源氏物語 現代語訳 比較 |
2017.12.3 更新2017.12.6, 2017.12.8, 2017.12.10, 2019.9.6
源氏物語は、日本の誇る古典ですが、なにぶん昔の文章ですので、原典そのままでは読むことが難しく、
与謝野晶子以降のいくつかの現代語訳で読まれてきました。
以下に、比較のため、いくつかの翻訳の冒頭部分を抜き出してみます。
06 瀬戸内 源氏 更新2017.12.6
10 荻原規子 源氏物語 紫の結び 2013 更新2017.12.8
12 阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男 源氏物語 小学館 更新2017.12.10
14 角田光代 源氏物語 2017 更新2019.9.6
01 いづれの御時(おおんとき)にか、女御(にょうご)、更衣(こうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやんごとなき際(きわ)にはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり。
02 はじめより、我はと思ひあがり給へる御かたがた、めざましきものに貶(おと)しめ妬(そね)み給ふ。
03 同じ程、それより下臈(げろう)の更衣たちは、ましてやすからず。
04 朝夕の宮仕につけても、人の心をうごかし、恨みを負ふ積りにやありけむ、いとあつしくなりゆき、物心細げに里がちなるを、
05 いよいよ飽かずあはれなるものにおぼほして、人の譏(そし)りをもえはばからせ給はず、世の例しにもなりぬべき御もてなしなり。
06 上達部(かんだちめ)、上人(うえびと)なども、あいなく目をそばめつつ、
07 「いとまばゆき、人の御覚えなり。もろこしにも、斯かる事の起りにこそ世も乱れあしかりけれ」と、
08 やうやう天(あめ)の下にもあぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例(ためし)も引き出でつべうなりゆくに
09 いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへの類なきをたのみにて交らひ給ふ。
私は、なるべく原典の言葉を変えずに対訳していますが、訳だけ抜き出して、原典から、少し自由にすると、以下の様になります。
01 いずれの帝の御時にか、女御や更衣があまたお仕えなさっている中に、すごく高貴な身分というわけではないが、すぐれて時めいておられる更衣がいました。
02 入内の初めから、我はと思いあがっておられる女御の方々は、気にくわない人とおとしめたり、そねんだりなさいます。
03 同じ身分、それよりも低い身分の更衣達は、女御たちにまして心が安らぎません。
04 更衣は、朝夕の宮仕えにつけても、人の心を動揺させ、恨みを負うことが積もったせいでしょうか、ひどく病弱になってゆき、なんとなく心細そうに、里に帰り勝ちとなっているのを、
05 帝は、いよいよ心残りでいとしい者にお思いになり、人のそしりをはばかることもおできにならず、世の語り草になってしまいそうな御寵愛ぶりです。
06 公卿や殿上人達も、なんとなく目をそむけつつ、
07 「とてもまばゆくて正視できないご寵愛ぶりだ。中国にも、こんな事が起こったからこそ世が乱れ、世が悪かったのだ」と、
08 次第に、世間でもにがにがしく、人のもてあまし草になり、楊貴妃の例までも引き合いに出しそうになって行くので、
09 更衣はとてもいたたまれないことが多いけれども、恐れ多い帝の御心づかいが類ないのを頼みにして、宮中付き合いをなされます。
01 どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。
02 最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。
03 その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焔を燃やさないわけもなかった。
04 夜の御殿の宿直所から退る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜しがらせた恨みのせいもあったか からだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、
