価し、自然の印象にすべてをゆだね、自分に見えている色と形を描きたかった。
知っているものや学んだものを描きたかったわけではない。
しかし、本当に、自然を描くだけでいいのか?
過去の偉大な画家たちのように、構図の調和を求めて苦闘し、揺るぎない単純さと完全な均衡を追及とようとする気持ちは、どこへ行ってしまったのか?」
こういう貴重な指摘が、山ほど書き込まれていて有難いのですが、残念ながら、物語の全貌を知っていないと、それらが有機的にまとまってくれません。
そこで、以下に、読んで大事だと思ったことがらを書き出し、全体の構成をまとめなおしていきたいと思います。 この作業は、ゆっくりと行います。
この章は、1789年のフランス革命以降本格化する英国、米国、フランスにおける美術の伝統との断絶を取り扱います。
14-16世紀のルネッサンス期の文芸復興で、芸術家は選ばれた職業になったのですが、
同時期に起きた宗教改革により、絵画や彫刻が締め出されたため、芸術家は、新しい市場の開拓が必要となりました。
こうした様々な出来事が美術に大きな影響を与えたのですが、伝統の破壊は一挙に起こったわけではありません。
共通基盤の崩壊は、18世紀の終わりに向けてゆっくりと進み、1789年のフランス革命で、一気に夜明けとなりました。
In history books modern times begin with the discovery of
America by Columbus in 1492
歴史書では、近代はコロンブスによる1492年のアメリカの発見ではじまります。
We remember the importance of that period in art.
私たちは覚えています。この期間が芸術にとって重要であったことを。
It was the time of the Renaissance, the time when being a
painter or a sculptor ceased to be an occupation like any other and became a
calling set apart.
これはルネッサンスの時代です。画家や彫刻家であることが他のどの職業とも同様な職業であることを止め、他とは分離した天職となった時代です。
It was also the period during which the Reformation, through
its fight against images in churches, put an end to the most frequent use of
pictures and sculptures in large parts of Europe, and forced the artists to look
for a new market.
それはまたこういう時期でもありました。宗教改革が、教会における偶像に対する戦いを通して、ヨーロッパの広い地域における絵画や彫像の頻繁な使用を終わらせてしまい、芸術家たちが新しいマーケットを探さなければならなくなった時期なのです。
But however important all these events were, they did not
result in a sudden break.
しかし、これらの出来事がいかに重要といえども、急激な破壊を引き起こしたわけではありません。
The large mass of artists were still organized in guilds and
companies, they still had apprentices like other artisans,
芸術家の大部分は、ギルドや職人組合に組織化されていました。ほかの職人たちと同じく、徒弟を抱えていました。
and they still relied for commissions largely on the wealthy
aristocracy, who needed artists to decorate their castles and country seats and
to add their portraits to the ancestral galleries.
仕事はほぼ金持ちの貴族階級に頼っていました。貴族達は芸術家が必要でした。城や田舎の邸宅を飾るために。先祖代々のギャレリーに自分の肖像がを加えるために。
Even after 1492, in other words, art retained a natural place
in the life of people of leisure, and was generally taken for granted as
something one could not well do without it.
1492年の後ですら、別の言葉で言えば、芸術は、有閑階級の人たちの生活に自然な場所を保持していました。そして、一般的には、それがないとうまくやれない何かであるとみなされていました。
Towards the end of the eighteenth century this common ground
seemed gradually to give way.
18世紀の終わりに向けて、この共通基盤は次第に崩れていきました。
We have reached the really modern times which dawned when the
French Revolution of 1789 put an end to many assumptions that had been taken for
granted for hundreds, if not for thousands, of years.
私たちは、やっと近代(現代)という時代にたどり着いたのです。1789年のフランス革命が、これまで何百年も、(何千年とは言えないまでも)、当然と思われてきたたくさんの仮定に終わりをつげたときに、夜が明けて現れた時代に。
Perhaps the most immediate and visible effect of this
profound crisis was that artists everywhere looked for new types of
subject-matter.
