キュリー夫人伝 エーブ・キュリー (1958) 

2019.6.27

 キュリー夫人伝は、私の、少年時代の愛読書でした。

 この本は、キュリー夫人の次女のエーブが、キュリー夫人が死んだ1934年から3年たった1937年に

彼女の偉大な母の伝記を表し、各国語に訳されて、世界中で愛された本です。

 英語訳は、1937年でしたが、日本語訳も、1938年で、1947年と1958年に改版が出版されました。

私が読んだのは、1958年の改版で、新カナ使いになったものでした。

 出版社は、白水社で、翻訳は、川口篤、河盛好蔵、杉捷夫、本田喜代治でした。

 この本は、1968年、1988年にも改版されたようですが、

2006年に、同じ白水社から。河野万里子さんによる新訳が発行されました。

 

 私は、川口さん達の翻訳の文体を、こよなく愛したのですが、河野さんの翻訳は、更に、口語化されています。

 何か所か、比較してみたいと思います。

 まず、出だしです。

(英文)
 The life of Marie Curie contains progidies in such number that one should like to tell her story like a legend.

(川口訳)
 マリー・キュリーの生涯は波乱をきわめ、多くのエピソードに富んでいるので、なにか伝記でもかたるように彼女の一生をかたりたい気持にかられる。

(河野訳)
マリー・キュリーの生涯には、ドラマチックなできごとやめぐりあわせが数かずあったため、ひとつの伝説のように、その一生を語ってみたくなる。

第2章の終わり

(英文)
She was proud but she was not resigned.  And when she knelt in the Catholic church where she was used to going with her mother, she experienced the secret stir of revolt within her.

She no longer invoked with the same love that God who had unjustly inflicted such terrible blows, who had slain what was gay or fanciful or sweet around her.

(川口訳)
彼女には自尊心がある。運命に屈従する女ではない。かつて母といっしょにいったカトリック教会にいままたひざまずくとき、彼女の心のおくにはひそかに反抗心がもえていることに気がづく。

彼女はもう、不幸にも彼女に恐ろしい不幸をもたらし、彼女の周囲から陽気と空想となごやかな空気とを奪ってしまった神にたいして、以前のような愛をもって祈ることができない。

(河野訳)
だが誇り高く、人生をあきらめはしなかった。かつては母と来たカトリック教会で、ひとりひざまずくと、むしろ鈍い怒りがわき上がるのを感じた。

いわれなくつらい仕打ちを次つぎもたらし、周囲から明るさもなごやかさも、楽しい空想の世界もうばった神に対して、以前と同じ愛を感じながら祈ることは、彼女にはもうできなかった。

第8章 パリ の中の一節

(英文)
That pianist was half-srtarved and charming. He was in love, nervous, happy, unhappy.

He was to be a virtuoso of genius and, one day, prime minister of a Poland reconstructed and set free.

His name was Ignacc Paderewski.

(川口訳)
このピアニストはいつもおなかをすかせていたが、非常に魅惑的だった。不幸のようで、幸福そうで、神経質で、愛情にあふれていた。

かれはのちに天才的な大演奏家になる人である。解放され、たてなおされたポーランドの大統領になる人である。

かれはその名をイグナス・パデレフスキーという。

(河野訳)
ほんとうに彼は、なにもかも飢えていて、しかも魅力あふれるピアニストだった。恋に落ちていて、神経質で、不幸で、降伏だった。

この後、彼は天才的な大演奏家になって活躍する。さらにポーランドが解放され、共和国となったあかつきには、初代首相に選ばれたのである。

彼こそ、イグナツィ・パデレフスキその人であった。

 

 私が、今回、昔読んだ、キュリー夫人伝 を取り上げたのは、新しい翻訳を再び読もうと思ったわけではなく、

若い人達に、この名作を、英語で読む機会を、与えてあげようと思ったからです。

 Madame Curie (キュリー夫人伝 の英語版) は、1937年出版の結構古い本なのですが、

著者のエーヴ・キュリーは、1904年12月6日生まれですが、死亡が、2007年10月22日と、

つい最近まで、驚異的に長生きしました。

従って、死後70年間という著作権保護期間が終了するのは、随分先の話です。

  また、翻訳者のVincent Sheeanは、1899年12月5日生、1975年 3月16日死亡なので。、

著作権保護期間が終了するまで、まだ、あります。

   

 しかし、インターネット・アーカイブ (Internet Archive) (https://archive.org/) というサイトで、

Madame Curie のテキストを、手に入れることが可能です。

 インターネット・アーカイブのこのような活動が、どう評価されているかよくわからなかったのですが、

国立国会図書館のサイトで、この活動が紹介されているのを知りました。

     http://warp.da.ndl.go.jp/contents/reccommend/world_wa/world_wa02.html

 著作物であっても、翻訳などのために、部分的に引用されるのは許されていると思いますので、

Madame Curie の翻訳も、少しずつ、ゆっくり進めていくことにしました。

 今は、まだ、作業中ですので、今しばらく、お待ちください。

 

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