05 いよいよ帝はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。御成徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなこともなりかねない状態になった。
06 高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたという態度をとるほどの御寵愛ぶりであった。
07 唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと陰ではいわれる。
08 今やこの女性が一天下の煩いだとされるに至った。馬嵬の駅がいつ再現されるかもしれぬ。
09 その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。
01 どなたさまの御世であったか、女御や更衣が大勢お仕えなさつていた中に、たいして重い身分ではなくて、それでいてご寵愛のめだつ方があった。
02 入内当初から自分こそはと気負っておいでなさった女御がたは、目にあまる者として、蔑んだり妬んだりなさる。
03 同じ格、あるいは、さらに低い更衣たちは、女御がた以上に気が気でない。
04 朝晩のお勤めにつけても、皆に気をもませ、恨みを受ける事が、積り積もったせいだったろうか、ひどく病弱になってまい、どこか頼りなげに里さがりが続くのだが、
05 主上(おかみ)はますますたまらなく不憫な者とお思いで、誰の非難をもお構いあそばすお心もなく、のちのちの例にもなると思われるほどの、あそばされようである。
06 上達部や殿上人、その他の者までが横目でにらむありさま、実に見ていられないご寵愛ぶりである。
07 「大陸(あちら)でも、こんな原因でもって、国も乱れ、困ったこともあったのだ」と、
08 しだいに、国中でも、いやなことに、皆の苦労の種となって、楊貴妃の例まで引き合いに出しかねないほどになってゆくので、
09 たまらない思いがする事が多いけれども、恐れ多いご愛情の、またとないほどなのを、頼みにして、後宮生活を続けていられる。
01 いずれの帝の御代のことでしたか、女御や更衣が大勢伺候していたなかで、誰よりも時めいている方がありました。
女御に次ぐ更衣という地位にあって、桐壺と呼ばれる御殿に住んでおりました。
02 宮仕えの初めから我こそはと自負しておられた女御たちは、桐壺の更衣一人が帝から愛されていることを心外なことに思って、さげすみもし憎んだりもします。
03 また、この方と同じ身分の更衣たち、あるいはそれより低い地位の方々は、なおさら気が気でありません。
04 そんなことから、朝夕の宮仕えにつけても、方々の恨みを買ったりしましたのが積もり積もったせいでしょうか、 桐壺の更衣はすっかり病弱になってゆき、なんとなく心細そうな様子で里下がりが多くなりますので、
05 帝はいよいよたまらなくいとしいものに思し召して、人の非難をもお構いにならず、世の語り草にもなりそうな扱いをなさいます。
06-08 世間の人々も、唐土(もろこし)でもこういうことから世が乱れ、不吉な事件が起こったものですなどと取り沙汰をし、楊貴妃の例なども引き合いに出しかねないようになってゆきますので、
09 桐壺の更衣としてはひとしおお辛いことが多いのですけれども、ありがたい帝のお情けの、世に類もなく深いのを頼みに存じあげながら、宮仕えをしておられます。
01 いつの御代のことであったか、女御更衣たちが数多く御所にあがっていられる中に、さして高貴な身分というではなくて、帝の御寵愛を一身に鍾(あつ)めているひとがあった。
02 はじめから、われこそはと心驕りしていられる方々からは、身のほど知らぬ女よと爪はじきして妬まれるし、
03 そのひとと同じくらい、またそれより一段下った身分の更衣たちにすれば、まして気のもめることひとかたではない。
04 朝夕の宮仕えにつけても、始終そういう女人たちの胸をかき乱し、その度に恨みを負うことの積りつもったためでもあったろうか、だんだん病がちになってゆき、何となく心細そうにともすれば里下りの度重なるのを、