多分、この深遠な危機のすぐ目に見える効果は、芸術家たちが新しいタイプの題材をいたるところに探し始めたことです。
In the past, the subject-matter of paintings had been very
much taken for granted.
過去において、絵画の題材はあたりまえのことのように思われていました。
The majority of the older pictures represent religious
subjects taken from the Bible, and the legends of the saints.
昔の絵の大多数は、聖書からとられた宗教的な主題や、聖人の伝説を表現しています。
All this changed very rapidly during the period of the French
Revolution.
これらすべては、フランス革命の期間に急速に変化しました。
Suddenly artists felt free to choose as their subjects
anything from a Shakespearean scene to a topical event
突然に、芸術家たちは、主題として、シェークスピアの劇の場面から時事問題まで何でも選んでいいのだと感じたのです。
Copley, David, Goya, William Blake などが例示されます。
There was one branch of painting that profited much by
the artist's new freedom in his choice of subject-matter - this was landscape
painting.
ここに絵画の一つのブランチがあります。画家たちの絵の題材の選択が自由になることによって得をしました。それは風景画です。
So far, it had been looked upon as a minor branch of art.
これまで、風景画はマイナーなブランチとみなされてきました。
The painters, in particular, who had earned their living
painting 'views' of country houses, parks or picturesque scenery, were not taken
seriously as artists.
絵描きたち、特に、カントリーハウスや、公園や美しい景観などの景色を描いて生計をたてている絵描きたちは、まともな芸術家とはみなされませんでした。
This attitude changed somewhat through the romantic spirit of
the late 18th century, and great artists saw it as their purpose in life to
raise this type of painting to new dignity.
この姿勢は、18世紀後半のロマンティックな精神によって幾分変化し、偉大な芸術家たちも、風景画を新しい権威に持ち上げることを人生の目的とみなすようになりました。
TurnrとConstableがとりあげられます。
The break with tradition had
left artists with the two possibilities which were embodied in Turner and
Constable.
伝統との断絶は芸術家たちに二つの可能性を残しました。それらは、ターナーとコンスタブルにより具現化されています。
They could become poets in painting,
and seek moving and dramatic effects,
彼らは絵画の詩人になり、心を動かすドラマティックな出来事を求めることができます。(ターナーの道)
or they could decide to keep to the
motif in front of them, and explore it with all the insistence and honesty at
their command.
もしくは、目の前のモチーフから離れずに、こだわって正直に全力でそのモチーフを追い求めることができます。(コンスタブルの道)
I believe that those who followed
Constable's path and tried to explore the visible world rather than to conjure
moods achieved something of more lasting importance.
私は信じます。コンスタブルの道に従って、ムードを呼び起こすよりも、目にみえる世界を追い求めようとした人たちのほうが、より持続する重要さを成し遂げることができたと。
この章は、19世紀に起きた永久革命をとりあげます。これは産業革命が芸術にもたらした革命です。
What I have called the break in tradition, which marks the
period of the Great Revolution in France, was bound to change the whole
situation in which artists lived and worked.
わたしが伝統の破壊と呼んだものは、フランス革命の期間をマークしますが、芸術家が生き働いた環境のすべてを変化させるものでした。
The academies and exhibitions, the critics and connoisseurs,
had done their best to introduce a distinction between art with a capital A and
the mere exercise of a craft, be it that of the painter or the builder.
アカデミーや展覧会、批評家や美術通は、全力をつくして、「芸術」と工芸の違いを説明しました。画家であれ、建築家であれ。
Now the foundations on which art had rested throughout its
existence were being undermined from another side.
いまや芸術がこれまでずっと乗っかっていた基礎が、別の側から土台を壊されつつあります。
The Industrial Revolution began to destroy the very
traditions of solid craftsmanship; handiwork gave way to machine production, the
workshop to the factory.
