源氏物語 桐壺 原文 現代語訳 対比 |
2017.11.21 更新2017.12.16
●いづれの御時(おおんとき)にか、女御(にょうご)、更衣(こうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやんごとなき際(きわ)にはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり。
いずれの(帝の)御時にか、女御や更衣があまたお仕えになられていた中に、すごく高貴な身分ではありませんが、すぐれて時めいておられるお方がいました。
説明 「さぶらふ(侍ふ)」は、お控え申しあげる お仕え申しあげる の意ですが、長くなるので、お仕えする と訳すことにします。
「さぶらひ給ふ」なので、お仕えになられる となります。
その名詞形の「さぶらひ」は、御供の者のことですが、後に、武士を指すようになりました。
「はべり(侍り)」 という動詞も、同様の意味をもちますが、平安時代以降は、「さぶらふ」の方が、好んで使われるようになりました。
(あり、をり、はべり、いますがり(いまそがり)の4語は、ラ行変格活用といって、終止形が「り」で終わる珍しい動詞です)
(「いますがり」は、「います+が+あり」 が変化したもので、いらっしゃる という意味です)
「さぶらふ(侍ふ、候ふ)」は、その後、「さうらふ(候ふ)」となり、特に、手紙文の用語として候文を生みます。
現代には、「候う」は、すたれましたが、「はべる(侍る)」という言葉は、生き残っています。
説明 「やむごとなし」は、終ることがない、やむをえない ということで、そうするしかない という意味が本来ですが、
ほおっておけない、格別である、この上ない という意味や、高貴である という意味でも使われます
「時めく」は、時流に乗って栄える という意味ですが、女性の場合は、寵愛をうける という意味にもなります。
はじめより、我はと思ひあがり給へる御かたがた、めざましきものに貶(おと)しめ妬(そね)み給ふ。
(入内(じゅだい)の)初めから、我こそはと思いあがっておられる(女御の)御方々は、心外で気にくわない人だとおとしめたり、そねんだりなさいます。
説明 「めざまし」は、目が覚めるほど意外 という意味から、心外、気にくわない という意味と、すばらしい という意味の 両方で使われます。
同じ程、それより下臈(げろう)の更衣たちは、ましてやすからず。
同じ身分、それよりも低い身分の更衣達は、(女御たちに)まして心が安らぎません。
朝夕の宮仕(みやづかへ)につけても、人の心をうごかし、恨みを負ふ積りにやありけむ、いとあつしくなりゆき、物心細げに里がちなるを、
(桐壺の更衣は)朝夕の宮仕えにつけても、人の心を動揺させ、恨みを負うことが積もり積もったせいでしょうか、ひどく病弱になってゆき、なんとなく心細そうに、里帰り勝ちであるのを、
説明 「篤し」は、病気によって体が熱いことから、病気が重い、病気がち、病弱 の意味となります。
いよいよ飽かずあはれなるものにおぼほして、人の譏(そし)りをもえはばからせ給はず、世の例しにもなりぬべき御もてなしなり。
(帝は)いよいよ心残りでいとしい者にお思いになり、人のそしりをはばかることもおできにならず、世の語り草になってしまいそうなおもてなし(御寵愛ぶり)です。
上達部(かんだちめ)、上人(うえびと)なども、あいなく目をそばめつつ、
公卿や殿上人達も、わけもなく目をそらしながら、
「いとまばゆき、人の御覚えなり。もろこしにも、斯かる事の起りにこそ世も乱れあしかりけれ」と、
「とてもまばゆい[正視できない]ご寵愛ぶりだ。中国にも、こんな事が起こったからこそ世が乱れ、悪くなったのだ」と、
説明 人の御覚え は、人から思われて寵愛を受けている という解釈や、この人(更衣)へのご寵愛ぶり という解釈などがあります
やうやう天(あめ)の下にもあぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例(ためし)も引き出でつべうなりゆくに、
次第に、世間でもにがにがしく、人のもてあまし草になり、楊貴妃の例までも引き合いに出しそうになって行くので、
いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへの類なきをたのみにて交らひ給ふ。
(更衣は)とてもいたたまれないことが多いけれども、恐れ多い帝の御心づかいが類ないのを頼みにして、宮中付き合いをなされます。
●父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世の覚え花やかなる御かたがたにも劣らず何事の儀式をももてなし給ひけれど、取立ててはかばかしき御後見しなければ、事ある時は、なほよりどころなく心細げなり。
(更衣の)父の大納言は亡くなって、母の北の方は、旧家の人の由緒があるので、両親がうち揃って、さしあたり世間の覚えが華やかな他の御方々には見劣りせずに、どんな儀式をもおとりはからいなさるけれども、取り立ててはかばかしい後ろたてはないので、事ある時にはやはり頼るところがなく、心細げです。
●前(さき)の世にも、御契りや深かりけむ、世になく清らなる、玉の男御子(おのこみこ)さへ生れ給ひぬ。
前世でも契りが深かったのでしょう、この世にない清らかな、玉の男の子さえお生まれになりました。
いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎ参らせて御覽ずるに、珍らかなる、兒(ちご)の御かたちなり。
(帝は)まだかまだかと待ち遠しくお思いになり、急ぎ参上させてご覧になるに、類まれな若君のお姿です。
説明 「心もとながる(心許がる)」は、心許なく思う、待ち遠しく思う、じれったく思う の意味です。
一の御子は右大臣の女御の御腹にて、よせおもく、疑ひなき儲君(まうけのきみ)と世にもてかしづき聞ゆれど、
第一皇子は右大臣の(姫の)女御の御腹で、後見がしっかりしていて、疑いない皇太子であると世間も大切にお思い申しあげるけれども
この御匂ひには、並び給ふべくもあらざりければ、大方のやんごとなき御思ひにて、この君をば、私物(わたくしもの)におぼほしかしづき給ふ事限りなし。
この若君のお美しさには、お並びになりようもありませんでしたので、(帝は第一皇子を)一通り大切にお思いになるだけで、この若君を秘蔵っ子にお思い、お育てになること、この上もありません。
●母君、はじめより、おしなべての上宮仕(うへみやづかえ)し給ふべき際にはあらざりき。
母君の更衣は、初めから、ありきたりの上宮仕えをおなさりになるべき身分ではありませんでした。
覚えいとやんごとなく、上衆(じょうず)めかしけれど、わりなくまつはさせ給ふあまりに、さるべき御(み)あそびのをりをり、何事にも、故ある事のふしぶしには、まづまうのぼらせ給ふ。
世間の覚えは非常に格別で、貴人らしいのですが、(帝が)むやみにお傍に付きまとわさせになる余りに、しかるべき音楽のお遊びのおりおりや、何事につけても趣のある催し事のたびごとに、まず最初に、参上おさせになります。
ある時には大殿籠(おおとのごも)り過ぐして、やがてさぶらはせ給ひなど、あながちにお前去らずもてなさせ給ひし程に、おのづから軽(かろ)きかたにも見えしを、この御子うまれ給ひてのちは、いと心ことにおもほしおきてたれば、
(帝は)ある時には、お寝過ごしになって、そのまま、お傍にお仕えさせになるなど、無理やりに御前から去らずおもてなしをおさせになったりするうちに、自然と更衣が身分の軽い方にも見えたのを、この御子がお生まれになった後は、とても気を使って(母君のお扱いの)方針をお決めになったので、
説明 「思ひ掟つ」は、前もって方針を決める の意で、連用形 おもひおきて に、助動詞 たり が続いて、おもほしおきてたり となります。
坊にも、ようせずば、この御子の居給ふべきなめりと一の皇子の女御はおぼし疑へり。
東宮坊に、悪くすると、この御子がおつきになるはずなのであろうと、第一皇子の女御はお疑いになりました。
説明 「ようせずば」は、「よくせずば」の音便で、良くしないと、ひょっとしたらの意。「用せずば」ではありません。「ようこそ」と同じ音便です。
人よりさきに参り給ひて、やんごとなき御思ひなべてならず、御子たちなどもおはしませば、此の御方(おんかた)の御いさめをのみぞ、なほ煩はしく心苦しう思ひ聞えさせ給ひける。
(第一皇子の女御は)人より先に入内なさっていて、(帝の)大切なお方とのおぼしめしは並ではなく、御子達もいらっしゃるので、(帝は)この御方の御諫めだけを、なお煩わしく心苦しくお思い申し上げなさったのです。
●かしこき御蔭(みかげ)をば頼み聞えながら、おとしめ疵(きず)を求め給ふ人は多く、わが身はかよわく、ものはかなき有様にて、なかなかなる物思ひをぞし給ふ。
(更衣は)おそれおおい帝のご庇護をお頼み申し上げながらも、おとしめたり瑕疵をお探しになる人が多く、ご自身はかよわく、はかない有様なので、(ご寵愛が)かえってない方がましだというもの思いをなさいます。
説明 なかなかなり は、中途半端だ という意味から、かえってない方がましだ という意味でも使われます。
御局は桐壺なり。 (更衣の)お部屋は、桐壺です。
あまたの御かたがたを過ぎさせ給ひつつ、ひまなき御前渡(おんまへわたり)に、人の御心をつくし給ふも、げにことわりと見えたり。
(帝が)大勢の御方々の部屋の前をお通り過ぎになり、そのひっきりなしの御前渡りに、その方々がやきもきなさるのも、いかにももっともだと見えました。
説明 させ給う は、〜おさせになるという使役の意味と、お〜なさる という尊敬の意味で使われます。
教えさせ給う は、お教えになる、過ぎさせ給う は、お過ぎになる という意味になります