05 帝はやるせないまでに不憫なものと思し召され、いよいよといとしさの増さる御様子で、人の非難など一切気にかけようともなさらない。
まったく後の世の語り草にもなりそうな目に立つ御慈しみ方なのであった。
06 上達部や殿上人なども、次第にこの話になると不服らしく眼をそらすようになって、
07 「いや、まったく、眩しいような御寵愛ぶりですな」
「左様、唐土でも、こういう女の間違いから事が起こって、ついには天下の乱れとなるような、よろしからぬことがありました」
などと噂し合った。
08 世間でもだんだんこれを困ったことに取り沙汰して、玄宗皇帝が楊貴妃の色香に溺れて、国を傾けた例などまで引かれるようになってくると、
09 当の更衣の身にすれば、聞きづらく、居たたまれない思いのすることばかりであるが、唯一つ、帝の御愛情の世に類ないまで深く濃やかなのを頼みの綱として、表面はこの上なくみやびかに見える後宮の女人たちの間に立ち交じって宮仕えの日々を送っていた。
新潮文庫の円地文子訳源氏物語(1)の解説を瀬戸内さんが書いているのですが、円地源氏と瀬戸内源氏についての
興味深いお話が語られていますので、少し引用します。
(前略)
この円地文子さんの現代語訳では、私は思いがけず、誰よりも間近で、そのお仕事ぶりを見せていただく機会を得た。
国語学の泰斗・上田萬年氏の次女として生まれた円地文子さんは、当時、女流作家で一番の大御所であり、華々しい流行作家でもあった。
あるとき、私が住んでいた「目白台アパート」に円地さんが突然見えられ、
「これから大きな仕事をしなくてはならないから、生まれてはじめて仕事場を持とうと思う。ついてはここへ来るわ」
とおっしゃる。その仕事が「源氏物語」の現代語訳であった。
もちろん多くの古典の専門家がスタッフとして、円地さんの仕事を支えていた。
スタッフとの研究会は、原文の一行一行を訳して、お互いに感想を述べあうという、非常にまじめなものであったらしい。
しかし私はその研究会には属さず、身近な話し相手として選ばれ、円地さんの肉声を親しく聞かせていただいたのだった。
円地さんの仕事が一段落すると、私のところに「お茶しない?」と電話がある。いそいでお茶をもって円地さんの部屋へいく。
円地さんは本当のお嬢さんとして育ち、家事をしたことがないので、お茶も自分では淹れられないのである。
当時60代だった円地さんは、小柄で色が白い。その白い肌が『源氏』を訳して興奮して、ぼうっと桜色になり、髪も逆立っている。
無我夢中でお茶を召し上がって興奮を鎮めてから、「あのとき光源氏はこう思った」とか「女君はこう思った」とか、
さらに「光源氏がもし現実にここにいたら、私はぜひいちどお願いしたいわ」などと際どいことまでおっしゃったのだった。
円地さんが訳を始めてから、『円地文子訳源氏物語』の刊行がはじまるまで、ほぼ五年間、アパートの小さな部屋の小さな座り机に座り、わずかな参考書だけを傍において、訳に専念していた。
しかし、もともと体が丈夫でなく、しょっちゅう病院に入院なさり、そのたびに私に世話役が廻ってきた。
さらに途中で網膜剥離をわずらい、視力がひどく落ちてしまったのだが、それでも訳業をあきらめなかった。
原稿用紙の升目が見えなくなると、大きな枠を作ってそれを原稿用紙の上に置いて、その枠を升目の代わりにして手で触りながら文字を書き続けた。
その姿には執念がにじみ出ていた。
円地さんの訳のすばらしさは、なんといっても文章が艶麗で美しいことだ。
それゆえ『源氏物語』の原文の持つ甘美さと雅やかさがとてもよく伝えられている。
もちろん谷崎さんの訳にも、与謝野さんの訳にも、それぞれ素晴らしいところがある。
谷崎さんの訳は紫式部の原文にとても近いのだが、それゆえに文章が長く敬語も多いので、読みにくい。
与謝野さんの訳は文章がてきぱきして短いので、読みやすい。
しかしご自身が和歌の天才なので、『源氏』の和歌くらいは誰でもわかると思われてか、作中の和歌をいっさい訳されていない。
さて円地さんの『源氏物語』には、原文にはなかった文章がある。それはセックスにまつわる場面なのである。
不思議に思って「このところは原文にはないのではありませんか」と訊ねてみた。
すると「わたしは『源氏』をそのまま訳したのではありません。強姦してやりました」とおっしゃる。
原文の通りではなく、好きなように訳したというのだ。
「だから、わたしのほうがずっと読みでがあるのよ」とおっしゃった。