産業革命が堅実な職人技能の伝統そのものを破壊しはじめたのです。手仕事が機械生産に道をゆずり、工房が工場に屈したのです。
The life of an artist had never been without its troubles and
anxieties, but there was one thing to be said for the 'good old days' - no
artist needed to ask himself why he had come into the world at all.
芸術家の人生は決して困難も心配事も無いものではなかったが、「古き良き時代」の利点として、一つ言えることがあります。芸術家は、だれも、自分がなぜこの世界に入ってきたのか自問する必要はなかったのです。
In some ways his work had been as well defined as that of any
other calling.
ある意味で芸術家の仕事は、ほかの天職の仕事と同様に、内容がよく決まっていたのです。
There were always altar-paintings to be done, portraits to be
painted; people wanted to buy pictures for their best parlours, or commissioned
murals for their villas.
常に祭壇画の仕事があり、肖像画の仕事がありました。人々は、彼らの最良の応接間を飾る絵を買いたいと思っていましたし、別荘の壁画を注文したりしました。
In all these jobs he could work on more or less
pre-established lines.
これらの仕事すべてにおいて、彼は、多かれ少なかれ既定の方針で仕事をすることができました。
He delivered the goods which the patron expected. His
position in life was more or less secure.
彼はパトロンが期待する商品を手渡すことができました。彼の生活は多かれ少なかれ安定していました。
It was just this feeling of security that artists lost in the
19th century.
この安定感を、芸術家は19世紀に失ったのです。
The break in tradition had thrown open to them an un
unlimited field of choice.
伝統の破壊は、芸術家を無限の選択肢の前に放り出したのです。
Those who buy pictures usually have a certain idea in mind.
絵を買う人は、ふつう心に何かのアイデアを持っています。
They want to get something very similar to what they have
seen elsewhere.
彼らは、かつてどこかで見たものと非常に似ているものを欲しいと思います。
In the past, this demand was easily met by the artists
because, even though their work differed greatly in artistic merit, the works of
a period resembled each other in many respects.
昔は、この要求は簡単に満たすことができました。作品の芸術的価値に大きな違いはあっても、一つの時代の作品は多くの点で互いによく似ているのです。
Now that this unity of tradition had disappeared, the
patron's taste was fixed in one way: the artist did not feel it in him to
satisfy that demand.
いまや伝統の同一性は消え去り、パトロンの趣味はある方向に固定し、芸術家はその要求にこたえる気になれない。
If he was forced to do so for want of money, he felt he was
making 'concessions', and lost his self-respect and the esteem of others.
もし彼がお金のためにそうされられるとは、彼は譲歩したと感じ、自尊心を失い、他人の尊敬も失います。
If he decided to follow only his inner voice, and to reject
any commission which he could not reconcile with his idea of art, he was in
danger of starvation.
もし彼が内なる声にのみ従い、芸術に関する彼の考えと調和させることのできない注文を断るとすると、彼は飢えの危険におちいります。
Thus a deep cleavage developed in the 19th century between
those artists whose temperament or convictions allowed them to follow
conventions and to satisfy the public's demand, and those who gloried in their
self-chosen isolation.
かくして、19世紀に深い溝ができてしまいました。慣習を守り、大衆の要求を満たすことを許す気質も信念を持っている芸術家と、みずから選んだ孤立に栄光を求める芸術家との間に。
What made matters worse was that the Industrial Revolution
and the decline of craftsmanship, the rise of a new middle class which often
lacked tradition, and the production of cheap and shoddy goods which masqueraded
as 'Art', had brought about a deterioration of public taste.