まうのぼり給ふにも、あまりうちしきる折々は、打橋(うちはし)、渡殿(わたどの)、ここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送迎(おんおくりむかへ)の人の衣(きぬ)の裾堪へがたう、まさなき事どもあり。
(更衣が)参上なさる時にも、あまりにたび重なる折々には、打橋や渡殿のあちこちの通り道に、けしからぬわざをして、御送迎の女官の着物の裾が、耐えがたく不都合な事などもあります。
又ある時は、えさらぬ馬道(めだう)の戸をさしこめ、こなたかなた心をあはせて、はしたなめ煩はせ給ふ時も多かり。
又ある時は、(通るのを)避けることのできない馬道の戸を差し込んで(両端の戸を閉めてとじこめて)、こちらとあちらの心をあわせて、(更衣を)困らせ煩わせになることも多くありました。
説明 避る は、避ける の意。端(はした)なむ は、困らせる の意。
事に触れて、数知らず苦しき事のみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覽じて、後涼殿にもとよりさぶらひ給ふ更衣の曹司(ぞうし)を、ほかに移させ給ひて、上局に賜はす。
事にふれて、数知らず苦しい事のみ増えるので、(更衣が)とてもひどく思い悩んでいるのを、(帝は)一層不憫におぼしめして、後涼殿にもとからお仕えしている更衣の局をほかに移させなさって、上局として更衣にお与えになります。
説明 上局は、御前に参上するときの控えの間で、常に住む局は下局と呼びます。
その恨み、ましてやらむかたなし。 (局をとられた更衣の)恨みは、なおさら晴らしようがない。
●この御子三つになり給ふ年、御袴着のこと、一の宮の奉りしに劣らず、内蔵寮(くらづかさ)、納殿(おさめどの)の物をつくして、いみじうせさせ給ふ。
この御子が三つにおなりになる年、御袴着のこと、一の宮がお召しになったのに劣らず、内蔵寮や納殿の財物をつくして、盛大に行わせになりました。
それにつけても世の譏りのみ多かれど、この御子の、およすげもておはする御かたち心ばへ、ありがたく珍らしきまで見え給ふを、えそねみあへ給はず、物の心知り給ふ人は、「かかる人も世にいでおはするものなりけり」と、あさましきまで目をおどろかし給ふ。
それにつけても、世間の誹りは多くあれども、この御子のだんだん成長してゆかれるお顔立ちやご気性が、世にもまれで珍しいまでにお見えになるのを、(どなたも)ねたみとおすことはおできにならず、ものの道理をわきまえておられる人は「こんな人もこの世に生まれてお出でになるものだなあ」と、あきれるほどに目をお見張りになります。
●その年の夏、御息所(みやすどころ)、はかなき心地に煩ひて、まかでなむとし給ふを、暇(いとま)さらに許させ給はず。
その年の夏、御息所(母君)は、ちょっとした病気をわずらって、(里へ)まかり出ようとなさるのを、(帝は)暇を決してお許しにならない。
年頃常のあつしさになり給へれば、御目なれて、「なほ暫し試みよ」とのみ宣はするに、日々におもり給ひて、ただ五六日(いつかむゆか)のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせ奉り給ふ。
この数年いつもの病弱でいらしたので、帝も見慣れて、「もうしばらく様子を見よ」とのみおっしゃっているうちに、日に日に重くなられて、ただ五日六日のうちに、ひどく弱くなったので、母君は泣く泣く申し上げて、まかりでさせ申し上げなさる。
かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をばとどめ奉りて、忍びてぞ出で給ふ。
こんな折りにも、とんでもない恥じを受けるかもと用心して、御子は宮中にお留め申して、ひっそりと退出なさる。
●限りあれば、さのみもえとどめさせ給はず、御覧じだに送らぬ覚束なさを、いふ方なくおぼさる。
限度があるので、それほどまでもお留めになることもできず、お見送りさえままならぬ心もとなさを、言いようもなくおぼしめす。
説明 限りあれば とは、引き留めたくても宮中の作法によって限度がある というような意味だと思います。
限り を、決まり と訳す辞書もありますが、決まりによって限度がある というのが、もとの意味だと思います。
いと匂ひやかに美しげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれと物を思ひしみながら、言(こと)にいでても聞えやらず、あるかなきかに消え入りつつ物し給ふを御覧ずるに、来(き)しかた行末思召されず、よろづの事を泣く泣く契り宣はすれど、御いらへもえ聞え給はず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色にて臥したれば、いかさまにかとおぼしめし惑はる。
とてもつややかで美しげのある人が、ひどく顔がやせて、(帝とお別れすることを)とても悲しいとしみじみ思いながら、言葉に出しても残りなく申し上げることなく、生きているのか死んでいるのかわからない状態で意識を失いかけていらっしゃるのをご覧になると、帝はあとさきのご分別をおなくしになり、よろずのことを泣く泣くお約束あそばすけれども、更衣は御返事を申し上げることもおできにならず、まなざしなどもとてもだるそうで、ひどくなよなよと、自分が誰かわからない様子で横になっているので、帝はどうしたらよかろうかと思い惑われておいでです。
説明 にほひやかなり は、つやつやと色づいて美しい という意。
聞こえ遣る は、言い遣る の謙譲語で、残りなく申し上げる、十分申し尽くす という意味になります。
ものし給う は、補助動詞「あり」の尊敬表現で、いらっしゃる、おありになる の意味になります。
輦車(てぐるま)の宣旨など宣はせても、又入らせたまひては、更にえ許させ給はず。
輦車の宣旨などをお出しになっても、(更衣のお部屋に)またお入りになっては、(更衣の退出を)全然お許しになることができない。
説明 輦車の宣旨とは、宮中の出入りに使う特別の車の使用を許可する天皇のお言葉を伝えること。
「宣はす」は、おっしゃるの最高尊敬表現。「宣う」に、尊敬の助動詞「す」が付いてできた動詞です。
「限りあらむ道にも、おくれ先立たじと契らせ給ひけるを、さりとも、打捨ててはえ行きやらじ」
「死への旅路にも、遅れたり先だったりはすまいとお契りになったのに、いくらなんでも、私を打ち捨てて行ってしまうことはないでしょうね」
説明 限りある道 とは、死への旅路 の意。
と宣はするを、女もいといみじと見奉りて、 とおっしゃるのを、更衣もとても悲しいと思い申し上げて
「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
「これが最後とお別れする道の悲しさに、生きていたいのはこの命でしたのに」
説明 いかまほし の いか は、道を行くの 行く と 命を生く の 生く を掛けています。まほし は、〜たい で、まほしき はその連体形です。
いと斯く思う給へましかば」と、息も絶えつつ、聞えまほしげなる事はありげなれど、
本当にこのようになると存じあげていましたなら」と、息も絶え絶えに、申しあげたそうな事がおありのようですが、
説明 思う給へ は、思ひ給へ のウ音便です。笑ひて が、笑うて となるのが典型です。
この 給ふ は、尊敬ではなく、謙譲の用法で、思ひ給う は、思わせていただく 存じ上げる という意味になります。
尊敬の給ふ は、四段活用であるのに対し、謙譲の給ふ は、下二段活用で、終止形、命令形では使いません。
また謙譲の給ふ は、会話分や手紙文に用いられ、中古末期からは、使用が衰えてきます。
Aましかば、Bまし は、もしAだったら、Bだったろうに という反実希望の用法です。
いと苦しげにたゆげなれば、斯くながら、ともかくもならむを御覧じ果てむと思召すに、
とても苦しそうでだるそうなので、(帝は)このままで、とにもかくにもどうなるかを見届けたいとおぼしめすが、
「今日始むべき祈りども、さるべき人々承れる、今宵より」 と聞え急がせば、わりなくおもほしながら、まかでさせ給ひつ。
「今日から始めるはずの数々の祈祷を、しかるべき方々が承っています。今宵から」と(更衣のお里から)おせきたて申すので、(帝は)たまらなくお思いになりながら、退出おさせになられました。
●御胸のみつとふたがりて、つゆまどろまれず明かしかねさせ給ふ。
(帝は)御胸こそずっといっぱいになって、すこしもまどろまれず、夜を明かしかねていらっしゃいます。
御使のゆきかふ程もなきに、なほいぶせさを限りなく宣はせつるを、「夜中打過ぐる程になむ絶え果て給ひぬる」とて泣きさわげば、御使も、いとあへなくて帰り参りぬ。
お使いが行って帰って来る時間でもないのに、なお一層気がふさぐお気持ちをとめどなくおっしゃっていましたが、(里では)「夜中を過ぎる頃に、絶え果てになられました」と泣き騒ぐので、お使いも、とてもがっかりして帰ってまいりました。
聞召す御心惑ひ、何事も思召しわかれず、籠りおはします。
(この知らせを)お聞きになる(帝の)御心は惑い、何事も分別できず、籠っておられます。
御子は斯くてもいと御覧ぜまほしけれど、かかる程にさぶらひ給ふ例(れい)なきことなれば、まかで給ひなむとす。
御子はこうなっても(手元に置いて)ご覧になりたいけれど、このような時に宮中にお侍りになられるは前例のないことなので、(御子は)退出させていただこうとします。
何事かあらむともおもほしたらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、うへも御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見奉り給へるを、よろしき事だに、斯かる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれにいふかひなし。
