ドストエフスキーを読む |
2016.2.15
私の本棚に、大学時代に購入したドストエフスキー全集があります。河出書房から出た米川正夫訳の全集で、箱入りの本です。
全21巻中の13巻で、時間ができたときに読もうと、本棚に飾ってきましたが、その時が来たようです。
昔、百科事典、世界文学全集、日本文学全集、世界の歴史、日本の歴史、世界名画集、日本名画集などがはやった時期がありました。
私の親の世代が購入して、居間や書斎の本棚に飾られていました。
子供の頃、一冊ずつとりだして読んだり眺めたりした記憶があります。文学全集は、結構、読破したと思います。
大学卒業後、親元から離れましたので、文学全集に囲まれた生活から縁遠くなって久しくなりました。
その後、全集ものは、はやらなくなりました。文化に接する接しかたは、世代により異なるのだなと実感します。
今ほど娯楽の種類が少なかった昔、ドストエフスキーや、トルストイだけでなく、三銃士、ああ無情などの古典とよばれる作品は
結構、読まれていましたが、これらを原典(日本語訳の)で読む人は、だんだん少なくなってきました。
ドストエフスキーやトルストイは、別格とは思いますが、今後も読み継がれる古典として、生き残って行けるでしょうか。
さて、最初に読み返す本として、「カラマーゾフの兄弟」を選びました。
ドストエフスキーの作品の中では、「罪と罰」と並んで最もよくよまれてきましたが
2006年に出た亀山郁夫さんの新訳が、全5巻累計で100万部を超えたとか、
宝塚がミュージカル「カラマーゾフの兄弟」を公演したとか、2013年にフジテレビで、日本版にドラマ化したなどの話題性があり、また、
ドストエフスキーが書こうとしていて書けなかった第二部を、高野史緒、三田誠広、亀山郁夫さんたちが世に問うたという特殊性もあります。
カラマーゾフの兄弟は、最初に、米川正夫訳がでた後、中山省三郎、原久一郎、小沼文彦、池田健太郎、北垣信行、原卓也、江川卓と
驚くほど多数の翻訳が出版されました。これに、亀山郁夫さんの新訳が加わったわけです。
当然のことですが、ドストエフスキーは、「カラマーゾフの兄弟」を後世の我々のためではなく、彼の同時代のロシアの人たちのために書きました。
彼の他の小説と同じく、「ロシア報知」という雑誌の1879年1月号から、1880年11月号まで連載し、完成後すぐ出版されました。
当時は、ロシア帝政の末期で、1866年に皇帝アレクサンドロス2世の最初の暗殺未遂事件があったのですが、犯人は
ドミトリー・カラコーソフという名前でした。「カラマーゾフの兄弟」は、長男ドミトリー、次男イワン、三男アレクセイの物語ですが、
長男の名前が、この犯人の名前に酷似しているのは、意識的・意図的だと考えざるをえません。
「カラマーゾフの兄弟」は、当時のロシアの政治状況に深く係っているだけでなく、ロシア正教の生々しい事情にも深く係っていますので、
これらの特殊事情を超えて、ドストエフスキーが後世の私達にも語りかけていることを読み解く必要があります。
これらの意識しながら、「カラマーゾフの兄弟」を、ゆっくりと読み解いていきたいと思います。
ネットを検索すると、ドストエフスキーに関して深い内容を提示してくれるサイトは、たくさんあります。私のゆっくりではなく、
もっと急いで知りたいかたは、
ドストエフ好きーのページ http://www.coara.or.jp/~dost/1-9.htm などの立派なサイトを、ご参照ください。
2016.2.16
亀山郁夫さんの「ドストエフスキー 謎とちから」(文春新書,2007)を読んで、ドストエフスキーのお父さん、ミハイル・ドストエフスキーについて勉強しました。
ミハイルは、医者でしたが、モスクワの南130kmにあるドストエフスキー家の領土を持つ地主でもありました。