さらに悪いことには、産業革命と職人技能の衰退、伝統を欠く新たな中産階級の興隆、「芸術」の仮面をかぶった安くて粗悪な製品の生産、これらは、庶民の趣味の低下をもたらしたのです。
この流れの最もドラマティックな舞台はパリでした。
19世紀のヨーロッパの美術の首都になったパリには、世界中から大勢の芸術家か集まってきました。
19世紀前半の保守派を代表する画家は、アングル (1780-1867) でした。ダビッドの弟子・後継者です。
アングルの反対者の戦いの砦が、ドラクロア (1798-1863) でした。
ドラクロアは、同時代の風景画家、コロー (1796-1875) を高く評価していました。
1848年の2月革命の時期に、コンスタブルの構想にならって自然を新鮮な目で見直そうとする画家たちが、バルビゾン村に集まりました。
ミレー (1814-1875) は、この構想を風景から人物にまでひろげました。
このような運動に写実主義という名前を与えたのが、クールベ (1819-1877) でした。
フランスにおける絵画の革命の第一の波をドラクロア、第二の波をクールベとすると、第三の波はマネ (1832-1883) です。
マネは、昼の日差しがいつぱい当たる戸外では、強烈な明暗のヒントラストが作りだされて、
立体的な物でも、色のついた布切れのように、平たくしか見えないことを見出しました。
マネに賛同し、新しい考えを広めることに協力した画家のひとりに、モネ (1840-1926) がいます。
It took some time before the public learned that to
appreciate an Impressionist painting one has to step back a few yards, and enjoy
the miracle of seeing these puzzling patches suddenly fall into place and come
to life before our eyes.
少し時間がかかりましたが、大衆は学びました。印象派の絵画を鑑賞するためには、1〜2メートル後ずさって、これらわけのわからない片々が、うまく収まって、目の前で命を宿すのを目撃するという奇跡を楽しむ必要があることを。
To achieve this miracle, and to transfer the actual visual
experience of the painter to the beholder, was the true aim of the
Impressionists.
この奇跡を達成し、画家が実際に見た経験を、見る人に伝えることが、印象派の真の目的なのです。
しかし、印象派の勝利は、写真と日本の浮世絵という二つの援軍がなかったなら、これほどすみやかで完全なものにはならなかったでしょう。
写真は、初めの頃は長い露出時間が必要でしたが、ホータブルカメラが開発され、スナップショットが撮れるようになったころに印象派が登場しました。
The camera helped to discover the charm of the fortuitous
view and of the unexpected angle.
カメラは、偶然のながめや予期しない角度の魅力を発見するのに役立ちました。
Moreover, the development of photography was bound to push
artists further on their way of exploration and experiment.
さらに、写真術の発達は、芸術家を独自の探求や実験にさらに駆り立てる運命にありました。
There was no need for painting to perform a task which a
mechanical device could perform better and more cheaply.
機械装置のカメラが、より良くより安くできる仕事を、絵で行う必要はありませんでした。
We must not forget that in the past the
art of painting served a number of utilitarian ends.
忘れてはいけません。過去において、絵画の技術は、多くの実用的な目的のために役立っていました。
It was used to record the likeness of a notable person or the
view of a country house.
それは、著名な人の似姿や、カントリーハウスのながめを記録するために使われました。
Photography in the 19th century was
about to take over this function of pictorial art.
19世紀の写真は、絵画芸術のこの機能をまさに引き継ごうとしていました。
So it came about that artists were
increasingly compelled to explore regions where photography could not follow
them.
そこで、芸術家はますます写真がついてこれない領域を探検するようになりました。
In fact, modern art would hardly have
become what it is without the impact of this invention.
実際、モダンアートは、写真の発明の衝撃がなければ、現在のようなものには決してならなかったでしょう。
第二の援軍の浮世絵 (colour-print) の可能性に最も強い影響を受けたのはドガ (1834-1917) でした。
この時期、19世紀末、建築では、新しい様式を求めるアール・ヌーボーの動きが起こりました。
But we know that in art one problem need only to be solved
for a host of new ones to appear in its stead.
しかし私たちは知っています。芸術において、一つの問題が解かれても、そのかわりに多数の新たな問題が出現することを。
Perhaps the first who had a clear feeling of the nature of
these new problems was an artist who still belonged to the same generation as
the Impressionist masters.