(御子は)何事があるのだろうかともお思いではなく、お仕えの人々が泣き惑い、帝も御涙がとめどなく流れていらっしゃるのを、不思議そうにご覧になるのですが、普通の場合においてさえ、このような別れが悲しくないことはないものなのに、一層悲しくて言い表しようがない。
説明 おもほしたらず は、動詞おもほす に継続・完了の助動詞 たり と、否定の ず からなります。
最後の「ましてあわれにいふかひなし」の訳し方は、まだ、よくわかりません。
●限りあれば、例(れい)の作法にをさめ奉るを、母北の方、「おなじ煙にものぼりなむ」と泣きこがれ給ひて、御送りの女房の車に慕ひ乗り給ひて、愛宕(おたぎ)といふ所に、いといかめしうその作法したるに、おはしつきたる心地、いかばかりかはありけむ。
限度があるので、通例の作法(火葬です)で葬り申し上げになりますが、母の北の方は「同じ煙に昇ってしまおう」と泣き焦がれになって、野辺送りの女房の車に慕い乗りなさって、愛宕という所で、おごそかに葬式を行っているところに、ご到着なさったときのお気持ちは、どんなでありましたでしょう。
説明 限りあれば
を、決まりがあるので、と訳している本もありますが、このまま亡骸を置いておくわけにもいかないという意味で
限り
という言葉を使っているのだと思います。
昇りなむ の なむ は、完了の助動詞「ぬ」の未然形
に、推量の助動詞「む」 が続いて、きっと〜してしまうだろう、
きっと〜しよう という意味になります。
慕い乗り とは、当時の葬式には母親は参列せず車は用意されていないのを、女房の車に乗って参列したという意味です。
「むなしき御骸(おんから)を見る見る、なほおはするものと思ふがいとかひなければ、灰になり給はむを見奉りて、今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしう宣ひつれど、車より落ちぬべうまどひ給へば、「さは思ひつかし」と、人々もてわづらひ聞ゆ。
(母君は)「むなしい御亡骸を目の前に見て、なおも生きておられると思うのが本当に甲斐ないので、灰におなりになるのをお見届けもうして、今こそ亡き人とひたむきに思いなりましょう」と、けなげにおっしゃっていましたが、車から落ちてしまいそうに取り乱されるので、「そうだとは思っていましたよ」と、人々は扱いかね申し上げる。
うちより御使あり。 内裏から御使いがあります。
三位(みつ)の位贈り給ふよし勅使来てその宣命読むなむ悲しきことなりける。
三位の位をお贈りになる旨の勅使が来て、その宣命を読み上げることは、悲しいことでありました。
女御とだにいはせずなりぬるが飽かず口惜しうおぼさるれば、いまひときざみの位をだにと、贈らせ給ふなりけり。
(生前)女御とさえ言わせずに終わってしまったことが心のこりで口惜しくおぼしめされたので、いま一段上の位だけでもとお贈りになったのです。
これにつけても、憎み給ふ人々多かり。 これにつけても、(故人を)お恨みになる人々は沢山います。
説明 多かり は、形容詞 多し の補助活用 おほから、おほかり、〇、おほかる、〇、おほかれ、の連用形、終止形。
もの思ひ知り給ふは、さまかたちなどのめでたかりしこと、心ばせのなだらかに目やすく、憎みがたかりし事など、今ぞおぼしいづる。
ものごとをわきまえていらっしゃる方々は、更衣の姿形がすばらかったこと、気立てが穏やかで感じがよく、憎めなかった事などを、今こそ思い出されます。
さまあしき御もてなし故こそ、すげなうそねみ給ひしか、人がらのあはれに、なさけありし御心(みこゝろ)を、うへの女房なども、恋ひしのびあへり。
(帝の)見苦しいおもてなしの故にこそ、冷たくお妬みになったのでしょうか、人柄がゆかしく情けの深かった更衣の御心を、上宮仕えの女房達も、恋しく偲び合いました。
「なくてぞ」とは、斯かる折にやと見えたり。 「なくてぞ」という歌は、このような時に歌われたのかと見えました。
説明 平安時代の「源氏物語釈」によると、「ある時はありのすさびににくかりき なくてぞ人の恋しかりける」という古歌がありました。
●はかなく日頃すぎて、のちのわざなどにも、こまかにとぶらはせ給ふ。
むなしく日数が過ぎて、帝は後々の法事などにも、細かくお弔いなさいます。
程ふるままに、せむかたなう悲しうおぼさるるに、御かたがたの御宿直(とのい)なども絶えてし給はず、ただ涙にひぢて明し暮させ給へば、見奉る人さへ露けき秋なり。
(帝は)時間がたつにつれ、どうしようもなく悲しくおぼしめされるので、女御更衣の方々の宿直なども絶えてなさらず、ただ涙に濡れて明け暮らしなさるので、(帝のご様子を)見もうしあげる人達にさえ、涙の露にしめる秋です。
「亡きあとまで人の胸あくまじかりける人の御覚えかな」とぞ弘徽殿(こきでん)などにはなほゆるしなう宣ひける。
「亡くなった後まで胸の晴れそうもないご寵愛だこと」と、弘徽殿の女御などはなおも容赦なくおっしゃるのでした。
一の宮を見奉らせ給ふにも、若宮の御恋しさのみおもほしいでつつ、親しき女房、御乳母(めのと)などを遣はしつつ、有様を聞召(きこしめ)す。
(帝は)一の宮をご覧になるにつけても、若宮の恋しさのみ思い出しつつ、親しい女房や御乳母などを里にお遣わしになり、ご様子をお聞きになります。
●野分(のわき)だちて俄に膚寒き夕暮のほど、常よりもおぼしいづること多くて、靱負(ゆげひ)の命婦(みやうぶ)といふを遣はす。
野分が吹いてにわかに肌寒い夕暮れの頃、(帝は)いつもより思い出すことが多くて、靱負の命婦という女房を里にお遣わしになります。
夕月夜(ゆうづくよ)のをかしき程にいだし立てさせ給うて、やがて眺めおはします。
夕月の夜の趣深い頃に命婦を出立おさせになって、そのまま眺めていらっしゃいます。
かうやうの折は、御遊びなどせさせ給ひしに、心ことなる物の音(ね)をかき鳴らし、はかなく聞えいづる言の葉も、人よりは殊なりしけはひかたちの、面影につと添ひておぼさるるも、闇の現(うつつ)にはなほ劣りけり。
このような折りには、管弦の遊びなどをなさいましたが、(更衣が)
趣が格別な琴の音をかき鳴らし、弱々しく申し上げる言葉も、他の人よりも際立っているけはいや姿が面影に浮かんで、じっと身に寄り添っているようにお感じになるも、闇のうつつには、やはり劣りました。
説明 心ことなり は、心異なり ではなく 心殊なり で、趣や心配りが格別な という意味です。
闇の現 は、古今集の「ぬばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり」の引用です。
歌は、恋人の姿を、暗闇で見たのでは、はっきりした夢を見たのといくらも変わりはしない という意味です。
命婦かしこにまかでつきて、門(かど)引き入るるより、けはひあはれなり。
命婦が彼の地に退出到着して、門を入ると、しみじみした趣が漂っている。
やもめずみなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、目やすき程にて過ぐし給ひつるを、闇にくれて臥し沈み給へる程に、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎(やへむぐら)にもさはらずさし入りたる。
やもめ暮らしですが、人ひとりのご養育に、あれこれと飾り付けて、見苦しくない程にしてお過ごしになっていたのを、闇にくれて臥し沈んでおられる間に、庭の草も高くなり、野分が吹いてひどく荒れた感じがして、月影だけが八重葎にもさえぎられずに差し込んでいます。
説明 闇にくれて臥す は、藤原兼輔の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」によります。
八重葎は、おい茂った雑草。葎は、かなむぐら、やまむぐら等つる草の総称。
●南おもてにおろして、母君もとみにえ物も宣はず。 命婦を車から南おもてに下ろして、母君もすぐには何もおっしゃいません。
説明 南面は、南面する表座敷。
「今までとまり侍るがいと憂きを、かかる御使の、蓬生(よもぎう)の露分け入り給ふにつけても、恥かしうなむ」とて、げにえ堪ふまじく泣い給ふ。
「今まで生きながらえていますのがとてもつらいのに、このような御使いが蓬の茂った庭の露を分け入りなさるにつけても、気づまりでございます」と、本当に耐え難くお泣きになります。
「『参りては、いとど心苦しう心肝(こころぎも)も尽くるやうになむ』と典侍(ないしのすけ)の奏し給ひしを、もの思ひ給へ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたう侍りけれ」とて、ややためらひて、仰言(おほせごと)伝へ聞ゆ。
「『参りますと、とても心苦しく心も肝も尽きてしまいそうです』と典侍が奏上しておられましたが、(私のような)ものの情けを知りませぬ者の心持にも、本当に耐え難くございます」と言って、命婦は少し心を落ち着けて、帝のお言葉をお伝え申し上げます。
「『暫しは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひしづまるにしも、さむべき方なく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも問ひ合すべき人だになきを、忍びては参り給ひなむや。
「『しばしは夢なのかとのみ思いまどわないではいられなかったが、ようやく思いが静まってくるとかえって、(夢ではないので)覚めるはずもなく耐え難いのは、どうしたらいいのか問い合わすべき人もいないので、忍びで宮中においでなさいませんか。
若宮の、いと覚束なく露けきなかに過ぐし給ふも心苦しうおぼさるるを、疾く参り給へ』など、はかばかしうも宣はせやらず、むせ返らせ給ひつつ、かつは人も心弱く見奉るらむと、おぼしつつまぬにしもあらぬ御気色の心苦しさに、承りも果てぬやうにてなむまかで侍りぬる」とて、御文(おんふみ)たてまつる。
