フラナガン 日本人が知らない夏目漱石 (2003) |
2018.1.19
挑戦的なタイトルの本ですが、よく考えると、私達も、夏目漱石の事が、そんなによくわかっているわけではありません。
戦争と平和や、アンナ・カレーニナを書いたトルストイや、罪と罰や、カラマーゾフの兄弟を書いたドストエフスキーについてなら、
なんとなくその作家像が分かったような気がするのですが、坊ちゃんや、猫や、草枕や、こころ などを書いた夏目漱石が
どんな作家なのかは、いまいち、分かっていないのではないかと思います。
フラナガン氏は、「小説の王様」は、トルストイでもなく、ドストエフスキーでもなく、夏目漱石であると主張し、
続けて、以下の様に語ります。
しかし、日本人自身、その理由を理解しているであろうか。日本人自身が夏目漱石を正しく理解しているであろうか。
あるいは、この作家を「国民的な作家」に変形したことによって、彼の作品に包含されている数多くの意味やテーマを曲解し、
莫大な、国際的な読者層に訴えられる作家を、窮屈にも局限してきたのではないか。
西洋と漱石の関わり合いが広範であるにもかかわらず、漱石は保守的な、「日本人的な」価値観をもっていたと証明するために、
日本人の批評家がどれほど工夫してきたかは、注目すべきである。
西洋人の批評家が、先天的な偏見によって、漱石の作品の優れた質を否認するように見える一方、
日本人の批評家は「国民的な作家」の評判をどうしても裏づけたがっているようである。
(中略)
西洋美術と漱石の関わり合いについて、数多くの本が書かれてきたが、漱石はなぜ自分の作品に美術的なイメージを持ち込んだのであろうか。
漱石の作品が、初期から晩年に移るにつれ、気軽な、風刺的な作品から、真剣な、薄暗い作品に変わっていくということは、正しい事実であろうか。
あるいは、中期以降の作品の趣向が誤解されてきたのであろうか。
そして、『それから』、『彼岸頃迄』、『行人』などの小説につながるテーマや意味は何であろうか。・・・・
これらのすべての質問に対して、今まで適当な答えはなかったと思われる。
この本の目的はその答えを提供してみることにある。
さて、この本は、彼の神戸大学での博士論文が基になっていると思われ、その章立ては、以下の通りです。
第一章 『門』の再検討
第二章 『門』までの道
第三章 『門』以降の道
第四章 漱石とウィリアム・ホルマン・ハント
彼は、この本で、漱石の作品における、ニーチェの影響を指摘します。
漱石は、ニーチェの作品を、いくつか読みました、そして、ツァラトゥストラに、最も感銘を受けました。
また、当時の日本の思想界も文壇も、ニーチェに大騒ぎしていました。
漱石は、処女作の『猫』の中でも、ニーチェが登場します。
しかし、何故か、その後の批評家が、漱石について語る時、ニーチェの影響についてふれる人は、殆どいませんでした。
彼は、まず、『門』から始めます。彼の説明をなぞると長くなるので、私なりに説明するとこうなります。
『門』は、漱石が、明治43年(1910年)3月1日から6月12日までの104回、毎日新聞に連載したものですが、
2月22日に連載の予告が掲載され、『門』というタイトルが発表されました。
このタイトルは、漱石が、自分で決めたのではなく、弟子の森田草平に頼み、森田は、小宮豊隆と相談します。
小宮は、ニーチェのツァラトゥストラの中に、『門』という言葉を見つけて、森谷に、「これはどうだ?」と言います。
森田は、「うむ、『門』は好い。これなら象徴的でどんな内容でも盛ることが出来る。」と言って、タイトルが決まります。
私の持っている訳本では、門道となっていて、英語ではgatewayなのですが、
この門道には、「この瞬間」(This Moment)という名前が、門の上に掲げられています。
この門から前に永遠に続く道が未来で、後ろに永遠に続く道が過去で、「この瞬間」は、現在です。
永遠に続く過去への道には、起こりうるすべてのことは、すでに起きており、永遠に続く未来への道においても、繰り返しおきる
という永劫回帰(永遠回帰)の思想が、ここで語られます。
さて、門というタイトルが決まった時点で、漱石が、どこまで、ストーリーを書き上げていたかは分かりませんが、
漱石がドイツにいる寺田寅彦宛の三月四日付けの手紙の中で、
「又小説をかき出した。三月一日から東京大坂両方へ出る。題は門というので、
森田と小宮が 好い加減につけてくれたが、一向門らしくなくって困っている。」
と語っています。漱石は、ツァラトゥストラの門に相応しい内容にしようとしたのだと思います。
また、『門』には、坂井の弟のことを、「冒険者(アドヴェンチャラー)」と呼んでいます。
また、宗助も、「彼の平生に似合わぬ冒険を試みようと企て」ます。
「もしこの冒険に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救う事が出来はしまいかと、果敢な望みを抱いた」のです。
ツァラトゥストラにおいても、冒険は、大きなテーマとなっています。
これに関しては、もう少し考えを整理してから、まとめたいと思います。
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