多分、これらの新たな問題の性質を最初に明確に感じたのは、ある一人の芸術家で、印象派の巨匠たちと同じ世代に属していました。
He was Paul Cezanne (1839-1906), who was only 7 years younger
than Manet, and even 2 years older than Renoir.
それはセザンヌです。彼はマネより7歳若く、ルノワールより2歳年上でした。
In his youth Cezanne took part in the
Impressionist exhibitions, but was so disgusted by the reception accorded them
that he withdrew to his native town of Aix-en-Provence, where he studied the
problems of his art, undisturbed by the clamour of the critics.
若い頃セザンヌは印象派展に参加しましたが、展覧会の受け入れられ方に嫌気がさして、彼の生まれた町であるエクサンプロヴァンスに引っ込み、そこで自分の芸術の問題点を研究しました。批評家たちの喧騒に乱されることなしに。
He was a man of independent means and
regular habits, and was not dependent on finding buyers for his pictures.
彼は働かなくても暮らしていける、規則正しい習慣の人で、彼の絵の買い手を見つける必要はありませんでした。
Thus he could dedicate his whole life
to the solution of the artistic problems he had set himself, and could apply the
most exacting standards to his own work.
かくして彼は生涯のすべてを自分に課した芸術問題の解決に捧げることができ、自分の作品に厳格な標準を適用することができました。
Outwardly, he lived a life of
tranquillity and leisure, but he was constantly engaged in a passionate struggle
to achieve in his painting that ideal of artistic perfection after which he
strove.
外からみると、彼は静かでゆったりした生活を送りました。しかし、彼は常に、熱心な格闘に取り組んでいました。彼が追い求めた芸術的完成のあの理想を自分の絵に達成するために。
He was no friend of theoretical talk,
but as his fame among his few admirers grew he did sometimes try to explain to
them in a few words what he wanted to do.
彼は理論的な話しの友ではありませんでしたが、彼の少ない崇拝者の間での名声が大きくなるにつれ、時々自分が何をしたいかを彼らに少ない言葉で説明しようとしました。
One of his reported remarks was that he
aimed at painting 'Poussin from nature'.
伝えられている言葉の一つは、「プッサンを自然から」描くことが目的だというものです。
What he wanted to say was that old
classical masters such as Poussin had achieved a wonderful balance and
perfection in their work.
彼の言いたかったことは、プッサンのような昔の古典の巨匠たちは、その作品にすばらしい均衡と完成を達成しているということです。
Cezanne aimed at an art which had something of this grandeur
and serenity
セザンヌは、目指しました。このなにか雄大さと静穏さを持つ芸術を。
But he did not think that it could be achieved any longer by
the methods of Poussin.
しかし彼は思いません。それがプッサンの方法で達成できるとは。
The old masters, after all, had accomplished that balance and
solidity at a price.
結局、昔の巨匠たちは、あの均衡と堅固さを、ある犠牲のもとに達成したのです。
They did not feel bound to respect nature as they saw it.
かれらは、自然を見たままに尊重すべきとは思いませんでした。
Their pictures are rather arrangements of forms they had
learned from the study of classical antiquity.
彼らの絵は、古典の古代遺物の研究から学んだ形をアレンジしたものなのです。
Even the impression of space and solidity was achieved
through the application of firm traditional rules rather than through looking at
each object anew.
空間や堅固さの印象ですら、確かな伝統ルールを適用して得られるものであり、各物体を新たに眺めることを通して得られるのではありません。
Cezanne agreed with his friends among the Impressionists that
these methods of academic art were contrary to nature.
セザンヌも、印象派のなかの友達と同意見で、アカデミックな芸術のこれらの手法は自然に反していることに同意しました。
He admired the new discoveries in the field of colour and
modelling.
彼は、色やモデリングの分野におけるこの新発見を賞賛しました。
He, too, wanted to surrender to his impressions, to paint the
forms and colours he saw, not those he knew about or had learned about.