若君が、ひどく気がかりな様子で露でしめっぽい中にお過ごしなさるのは気の毒に思われるので、すぐに参内なされよ』など、(帝は)はきはきとはおっしゃらず、涙にむせ返りになられて、かつ一方では、人も自分が心が弱いと見申し上げるだろうと、気兼ねなさらぬでもないご様子がおいたわしくて、(お言葉を)終わりまで承りきらぬような有様で、退出いたしました」と言って、帝のお手紙を(母君に)さしあげる。
●「目も見え侍らぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて見給ふ。
(母君)
「(悲しみに)目も見えませんが、このように畏れ多い御言葉を光といたしまして」と言って、ご覧になる。
「ほど経ば、すこしうち紛るる事もやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきは、わりなきわざになむ。
「時間が経てば、少しはうち紛れる事もあるかと、待ち過ごす月日に伴って、本当に耐え難いのは、どうしようもないことです。
説明 動詞 経 は、下二段活用(へ・へ・ふ・ふる・ふれ・へよ)です。
「わりなし」は、道理や分別がない という意味から、困惑して耐え難い、なすすべがない という意味でも使われます。
「わりなきわざになむ」の後に、侍る が省略されています。
いはけなき人もいかにと思ひやりつつ、もろともにはぐくまぬ覚束なさを、今はなほ昔の形見になずらへてものし給へ」など、こまやかに書かせ給へり。
あどけない宮はいかにと思いやりつつ、一緒に養育しない気がかりを。今はやはり昔の形見になぞらえて、なさい給え」など、細やかにお書きでした。
説明 「いはけなし」は、幼くて頼りない様子を表し、「いとけなし」は、単に年少である ことを表します。
「物す」は、人の動作や存在を婉曲に表現する言葉で、ある、行く、生まれる、(何かを)する、という意味になりますが、
ここでは、参内する という意味て゛使われていると解釈されています。
昔の形見になずらへて は、更衣の形見が、若君、帝、母君 の三通りの説があります。
宮城野の露吹き結ぶ風の音(おと)に小萩がもとを思ひこそやれ
宮城野の露を吹き結ぶ風の音に
小萩のことを思いやっている
説明 宮城野は、仙台の東方の萩の名所ですが、宮という字を含んでいて、宮中をさしています。
とあれど、え見給ひ果てず。 とありますが、(母君は涙の為に)最後まで見ることができません。
「命ながさの、いとつらう思う給へ知らるるに、松の思はむ事だに恥かしう思ひ給へ侍れば、百敷(もゝしき)にゆきかひ侍らむ事は、ましていと憚り多くなむ。
(母君)「命が長いことが、とてもつらく思い知らされますが、松が思う事すら恥ずかしいと思いますので、宮中に出入り致します事は、なおさら畏れ多いことです。
説明 古歌「いかでなほありと知らせじ高砂の松の思はむこともはづかし」
なんとか私が生きていることは知らせまい、高砂の松が(私がまだ生きていたのかと)思うのも恥ずかしい
かしこき仰言をたびたび承りながら、みづからは、えなむ思ひ給へ立つまじき。
畏れ多い御言葉をたびたび承りながら、自分からは、(参内を)思い立つなどできそうもありません。
説明 最後の「まじき」は、「まじ」+過去の「き」 ではなく、「まじ}の連体形「まじき」です。連体止め もしくは、「まじき」の後に「かな」が省略されている感じです。
若宮はいかにおもほし知るにか、参り給はむ事をのみなむおぼし急ぐめれば、ことわりに悲しう見奉り侍るなど、うちうちに思ひ給ふるさまを奏し給へ。
若宮はどう思い分かっていらっしゃるのか、参内なさることをのみ思い急がれているようですが、ごもっともだと悲しくお見申し上げますなどと、内々に考えさせていただいている様子を帝にご奏上ください。
ゆゆしき身に侍れば、斯くておはしますも、いまいましうかたじけなく」など宣ふ。
私は不吉な身でございますので、若君がここにこのようにいらっしゃるのも、不吉で畏れ多いことでございます」などとおっしゃる。
●宮は大殿籠りにけり。 若宮は寝てしまわれました。
「見奉りて、くはしく御有様も奏し侍らまほしきを、待ちおはしますらむを、夜ふけ侍りぬべし」とて、急ぐ。
(命婦)「見もうしあげて、詳しくご様子を奏上いたしたいところ、帝も待っていらっしゃるでしょうし、夜もふけてしまいますでしょう」と言って、帰参を急ぎます。
「くれまどふ心の闇も堪へがたき片端をだに、はるくばかりに聞えまほしう侍るを、わたくしにも、心のどかにまかで給へ。
(母君)「(我が子を失って途方に)くれて惑う心の闇に耐えがたい思いの一端だけでも、晴らすぐらいに申し上げとうございますので、私的にもごゆるりとお出ましください。
年頃、嬉しくおもだたしきついでにのみ立寄り給ひしものを、かかる御消息(せうそこ)にて見奉る、かへすがへすつれなき命にも侍るかな。
この数年、喜ばしく面目をほどこす時にのみお立ちより下さいましたのに、このようなお言伝(ことづて)のためにお目にかかりますのは、かえすがえすもつれない私の命でございます。
生れし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、今はとなるまで、ただ、
(亡き娘は)生まれた時から、志のあった人で、亡き大納言も、臨終になるときまで、ただ、
説明 思ふ心 は、このようにしたいと思う心、志
『この人の宮仕の本意(ほい)、必ず遂げさせ奉れ。
われ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、かへすがへすいさめおかれ侍りしかば、
(大納言)『この人の宮仕えの宿願は、必ず遂げさせておあげなさい、私が死んだからとて、不本意に志を棄てるな』と、返す返すも諫めおかれましたので、
はかばかしう後見(うしろみ)思ふ人なきまじらひは、なかなかなるべき事と思う給へながら、
しっかりと後ろから見守る人がいない宮仕えは、なかなかである(かえってしないほうがいい)と存じながら、
ただかの遺言をたがへじとばかりに、いだし立て侍りしを、身にあまるまでの御志(みこゝろざし)のよろづに忝(かたじけな)きに、
ただあの遺言をたがえまいとばかりに、宮仕えに出させていただきましたが、身に余るご寵愛の余りの有難さに、
人げなき恥を隱しつつまじらひ給ふめりつるを、人のそねみ深くつもり、安からぬこと多くなり添ひ侍るに、
人並に扱われない恥じを隠しながらお付き合いされていたようですが、人の嫉みが深く積もり、心が安からぬことが多くなってまいり、
横さまなるやうにて、遂にかくなり侍りぬれば、却りてはつらくなむ畏き御心ざしを思ひ給へ侍る。
尋常でない有様で、ついにこのようになってしまいましたので、却って恨めしいと帝のご寵愛をお思いいたすのです。
これもわりなき心の闇に」などいひもやらず、むせかへり給ふほどに夜も更けぬ。
これも筋道の通らない親心の闇で」 などと言いも終わらず、涙にむせかえりなさるうちに、夜も更けました。
●「うへもしかなむ。 (命婦)「お上も、そのようにこそ。
『わが御心(みこゝろ)ながら、あながちに人目驚くばかりおぼされしも、長かるまじきなりけりと、今はつらかりける人の契りになむ。
(帝)『私の心ながら、強引に人目を驚かすくらいに思ったのも、長くなるはずはなかったのだと、今となっては辛かったあの人との契りなのだなあ。
説明 命婦は帝の言葉を伝えるときに、敬語を使っていますが、訳しにくいので、敬語は無視しています。
世にいささかも人の心を曲げたることはあらじと思ふを、たゞこの人ゆゑにて、あまたさるまじき人の恨みを負ひしはてはては、かう打捨てられて、心をさめむ方なきに、いとど人わろう、かたくなになりはつるも、前(さき)の世ゆかしうなむ』
この世にいささかも人の心を損ねたことはあるまいと思うが、ただこの人のために、あまたそんなことがあってはならない人から恨みを受けたはては、このように打ち捨てられて、心をおさめるすべもなく、ますますみっともなく、かたくなりなりはてたのも、前世を知りたいものだ』
と、うちかへしつつ、御しほたれがちにのみおはします」と、語りて尽きせず。
と、繰り繰り返して、涙にひたり勝ちでばかりおられます」と、語って話はつきない。
泣く泣く、「夜いたう更けぬれば、今宵過ぐさず御返り奏せむ」と急ぎ参る。
(命婦は)泣く泣く、「夜もすっかり更けてしまいましたので、今夜のうちにご返事を申し上げましょう」と急いで帰参する。
●月は入方(いりがた)の空清う澄みわたれるに、風いと涼しく吹きて、草叢の虫の声々催しがほなるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。
月が沈みかけの空が清く澄み渡っているのに、風がとても涼しく吹いて、草むらの虫の声々が人の涙を誘い顔であるのも、とても立ち去りがたい草のもとです。
鈴虫の声のかぎりをつくしても長き夜飽かずふる涙かな
(鈴虫のように
声の限り泣きつくしても 長い夜に飽かず流れる涙ですことよ)
えも乗りやらず。 命婦は、車に乗ることもできない。
「いとどしく虫のね繁き浅茅生(あさぢふ)に露おき添ふる雲の上人
(母君は)「しきりに虫の声がするこの草の繁るこの住まいに涙の露を置き添える雲の上の御方よ
かごとも聞えつべくなむ」といはせ給ふ。 お恨み言も申し上げたいほどです」 と(侍女に命婦へ)言わせなさる。
をかしき御贈物などあるべき折にもあらねば、ただかの御形見にとて、斯かる用もやと殘し給へりける御装束一領(ひとくだり)、御髮上(みぐしあげ)の調度めくもの添へ給ふ。
趣ある御贈り物などあるべき折りではないので、ただ更衣の御形見にということで、こんな入用の檻もあるかとお残しなさった御装束の一揃いと、御髪上の調度めいたものをお添えになる。
若き人々、悲しき事は更にもいはず、うちわたりを朝夕にならひて、いとさうざうしく、うへの御有様など思ひいで聞ゆれば、疾くまゐり給はむ事をそそのかし聞ゆれど、