(中略)
34年前に私は出家した。当時、出家を知った円地さんはすぐに飛んできて、
「わたしがあなたのお母さんだったら、こんなことはさせません。今からでもやめてください」と、泣いて引き止めてくれた。
けれども私の心は決まっていた。
出家した瞬間、私は現世の迷いやしがらみから抜け出て、たとえようのない自由を感じた。
『源氏物語』でも、現世の苦悩や恋愛の愛執を断ち切るために、多くの女たちが出家している。
彼女たちの気持ちが理解でき、千年の距離が一気に縮まったように感じた。
この理解をきっかけに、私は自分の手で『源氏物語』を訳そうと決意したのだ。
積年の望みだった現代語訳をついに始めたのは、70歳を過ぎてからのことだ。
長い間準備を重ね、6年半かけて『瀬戸内寂聴訳 源氏物語』を完成させた。
そのときになって、以前に目白台のアパートで、円地さんから一対一で聞かされていた話が、非常に役に立った。
しかし訳するにあたっては、自分は円地さんと違って、なるべく原文に忠実に訳そうと努めた。
(後略)
01 いつの御代のことでしたか、女御や更衣が賑々しくお仕えしておりました帝の後宮に、それほど高貴な家柄の御出身ではないのに、帝に誰よりも愛されて、はなばなしく優遇されていらっしゃる更衣がありました。
02 はじめから、自分こそは君寵第一にとうぬぼれておられた女御たちは心外で腹立たしく、この更衣をたいそう軽蔑したり嫉妬したりしています。
03 まして更衣と同じほどの身分か、それより低い地位の更衣たちは、気持ちのおさまりようがありません。
04 更衣は宮仕えの明け暮れにも、そうした妃たちの心を掻き乱し、烈しい嫉妬の恨みを受けることが積もり積もったせいなのか、次第に病がちになり衰弱してゆくばかりで、何とはなく心細そうに、お里に下がって暮す日が多くなってきました。
05 帝はそんな更衣をいよいよいじらしく思われ、いとさは一途につのるばかりで、人々のそしりなど一切お心にもかけられません。
全く、世間に困った例として語り伝えられそうな、目を見張るばかりのお扱いをなさいます。
06 上達部や殿上人もあまりのことに見かねて目をそむけるという様子で、それはもう目もまばゆいばかりの御寵愛なのです。
07 「唐土でも、こういう後宮のことから天下が乱れ、禍々(まがまが)しい事件が起こったものだ」などと、
08 しだいに世間でも取り沙汰をはじめ、玄宗皇帝に寵愛されすぎたため、安禄山の大乱を引きおこした唐の楊貴妃の例なども、引き合いに出すありさまなので、
09 更衣は、居たたまれないほど辛いことが多くなってゆくのでした。ただ帝のもったいない愛情がこの上もなく深いことをひたすら頼みにして、宮仕えをつづけています。
01 さて、もう昔のこと、あれはどの帝の御世であったか・・・。
宮中には、女御とか更衣という位の妃がたも多かったなかに、とびぬけて高位の家柄の出というのでもなかった桐壺の更衣という人が、他を圧して帝のご寵愛を独占している、そういうことがあった。
02 女御ならば皇族または大臣家の姫、更衣ならば大納言の娘と決まったものゆえ、その並々ならぬ家柄の女御のかたがたからみれば、我をさしおいて桐壺の更衣ごときがご寵愛をほしいままにするなど、本来まことにけしからぬ話、とんでもない成り上がり者と、あしざまに罵らずにはおられない。
03 まして、同じくらいの家柄、もくはそれ以下の出自の更衣たちともなれば、心はいよいよ穏やかでない。
04 が、帝はそのようなことには頓着されないから、朝に夕に、この桐壺の更衣をお呼びになる。
そこで、お仕えするために参上すると、もうその度に、あたりの女たちの嫉妬心は燃え上がり、満々たる恨みが、その一身に積り積もったのであろうか、とうとう病がちになり、だんだんと心細い状態になって、とかくは実家のほうに下がって過ごしているということが多くなった。
05 すると、逢えない分、帝のご執心はまさり募って、どうしても逢いたいと、いっそうご寵愛が急になっていくので、周りの人々がどれほどこの更衣を誹謗しているのかということまでは斟酌されるゆとりもなかった。
まさに、一国の主が女色に迷って国の乱れを惹起したという歴史上の例話にもなるようなご惑乱ぶりであった。
06 上達部、殿上人など、帝を補佐する高官たちも、まったく困り果て、目引き袖引き、この惑乱ぶりはとても見ていられないと噂しあったほどの、ご執心ぶりであった。