ドストエフスキーの名前は、フョードルですので、ここではフョードルとよぶことにします。フョードルは、カラマーゾフ3兄弟のお父さんの名前でもあります。
フョードルが、まだ十代の多感な時期に、モスクワ郊外の病院構内の宿舎では、ミハイルの飲酒癖や癲癇、
ふしだらな性癖からくる家庭内トラブルが頻繁に起こっていたようです。
家政婦や料理人として雇った農奴の娘たちによこしまな関心を抱き、それを見かねて妻が家出したこともあるようですが、
妻の死後、ミハイルの横暴はひどくなる一方でした。
モスクワでの病院勤めを辞めて、領地での生活に入ったのですが、その領地で数人の農奴たちに殺されてしまったのです。
そのとき、フョードルは、18歳で、サンクトペテルブルグの陸軍工兵学校で勉学中でしたが、「痙攣と意識の喪失を伴う激しい発作」に
見舞われたそうです。
「カラマーゾフの兄弟」では、父親フョードルが、性的にも破廉恥な生活をしますし、殺害された後の裁判中に、次男のイワンは、気がふれて、
一時、人事不省に陥りますが、ドストエフスキーにとって、極めて身近なテーマだったのですね。
2016.2.22
2006年に出た亀山郁夫さんの新訳は、古典新訳文庫の1冊として登場しました。この文庫のキャツチフレーズは、
「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」です。
新訳で何がどう変わったかを、いま、亀山さんの新訳と、米川正夫訳の両方を読んで、違いを確認しようとしていますが、
新訳が受け入れられて、全5冊で100万部以上売れたのは、事実です。
光文社の編集部が、新訳を最初から文庫本で出版したのは、電車の中でも文庫本を読んでいる読書好きを意識してのことです。
また、ふつうの本は、売れないとすぐに本屋の店頭から消えてしまうのに、文庫本は、文庫本売り場に、比較的長い期間、展示されるからでもあります。
3兄弟をデザイン化した不思議な装丁のカラマーゾフの兄弟のまず第1巻が店頭に並んだときに、ちょっと読んでみようかと購入して、
読み始めたら、ドストエフスキーの面白さにはまってしまい、第2巻、第3巻と出版されるにつれ、読み続けたというところだと思います。
新訳では、会話の口調がかなり現代的に読みやすくなっていると思いますので、それが最終的な読後感にどう影響するのかを
みずから検証中です。
2016.2.25
ドストエフスキーは、1880年11月に、カラマーゾフの兄弟の連載を終え、12月に単行本にして出版し、
かなり元気で意欲的に、続編の執筆にとりかかろうとしていました。
年が明けて、1881年1月25日のこと、ペン軸が床に落ち、書棚の下に転がり込んでしまいました。
重たい書棚を力を振り絞って動かしていたとき、突然、肺動脈が破裂し、咽喉から出血しました。
翌日は、少し回復していたのですが、午後4時に、激しく出血し、一時意識を失いました。
27日は出血なしですぎたのですが、28日の午前11時に出血が始まり、午後8時すぎに臨終の苦しみが始まり、
8時36分に死が訪れました。享年59歳でした。
皆さんは、もっと本を書こうとしていたのに、お気の毒と思われるでしょうか。
それとも、何かおかしいと思われるでしょうか。
図書館で、「アレクサンドルⅡ世の暗殺」というNHK出版から出版された上下二巻本を見つけました。
その下巻の表紙に、「ドストエフスキーの死の謎」と副題がついているので、借りてきて読みました。
ドストエフスキーは、亡くなった時、ペテルブルグのヤムスカヤ通りとクズネチヌイ横丁の角にある建物の3階に住んでいました。
この同じ3階のドストエフスキーの書斎部屋の壁の向こう側に、皇帝の暗殺を企てているテロリストのパランニコフという人が住んでいたのです。
ドストエフスキーの部屋には絶えず人が出入りしていたので、隠れ蓑になっていたようです。
ところが、テロリスト達の活動が、警察の知るところとなり、25日の深夜、警察の家宅捜査が入りました。