(若宮付の)若い女房たちは、悲しいことは言うまでもありません、内裏渡りが日々の習いだったので、とても張り合いがなく、お上の御様子など思い出し申しあげて、若宮がすぐ参内なさることをお勧め申し上げますが、
かくいまいましき身の添ひ奉らむも、いと人聞き憂かるべし、また見奉らで暫しもあらむは、いとうしろめたう思ひ聞え給ひて、すがすがともえ参らせ奉り給はぬなりけり。
(更衣の母上は)こんな忌まわしい身が若君にお付き添い申すのも、ひどく人聞きが悪いでしょうし、また、(若君だけを参内させて)若君のお顔を見もうし上げないでしばしでもいるのは、それも非常に気がかりに思い申し上げますので、すんなりと若君を宮中に参らせ申し上げなされないのでした。
●命婦は、まだ大殿籠らせ給はざりけるを、あはれに見奉る。
命婦は、帝がまだお寝みあそばさなかったのかと、おいたわしく存じ上げます。
お前の壺前栽(つぼせんざい)の、いと面白きさかりなるを御覽ずるやうにて、忍びやかに、心にくきかぎりの女房四五人(よたりいつたり)さぶらはせ給ひて、御物語せさせ給ふなりけり。
帝はお前の壺前栽(中庭の植え込み)が、とても見事に真っ盛りであるのをご覧の様子で、ひそかに奥ゆかしいかぎりの女房を四五人はべらせになり、お話なさっていたのでした。
このごろ明暮(あけくれ)御覽ずる長恨歌の御絵、亭子(ていじ)院のかかせ給ひて、伊勢、貫之によませ給へる、
大和言の葉をも唐土(もろこし)の詩(うた)をも、ただその筋をぞまくらごとにせさせ給ふ。
この頃明けても暮れてもご覧になる長恨歌の御絵、亭子院(宇田上皇)がお描かせになって伊勢や貫之にお詠ませになったもの、和歌をも、漢詩をも、ただその筋を口癖になさっておられる。
いとこまやかに有様を問はせ給ふ。 帝は、とても細かく(更衣の里の)様子をお問いになる。
あはれなりつる事忍びやかに奏す。御返り御覽ずれば、
(命婦は)(お里が)あはれだった事をひそやかに奏上する。(帝は母君の)御返事をご覧になると、
説明 「あはれなり」を、しみじみと心打たれる などと訳すと、かったるいので、「あはれ」とそのままにすることにしました。
平安のあはれは、しみじみとした情緒や愛情を表しますが、その後、悲哀や同情を表すことが多くなってきます。
源氏物語は、「もののあはれ」の世界を語り、枕草子は、「をかし」の世界だと、対比されます。
「いともかしこきは、おきどころも侍らず。
かかる仰言につけても、かきくらす乱り心地になむ。
(母君)「とても畏れ多いお言葉に、身のおきどころもございません。このようなお言葉にも、心がかきくれ思い乱れる心地です。
荒き風防ぎし蔭の枯れしより小萩がうへぞ靜心なき」
(荒い風を陰となって防いだ木が枯れたので
小萩(若宮)のことで心が休まりません)」
などやうに乱りがはしきを、心をさめざりける程と、御覽じゆるすべし。
などというように取り乱しているのを、気持ちが乱れているときのことだからと、大目にご覧あそばすでしょう。
●いとかうしも見えじとおぼししづむれど、更にえ忍びあへさせ給はず、御覽じ始めし年月の事さへかき集め、よろづにおぼしつづけられて、時のまも覚束なかりしを、かくても月日は経にけりと、あさましうおぼしめさる。
(帝は)とてもこんなでは見られまいと、心をお静めになるけれども、更に忍びとおすことはおできにならず、更衣をご覧になり始めた歳月のことさえもかき集め、あれこれと思い続けなさって、(あの頃は更衣がいないと)つかの間もおぼつかなかったのに、こうして月日は経ったのだなあと、あきれてお思いになる。
説明 「かうしも」は、「かくしも」で、こんなでは の意。「見ゆ」には、見られるという受身の用法もあります。
「故大納言の遺言あやまたず、宮仕の本意(ほい)深く物したりしよろこびは、かひあるさまにとこそおもひわたりつれ。
(帝)「故大納言の遺言を違えず、宮仕えの志を深く貫いてくれたお礼には、その甲斐があるようにと思い続けてきた。
いふかひなしや」とうち宣はせて、いとあはれにおぼしやる。
(今となっては)言う甲斐はないなあ」 とおっしゃって、(母君の身の上を)いとあはれにお思いやりになる。
「かくても、おのづから、若宮など生(お)ひいで給はば、さるべきついでもありなむ。命ながくとこそ思ひ念ぜめ」など宣はす。
(帝)「こうあっても、自然と、若宮でもご成長なされば、しかるべき機会もあるであろう。命長くと祈念されよ」などとおっしゃる。
かの贈物御覽ぜさす。亡き人のすみか尋ねいでたりけむしるしの釵(かんざし)ならましかばとおもほすも、いとかひなし。
(命婦は)かの贈り物をご覧にいれる。(これが)亡き人の住処を探し出した証拠のかんざしならよかったのにと、帝はお思いになるが、とても甲斐のないことです。
尋ねゆく幻(まぼろし)もがな つてにても魂(たま)のありかをそこと知るべく
(亡き更衣の魂を)探しに行く幻術士がいてくれたらなあ
人づてにても魂の在処をそこと知ることが出来るように)
説明 「幻」は、玄宗皇帝が楊貴妃の魂をさぐらせたという幻術士のこと。
絵にかける楊貴妃のかたちは、いみじき絵師といへども、筆限りありければ、いと匂ひなし。
絵に描いた楊貴妃の姿は、すぐれた絵師といえども、筆の力には限りがあったので、全然色つやがない。
太液の芙蓉、未央の柳も、げに通ひたりしかたちを、からめいたるよそひは麗はしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしをおぼしいづるに、花鳥(はなとり)の色にも音(ね)にもよそふべき方ぞなき。
太液池の芙蓉(蓮の花)も、未央宮の柳も、本当に似通っていたお姿を、唐風の装束は端麗でこそあったでしょうが、(更衣が)懐かしくかわいかったことを思い出すと、花の色にも、鳥の声にも比べるべき方法がない。
説明 長恨歌に、太液池の芙蓉や未央宮の柳、芙蓉は顔の如く、柳は眉の如し とあります。
朝夕のことぐさに、羽をならべ、枝をかはさむと契らせ給ひしに、かなはざりける命の程ぞ、尽きせず恨めしき。
朝夕の話の種に、羽を並べ、枝を交わそうとお約束なさったのに、かなわなかった命のほどこそ、限りなく恨めしい。
●風の音、虫の音につけて、物のみ悲しうおぼさるるに、弘徽殿には、久しう上の御局(みつぼね)にもまうのぼり給はず、月の面白きに、夜更くるまで遊びをぞし給ふなる。
(帝は)風の音や虫の声につけても、もの悲しくお思いであるのに、弘徽殿の女御は、久しくお上の御局にも参上なさらずに、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをなさるようです。
説明 「給ふなる」の「なる」は、推定の助動詞「なり」の連体形で、係助詞ぞに対応する係り結びです。
推定の助動詞「なり」は、動詞の終止形について、ようだ、らしい、そうだ の意味になります。
いとすさまじう、ものしと聞こしめす。 (帝は)とてもすさまじく、不愉快とお聞きになる。
このごろの御気色(けしき)を見奉る上人(うへびと)、女房などは、傍痛(かたはらいた)しと聞きけり。
この頃の帝のご様子を拝見する殿上人や女房たちは、心苦しく聞きました。
いとおし立ち、かどかどしき所ものし給ふ御かたにて、事にもあらずおぼし消(け)ちてもてなし給ふなるべし。
(弘徽殿の女御は)とても気が強く、かどかどしい所がおありの御方で、何事もないように無視されて振舞っていらっしゃるのでしょう。
●月も入りぬ。 月も沈みました。
雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらむ淺茅生(あさぢふ)の宿
(帝)
(雲上の宮中でも涙にくもる秋の月だのに どうして澄んでいるでしょうか 浅茅生の宿は)
おぼしやりつつ、燈火(ともしび)をかかげつくして起きおはします。
帝は、思い遣りつつ、灯火をかき揚げつくして、起きておいでです。
右近の司の宿直奏(とのいもうし)の声聞ゆるは、丑(うし)になりぬるなるべし。
右近の司の宿直奏の声が聞こえるのは、丑の刻になってしまっているのでしょう。
説明 宿直奏は、宿直の人が巡視でその姓名を名のること。午後9時からは左近の司が、午前1時からは右近の司が担当。
丑の刻は、午前1時、およびその後の2時間。もくは午前2時。
人目をおぼして、夜の御殿(おとど)に入らせ給ひても、まどろませ給ふこと難し。
帝は、人目をお考えになって、御寝所にお入りになっても、まどろみになられることは難しい。
朝(あした)に起きさせ給ふとても、明くるも知らでとおぼしいづるにも、なほ朝政(あさまつりごと)は怠らせ給ひぬべかめり。
朝にお起きになりましても、明けるのも知らないでとお思い出しになるにつけても、やはり朝の政務はお怠りになるに違いないようです。
物なども聞し召めさず、朝餉(あさがれひ)の気色(けしき)ばかり触れさせ給ひて、大床子(だいしやうじ)の御膳(おもの)などは、いと遙かにおぼしめしたれば、陪膳(はいぜん)にさぶらふかぎりは、心苦しき御気色を、見奉りなげく。
帝はお食事も召し上がらず、朝餉もほんのちょっとだけお触れになって、大床子の御膳などは、全くはるかなものとお思いなので、給仕にお仕えするかぎりは、帝の心苦し気なご様子を見もうしあげて、嘆きます。
説明 「もの」は、明確に指示したくない場合に使い、特に、平安女流文学では、貴人の食事・衣服などを婉曲に表現しました。
谷崎訳では、「召し上がりものなどもおすすみにならず」と訳されています。
「聞こし召す」は、お聞きになる、お聞き入れになる、召しあがる、お治めになる など、色んな場合に使います。
朝餉は、朝餉の間で召し上がる簡略な食事で、かならずしも、朝とは限りません。
大床子の御膳は、清涼殿の昼の御座で召し上がる正式の食膳。
すべて近うさぶらふかぎりは、男女(をとこをんな)、「いとわりなきわざかな」と、いひあはせつつ歎く。
すべてお近くにお仕えする限りの人は、男も女も、「本当に是非のないことで」と、言い合いつつ嘆きます。