07 聞けば、唐国にも、こういう色好みがもとで、ついには内乱沙汰にまでなったという良からぬことがあるというから、
08 この体たらくではまったく困ったものだと天下の人々はみなこのことを苦にして、かの楊貴妃の例なども引きあいに出されるようになっていった。
09 桐壺の更衣にとっては、いたたまれないような事が次々と起こって辛いばかりの日々であったが、それでも、帝のもったいないお心のまたとない愛しみ深さばかりを、せめての心のよりどころにして、かろうじて宮中の交わりをしていたのである。
01 どの天子さまの御代のことでごさりましたやろか。女御や更衣が大勢侍っといやしたなかに、そないに重い身分の方ではござりまへんで、それはそれは時めいといやすお方がござりました。
02 はじめから、ご自分こそはと、自惚れをもっといやすお方々は、出すぎた女(しと)やと、さげすんだり妬んだりしておいでどす。
03 同じぐらいやら、もっと下の更衣たちは、なおさら気が休まりまへん。
04 朝晩の宮仕えのたんびに、人さんの気ィばっかりもまして、恨みをうけたのがつもりつもったのどっしゃろか、病気がちで、心細そうに、お里にばっかり下らはりますので、
05 余計ふびんにお思い遊ばして、人々のそしりもお構いやさんと、このことが世の例しにもなってしまいそうなおもてなしでござります。
06 上達部や殿上人なとせも、どうしようものう、つい目をそむけて、
07 「ほんまに、みてられへんようなご寵愛ぶりやなあ、きっとこないなことがもとで乱が起こり、困ったことになったんやがなぁ」と、
08 時がたつにつれて世の中の人も苦々しう、なやみの種にするようになり、楊貴妃の例しも引かれたりして、
09 ほんまにはしたないことばっかり多かったのどすけど、有難いご寵愛の、この上ないのだけをたよりに、殿上のおつき合いをしといやすのでござります。
中井さんは、昭和50年の少し前頃に、現代日本語だと、主語を補ったりしないと意味の通じない源氏物語の文章が、
京ことばでは、そのままで大方の意味が通じることを発見し、源氏物語全巻の現代京ことば訳という大事業を完遂されました。
大修館書店から出版された現代京ことば訳源氏物語[新装版]五のあとがきの、中井さんの解説を少し引用します。
随分と長い道のりであった。 (中略)
京都の女の人は、わたしもその一人だが、話がどうかすると、すぐに主題からそれる。
Aを言うためにBに話しが及んだ時、Aの事柄がまだ終わっていないはずなのに、すうっとBに話が移ってしまう。
このAからBに移る具合の成り行きは『源氏物語』の表現によく似ているのである。
(中略)
たわいもない女のおしゃべりの仕方、といってしまえばそれまでだが、観念的に系統的に事柄を整理する方法とは違った、
感覚に忠実な事柄の把握ということがそこにはありそうである。
(中略)
当時は、語尾というか、言いおさめの言葉に苦労していた。平安朝の言葉は、助動詞が豊富である。
き、けり、といった、過去をあらわすもの、ぬ、つ、たり、り、の完了群、しかし、これらの言葉は、決して単純に、過去をあらわすものでも、完了でもない。
それだけでは整理し切れない感覚が、その言葉を通して伝えられてくる。
その意味では、平安朝の言葉は、まだ十分に分化していないとも言える。
しかし、日本人は、時代とともに活用形を単純化し、発音もひどくなまけて簡単にしてしまった。
ということは、それだけ感性が貧しくなったということではあるまいか。
む、らむ、めり、まし、べし、なり、ごとし・・・ この助動詞の豊富さには、京ことばと雖も、とても太刀打ち出来ない。
ござります、ます、どす、おす、やす、らしおす、やのどす、どっしゃろ・・・・。
いろいろ言いおさめの言葉をかえてみるが、仲々納得できない。
『源氏物語』のように、華やかに多岐に言いおさめられないで、ともすれば、単調な言いおさめになってしまう。
また、とりわけ『源氏物語』には、形容詞が豊富である。
日本語の形容詞は、平安朝を頂点にして、漸次、時代とともに減少の一路を辿っているといわれている。
それを促したのは、漢語のとり入れと、近くは外国語の採用であろう。
母国の言葉をどんどん減少させて、外国の言葉で補っていく。
確かに、外国語には、その言葉でないとあらわすことの出来ない、観念、考え方というものがついている。