彼も、自分の印象に屈して、自分の見た形や色を描きたいと思いました。彼が知っていて学んだものを描くのではなく。
But he felt uneasy about the direction painting had taken.
しかし、彼は絵画が向かっていた方向にも不安を感じました。
The Impressionists were true masters in painting 'nature'.
But was that really enough?
印象派たちは、「自然」を描く真の巨匠です。 でも、それで十分なのでしょうか。
Where was that striving for a harmonious design, the
achievement of solid simplicity and perfect balance which had marked the
greatest paintings of the past?
どこに行ってしまったのでしょう。調和のとれたデザインを追求する努力、堅固な簡単さと完全な均衡の達成は。過去の偉大な絵画が指し示していた。
The task was to paint 'from nature', to make use of the
discoveries of the Impressionist masters, and yet to recapture the sense of
order and necessity that distinguished the art of Poussin.
任務は「自然から」描くことです。印象派の巨匠達の発見を利用することです。そしてさらに、プッサンの芸術を際立たせた秩序と必然性の感覚を取り返すことです。
The dissolution of firm outlines in flickering light and the
discovery of coloured shadows by the Impressionists had once again posed a new
problem: how could these achievements be preserved without leading to a loss of
clarity and order?
印象派たちが、ソリッドな輪郭をちらつく光の中に解消させたり、色のついた影を発見したりすることは、再び新たな問題を提出しました:これらの成果をいかにして保持できるのか。明瞭さと秩序を失うことにならずに。
To put it into simpler language: Impressionist pictures
tended to be brilliant and messy.
より簡単な言葉でいうと:
印象派の絵は、輝いていて乱雑であるという傾向にある。
Cezanne abhorred messiness. セザンヌは、乱雑さを忌み嫌いました。
Yet he did not want to return to the academic conventions of
drawing and shading to create the illusion of solidity any more than he wanted
to return to 'composed' landscapes to achieve harmonious designs.
それでも彼はアカデミーの伝統的な描画法や陰影法にもどりたくはありませんでした。堅固さの錯覚を生み出すために。彼が調和的なデザインを達成するために「構成された」風景画にもどりたいなどと思う以上に。
not A any more than B は、Bである以上にAであることはない。という意味から、Bでないと同じくらいAでない。という意味になります。
He was faced with an even more urgent issue when he pondered
the right use of colour.
彼はより切実な問題に直面していました。色の正しい使い方を熟考するときに。
Cezanne longed for strong, intense colours as much as he
longed for lucid patterns.
セザンヌは、強く強烈な色を求めました。明快なパターンを求めるのと同じくらい。
Medieval artists were able to satisfy this same desire freely
because they were not bound to respect the actual appearance of things.
中世の画家たちは、この同じ欲求を自由に満たすことができました。彼らは物の実際の見え方を尊重するようには縛られなかったからです。
As art had returned to the observation of nature, however,
the pure and shining colours of medieval stained glass or book illuminations had
given way to those mellow mixtures of tones with which the greatest painters
among the Venetians and the Dutch contrived to suggest light and atmosphere.
しかし、芸術が自然の観察にもどったとき、中世のステンドグラスや、写本彩飾の純粋で輝く色は、あの柔らかく混ざり合った色調にとってかわられました。ベネチア派やオランダ派の巨匠たちはこの色調を使って、光や空気を感じさせる方法を考案したのです。
The Impressionists had given up mixing the pigments on the
palette and had applied them separately on to the canvas in small dabs and
dashes to render the flickering reflections of an 'open-air' scene.
印象派たちは絵の具をパレット上で混ぜ合わせることを止め、絵の具を直接キャンバス上に小さな点でたたいたりぶつけたりしました。「戸外」の風景のきらきら輝く反射を表すために。
Their pictures were much brighter in tone than any of their
predecessors but the result did not yet satisfy Cezanne.