「さるべき契りこそはおはしましけめ、そこらの人の譏り恨みをも憚らせ給はず、この御事に触れたる事をば、道理をもうしなはせ給ひ、今はた斯く世のなかの事をもおぼし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」と、人の朝廷(みかど)のためしまで引きいで、ささめき歎きけり。
(人々は)「然るべき契りこそおありだったのでしょう、多くの人の誹り恨みをもおかまいにならず、この御事に関する事には、道理もお失いになり、亡くなられた今は、また、このように世の中の事を思い捨てられたようになっていくのは、全く不都合なことだ」と、よその国の帝の例まで引き出して、ささやき嘆きあいました。
●月日経て、若宮まゐり給ひぬ。 月日が経って、若宮が参上なさいました。
いとど、この世の物ならず、清らにおよすげ給へれば、いとどゆゆしうおぼしたり。
とても、この世のものでないように清らかにご成長なさったので、帝は、ひどくゆゆしく[不吉に]お思いになりました。
明くる年の春、坊さだまり給ふにも、いと引き越さまほしうおぼせど、御後見すべき人もなく、また世の承(う)け引くまじき事なれば、なかなか危くおぼし憚りて、色にもいださせ給はずなりぬるを、「さばかりおぼしたれど、限りこそありけれ」と世の人も聞え、女御も御心落ちゐ給ひぬ。
あくる年の春、東宮坊がお定まりになるときに、とても追い越させたくお思いですが、御後見すべき人もなく、また世間も承知しそうもない事なので、なかなか危ないとご懸念遊ばして、気色にも出さずいらっしゃったのを、「あれほどお思いでしたが、限りこそあったのですね」と世間の人も申し上げ、(弘徽殿の)女御も御安心なさいました。
かの御おば北の方、慰む方なく思し沈みて、おはすらむ所にだに尋ねゆかむと願ひ給ひししるしにや、遂に亡せ給ひぬれば、又これをかなしびおぼす事かぎりなし。
かの祖母の北の方は、心を慰む術もなく思い沈まれて、更衣のいらっしゃる所にでも尋ねて行きたいとお願いになった験でしょうか、遂にお亡くなりになったので、帝はまたこれを悲しくおぼしめすこと限りがありません。
御子六つになり給ふ年なれば、この度はおぼし知りて、恋ひ泣き給ふ。
御子は、六つにおなりになる年なので、今回はお分かりになって、恋慕ってお泣きになります。
年頃馴れむつび聞え給へるを、見奉りおくかなしびをなむ、かへすがへす宣ひける。
(祖母君も)長年(御子に)馴れ親しみ申し上げたのを、置いて行き申し上げる悲しみを、返す返すも仰せでした。
●今はうちにのみさぶらひ給ふ。 若宮は、今は、内裏にのみ控えていらっしゃいます。
七つになり給へば、ふみはじめなどせさせ給ひて、世に知らずさとう賢くおはすれば、あまりに怖ろしきまで御覧ず。
七つにおなりになるので、帝は読書初めの儀式をおさせになって、若君が世に知れずさとく賢くいらっしゃるので、余りに恐ろしいとまで思召す。
「今は誰も誰もえ憎み給はじ。
母君なくてだにらうたうし給へ」とて、弘徽殿などにも渡らせ給ふ御供には、やがて御簾(みす)のうちに入れ奉り給ふ。
(帝)「今は誰も誰も憎むことはできまい。せめて母君がいないだけでも、可愛がってあげなさい」と言って、弘徽殿などにもお渡りになる御供にお連れになり、そのまま御簾の中にもお入れになります。
いみじき武士(もものふ)、仇敵(あたかたき)なりとも、見てはうちゑまれぬべきさまのし給へれば、えさし放ち給はず。
恐ろしい武士や仇敵であっても、見ると微笑んでしまうような姿をしていらっしゃるので、(弘徽殿の女御は)放っておくことはおできになりません。
女御子たちふたところ此の御腹におはしませど、なずらひ給ふべきだにぞなかりける。
皇女たちお二方がこの御腹に生まれておいでになるが、肩を御並べになることすらおできではありませんでした。
御かたがたも隱れ給はず、今よりなまめかしう恥かしげにおはすれば、いとをかしう打解けぬ遊びぐさに誰も誰も思ひ聞え給へり。
(外の女御の)方々も、お顔をお隠しにならず、(若君は)今からすがすがしく、こちらが恥ずかしくなるほど立派でいらっしゃるので、とても面白く打ち解けた遊び相手に、どなたもどなたも思い申し上げなさいました。
説明 「恥ずかしげなり」は、恥ずかしそう という意味と、こちらが恥ずかしくなるくらい素晴らしい という意味でも使われます。
「うちとけぬ」は、うちとけない ではなく、打ち解けた の意。
わざとの御学問はさるものにて、こと笛のねにも雲居をひびかし、すべていひつづけば事事しう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。
本格的な御学問は言うに及ばず、琴や笛のの音には宮中を響かし、(若宮のいい点を)すべて言い続けると大袈裟で、見苦しくなってしまうような御様子でありました。
説明 わざと は、わざわざ という意味ですが、わざとの+名詞 の形のときは、本格的な+名詞 の意味となります。
●その頃高麗人(こまうど)のまゐれるがなかに、かしこき相人(さうにん)ありけるを聞召して、宮のうちに召さむことは宇多の御門の御誡(いまし)めあれば、いみじう忍びて、この御子を鴻臚舘につかはしたり。
その頃、高麗人が来朝したなかに、すぐれた人相見がいたことをお聞きになって、宮中にお召しになることは宇多天皇の御戒めがあるので、非常にお忍びで、この御子を鴻臚館にお遣わしになりました。
御(み)後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせてゐて奉る。
御後見に立ってお仕え奉る右大弁の子のように思わせて、お連れ申し上げる。
説明 ゐて奉る は、率(ゐ)る の連用形「ゐ」+接続助詞「て」+奉る で、連れて行きもうしあげる の意。
相人驚きて、あまたたびかたぶきあやしぶ。 人相見は驚いて、何度も首を傾けて不思議がる。
「国の親となりて、帝王の上(かみ)なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。
「国の親となって、帝王という最高の地位に昇るはずの相がおありの人で、そういう風に見ると、世が乱れ民が憂うことがあるかもしれない。
朝廷(おほやけ)の固(かため)となりて、天の下を輔(たす)くるかたにて見れば、またその相たがふべし」といふ。
朝廷の基礎となって、天下の政を輔佐する方として見れば、またその人相は違うようだ」と言う。
弁もいと才(ざえ)かしこき博士にて、いひかはしたる事どもなむいと興ありける。
右大弁もじつに学才すぐれた博士で、この人相見と言い交わした事々は、非常に興味深いものでした。
詩(ふみ)など作りかはして、今日明日帰り去りなむとするに、かくありがたき人に対面したるよろこび、却りては悲しかるべき心ばへを、面白く作りたるに、御子もいとあはれなる句を作り給へるを、限りなうめで奉りて、いみじき贈物どもを捧げ奉る。
詩等を作り交わして、今日明日にも帰り去ってしまおうとする時に、こんなに珍しい人に対面した喜び、かえって悲しいに違いない心持ちを、面白く詩に作ったのに対し、御子も非常にあはれな詩句をお作りになったのを、限りなく称賛申し上げて、すばらしい贈り物などを献上する。
朝廷(おほやけ)よりも多く物賜はす。 朝廷からも多くの品物を賜る。
●おのづから事ひろごりて、漏らさせ給はねど、春宮(とうぐう)の祖父(おほぢ)大臣(おとど)など、いかなる事にかとおぼし疑ひてなむありける。
自然とこの事は世間に広がって、帝はお漏らしにはならないけれど、皇太子の祖父大臣などは、いかなることかとお疑いになっておられました。
帝かしこき御心に、倭相(やまとさう)をおほせて、おぼし寄りにける筋なれば、今までこの君を親王(みこ)にもなさせ給はざりけるを、
帝は畏れ多い御心で、日本流の観相をお命じになり、すでにお考え及びであった筋なので、今まで、この君を親王になさらなかったのを、
相人は誠にかしこかりけりとおぼし合せて、無品(むぼん)親王の外戚(げさく)の寄せなきにては漂(ただよ)はさじ、わが御世もいと定めなきを、ただ人(うど)にて朝廷(おほやけ)の御後見をするなむ行く先も頼もしげなる事とおぼし定めて、いよいよ道々の才(ざえ)をならはさせ給ふ。
人相見は誠に賢明だったなあとお思い当たられ、無位の親王で外戚の後見なしにて漂わすまい、私の治世もいつまで続くか定めはないので、普通の人にて朝廷の輔佐をすることこそ、将来の行く先も安心なことだとお思い定められて、いよいよ諸道の学問をお習わせになる。
説明 御後見をするなむ の「なむ」は、推量ではなくて、係り助詞で、強調の役割です。
きはことに賢くて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王(みこ)となり給ひなば、世の疑ひ負ひぬべくものし給へば、宿曜(すくえう)のかしこき道の人にかんがへさせ給ふにも、同じさまに申せば、源氏になし奉るべくおぼしおきてたり。
(若宮は)際立って賢くて、普通の人にするには本当に惜しいけれど、親王におなりになられたならば、世間の疑いをお受けになるに違いなさそうでいらっしゃるので、宿曜道の達人に判断をおさせになっても、同じように申すので、源氏にしてさしあげようとお決めになりました。
説明 あたらし は、惜しい の意。新しい の意味でも使うことはありますが、本来「あらたし」だったものが、「あたらし」になったのです。
「おぼしおきてたり」は、動詞「おぼしおきつ」+助動詞「たり」 です。
●年月に添へて、御息所の御事をおぼし忘るる折なし。
年月がたつのに従って、帝は、御息所の御事をお忘れになる折はありません。
慰むやと、さるべき人々を参らせ給へど、なずらひにおぼさるるだにいと難き世かなと、うとましうのみよろづにおぼしなりぬるに、
慰むかと、然るべき人々を参上おさせになりますが、(亡き更衣に)なずらう(準じる)ことさえ難しいこの世かなと、疎ましくのみよろずにお思いでしたが、
