ヘレン・ケラー自伝 (2004) |
2023.04.16
三重苦の奇跡の人、ヘレン・ケラーの自伝を、子どもの頃以来、久しぶりに読みました。
見えない、聞こえない、しゃべれないのヘレン・ケラーが、サリバン先生と言う生涯の伴侶を得て、
苦行ともいえる努力を重ねて学問を究め、世界にはばたく姿は、ただただ、尊敬に値します。
「奇跡の人」とよばれる演劇や、映画では、あばれんぼうの小動物として描かれている小さい時のヘレンが、
何を考えていたのか、この本では、内側から書かれています。
12頁
私は赤ん坊の頃から、好奇心が強く自己主張の強い子どもで、人がすることは何でもまねしないと気がすまなかったらしい。
生後六ヶ月で、「こんにちは(How
d'ye?)」と言い、ある時など、はっきりと「ティー、ティー、ティー(Tea, tea, tea)」と発音してみせ、みんなを驚かせたという。
熱病のために口が利けなくなったあとでも、この頃覚えた単語のひとつを忘れなかった。
「ウォーター(water)」である。
ことばを話せなくなってからも「ウォーター」のつもりで、「ウォーウォー」といい続けていた。
「ウォーター」という単語を指文字で綴れるようになってやっと、「ウォーウォー」というのをやめたのだ。
15頁
熱が引いてから数ヶ月のことは、何も覚えていない。
ただ、母のひざに座っていたこと、母が家事をしている時にスカートにまとわりついていたことだけは記憶に残っている。
私は、手であらゆる物に触れ、その動きを感じ取ることで、多くのことを知るようになった。
しばらくすると、人に意志を伝える必要性を感じ、簡単な身ぶりで合図をするようになった。
「いいえ」は首を横に振り、「はい」はうなずく。「来て」は手を引き、「行って」は手を押す。
パンが食べたい時は、パンをスライスしバターを塗るまねをする。・・・・
16頁
自分が周りの人と違うことに気づいたのはいつ頃だっただろうか。はっきりは覚えていない。
ただ、サリバン先生が来るまでにはわかっていたのは確かである。
母や私の友人たちが、何かを頼む時、私のように身ぶりを使っていないのに気づいていた。
口で話しているのだ。
誰かふたりが会話をしている時、その間に立って、それぞれの唇に触ってみることもあった。
だが、何だかわからずいらいらする。
自分も唇を動かし一生懸命まねてみるが、うまくいかない。
それで腹が立って、くたびれるまで蹴とばし、大声でわめくこともあった。
21頁
この頃、私はカギの使い方を覚えた。ある朝、母が食料庫に入っている間に、ドアにカギをかけた。
使用人たちは食料庫とは離れたところにいたので、母は三時間も中から出られなかった。
その間、私は戸口の階段のところに座り、母がドンドンとドアを叩く振動を感じながら、うれしさのあまり声を上げて笑っていたのだ。
この悪質ないたずらがきっかけで、両親はできるだけ早く私の教育を始めなければならないと決心したのである。
その後、サリバン先生が来ると、私は早速、先生を部屋に閉じ込めようと、チャンスをうかがった。
母から何かを先生に渡すように頼まれ、それを持って二階に上がった。
そして頼まれたものを先生に渡した瞬間、バタンとドアを閉めカギをかけた。
カギは、廊下の洋服ダンスの下に隠した。
私がカギの隠し場所を言おうとしなかったので、父ははじをもってきて、窓から先生を助けださなければならなかった。
愉快でたまらなかった。カギを取り出したのは、それから数ヶ月のちのことである。
24頁
その頃、いつも引きずり回していたお気に入りの人形があった。あとでナンシーと名付けた人形である。
ナンシーは、私の癇癪の爆発と愛情のあわれな犠牲者となりぼろぼろになっていた。
ほかにも、話したり、泣いたり、目を開いたり閉じたりする人形を持っていたが、ナンシーほど溺愛した人形はない。
ナンシー用のゆりかごまであった。ナンシーをゆりかごに入れ、一時間以上揺すってやることもたびたびだった。
私は細心の注意を払ってナンシーとゆりかごを守っていた。
ところがある時、そのゆりかごの中で妹がすやすやと眠っているではないか。
この時はまだ、妹に対する愛情などなかったから、このずうずうしい態度に私の怒りは爆発した。
ゆりかごに突進し、ひっくり返してしまったのだ。
事態に気づいた母が落ちる妹を抱きかかえなかったら、妹は死んでいたかもしれない。
このように、人は、光も音もない「孤独の谷間」を歩く時、あたたかい愛情というものを知らないのである。
愛情とは、愛にあふれることばや行為に接し、人と心が結ばれてはじめて芽生えるものだからだ。
けれども、私がことばを知り人間性を取り戻してからは、ふたりはお互いに「心の友」となる。
妹は私の指文字がわからなかったし、私も妹の幼児ことばを理解できなかったが、ふたりは嬉々として手をつなぎ、気の向くままどこへでも行くようになったのだ。
まだ言葉を得ていなかったときのことを、このように鮮明に覚えていて、言語化できることに感心しました。
しかし、外側から見たヘレンは、この時、暴れん坊の小動物でした。家族があまやかして、行儀を教えなかったからです。
ヘレンは、病気知らずの元気にあふれた子どもだったので、このまま行儀知らずに育ったら、大変なことになったのですが、
さいわい、7歳の少し前、サリバン先生が来てくれたのです。
サリバン先生が、野生児のヘレンにどう対処したかは、サリバン先生が残した手紙に詳しく残されていますので、あらためて、その本を紹介することにします。
この本の巻末に、大竹しのぶさんの解説が掲載されています。
大竹さんは、「奇跡の人」の舞台で、サリバン先生を六度演じました。
その時の経験を、以下のように語っています。
上演時間約三時間。立ったまま手づかみで食事をするヘレンを、椅子に座らせ、スプーンを持たせる格闘シーンは15分近くあり、肉体的にも、精神的にも追い込まれる芝居だった。
時々、アニーが苦しいのか、それとも彼女を演じている自分自身が苦しいのか、混乱しそうになる瞬間もあった。
捻挫をしたり、打撲のため顔が腫れたり、ヘレンが私に投げつけるピッチャーの水が耳に強く入り、粘膜に傷がつき、数日間、片方の耳が聞こえにくくなることも数回あった。(中略)
どんな絶望的な状況に陥っても、アニーは挫けず、信じ続ける。
そして、それが成就された時、初めて人を愛しているという喜びをアニーも感じることができるのである。
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