フラナガン 世界文学のスーパースター 夏目漱石 (2007) |
2018.1.10
著者のフラナガンさんは、1969年生まれのイギリス人で、17歳のときに、ケンブリッジ大学の理系コースに合格しましたが、
体験就職や旅行などで、入学前に一年間休学します。そして、体験就職に失望し、しばらく世界旅行するのですが、
イギリスにもどったとき、大学の専攻を変更しようと考えます。そして、高校時代に少し勉強した日本語に望みを託して、
東洋学部日本語科に入学します。
大学の図書館で、漱石の『吾輩は猫である』を読み、茶道とか芸者とか切腹などをテーマにした、いかにも日本らしい小説ではない小説と出会います。
『坑夫』『それから』『門』などを読み進み、人生の様々な様相に対する漱石の洞察に魅了されます。
彼は、在学中に、日本に観光旅行に来て、一学期だけ国際基督教大学で学び、イギリスに戻った後、
勉強したいのは日本語ではなく英文学だということで、専攻を英文学部にします。
卒業後の1993年に、神戸大学で研究する機会を得て来日し、1999年まで滞在し、
博士論文では、『門』について論じて、2000年に学位を取得します。
さて、フラナガン氏は、日本にやってきて、日本人が、漱石の名前は知っていても、必ずしも、小説を読んでいないことを知ります。
日本人の女友達が、漱石に興味をもってくれたので、いくつか小説を紹介しても、『門』は「暗い」、『夢十夜』は「気持ち悪い」
とさんざんで、全体的にわかりにくくていやだという感想だったそうです。
『坊ちゃん』を紹介したときに、初めて絶賛してくれて、「どうして『門』のような作品を読ませたの?」 と質問されたそうです。
日本人には、『坊ちゃん』は、好評なのですが、英語圏の読者には、翻訳が難しくて、必ずしも、楽しめないそうです。
逆に、『草枕』は、日本語よりも英語のほうが読み易く、英語圏の読者には、お薦めだそうです。
彼のオーストラリア人の女友達も。漱石に批判的だったそうで、彼女の言葉を引用します。
「あなたは漱石がいろいろなキャラクターを描いているというけど、女性の描きかたはすごく下手だと思う。
なにもかも、男性の視点からしか描かれていないもの。
女性の登場人物はおしなべて受け身なタイプでしょう。たとえば『こころ』や『門』に登場する女性がそう。
まるで漱石は、女性そのものは重要でもなんでもなく、大切なのは男性への反応のしかただけだと思っているみたい。
現実的な女性像とはかけ離れている。」
私も、漱石が最初に書いた『猫』も、『草枕』も、彼の漢詩漢文や学問の知識をひけらかしていて、
悪口を言えば衒学趣味だと思います。漢文を学ぶ事が学問の中心だった当時においては、
漱石が使う難しい文章は、適度な刺激となり、ベストセラーになったのかもしれません。
しかし、ただそれだけだとしたら、そういう知識が勉強の対象ではなくなった現代では、漱石の作品は過去の遺物です。
フラナガンさんは、どうして、漱石のことを、世界文学のスーパースターと呼ぶのでしょうか。
それを知りたい方は、この本をよんでいただくとして、私なりに、簡単に説明してみると、以下の様になります。
漱石は、39歳で『吾輩は猫である』を発表し、49歳で『道草』を発表中に、50歳で亡くなりました。
作家としては、遅いスタートだったため、漱石には、小説にしたいテーマが、沢山あったと思います。
従って、発表する小説ごとに、テーマが大きく変化します。
そこで、漱石のどの小説を読んだかで、漱石に関する印象は、大きく変化します。
44歳で発表した『門』は、ニーチェのツァラツストラの思想に対して、漱石が思うところを小説にしたものです。
ニーチェのツァラツストラが難解な哲学書であるように、漱石が『門』で、何をテーマにしたのかを知らずに読むと、
読解力の高い人は別にして、普通の人には非常にとっつきにくい小説となってしまいます。
以下の段落は、ネタばれを嫌う人は、読まないでください。
例えば、ある解説書によると、
『門』は、宗助と御米の仲のいい夫婦の物語ですが、御米は、宗助が大学時代に友人の安井から奪った女です。
宗助は、大学を退学し、御米と転居を重ね、東京で軽い職を得ます。貧乏な夫婦のところに、宗助の弟の小六がころがりこんできます。
小六は、家主の坂井に面倒をみてもらうことになり、一安心なのですが、その坂井のところに安井が来訪することになり、その当日、
宗助は、家に戻らず、鎌倉の山寺に参禅に行きますが、悟りは得られずに下山します。
宗助は安井に会わずに済むのですが、同様なことは、また起こるかもしれず、「それを逃げて回るのは宗助の事」ということになります。
漱石は、宗助のことを、「彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」と語ります。
うららかなある日、御米が「本当に有難いわね。漸くの事春になって。」と語りかけられ、宗助が「うん、しかし又じきに冬になるよ」と答えるところで、小説は終わります。
フラナガンさんは、漱石の『こころ』を、シェークスピアの『ヴェニスの商人』と対比させて語ります。
さて、その漱石が、欧米で、あまり知られていないことに関して、次のように指摘します。
しかし日本文学を専攻する欧米人の多くは、文芸批評家としての能力を持っていたからというより、
『日本のこと』に興味を持っていたから日本文学の『批評家』になったといってもいいだろう。
そこが問題だ、とわたしは思うようになった。だいたい日本において日本文学を批評する欧米人は、
能、歌舞伎、俳句、古典など、まぎれもなく『日本らしい』ものにしか魅了されない。
だから小説でも、『日本らしさ』を表現する作品にいとも簡単に惹きつけられてしまう。
欧米人が高く評価し、ノーベル文学賞まで受賞した川端康成の小説は、その最たる例だ。
彼らの評価は、日本人批評家たちの評価とは必ずしも一致しない。
日本人批評家の多くが、英語圏ではほとんど知られていない夏目漱石こそがいちばんすぐれた小説家だと、
口を揃えている。
ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/
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