ドストエフスキーには、壁一つ隔てた向こう側の部屋の様子が聞こえたはずです。
彼は、何か重いものを急いで動かさなければならなかったのかもしれません。そして、肺動脈が破裂してしまったのです。
彼が、カラマーゾフの兄弟の続編を書くことができなかったのは、人類にとって、かえすがえすも、残念です。
2016.5.10
カラマーゾフの兄弟の翻訳は、ゆっくりと進んでいます。もうじき、大審問官のところに進むことができそうで、楽しみにしています。
英語から日本語に翻訳していて気づくのですが、日本語訳は、英語の文章に使われている単語数よりも、ずっとたくさんの単語を使って翻訳されていることです。
英語のカラマーゾフの兄弟を何冊か持っていますが、すべて、全1冊で、分冊ではありません。それに対し、日本語訳は、殆ど複数分冊になっています。
文庫本版が冊数が増えるのは当然でしょうが、全集に入っている米川正夫、江川卓、小沼文彦訳などでも、2分冊です。
そんななか、新潮世界文学全集の第15冊の原卓也訳のカラマーゾフ兄弟は、1分冊なので、古本を入手しました。
全体を渡って参照したいときに、本を取り替える必要がないからです。
巻末に訳者による長文の解説がついていました。
原卓也訳は、現在でも、新潮文庫の3分冊版を入手することができますが、第3分冊のあとについている解説は、ずっと簡略化されたものです。
こちらの長文の解説には、父親のフョードルと、カラマーゾフ三兄弟の人格解説のほかに、グルーシェンカとカテリーナの説明があり、
「小説『カラマーゾフの兄弟』は、これらの主要人物が織りなす愛と憎しみのドラマである。」と言及されています。
また、罪と救済、無神論、大審問官、カトリック的思想と社会主義、ゾシマ長老についても、詳しく解説されています。
ドストエフスキーは、当時のロシアの人たちに、神の問題についても考えるように、いろんな材料を提供する、啓蒙主義の役割も果たしているのです。
いつか改めて、これらの話しを取り上げるつもりです。
日本語への翻訳には、亀山郁夫さんと、原卓也さんと、たまに米川正夫さんの翻訳を参照しています。
亀山さんの翻訳には、確かに誤訳といってもいい箇所もありますが、そんなに沢山あるわけではありません。
亀山さんの訳は、かなりのところ原卓也さんの訳に似ていますので、亀山さんも、過去の翻訳を参考にして、翻訳されているなと
感じるだけに、他の翻訳と比較すると、すぐわかる違いが、光文社の編集過程経て、なぜ、違うまま確定されたのか不思議に思っています。
亀山さんは、訳者あとがきで、光文社の古典新訳文庫シリーズが掲げる「いま、息をしている言葉で」に従って、
読みやすさを目指した、最後まで一気に読みきることのできる翻訳を目指したと語っています。
それは、「いま、息をしているリズムで」語ることになっていくのですが、それは、原点への回帰、すなわち、わが国最初の
米川正夫訳への回帰を意味するものであったとも語っておられます。
亀山さんが、新しい翻訳にどんな工夫をされたかについては、いつか、わかりやすく説明したいと思っています。
光文社の古典新訳文庫の編集長の駒井稔さんは、読書ナビで次のように解説されています。
「意外なようですが、亀山郁夫訳で読む『カラマーゾフの兄弟』が支持された背景のひとつに、女性たちが実に生き生きと描かれていることがあると思います。
ドミトーリーとシベリアに赴くグルーシェニカ、イワンの恋人であるカテリーナ。この二人の女性が、この物語の中で果たす役割は小さくないと思います。
それどころか、二人が小説の中で放つオーラは、凄絶ですらあります。
情熱的で不可解な女性像を見事に再現した新訳を存分にお楽しみください。」
と語っていることを、とりあえずご紹介しておきます。
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