李寧煕 日本語の真相 (1991,1994)  

2021.02.11

  李寧煕(イ・ヨンヒ, 1931-)さんは、東京生れの韓国人作家で、

1989年に出版した「もう一つの万葉集」が、ベストセラーになりました。

私の持っている文春文庫版の「もう一つの万葉集」の帯に、

万葉集は韓国語だった! と書かれているのですが、

私は、この言い方は、間違っていると思います。

 正確な、言い方をするとすれば、

万葉集の古代日本語は、古代朝鮮語から派生したものである

 くらいでしょうか。

 人間は、サルから進化したという言い方がありますが、これは、間違いで、

人間とサルには共通祖先があり、そこから進化して、人間とサルになったのです。

古代朝鮮語というものがあり、そこから進化して、現代朝鮮語と現代日本語が生れたのです。

現代朝鮮語から、日本語が生れたのではありません。

 この本の第一章も、日本語はこうして韓国語から生れた となっているのですが、

私は、それは、言い間違いだと主張します。

  

 日本列島には、アイヌ民族のような先住民族がいましたが、そこに、大陸から大勢、渡来してきました。

渡来人の大勢が、朝鮮半島経由であったと考えれば、その言語が、古代朝鮮語から派生したものであることは

当然ではないでしょうか。

 はじめに の最後のほうを少し引用します。

 鋭くて温かい記者の富田武三さん(週刊読売)は、ある日こう言われました。

「李先生の説を日本人が事実として認めるのは、おそらく五十年後のことでしょう」

 そうかもしれません。

 古代韓国語が日本語になっているという事実。

 これを認めることは、日本の方にとってある種の「勇気」を必要とするものです・

(もちろん、そうでない方も大勢おられますが・・・・・)。

 「日本語は、韓国語から生れた」ではなく、「日本語は、古代韓国語から生れた」もくは

「日本語は、古代朝鮮語から生れた」という言い方をすれば、話はだいぶ変わってくると思います。

  はじめに から、もう一ヶ所、引用します。

 日本への集団移動は「三つの波」に大きく分けられます。

 第一の波は、紀元前三世紀あたりから紀元後一世紀にかけて、農耕技術とともに韓半島南部より主に押し寄せます。

 「伽倻・新羅およびその前身の部族国家群の波」です。

 大陸から半島にまたがる広大な地域を占め、世紀前後にあいついで建国した高句麗・百済・新羅・伽倻およびその前身の夫餘・馬韓・辰韓・弁韓など古代国家の誕生は、これらの地に先住していた人々を追い出すことになります。

 先住民、特に、その上層階級の者達は、海を越えたすぐ向かい側の、暖かく豊かな日本列島に雪崩を打って避難しつづけました。

 (中略)

 第二の波は、四世紀松の「百済の波」です。

 高句麗の広開土大王は、決定的な打撃を百済に与えます。王族をはじめ、高官、軍人、学者たちは、技術集団を引き連れ大挙日本に渡り、難を避けます。

 日本に多くの漢籍がもたらされたのも、この時期にあたります。

 第三の波は、七世紀後半の「百済・高句麗の波」。

 660年の百済滅亡、668年の高句麗滅亡の際、両国の権力者は学者や僧侶、医者をはじめありとあらゆる分野の専門家や技術者を伴い、日本に集団亡命をきめこみました。

 

 

 

     

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