外国語をとり入れて、新しい考え方や感覚を、言葉とともにどんどん自らのものにしていく。
これはたいへん素晴らしいことだろう。ところが一方で、自らの言葉を死滅させてしまう。
死滅させられたのは、勿論言葉だけではない。日本の心、日本の感覚も死滅していったのである。
(中略)
「京ことば訳」をしていて、その表現法が、一番『源氏物語』を訳すのに適切な、と思われたのは、その言い廻しである。
述語の部分を言い足し言い足しして、重ね重ねて、そうすることで主体が自ら浮かび上がるという『源氏物語』の表現は、現在でも京都には生きている。
(これもある年齢以上で、急速になくなっているが)。
そして、この京ことばの言い廻しの中に放り込まれる個々の単語は、実はそれほど苦労することもないのであった。
現代の京ことばに適切な訳語がなければ、『源氏物語』のそのままの言葉を京ことばの言い廻しの中に入れると、何となくこなれるのである。
共通語訳の表現の中だとそぐわず、意味もわかりにくい言葉が、京ことばの枠組の中だとふさわしく、その意味も自らわかり得るというのも、一つの発見であった。
(後略)
01 いずれのミカドの御代でしたか、女御・更衣があまたお仕えになっていた中に、さして高貴な身分でもないのに、抜群に愛されている方がおりました。
02 初めから私こそはとプライドをもっていらした方々は、「あのような者が心外な」とバカにしたり妬んだりなさいます。
03 同等もしくはそれ以外の身分の更衣たちはまして穏やかな気持ちではいられません。
04 朝夕の宮仕えにつけても、人の心を乱してばかり。人の恨みを一身に受け、それが積もり積もったせいでしょうか、その方はすっかり病弱になって、なんとなく心細そうにして実家に下がりがちなのを、
05 ミカドますます「もっと会いたい」「可哀そうに」というお気持ちになって、人の非難も顧みず、世の前例となってしまいそうなほど厚遇なさいます。
06 上達部や殿上人なども、むやみに目をそむけるという、見るに堪えないご寵愛ぶり。
07 「唐土でもこの手のことがきっかけとなって世も乱れ、ひどいことになったのに』と、だんだんと国中にも不満が広がって、
08 人の頭痛のタネになり、玄宗皇帝を惑わせ、国を混乱させた楊貴妃の例まで引き出されそうな勢いになっていくので、
09 その方はほんとうにいたたまれないことが多いのですが、畏れ多いミカドのご寵愛がまたとないほど深いので、それを頼みに、後宮のおつきあいをしています。
大塚ひかりさんは、源氏物語の全訳の大作を 2008年に、ちくま文庫への訳し下ろしオリジナルとして発表しました。
彼女の翻訳の特徴は、原文重視の逐語訳であることと、敬語・謙譲語の抑制です。
主語の少ない「源氏物語」は、敬語で関係性を表し、動作の主体を表すことも多いので、訳では主語を補いました。
また、本文の所々に、<ひかりナビ>と称する解説を、かなり頻繁に加えているのも特徴です。
01 いつの御代のことでしたか、後宮に多くの妃が集まる中、それほど家柄が高くないのに、当代の帝に飛び抜けて愛された妃がいました。
02 身分の高い「女御」の妃たちは、この人を目障りにして蔑みました。
03 身分が同じかそれ以下の「更衣」の妃たちは、まして嫉みをあらわにしました。
04 朝夕を帝のもとで過ごすたび、人々を苛立たせ、恨みを買っていたせいか、この更衣はだんだん病気がちになり、心細げに里帰りをくり返していました。
05 帝はその様子をますます可憐に思い、非難もかえりみず、前例がないまでただ一人を溺愛します。
06 朝廷の高位高官は、目にあまる寵愛ぶりに悩み、顔をそむけて
07 「唐国ではこういうときに世が乱れた」と言い合いました。
08 天下の政(まつりごと)に関わる問題として、楊貴妃の例を引き合いに出すまでになっています。
09 当の更衣にとってはいたたまれないことばかりですが、帝の深い愛情をたのみにして、後宮で暮らしていたのでした。
荻原規子さんの訳の出版は、極めて最近です。「はじめに」から、出版の意図を、少しご紹介します。
「源氏物語」54帖を読もうと挑戦して、一、二冊で挫折する人はたぶん多いでしょう。
しかし「源氏物語」の持つ真の値打ちは、光源氏の晩年まで読み進め、円環をなすものごとを受け取ってこそ初めてわかると思うのです。
物語の大きなうねりの豊かさを、自然に体感できます。