先帝(せんだい)の四の宮の、御かたちすぐれ給へる聞え高くおはします、母后世になくかしづき聞え給ふを、うへにさぶらふ典侍(ないしのすけ)は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しうまゐり馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見奉り、今もほの見奉りて、
先帝の四宮が、御容姿がすぐれておいでと評判が高くいらして、母后がこの世にないほど大切に養育もうしあげているのを、帝にお仕えしている典侍は、先帝の御時にお仕えしていた人で、かの宮(母后の御殿)にも親しくお出入りし馴れていたので、四宮が幼くていらした時よりお見かけ申して、今もちらっと御見かけ申して、
「亡せ給ひにし御息所の御かたちに似給へる人を、三代(みよ)の宮仕につたはりぬるに、え見奉りつけぬに、后(きさい)の宮の姫君こそ、いとよう覚えて生ひいでさせ給へりけれ。
ありがたきかたちびとになむ」と奏しけるに、
「お亡くなりになった御息所の御容姿に似ておられる人を、三代の宮仕えを受け継いできた間に、お見かけ申すこともできませんでしたが、后の宮の姫君こそは、とてもよく似てご成長なさいましたことよ。めったにないご器量良しですこと」と申しあげたので、
誠にやと御心とまりて、懇に聞えさせ給ひけり。 帝は、本当だろうかと御心にとまって、(入内を)懇ろに申し上げなさいました。
●母后、「あな怖ろしや。春宮の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣の、あらはにはかなくもてなされし例(ためし)もゆゆしう」とおぼしつつみて、すがすがしうもおぼし立たざりける程に、后も亡せ給ひぬ。
母后は、「あら、怖ろしい。東宮の女御がとても意地悪くて、桐壺の更衣が露骨にはかなくもてなされた例がいまわしくて」と御気兼ねなさって、思い切りよくはご決心なさらなかったうちに、后もお亡くなりになりました。
心細きさまにておはしますに、「ただわが女御子たちと同じつらに思聞えむ」と、いと懇に聞えさせ給ふ。
(姫君が)心細い様子でいらっしゃいますが、(帝)「ただ私の女御子たちと同列にお扱い申し上げよう」と、とても懇ろに申し上げなさる。
さぶらふ人々、御後見たち、御兄(せうと)の兵部卿の親王(みこ)など、かく心細くておはしまさむよりは、内裏住(うちず)みせさせ給ひて御心も慰むべくおぼしなりて、まゐらせ奉り給へり。
お仕えする人々や、御後見の方たち、御兄君の兵部卿の親王など、このように心細くていらっしゃるよりは、内裏住みをなさって御心も慰むでしょうとお思いになって、宮中に参上させ申し上げなさいました。
藤壺と聞ゆ。げに御かたち有様、あやしきまでぞ覚え給へる。
藤壺と申し上げます。じつに御姿やご様子は、不思議なほど似ていらっしゃいます。
これは人の御際(おんきは)まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめ聞え給はねば、うけばりて飽かぬ事なし。
この方は、人の身分が(更衣よりも)勝っていて、人の評判もすばらしく、人も貶めもうしあげることはできませんので、気ままにふるまって、何も御不満なことはありません。
かれは人も許し聞えざりしに、御志あやにくなりしぞかし。
かの方(桐壺の更衣)は、誰もお許し申しあげなかったのに、帝の御志があいにくとなったのですよ。
おぼし紛るるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなくおぼし慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。
(帝は藤壺の女御によって)気が紛れることはないけれど、おのずと御心は移ろって、こよなくお気持ちが慰められるようになるのも、しみじみと感慨深いことでありました。
●源氏の君は、御あたり去り給はぬを、ましてしげく渡らせ給ふ御かたは、え恥ぢあへ給はず。
源氏の君は、帝の御辺りをお去りなさらないのに、まして帝が頻繁にお渡りなさる御方は、憚りとおすことはおできになりません。
いづれの御かたも、われ人に劣らむとおぼいたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うち大人び給へるに、いと若ううつくしげにて、せちに隱れ給へど、おのづから漏り見奉る。
いずれの御方も、自分が人に劣るだろうと思っている方はいらっしゃいまょうか、皆とりどりにとてもお美しいけれど、少しご年配でいらっしゃるのに、(藤壺は)
とても若くかわいらしそうで、ひたすらお隠れになられますが、自然と漏れ見もうしあげます。
母御息所は、影だに覚え給はぬを、「いとよう似給へり」と内侍のすけの聞えけるを、若き御心地に、いとあはれと思ひ聞え給ひて、常に参らまほしう、なづさひ見奉らばやと覚え給ふ。
(源氏の君は)母の御息所、面影すら覚えてはおられませんが、「とてもよく似ていらっしゃいます」と典侍が申し上げるのを、幼心に、いとあはれと思い申し上げなされて、常に参上したく、まつわりつきたいとお思いになります。
うへも限りなき御思ひどちにて、「な疎み給ひそ。あやしくよそへ聞えつべき心地なむする。なめしとおぼさでらうたうし給へ。つらつきまみなどは、いとよう似たりしゆゑ、通ひて見え給ふも似げなからずなむ」など聞えつけ給へれば、
帝も、(このお二人は)限りないお思い人同士なので、「よそよそしくなさいますな。不思議にも(あなたを若君の母上に)なぞらえ申し上げるべき心地こそします。無礼なとは思わずおかわいがりなさい。顔つきやめもとなどは、とてもよく似ているので、似通ってお見えになるのも不似合いではありませんよ」など、お言いつけ申し上げなさるので、
をさな心地にも、はかなき花紅葉につけても、志を見え奉り、こよなう心寄せ聞え給へれば、弘徽殿の女御また此の宮とも御なかそばそばしきゆゑ、打添へて、もとよりの憎さも立ちいでて、ものしとおぼしたり。
(源氏の君は)幼な心にも、ちょっとした春の花や秋の紅葉のおりにつけても、(お慕いしている)志をお店申し上げ、こよなく心をお寄せ申し上げていらっしゃるので、弘徽殿の女御は、またこの宮(藤壺)とも御仲が険しいので、加えて、昔からの憎さも立ち上がって、不愉快とおおもいになりました。
世にたぐひなしと見奉り給ひ名高うおはする宮の御かたちにも、なほ匂はしさは譬へむかたなくうつくしげなるを、世の人光る君と聞ゆ。
帝が世に類ないと見もうあげなさり、名高くいらっしゃる藤壺の宮の御姿に比べても、源氏の君のつややかな美しさは、譬えようもなく美しげなので、世の人は光る君と申し上げる。
説明 「世にたぐひなしと見奉り」に主語がないので、主語は、帝で、宮は藤壺とする解釈と、主語は弘徽殿の女御で、宮は東宮であるという解釈があります。ここでは、前者をとりました。
藤壺ならび給ひて、御覚えもとりどりなれば、輝く日の宮と聞ゆ。
藤壺も肩を御並べになって、帝の御覚えもそれぞれなので、輝く日の宮と申しあげる。
この君の御童姿(わらはすがた)、いと変へまうくおぼせど、十二にて御元服し給ふ。
帝は、源氏の君の御童姿を、とても変えたくなくお思いですが、十二歳で元服なさいます。
居立ちおぼしいとなみて、限りある事に事を添へさせ給ふ。
帝は居たり立ったり思いに精をお出しになって、限りある儀式の上に儀式をお加えになります。
一年(ひととせ)の春宮の御元服、南殿にてありし儀式のよそほしかりし御響きにおとさせ給はず、所々の饗(きやう)など、内蔵寮(くらづかさ)、穀倉院(ごくさうゐん)など、おほやけごとに仕うまつれる、疎そかなる事もぞと、取分き仰言ありて、清らを尽して仕うまつれり。
昨年の東宮の御元服、南殿で行われた儀式が立派で美しかったというご評判に劣らないようになさり、所々で賜る響膳など内蔵寮や穀倉院などが公事として取り扱うと疎かになることもあると、特別に仰せ言があって、華美を尽くしてお仕え奉りました。
おはします殿(でん)のひんがしの廂(ひさし)、ひんがしむきに倚子(いし)立てて、くわんざの御座(ござ)、引入(ひきいれ)のおとどの御座御前にあり。
帝のいらっしゃる殿(清涼殿)の東の廂の間に、東向きに椅子を立てて、冠者の御座、加冠の大臣の御座が午前にあります。
申の時にぞ源氏まゐり給ふ。角髪(みづら)ゆひ給へるつらつき顔の匂ひ、さま変へ給はむこと惜しげなり。
申の時に源氏が参上なさいます。角髪をお結いのお顔立ちやそのお顔のつややかな美しさは、姿を岡江になることが惜しいようです。
大蔵卿蔵人仕うまつる。 大蔵卿蔵人が、理髪役をお勤めもうしあげます。
いと清らなる御髮(おんぐし)をそぐ程、心苦しげなるを、うへは、御息所の見ましかばとおぼしいづるに、堪へがたきを、心づよく念じかへさせ給ふ。
とても清らかな御髪を剃る間、心苦し気なのを、帝は、御息所が見たらよかったのにとお思い出しなされて、堪えがたきを、気を強く取りなおしていらっしゃいます。
かうぶりし給ひて、御休みどころにまかで給ひて、御衣(おんぞ)奉りかへて、おりて拜し奉り給ふさまに、皆人涙おとし給ふ。
(源氏の君は)冠をなさって、御休息所に退出なさり、御装束をお着替えになって、(庭に)降りて拝舞し申し上げなさる様子に、人は皆涙をお落としになります。
御門はたましてえ忍びあへ給はず。 帝は、はたまた、ましてこらえ切れなさいません。
おぼしまぎるる折もありつる昔の事、取りかへし悲しくおぼさる。
お思い紛れるときもあった昔の事を、改めて悲しくお思いです。
いとかうきびはなる程は、あげおとりやと疑はしくおぼされつるを、あさましううつくしげさ添ひ給へり。
本当にこんなにも幼い年ごろでは、髪をあげて見劣りするのではと案じておられましたのに、あきれるほど美しさをお増しになりました。