彼らの絵は過去のどの絵よりも、明るい色調でしたが、それでもセザンヌは満足しませんでした。
He wanted to convey the rich and unbroken tones that belong
to nature under southern skies, but he found that a simple return to the
painting of whole areas in pure primary cplours endangered the illusion of
reality.
彼は、南欧の空の下の自然が持つ豊かで壊れていない(連続した)色調を伝えたかったのです。しかし、広いエリアを純粋な原色で塗ってしまうだけでは、現実感を損なってしまうことに気づきました。
Pictures painted in this manner resemble flat patterns and
fail to give the impression of depth.
このように塗った絵は、平らなパターンに似て、深さの印象を与えることができないのです。
Thus Cezanne seemed to be caught up in contradictions all
round.
かくしてセザンヌは、いたるところ矛盾にがんじがらめになったようでした。
His wish to be absolutely faithful to his sense impressions
in front of nature seemed to clash with his desire to turn - as he said -
'Impressionism into something more solid and enduring, like the art of the
museums'.
彼の願い、自然の前に自分の感覚の印象に完璧に忠実であろうとする彼の願いは、彼の言う、「印象主義を美術館の絵のようにソリッドで永続的なものにしたい」という彼の望みと、衝突したように見えました。
No wonder that he was often near despair, that he slaved at
his canvas and never ceased to experiment.
不思議ではありません。彼はなんども絶望に近づき、キャンバスに奴隷のように働き、実験を決して止めませんでした。
The real wonder is that he succeeded, that he achieved the
apparently impossible in his pictures.
本当の不思議は、彼が成功したことです。彼は自分の絵において不可能と思えることに成功したのです。
If art were a matter of calculation it could not have been
done; but of course it is not.
もし芸術が計算ずくのことがらだったとしたら、成功しなかったでしょうが、勿論、そうではありません。
This balance and harmony about which artists worry so much is
not same as the balance of machines.
このバランスや調和は、画家が大層心配するものですが、機械のバランスと同じではありません。
It suddenly 'happens', and no one quite knows how or why.
それは突然「おきる」のです。誰も、どうしてなのか何故なのかはわかりません。
Much has been written about the secret of Cezanne's art.
沢山のことが書かれました。セザンヌの芸術の秘密について。
All kinds of explanations have been suggested of what he
wanted and what he achieved.
あらゆる説明がなされました。彼が何を欲し、何を達成したかについて。
But these explanations remain crude; sometimes they even
sound self-contradictory.
しかし、これらの説明は粗いままでした。ときには、自己矛盾しているように見えました。
But even if we get impatient with the critics, there are
always the pictures to convince us.
しかし、これらの批評家にいらいらしたとしても、私たちを納得させる彼の絵はいつもそこにあります。
And the best advice here and always is 'go and look at the
pictures in the original'.
最良のアドバイスは、ここでは、そして常に、「行って原画を見よ」です。
Even our illustrations, however, should at least convey
something of the greatness of Cezanne's triumph.
しかし、この本の図版ですら、セザンヌの勝利の偉大さの幾分かを伝えるでしょう。
The landscape with Mont Sainte-Victoire in southern France is
bathed in light and yet firm and solid.
南仏のサンヴィクトワール山を頂く風景は、陽光を浴び、それでいて、しっかりしていてソリッドです。
It presents a lucid pattern and yet gives the impression of
great depth and distance.
それは明快なパターンを提示していますが、深い奥行きと距離感を感じさせます。
There is a sense of order and repose in the way Cezanne
marked the horizontal of the viaduct and road in the centre and the verticals of
the house in the foreground, but nowhere do we feel that it is an order which
Cezanne has imposed on nature.
秩序と安らぎの感じがあります。セザンヌが中央の高架橋や道路の水平線と、前景の家の垂直線を印したやり方には。しかし、それがセザンヌが自然に押し付けた秩序であると感じさせるものはどこにもありません。
Even his brushstrokes are so arranged as to fall in with the
main lines of the design and to strengthen the feeling of natural harmony.