それを、多くの人に知って欲しいと願うのは、私自身この古典が大好きだからです。
もちろん、原典を読むのが最良の方法ですが、古文を通読しておもしろがる人はあまりいないことに気づきました。
しかし、現代語の逐語訳で「源氏物語」を読み進めることは、私から見ても挫折の多い道のりに見えます。
逐語訳では一文がさらに冗長に、一帖がさらに冗長になり、そうでなくとも中だるみ感のある原典が、いっそうの難物になってしまうのです。
加えて註釈がついていたりするので、ページはなかなかはかどりません。
そこで荻原さんのとった方法は、桐壺のつぎに、若紫を持ってくるなど、順番を変更し、いくつかの帖は、省略したのです。
いつのことだったか、もう忘れてしまった・・・・。
帝の後宮に女御更衣数多(あまた)犇(ひし)めくその中に、そう上等という身分ではないが、抜きん出た寵(ちょう)を得て輝く女があった。
女の身分は、更衣である。
帝の寵を受ける女達の中で、更衣とは「いとやんごとない」と称されるような身分ではなかった。
帝の正室である中宮、その中宮を選び出す女御の階級に続く、妃の第二の身分であった。
だがしかし、帝の寝所に侍り宿直(とのい)する身の女に「下等」と称されるようなもののあろう筈もない。
上にあらず下にあらざる更衣の身分にふさわしい寵にとどまっていれば、いかなる事件も起こりようはなかった。
にもかかわらず、その女はただ一人、後宮という閉ざされた世界にあって、抜きん出て輝いていた。
入内の初めより「我こそは」と思いのぼせている女御階級の女達は、「わずらわしい女よ」と貶め、嫉妬の炎を燃やした。
同じ更衣の身にある女、更には同じ更衣にあっても実家方(さとかた)の親の身分が下であるような下�瓩旅弘瓩凌潅罎蓮△�だやかではなかった。
(中略)
女の心のさざ波は、嫉妬となってひたひたと押し寄せた。
朝夕引き続いてのお召し出しというご寵愛の篤さは、女達の思惑ばかりを掻き立てて、そうした女達の恨みを一身に引き受けたことの結果でもあろうか、
その女は鬱々たるもの思いに衰えて、心細さに身を患い、波立つ後宮の心労を避けて実家への宿下がりばかりを願い出るようになった。
遠ざかる女を帝はいよいよお求めになり、周囲を憚(はばか)らず「愛しいものよ」と思し召すそのお心は、いつしか人の非難の的になった。
人の心のさざ波は、後宮を超え、世人全般の憂いの種と広がって行く。
「なんとも見苦しい御寵愛を」と、上達部・殿上人の別なく、男達は眉を顰め目をそばめた。
「唐土にてもかような事が因となり、世の乱れとなったことがある」「困ったことを」と、玄宗・楊貴妃・安禄山の乱を例証(ためし)として引かれない勢いとなって行けば、女にも堪えがたいことが多くあったではあろう。
このように、橋本さんは、かなり自由に訳されています。しかも、更衣が身籠ったとき、
女は遂に身籠った。
その女とは、私の母である。
その女と帝との間にうまれた玉のような男御子 − それが私だった。
女は身籠り、玲瓏玉の如しと言われる、麗しい器量の男子を産んだ。
さざ波立つ後宮に産み落とされた更なる緊張 − それが私の最初だった。
と、ナレーターが、光源氏その人になってしまいます。
いささか饒舌ですし、少し話は違ってしまいますが、面白く読みたいという人には、おすすめかもしれません。
12 阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男 源氏物語 小学館
01 帝はどなたの御代であったか、女御や更衣が大勢お仕えしておられた中に、最高の身分とはいえぬお方で、格別に帝のご寵愛をこうむっていらっしゃるお方があった。
02 宮仕えの初めから、我こそはと自負しておられた女御がたは、このお方を、目に余る者とさげすんだり憎んだりなさる。
03 同じ身分、またはそれより低い地位の更衣たちは、女御がたにもまして気持ちがおさまらない。
04 朝夕の宮仕えにつけても、そうした人々の胸をかきたてるばかりで、恨みを受けることが積り積ったためだったろうか、まったく病がちの身となり、どことなく頼りなげな様子で里下がりも度重なるのを、
05 帝はいよいよたまらなく不憫な者とおぼしめされて、他人の非難に気がねなさる余裕さえもなく、これでは世間の語りぐさとならずにはすまぬもてなされようである。