説明 「きびはなり」は、幼く弱い という意味の形容動詞です。
「あげおとり」は、元服して髪を上げて結ったとき、顔かたちが以前より見劣りすること。
引入の大臣の皇女腹(みこばら)に、ただ一人かしづき給ふ御むすめ、春宮よりも御気色あるを、おぼし煩ふことありけるは、この君に奉らむの御心なりけり。
加冠の大臣の皇女腹で、ただ一人大切にお育てになられる御娘が、東宮からも御意向があるのに、お思い煩うことがあったのは、この君に差し上げたい御心だったのです。
説明 皇女腹は、皇女から生まれること、また、その子のこと。
うちにも御気色賜はらせ給ひければ、「さらばこの折の御後見なかめるを、添臥(そひぶし)にも」と催させ給ひければ、さおぼしたり。
内裏からも御意向を頂きなされたところ、「ではこの時のご後見がないようなので、副臥にも」と御催促がありましたので、大臣もそうお思いです。
説明 副臥とは、東宮や皇子などの元服の夜に、公卿の娘などが添い寝すること
さぶらひにまかで給ひて、人々大みきなどまゐる程、親王(みこ)たちの御座の末に源氏つき給へり。
源氏の君は、侍所に退出なさって、人々が祝い酒など召し上がっている時、親王たちの御座の末席に御着きになりました。
おとど気色ばみ給ふことあれど、物のつつましき程にて、ともかくもあへしらひ聞え給はず。
大臣は、(源氏に姫君のことを)ほのめかして申し上げなさるけれど、源氏は何かと恥ずかしい年ごろにて、なんとも受け答え申し上げなさらない。
お前より、内侍(ないし)、宣旨うけたまはり伝へて、おとど参り給ふべき召(めし)あれば、まゐり給ふ。
御前から内侍が宣旨を承り伝えて、大臣に参上なさるようにとのお召しがあるので、大臣が参上なさいます。
御禄の物、うへの命婦取りて賜ふ。白き大袿(おほうちぎ)に御衣(おんぞ)一領(ひとくだり)、例の事なり。
御下賜品を、命婦が取って賜う。白い大袿に御衣一領は、慣例の通りです。
御盃のついでに、 御盃のついでに、
いときなき初元結に長き世をちぎる心はむすびこめつや
(幼い初元結に、長い世を契る心を結び込めたであろうか)
説明 幼い君が初めて結んだ元結には、あなたの娘との末永い縁を契る気持ちを結びこめたであろうか、という意味です。
御心ばへありておどろかさせ給ふ。 御意向があって、御注意遊ばしたのです。
結びつる心も深き元結に濃きむらさきの色しあせずば
(深い心を結び込めた元結に、ゆかりの濃い紫色が褪せなければ)
説明 元結に娘との縁を深く結び込めました、男君の紫色の元結の色が褪せさえしなければ という意味です。
と奏して、長階(ながはし)よりおりて舞踏し給ふ。
と奏上して、長階から降りて舞踏なさります。
左馬寮(ひだりのつかさ)の御馬、蔵人所の鷹すゑて賜はり給ふ。
左馬寮の御馬と、蔵人所の鷹を据えて下されます。
御階(みはし)のもとに、親王達(みこたち)、上達部つらねて、禄ども品々に賜はり給ふ。
御階のもとに、親王達や上達部が並んで、それぞれの禄を身分に応じて賜はりなさいます。
その日のお前の折櫃物(をりびつもの)、籠物(こもの)など、右大弁なむ承りて仕うまつらせける。
その日の御前の折櫃物や籠物などは、後見役の右大弁が承って調えたのでした。
屯食(どんじき)、禄の唐櫃(からびつ)どもなど、所せきまで、春宮の御元服の折にもかずまされり。
屯食や禄の唐櫃などは、所狭きまで置かれ、東宮のご元服の時よりも数が勝りました。
なかなか限りもなくいかめしうなむ。 なかなか際限なく盛大であります。
●その夜、おとどの御里に源氏の君まかでさせ給ふ。 その夜、大臣の御里に源氏の君が退出なさいます。
作法世にめづらしきまでもてかしづき聞え給へり。 御婚礼の作法は世に珍しいまで丁重になさいます。
いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしと思ひ聞え給へり。
(源氏の君が)とても幼くていらっしゃるのを、怖ろしいまでにかわいらしいと思い申し上げなさります。
女君はすこし過ぐし給へるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥かしとおぼいたり。
女君はすこし年長でいらっしゃるのに、婿君がとても若くていらっしゃるので、不似合いで恥ずかしいとお思いになりました。
このおとどの御覚えいとやんごとなきに、母宮、内裏(うち)の一つ后腹になむおはしければ、いづかたにつけても物あざやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮の御おほぢにて遂に世の中を知り給ふべき右のおとどの御いきほひは、物にもあらずおされ給へり。
この大臣は帝の御覚えがとてもめでたく、母宮は、帝と同一の后腹でいらつしゃいましたので、どこからみても、華やかなのに、この君さえもこのように加わりましたので、東宮の御祖父にて遂に世の中を掌握なさるはずの右大臣の勢いは、もののかずでもなく気おされてしまわれました。
御子どもあまた腹々にものし給ふ。 (左大臣には)御子たちが大勢(幾人かの夫人の)腹々からもうけておられます。
宮の御腹は、蔵人の少將にていと若うをかしきを、右のおとどの、御なかはいとよからねど、え見過ぐし給はで、かしづき給ふ四の君にあはせ奉り、劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。
(左大臣の北の方の)宮のお子は、蔵人の少将でとても若く魅力的なのを、右大臣は、左大臣との仲は余りよくありませんが、見過ごす事ができず、大切にお育ての四の君にめあわせ申しあげ、(源氏の君に)劣らず大切になさるご様子は、好ましい(婿舅の)間柄ではあります。
●源氏の君は、うへの常に召しまつはせば、心やすく里住(さとずみ)もえし給はず。
源氏の君は、帝が常にお召し寄せになりますので、気楽に里住みもおできになりません。
心のうちには、ただ藤壺の御有様を、たぐひなしと思ひ聞えて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿(おほいどの)の君、いとをかしげに、かしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかず覚え給ひて、をさなき程の御ひとへごころにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。
心のうちには、ただ藤壺の御有様を、世にたぐいないものと思い申し上げて、そのようであろう人をこそ妻としよう、似る人もなくおわしますことよ、左大臣の姫君は、とても愛らしい感じに育てられた人とは見えるけれど、気にはいらないとお思いになり、幼い頃のいちずな思い込みにかかって、ひどく苦しいまでに悩んでおられます。
説明 動詞「見る」は、見る、会う、妻とする、の意で、「見ゆ」は、見える、見られる、(女性が)結婚する の意です。
見るの未然形は、み、見ゆの未然形は、みえ、なので、見め は、見るの未然形+むの已然形です。
心に付く は、気に入る、好ましく思う の意。
大人になり給ひてのちは、ありしやうに御簾の内にも入れ給はず。
源氏の君が大人におなりになって後は、帝は昔の様には御簾の中にはお入れになられません。
御遊びの折々、こと笛のねに聞きかよひ、ほのかなる御声を慰めにて、内裏住(うちずみ)のみ好ましうおぼえ給ふ。
管弦のお遊びの時々に、琴や笛の音を聞いて心が通い、藤壺のかすかなお声を慰めにして、源氏の君は内裏住まいのみ好ましくお思いです。
五六日(いつかむゆか)さぶらひ給ひて、大殿(おほいどの)に二三日(ふつかみか)など、絶え絶えにまかで給へど、只今はをさなき御程に、罪なくおぼして、いとなみかしづき聞え給ふ。
(源氏の君は)五六日内裏にお仕えして、左大臣家に二三日など、途切れ途切れに退出なさいますが、只今は幼いお年頃なので、(左大臣は)
何の罪もないこととお思いで、精を出してお世話申し上げなさいます。
御かたがたの人々、世のなかにおしなべたらぬをえりととのへすぐりて、さぶらはせ給ふ。
御双方の人々は、世の中に普通ではない人をえりすぐって、お仕えさせておられます。
御心につくべき御遊びをし、あふなあふなおぼしいたつく。
(源氏の君の)お気にいるような御遊び事をして、精一杯心を込めてお世話します。
説明 いたつく は、心をこめて世話をする の意。
うちには、もとの淑景舎(しげいさ)を御曹司にて、母みやすどころの御かたがたの人々、まかで散らずさぶらはせ給ふ。
内裏では、もとの淑景舎をお部屋にして、母御息所の女房の御方々が、おいとまして散らばらないようにお仕えさせなさる。
説明 淑景舎は、後宮の七殿五舎の一つで、庭に桐が植えてあり、桐壺と呼ばれる。
里の殿は、修理職(すりしき)内匠寮(たくみづかさ)に宣旨くだりて、二なう改め作らせ給ふ。
(御息所の)里の御殿は、修理職や内匠寮に宣旨が下りて、この上なく改築おさせになられます。
説明 ニなう は、二なく の音便で、二つとなく、この上なく の意。
もとの木立、山のたたずまひ面白き所なるを、池の心廣くしなして、めでたく作りののしる。
もとの木立や、築山のたたずまいが面白い所なのを、池の面をわざわざ広くして、おおげさに華美に作ります。
説明 しなす は、わざわざする の意。
説明 補助動詞 ののしる は、おおげさ〜する、大いに〜する の意。
かかる所に、思ふやうならむ人をすゑて住まばやとのみ、歎かしうおぼしわたる。
(源氏の君は)このような所に、理想であろう人を迎えて住みたいとのみ、嘆かわしく思い続けられます。
「光る君といふ名は、高麗人(こまうど)のめで聞えて、附け奉りける」とぞいひ伝へたるとなむ。
「光る君という名前は、高麗人がおほめ申しあげて、お付けたてまつった」と言い伝えていますとやら。
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