筆つかいもアレンジされていて、全体デザインの主要な線に沿っていて、自然の調和の感じを強調しています。
スーラー (1859-1891), ゴッホ (1853-1890)、ゴーギャン (1848-1903)、ホードラー (1853-1918)
When people talk about 'Modern Art', they usually think of a
type of art which has completely broken with the traditions of the past and
tries to do things no artist would have dreamed of before.
人々が「モダン・アート」について語るとき、通常、あるタイプの芸術を思い浮かべます。過去の伝統とは全く断絶し、以前はどんな芸術家も発想したことのないことをやろうとするようなタイプの芸術を。
Some like the idea of progress and believe that art, too,
must keep in step with the times.
ある人は進歩の概念を好み、芸術も時代とともに進んでいかなければならないと信じます。
Others prefer the slogan of 'the good old days', and think
that modern art is all wrong.
他の人たちは、「古き良き日」というスローガンのほうを好み、モダンアートは全く間違っていると思います。
But we have seen that the situation is really more complex,
and that modern art no less than old art came into existence in response to
certain definite problems.
しかし、私たちは見ました。事態は実にもっと複雑であることを。また、モダンアートは、古いアートと同じく、ある特定の諸問題に応えるために生まれたのだということを。
Those who deplore the break in tradition would have to go
back beyond the French Revolution of 1789, and few would think this possible.
伝統の断絶を嘆く人たちは、1789年のフランス革命を超えて遡らなければなりません。そして誰もそれが可能とは思いませんでした。
It was then, as we know, that artists had become
selfconscious about style, and had begun to experiment and to launch new
movements which raised a new 'ism' as a battle-cry.
その時、私たちも知っているように、芸術家たちは様式を気にするようになりました。そして実験することを始めました。そして新しい運動を開始しました。戦場の雄たけびのように新しい「主義」を掲げながら。
Strangely enough, it was that branch of art which had
suffered most from the general confusion of tongues that succeeded best in
creating a new and lasting style;
不思議なことに、方言がやたら混乱して悩まされた芸術のあのブランチこそが、新しく永続する様式を生み出すことに最も成功したのでした。
modern architecture was slow in coming, but its principles
are now so firmly established that few would still want to challenge them
seriously.
モダン建築は、登場が遅れましたが、その原理は、いまや堅固に確立されていて、それに真面目に挑戦しようとする人は殆どいません。
We remember how the groping for a new style in building and
ornament led to the experiments of Art Nouveau in which the new technical
possibilities of iron construction were still combined with playful ornaments.
私たちは覚えています。建物や装飾の新しい様式を探ることは、アール・ヌーボーの実験に至りました。そこでは、鉄の構造物の新しい技術的可能性が、なおも、遊び心に満ちた装飾と結びつけられているのです。
But it was not from such exercises in inventiveness that the
architecture of the twentieth century was to arise.
しかし創作力をこのように働かせたからではありません。20世紀の建築が登場することになったのは。
The future belonged to those who decided to begin afresh and
to rid themselves of this preoccupation with style or ornament, were it old or
new.
未来は、新規にまきなおして、様式や装飾、それが古かろうが新たらしかろうが、への没頭を取り去ろうと決心した人たちのものなのです。
Instead of clinging to the idea of architecture as a 'fine
art', the youngest architects rejected decoration altogether and proposed to
look at their task afresh in the light of its purpose.
建築は美術であるという考えに固執することなく、若い建築家たちは、装飾を完全に否定し、自分の仕事を新規にその目的に照らして見ることを提案したのです。
This fresh approach made itself felt in several parts of the
world, but nowhere more consistently than in America, where technological
progress was much less hampered by the weight of traditions.
このフレッシュなアプローチは、世界のいくつかの場所に現れましたが、アメリカにおいてよりも一貫して現れたところはありませんでした。アメリカでは、テクノロジーの進歩が伝統の重みによって邪魔されることがより少なかったのです。
ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/
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