06 上達部、殿上人なども、あらずもがなに目をそむけそむけしていて、まったく正視にたえぬご寵愛ぶりである。
07 「唐土でも、こうしたことがまとになって、世の中も乱れ、不都合な事態にもなったものだ」と、
08 しだいに世間の人々の間でも、にがにがしくもてあましぐさになり、はては、楊貴妃の例までも引き合いに出しかねぬなりゆきであるから、
09 更衣は、まったくいたたまれないことが多いけれども、畏れ多い帝のまたとないお情けを頼りにしてお仕えしていらっしゃる。
ちょっと大きな図書館なら、全集のコーナーに、小学館の新編日本古典文学全集があると思いますが、その20巻から25巻の6巻は源氏物語で、この訳者たちによるものです。
その後、携帯に便利な軽装版が、古典セレクションとして、16分冊で出版されました。
原文と翻訳の両方が表示されている書籍を、一冊、手元に置きたいと思い、まず、第一巻を購入しました。
巻頭の部分を、同様に示したのが、上記です。
01 どなたさまの御世であったか、女御や更衣が大勢や仕えなさっていた中に、たいして重い身分ではなくて、めだって御寵愛の厚い方があった。
02 入内当初から自分こそはと気負っておいでなさったおん方々は、目にあまる者と、蔑んだり嫉んだりなさる。
03 同格、あるいは、もっと地位の低い更衣たちは、女御がた以上に気が気でない。
04 朝晩のお勤めにつけても、皆に気をもたせ、恨みを受ける事が、積り積もったせいだったろうか、ひどく病弱になってしまい、どこか頼りなげに里さがりが頻(しき)るのだが、
05 それでもますますたまらなく不憫な者とお思いで、誰の非難をもお構いあそばすお心もなく、のちのちの例にもなるにちがいないほどの、遊ばされようである。
06 上達部や殿上人、その他の者まで横目でにらむありさま、実に見ていられない御寵愛ぶりである。
07 「大陸(あちら)でも、こんな原因でもって、国も乱れ、困ったこともあったのだ」と、
08 次第に、国中でも、いやなことに、皆の苦労の種子となって、楊貴妃の例まで引合いに出しかねないほどになってゆくので、
09 まことにたまらない思いがする事が多いけれども、恐れ多い御愛情の、またとないほどなのを、頼みにして、つきあっていられる。
03に引用した、角川文庫の源氏物語の現代語訳は、玉上琢弥先生によるもので、初版刊行が、1964です。
こちらの源氏物語評釈も、角川書店の出版で、初版発行は、同じく1964年です。
桐壺の冒頭部分を比較すると、基本的に一致していますが、何か所か、表現が異なっています。
また、評釈の方は、原文が上段、翻訳が下段と、同一頁に表示されているのに対し、
文庫の方は、冊子の後半が、現代語訳の頁となっていて、原文と訳を比較しながら読むには不向きなため、
訳文が独立して、読みやすいような変更がなされたのではないかと推測します。
01 いつの帝の御時だったでしょうか ----。
その昔、帝に深く愛された女がいた。
宮廷では身分の高い者からそうでない者まで、幾人もの女たちがそれぞれに部屋を与えられ、帝に仕えていた。
帝の深い寵愛を受けたこの女は、高い家柄の出身ではなく、自身の位も、女御より劣る更衣であった。
女に与えられた部屋は桐壺という。
02 帝に仕える女御たちは、当然自分こそが帝の寵愛を受けるのにふさわしいと思っている。
なのに桐壺の更衣が帝の愛を独り占めしている。
女御たちは彼女を目ざわりな者と妬み、蔑んだ。
03 桐壺と同程度、あるいはもっと低い家柄の更衣たちも、なぜあの女が、となおさら気がおさまらない。
04 朝も夕も帝に呼ばれ、その寝室に行き来する桐壺は、ほかの女たちの恨みと憎しみを一身に受けることとなった。
そんな日々が続いたからか、桐壺は病気がちとなり、実家に下がって臥せることも多くなった。
05 すると帝はそんな桐壺をあわれに思い、周囲の非難などまったく意に介さず、ますます執心する。
06 上達部や殿上人といった宮廷の高官たちは、度のすぎた帝の執着に眉をひそめ
07 楊貴妃の例まで出して、唐土(もろこし)でもこんなことから世の中が乱れ、たいへんな事態になったと言い合っている。
09 そんなことも聞こえてきて、いたたまれないことが多いけれど、帝の深い愛情をひたすら頼りにして、桐壺は宮仕えを続けている。
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